い、いえ、何もしてませんよ。別にやっと買った『月姫R』のバッドエンドルート回収中とか、そんなんじゃありませんって。
それで勢い余ってPC版の『魔法使いの夜』を四周したとかなんて断じてありません。
アニメに触発されてニアオートマタをプレイしてたとか、絶対違いますから!?
「ぁっ」
切れた弦が目の前で一瞬跳ねる。
う、そ――こんな事って。
普段なら、こういうアクシデントもロックだと見栄を張って一笑に付したところだけど、状況が状況なので一切そんな余裕は無かった。
昔からの夢ではあったけど、クラスメイトが「文化祭でライブやってたらカッコいい」なんて何気なくこぼした一言に釣られてまんまと参加したのが始まり。
厳密に言えば、一歩手前で踏み留まってうじうじと悩んだけど喜多さんが背中を押してくれて、店長さんやPAさんが相談に乗ってくれて、お姐さんのライブで元気付けて貰って、虹夏ちゃんやリョウさんがライブでの立ち回りで私達の文化祭だからってソロパートまで作ってくれて………。
みんなが、私のそんなワガママに付き合ってくれた。
みんなが、応援してくれた。
楽しみにして、お父さんたちやファンの二人、クラスの人たち……それにいっくんだって来てくれた!
もう、前のように不安な気持ちになんてさせたくない。
絶対、成功させなきゃいけないのに。
今日に限って、何で!!
「っ――!」
い、いや、まだ諦めるのは早い!
せめて、2弦のチューニングだけでも済ませれば何とか繋げる!
多少の変更は余儀なくされるけど、乗り切るしかない。
私は演奏の手を止め、2弦のペグを回――!?
あ、あれ。
回らない。
もしかして、故障!?
ここにきて、2弦も使い物にならないなんて事態に陥るなんて、運が悪いどころの話じゃない。
何で、どうして、いや、そんなことより、ああ、待って、違う、取り敢えずまず、いやそれより、うあ、ぐうう………!
一瞬、俯いた事で下にいるいっくんと視線が合う。
あ――また、不安な顔を、している。
だ、駄目だって。
私がさせたいのは、そんな表情じゃないのに!
も、もうすぐソロが来る!
リョウさんが企画してくれた、文化祭で私に華を持たせてくれる貴重な時間が……。
せ、折角の文化祭ライブなのに……私の機材トラブルで全部台無しになる……!
どうしよう……どうしよう……どうしよう………!!
駄目だ、もう終わった。
ごめんなさい、みんな。
ごめんね、いっくん……私じゃ、やっぱり幸せに出来ないんだ……。
「え……喜多さん……?」
予定にない、喜多さんの演奏。
う、上手い……私が教えていた頃よりもずっと成長してる。
でも、どうして。
「!」
「―――」
刹那、喜多さんと視線が合う。
そっか、私の為に繋いで……諦めるなって励ましてくれてるんだ。
そうだ、喜多さんが諦めてないのに私が先に折れるなんて絶対にあっちゃ駄目なんだ。
探せ、何かないか!
即席でいい、多少の不格好でも今は許容する!
私の文化祭だけど、喜多さんとの文化祭で、結束バンドのライブなんだ!
