年末のバイトが終わった。
後は、例年通り後藤家(ユートピア)へ向かうだけだ。
ウキウキ気分の軽い足取りで俺は帰途につく。
後藤家への連絡は済ませたから、後は荷造りして、それから万が一に備えてリョウの飯を何日分か作り置きし、明日の昼には出られるようにしておかなくてはならない。
忙しくはあるが、普段とは質が違う。
幸せな時間の為の労力ならば是非も無し。
「え、ロインの量すご」
バイトで全く見ていなかったが、スマホには何件もメッセージが入っていた。
去年のクラスで30日に忘年会を企画しているが良ければ来ないかという陽キャ君の有り難いお誘いと、今日は家に来ないけど他の女を連れ込むなという失礼千万なリョウのメッセージ。
忘年会……行きたいけど、後藤家がなぁ。
でも、後藤家は俺にいつも友だちがいるかどうか心配して尋ねてくるので、忘年会を機にその不安を解消する方が彼らの心の安寧には良い事かもしれない。
出席します、と陽キャ君に送信。
すると、すぐに『また伊地知さんや山田さんとどんな風に面白くなったか聞かせてね』と返信がきた。
……顔に似合わず性根がねじ曲がって……やめよう、折角誘ってくれた相手を罵倒するなんて。
「リョウのやつは……」
トーク欄を開くと。
『他の人を家に連れ込むなよ』
『一郎は押しに弱いから不安』
『浮気しても別れないけど酷い事はするから』
『明日は肉料理で』
うん、無視しても良いな。
俺はスマホをポケットにしまう。
「ん、あれは」
俺は前方に見覚えのある後ろ姿を認めた。
普段はサイドポニーに結われている長い金の髪を背中に揺らす小柄な体は、片手にレジ袋を提げている。
バイト後の帰り道って疲労感が凄いから他人と話さずスムーズに帰宅したいのが本音だが、知り合いに挨拶をしないのも失礼だろう。
それが幾ら最近は怖い相手だとしても。
「虹夏」
「あっ、一郎くん」
俺の声に、虹夏が振り返った。
吐いた息が白く、夜闇に霞んでいく。
近付いて分かったが、正面を向いた虹夏の鼻は寒さで赤らんでおり、コート一枚を羽織っただけで寝巻き姿でかなり防寒性が無さそうだった。
靴とズボンの裾から除く白い肌も寒そうだ。
概ね、近所のコンビニに買い物にでも出ていたのだろう。軽い用事だからと軽装で外出したが、最低限の防寒具で良いという判断が仇となって寒さに堪えているのが言わずとも察せられる。
防寒以前に、この時間に女の子一人なのが危うい。
知り合いとしては、もう少し用心して欲しいものだ。
俺は自分のマフラーを外し、手の届く距離まで近付いた虹夏の首へと巻いた。
俺の体温で温まっているだろうし、不快でなければ寒さを和らげる一助にはなるだろう。
「えっ」
「寒そうだし、それ家まで着けていきなよ」
「わ、悪いよ。今度は一郎くんが寒いじゃん」
「俺よりも薄着で出歩く誰かよりは大丈夫。家にはマフラー他にもあるし、返すのはいつでも良いから」
「………」
「あと、家まで送る。この時間に一人はマズいでしょ」
「……ありがとう」
虹夏がマフラーに顔を埋める。
鼻先を温めているんだろう。
くふくふと布越しに笑っている呼気を漏らす反応に若干の疑問を抱きつつ、俺は隣に並んで歩き始めた。
すっかりクリスマスの雪が溶けてしまった路地は、風が吹かなくても底冷えしていて立っているだけでも蝕むような寒さに包まれている。
マフラーを外した途端、首元に容赦なく吹き込む風に悲鳴が出そうだった。
に、虹夏にマフラーを貸した手前、堪えなくては。
「一郎くんって」
「ん?」
「遅い時はリョウも家まで送るの?」
「いや、遅い時は泊まるか両親が迎えに来るから。正直、一度も家まで送るとか無かった気がする」
「リョウってば……」
虹夏が呆れていた。
慣れって怖いものだよな。
リョウが泊まる事や、俺の家に長々と滞在して親に迎えに来させる部分とかに、もう最初の頃ほど苦言を呈する事が無い自分の現状にも呆れる。
誰だよ、あんな厄介者を家に入れたやつ。
「ぼっちちゃんは?」
「そもそも、ひとりは金沢八景だし……距離的に送るというか俺が泊まりに行くだけだな」
「喜多ちゃんは?」
「そもそも家を知らない」
「他には?」
「バイト先の後輩の女子とか」
……何なんだ、さっきから。
