ぼっち・と・ぼっち! 作:承認欲求モンスター
後藤の初バイトが始まった。
お客がたくさん入ってきたSTARRYで、俺と伊地知先輩、それと後藤は、カウンターに立って飲料の販売を行っていた。
「ぼっちちゃん、コーラ一つ」
「あっ、はい」
カウンターテーブルの下に隠れた後藤が、カップを置く。下から手だけが伸びてきてカップを置く姿は、客から見ればある種のホラーだろう。
「烏龍茶を……」
「あっ、はい」
どん、と烏龍茶がおかれる。後藤はカウンターの下にいるままだ。
「ぼっちちゃん! お客さんに失礼でしょ!」
伊地知先輩が怒る。わりと寛容な彼女だが、接客に関してはそこそこ厳しかった。
「比企谷君も手伝って! ぼっちちゃん結構アレだから!」
「アレ……」
落ち込む後藤を尻目に、俺は飲料をカップにそそぐ。そしてそれを客の前に置いた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
小さく礼を言い去っていく女性客。
「比企谷君……ぼっちちゃんほど悪くはないんだけどなんか愛想ないよねー、もっとテンション上げれる?」
「ライブハウスのダークな雰囲気にはこれくらいが合うんじゃないですか?」
「バイト初日で雰囲気を語るか……」
呆れたように言う伊地知先輩だったが、俺的には頑張ったつもりだ。だから今日はこれで勘弁してください。
しばらく接客をしていると、やがてバンドの演奏が始まった。STARRYの客入りは上々だ。ステージの周囲には盛り上がる人たちが集い、異様な熱気を発している。
照明に照らされるバンドマンを、伊地知先輩は眩しそうに眺めていた。
やがて彼女は、静かな口調で自らのSTARRYにかける想いを語った。自らの姉が自分のために作ってくれたこと。そして自身もこの場所が大好きなこと。訪れた人みんなに、この場所を好きになってほしいこと。
「──だからさ、ぼっちちゃんと比企谷君にも、STARRYがいい箱だったなって思って欲しいんだよ」
バンドマンに当たる照明が、カウンターに立つ伊地知先輩をわずかに照らす。
その言葉には、簡潔ながら深い、深い感情が籠められているようだった。自分の宝物を自慢気に話すような、我が子を慈しむ母親のような、幼いようで、けれど大人びた顔だ。
「……STARRYは、伊地知先輩にとって大切な場所なんですね」
「うん!」
ああ、そんなにも大切なものがあるなんて、少しうらやましい。
らしくもない感傷を胸にしまい、俺は後藤の顔を少し見た。彼女もまた、伊地知先輩の言葉を噛み締めているようだった。
その後に見せた彼女のちっぽけな勇気は……まあ、彼女にしては頑張ったと言えよう。
こうして、後藤の初バイトはなんとか無事に終わった。
◇
同じ学校、同じクラスの俺と後藤は、時々一緒に昼食を取るようになっていた。別に仲良くなったらとかそういうことじゃない。大抵は、バイトのこと、バンドのことについて何か話すことがある時に俺の方から声をかけている。
「ああああの、いいいいっしょにご飯たたた、たべましぇんっか!?」
今日は珍しく後藤の方から声をかけてきた。めちゃくちゃどもっていたが、辛うじて昼食を一緒に食べようと言っていることだけは伝わってきた。
そういうわけで、俺はいつしか後藤と衝突した場所、階段下のデッドスペースに来ていた。
「ボーカルを探してる? ああ、前そんな話してたな」
「は、はい。虹夏ちゃんは、元々逃げたギターの子が歌うはずだったって言ってるんですけど……」
もそもそとおにぎりを食べながら言う後藤。口を小さく開けて食べる姿は、小動物を彷彿とさせる。
その言葉を聞きながら、俺は惣菜パンを齧った。
昼休みにも関わらず、ここは静かだ。人気がなく喧騒も遠いこの場所は、ぼっちにとって非常に居心地の良いところだった。
「しかしバンドで歌う気概のあるやつなんてそんな簡単に見つからないだろ。それに人格的にバンドと合わないとダメなんだろ?」
「そ、それは確かに……」
そんな風に話していると、突然廊下に話し声が聞こえてきた。二人、あるいは三人だろうか。女子生徒の軽く弾んだ声は、よく響く。
「ごめん喜多ちゃん、来週の日曜日、またバスケ部の助っ人頼んでいい?」
「ええー、また? まあでもいいよ」
「やった! さすが喜多ちゃん!」
チッ、リア充が。
……おっと、ついつい日頃の恨みが出てしまった。笑顔で会話する彼女たちは、俺が敵視してやまない宿敵、リア充のようだった。
「──でも喜多ちゃんバンドでギターボーカルまでやってたんでしょ? 本当になんでもできるね!」
