休日のバイトは昼過ぎに上がれた。
今日は朝から最悪の気分だった。
何故なら昨晩エイリアンの奇襲があったからだ。
地球外生命体扱いは酷いと思われるが、そう呼びたくなるだけの厄介を被った事だけは弁明しておきたい。彼女と一緒にいた所為でバイト先にも俺が酒臭いと言われたのは悲しかった。
『少年〜、飯食いに来たよ!』
パック酒片手に俺を呼ぶ姿がマンション前にいた。
その時の俺の心情は言い表し難い。
泥酔状態の成人女性を介抱する奇異な状況ながら、俺自体が吐きたい気持ちを抑えて最後までやり遂げた。……今日は帰っても夜には山田が来る、慣れた事とはいえ面倒に他ならない。
また山田が不機嫌になる。
酒臭いとアイツは嫌がるのだ。
しかも、毎度のようにきくりさんは俺の体に噛み跡を付けて行くので、それを山田に見咎められたら爪でさらに抉られるという酷い扱いまで受ける。
俺が何をしたって言うんだよ。
何も悪くないじゃん……。
クソみたいなスタートだ。
家に帰るのも憂鬱である。
寄り道したいが、その体力も惜しい気がする。
良い暇潰しは無いものだろうか。
「おーい、もしもし」
「…………?」
前方からの声にはっとする。
いつからそこにいたのか、陽気に手を振る虹夏を見つけた。
小さな体で元気に身振り手振りする様は、見ていてどこか微笑ましい。
暇潰し…………あ。
俺は虹夏の下まで足を進める。
少しだけ体が軽くなった気がした。
「こんにちは」
「一郎くん、何してたの?」
「バイト帰り」
「そっか。お疲れ様だね」
「虹夏は何してた?」
俺が尋ねると、虹夏が笑みを深める。
企み顔にも見える表情に俺が訝しんでいると、彼女はポケットからスマホを取り出した。
液晶画面が反射した光が目に突き刺さる。
「アー写撮影に勤しんでましたっ」
「アー写?」
「アーティスト写真の事だよ。結束バンドの広告に必須だから、今日はみんなで集合して撮ったんだ〜♪」
「へえ。どんなのか見ていい?」
俺が頼むと、快諾した虹夏がファイルを開く。
再び見せられた画面には、一枚の写真があった。
何処かの壁を背にし、一斉にジャンプした四人の空中での瞬間を捉えた物。何だか青春の一幕を見ているような瑞々しさを感じる。
ひとりは顔色が悪いな。
写真に苦手意識があるので無理も無いか。
…………ん?
「あっ」
「ん?どうしたの?」
「喜多さん、結束バンドに戻って来たんだなって」
「え…………」
手を繋いで跳ぶ四人。
右端から虹夏、ひとり、山田……と視線でなぞり、最後の左端には嬉々として山田と腕を組む眩しい笑顔の喜多郁代がいる。
この前と違って吹っ切れた表情だ。
あれから自分なりの方法で悩みを解消したんだな。
「へ、へえー……」
「ん、なに?」
「一郎くん、喜多ちゃんとも知り合いなんだ」
「ひとりの入学式とか、それからも何回か会う事があって。一回だけ相談に乗ってからは、三日に一回は何故か夜に電話してくる」
バイト中の悩み相談が悪影響なのは間違いない。
一応、渡された連絡先は登録しておいた。
すると、三日に一回は必ず夜に電話が入ってきて三十分か一時間ほど通話する事になる。
内容は特に他愛も無い世間話だ。
初めは、また悩み相談かと身構えていたので思わず肩の力が脱けたのを覚えている。
それにしても、長時間の通話って体力を使うんだな。
毎回、終わった後はため息しか出ない。
喜多さんが楽しそうだから別に良いけど……。
あれは、マジで何なんだろう?
