ぼっち・と・ぼっち! 作:承認欲求モンスター
先に謝っておきます。ごめんなさい。
学校の階段の下はデッドスペースになっている。使い道もなく、せいぜい使われていない机が置いてある程度。
いつも人気がなく静かなそこに、二人の人間がいた。
お互いの吐く息がうっすらと頬にかかる。そのせいか、俺の正面にある柔らかそうな顔は、薄っすら赤みがかっていた。
ちょうど、クラスメイトの後藤ひとりが俺の体にのしかかってきているような状態だ。身動きがとれない。今まで味わったことのない緊張に胸が支配されていた。先ほど正面からぶつかって仰向けに倒れたまま、後藤ひとりに声をかける。
「ちょ、早くどいてくれ。狭い。重い」
「ひ、ひどい……です。女の子に重いって言ったら嫌われるって聞きました」
「お前友達いないくせに誰に聞くんだよ」
「うう……ひ、比企谷……さんに言われたくないんですけど……!」
なんでコイツは俺に対しては強気なんだ。普段の教室での様子から察するに絶対こんなキャラじゃないだろ。ボッチだから舐められてる?
「う、うわああ、友達いなそうな人に友達いないだろって言われた……終わりだ。私はボッチ以下のボッチ、超ボッチなんだ……!」
超ボッチ……なんだろう、惹かれる名前だ。ボッチに人並み以上の矜持を持っている俺にとって、中二心を刺激する良いワードだ。
「うう……超ボッチ……ボッチを下回るボッチ……ふ、ふふ……」
「お、おい。帰ってこい。早くこの状況をどうにかしてくれ……」
後藤は勝手に自分の世界に入ってしまって、俺の上から退くどころではないようだ。
いつも伏せられている目がすぐ近くで俺を見つめている。意外なほど澄んだ瞳。しかし、わずかに恥じらうように逸らされる。
……というか近い。いつもの陰気な姿からは想像できなかったが、肌は白くてきめ細やか。髪はサラサラで、薄っすらといい匂いがする。
鼓動が早い。手汗が滲む。
これ相手にドギマギするなど、屈辱の極みだ。
気恥ずかしさを隠すためにも、少し乱暴に言う。
「いいから離れてくれ。勘違いされるだろ」
「かっ、勘違いされる相手いないじゃないですか……! 大丈夫です。私も見られて困る人なんて……うぅ」
後藤の目がグルグルと渦を描き始める。
ああ、なんだコイツ、めんどくさい!
「女のお前ならともかく、男の俺は勘違いされるとマズいんだよ!」
「お、女? 男……? いったい何の話をしているんですか?」
きょとん、という顔。
おい、マジかコイツ。ボッチすぎて自分が華の女子高生だってことまで忘れてるんじゃないか?
「俺が性犯罪者のレッテル貼られるって話だよ! ほら、どいてくれ」
軽く後藤の方を押すと、彼女の体は存外簡単に後ろに倒れた。
「きゃっ……おうっ……」
おい、急に女の子みたいな声出すな。意識しないようにしてたのに意識しちゃうだろうが。
俺に押しのけられた後藤は、可愛らしい悲鳴をあげたかと思うと、尻もちをつく時におっさんみたいな声を出した。
「ふう……危なかったな」
「あっ、ぁい……」
先程まで好き勝手に口をきいていた後藤は、聞こえるか聞こえないか微妙な声で返事をした。
自分の世界から帰ってきて、もう完全に人見知りモードに入ったようだ。
「ああー……そんなに緊張すんな、ほら。この腐った目を見ろ。同類だ同類」
「どっ、同類……あの底なし沼の泥濘みたいな目の人と私が……?」
彼女は独り言のようにそう言った。失礼な奴だ。せめて死んだ魚の目くらいにしてくれ。
後藤は俺の足のあたりを見つめながらぼそぼそと話していた。そのおかげで、俺は真っ直ぐに後藤の顔を見ることができた。
真っ直ぐなピンク色の髪が、目元を隠すように伸ばされている。横にぴょこんと飛び出たアホ毛のようなものが、髪飾りに挟まれている。
相変わらずオドオドしていて、目は伏せたままだ。
ようやく落ち着いたので、俺はこの目の前にいる同類と遭遇することになった経緯を思い出していた。
◇
ぼっちの特技とはすなわち人間観察だ。常に人の輪の外にいる冷静なボッチは、一歩引いたところから人を観察できる。
まあ、一歩引くまでもなく引かれてるんですけどね。フヒッ。
授業中に退屈を感じた俺は、自分の席にうつ伏せになり、眠っているかに見せかけてクラスメイトを観察する。
高校入学から1ヶ月。早くもボッチが確定した俺は、そうして日々の楽しみを見いだしていた。
