アラームも無く目が覚めた。
憂鬱だな。
三月中旬――春休みに突入したこの日、我が家に両親が海外から帰って来る。午前中に着くとの事なので、早めに起きて出迎えをしなくてはならない。
彼らの滞在は、五月まで。
彼らが海外出張の話を受けた理由の一つは、薄々と勘付いている。
俺が一人でも大丈夫と言ったからなのもある。
だがそれ以上に――俺との関わり方がまだ分からないのだ。家族という形になって数年も経つが、形は備わっても中身は伴わない。
気遣って、でも一緒に居づらい。
彼らはこれから『親』を演じる。
これからまた俺も『息子』を始める。
「逃げられないしな……」
俺はベッドから起き上がる。
ん、何か頭に違和感が……。
触ってみると、どうやらヘッドフォンを装着しているようだった。
いや、ヘッドフォンって?
「……俺のじゃない」
なぜ、ヘッドフォン?
いや、まあ……それはさておいて。
アラーム前の起床ということは七時半前。
彼らの到着予定時刻はその二時間後なので、それまでに彼ら用の朝食を用意したり、洗濯を終わらせ――…………………?
見間違えだろうか。
ベッドのサイドテーブルに乗せられた時計を見る。
短針は10、長針は6を指していた。
つまり……じ、十時半……!?
さっと自分の体から血の気が引くのが分かる。
嘘だろう。
アラームが起動しなかったのか。
たしか、置き時計とスマホでアラームをかけていた。
時計の方は……止められている。
もしかして、寝惚けて俺が押したのだろうか。
まずいな、完全に寝坊……既に彼らも帰って来ている筈だ。
しかし、彼らは家の鍵を持っていないので中に入るには必ず俺に連絡を入れなければ、ずっとマンション入口のオートロック前で立ち往生する事になる。
慌てて俺はスマホを確認した。
着信は……メールは……無い。
連絡も無い、となるとどういう事だ。
今日じゃ、無い……?
でも、スマホで見た日付は紛れもなく彼らの帰国当日を表示している。
因みに、スマホのアラームも止められている。
どういうことだ。
「ん?」
ふと、家の中で誰かの話し声がする。
随分と会話が弾んでいるようだ。
時折笑い声が混じるところから、楽しげなのが察せられる。
二人は家に入れたのか。
……俺がいないと、遠慮なく笑えるよな。
いや、それよりどうやって家に入ったんだ。
俺は部屋を出て、居間へと向かう。
話し声のする方へ、足音を忍ばせて物陰から様子を窺った。
すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「ん、おはよう。――前田」
居間には、久しぶりに見る両親がいる。
既に部屋着へと着替えて、机に料理を並べていた。床には大量のお土産らしき物品とスーツケース等が置かれている。
そこは、別にいい。
予想していたことだから驚きもしない。
だが、たった唯一この状況であり得ない筈の物があった。
それは、ソファーで呑気に寛ぐ――山田である。
「ああ、一郎くん。おはよう」
「よく眠れた?」
「あ、うん…………」
両親が嬉しそうに話しかけてきた。
思わず居間に踏み出そうとした足が後ろに下がる。
今まで虚飾の無い笑顔なんて見た事が無かった……いつもこちらを窺うような、少し怯えたような目をするのが彼らだ。
なぜ、そんなにも和んでいる?
「こんな美人なカノジョさんがいたなんて」
「私たちもビックリ!」
は、彼女?