あと、山田には誰との通話かバレている。
電話の最中にロインのスタンプ連打してくるのはマジでやめて欲しい。
負の連鎖……としか言い様が無い。
「良いなー、私も話したい」
「え……」
「あからさまにメンドくせーって顔!」
「ロインのメッセージで勘弁して。これでも通話ってかなり体力使うんだよ」
「…………」
虹夏が頬を膨らませる。
そんな可愛い拗ね方されても困るんだよな。
でも、言われてみれば虹夏とはそんなに連絡を取り合っていない気がする。
虹夏からはよくロインは来るのだ。
でも、山田の世話と喜多さんの通話、それらで削られた時間内で何とか行う自分の趣味で夜はあまり対応できない。
しかも、かなり簡素な返事しかできない。
飲食店バイトで接客もしてはいるが、コミュニケーション能力の不足を毎回痛感させられる。
本当に友だちなのかと疑心暗鬼になる少なさ。
「ごめんって」
「リョウとか、喜多ちゃんとか、ぼっちちゃんとか……私は全然……」
「えぇ……」
いよいよ拗ね方が本格的だ。
放置すると駄目なタイプである。
待ってよ、きくりさんとバイトという連戦で結構消耗しているのに……。
いや、虹夏に罪は無いしな。
悪いのはベーシストだ、うん。
「虹夏、これから暇?」
「え、うん……まあ」
じとーっと俺を睨む目。
仕方無い。
「良かったら、一緒に何処か行かない?ワケあって家の外で暇潰しがしたいんだ」
「…………」
「嫌なら断ってくれても良いけど」
「……うん、うんっ!勿論!」
ぱっと虹夏の笑顔が咲く。
ぷー……気張れ、俺。
疲労を顔に出さず、虹夏に献身するんだ。
誘われた事がよほど嬉しかったのか、俺の周りを「何する?何する?」と子犬のように回って訊いてくる。
いや、うん。
大変申し上げ難いのだが………。
「ノープランです。許して下さい」
人を誘うの、実は初めてなんです。
俺と虹夏はCDショップへ来ていた。
結局、ノープランな俺に代わって虹夏がエスコートしてくれるという情けない事態。
今日ほどに経験の無さで忸怩たる思いをさせられた事はない。
これは、リベンジが必要だな。
嬉しそうに店内を巡る彼女の後ろを付いて行く。
最近はダウンロードコンテンツが豊富な時勢もあり、山田の影響で少しだ音楽を聴くようになった俺でも、CDショップなんて足を運ぶのは映画のDVDを借りる時ぐらいだろうか。
視聴用のイヤホンの前で虹夏が止まる。
手招きする彼女の隣に立つと、左右でそれぞれ分けて同じように装着する。
あ、最近街中で聴くヤツだ。
「このバンド、私好きなんだ」
「……サビの部分のノリが良いな」
「でしょっ!あ、ここのドラムの迫力ライブ映像で観ると凄いよ」
「何て曲名?」
「これはね――」
虹夏と次へ次へと色々と聴いていく。
それだけで気になる曲と幾つも出会えた。
俺は頭の中でバンド名と曲名を記憶していきつつ、虹夏の好物についても知っていく。
これが……友だちと遊ぶ、ってヤツか。
映画鑑賞は一緒にしたけど、外で何かするのは初めてだ。
うわー……これがトモダチ。
何か感動を覚えて変なテンションになってくる。
まるで自分が陽キャにでもなったように錯覚する。
そうだ。
「虹夏、それ買うの?」
「うん。これ先月発売したアルバムなんだけどノルマ分で吸い取られて買えなくてさー」
「ふむ……」
俺は彼女の手から商品を取り上げる。
値段を見れば…………よし。
「じゃあ、これ俺が買うよ」
「えっ!?」
「そういえば、虹夏の誕生日ってこの前だったろ。俺何もしてやれてないし、遅いけどプレゼントって事で」
「っ……」
虹夏が固まっているので、今の内にレジへ向かった。
やってみたかった……友だちへの誕生日プレゼント。
もう既に遅れてはいるが、彼女の買いたい物が分かった今はむしろ好機として捉えるべき。
これで、少しは普段のロインの会話の分も報われてくれ。
虹夏へのプレゼント……というより俺の心の安寧の為に思えてきて、また自己嫌悪に陥りそうだが。
会計から持って帰って来た物を虹夏に渡す。
「遅れたけど誕生日おめでとう」
「嬉しい。ホントに嬉しい……」
虹夏がぎゅっと商品を胸に抱く。
何だろう、心が痛い。
「いっぱい聴くね!」
「喜んでくれたなら何より」
「ホントに嬉しかったから。一郎くんの誕生日も、お祝いさせてね」
「ぇ…………」
びしり、と自分の顔が引き攣るのが分かった。
俺は咄嗟に顔を背ける。
CDジャケットを眺める虹夏にはバレていない。
あ、危なかった…………。
それにしても、折角祝ってくれるという虹夏の言葉にここまで拒絶反応が出るなんて、トラウマになった出来事もそうだが、あれから何年も経つのに克服できない自分にも嫌気が差す。
本当にごめん、虹夏。
誕生日を訊かれる会話の流れになる前に、俺は窓の外を見て切り上げる事を考えた。
結構長い間、この店にいたようだ。
「取り敢えず、店出るか」
「あ、そうだね。気づいたら、もう外暗いや」
「そうだな、体感だとあっという間だったかも」
「……そんなに楽しんでくれたんだ」
「ん?ああ、CDショップって面白いな」
虹夏がおもむろにスマホを取り出し、隣へ移動する。
何事かと訊く間も無く、するりと俺の腕に自分のそれを絡めた。
それから、カメラモードにしたスマホを掲げて二人をレンズ内に収めるとシャッターを切る。
………何だ?
