「文化祭ライブ?」
朝食のパンを食べながら俺は尋ねる。
俺の私室を使って着替えを終えたリョウが首肯した。
これから午前のバイトで起きはしたのだが、何故か休日はいつもなら昼過ぎに起床する彼女も活動を開始している。
その怪奇さの理由を訊けば、秀華高校の文化祭だそうな。
確かに、そんな日だったか。
ひとりが絶望した声で語っていた気がする。
台風の日のライブ以降、頻度は低いがひとりと通話する事が増えたので、リョウ程では無いが近況は把握していた。
くそ、失念していた自分が恨めしい。
こんな日に予定を入れてしまった。
学校で結束バンドのライブだって?
そんなの、是が非でも観に行きたいに決まっている。
まあ、そもそも文化祭は知っていてもライブがあるとまでは聞いていないので、仕方ないと言えばそれまでではあるのだが。
「朝から憂鬱な情報だな」
「ライブは明日」
「えっ、明日なら空いてる!」
「今日は、ぼっちのメイド服姿を楽しんでくる」
「何て???」
聞き捨てならない情報に振り返る。
ひとり、の…………メイド服?
牛乳で満たされたコップを、危うく握り潰しそうになった。どうにか踏み留まり、努めて平静を装いながら質問する。
場合に依っては――秀華高校、破壊する。
ひとりを見世物にしやがって。
ライブはひとりの夢だから良しとしよう、だがあのご尊体で客商売をしようなんて傲慢だ。
いや…………大丈夫か?
段々と心配の方が膨らんでいく。
ひとりはバイトを始めたとはいえ接客業が苦手だ。
そんな中、特に視線を集める衣装での活動なんて平時よりも心身共にダメージが多い。
公衆の面前で瀕死状態になるのでは……?
「安心してよ、一郎」
「え?」
「そうならない為に私たちという助っ人がいる」
「余計不安にさせるヤツは助っ人と呼ばない」
全く信用ならない。
寧ろ、オマエはそのひとりを見てエキサイトする側の人間だろ。
懐疑的な視線を送る俺に、自信満々の笑みを返すリョウ。バイトなんてしてる場合じゃない、と思うが外すワケにもいかない。
終了は一時、そこから秀華高校に直行するか……?
「来るの?」
「当たり前だろ。虹夏や喜多さんならともかく、オマエは不安要素でしかない」
「一郎、明日のライブだけど」
「……何?」
「今回も、この前みたいに変な団扇作ったりしてる?」
変な団扇、とは?
ライブ後、見返したらアレはあれで力作だと実感したのだ。
ライブに意気込む俺の感情と朝食を奪った山田リョウへの怒りのマリアージュ、そのすべてが見事に具現化されていた。
何なら気に入って部屋に飾っている。
変という一言で片付けられるのは業腹だ。
「ああ。今晩も頑張ろうと思う」
「…………」
「何だよ、リクエストでもあるのか?」
「うん。じゃあ、一つだけ」
「……?」
リョウが自身を指差す。
「私に向けたヤツだけにして」
意外なリクエストに、俺は思わず顔に渋面を作る。
聞きようによっては、随分と傲慢な要求だ。
団扇を作ろうと思ったのは、文化祭ライブの存在を知った今なのだが、その時点で結束バンドの皆を応援するイメージが浮かんでいた。リョウのリクエストは、それを封殺する形になる。
たしかに、山田リョウが推しだけど……。
だが、今回は少し事情が違うんだよな。
だって――。
『私ね、一郎くんが好きだよ』
告白があり、更には返答を聞かず今後さらにアピールすると息巻いている虹夏の面前でリョウ個人に限定した応援をするというのは、正直に言ってリアクションが想像したくないほど恐い。
初めて見たんだぞ、虹夏のあんな顔。
刺激したらどんな目に遭うか分からない。
「……か、考えとく」
「嫌だ」
「えっ」
「一郎―――」
「ぐぅ゛っ……!」
リョウの縋るような声、希う眼差しが向けられる。
本能が直視してはならない、と反射的に体が両耳を手で塞ぎ、目を瞑って体を背ける。
いけない。
ダメ人間に付け入る隙を与えてはならない。
俺は節度のある男だ。
決して、リョウのみを優遇するなんて出来な………でき……で……………い、今更の話か?
