誰かふたりちゃん呼んできてー!?
家に帰った俺は、居間の入口で固まる。
数時間前に交際関係を解消した元恋人が当然のようにソファーに座っていたからだ。
相変わらずの無表情で、顔から感情を読み取るのは難しい。それこそ変人と呼ばれて喜ぶ思考に予測なんて無意味だ。
「逃さない」
いつものような「おかえり」ではない。
挨拶ではなく、宣告である。
一言で俺はリョウがどんな状態かを理解した。
頭の中の詳しい情報までは察せないが、リョウを動かしている感情の正体は怒りだ。
俺に対し、嘗てないレベルでキレている。
一方的に別れを切り出して、相手の意思も問わず帰った暴挙が最悪の形で作用していた。
当然の感情である。
それを予測していなかった俺が浅はかなだけ。
「……匂いがする」
すっと音もなく立ち上がる。
たったそれだけの動作に、俺の足が一歩だけ後退る。
リョウから感じる迫力は、暴走した虹夏と似ているようで、また別の命の危機を体の中に喚起させた。
逃げたい。
向き合わなければならないのに、逃げたい。
ただ、このまま背を向けて逃走したら余計に拗れる予感があって、これ以上など想像も付かないから怖くて動けない。
床を踏むリョウの軽い足音が脳裏で響く。
緊張のあまり、瞬きを忘れていた。
「り、リョウ。あの」
「どっちだっけ。……右?」
リョウが俺の右肩に鼻を埋める。
戸惑う俺などお構い無しに密着した状態で深呼吸を始めた。
服を抜けた吐息の熱が蟠って熱い。
何これ……猫吸いみたいなやつ?
あれは癒やされるから良いが、俺の匂いはどんな効果があるんだろうか。
「うん。臭いね」
「堪能した割に低評価すぎる」
「私が好きなのはこっちだから」
「……左肩??」
リョウの白い指が左肩をつつく。
左右で違いが出る……フェロモンか何かかな。
そんな物が出ていると考えると、人間としては生理的に当然の事のだろうが、自分の場合を考えると気持ち悪い。
「右と左で何か違いあるのか」
「今日はあるよ」
「今日?」
「うん」
何だか別れた直後とは思えない呑気な会話だ。
怒っていると推測したが、読みを外したのだろうか。
意外と会話に応じてくれる。
「右は、知らない女の人と触れてたから」
知らない女の人……。
俺は言葉の意味を理解しようと頭を働かせ、右肩に因んだ出来事と言えばヨヨコを支える為に密着していた部分だと気付く。
なるほど、それで匂いが違うのか。
ヨヨコの物が移ってしまったのかもしれない。
「なるほど。たしかに――ん?」
納得してすぐ、疑問が湧く。
どうして、俺がヨヨコ――女性と一緒に居た事を知っているんだ?
もしかして、家に来る途中で見かけたのか。
俺はあの後、結局ヨヨコを家まで送り届けたからリョウがそれを目撃し、先に家に着いているのは当然か。
大方、俺と話がしたくて来たんだな。
「あのさ、一郎」
「ん?」
「今から死ぬほど酷い事するけど良い?」
「それで首を縦に振れる人類を俺は知らない」
斬新な脅迫だな。
…………冗談だよな?
リョウに手を引かれて、俺はソファーに座らされた。
これから一体、何をされるのだろう。
否、受け身では駄目だ。
また流されてリョウとなあなあで事を進めてしまっても碌な結果にならない。
まずは話し合いをしなくては。
「リョウ。別れるって件について――」
「好き」
「………ん?」
え、今何て?
「ん?聞こえなかった?」
俺の反応が薄かったからか、リョウが小首を傾げる。
さっきまでの迫力が失せて、いつもの彼女の雰囲気に戻ったから危険を感じないが、これから始まる事についてはやはり予想もできない。
いや、それより何て言った?
「私は一郎が好きだって――
…………。
耳を疑う情報に俺も首を傾げる。
いつものように俺を誂っている……のか?
どちらとも判じ難いリョウに、俺はその言葉を上手く受け止められない。
それにしても、また突拍子も無いな。
好きだ、ならまだ分かる……いや分からん。告白された経験なんて虹夏しか無いし、恋バナするほど親しい友だちが他にいなかったから、こういう展開に対する見識が浅いので判断が難しい。
好きだ、という事にしておく。
その言い方は、好意だとリョウも確信が持てない状況……という事か?
