めしくい・ざ・ろっく!   作:布団は友達

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IQの低い内容です。


至福のひととき

 

 

 

 

 

 現在、俺は後藤家で猛勉強中――のひとりに付き合っていた。

 隣で指導し、彼女の疑問を解消していく。

 後藤家に来てから一日が経過した二十九日。

 ようやく中学一年生までの範囲は知識が定着したようである。

 

「よし、中学一年生には追いついた」

「まだ中学一年……どうして私はこんなにも出来損ないなんだろ……やっぱりギターしか能のない、ギターしか誇れない……」

 

 ひとりの顔色は真っ青だった。

 金沢八景の海よりも冴え冴えとした青さである。

 こんなになるまで勉強を頑張るなんて、嫌だと言っても良いのにその口は自嘲的な言葉は出ても一度たりとて勉強への苦言を呈する事なく、その手は止めなかった。

 知っているぞ。

 極限まで追い詰められたひとりの集中力。

 昔から頑張ろうと決めたら挫けやすいが努力家な部分があるから、隣で誰かが優しく支えてあげるだけで驚異的な成長スピードを発揮する。

 

 それなのに、この子は……。

 

 思わず胸が痛くなる。

 ここまで頑張っても、まだ足りないと自嘲する。

 たった一日で四年分の学習を振り返り、脳に叩き込むなんて荒業は推奨されない。

 普通なら有り得ない事を成し遂げたのだ。

 

「何言ってんだ」

「あぅ」

「小学四年生の範囲からやり直して、たった一日で四年分を学べたんだぞ。あとの二年なんて、どうせ今までの事を少し複雑にしただけ……ひとりは出来損ないじゃなくて、出来た子なんだよ」

「ぁ、ふへっ……で、できた子?ち、ちょっと本気出したらエリート……?」

 

 しかも、褒めてあげると可愛らしく相好を崩す。

 相変わらず顔色は優れないが、頑張り屋な彼女はたったこれだけで立ち直る。

 なんて強靭な精神力と回復力。

 ひとりは自分が言うほど頭の悪い子ではない。

 

 ひとりは出来る子だ。

 出来なくても全然存在するだけで大丈夫。

 

 頑張ったひとりの頭を胸に抱いて、あやすように撫でた。

 腕の中で変な鳴き声がする。

 うん、これだよ。

 俺が後藤家に帰る五割の理由はひとりだ。

 この子に触れている瞬間が生きている中で唯一何のストレスも感じない。

 年末年始にこうしなくては、生きていけないのだ。

 

「ひとり、少し疲れたし休憩するか?」

「あぅ……い、いっくん……離してくだしゃい……!」

「ん、顔が熱いぞ。休憩した方がいいな」

「ひゅぅぅぅぅぅ………」

 

 蒸気を立てるひとりの頭を新たに敷いた座布団に乗せて体を横にさせる。

 彼女を休憩させている間に、俺は次なる範囲の学習プログラムを組み立て始めた。無謀に勉強したって、受験勉強はそう甘くない。

 中学校の勉強は義務教育――最低限の知識を修得させるのが目的だが、それはついでであり、あくまで『物の考え方』を育むのが最優先目的である。

 ただ知識を押し込むだけでは駄目だ。

 何故その知識が必要かの意味まで本人が解釈できるようになるのが最後に望ましい形となる。

 

 しかし、これは……。

 

 俺は勉強を教える前の、ひとりの成績を見る。

 頑張って解こうとしているが届いていない。

 俺が今試行している勉強法は、誰か隣で指導しなくてはならない――つまり、独力での勉強ではないのだ。

 一人でも行える勉強を知らなくては、きっとこの先は難しくなってくるだろう。

 俺がいない間の受験勉強だって、きっと辛く……………………待てよ。

 

「ひとり」

「あっはい!」

「仮に高校に行って、勉強したくなくなったり卒業せず辞めようとしたら」

「ひっ、ま、まままままさか吊るし上げるとか……!?」

 

 ひとりが震えながら物騒な事を言う。

 何を言ってるんだ。

 

「直樹さんと美智代さんを説得して、俺が稼げるようになるまで待って貰おう。そうすれば万事解決だ」

「へ?」

「俺が養えば問題ないな」

「あ、あばばばばば……!」

 

 ぶんぶんと忙しなく腕を振ってひとりが何かを伝えようとしている。

 俺は真剣にそれを読み取ろうと、じっと見詰めた。

 視線を正面から受けたひとりは、ぴたりと動きを止めるや今度は目を泳がせ、赤熱化させた顔で俯く。

 

