無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
伸ばした右手は、すぐに掴まれた。僕が手を差し出した、その直後。手を伸ばした僕自身が少し戸惑うくらいの、全く間を置かずに掴まれた手の先にいたのは、本人も戸惑っている様子で、けれども僕の手をしっかりと握っているすみれの姿。
「わたし、お兄さんと一緒にいたいです。お兄さんと一緒に、幸せに暮らしたいです」
その願いは、僕にとって抱えて欲しいもの。一緒にいて欲しい僕にとって、これまでの日常に執着してくれることは、歓迎するべきことだ。
「僕も、すみれと一緒にいたいんだ。君と一緒にいるだけで、救われるんだ。君がいないだけで、寂しくて、苦しいんだ」
だから、すぐにすみれに対して口説き文句のような、きっと心底冷静になってしまったら、悶えるような言葉を紡いでしまう。
これでハシゴを外されたら、きっと数年後になっても悶えてしまうような、僕の心を、欲望をそのまま伝える言葉。傍から見たらクサイどころの話じゃないないだろうけれども、僕の中にある、一番素直な気持ち。
これを録音されて、悪意的に晒されでもしたら、きっと僕はもう立ち直ることが出来ないだろう。それでも、伝えたかった。それだけ、僕にとってすみれは大切な存在だった。
「わたしも、お兄さんがいないとダメなんです。自分一人で頑張ろうと持っても、お兄さんが待っていてくれいてくれるってことが何より先にあるんです」
お兄さんがいてくれないと、わたしはなにもできないんですと語るすみれ。それは、世間一般で考えれば良くないことだ。誰かの存在を、自分の根本に置くことは、ただの依存に過ぎない。
なのに、僕はそれを嬉しく思ってしまった。僕がいないとダメなすみれが、その事実が、すみれが僕の元から離れない証明のように思ってしまった。
正しくないことは、わかっている。それなのに、僕にとっては、すみれが近くにいてくれることだけが大切であった。正しくはなくても、僕が一番救われる道だった。
「それでもいい。だから、一緒に帰ろう。僕には、すみれがいない生活なんて、もう無理なんだ」
最低の告白だろう。自分の存在意義すらわかっていない子供に対して、自分のためだけに生きてくれと伝える言葉。凡そまともな人であれば、絶対に告げることのないような、どこまでも自己満足な言葉。
それでも、どれだけ最低なものであっても、僕はすみれと一緒にいたかった。それがたとえ、すみれの未来を狭めるものであったとしても、一緒にいて欲しかった。
だから、これは僕のわがままだ。断られることが前提の、軽蔑されることが前提のわがまま。好きな人には、自分のすぐ横で笑っていて欲しいと願う在り来りなわがまま。
「わたし、ダメな子です。ひとりじゃ何もできないし、これまで以上にお兄さんに迷惑をかけることになります」
それでいい。すみれからかけられる迷惑なんて、僕にとっては積極的に背負いたいものだ。
「これまでできていたことも、きっとできないです。頑張っても、沢山迷惑をかけてしまいますし、お兄さんの期待に答えられないです」
気にしない。そもそも期待なんてしていなくて、それでも一緒にいたいと思ったのだ。今更多少できないところが、行き届かないところが増えたところで、大した問題は無い。
「それでもいいなら、何もできないわたしのことを、それでも必要としてくれるなら、やっぱりわたしはお兄さんと一緒にいたいです」
家事をしてくれるから、ご飯を作ってくれるからすみれと一緒にいたいと思ったのではない。仕事で疲れて帰った時に、おかえりなさいと言ってくれた。何も無い日を、一緒に過ごして幸せな日にしてくれた。そんなすみれだから、一緒にいたいと思ったのだ。
悪い言い方をすれば、ペットに求めるような癒しを求めていたのだ。いい言い方をすれば、僕が生きるための、活力になってくれたのだ。
だから、僕の答えは当然ひとつだ。すみれのことを求めた時点で、すみれが僕を思ってくれる限り、その温かさを持ってくれる限り、僕はすみれを求め続ける。
