さすが山田。
アイス代とエスカー代返せよ必ず。
「へー、近くでバイトしてんだ?」
「はい」
ケーキを切り分ける虹夏さんの隣で、俺と彼女の姉――星歌さんは机を挟んで正面に座り、ずっとはなしていた。
玄関先よりは幾ばくか対応が優しい。
何もかも虹夏さんのお蔭だ。
彼女が必死に弁解してくれなければ、恐らく門前払いどころかその場で処刑されていた。
「はい、お姉ちゃんの分ね!」
「はいはい」
「ちゃんと食べてよ」
「コレ酒に合わないじゃん」
「お酒飲まなきゃ良いじゃん」
「明日何も無いから良いだろ、飲んでも」
二人での会話が始まった。
俺はそっと、空気との同化に努めて気配を殺す。
他所の家にお邪魔するのは後藤家で慣れたつもりだったが、勘違いだと痛感させられる。彼らは親戚、身内という認識だからだけど、ここは俺にとって未知――『友だち』という関係性で招かれた空間だ。
まずクリスマスを誰かと過ごすのが初めてだし。
親戚の家を盥回しにされていた昔は、クリスマスと聞いたら極力はその家の雰囲気を壊さないように息を殺し、すぐ自分に宛てがわれた部屋に逃げていた。
実際、嫌な顔とかされたし。
ヤバい、緊張感が凄い。
自分の心臓の音にイライラする。
音立てるな、二人に察知されたらどうする!
「さっきから呼吸止めてるけど大丈夫?」
「大丈夫です、いま再開しました」
「……まあ、同い年の女の子に家に誘われて浮足立つのも分かるけど、そんなガチガチにならなくて良いから」
いや、そういう心配ではないです。
単純に他所の家でご相伴に与る現状に慄いているだけです。
「ほら、ケーキ食べなよ」
「あ、いただきます」
「一郎くん、チョコケーキだけど甘いのって平気だよね?いつもチョコクッキー買ってるって聞いたし」
「それは山田が食べるヤツ」
俺は食べた事なんて無い。
何ならお菓子類も特に食べないのだ。
ただ、菓子を渡すと家に帰ってくれる可能性が微々たる物ではあるが高まるので、山田の為に購入している。
でも、それも最近は効果が薄い。
そもそも山田の目的はあくまで俺の手料理だ。
アイスや菓子などは所詮余興、夜まで図々しく鎮座している。本当に気分屋なので、いくら媚を売ったって出ていきやしない。
「一郎はいつもクリスマス何してんの?」
「課題やって、映画観て……寝ます。今日はバイトでしたけど」
「サンタは信じてる系?」
「………いえ、流石に」
「だよな。てか、私もサンタ待つくらいなら自分で手に入れに行くタイプだったし」
「お姉ちゃん夢無いよね」
「夢は叶える物だから。叶えて貰う物じゃないんだよ」
……何かカッコいい。
俺はケーキから顔を上げて星歌さんを見た。
よくよく見れば、何だかその若干ツンツンしてる斜に構えた態度、クールで可愛いというより渋いと言われる男性に近い大人のシックな雰囲気がある。
俺の周囲には見なかった大人だ。
少しだけ憧れる。
最近出会った印象的な大人は……………。
『迎え酒ー!!』
忘れよう。
見なかった事にすれば良い。
ライブしている時はカッコいいので、そこだけ切り取って記憶を美化しよう。意識的に行うのは少々辛いが、俺やきくりさんの為になる。
そういえば、伊地知家の大人は星歌さん以外に見当たらない。
二人暮らしなのだろうか。
ここについては踏み込むのは控えた方が良い事情がありそうな予感がする。
更に空気を悪くするようになったら、今度こそ虹夏さんとの関係も終わるし、星歌さんに今度こそ殺られかねない。
「星歌さんって何してる人なの?」
「ふふ。ウチは最近ライブハウス始めたから」
「ライブハウス」
「うん。リョウもバイトしてるよ」
ああ、なるほど。
前に昼食を一緒に摂った時に、そんな事を言っていた。
山田がバイト……ライブハウスって、接客業だけど愛想よく出来ているのだろうか。笑う事は笑うけど、アイツが業務という枠組みの中で素直に笑顔を人に向けている姿が想像できない。
その点、虹夏さんは大丈夫だろうな。
……あれ、虹夏さんに接客して貰えるのか?