俺が山田に視線を送ると、彼女は黙って頷いた。
いや、全然分からないから。
説明してくれと再び視線で促すが、今度は拳の親指を上に立てるサインを送ってくる……いやグッド!じゃなくて説明しろって。
俺は山田を手招きする。
すると、首を横に振られた――何でだよ。
「いまコーヒー飲んでるから後にして」
「すまん、こっちは急用なんだ」
「仕方ない」
山田がやれやれと立ち上がる。
近付いて来た彼女を引っ張って自室へと退散した。
中に二人で入るや扉を閉めた。
「山田。なぜ家にいる?」
「ご飯を食べに」
「……昨日、家には来るなって連絡したよな」
「そうだったんだ」
そうだったんだ、って。
実は知らなかったような口振りじゃないか。
その言い方に疑問を覚える。
本当に俺の連絡が届いていないのか。
「でも、俺は確かに……」
「昨日、私のスマホが駄目になった」
「駄目に?」
「うん。これ――」
山田がポケットから何かを取り出す。
その手の中には、液晶画面に蜘蛛の巣状の亀裂が走った痛々しい姿のスマホがあった。スマホカバーもかなりの摩擦に晒されたのか、角の部分は剥げかかっている。
どんな扱いをしたらこうなるんだよ。
「実は昨日、出かけてる時に地面に落として」
「はあ……なるほど……?」
「落としたところに丁度自転車が来てタイヤに吹っ飛ばされてこうなった」
「なるほど……!?」
どんだけ不運なんだよ。
俺が呆れた目で見ていると山田が目元を袖で拭い悲哀を誘うような素振りをする……三文芝居だ。
しかし、家に来た理由は納得した。
昨日の連絡が届いていないなら仕方ない。
こればかりは、山田にも非はないからだ。
「家にはいつ来たんだ」
「七時に。徹夜明けで美味しい朝ごはん食べたくて」
「あ。朝に来たなら、俺の部屋でアラームとか鳴らなかったか?」
「鳴ったよ」
「マジか……」
「部屋にいると思って行ったら、前田寝てたけどその時にアラーム鳴り始めて、うるさいからすぐ消した。その後も前田ぐっすり寝てたから、いつもお世話になってるし起こすのも気が引けたから、私が何してもうるさくないようにヘッドフォンもしといたよ」
「何してんだよマジで」
感情のままに山田の肩を掴んで激しく揺する。
謎のドヤ顔が気に食わない。
こんな時に恩返しとかしなくて良い。というか、その恩返しのせいで迷惑にも心地よく寝過ごしてしまったではないか!
本当にどうしてくれるんだよ。
お蔭で完全に寝坊して、起きたら意味の分からない展開が目の前に繰り広げられているではないか。
山田と両親が楽しげに会話をしていた。
料理は、母が作ったんだろう……それを意気揚々と食っているオマエが一番意味不明だ。
しかも――そうだ!
「俺のカノジョってどういう事だ」
俺は一番の疑問について尋ねる。
両親は山田を俺の恋人だと認識している。
あの反応は、ただ勝手に勘違いをしているというワケではない。明らかに山田が認めた上での誤解でなければ醸し出せない空気感があった。
「これには深い訳がある」
「本当だな……?嘘だったらまた出禁にしてやる」
俺が凄んでみると、山田が視線を逸らす。
経緯について、ぽつぽつと語り始めた。
事の顛末は、九時半過ぎ。
山田はいつもと同様に居間で寛いでいたそうだ。
朝ごはんが食べたいので、そろそろ俺を起こそうかと考えていた頃にインターホンが鳴った。
応対すると、前田家の両親。
山田はオートロックを解錠し、彼らをマンション内に招き入れて部屋の中まで導いた。
関係を尋ねられた時に。
『キミ、息子とはどういう……?』
『友だちです。よく家に泊めて貰ったりご飯作って貰ってます』
『友だちにそこまで……?』
『はい』
『いや、でも女の子よ?……もしかして、恋人!絶対そうよ、普通は女の子をそう簡単に何度も泊めたりとかしないわ』
『そ、そうか……恋人、なんだね?』
二人にそう尋ねられた。
山田はこの時、一度は否定を繰り返したという。
けれど、やはり異性を家に宿泊させるという事が彼らの中では友人関係の範疇では信じられなかったようで、また勝手にまだ関係を明かすか躊躇っているのだと誤解を深めて逆効果となった。
そこで、山田は思った。
――否定しても絶対にそうだと勘違いして何度も訊いてきそうだし、面倒臭いから何でもいいや。
結果、三度目の質問ですんなり肯定した。
すると、もう誤解は止まらず息子の恋人という事で歓迎されて飯までご馳走になり――今に至る。
なるほど。
なるほど。
なる、ほど。
「イヤ面倒臭いとか諦めるなよ!?」
「でも、もう認めちゃった」
「……山田、泣いてもいいか?」
「良いよ。私はご飯食べに戻るけど」
俺は観念するしかなかった。
山田から両親の様子を聞くなり、俺が後から否定しても覆らないだろう。
それどころか、両親はこれを好機と見ている。
関わりにくかった養子が、遂に恋人を作った――この取っ掛かりやすく話題になる物で、俺との関係を詰められると考えている。