私は手元に、壇上に視線を奔らせる。
この窮地を切り抜けられる微かな光明でも目に留まらないかと、必死に探って………。
♪ ♪ ♪ ♪
ひとりのギターが発する些細な異変。
きくりさんや店長が察知した不安の種に胸が騒ぎつつも、俺はそれを顔に出さないよう努めつつ、壇上できくりさんが飲み散らかしたカップを回収していく。
大丈夫。
ひとりは頑張ってきたんだ。
こんなところで失敗するワケがない。
必ず報われる筈だ。
だって、ひとりが勇気を出して挑めばどんな事だって乗り越えられる。台風の日のライブも然り、必ずひとりは成功に導く。
俺は心の奥底で、そんな言い訳を思いつく。
それが、甘い考えだったのかもしれない。
「ぁっ」
歓声と『結束バンド』の音に満ちた館内で、ひとりの息を呑む声がはっきりと耳に届いた。
今まで注視していたのもある。
だが、その声に無事を祈り続けていた緊張の糸が最悪の形で断ち切るだけの衝撃があり、俺もまた同様に思わず呼吸を止めた。
カップの最後の一つを掴む手が硬直する。
「ひとり――!」
演奏中、ひとりのギターの弦が一本切れた。
力無く垂れた銀の糸の終端で光がひらめく。
最悪――と呼ばざるを得ない。折角の文化祭ライブで前回よりも手痛いアクシデントだった。
音の調子が合わない、先んじて感じ取ったこの不調はまだ許容範囲に収まっていたが、それさえも次なる事態のほんの兆候でしかなかったのだ。
ひとりの双眸が絶望で暗くなっていく。
白い肌に嫌な汗が滲んでいくのが分かった。
ひとりの悲痛な表情に、俺の体が動き出そうと前のめりになった。
演奏中に部外者が立ち入るのはまずい。
行動を阻止したのは、体に巻き付いたきくりさんの重さと、辛うじて息を吹き返した泣け無しの理性だった。
無闇に手を出してもロクな結果を招かない。
そも、俺では対処できる話じゃない。
現に、体は動いたけど頭は空っぽだ。
何をしていいか、どうしたらいいかなんて考えは一切脳内に浮かんでいなかった。
そこが、素人と経験者の違いだろう。
「………(せめて2弦のチューニングだけでも)!」
ひとりの指先が迅速に動く。
損傷した1弦はどうしようもない。
替えのギターも無いし、張り替える手間暇を演奏中で行ったってかなり時間を要する。ならば、失くした可能性に固執せず残る不穏の種となる2弦だけでも修正しようと行動に転じる。
でも、それでどうにかなるのか?
見ている俺は勿論、隣で異常を察した喜多さんが視線をひとりへと投げ、すぐに瞠目する。
その間も演奏は続く。
屈み込んで、即座にチューニングを始めようとしたひとり。
その動きが――またも止まった。
何があった?
「ペグが故障してる」
「ペグ……?」
「弦を張る部分のやつだよ」
え、アレが故障って……え!?
それでは、もう直しようが無いじゃないか!
万策、尽きた。
ひとりが完全停止している。
俯いていても分かるほどに顔は青褪めていた。
「あれじゃ、2弦も使い物にならない。ソロ、無理だぞ」
「え、ソロ……?」
「あっ、いけね。ぼっちちゃんに秘密にしとけって約束してたのに」
きくりさんの顔が引き攣る。
え、ソロって……。
まさか、これからひとりの独奏シーンがあるって事なのか?――この状況で、このアクシデントで!?
ひとりが……報われない?
楽しみにしていた夢の文化祭ライブをこんな事で失敗させて、一生分のトラウマとして刻んでいくのか。
そんな理不尽があっていいのか。
俺は、俺なんかは救われたのに?
「何で」
何で、ひとりにはこんな酷い仕打ちなんか……。
この状況が運の所為だというのなら、俺の物を全てひとりに費やしてこの状況を挽回してくれ。神の仕業だというのなら殴り倒してでも事態を好転させる。悪魔の罠ならば名前が記録から消えるまで滅してひとりを救済させる。
……頼むって……誰でも良いから……ひとりに、そんな酷い事しないでくれよ……。
頑張ってきただけじゃないか。
誰かに迷惑かけたワケじゃない。
ギターで誰か不幸にしたワケでもないし、何なら人だって救ってるじゃないか。
何で、こんな。
景色が真っ暗になるような錯覚。
ひとり本人が味わっている物に比べたら他愛ないはずなのに、途方もない絶望感に潰れそうになる。
ふざけんなよ、ホント……何で、ひとりがこんな目に…………――――?
「……何だ……?」
暗く沈んでいきそうだった意識を、掻き鳴らされたギターの音が叩き起こした。
顔を上げれば、いつになく険しい顔で力強いギター演奏を繰り出す喜多さんが目に入る。――この時は知らなかったが、後にバッキングという奏法の応用らしい。
喜多、さん?
え、凄い。
素人でも分かる技術力。
ギター、始めたばっかりじゃなかったのか?
