無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
すみれを抱きしめて、眠ってしまった後も撫で続けていた日から、すみれは本人の目論見通り、僕が近づいても大丈夫になった。そのせいか、これまでの時間を埋めるためか、以前にもまして近い距離で過ごすようになったが、すみれが楽しそうにしているのでそれはいいだろう。
毎週の週末に役所に行ったり、NPO法人の下を訪れたり、すみれが戸籍を取るための手続きをして、平日はこれまで通り仕事をする。溝櫛がいなくなったことや、その溝櫛が作っていると思われていたらしいお弁当を、まだ持ってきていることに対していろいろ聞かれたが、あまり話せることではなかったこともあり、曖昧な返しをするしかなかった。
唯一、入社した直後から色々気にかけてくれて、世話を焼いてくれた上司にだけはあらましを伝えたが、溝櫛もまた信頼されていたため、受け入れ難いといった様子だった。それに関しては、まあ仕方が無いだろう。僕だってこんな状況にならなければ周りから言われても信じられなかっただろうし、なんなら今ですら何かの間違いであって欲しいと思ってしまう。
溝櫛は、それだけ巧妙に周囲に対してその本性を隠し通してきた。
全面的に信じることはできないけどひとまずは信じるということと、警察の厄介にならないうちにすみれのことをどうするか考えるようにとだけ言葉を貰って、事情聴取のような面談は終わった。
それが、ここ1ヶ月くらいの話。
僕に関しては、自分の周りの問題は解決したといえるだろう。だからこそ、よりしっかりとすみれのために動くことができる。これまで後回しにしていたことに、時間をかけることができる。
戸籍は、おおよその人が生まれながらにして持っているものだが、それは出生届を提出した場合だ。それをしなければその人は無戸籍状態になり、様々な行政支援を受けれなくなる。ほかにも記憶喪失で身元がわからなくなってしまった人なんかも無戸籍状態になりうるが、様々な手続きと審査を通過することで取得自体は可能だ。
とはいえ、そんなにほいほいと戸籍を手に入れられたら、後ろ暗い人は戸籍ロンダリングするかもしれないし、不法滞在者が戸籍を得てしまうこともあるだろう。当然のように戸籍の取得には手間がかかるし、時間もかかる。すみれが戸籍を取ろうとしても、いつになるかもわからなければ、いくら時間をかけたところで取れない可能性もあるわけだ。
と、ここまでは身元不明の無戸籍者Aさんの場合。身元を保証してくれる存在がいて、その人は間違いなくこの国の戸籍を持つ資格があると判断された場合は、また話が別だ。細かいところは抜きにして、ざっくりいうと親子関係を保証するものがいくつかあれば、比較的簡単かつ高確率で戸籍が取れるのである。
そして、ここで問題になるものが親子関係の保証だ。身一つで出てきたすみれが、そんなものを持っているはずもなく、学校に行ったことがないと言っていたことから住民票なんかがあるとも思えない。出生証明書や母子手帳なんかはあるかもしれないが、あったとしてもすみれのお母さんしか知らないだろう。
そんなものは、僕にはどうすることもできなかった。すみれのお母さんの情報なんて、苗字くらいしか知らないし、その苗字が特徴的だからって、だれかれ構わず聞いて回ったりしようものならすぐに不審者だ。
「……お兄さん、ひょっとして、今わたしの戸籍のこと考えてますか?」
完全にお手上げだなと思いながらどうにかできないか考えていると、なぜか僕の隣に座っていたすみれが遠慮がちに声をかけてきた。それはそうだろうと、むしろ今他に考えることなんてあるのかと返す。
「えっと、たぶん今気にしているのって、お母さんの居場所がわからないことですよね。それなら、たぶん何とかなります。前にお母さんにあったときに、連絡先を教えてもらったんです」
それが本当なら、今の問題は解決できるだろう。すみれのお母さんの協力があるのであればすみれの身元は保証できるはずだ。もしすみれが戸籍を取ることに賛成してくれなければまた逆戻りだが、今は一筋の光明が差しただけで十分だ。
すみれ自身が話すのと、僕が電話をかけてみるのだとどちらがいいかすみれに聞いて、自分でやりたいというので携帯を渡す。話す内容をあらかじめまとめておくようにとアドバイスをして、もしも話が進まなくなった時のために備えて僕も横で話を聞く。
結論としては、何とか無事にすみれのお母さん、莢蒾さんは無事に協力してくれることになり、その中で僕も面識を得ることになった。少し疲れているように見えるが、優しそうな人だ。とてもすみれにしたことができそうな人には見えなかった。