ちら、と薄く目を開く。
がっちりと視線がリョウと合う。
その瞬間、最初から脆くはあったが心に張った防壁がみるみる溶けていくのが分かる。
俺は力なく頷いた。
「ふっ。一郎は本当に手間を掛けさせる」
腹立つ!!!!!!!!
折れてしまった自分が心底憎い。
勝ち誇ったリョウの反応が残酷な現実を突き付けてくる。
こうなれば、一か八かだ。
リョウが恥をかくような内容にしてやろう。……というのは流石に意地が悪いし、他の面々にリョウ激推しと思われるのも恥ずかしいので別途に結束バンド全員に向けた物も用意しよう。
我ながら意思の弱い人間だと思う。
「それじゃ、私は行くね」
「はいはい。ひとりをあまり困らせるなよ」
「そんな事はいつもしてない」
「……この前、ようやく借金を返済したらしいな?」
「あう゛っ」
「知らないとでも思ったか」
気まずげなリョウの背中を玄関まで押す。
しかし、ここで指摘したものの数時間後にはケロッとしているのが山田リョウだ。
説教したって無駄なので、早く追い出すに限る。
「虹夏たちにも迷惑かけるなよ」
「うん」
「いっつもオマエの事で虹夏とは相談し合って――」
「一郎」
玄関で靴を履きながら、リョウが呼ぶ。
まだ何かあるのか。
うんざり思いながらも、彼女の声色がいつになく多少真剣味を感じたので耳を傾ける。
「――
何が???
♪ ♪ ♪ ♪
バイトが終わったので、急いで秀華高校に向かう。
着替えを終え、店長たちに挨拶をしてから店を出た。
もう既にひとりがリョウの魔手に捕まっているのではないかと思うと、普段は発揮されない分どころか自身でも把握していない未知数の脚力が溢れる。
それもこれも、ひとりの為。
脳裏には醜い想像が浮かんでいた。
メイド服姿で涙目のひとり、その傍では何やら唆す悪人面のリョウ……ああ、何て鮮明に思い浮かべられるんだ!
ひとえに山田リョウの性格面の悪さに起因する!
走れ、一郎!
ここで終わってもいい、ありったけを!
着いてリョウの罠を阻止できたら死んでも良いから!
「君、少し待ってくれ」
加速姿勢に入る直前、肩を掴まれた。
悪い想像に沸騰していた頭が一気に冷静になり、慌てて急ブレーキをかける。その拍子に肩の上の手を払う形になってしまった。
俺は振り返って、制止をかけた人物を見る。
革コートを着た、整った目鼻立ちの顔に仏頂面を貼り付けた男性である。
街を歩けば、誰もが振り返るイケメンだった。
ひとりへの心配が無ければ、俺も二度見していただろう。
「何か御用でしょうか?」
「前田一郎くんで合っているかな?」
「……あ、はい」
「いま急いでいるようだけど、優先すべき用事があるなら後にする」
ゆ、優先事項だけど。
でも、こちらも重要案件な気がする。
話す前に確認を行うという事は、俺個人に用があってわざわざ訪ねに来た人だというのが察せられる。俺自身の記憶に無いので会ったことも無いだろうし、きっとこの男性が突然押し掛けただけだ。
相手にするには怪しい。
でも、親戚の文化祭……という理由で断るのは、この俺を慮って自身の予定をずらす寛容さに失礼な気がする。
く……すまない、ひとり……!
