無戸籍ネグレクト少女を拾ってしまったから(幸せを)わからせたい 作:エテンジオール
電話の日から一週間経って、お母さんと会う日になりました。予約してあるという店に向かうと、目の肥えていないわたしでも高そうだなと思う立派なお店がありました。
萎縮してしまったわたしを連れて、お兄さんが受け付けに行ってくれます。少し緊張しているように見えるのは、お兄さんも馴染みがないくらいのお店だからでしょうか。
予約していた莢蒾と伝えると、店員さんが案内してくれ、ひとつの扉の前で止まります。この先にお母さんが待っているらしいです。
開けたいのに開けたくない、開けるのが怖いと思っているわたしに気を使ってか、動けないわたしを見かねてか、本来開けなくては行けなかったわたしのかわりに、お兄さんが扉を開けてくれました。
お兄さんに連れられて中に入ると、お母さんが座っていました。以前あった時よりも疲れていそうで、目の下に化粧では隠しきれないクマが目立っていましたが、こちらを見ると微笑んで座るように言います。
久しぶりに会ったお母さんは、随分とやつれて見えました。そのことに驚いていると、お兄さんに座るように促されたので、お母さんの対面になる位置に座ります。
「すみれ、今日は来てくれてありがとう」
わたしが用事があって来てもらったのですから、むしろお礼を言わなくてはいけないのはこちらな気もしますが、何と言って返したらいいのかがわからないので、とりあえず首肯で返します。
「そして初めまして、すみれの母の、莢蒾
挨拶の一つもせずに申し訳ありませんでした。そして、すみれを守っていただきありがとうございます」
お母さんはお兄さんの方に体を向けて、深々と頭を下げます。そういえば、お母さんの名前は文目というんですね。今日になって初めて知りました。
「いえ、僕はただ自分のやりたいようにしただけなので。それに、この子のことは家族だと思っていますから。お礼を言われるようなことは何も」
お兄さん、少しピリピリしている気がしますね。わたしがされたことを代わりに怒ってくれているのか、お母さんがわたしの保護者の様にふるまっているのが気になるのか、もしかしたらわたしをお母さんにとられないのか心配してくれているのでしょうか。……それはなさそうですが、もしそうならとてもうれしいです。
「そう……ですか。そうですね、今更私が母親面したところで、すみれにしてしまったことに変わりはありませんものね。安心してください、私はもう、自分からすみれにかかわりに行ったりしませんし、なにかを主張することもありません」
わたしは、決してお母さんと関わりたくないわけではありません。連絡を取らなかったのだって、本当に電話をしてもいいのかわからなかったからです。
「あなた達が必要としている役目を、すみれの母親として、一番最初にやらなくてはならなかったことを済ませたら、それ以上はきっと、何をしても私の自己満足になってしまうでしょうから」
でも、お母さんの言葉の重さに、わたしは何も言えませんでした。口を挟むことができませんでした。
「それで、私は何をしたらいいでしょうか」
「先日すみれが話したと思いますが、今僕らはすみれの戸籍を取得しようとしています。莢蒾さんには、すみれの身元、生まれを保証するために、親子関係が証明できるもの、具体的には母子手帳などを貸してもらい、親として登録してもらいたいんです」
何も言えなくなっているわたしの代わりに、お兄さんが要件を伝えてくれます。
「……そうですか。それなら、あまりお力になれることはないかもしれません。すみれのことは、病院にかかることもなく私一人だけで産みましたから。証明になる書類はないんです。私が生んだということだけは間違いがないのですが……。ほかに何か、できることはありませんか?」
わたしとお兄さんが調べたり、教えてもらったりした中では、他の方法はありませんでした。何もないというのがおそらくかなりのレアケースだということもあるのでしょうが、もう一度相談してみるまで、わかりません。
気まずい沈黙が流れます。わたしたちにとっては、目の前のクモの糸が急に遠くに行ってしまった状態で、お母さんにしてみれば何でもするつもり出来たにもかかわらず、何もできることがなかったから帰ることくらいしか残っていない状況です。
わたしたちがお店に入ってからまだ五分かそこらしか経っていないので、この空気はあまりにも気まず過ぎます。
「えっと、なにかできることがあったら、何でもするから教えてくださいね。あと、もちろんですけどここの支払いは私がすませましたから、気にしないでください。値段がするだけあって、美味しいですから」
私がいても空気が悪くなるだけでしょうし、お先に失礼しますねと言って、お母さんが帰ろうとします。それを、そのまま行かせてしまったら、もうお母さんと話せる機会がないかもしれません。それは、いやです。
「あの、お母さ……」
コンコン、と、扉が叩かれ、店員さんが入ってきます。持ってこられた料理が、テーブルの上に配膳されます。料理の説明を、全く頭に入らない状態で聞いて、お兄さんが対応していると、店員さんは去っていきました。
先ほどまでは帰ろうとしていたお母さんも、さすがに料理が並んでしまったら帰りにくいのでしょう。それでも先程の発言のせいで、この場に残って一緒に食べるのもいたたまれない、そんな空気を感じます。
「お母さん、わたし、お母さんともっとお話したいです。お母さんのことも、教えてほしいです」
空気を変えたいのが一割と、ここを逃したら機会がなさそうだからという気持ちが九割で、お母さんを引き留めます。以前は聞きたくても聞けなかったこと、聞こうとして、聞けなかったことを、今なら聞けます。
「……それなら、食べ終わってからゆっくり話しましょうか。せっかくのおいしいごはんが、冷めちゃったらかなしいでしょ?」
その言葉も最もですから、ひとまず先にご飯を食べることにします。片手だけだと食べずらい物は、隣にいるお兄さんに手伝ってもらいながら食べました。
以前ステーキを食べた後に、色々なお店の作法を調べて恥をかかないように勉強したのですが、片手しか使えないのでは作法も何もあったものではありませんね。わたしの覚えた知識は、使われることなく忘れることになるのでしょう。
わたしが作り方を知らない、名前も知らない料理に舌鼓を打ちながら味わいます。お兄さんも美味しそうに食べていますね。普段であればわたし以外が作った料理を食べていることに悲しくなりますが、今回ははわたしのための用事ですし、一人だけ食べないでと言うこともさすがにできません。ちょっとだけジェラシーするくらいで済ませておきます。
多少まごつくことはありつつも、無事にお皿の上は空っぽになりました。食べきれなかった分はお兄さんが代わりに食べてくれたので、完食と言っていいでしょう。