「い、いっくん」

「どうした」

「そ、そういうのは……私みたいな芋娘に言わないで、もっと可愛い子に――」

「ひとり以外にここまで覚悟は持てないぞ?」

「あうっ!!」

「第一、芋娘って……ひとりは誰よりも可愛いだろうに」

「うぎゅうう!!?」

 

 床に伏せて、ピンク色の液体が畳の上に広がった。

 ひとりが溶けてしまった。

 し、知らない間にこんな芸当まで……やはり、この子の潜在能力は計り知れない。

 そうだ。

 この子だけでも幸せになるべきだ。

 そうでないなら、この世で俺が生きる価値なんて無い。

 

「ひとりは幸せになるんだぞ」

「え……?」

「ひとりの幸せが俺の幸せなんだから」

 

 そう言うと、ひとりが跳ね起きた。

 液化して崩れていた輪郭が原形を取り戻す。

 白い手が躊躇いがちに俺の左手首――今は刃の傷痕が消えたそこに添えられる。

 ぎゅ、と弱々しく握られた。

 

「が、頑張る」

「ん……?」

「わ、私……いっくんも幸せになる……なれるように、頑張るね」

 

 えへへ、と力無く笑う。

 きっと俺を心配させまいと気丈に振る舞っているのだ。

 触れている部分が燃えるように熱い。

 俺が傷付くと本当に泣いてくれる子。

 俺の幸せを本心から望んでくれる子。

 俺を憎む連中を忘れさせてくれる子。

 本当に、この子は。

 

 

「ありがとう、ひとり」

「う、うん(心配かけないくらいの大スターに……)」

 

 

 俺は彼女の言葉と、手首に触れる体温を噛み締めて至福に浸った。

 

 

 

 

 ひとりと勉強していると、背中に伸し掛かる衝撃を受けた。

 俺の肩に、ふたりの膨れっ面が乗せられた。

 恨めしそうに俺を見つめている。

 

「どうした、ふたり」

「お勉強ばっかでつまんなーい!」

「でもなぁ」

「ふたりもいっくんとお絵描きしたいの!」

 

 ふたりが駄々を捏ね始めた。

 たしかに、随分と放置してしまったな。

 姉のひとりに付きっきりで、まだ四歳という好奇心の塊のような生物であるふたりからすれば、一年ぶりに家を訪れた俺が自分に付き合ってくれないのが面白くないのは当然だ。

 仕方ない。

 俺は背中に乗る小さな体を持ち上げて隣に座らせた。

 後ろに振り返ると、彼女が持ってきたであろうクレヨンセットとスケッチブックがある。

 お絵描きか、美術以外ではやってないな。

 

 やや自身の画力に不安を感じながら、ふたりの前の机にスケッチブックを広げる。

 

「じゃあ、ここにネコさん書いてみて」

「分かった!」

「俺も隣に超上手いネコさん書くから」

「ふたりの方が上手いもん」

 

 さあ、全神経使え。

 俺は右手でひとりの解いた問題の添削をしつつ、左手でスケッチブックの紙に想像するネコさんを描いていく。

 十秒間ひとりを褒めたり、教えたりする。

 次の十秒でふたりと最近あった楽しい事について話す。

 そうやって二人の相手をしていると、後ろから美智代さんがお盆に菓子と飲み物を持って現れた。

 

「こーら、ふたりちゃん。勉強の邪魔しちゃ駄目よ」

「いっくんとお絵描きしてるの」

「もう。一郎くん、大変じゃない?」

「楽しいですよ、人生で一番」

「うぅ……それで良いのかしら……!」

 

 なぜ悲しまれた……?

 むしろ、これで幸せを謳歌している。

 美智代さんはおよよと口を手で覆っている。涙を誘うほど惨めな事はしていないんだけどな。

 そう思っている内に、両者同時にネコさんが書き終わったのでふたりの物を拝見する。

 四歳児の画力に多くは求めない。

 でも、特徴をしっかりと捉えていて本人の遊び心が知れる素敵なアレンジの施されたネコさんだ。

 

「可愛いネコさんだな」

「いっくん、これネコさんじゃないよ」

 

 ふたりに指摘されて自分の絵を確認する。

 ネコじゃなくてチュパカブラだった。

 

 

 やっぱり、二人同時は無茶だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ♪    ♪    ♪    ♪

 

 

 

 