俺は足を止め、渋々と彼と真剣に話を始める。
「いえ、慌てていただけなので」
「遠慮はしなくていい」
「……その、親戚の子の通う学校で開催された文化祭を見に行くつもりで」
「親戚……?」
男性の顔がわずかに曇る。
俺の言葉を聞き、怪訝な眼差しに変わる。
「それは、母方の?」
「いえ、違います。……あの、あなたは?」
「……話しながら歩かないか?君もその文化祭に行くつもりだったんだろう。良ければ、その道中に自己紹介と来た経緯について話させてくれ。要件は……また時間を取るようで悪いが、別の時に」
「は、はあ……」
文化祭まで付いてくるのか、この人。
知らない人と並んで歩くなんて特大ストレスを文化祭前に味わう羽目になるとは。
ただ、無表情だが申し訳無さは声から伝わる。
この男性は非常識人では無いが、急いでいたのに行き道でも話をさせてくれとは図々しいところもあるな。
仕方なく俺が承諾した事で、並んで歩く。
……仏頂面の大人って恐い。
俺も教室では普段から表情が少ないから、少し近寄り難かったと陽キャ男子から聞いてはいるけど。この人と違って、イケメンでは無い上にそんな感じだからただの怖いやつという認識だったらしい。失礼な。
「それで、あなたは?」
ともかく、この男性の素性が分からない。
ストレス緩和の為にも、少しずつ敵か味方かも探らなければいけないので自分から質問した。
「私は来栖郁人。君の実母の兄、つまりは叔父だ」
その一言で、思わず足が止まる。
「…………は?」
自分でも間の抜けた声だと思った。
見上げた先で、男は淡々としている。
ただ、こちらを見た瞳は予想通りだというように特段動揺の色が無い。
「知らないのも当然だ」
「え、叔父……」
「昔から留学していた。妹の結婚式にも参列し、彼女が事故に遭って再び帰国した時に一度だけ君に会っている。――が、まだ赤子だったからな」
「……」
頭が追いつかない。
つまり、この男は親戚だ……酷い方の。
母方ならば、昔俺を冷遇したり未だに嫌がらせの手紙を送ったりしている連中である。表向きは絶縁しているのだが、どうしてその親戚が大胆にも会いに来る?
「あの、何で俺に会いに?」
「それは、君が文化祭を楽しんだ後……にしたいが、まず言わせて貰うと謝罪だ」
「へっ、謝罪??」
「私一人が頭を下げたところで済む話ではないが」
それは、本当にそうだ……。
でも、今さら何で?
「今まで、君についての情報が私に伏せられていた」
「え」
「これでも家ではかなり期待されていてね。結果、親戚問題などが私の仕事に迷惑をかけないよう処理されていたらしい。妹の葬式時に君を預かろうと申告したが、それも遠慮された」
「………」
「他に預かり手が見つかったと聞いて安心した……が、久々に帰国して目の当たりにした家や親戚の態度と、君への風評で大体を察した」
「はあ……」
「この前も、母が君宛に手紙を書いているのを途中で発見し、その内容を見て確信した。手紙を取り上げたら、見た事もない形相でヒステリックに叫んでいたがね」
「うわ」
聞きたくない情報が次から次へと。
俺が思わず顔を顰めると、男も顔を険しくする。
「すまない、不快にさせた」
「ええ……まあ」
「妹は愛されていたからな。だからといって、寧ろ忘れ形見にする仕打ちではない」
「……俺のこと、憎くないんですか?」
「妹が守った命なら有り得ない感情だろう」
それこそ愚かだ、と男が鼻で笑う。
これは、俺に好意的な人間と判断して良いのだろうか。
今まで見てきたタイプとは一線を画している。
俺に配慮し、反応を見て逐一謝罪もしてくれる。
星歌さんや店長以外で稀に見る、出来た大人だ。
「今まで、すまなかった」
「……あなたに謝られても」
「手遅れであるのは間違いない。むしろ、心配もせず十数年間も君の様子を聞かなかった私も彼らと同類だ。前田家とも去年から連絡を取っていたが、それでも気付かなかった辺り私は度し難いほど鈍いらしい……というのも言い訳か」
「……」
「ただ、私はこれから日本で過ごす。償いにもならないことは承知しているが、困った時に頼る一つの手段として認識して欲しい。今後一切の嫌がらせを封じるのはまだ難しいが、ここに来る前に色々とあちらに言っておいた」
「……どうも」
「こんな風に道すがらで話さず、しっかりと頭を下げて謝罪すべきだが……君の時間を取るのも悪いし、詫びの品と言って荷物を増やすのも迷惑だしな」
男が片手の紙袋を持ち上げる。
……何か包装からして高級感が溢れていた。
手遅れだし、何も報われていないけど……俺を心配する人間がいたんだな。
それが、まさか叔父だとは。
「文化祭でデートの予定なんだろう?」
「え゛っ」
