無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
先輩が帰ってくるまでには、全部終わらせないといけなかった。どこまでも連れて逃げられないからとか、見つかることを恐れてとか、そういう理由ではなく、ただただちゃんと返さないとという使命感から、私はすみれちゃんを解放した。
なぜなのかは、正直自分でもよくわからない。初志貫徹を目指したのかもしれないし、もしかしたら私の中に、先輩やすみれちゃんに対する気持ちが残っていて、2人には幸せになって欲しかったからかもしれない。
それはあまりなさそうだと思いながら、不思議な虚脱感に浸る。逃げないと、引っ越さないといけないのに、何もする気になれなかった。もういっそ、先輩が殴り込んでくるまでこのままいるなんて、自殺みたいなことをしたくなった。
最後に抱きしめてみた、柔らかさを失ったすみれちゃんの温かい体を思い出す。私は、あの子を肥えさせようと思っていたはずなのに、気がついたらこんなことをしていた。
楽しかった。間違いなく、私はこれまでの人生で一番解放されていた。
だから、これは当然の罰だ。溢れ出る涙も、ぽっかり空いた胸の痛みも、私が感じないといけないものだ。いや、私にはそれを感じる資格すらないのかもしれない。
熱から冷めた頭が、ようやく復活した理性が、私に私の罪を理解させる。大切にしていたものを壊して、自分のためだけの快楽に耽り、何もかもをめちゃくちゃにしながら醜く喜んでいたその姿。
吐き気を催すほど邪悪で、誰にも肯定されない、自分勝手な行動。誘拐監禁強姦傷害虐待、すみれちゃんに戸籍がなくて、守られるべき日本国民ではないとはいえ、あるいはそれだからこそむしろ、世間一般に広く知られたら、厳罰を求められることだろう。それだけの事をした認識はあるし、自分でもどこからどこまでが罪に問われることなのか把握しきれないくらいだ。器物破損が大したことのない罪に思えてくる。
しばらく一人で落ち込んで横たわっていたが、引っ越す準備も終わっているわけで、少しすると業者の人達がやってくる。過去の自分が、私に逃げるよう急かしてくる。
もう何もしたくなかったのに、まだ苦しみたかったのに、流れに任せるままに運び出しが終わった。私は終始酷い顔をしていただろうが、きっと心を病んだ社会人一年目くらいに思ってくれたことだろう。今の私の精神状態を考えれば、あながち間違っていないかもしれない。
荷物を実家に戻して、適当なホテルに入る。しばらくは、誰とも会いたくなかった。財布の中身が空っぽになるまでホテルに籠って、ただ何も考えずに横になる。
何もかもが申し訳なくて、苦しくて、嫌になった。もう今すぐにでも消えてしまいたくて、裁かれたくて、償いたかった。
何も食べずに餓死してしまいたくて、湯船の中で溺れてしまいたくて、二度と目覚めたくない。罪の意識がべっとりと張り付いて、逃げて楽になりたいのに自分でそれを許せなかった。
数日もすると財布も空になり、ホテルから追い出される。残った手持ちは、交通系ICの中に残っている数千円程度。あと2日くらいならどこかで何とかなりそうだが、そうするともう何も出来なくなるだろう。その状態で先輩の家に向かうのも心惹かれるが、そんなことをしたらいくら優しい先輩でも犯罪者になってしまうだろうし、きっと今頃私が壊してしまった幸せを取り戻そうとしている
他でもなくそれを壊した私が二人のためなんて、思いやりみたいなものを抱いているのは滑稽でしかないが、私は本当に、そんな理由で会いに行くのを躊躇った。
もうほかに行き先もなく、重たい足で実家に向かう。私の家は、先輩や茉莉ちゃんの家と違って、家族仲もいいし、両親も優しい。幼い頃は心配もされていたけれど、私がしっかり擬態できるようになってからは、信頼されるようにもなっていた。
今回の引越しのことも、突然伝えたにもかかわらずすぐに受け入れてくれたし、お父さんに至っては少し喜んですらくれた。