「う、上手……」
「喜多ちゃんのアドリブだね」
「アド………!?」
きくりさんの冷静な解説に、思わず眼球が飛び出そうになった。
どうしてこのタイミングでアドリ………あ、まさか、ひとりのアクシデントに対応したのか?
唖然とする俺の前で、喜多さんが再びひとりを一瞥する。
信頼に満ちた眼差しだった。
それを受け、予定にない喜多さんの果敢な挑戦に驚いて上げられていたひとりの顔に生気が戻る。
力を取り戻した彼女を見ただけで、止まっていた呼吸を再開したかのような解放感を得る。
そして、ひとり強い眼差しは少しだけ周囲を迷った後。
「いっくん、ソレ!」
「え、あ、え?」
さっと素早く屈み込んだひとりが俺に手を伸ばす。
え、ちょ――!?
こちらが何事かを理解するよりも速く、するりとひとりは俺の手中にあったきくりさんが空にした最後のカップを取り上げる。
手にするや、ぐわっと体を引き戻したひとりは、離れていく途中で俺を見て微笑んだ。
「――見ててね」
囁かれた言葉。
直上から差す照明の光を背に、ひとりが――否、ギターヒーローが立ち上がったのを直感した。
置いてきぼりの俺の眼前で、カップをネックと呼ばれる部分に滑らせると、ギャアアアンと不思議なサウンドが発せられる。
な、何だ?
ふと、それまで二人の躍動を見守っていたリョウと虹夏が互いに視線を交換し、頷いたのが見えた。
まさか。
まさか。
ひとりのアクシデント、喜多さんのアドリブ、ここまで予定を狂わせる連続の出来事にも対応し、それすらも乗り越えて直前で復活したひとりに合わせようというのか!
「す、スゲェ……」
俺が一人、感動に打ち震える中でひとりのソロが本格的に始まった。
よ、よくわかんないけどすげー演奏しながらすげー音出してる!!
語彙力を喪失した俺が変な笑顔を浮かべていると、傍らで二人が噴き出す声が聞こえた。
「この土壇場でボトルネック奏法とか普通やるか!?」
「あれならチューニング、ズレてても関係無いもんね!」
「えっ、そうなのか……取り敢えずスゲー!」
「い、一郎………」
今はもう何でも良い。
ただただ――――『結束バンド』がカッケェ!!
最前線だから具に見えた、四人の連携。
ライブ前までの後悔だとか、先刻までの絶望感などすっかり吹き飛んでしまった。
最高だ、このライブ!!!!
ひとりの機転と、それを紡ぐまでの時間を作る為に頑張る喜多さん、そして二人を裏からひたすら支えるリョウと虹夏の音の壁。
ここにきて『結束バンド』の面目躍如、凄まじい結束力を見せてくれている。
ひとりのソロパートが終わる。
一瞬出来た間隔に、ひとりが深く吸った息を不安や疲れごと天井に向けて吐き出す。
汗が顔から頤を伝って、首を滑っていく。
顔を前に戻したひとりと、また目が合った。
その顔は、今まで見た事が無いくらいには堂々としていて、ステージにありながら俺に笑いかける。……い、イケメンだ……!
今回もまた、お待ちしてました――ギターヒーロー!
再び始まる彼女らの演奏がラストスパートを駆け抜けていく。
唐突に投げかけられた喜多さんのウィンク、いつもなら怖かったが今は手を振って返せるほどに昂ぶっている!
俺は歓喜に震えながら、結束バンドの音に両手を上げて最後まで感動していた。
そして、最後の一曲が終わり。
「うおおおおおおおお――いでっ!」
観客と一緒になって歓声を上げた俺だったが、不幸にもそれが星歌さんの耳元だったので、うるさいという意味を込めた彼女の手刀に打たれて遮られる。
り、理不尽すぎる……今だけでも許してよ……。
いや、この感情は収まらない!
これしきの事で……!
「うおお――いたっ!?星歌さん!?」
「気持ちは分かるけど、アイツら喋るから一旦止まれ」
星歌さんが顎で壇上を指す。
『あー……えっと……〜〜〜〜〜っ!感動しちゃって、言いたい事吹っ飛んじゃったんですけど……これだけ言わせて下さい!