「前田夫妻に聞いたよ、ガールフレンドがいると」
「あー、はい(それは勘違い……)」
その勘違いが嫌な所まで伝播していたとは。
リョウの面倒臭がりが祟った結果だが、否定したところで無駄なのはあの二人の反応で知っているので訂正はやめておこう。
親戚の来訪とあって鬱屈とした気分だったが、それが案外敵ではないと分かってストレスも少ない。
それに、この人は悪くないみたいだし。
むしろ情報封鎖されながら、帰国後に俺を案じて自ら動く辺りは善良的と言える。
「目的地は、あれか?」
「はい。秀華高校です」
「そうか。なら、邪魔するワケにもいかないので私はここで失礼する……と、コレが連絡先だ。連中からまた何か攻撃があったら知らせてくれ」
「あ、ご丁寧にどうも」
男と……叔父と連絡先を交換した。
あれだけ嫌悪していた親戚の連絡先を登録する自身の現状に呆れつつも、去年までならばこのストレスだけで発狂していたかもしれないと成長を感じで感慨深くなる。
これは、リョウで鍛えられたな。
自分一人の生活だったら危なかった。
誰かと一緒に居続ける、誰かの世話をする、誰かと関わり続けた結果、ストレスに強くなったのだ。
ありがとう、リョウ。決してオマエを許さない。
「……賑わっているな」
「ですね」
校門の前に立って、俺たちは思わず感嘆の息を漏らす。
下北沢高校とはまるで活気が違う。
あちらは研究テーマみたいな物が多くて、催し物というよりは発表会なので目の前の賑いと比較すれば少し味気なく感じる。
ひ、ひとりはこの中で……。
駄目だ、再び心配でどうにかなりそうになってきた。
「じゃあ、私はこれで」
「あ、来栖……じゃなくて郁人さん」
「ん?」
「この後の予定は……?」
「特に無い。一晩中罵られながら頭を下げる覚悟で来ていたがこの状況だ、謝罪は日を改めるとして帰るつもりだ」
「……良ければ、家に泊まりませんか?」
「……それは、良いのか?」
「ここまでご足労頂いたのに今のだけで帰すのも失礼ですし」
恐らく、この様子だとホテルも取っていないだろう。
叔父……郁人さんを一晩泊めるくらいは問題無い。
それに、折角わびの品を持ってきたのにそのまま帰すというのは可哀想ではある。この人に対して自分の中で悪感情が無いのは不思議だけど。
「……なら、お言葉に甘えて。私も君の話が聞きたい」
「文化祭後は多分解散になるので、五時か六時に……住所は後で連絡します」
「ああ。訪ねさせてもらうよ――と?」
郁人さんが突然横に視線を向ける。
「あ、やっぱり一郎くんだ!」
聞き覚えのある声に、思わず体が強張る。
虹夏とリョウ、そして喜多さんがこちらへと駆けていた。
うわ、みんなお洒落。
すぐ傍まで来た彼女たちが、郁人さんに気付いて小首を傾げる。
「え、と……?」
「あー。こちら、俺の親戚の来栖郁人さん」
「初めまして!一郎くんの友だちの伊地知虹夏です!」
「山田リョウです」
「はい、喜多郁代です!」
「山田リョウ……?」
リョウの名に、ぴくりと郁人さんが眉を動かす。
それから、彼女に片手を差し出した。
「話は聞いている、一郎くんの恋人だと。――どうか、これからも彼と仲良くして欲しい」
微笑んだ郁人さんの一言に、全員が固まる。
リョウだけは、特に気にする様子も無く彼と握手を交わした。
あ、ヤバい……勘違いが変なところまで……。
ちら、と虹夏を見ると胸の辺りを押さえて「大丈夫、大丈夫」と自身に言い聞かせるように小声で呟いている。
喜多さんは……見ちゃ駄目だ。一瞬、顔を真っ赤にして俺に甘い視線を送っているのが見えたけど、きっと幻覚だ。
「あの、郁人さん……」
「ああ、すまない。私は邪魔なのでこれで――っと、そうだ」
踵を返そうとした郁人さんが、再びこちらに振り返る。
まだ何かあるのか?
既に関心がひとりに移りつつある事でうんざりしつつも、俺も足を止めて彼を見た。
「ありがとう。私は君が生まれてきて、生きていてくれて嬉しかった」
それだけ言うと、郁人さんは去っていった。
いや、あの……爆弾だけ置いて行かないで下さい。
校門前の空気が冷たい。
俺はそっと気付かれないように虹夏を見て――がっちりと本人と視線が合う。
「―――嘘つき」
殺してくれ。
愉悦部の皆さん、愉しんでらっしゃいますか?
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良い味だ。
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もっと刺激が必要だな。
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やめてよ、もうヤメてよ!!