ぼっち・と・ぼっち!   作:承認欲求モンスター

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お久しぶりです


意外と、彼女は度胸がある

「あいつ、大丈夫かよ……」

 

 俺の視線の先には、路上ライブの準備をする後藤の姿があった。

 かなり緊張しているようだ。ギターを準備する手は小刻みに震えているし、背中はいつも以上に頼りなく曲がっているし、顔はなんかちょっと溶けてきている。

 おい、なんで人間の顔が溶けるんだよ。あいつはスライムか。

 

「あれー? ひとりちゃん緊張してるー? 大丈夫大丈夫! この天才ベーシストの廣井きくりお姉さんがついてるから! ……あ、待ってごめん。吐き気が戻ってきた。タンマタンマ」

 

 女性がしてはいけないようなヒドい顔をした廣井さんが地面に座り込む。明らかに頼れなさそうな姿に後藤がさらに不安そうな表情をした。

 

 周囲を見れば、意外と人が出歩いている。どうやら近くでお祭りでもやっているらしい。浴衣姿の人たちがチラホラ見える。路上ライブをやるにはかなりの好条件と言えよう。もっとも、それが後藤にとって幸運なのかは分からないが。

 彼女があまりにも緊張した様子だったので、思わず近づいて声をかけてしまった。

 

「おい、後藤」

「は、ひゃい! なんですか!? あ、比企谷さん私の代わりに弾きますか? だ、大丈夫です! 演奏なんて適当にやってればなんとかなりますから!」

「ギタリストの誇りを欠片も感じない言葉だな……」

 

 相変わらず凄い演奏と普段の言動が全く一致しない奴だ。

 

「じょ、冗談はともかく、集中しないとですね。大丈夫。私は登録者数3万人の女……ネットでは認められたギタリスト……」

 

 ブツブツ呟く態度は、先ほど心配していた時よりはマシに見えた。

 声をかけに来るなんて慣れない真似しなくても問題なかったかもな。

 俺は後藤の様子に一安心した。

 

「ひとりちゃーん、準備できたー?」

「あっはい。もうできます」

 

 あれだけ怯えていたのに廣井さんに頼まれるとすんなりやる気になるらしい。あるいは、断るのも怖いという臆病心が彼女の勇気の源だろうか。

 

 二人が楽器を持ち、今日限りのステージに立つ。準備は完了だ。

 

 少なくとも後藤には知名度なんてないはずなのに、突然の路上ライブにはそれなりの人が集まっていた。

 廣井さんは相変わらず上機嫌な笑顔だが、一方の後藤はかなり緊張した表情だ。

 人の目も真っ直ぐ見れない彼女にとって、路上ライブなんて相当ハードルが高いはずだ。

 

 演奏を目前に控えた後藤の目が、こちらを見るのを感じた。怯えた、だけど綺麗な目に、俺は小さく頷いた。

 お前ならできるだろ、と目に力を籠める。後藤ひとりなら。オーディションであんなにも心惹く演奏をしてみせた彼女なら、きっとできる。

 俺の視線を受けた彼女は、ちょっと目を開いたかと思うとやがて静かに頷いた。

 ああ、大丈夫そうだな。

 

 廣井さんが後藤に何事か話しかけた後、演奏が始まった。

 最初は物珍しさに集まった人たちも、少し興味を惹かれたようだ。ギターとベースの奏でる知らない曲。

 素人なりに、廣井さんのベースはかなり上手いのだろうと感じた。初めて弾くはずの曲なのに迷いなくベースを奏でている。

 そして後藤は、やはり緊張しているのだろうか? いつも以上に背中が丸まっているように見える。

 

「……が、がんばれー」

 

 観客のうちのひとりから声が上がった。華やかな浴衣に身を包んだ大学生くらいの女性だ。

 思わず声を上げてしまった、といった様子の彼女。

 大勢の人がいる中の、たったひとりの声だ。

 

 しかし、それは聞いた後藤ひとりの様子は明らかに変化した。

 

 彼女が顔を上げ、観客の方を見た。目に見える変化と言えばそれだけだ。

 けれど、音が変わった。

 観客の関心は明らかにギターを奏でる彼女に集まり、後ろでベースを弾く廣井さんが細い目を開いた。

 

 よく見れば、後藤の長い前髪で隠れた片目は薄っすら閉じている。けれど片方の目は、しっかりと己の音を聴く観衆を見据えていた。

 

「ッ!」

 

 演奏が終わり、観客からはまばらな拍手が起きた。

 きっと、ドームを満員にするアーティストに比べれば取るに足らない数の称賛なのだろう。

 けれど後藤ひとりは、ひどく満足げに見えた。

 

 

 

 