 

 後藤家でシャワーを浴びた後だった。

 俺は二階にあるふたりの部屋に入る。

 実は、ふたりに乞われて同じ部屋で寝る事になっているのだ。普段はジミヘンと一緒だったり、たまに両親と寝たりするが、去年から俺が帰る年末年始は決まって俺と寝たがる。

 

 ふ……控えめに言って死ぬほど嬉しい。

 

 人に慕われるなんて下北沢じゃ絶対に無い。

 虹夏という初めての友だちもできたけど、友情という物に今一まだ自信が持てない。

 山田は、もう宿主と寄生虫って関係なので論外。

 

「ん?」

 

 充電中のスマホが震えていた。

 着信……バイトのヘルプかな?

 絶対に何があっても行かないぞ、俺は。

 

 スマホを手に取って確認すると、忌々しい『山田リョウ』の番号が表示されていた。

 何なんだ全く、今は忙しくないけど。

 

「はい、もしもし」

『大変だ、前田!』

「何かあったのか?」

『前田の家に、私用の食事が用意してある……!そ、それと出前用と手紙と一緒に一万円が封入された茶封筒まで』

「それがどうした?」

『前田を騙った誰かの罠かもしれない』

「はいはい。じゃあな、切るよ」

 

 ぷつり。

 俺は通話を切ってスマホを元の場所に戻す。

 さて、夕飯は久しぶりに美智代さんの唐揚げが食べられるそうなので楽し…………また着信か。

 確認すれば忌々しき『山田リョウ』の以下略。

 

「はい、もしもし」

『前田。家のご飯、前田の仕業で良いんだよね』

「言い方が引っかかるけどそうだよ。てか、薄々予感してたから用意したけど、俺が帰らなくても家に躊躇なく入るんだなオマエ」

『鍵がある』

「返せよ」

『いつか』

 

 信用ならない返答にため息しか出ない。

 

「そこにある飯だけだぞ」

『うん』

「食べる順は冷蔵庫に貼った紙に書かれた物に従え。おかわりは出来ないからな。そこにある量以上は面倒見ない」

『うむ、心得た』

「それと、食べた分をきっちり虹夏に報告すること」

『なぜ虹夏』

「俺のいない家にオマエ一人とか不安だからに決まってるだろ」

 

 この前だって、おにぎり作るだけでキッチンを荒らしまくった人間を信用できるワケがない。

 非常時にすぐ駆けつけて対応できる人間が必要だ。

 虹夏には予て協力を要請しており、俺が不在の間は彼女に管理して貰う事にしている。

 

「分かったな?」

『うぐっ』

「何でダメージ負ってんだよ」

『私への信用が無い対応に胸が痛む……』

「その痛みをしかと噛みしめてくれ」

 

 どうか、常日頃から俺にかけている心労の分だけでもダメージを受けてくれたら助かる。

 山田の事は人に対して無遠慮すぎるところから、もはや心臓に毛が生えているのではなく、そういうのが煩わしくて心臓を捨ててしまったバケモノだと思ってるからな。

 俺のいない家でも優雅に過ごすのだろう。

 その姿を想像しただけでも腹立たしい。

 

「頼むから事故とかはやめろよ」

『うん』

「泊まっても洗濯とか出来ないからな」

『それは虹夏がやってくれる』

「……寒い時は暖房とかちゃんと付けろよ。あと家を出る時は電気も消して、戸締りもしっかり確認」

『私、もう十六だけど』

「そういう冗談は置いといてだな」

『え゛っ』

 

 山田が十六歳……鯖読んでないか?

 面白くもない冗談だ。

 

 ほぼ説教に近い注意事項を、通話相手の山田に懇懇と述べていると、背後からふたりが抱き着いてくる。

 

「いっくん!ご飯だってー」

「知り合いだよ」

 

 しー、と口の前に人差し指を立てる。

 すると、はっとふたりが慌てて口を両手で覆った。

 はい、可愛い。

 

『今の声』

「親戚のところの女の子」

『……この前言ってた?』

「え?……ああ、その妹」

 

 そういえば、山田には言ったんだっけ。

 前に虹夏と山田がいる時にひとりが高校受験に関する電話を寄越してきた時に、それを聞かれていたんだ。

 

「じゃあ、俺はこれから飯だから」

『前田』

「なに?」

『また夜にかけるね』

「嫌だ」

 

 ぷつっ、と電話を切る。

 やった、美智代さんのご飯が俺を待っている!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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