「あの……どういう意味?」
「別に何でも良かった。一郎が取られなければ、友だちでも恋人でも肉体関係でも」
「最後のエグ味が強過ぎる」
「これは『独占欲』で、別に『
俺の話なんて聞いていない。
正面に立っているリョウの瞳は俺なんか見ておらず、まるで独り言を呟いているようだった。
な、何なんだよ。
俺はこれ、何に付き合わされているんだ?
コントだというのなら高度過ぎて伝わらない。
「でもさ、好きの形って人によって違うとかテレビでも音楽でも言ってたし」
「は、はあ」
「それで、やっと分かった」
「イダッ!!?」
リョウの手が俺の頬に振れる。
優しく肌の上を滑る手付きに一瞬緊張感が緩んで――がっと握り潰すように耳を掴まれた。
激痛で声は上がるが、体は固まった。
「――これが『
掴んだ耳に息を吹き込むように囁かれる。
リョウの手が離れて、俺は解放された耳を擦った。ずくずくと心臓のように鼓動している感覚がして涙が出そうだった。
うずくまる俺に対し、リョウが顔を近付けて来る。
「今度は聞こえた?」
「……!?」
「耳、真っ赤で痛そう。……別れようって言われた時、たぶん私もそれくらい痛かった」
「ひっ………!」
怖くて言葉が出ない。
リョウから逃げたいが、背もたれで後ろには退けないし、リョウが背もたれに手を突いて左右に移動するのを阻止されている。
リョウの言葉と、姿と、吐息で五感が支配されていた。
集中しないと、さらに甚振られるかもしれない。
「一郎のご飯が
――――一郎の全部が
怒涛の勢いで紡がれる言葉を、痛みで冴えた頭が一つずつ飲み込んでいく。
本来なら、喜ぶべき言葉なんだろう。
でも………ただただ、怖い。
寄生虫と宿主の関係だと侮って、それが深く繋がって仕方無しと恋人だと名付けて一段落させたと思い込んでいた。
俺とリョウは同じ。
柵に囚われたくないという強い思いがあって、曖昧な関係を甘受していた。
踏み込んだ気持ちは無いと高を括っていた。
……だが、それは俺だけだったらしい。
リョウは、俺が思う以上に踏み込んでいた。
俺が感じている以上の関心を俺に向けていた。
虹夏とは種類が違うとか御託を並べていたが――虹夏よりも圧倒的に、危険だ。
リョウは自分の感情に名前を付けたのだ。
手当たり次第に、考えるのが面倒臭いからかもしれないけど全てを『好き』だと断定している。
その結果、目の前の彼女は歯止めが利かなくなっているように見えた。
「聞こえてない?」
リョウの一言に全身がびくりと跳ねる。
俺は聞こえていると、必死に首を横に振った。
特に感情の滲まないリョウの瞳が、そんな混乱している俺を鏡のように映している。
あれだけ『好き』を羅列しているのに。
「一郎は?」
「ぇっ……?」
「一郎は、私をどう思ってる?」
じっと見詰められる。
何て答えたら、無事でいられる?
必死に考えて、考えて考えて考えて……俺は震える喉に力を入れた。
「こ、怖い……」
それを聞いたリョウが目を細める。
「そう、『
もう、駄目かもしれない。
♪ ♪ ♪
夜になって、リョウは映画を観始めた。
俺は服を着て、キッチンへと向かう。
解放されて、俺は家から出て誰かに匿って貰おうかとも考えたが、知り合いが虹夏や喜多さんというある意味ではあまり頼るのも少し危険かと思う人しかおらず、後藤家を宛にしようかとも一瞬悩んだが心配させるのもマズい。
そんな葛藤の末、俺は家に留まった。
リョウもあれから特に何もしてこない。
「一郎、これ面白いね」
夜になって、映画『ダー○・アンド・ウィケッド』を鑑賞するリョウの前に夕飯を置く。
刻んだじゃが芋と玉葱の味噌汁、鶏胸肉を梅バターで味付けした物と白飯。
正直、今の状況の所為で映画の内容が頭に入って来ない。
こんな時に俺も観てない映画を選択しやがって……!