少しだけ通いたくなった。
「ライブハウスってどちらに」
「このマンションの下にある。名前は『STARRY』って言うんだよ、まあ暇な時に覗きに来なよ」
「へえ……」
身近な所にライブハウスがあったのか。
でも、きくりさん新宿拠点にしているからな。そもそも、そのライブハウスで普段どんなバンドが活動していたりとか分からない。
いや、いっそ好きなバンドを開拓するか。
最近は山田やきくりさんの影響で、少しだけバンドという物に興味を抱き始めている。
「最近始めたって」
「でも、正直もっと人手欲しいんだよな」
「はあ……大変ですね」
「てっきり、今日は虹夏を泣かせた男が来たと思ったけど違うらしいし、じゃあもしかして新しいバイトを引っこ抜いて来たのかと期待したんだけどな……」
「私悪くないよ」
星歌さんが流し目で虹夏さんを見る。
頬をふくらませる妹の様子が面白かったのか、彼女はかすかに微笑んだ。
ツンツンしてるが、やはり仲は良いみたいだ。
姉の開店したライブハウスで働く妹、か。絵に描いたような良い家族だ。
「一郎くん、ライブハウスって通った事ある?」
「実は最近少しライブハウスに通うようになって」
「え、一郎くんバンドに興味あるの!?」
「まあ、山田がよく家で弾いてたりするから」
「一郎くんは楽器とかやったりは?」
「…………」
「一郎くん?」
「その………リコーダーしかない」
それを聞いた瞬間、虹夏さんが察して苦笑する。
元々音楽関係に興味が無かったからな。
山田の影響で少しだけ日本のヒップホップとか聴くようにはなったけど、正直未だに世間の流行には遅れている感じが否めない。
だから人の輪に入れないんだろうな。
少し教室内でも聞き耳を立てているが、自分だったらついて行けない話題で人が盛り上がる瞬間を何度も見て勝手に落ち込んだりする。
ひとりを引っ込み思案がどうとか、山田は協調性皆無だとか言うが、俺も大概だよな。
「そっか、そっか。懐かしいよねリコーダー」
「虹夏さんは?」
「私はドラムやってるよ!」
「へー、カッコいい。じゃあ、もしかしてバンドとかも」
「うん。まーでも、最近解散しちゃって」
「そうなのか」
それは少し残念だな。
「一郎は特技とかないわけ?」
「特技……ですか」
誇れるほどの物が無い。
自信があることなんて……………あ。
「人を介抱するのは上手い自負があります」
「何ソレ」
「あー、一郎くんいつもリョウが家に来て面倒見てあげてるの。私もこの前お世話になってさ」
「ああ、あの時の。一郎の家だったのか」
「そう!一郎くんの料理って美味しいんだよ!味付けとか私好みで」
「へー」
たしかに虹夏さんには好評だったな。
味付けが好み、か。
「いつも独りだから味付けも自分好みにしてるんだけど……生姜焼き弁当の時といい、虹夏さんって案外俺と味覚近いのかもな」
「たしかに!」
嬉しい発見である。
家庭の味レベルで近いという事実に幸福感が湧く。
山田にしか振る舞っていないけどさ。
「ところで、何で二人は気まずくなってたわけ?」
「えっ」
「えっ」
せ、星歌さんが空気ブチ壊しに来た。
「いや、その、私が店先にまで連絡もせずって言ったじゃん」
「一郎の方は聞いてないよ」
「…………」
「言いたくないならそれまでだけど、二人ってたしか学校も同じなんだろ。仲良いからわざわざ家に招いたんだし、これから先気まずくなるの嫌だろ」
「う……」
「虹夏も無理して笑顔作ってるの見てて気持ち悪いし」
「お姉ちゃん゛ッ……!」
「気まずくて気配殺そうと必死な一郎とか、ちょっとアレだし」
「ヴッ!!」
濁される方がダメージある。
……話しても良い事は無い。