本人曰く、あの頃はおかしくなっていただけなのだと。すみれを普通に育ててあげられなかったことも、申し訳なく思っていると。実際にやったことから考えるととても信頼できたものではないのに、信じたいと思ってしまったのは、すみれを見つめるその目がどこまでも優しかったからか、僕の目が節穴なだけか。僕からすみれを奪おうと、自分の下に取り戻そうとしなかったからだとは、思いたくない。
何はともあれ、協力してもらえることにはなった。莢蒾さんはこれはもともと自分がやらなくてはならなかったことだから当たり前だと言ったが、それでも僕ではどうにもできなかったことを解決してくれたのだ。感謝するしかない。
だれにも知られずに一人で産んだから、証明書関係は何も持っていないとのことで、その場は一旦解散になった。その後また専門家に相談したところ、DNA鑑定でもどうにかできるかもしれないとのことなので、再び莢蒾さんに連絡を取る。
快く協力してもらって、DNA鑑定を済ませて、手続きを済ませる。僕の想像していたすみれのお母さんのイメージと、実際に目の前にいる莢蒾さんの姿がうまく重ならない。そのせいか、すごく居心地が悪いのだ。
優しい目を向けているのに、一対一で話しているときはずっと罪悪感に潰されそうにしている様子が。すみれと話したそうにしているのに、移動するときはいつも一人だけ一歩後ろにいる。自分を押し殺して、他のことを優先しようとしている。何かを我慢しているときのすみれとそっくりなその姿が、すみれをネグレクトしたという過去の話とまったく一致しない。
すみれの過去が嘘なわけではないのに、目の前のものが間違いというわけでもないのに、どうしても重ならない。そんな違和感をずっと抱えたまま、全部の手続きは終わった。
それからまたいくらか時間が経って、すみれに戸籍ができた。
その事実が、なんだかチクチクと胸に刺さる。
僕が守って、ようやく手に入れて、そして危うく見失うところだった幸せは、こうして終わるのだと。僕のすみれは、僕だけのすみれは、失われてしまったのだと。
嬉しそうに母親と話すすみれと、微笑みながら受ける莢蒾さんを見る。
その姿を見て、少しだけ面白くないと思ってしまった。最初にその笑顔を向けられるのは僕でありたかった。
「灰岡さん、これまですみれのことをありがとうございました。私にはこんなことをいう資格なんてないってわかっていますけど、これからもよろしくお願いします」
私には、この子のそばにいる資格なんてないからと、悲しそうに言う莢蒾さん。すみれの戸籍を取ることを決めて、一番最初に話したこれからの話で、決めていたことではあったが、やっぱりうれしいものではないのだろう。
任せてくださいと、きっと幸せにして見せますと返し、すみれと一緒に家に帰る。これからは、すみれの居候先という名目になる家に、知人から預かっていることになるすみれを連れて帰る。
「……お母さん、また、会いに来てもいいですか?」
不意に足を止めたすみれが、振り返って少し不安そうに尋ねる。それを聞いた莢蒾さんが、目の端から涙を流しながらもちろんというのを見て、僕は言葉にしがたい感覚に襲われた。
実態は、何も変わらない。すみれはこれまで通り僕と暮らすし、莢蒾さんも基本的にほとんど干渉してくることはないだろう。ただただすみれが戸籍を得たことで、これからいろいろ便利になることが増えるだけだ。
なのに、すみれの居場所が僕の下以外にできることがいやだった。一緒にいない事の方が自然な形なのだと明言されてしまったことがいやだった。もう僕にはすみれしか残っていないのに、すみれ以外のものは全部失ってしまったのに、すみれがいなくなってしまう可能性ができたことが、いやだった。
ああ、僕は、こんなにも独占欲が強かったのだ。
44話時点でお母さんと遭遇イベントをこなし、該当時のすみれちゃんの親愛度を規定値にしておくことで、キーアイテム“お母さんの連絡先”を入手することができます。またこの際に、すみれちゃんの状態を依存にしておくことによって、すみれちゃんが買ってもらったココアを飲まずに話し続け、半錯乱状態で帰ったことで公園に“土で汚れたココアの缶”が残されます。もしかするとまだ待っているかもしれないと思い、急いで休養から帰ってきたお母さんがこれを見つけることで、罪悪感が大幅にプラスされ、ついでに諦念が着きます。この状態でないと、高確率でnormal end、“踏みにじられた善意04”に移行してしまいます。
だからすみれちゃんを依存させながら外出できるようにする必要があったんですね。(╹◡╹)