今日はホントにありがとう〜!!この日のライブを皆が自慢できるくらいのバンドになります!!!!』
感極まった虹夏の言葉に、会場がさらに熱気を高めた。
「いいぞー!」
「武道館まで行っちゃえー!」
「山田はケーキ返せーー!」
「ご……なんとかさんも凄かったぞ!」
「弦切れたのに頑張ったねっ!!」
次々と称賛と応援の声が上がる。
その中に、俺のヒーローこと後藤ひとりを褒め称える言葉があったのを聞き逃さなかった。
きくりさんを体から引き剥がしつつ、俺は頷く。
うん。
でも、今回はひとりだけではない。
ひとりがしっかりと実力を発揮できるように三人が動いたからこその結果だ。あのまま混乱していたら、絶対に導き出せなかった。
凄い、凄いぞ『結束バンド』!
もう語彙力とか要らないから、取り敢えず褒めさせてくれ!
『結束バンド』の努力が結実した現実を目の当たりにしてひたすら感動する俺同様に、喜多さんもまたひとりを称賛する声を耳聡く聞き咎めていたようだ。
ここぞとマイクを片手に、彼女へと……?
「ほら、後藤さんっ!何か言わなきゃ!」
「えっ」
「え゛」
ちょ、喜多さん。
勘弁してあげてよ……ひとりはここまででかなりの精神力を消耗した筈だ。ソロでは神がかった彼女だが、極度の人見知りで他人に合わせるだけでも苦労があり、それを更にライブで失敗させまいと行いつつ、多人数の前で練習通り披露しなくてはならないという普段から三重苦を背負わされている。
そこに加えて予想外のアクシデントもあった。
正直、もういつパンクしても可怪しくない。
嫌な予感がしつつも、ひとりを見ると。
「なに、か面白いこと……面白いこと、面白いこと面白いこと面白いこと………」
ご覧の通り、完全に混乱している。
顔色は青褪めるどころか真っ白になっていた。
ヤバい、これは……また誰にも予想できない何かが起きる。
暫し彷徨ったひとりの視線が、俺たちに注がれる。
ん……何だ?
俺たちを見た途端、光明を見出したかのように目を見開いたひとりは、速やかにギターを足下に置くや――床を蹴って飛び出した。
………は!?
頭上に、ひとりの影が躍る。
思考は一瞬遅れる………が、体は反射的に空を飛ぶひとりを追う。
「ッ――!」
次いで、ようやく追いついた思考で落下地点を予測し、下へと転がり込む。
幸い、そこには脈絡も無い彼女の跳躍に怯えて人が捌けたがために充分な空白が生じている。
大丈夫、俺が受け止め―――――んぐぅっ!?
……受け止める事には成功した。
お互いが床に叩きつけられる、なんて事も無かった。
そう、怪我はない。
ただ一点。
無事、ではなかった。
「…………!?」
「!?!!!???!?!!?」
少し仰け反るような俺と正面から抱き合うひとり。
顔は……近すぎて見えない。
唇に何かが密着しているが、想像する必要も無いほどに同じ物が潰れるほど触れている感触がしていると分かる。
周囲も、それを見て固まっていた。
そこかしこで、「きゃっ」なんて腹の立つ声も聞こえた。
つまり、えと。
俺はひとりの肩を掴んで、そっと離す。
「え、えと………ひとり……?」
「ぁ、あ、あ、あ、ああ、あ―――――こひゅっ」
「ひとり!?」
唇を離して、互いにこの気まずい状況をどうするか相談しようとした矢先、顔を真っ赤にしたひとりが白目を剥いて脱力する。
全身から力を失って床に崩れそうな体を、俺は慌てて抱き竦めて止めた。
き、キャパオーバーだったか……。
俺も普段ならあたふたと慌てているところだが、俺以上に相手が混乱していると逆に冷静になる。
う、ううむ……どうしようか。
そう思っていたら。
「「「「「きゃああああああああああああああああ!!!!!!」」」」」
会場が、何故か湧いた。
いや、心配しろよ。
今回のラストシーンで一番メンタルがアレになる人は?
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山田リョウ
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伊地知虹夏
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後藤ひとり
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喜多郁代
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緋村抜刀斎