星歌さん達にとっては他人事だし、それで気分悪くて俺が八つ当たりしてしまったなんて事実を知ったら、さらに嫌だろう。
ちら、と虹夏さんの方を見る。
でも話さないでこのまま放置したら、何かの拍子でまた同じ事が起きなくもない……主に俺が原因で。
今回、完全に俺しか悪くないしな。
たまたま虹夏さんがその時に居合わせて、触れてしまっただけの話だ。そこで堪える事が出来なかったのは……まあ山田のメールがあったとはいえ。
「その、少し家庭内の事情でして」
「……もしかして、ずっと海外出張の親御さん?」
「……俺、元々は前田家の子じゃないんです。実の親二人がいなくなって、方方に預けられたりしたけど何処も歓迎どころか嫌がる人が多くて」
「…………」
「今の前田家が自ら俺を引き取るって言ったら、絶縁食らってしまって。二人には感謝してるんですけど、会った時から気遣いばっかりでそれがツラかったし、彼らを家族だと思えない自分が心底嫌でした。……今日なんかはクリスマスに一緒にいられない詫びとかが入ったんですが、それにも良い感情を抱けない自分にイライラしてる時に……」
「なるほどね」
星歌さんが酒を飲みながら耳を傾けてくれる。
何だろう、ベロベロに酔ってる人しか見ていなかった所為なのか、星歌さんの飲酒が凄くカッコよく見える。
これが、真の大人の酒の嗜む姿なのか……?
「要はタイミング悪かったわけだ」
「いえ、俺が堪え足りないのがいけないし」
「子どもだから人に当たったって仕方ないだろ。まだ高校一年だし」
「でも、人を泣かせました」
「お互いを知らなかったから起きた悲劇だろ。よくあるよくある」
「……本当ですか?」
「ああ」
「目を合わせてもう一度」
「お姉ちゃん、途中で面倒臭くなったでしょ」
何で顔を背けるんだ。
ここまで頼もしかったのに。
「まあ、ともかく今回の事で分かっただろ。後は付き合い方を変えれば良い話だよ。仲良くしたいなら続ける、距離置きたいならそうするだけ」
か、簡単な事のように言うな……。
でも、実際はその通りだ。
「あのさ、一郎くん」
「はい」
「今日は本当にごめんね」
「こちらこそごめんなさい。というか、完全に虹夏さんはとばっちりだから謝らなくて良いよ」
「でも気分悪くさせちゃったでしょ」
虹夏さんの懐が深すぎる。
イライラして人に当たった俺の矮小な器が殊更に自覚させられて心が痛い。
山田にも謝っておこう……心の中で。
「私はこれからも一郎くんと仲良くしたいよ」
「それは……俺も勿論。でも、俺といたらまた――」
「しつこい」
「あてっ」
星歌さんにデコピンで言葉を遮られる。
い、痛い……人にデコピンされたの生まれて初めてだ。
「ううん……一郎くんがそんなに責任感じてるなら、一つだけ私の願い叶えてよ」
「何でもします」
「じゃあね」
虹夏さんがにやりと笑う。
彼女にしては珍しく、悪い感じの笑みだった。
「今度こそ、さん付け無しで名前呼んで!」
言われて、俺は呆然とする。
虹夏さんが名前で呼ぶよう求めて来たが、友だちがいなかったので距離感というのが掴めずさん付けが抜けなかったのだ。……山田は例外、最初からアイツはよく分からないし。
う……何か恥ずかしい。
でも、虹夏さんの願いだ。
叶えなければ、むしろ彼女との間にまた蟠りを生む。
「に」
「に?」
「にじ……虹夏。こ、これで良い?」
「うんっ」
虹夏さ……虹夏が俺の手を握る。
「じゃあ、これで仲直りね!」
花のような笑みを咲かせて虹夏さんがそう言った。
手を放すと、ケーキを平らげた三人分の皿を片付け始める。鼻唄を歌いながら台所へ向かう彼女の後ろ姿を見て、俺も胸をなで下ろした。
これで、良いんだよな……?