なんの不満もない、大好きな、自慢の家族だ。どこかぼかした理由しか伝えず、しかも突然仕事をやめた娘を何も言わずに受けいれてくれるのだから、親の当たり外れで言えば大当たりだろう。
ジクジクと痛む胸に苛まれながら、それに救いを感じながら、実家に戻る。暖かく迎えてくれる両親。私の行動を、失恋の結果だとでも誤解したのだろうか、お前は美人なんだから次があるなんて、見当違いの慰めをするお父さん。
違うのだと、そんなまともな理由ではなく、最低なことをして、会社に居られなくなったから帰ってきたのだと、伝える。私が先輩達の幸せをぐちゃぐちゃにしてしまったから、逃げてきたのだと伝える。
細かいことは、言えなかった。全部話してしまうと、先輩にも迷惑がかかってしまうから。そんなことを言い訳にして、本当は自分の汚いところを家族に見せたくないだけだった。
そんな説明で両親が考えたのは、職場で恋愛した先輩とそのお相手に対して、私が嫌がらせをしたというシチュエーション。
「瑠璃ちゃんはたしかに悪いことをしたんだと思う。でも、高大就職ってずっと追いかけてきた好きな人を取られちゃったんだから、冷静でいられないのも仕方がないよ」
そんな慰めを言うお母さんに、心が沈む。私にあったのは、そんな綺麗な思いじゃなかった。そんなに純粋なものではなかった。
例えば、私が相手の子のことを、監禁して虐待して片腕までダメにしたと言っても同じことを言えるのかと、真実を話す。見せたくない汚いところを、仮定として見せてしまう。
こうすれば、嫌ってくれると思った。失望して、罵って、私のことを責めてくれると思った。
「瑠璃ちゃん、瑠璃ちゃんがそんな酷いことをするような子じゃないってことは、あなたを育ててきた私たちがいちばんよくわかってる」
いい、両親だった。けれど、その目は節穴だった。
その言葉を聞いて、なにかが私の中で折れた気がした。あとから考えれば、そんな大事になったらこんなふうにしているはずがないという常識的な判断もあっての事だと理解できた。けれど、
「お父さん、お母さん、ありがとう。変なこと言っちゃってごめんね」
そう言って、表面上は励まされて心が軽くなったように振る舞う。そうでないと、心配をかけてしまうから。
誰かに責められたかった。叱られたかった。否定されたかった。そうじゃないと、いつまでたっても罪の意識が苦しいから。
誰かに、私の罪を攻撃してほしかった。罰が欲しかった。けれども、誰も責めてくれなかった。私の罪を知らずに優しくしてくれる人や、私の罪を信じずに優しくしてくれる人。みんなみんないい人で、その優しさが私には毒だった。
嫌われたくて、でももう誰も傷つけたくなくて、何もしなかった。家の中に引きこもって、死んだように過ごす。酸素と食料を消費するのだから、むしろ死んでいるよりも酷いかもしれない。そのまま半年、ほとんど部屋からも出ずに過ごして、ふと、二人がどれだけ幸せを取り戻せたのかが気になった。
きっと、お互いを想い合いながら、暮らしているだろう。もしかしたらすみれちゃんの腕も良くなって、以前までとほとんど変わらない生活を送っているかもしれない。
もしそうなら、私は許してもらえるのだろうか。許してはもらえないだろう。きっと、酷く罵られて、もう二度と面を見せるななんて言われるのだろう。
私の罪を、認識してくれて、罰を与えてくれるのだろう。
罰がほしかった。だから、気が付くと私は先輩に連絡をとっていた。以前逃げた時に、ブロックしてそのままになっていたメッセージアプリ。私のやった事は、すみれちゃん経由で知っているはずなので、ブロックされているかもと思っていたが、幸いと言っていいのか、数分で既読は着き、その二時間後には返信が来て、呼び出される。2日後土曜日の昼過ぎに、数年に一回は自殺者が出るという岬。
どこかで
喜んでくれている両親に少し申し訳ないと思いつつ、準備をする。半年もまともに手を入れていなかった外見を、最低限不快にならない程度に整えて、部屋の掃除を済ませておく。