そこまでして俺と関わりたいという気持ちは有り難い……有り難い、気がするが……。
山田がカノジョ、かぁ……。
絶対にボロが出そうな設定に頭が痛くなる。
俺はちらりと山田を見た。
すると、彼女がうんと頷いた。
「心配ない」
「どこが?不安しかないよ」
「普段の私と前田を見て、恋人だろうって学校で女子が噂してたの聞いたことある」
「この状況で更に新情報ぶっ込んでくるな」
山田が任せろ、と胸を張る。
何も考えずマイペースに生きているオマエと普段から調子が合った事など無いのだから、恋人として振る舞うというのがまた無理難題すぎる。
しかも、普段の様子が周囲には誤解されているとか本当に遺憾だ。
駄目だ……ますます頭が混乱してきた。
でも、やるしかないよな。
本気で否定したら、誤解していたのかと両親はまたぎこちなくなって空気を悪くするだけだ。
山田が恋人という設定だけでも苦しいのに、それを認めなくては先に進めない。
はあ……これ、ストレスで死ぬかも。
天井を振り仰ぎ、深いため息を吐いていると山田に肩を叩かれた。
「大丈夫。私はかなり演技派だから」
どの口が言ってんだ。
♪ ♪ ♪ ♪
「学校も同じなんだね」
今、家族プラス部外者で卓を囲んでいた。
さっきからトマトサラダに味がしない。
ストレス過多で完全に味覚が機能不全に陥っている。味噌汁を啜っても、熱は伝わってくるが味噌の風味まで感じられなかった。
ここは、地獄か?
それにしては賑やかだし明るい。
笑顔で話しかけてくれる両親に対して、俺は笑顔を作ることもできず、山田は元から無表情だし……愛想というものも完全に死んでいる。
それにしても、こんなに楽しそうな両親を見るのは初めてだ。
喜ばしい事なんだろう。
これを機に俺も彼らと距離を詰めるべき。
だが、体どころか精神からも活力が失われている。
まずいな、どうにも卑屈に物事を見てしまう。
俺に恋人がいると分かるや積極的に話しかける父も母もだが――リョウや誰かを介さないと俺とこうして話せないという事の証明でもある。
目の前にいる俺……というより、俺とリョウの一組だから話せているんだ。
俺だけなら、きっと。
「どうした、一郎くん?」
「……ううん、別に」
きっと、山田には不思議に見えているだろう。
家族でありながら、一郎『くん』と少し距離を感じる呼び方。格式ある家風でもないし、若干声が上擦るところなどから違和感が生じる。
しかも、最初は一郎と呼んでいたのにわざわざ再変更しているのだから。
本当に……嫌になる。
「一郎くんとは普段どうなんだい?」
「……前田と一緒にいるのは、落ち着きます。あとご飯が美味しいです」
「名字……名前では呼ばないの?」
「……」
父――勇がニヤニヤしながら山田を見る。
山田は優雅に味噌汁を啜っていた……が、彼からの質問に碗から顔を上げる。
名前呼び、か。
たしかに恋人っぽいことではある。
「お互いまだ付き合い始めたばかりだから、こっちの方が慣れてるんだ」
「そ、そっか。……でも、前田だと僕らも混同しちゃうよ?」
「それは……」
そう言われて、ちらりと山田を見た。
彼女はふむ、と少し考える素振りをしてから。
「一郎。……駄目だ、ピンとこない」
「名前なのに??」
「変えようか。――へい、マイダーリン」
「何だよ、マイハニー」
お互いにぞわぞわっと体が震えた。
俺は腕に鳥肌が立ち、山田は……口元を手で押えて笑いを堪えている。いや、オマエが仕掛けてきた事なんだけど。
山田はこの状況下でも山田らしい。
演技で不自然さが出るより、普段通りなのが一番疑われにくいというワケか。
いやいや、バレて誤解が晴れる方が嬉しい……けど気まずくない誤解の解き方が分からない。
「『前田』の方がしっくりくる」
「うーん、そうなのねぇ……一郎くんは?カノジョさんのこと、名前で呼んだ事ある?」
「いや」
「じゃあ、呼んでみましょ」
母――小夜子が提案した内容に俺は固まる。
何で俺まで……とは思ったけど、やらなかったら空気が悪くなる。
仕方ない。
「リョウ。……これで良いか?」
俺は山田の方を見た。
すると。
「――――」
山田が目を大きくさせる。
え、そんなに意外だっただろうか。
その反応が意外で、俺も彼女をじっと見詰めていると――少しして山田が逆方向に顔を背けてしまった。
これは笑いを堪えているな。
耳を赤くするほどに。
「リョウ、どうした」
「ごめん。その呼び方、ちょっと……」
「笑うことないだろ。ていうか、こっち向け」
「今は……無理、かも」
どうしたんだ、一体。
頑なにこっちを見ないが、呼んでも振り返らないから仕方ないので食事の手を進める。
両親をちらっと見れば、何故か目が輝いていた。
……もう俺には分からないが、満足したなら何よりだよ。
この茶番、早く終わらないかな。
「そっか、二人は本当に仲が良いんだね」
「一郎くんもリョウちゃんが凄く好きなのね」
「あ、はは」
そんな風に見えたのか……。
はあ、ていうかこのトマトの酸味強くないか?