「何もしてくれなくてもいい。ただ一緒に過ごして、一緒に笑って、僕の過ごす人生の横にいてくれるだけで、僕は幸せなんだ」
きっと、こんなふうに考えるのは、僕の隣にいてくれる人がこれまで、いなくなってしまった茉莉と、裏切ってしまった溝櫛しかいなかっただろう。僕はほかの人よりも人一倍、隣にいてくれる存在に執着していた。そうでなければ、もう少しまともな言葉を言えていただろう。
それでも、僕にとっていちばん伝えたかった言葉はこれであり、きっと僕の中にある寂しさを解消するために一番適している言葉がこれだった。
そんな言葉に、答えてくれたすみれの小さな右手。
もう片方の手をプラプラと揺らしながら歩くその手を握って、家に帰る。
僕の家だ。僕たちの家だ。ずっと抱えていた心配が、望み通りのものとは離れていたにせよ、僕がいて、その横にすみれがいてくれる生活。“あたりまえ”の形が変わってしまったとしても、ずっと戻りたかった大切な家だ。
久しぶりに帰った家は、掃除がされておらず、少し埃っぽい。最初の頃はすみれが掃除をしてくれていたようだが、それも途中から途絶えてしまったのだろう。ところどころ、中途半端な掃除の痕跡が見られる。
すぐに掃除をするから待っていてほしいと動き出そうとするすみれを止めて、逆にすみれに休んでいてもらう。狭い家であることが幸いして、最低限の掃除は10分そこらで済んだ。十分な掃除とは言えないが、今日一日休む分には問題ないだろう。
僕が掃除をしている間にすみれが沸かしておいてくれたお湯を使って晩御飯を作る。お腹がすいていることと、冷蔵庫の中にまともな食品が入っていないことから選ばれたのは常備していた賞味期限の怪しいカップラーメン。
一食には少し足りないくらいの量を食べながら、左手が使えないせいであまり行儀がいいとは言えない食べ方をしているすみれを見る。
左手が使えないのだから、カップを持つことは出来ない。カップを持てないのだから、容器の近くに顔を近付けなければならない。高さがある程度決まっている机と椅子で、顔を近づけるためには覆い被さるようにならざるをえない。
結果として、すみれは自然と行儀の悪い食べ方をすることになっていた。周りに汁を飛ばすことを恐れなければもう少しまともな食べ方が出来たのかもしれないが、すみれが選んだのはそんな食べ方だった。
俗に言う、犬食いに近い食べ方。
品がないとは思う。何も知らずにこの食べ方をしている人を見て、好印象を抱くかと言われれば否だ。
それでも、それは仕方がない理由で、背景を理解しているのであればむしろ好印象にもなるだろう。まともな教育も経験もないのに、僕のために苦しんでくれるのだ。否定することの方が、難しい。
多少机が汚れたところで、何も問題は無いのだ。少しぬぐえばなかったことになる僅かな汚れを避けるそのあり方、その想いが何よりも僕には嬉しいものだった。
ようは、僕にとってその行動は、僕の前で多少気を使っている、考え方次第では、僕にいい所を見せようとしてくれているということなのだ。そうであるのであれば、そう思って貰えるだけの好意を抱いてくれていることが、僕には嬉しいとしか言えない。
すみれの布団がなくなってしまったから、僕の布団をひとまず使ってもらう。その間、僕が寝る場所はいつもの人をダメにするソファーでいい。出張の先の布団事情から考えれば、クッションに毛布を被るだけの環境でも、だいぶ改善されているのだ。
断面的に話を聞いただけでも、溝櫛の家に監禁されていた時よりもずっとまともな生活を送れているはずなのだ。
布団があって、最低限の食事が保証されていて、苦しいものが何も無い環境。すみれのこれまでを、溝櫛の元にいた頃を考えれば、比べ物にならないほど幸せな環境だろう。少なくとも僕は、僕らの家がすみれにとって安心できて落ち着ける場所であって欲しいと思っている。
それなのに、僕の目から見てすみれの表情は、どこか浮かないものであった。僕が気を遣える中で最大を尽くしたのに、すみれは暗い表情のままだった。