例えば、俺の前の席でひそひそ会話をしているあの生徒二人。一人は楽しそうに話しているが、もう一人は少し退屈そうだ。友情を謳いつつも、実際は片方に負担を強いるいびつな関係。
まったく、あんなものに囚われるくらいならボッチの方がマシだ。
そしてあの斜め後ろの生徒。ピンク髪に、野暮ったいジャージ姿。目元は長い前髪に隠れてよく見えない。彫刻のように動かず机の表面をじっと見つめている。
何をしているのだろう、と普通の奴なら思うかもしれないが、俺には分かる。あれは、自分の世界に入っているボッチの姿。
言うなれば深い瞑想に浸っている修行僧のようなものだ。我々俗人は、その崇高な試みをただ邪魔しないように崇めることしかできないのだ。南無。
後藤ひとり。まるでボッチとして生きることを運命づけられたような名前の彼女は、熟練のボッチだ。長い前髪を垂らして常に下を向いているので、目が合わない。誰かに話しかけることも、話しかけられることもない。そして事務連絡などで話しかけられると、どもりながら話し出す。その様はいっそ憐れなほどで、クラスメイトからは早くも「話しかけると怖がられるから触れないでおこう……」と放置されている。
下手したら俺より重症だ。俺は小町となら普通に話せるからな。
クラスメイトに怯える具合も、俺の方がマシだ。
プリントを渡された時の返事が、後藤のが「はひっ……ひゃ、あひがとうごじゃいます」なのに対して、俺のは「フヒッ……あざっす」って感じだ。……いや、どっちも大して変わらない気がしてきたな。
「さて……今日も昼食のベストプレイスを探すかな」
どんぐりの背比べをしたりして、授業時間をやり過ごすと、あっという間に昼休憩だ。
ボッチ開放の時、我が世の訪れに喜びながら席を立つと、ふと後藤ひとりの姿が目についた。
「ふふ……ひひひひひ……」
何あれ怖い……。
後藤はうつむいたままで一人忍び笑いをしていた。
「武道館……ソロライブ……拍手喝采……ふふ……」
要領を得ない呟きが聞こえてくる。
あれはボッチ特有の症状だ。ボッチが無口なのは何も考えていないのではなく、口を開く機会がないからだ。脳内は常人以上にうるさい。だから、たまにああやって漏れてくる。
後藤の場合、人にドン引きされるレベルで漏れてきているのが問題だろう。というか普通に気持ち悪いぞ……美少女がやってるから辛うじて許されるだけで、俺がやったら通報ものだ。
クラスメイトは一瞬彼女のことを見たかと思うと、すぐに視線をそらして何事もなかったかのように自分たちのおしゃべりを再開した。これはつらい……何がつらいって本人が忍び笑いをしていてドン引きされている現状に気づいていないことだ。
さて……そういえば今日登校する時に気になった場所があったのだ。
東の階段の一番下。一階部分のそこは、空きスペースになっている。ちょうど階段が陰になって、周囲からは見えなくなっている。あそこなら、ボッチが人の目を気にせずに昼食を取れるかもしれない。
少しだけ浮足立つ気持ちを抑えながら、俺は階段を下りて行った。
――この時の俺は、ある可能性について忘れていた。
ボッチの収斂進化。命名は俺だが、なかなかに的を射たネーミングだと思う。
ボッチたちは似通った行動習慣を取る。
例えば自由席の教室に座る時は、前方横に座る。前方正面の真面目な生徒の邪魔をしないように、かつ後ろの方に陣取るリア充どもに邪魔されないポジションだ。
例えばグループ決め。変に声をかけにはいかない。無駄な努力で恥をかくよりも、泰然と構えて余り物同士で集団ができるのを待つ。
だから、彼女と俺で昼食を取る場所一緒になってしまうのも必然だったのだ。
やはりいい感じの場所だ。ここなら俺のベストプレイスに相応しいかもしれない。人気の無い階段の下で、俺は満足していた。
教室の賑やかな話声が心地よいBGMのように聞こえる。掃除当番が頑張っているのか、床も汚くない。
そんな風に思っていた時のことだ。
静かだった教室に、ぱたぱたという足音がする。人数は一人。
騒がしい奴もいたものだ、と他人事のように思いながら、その場に腰を下ろそうとした瞬間。
「うわああああ! さっき絶対笑われてたああああ!」
奇声を発しながらこちらに小走りに走ってきたピンク髪の生徒が、俺の視界いっぱいに迫って来た。
「うおっ!」
「ごぼっ……」
衝突する。しかしながら柔らかい感触。
――後藤ひとりの胸は意外とでかい。今回の衝突から俺が得た教訓だ。