リョウの事だけかと思ったら、矢鱈と家まで送った相手について仔細を尋ねてくる。
バイトの後輩の女子と言った瞬間に、マフラーの匂いを嗅ぎ始めた不審な挙動についてもあまり考えたくない。どうか意味の無い事でありますように。
そう言えば、虹夏と会うのはクリスマス以来だ。
去年もクリスマスは彼女の家で世話になった。
中々に失礼な事をして、涙した彼女を家に送って星歌さんに睨まれた記憶もまだ鮮明に憶えている。朝帰りしたらリョウがキッチンを地獄へと変貌させながらも、おにぎりを用意してくれていたんだっけ。
後処理、大変だったなぁ。
「……一郎くんさ」
「はい」
「やっぱり、ウチでバイトしない?」
「去年の今頃もそんな誘いを受けた気がする」
「あの時と違って、今はどう?」
「リョウの後輩になるのは嫌だ」
「変わらないね……」
そこだけは譲れない。
先輩面して俺に物を教えるリョウなんて想像しただけで蕁麻疹が出そうだ。
しかも、俺に仕事を委ねて自分は適度にサボる姿も想像に難くない。
アイツを楽にする為に働く職場なんて断固拒否する。
「経験値的には、一郎くん即戦力なんだけどなぁ」
「その評価は有り難いし、色んなバンドのステージをほぼ無料で観られるのは凄く得だけど……それ以上にリョウの後輩だけは嫌だ」
「あはは」
「顔なら家で嫌になるほど見てるし」
最近は本当に遠慮が無い。
当初から我が家同然で過ごしていたが、俺が注意しなくなった影響もあって、もはや家に居るのが自然であると認識を刷り込まされている気分だ。
むしろ、リョウが居ない方が異常だと思わされる。
自分の甘さが招いた変化には忸怩たる思い……すら無いので笑うしかない。
「私も、もっと学校以外でも一郎くんと一緒に居たいんけどなぁ」
ぽつりと虹夏が口にこぼす。
何て答えて良いのかも分からず黙った。
「今日もリョウはいるの?」
「リョウ?今日は新曲をもう少し詰めたいとか何とか言って、大人しく家に帰ったよ」
「…………」
ぴたりと虹夏が足を止める。
そして、勢いよく俺の方へと顔を向けるや口を開けて。
「じゃあ、私――」
「まあ、今日は一人でゆっくりしたかったから助かるわ」
「………」
「ん?何か言いかけた?」
虹夏は口を閉じて視線で訴えて来る。
ごめん、何が言いたいのか分からない。
しばらく虹夏は笑顔でこめかみに青筋を浮かべながら、幾度か深呼吸をして俺に向き直る。
「一郎くんの家、行っても良いかな?」
「星歌さん心配するし駄目だ。……何か用事?」
「私もお泊りしたいなって……駄目?」
…………。
どう考えても駄目だろう。
紆余曲折あって恋人になったリョウがいる身で、別の女子を家に――それも、しっかりと好意があると伝えてきた相手を招くのは浮気と判別されると思う。
「うん、駄目」
「うぅ、寒い……!」
「ほら。体がいよいよ冷えてきたから早く家まで帰るぞ」
「……うん」
虹夏が悲鳴を上げたので、仕方無くマフラーに加えて俺の着ていたコートを着せる。
今度は俺の方が風邪でも引きそうだが、周囲を見れば虹夏の住む家も近いので少しの辛抱だ。
寒そうな虹夏の手が俺の手を捕まえる。
いや、うん……触れた指先が本当に冷たかったので振り払えず、小さなそれを包むようにして俺たちは家路を急いだ。
やや早足で向かえば、本当に家には直ぐ着いた。
俺は虹夏の手を放して……放し……俺の手を放して!?
「虹夏。着いたぞ」
「うん」
俺を捕まえたまま、もう片手で虹夏は鍵を使って扉を開ける。
中から漏れ出た光に一瞬だけ虹夏は目を細めて、ぐいと俺を引っ張りながら家へと入った。
…………んぇっ?
「今日は、一郎くんが泊まってよ」
……………んぇっ??
俺が玄関で困惑していると、音を聞きつけた星歌さんが現れた。
「おー、一郎。虹夏を送ってくれたのか」
「あ、バイト帰りに成り行きで」
「……コートとマフラー、なるほどな。悪かったな、妹が迷惑かけて」
「ちょっとお姉ちゃん?」
「おまえも寒いだろ。少し暖まっていきな」
泊まるか否かは置いておき、寒いだろうから暖まっていけと星歌さんの厚意でしばらく世話になる事にしよう。
………それはそれで良いとして。
「あれっ、少年」
星歌さんの後ろから風呂上がりのきくりさんに遭遇した。
なぜ伊地知家に風呂上がりのきくりさんがいる?