「お疲れさん。その、上手く言えないけど良かったぞ」

「あ、ありがとうございます。……その、比企谷さんにそう言ってもらえると凄く嬉しいです」

「……おう」

 

 俺が言葉をかけると、彼女は珍しく目を合わせて、ふわりと笑った。

 普段は伏せられている綺麗な瞳を直視すると、鼓動がひどく乱れるのが分かる。

 

 そんな風に会話をしていると、先ほどの観客のうちふたりがこちらに歩いてきた。

 

「あのー、チケット買っていいですか?」

「えっ!? あっ、ひゃい!」

 

 突然話しかけられた後藤は凄まじい動揺を見せその場から逃げ出しそうですらあったが、やがて嬉しそうに二人にチケットを渡した。

 

 その様子を遠くから眺めているのは、なんだか不思議な気分だ。娘が初めて立ったのを見た父親とかこんな気分なんだろうか。いかんな。今からハンカチ用意しとかないと……。

 

 後藤があたふたしながら会話しているのを聞いていると、廣井さんがニコニコしながら近づいてきた。

 

「ひとりちゃんよかったねー」

「そっすね。廣井さんがいなかったらこんな上手くいかなかったと思います」

 

 俺が手伝ったところで、後藤にこんな貴重な経験を積ませることなんてできなかっただろう。

 

「比企谷君には分からないかもしれないけどね、自分の音楽を聴いてほしい人がいるって結構良いモチベーションになると思うんだよね」

「ああ、あの二人は後藤にとって初めてのファンですもんね」

 

 笑顔で後藤に手を振って去っていく二人の女性は、この短い時間で後藤のことを応援することに決めてくれたようだ。

 

「ああー、まあそういうことにしとくかあ」

 

 俺の言葉を聞いた廣井さんはちょっと苦笑いをした。

 その反応に首を傾げた俺の耳に、遠くからの呼び声が聞こえてきた。

 

「あのー! ここでライブやっちゃダメですよー!」

 

 警察官らしき人が注意しに来たらしい。路上ライブもここでおしまいだろう。

 

「あ、わ、私補導される!? お、お母さんたちにはこの事は内緒に……」

 

 汗をダラダラ流した後藤が手錠をかけられるような仕草をする。

 

「この程度で補導されるわけないだろ。心配しすぎだ」

「あ、そこの男の子はちょっと話を聞いていいかな?」

「え、俺だけですか!?」

 

 ひどい! 俺はただライブを聴いていただけなのに!

 

 

 警察官に彼女たちとは知り合いであることを丁寧に説明して、ようやく納得してもらった。

 絶対見た目で判断されただろ……。まあ、見目の良い若い女性である後藤と廣井さんと一緒に目の腐った奴が話してたら警察としては話を聞かずにはいらなかったのだろう。

 

 廣井さんは、後藤のチケットを一枚買うと電車で帰って行った。

 ……しかし電車代が足りないらしく、仕方ないので俺が金を貸した。今度会ったら絶対に回収する。なんで俺は年上の女性の電車賃をおごらないといけないんだ。

 

「あ、あの比企谷さん」

「なんだ? 後藤はああいう人に金貸すなよ」

 

 返してくれ、が言えなくて搾取される未来しか見えない。

 

「あ、それはもう遅いというか……じゃなくて、え、えっと今日のライブ、どうでしたか?」

「……ああ、良かったよ。ガッチガチに緊張してたからどうなるかと思ったけどな」

「え、えへへ……」

 

 後藤は嬉しそうに笑顔を見せて、反対側を向いて忍び笑いをし始めた。

 ああ、そうしていると普通に可愛い女の子だな。

 

「ふへ……へへへ……フヒッ……ふへ…………ふへへへへへ」

「おい、怖いからそろそろ笑うのやめてくれ……」

 

 というか美少女のする笑い方じゃないだろ。

 後藤は俺の言葉が耳に入っていないようでしばらく気持ち悪い笑い声をあげていたが、しばらくすると落ち着いてこちらに向き直った。

 

「あ、そうだ比企谷さん。……こ、これもらってくれますか?」

 

 後藤が俺に差し出したのは、彼女が売ろうと必死になっていたチケットだった。

 

「……もう5枚売れたんじゃないのか?」

「は、はい。でも、比企谷さんにはノルマとかじゃなく渡したくて。……も、もらってくれますか?」

 

 彼女の瞳が不安げにゆらゆら揺れる。

 俺はガシガシと頭を掻いて、その紙切れを受け取った。

 

「当たり前だろ」

 

 俺がお前たちの初ライブに行かないわけがないだろ。そういう意思を籠めて返答すると、後藤はまた嬉しそうな笑顔を見せた。


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