毒♡闇の香水でリョウが野獣と化し、これをどうにか鎮めて遅すぎる晩飯を作っていた。
既に十一時を過ぎている。
体力も削られて、もう風呂に入ったらそのまま寝ようと考えた俺に、愛しくない恋人から飯を作れとの命令を賜った。
クソが。
「ん。もう起きれるのか」
「い、一郎の鬼畜……」
「いや、何か途中から腹が立って」
何にとは言わないが。
ふらふらと居間に来たリョウが、机の上で何かを始める。
気になったが、料理の手を止めたらまた文句を言われそうなので、早く餡掛け焼きうどんを仕上げる。この時間帯に食うと女子から途轍も無い顰蹙を買いそうな料理だが、リョウは気にしないだろう。
……気にしていたなら、むしろザマァ見ろ。
「『未確認ライオット』?」
配膳の時、リョウが勝手に俺のPCを使って調べ物をしていたので気になって後ろから覗いたら、検索ページに『未確認ライオット』と出力されている。
概要欄を見れば、出場対象を十代アーティストに限定したロックフェスらしく、優勝まで四つの審査を乗り越えなくてはならない。
毎年の如く出場するアーティストが多いので熾烈な争いになるが、その分でも業界が注目しているフェスでもあるので、ここからメジャーデビューを果たした例があるとされる。
こんな催しがあるとは。
リョウや虹夏、身近に音楽をしている人からよく話は聞いているが、やはり自分が未だこの業界への知識も認識もかなり浅いのだと思い知らされる。
「これに出るのか?」
「……色々あって」
「色々、って今日のライブで何かあったのか?」
「別に」
「…………ぽいずん♡やみ」
ぴくり、とリョウの柳眉が動く。
やはりか。
どうやら、『結束バンド』に忠告なる厳しい言葉を投げつけたというのは本当だったらしい。顔と外見に似合わず……いや外見通りのキツい人のようだ。
あれを受け止めて、リョウは『未確認ライオット』を調べた……何故?
「どうして、これを?」
「……今日、私たちの音楽がお遊びだって言われた」
「……」
「別に遊んでたつもりじゃないけど、確かに本気でやってるバンドからすれば悠長なのかもって思って」
「だから、ソレに出場して自信を付けようって?」
「……うん」
お遊び、か。
最初から明確な目標を持って行動する連中と比較すれば遅いというリョウの意見も、あながち間違いではないのかもしれない。
ただ、やはりバンドとはグループ活動である。
足並みが揃わなければ必ず何処かで破綻してしまう。
果たして、『未確認ライオット』の出場というリョウの提案と全員の意見が合致するか否か。
「良いと思うぞ」
「本当に?」
「嘘言ってどうするんだよ。……ぽいずん♡やみさんの意見も広く見れば確実にある物だし、そういうのを弾き返したいならうってつけのイベントだ」
「…………」
「不安か?」
「いや。……これで失敗したら、みんな挫けそうって思った」
リョウが検索ページを削除し、ぱたりとPC画面を閉じた。
「お腹空いた」
「……まあ、食っててくれ」
リョウが餡を絡めたうどんを啜り始めた。
空腹の状態で待ちに待った食事だといえのに、その横顔はやや翳りがある。
……うーむ。
俺はPCを自室へと運び、さっきの『未確認ライオット』について再検索した。
大きなイベントだからこそ失敗の体験が強烈になる、か。
リョウの危惧は尤もだ。
これで、むしろ自身らの実力の無さを痛感して断念するなんてアーティストの話は、きっと俺が知らないだけで有り得るのかもしれない。
では、『結束バンド』は?
俺の知る彼女たちは――。
「ん?」
悩んでいると、スマホが着信で震える。
喜多さんからだ。
「もしもし」
『もしもし、先輩。今、少しお時間よろしいですか?』
「何、そんな物凄く畏まって」
『実は、今日のライブで』
「……どんな事があった?」
先を催促すると、喜多さんが説明し始めた。
概ねぽいずん♡やみの自供とリョウの話と同じだ。
『みんな、今回の事で自信を失っちゃったかもしれなくて』
「……つらいな」
喜多さんの相談事もそこか。
ギターヒーローにしか着眼されないバンド、ぽいずん♡やみが世間の総意ではないけど、虹夏たちにとっては無視できない。
突きつけられた事実に、気にせず次に行こうなんて判断をしたら、それこそバンドメンバーの関係に亀裂が入る。
慎重に考えなくては、薄氷を踏み抜く危険な状態だろう。
俺は部外者だから、一体どうやって彼らを支えられるだろうか。
かける言葉もまた選ばなくてはならない。
どう、すれば……。
『はい。だから、考えたんです!』
一人で悩んでいたら、喜多さんが声を張る。
「え?」
『皆に自信が付くような何かが無いか探したんです!』
「ん?というと?」
『先輩、『未確認ライオット』って知ってますか?』
…………。
…………………。
喜多さんの口からその名前を聞いて、俺は思わず。
「は、はははは」
「えっ?」
笑ってしまった。
え、と若干引いたような喜多さんの声がする。
ごめんなさい、真剣に悩んで出した答えに失礼な反応だったよな。
『ど、どうされたんですか?』
「いやいや。思わず感動しちゃって」
『え?』
「いや、こっちの話」
『………?』
「喜多さんのお陰で、俺も背中を押す覚悟が決まったよ」
俺はカーソルを『印刷』に合わせ――思い切ってクリックした。
居間へと戻ると、既に俺の分の餡掛け焼きうどんは冷めていた。
かなり時間が経った証拠である。
どうやら、存外俺もかなり悩んでいたらしい。
リョウもすっかり食事を終えて、映画鑑賞を始めていた。……もう十二時なんだが?