「後で俺も見返すか」
「虹夏と郁代は絶対に夜寝れなくなる。ぼっちは……どうだろう」
「ひとりは幽霊とか怖くないタイプだし」
「…………」
ひとりからすれば生きてる人間の相手で精一杯なので、霊的な存在は特に警戒対象ではないようだ。
昔、一緒に遊園地のお化け屋敷に入った時も特に驚いていなかった。
……あ、前の人の悲鳴に呼応して絶叫していたけど。
「……一郎」
「何だよ」
「一郎は、ぼっちが好きなの?」
「そりゃ当然、妹とか家族みたいなものだから。……何だよ、急に?」
質問の意図を尋ねると、リョウがため息をつく。
「ぼっちの話の時、一郎が幸せそうだから」
「あー、そうなのか――」
「私の話より」
「そそそそんな事は無いと思うぞ?」
怖い。
ふと気を緩めた瞬間にコレだ。
まともに会話が出来ていると思って、いつもの調子で話そうとすると何かがリョウの琴線に触れてしまう。
いい加減に泣きたい。
……ひとりの話をしている時が幸せそう、か。
俺にとって、あの子は幸福そのもの。
生きているだけで偉いし、言動の一つずつが他人への配慮に満ちていて、ここぞという時にしっかりと目を見て普段の人見知りが嘘だと思うくらいに自分の意思をハッキリと伝えてくる。
その姿が眩しくて、温かい。
自己肯定感が塵芥同然だった昔の俺に、生きていて良いという希望をくれた。
「ひとりは妹で、俺の恩人だ」
「恩人」
「ひとりと会ってなかったら、今頃は本当に生きてなかったと思うし」
「……じゃあさ、ぼっちに好きって言われたら?」
「はは、それは有り得ない」
リョウの質問に思わず笑ってしまう。
「ひとりも俺をそういう風に捉えてない」
「仮に付き合いたいって言われたら?」
「えー……ひとりがそれで幸せになれるなら、喜んで付き合う」
「私がいても?」
「いや、そんな命知らずじゃないし……」
ひとりか、リョウか。
そもそも俺に選択する権利なんて無いと思うし、そんな状況になったら自分には烏滸がましく思えて死にそうである。
「もし」
「ん?」
「もし、一郎がぼっちの事を好きでも逃さないから」
「……そういうタイプだったっけ、オマエ?」
「逆に、一郎は私が他の男好きだったらそうしないの?」
「いや、俺が余所見される程度の男だったんだと解釈して、リョウの為に別れるだろ」
「すぐ別れる……」
リョウが呆れたように俺を見る。
仕方無いだろ。
俺なんかの事で拘束されているなら、相手にとっては有害でしかない。他に好きな人がいて、その為に時間を費やしたいなら協力する。
好き合ってもいない人間同士で縛り付けても不幸な結果しか生まれないから。
「逆に、俺がそういう事してきたらどうする」
「一郎が束縛?」
「そう」
「…………一郎以外に好きな人ができても、多分その相手も一郎な気がするから問題無いんじゃ」
「何で俺が量産されてんだよ」
思考が超次元過ぎて俺が二人いるらしい。
俺Aに愛想を尽かしても、俺Bを好きになる……SF映画の観過ぎだな。
今見てる映画はSFでは無いんだけどさ。
「ご馳走さま」
「今日は家に帰らないのか?」
「そんなに離れたい?」
「ひっ。い、いえ」
つい敬語になってしまった。
もう今のリョウは何がスイッチなのか分からない。
それは、そうと。
「……リョウ」
「ん?」
「俺とリョウって、今どういう関係なんだ?」
ずっと気になっていた事を尋ねた。
リョウから並外れた独占欲を伝えてられたが、伝えることで満足して俺の意思は特に聞いて来なかった。
今後の関係については全く触れていない。
明言されないと、これからの身の振り方が分からず困る。
そんな俺の問に対し、リョウが小首を傾げる。
「まだ分からない?」
う、怖い……。
でも、ここで退いてしまったら分からず終いで、リョウだけが理解した危険な状態が完成してしまう。
俺がゆっくりと首肯すると、リョウがまたため息をついた。
「全部」
「……は?」
「一郎の友だちで、恋人で、家族で……とにかく全部」
「ゼン、ブ……??」
「そう。全部で私が一番」
全く予想だにしていない回答に俺の思考が完全停止した。
どうやら勘違いしていたらしい。
リョウが欲しいと言った『全部』とは、俺の事とかそんな生易しい意味を指しての事では無かった。
「分かった?――一郎」
分かるワケないだろ。
一番攻撃力が高いのは?
-
ファイナルウェポン : イライザ
-
ふたりカタストロフ
-
ゲーミング虹夏
-
スペシウムキターン光線
-
承認欲求モンスター
-
星歌百裂拳
-
さはきのつぶて