「今日、楽しかったから記念にね」
虹夏は写真を眺めていた。
申し訳無さすぎる。
もうクリスマスのような愚を犯すつもりは毛頭ないが、未熟な精神がまた余計な事をしないか不安になる。
やめよう、考えるな。
今は楽しいんだからそれで良いだろ。
「ライブハウスまで送るよ」
「え?」
「外暗いしさ」
そう言うと、虹夏はまた笑ってくれた。
「そうだね。もう少し一緒にいたいし」
本当に心が痛かった。
♪ ♪ ♪ ♪
夜、俺は左肩を手で押さえて苦悶していた。
い、イテー…………!
結局、きくりさんの歯型は恒例の如くリョウの爪痕へと上書きされた。帰って来るなり、その仕打ちである。
その途中でナチャラルにスカーフまで取り上げられたのは、最早何か恨みでもあるのかと疑いたくなる物だった。
「一郎、痛い?」
「当たり前だろ」
「なら良いや」
「ベーシストって攻撃性高い生き物なんだな」
「ロックだね」
「滅べロック」
俺が恨み言を吐いてもリョウには通じない。
一緒に観ている映画『シザーハ○ズ』の内容も全く頭に入って来なかった。一度観たことがあるのが幸いだが、涼しい顔で観ているコイツの横顔に腹が立つ。
よく苦しんでいる人間を尻目にして優雅に鑑賞できるよな。
エンドロールに入り、リョウが時計を見る。
もう遅い時間だった。
「もう寝よう」
「……」
「一郎?」
「いや、今更ながら当然のように泊まるんだな」
「親には連絡したから」
「……………はあ」
もう何も言えない。
これが常態化している日常に抗う気さえ起きない。
当初のように、どうすれば追い出せるかという思考もリョウがいる環境下において発生する自分のストレスを如何に軽減するかという方向へ推移している。
これが慣れ、もしくは調教というヤツなのだろうか。
俺が溜め息をついていると、後ろで衣擦れの音が聞こえる。
………ん?って。
「おい、それ布団だけど」
「うん」
リョウは俺が敷いた布団に、既に半身を埋めていた。
「ベッドで寝ないのか?」
「いま酒臭い」
「くっ……」
だからと言って、布団取るなよ。
客用のヤツ、それしか無いんだぞ。
両親のベッドもあるのだが、一度寝た時は起きたら血が出るほど寝ている間に腕を掻きむしっていたらしく、赤く汚れたシーツを捨てる羽目になった。彼ら自体にはそういう事は無いが……あれ以来、彼らのベッドは利用したくなくなった。
仕方無い、俺がベッドで寝よう。
「一郎」
「あ?」
「ほら、こっち」
リョウが自分の隣を叩く。………まさか。
「そこで寝ろと?」
「酒臭いの、一郎も嫌でしょ」
「…………」
「なら、二人で寝れば良い」
そう、なのか?
確かに酒臭いのは嫌だが、布団を二人で分けるのも。
俺が逡巡している間も、リョウは隣を叩いて誘う。
いや、そもそも狭いだろ。
あと。
「オマエ、恥ずかしいとか感じないのか?」
「何が?」
「…………愚問だったな。オマエを常識で量ること自体が間違いだよな」
「なぜ急に称賛?」
「幸せなヤツだ」
俺はベッドで寝る、とだけ言って居間を出る。
取り敢えず、出来うる限りの消臭を施して後は目を瞑れば良い。存外、如何に悪臭がしようとも有毒ガスでなければ人間疲れていれば眠れるものだ。
そう、最悪ではあるが最悪の最悪ではない。
そうだよ。
雨風を凌げる屋根の下で寝れるだけマシじゃないか。
…………映画に影響され過ぎたか。
空虚な気分に浸っていた俺の意識を、ロインの通知音が呼び覚ます。
『今日はありがとう!また二人だけで遊ぼうね!』
なぜ二人限定なんだ。
でも、確かにストレスが無くて良いかもしれない。
今日みたいに虹夏の気遣いで要らぬ俺の地雷が踏まれなければ、彼女との時間は安らいでいるし、何より貴重な友だちとあって一緒にいて楽しい。
俺は『勿論。また今度』と返しておいた。
今日は色々と思い出が作れたな。
明日から頑張れそ……………ち、着信音。
恐る恐る画面を確認すると、喜多さんだった。
「もしもし」
『こんばんは!今日もお話したいんですけど、良いですか……?』
「うん」
うん、堪えろ。
今日はもうすぐ終わるんだ。
明日になれば、きっと何か変わっている……と信じて空元気で喜多さんに応対した。
それから一時間ほど通話して、やっと就寝。
…………………………酒臭ェ。
「ん………おはよぅ」
起きたら山田がベッドにいた。
何でだよ。
勝つのは誰だ?
-
山田の独占欲
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虹夏の庇護欲
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ひとりの慈愛
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喜多キターン
-
連続普通のパンチ