作品名は『ジェーン・○ウの解剖』。
ジャンルはホラー、俺も一度は観たやつでラストシーンはいつ思い返しても絶望しかない。…………それを十二時に??
「リョウ」
「……ん?」
「これ、観た後に寝れないとか言うなよ」
「………………………え、グロいの?」
「いや、そんなに」
「なら大丈夫」
「オマエ、この前もそう言って俺の布団に潜り込んで来ただろ。マジでやめろよ、突然過ぎてひっとか変な悲鳴出たし」
思い出したくも無い。
ホラー映画鑑賞の後、一人で寝ていたら「キィィ……」とか不気味な軋みを上げて扉がゆっくり開き始めて、その後に布団の中を何か別の物が這い上がってくる感覚がした。
恐る恐る確認したら、人の目。
これで近所迷惑になる音量を爆裂させなかった俺は称賛に価する。
そして、それが山田リョウだと気付いて蹴り出さなかった部分もまた素晴らしい。
「一郎も怖かったんだ」
「映画じゃなくて、オマエがな」
「布団に女の子が入り込んでくるなんて怖い要素無いでしょ」
「むしろホラーの定番シチュエーションだよ」
女性の霊は、ホラーではよく観る。
布団の中とかテレビとか窓から奇襲を仕掛けてくるのは定石と言っても過言ではない。
「でも今日は大丈夫」
「そうか」
「寝る時は最初から一郎と一緒だから」
「日本人に日本語でも話って通じない時あるよな」
コイツ俺の話を全く聞いてないな。
呆れて会話を続けるのも面倒だったから、俺は自室から携えてきた物を机の上に置く。
リョウがそれを見て、目を見開いた。
「…………」
「気が向いたら、持っていってくれ」
「……うん」
リョウがソレを手に取る。
俺が印刷したばかりの『未確認ライオット』のフライヤー。
印刷で躊躇っていたなら、俺が代わりにやろう。
後はそれをどうするか、リョウ次第だ。
「……あのさ」
「ん?」
「どんな結果になっても」
「たしかに『結束バンド』のファンではあるけど、俺は前提としてリョウの音楽のファンだから、程々に期待はするけど何をしたって幻滅したりはしない」
「程々、って」
ぷ、とリョウがイラッとくる顔で噴いた。
ほんの少しだが、不安を解消できたらしい。
でも、大丈夫だ。
残りの部分だって、きっと消えていく。
さっきの喜多さんとの電話を思い出して、笑いそうなのをぐっと堪えた。明日になればきっと、また『結束』して新しい一歩を踏み出してくれる筈だ。
「頑張れ、リョウ」
それが、俺の知る『結束バンド』である。
× × ×
もうすぐ冬休み。
着々と受験本格化の三年生が迫っている俺からすれば何も安心できない季節の到来だが、それでも時間は巡るので世界は恨まない。
さて、どうしたものか。
「あっ。少年見っけー」
「うわ、きくりさん」
「酷いぞー。私を見てそんな反応しないでよ」
「今日は何用ですか」
土曜の午前バイトを終えた帰り道の途中、きくりさんに遭遇してしまった。
今日もまた臭いが強烈だ。
幸いにもリョウが家に来ない日なので接触しても構わないが、これがもし彼女の鼻に届いてしまったら危険な事になる。
抱き着くきくりさんを引き剥がそうとしていたら、鼻先にチケットを突き付けられた。
「……これ」
「そう!クリスマスにやるんだよね!」
「へー。絶対行きます」
「だと思ったー。少年は私のファンだしねー」
きくりさんがバシバシと肩を叩く。
割と痛くないのは、鍛え始めたからやっぱり痛い。
「ま、少年は恋人もいないからクリスマスもバイトがノープランって感じだったろうし!お姉さんが真っ先に持ってきてやったんだぞ――」
「いえ、恋人いますよ」
「……………………………へぁ?」
心底意外だったのか、きくりさんが硬直している。
幾ら引き剥がそうとしても離れてくれないので、俺はそのままきくりさんを背負って歩き出した。
背中の上では、まだ停止状態。
うん、静かだし暴れないから運びやすい。
いつもなら一緒にいる時に目立ってしまって凄く嫌なんだが、今日は穏やか……土曜の昼間から飲んだくれの介抱をしている少年という事で既に注目されていた。周囲からの視線がメチャクチャ刺さってる。
「うっ、う……」
「きくりさん?」
「あの少年が、どうどう恋愛までじでるなんで……私なんで陰キャだっだのに゛、少年が陽キャになっぢゃっだぁ〜!」