それにしても、虹夏さ……虹夏がずっと無理して笑顔を作っていたなんて気付かなかった。
やはり、姉妹というのは相手をよく見ているのか。
俺にも兄弟がいたらそんな感じになるのかな。俺もよく人を見て、もっと感情を察せる男になろう。
そんな考えで、ちらと星歌さんを見て……視線が合う。
「次泣かせたらギターで一発な」
許されてなかった。
やっぱりまだ無理そうだ。
♪ ♪ ♪ ♪
初冬とはいえ朝も寒い。
「い゛、生きて帰れた」
伊地知家から帰宅した俺は、玄関を這って移動する。
始終お姉さんの視線が怖かった。
虹夏によく似た……目付きを除いて……姉である星歌さん。
星歌さん怖かったな。
いや、当然の事だ。
自分の妹が泣き腫らした目で帰って来て、隣に知らない男がいたら俺だって訝しむ。
すみません。
全面的に俺が悪いんです。
仲直りはしたけど、無かったことにはならない。ちゃんと自分を改善していかないとな。
バイトの疲労とあのメールがあったとはいえ、山田のメッセージというわずかな刺激で吐き出してしまったのは俺の忍耐力の無さだ。
どんな事があろうと、まず絶対に虹夏の前で吐露していい感情ではなかった。
励め、俺。
取り敢えずシャワーを浴びよう。
それから簡単に朝食を摂ってから、朝の洗濯を終わらせて昼まで寝る。
今日から冬休みに入り、明日さえ働けばもう今年のバイトは終了だ。
そして二十八日から後藤家に行く。
頑張れ、あと少しだけ頑張れ俺……。
「ん、何これ」
居間についた俺は、テーブルに置かれたおにぎりを発見する。
随分と形も不揃いだ……。
おにぎりを乗せた皿の横に置き手紙らしき物もあった。
拾い上げて内容を見る。
『この前のサンドイッチのお礼』
……サンドイッチって、まさか。
俺は思い当たる節があった。
それは先日の弁当を忘れて俺の昼飯を略奪していった山田である。
おにぎりでお返しって。
数は……十六……十六?多いな、オイ。
でも、米は炊いていなかったから山田は自分でやったってことなのだろう。
キッチンの方を見ると……まるで空き巣にでも遭ったかのような荒れ果て様だった。
おにぎり作っただけなのに?
「でも、妙だな」
これは、いつ作られたのだろう。
山田は昨日クリスマスライブに行った筈だ。
時間的に考えると、俺がいない夜に来ていたのかもしれない。
…………まさか!
俺は自室へと向かい、扉を静かに開ける。
ベッドの上では、布団を被った山田が安らかな寝息を立てていた。
なるほど、ライブから直行して泊まりに来たようだ。
俺は扉を閉めて、再び居間へと戻る。
おにぎり、食べるか。
俺は卓に着いて、おにぎりを一つ取る。
塩辛いし、放置してかなり時間が経過したせいか中々に米の弾力がほとんど失われている。
でも、あの生活力0の山田が頑張って作った物だ。
珍しい事に悪い気がしない。
「ん?」
ふと、裏返しになった手紙の紙面に書かれた文を見つけた。
裏にも書いていたのか。
手に取って確認すると。
『嘘つき』
たったそれだけが記されている。
何が嘘つきなんだろう。
取り敢えず、五個食べたところで満腹になった。