「あっはは……もうやめちゃったけどね」
ボーカル。その言葉に後藤はピクリと反応した。
……というかお前、机の上に乗っかって盗み聞きするのやめろ。危ないだろ。
二段に積み重なった机の上に器用に座り込み、後藤は生徒たちの様子を観察していた。
「見つかったな。ボーカル候補」
女子生徒たちが立ち去ったので後藤に話しかけるが、彼女はなぜか頭を抱えたまま黙っていた。
「運動ができて、歌えて、ギターも弾けて、友達もいる……?」
後藤の体が震え出す。自らが発した言葉の恐ろしさに戦慄するように。
「ああああ、アイデンティティがあああああ!」
どこからか聞こえる『パチンッ』という何かが弾ける音。
己の誇りとするところ──ギターを弾けることに加えて他のことまで完璧にこなす喜多という生徒の姿に、後藤の中で何かが弾けたらしい。
「……まあなんだ。俺は詳しくないが、ぼっちにしか出せない音みたいなものもあるんじゃないか」
地面に横たわってぶるぶると震える後藤があまりにも哀れで、俺は慣れない慰めの言葉をかけた。しかし彼女の意識はすでにどこかに飛んでいってしまったらしく、俺の言葉を聞いている様子すらない。
……まあ、こいつが自分の世界に入って出てこなくなるのなんていつものことじゃないか。だんだんと後藤の扱い方がわかってきた俺は、彼女を放置して昼食を食べるのを再開した。
廊下に膝をつき、教室の後ろのドアからそっと顔を出して中を伺う後藤。あまりに不審者然とした態度に止めようかとも思ったが、彼女なりに中に入るタイミングを見計らっているらしいので放置する。
彼女が観察しているのは、同級生に喜多ちゃん、と呼ばれていた女子生徒だ。しかし俺が観察していても、後藤は一向に中に入っていこうとしない。いい加減声をかけようとしたところで、中から声がした。
「えっと、二組の後藤さんだよね。何してるの?」
「えっ、あっ」
突然喜多に話しかけられた後藤は、絵に描いたような動揺を見せていた。それでも、彼女はなんとか言葉を紡ぎ出す。
震える足で。震える唇で。なけなしの勇気を振り絞って。
「バッ、ギッ、ボッ!」
……おい、何一つ伝わってないぞ。後藤の発した言葉は、どもりを通り越してヒューマンビートボックスのようだ。
けれども喜多、という生徒は、困惑しながらも返答してくれた。
「えっと、ぶーつくばーつく!」
……可愛い。さすが陽キャ。恨みも忘れて一瞬見惚れてしまったぜ。
しかし後藤は、目の前の少女がとりあえずヒューマンビートボックスらしい返しをしてくれたことすら認識できていないようだった。
「すすす……すいませんんんん!」
ピュー、とその場を去ってしまう後藤。後に残ったのは、結局何が起こったのか分からず困惑した顔で固まった喜多だけだった。
後藤が去ったのを見送った喜多は、ようやく俺の存在に気づいてたようだ。こちらを見た喜多は、やや困惑しながら話しかけてきた。
「あ、あの……どちら様ですか?」
おい! 後藤の名前は知ってたのになんで同じクラスの俺の名前は分からないんだよ!
「あっ、比企谷ッス」
頭の中では憤っていたが、言葉はあまりにも気弱だった。
仕方ないのだ。陽キャの前では、陰キャは話しかけられただけでビビる。心中ではどれほど勇ましくても、劣等感ですぐ卑屈になってしまいのだ。だから俺は情けなくない。これはぼっちの習性だ。
「さっきの後藤さんの知り合いだよね? 何の用だったのか聞いてない?」
「あー、直接聞いたほうがいいっすね。多分後藤の逃げた先は分かるので、案内する……ッス」
俺から話してもいいが、なんというかそれは卑怯な気がした。大事なことは、他ならぬ結束バンドの一員である後藤の口から伝えた方がいいと思えたのだ。
「……ねえ、同級生なんだから敬語使う必要なんてないよ」
「あ、ああ。分かった」
喜多の圧倒的な陽キャオーラは俺を圧倒していた。
直視するだけで、彼女が陽キャの中の陽キャ、真のリア充だと分かってしまうのだ。
彼女の顔の中でまず目を引くのは、キラキラと輝く瞳だろう。新緑のような色をしたそれは、常に好奇心の光でいっぱいだった。
他の顔のパーツも綺麗に整っていて、可愛らしい顔の魅力を引き立てていた。
あまり直視しているとうっかり惚れかねない。
俺は彼女に背中を向けると、後藤の元へと案内を始めた。向かうのは、階段下のデッドスペース。先ほど俺たちが昼食を取っていた場所だ。
後藤のことだから、うまくコミュニケーションを取れなかったことを落ち込みながらあそこでギターでも弾いていることだろう。