「ちょ、きくりさん。泣かないで下さい、目立つから」
俺の背中の上で大の大人が号泣し始めた。
ますますこちらを気にしだす衆目から逃げるように、俺は家までの道を早足で辿った。
家に着いて、きくりさんを床に下ろす。
まだぐすぐすと洟をすすっている。
俺に恋人が出来た事が、どうやら陰キャのコンプレックスらしき部分を悪い方面で刺激してしまったようだ。
それにしても、俺が陽キャって。
陽キャに転向していたら、今頃はもっとクラス内で友だち増えてるハズなんだけどな。
「きくりさん、大丈夫?」
「うん゛、ごべんね。嬉しさ半分憎さ半分で」
「意外と半分が剣呑」
まさか、その内きくりさんに背中を刺されるなんて事があり得るかもしれない。
最近の様子だと、むしろ虹夏に背後からスネア・ドラムで頭をかち割られるかもしれないけど。
しかし、そうだな。
きくりさんは、去年から事情は知らずとも俺の孤独を理解して寄り添ってくれた数少ない大人だ。
だからこそ、変化には鋭い。
成長する我が子を見るような気分……とまではいかずとも、俺が少しずつ変わっていくのに何かを感じ取ってくれる程度には俺を思ってくれているのだ。
「何だか寂しいなぁ」
「え?」
「少年には『結束バンド』っていう新しい推しもいるし、もう寂しそうじゃないし、お姉さんはお役御免かー……」
きくりさんがたははと笑う。
…………。
「いや、そんな事無いですよ」
「んぇ?」
「普段はアレですけど、割とガチで俺きくりさんのこと尊敬してるし大好きですよ。あなたがいなかったら、去年は『結束バンド』の結成を待たずして折れていたかもしれません」
「え、あ」
「きくりさんが不要か必要かと言われると、まだ断然後者です。『SICKHACK』の音楽も、きくりさんの言葉も俺には絶対欠かせません」
「ま、お、ちょ……?!」
「なのでこれからも宜しくお願いします。俺はバンドマンとしてもプライベートの状態でも、きくりさんのファン辞める気はありませんから」
きくりさんは恩人だ。
そこだけは絶対に曲がらない。
俺が今も二本足で立てているのは、推しではあったがまだ寄生虫としての面が強過ぎてストレスだったリョウとか、親戚関連とバイトの疲労で色々と参っていた俺は『SICKHACK』の定期ライブで救われてきたんだ。
今年の一年を、それこそ『結束バンド』結成を耳にするまで生き残れたのは、きくりさんもいてくれたから。
「ぁ、あははー……少年、そ、そんな熱烈に口説かれてもお姉さん困っちゃうぞー」
顔を真っ赤にして、きくりさんは戸惑っていた。
いや、赤いのは酒の所為だろう。
取り敢えず、ちょっと嬉しそうなので俺の気持ちは伝わったようだ。
「きくりさん。風呂入ります?」
「あ、うん。……ちょっと待って、腰抜けて動けない」
「……仕方ないですね」
「ひょわっ!?」
自分で動けないそうなので、横抱きで俺はきくりさんを持ち上げた。
う、薄手のワンピースってやっぱり感触が……。
いつも抱き着かれて犇犇と感じてはいたが、自分から触れるのもまた違う感じがして。
し、心頭滅却。心頭滅却。
リョウに食われるし、虹夏に殺される。
「は、はれ?逞しい……何かドキドキする。ま、まずいってそれは……」
俺は煩悩を殺し、腕の中で真っ赤に小さく縮こまって何かをブツブツ呟いているきくりさんを運んだ。
現状、この中で最も強いのは?
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山田リョウによる独占
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とある伊地知虹夏の一方通行
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後藤ひとりで恋愛は間違っているだろうか
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Re:ゼロから始める喜多郁代推し活
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俺の廣井きくりラブコメは間違っている