遺書には何枚か追加して、以前の例え話が本当のことだったことや、もう良心の呵責に耐えられないことなどを書き加えておく。私に良心とは愉快な話だが、こんなにも罪悪感を引きずっているのだから、そろそろ私も自分の良心を認めてあげるべきなのかもしれない。
そして、すみれちゃんとの生活を聞くために先輩に会いに行って、とても幸せそうには見えない、曇りきった顔を見て、不思議な気持ちになった。
罪悪感がある。申し訳なさがある。罰を与えてくれるかもしれないという、期待がある。久しぶりに会えた嬉しさが、愛しさがある。そして、欠片ほども幸せそうでないことに対する絶望と、同じくらいの高揚がある。
岬の小さいベンチに座って、波の音を聞く。不思議な気持ちのまま、先輩の話を聞く。私がすみれちゃんを解放してから何があったのか、先輩の知っていることを教えてもらう。
すみれちゃんが死んでしまったなんて、私にとってあまりにも想定外な事だった。すみれちゃんが先輩から離れようと言うのも、私にとっては予想外すぎるものだった。そんなことになっているはずがなかった。
なら、私の罪は。私の罪は一体どれだけのものなのだろう。先輩の、燐さんの幸せを何度も何度も奪って、一番の親友をかわいいかわいい妹分を死に至らしめてしまった私は、どうすれば償えるのだろうか。
償えるはずがなかった。自分の罪すら把握していなかったような私が、罰を求めるなんて考えが甘すぎたのだ。
「それで、お前は何をやったんだ?何がしたかったんだ?」
ドロリとした視線を向けられながら、私は全部を話す。幼い頃から、燐さんの虐待に気付いてずっと燐さんが好きだったこと。ずっとずっと私のものにしたくて、茉莉ちゃんをいじめさせたこと。
茉莉ちゃんのことを話した辺りで、燐さんの拳に力がこもっているのがわかった。このまま進めば、殴ってもらえるかもしれない。
茉莉ちゃんが死んでしまって、改心して反省したこと。それ以降燐さんの幸せのためにずっと動いていたこと。燐さんに言いよろうとしていたあいつもあいつもあいつも、心を折って近寄れなくしてやったこと。
そして、すみれちゃんになら任せられると思って、かわいい妹みたいに思いながら幸せに感じていたこと。反省していたはずなのに、ずっとずっと心のどこかにドロドロした欲求があって、気がついたらダメになっていたこと。
すみれちゃんにしたことも、簡潔だけど正確に説明した。握ったてから血が出ても緩める様子のない燐さんのその姿に、顔に、たまらなく興奮した。
やっぱり、私は癖からは逃げられないのだ。
殴ってもらえるかもしれない。もしかしたら、勢い余って終わらせてすらくれるかもしれない。罰を求めながら、より燐さんの表情をゆがめるために、話続ける。
「……もう、いい」
硬いものと、やわらかさの中に硬さがあるものがぶつかった音がした。肉を殴る音がした。私が求めていたそれ。私の求めていた罰。その特徴である、鈍く響く音。
その音が聞こえたのに、私に痛みはなかった。少し遅れて痛むなんてことも無く、全く何もなかった。
それが鳴ったのは、燐さんの足の方。血が出ても力を入れ続けていた拳を、燐さんの腿に叩きつけた音だった。
「話を聞いていて、人を殺したいと思ったのは初めてだ。でももういい。お前の顔を見てわかった。僕はもう、お前の近くにいることが耐えられない」
二度と関わらないでくれと吐き捨て、燐さんは去っていった。その背中を見送って、自分の顔に触れると、鏡を見るまでもなく歪み切っていることがわかる。
「……ははっ」
鏡を見たら、乾いた声が出た。それはそうだ。あんな話を、こんな顔をしながら話せるような鬼畜外道。そんな人間なんて、私なら親の仇でも近寄りたくない。
また。まただ。また失敗した。私は、あれだけのことをしたのに、殺したいとすら言われたのに、罰すら与えてもらえなかったのだ。あれだけ憎しみを煽って、殺してしまってもバレないかもしれない状態にいてさえ、失敗したのだ。
私は、罰を与えられたかった。なのに、一番罰を与えてくれるはずの先輩は、私に何もしてくれなかった。罵倒の一つも、吐いてはくれなかったのだ。