「リョウちゃんも、名前で呼ばれて顔が赤くなるくらいには一郎くんを好いてくれて何よりだわ」
「…………」
それは、単に呼ばれ慣れていないのでは。
虹夏にはよく呼ばれているが、異性からの経験が無いという部分が大きいのだろう。
はあ、味噌汁……お、丁度いい味の濃さ。
「私は前田、結構好きなので」
ぶっっっっ。
思わず噎せてしまった。
不意打ちにも程がある……演技とはいえ、やはり慣れないな。
それから少しして、父の頭が舟を漕ぐ。
山田がそれを指摘すると、父ははっと目を覚ますや苦笑する。
「ごめんよ、二人とも。帰国してすぐだから、少し疲れが出て」
「なら、寝た方が良いよ」
「そうだね。……じゃあ、僕らは少し夕方まで寝させて貰うよ」
そう言って、両親が立ち上がる。
そして、自室へと退散していこうとして途中でこちらに振り返った。
「リョウさん。これからも息子をお願いします」
「はい」
父が深々と頭を下げた。
そんなに重く受け取られそうな言い方はやめて欲しいのだが……。
ソレに対して、山田は小さく頷いた。
彼らの姿が無くなり、ようやく肩の力が抜ける。
完食した皿を下げて、俺はソファーに戻った。ベランダには洗濯物が干してあるので、どうやらこれから洗濯をする必要は無くなったようだ。
「疲れた」
「疲れた」
二人で呟いた言葉は同じだった。
そうだよな。
ストレスの所為でもう食べ物の味すら無かったし。親のあのニヤけた顔がまた嫌な気分にさせ……………あれ?
俺はふと、両親とのやり取りを思い返す。
そういえば、途中からあまり不快ではなかったな。
思えば、最後の方は飯の味も知覚できていた。
いつものように、卑屈に考えて両親から距離を取りたいとか直ぐに逃げたいという気分にもならなかったな。
何でいつもと違うんだ?
いつもと……あ。
そこまで思い至って、俺は山田を見る。
「前田、これ観よう」
「徹夜明けで眠くないのかよ」
「逆にテンション高まってきた」
「うわ、迷惑」
テレビの横の棚から映画を漁っていた。
その手に取られたのは、『ゴースト○イター』だ。
確か要人から自伝小説の執筆を依頼された人物が依頼者から課せられた奇妙な三つの条件に従って執筆作業に取り組むが、その要人がまた曰く付きの人間で色々と巻き込まれる……みたいな話じゃなかっただろうか。
俺もまだあらすじしか知らず、面白そうだから取り寄せはしたが手を出していない物だ。
山田はそれを無言で再生し始める。
いや、まだ俺は観ると言ってないんだけど。
お構いなしに映画は始まり、二人で黙って鑑賞する。
この空間は……やはり不快ではない。
そうか。
「山田」
「ん?」
「今日は来るなって連絡したけど……今日だけはオマエがいて良かったと思った」
「なんで?」
山田はテレビから視線を外さずに会話している。
俺はその横顔を盗み見た。
「親とはいつも気まずい状態なんだよ、詳しく話したくないけど」
「そっか」
「でも、オマエが色々と混乱させたのもあって嫌な気分に浸る暇もなかったな」
「私は何もしてないけど」
山田の顔がこちらへと向けられる。
目が合う。
「――良かったね、一郎」
山田が微笑んでそう言った。
少しだけ、綺麗だと思った。
山田デレ回。
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