この人、俺の家だけではなく他所でも同じように寝食も厄介になっていたのか。
呆れた目で見ていると、本人は照れ臭そうに笑う。
酒の飲み過ぎでどうやらダメージになっていない。
それにしても。
「…………」
「んお?どした?」
「いえ。やっぱり、きくりさんっていつもの性格でそんな風に見えないけど、かなりの美人だよなって」
「少年、最近は忙し過ぎるからって軽く女の子を口説いちゃいけないゾ」
ぽんと神妙な顔で肩を叩かれた。
口説いていない、ただの感想だ。
いや……リョウや喜多さん、ひとりに加えて虹夏といい俺の周囲って美しい物で彩られているな。すっかり忘れていたけど、思った以上に恵まれているんじゃないか??
きくりさんも美人と称せるルックスがある。
それに……。
「…………」
「ん?」
きくりさんが小首を傾げる。
俺はそんな彼女を無意識に凝視していた。
フードのついたレディースの寝巻きの姿をした現在のきくりさん。俺の家にあるのとは違い、しっかりと女子――虹夏が選別した可愛い組み合わせの服装だ。
普段は結っている髪を下ろしてかなり無防備に見える。
風呂上がりで上気した肌と、まだ少し濡れた髪。
何だか妙な色香を纏ってすらいた。
俺は自分の眉間を揉んで唸る。
彼女を見た瞬間の感情が、まるで去年まで虹夏を見ていた時の物に似ている気がする。
そう。
「すみません」
「ふえ?」
「今のきくりさん、控え目に言ってタイプです」
「あれま」
「前田一郎、一生の不覚………!!」
「複雑になる反応するなぁ……」
悶々とする俺の肩に腕を回そうとするきくりさんだが、最近背丈がまた少し伸び始めたのもあって全然届きそうにない。
歳上のお姉さんぶりたいのに爪先立ちになっているのが逆にまたギャップがあって……やばいな、バイトの疲労でいよいよ感覚も可怪しくなってきているのかもしれない。
「あたしの姿なんていっつも見てるじゃーん」
「いえ。いつも目のやり場に困る格好してるし、いざ直視したらただの呑兵衛だし」
「え、褒めてる??貶してる??」
無意識に褒めちゃうので意識的に貶します。
「私が、家に、入れたのに、私じゃなくて、廣井さん、ばっかり」
後ろから虹夏の低い声も聞こえる。
ああ、分かっている。
この人に今関わるのはやめた方が良い。
悶えていた俺の近くでシャッター音が鳴る。
「私の寝巻き姿に顔真っ赤にしてる少年とツーショット、ぼっちちゃんに見せてあげよーっと」
「やめて下さい」
「あっ、間違えて志麻にも送っちゃった〜!あははは…………あれ、『また迷惑かけてるのか。おまえ次に会ったら』って何の事だろ」
きくりさんがひとりに俺の醜態を晒してしまった。
くそ、なんて非道い事をしやがるんだ。
俺はきくりさんから視線を逸らして、虹夏の方へと歩む。
「あの人、毒だから……しばらく俺から隔離して」
「うん。もう二度と近付けないね」
表情の無い虹夏が約束してくれた。
流石に二度と、はやりすぎな気がするけど。
さて、きくりさんも居ると分かれば体が暖まったら早々に家を立ち去るべきだな。
早く帰って準備もしたいし、それにマジで疲れたから……一昨日に作ったカレーの残りに火を通しておきたい。
「良かったらウチでご飯食べてってよ」
「それは流石に悪いって」
それに、カレーもあるしな。
「今日はね、麻婆豆腐丼と野菜です」
……イタダキマス。
♪ ♪ ♪ ♪
明日には、いっくんが来る。
こ、この前は色々あって伝えられなかったけど……1月4日までは滞在するって言ってたし、一週間近くあるから、そ、それまでに伝えれば良いよね。
え、えへへ。
私――後藤ひとりは、そう自分に言い聞かせて最近止まない焦燥感をどうにか抑え込む。
「あっ、ろ、ロイン……?」
今年になってから、家族以外で通知が鳴るようになった私のスマホを手に取る。
お、お姉さんからだ。
また、ら、ライブの誘いかな。
この前はクリスマスのライブに誘って貰えたけど、アウェー感に怯んでパフォーマンスが落ちた感じがするし、あれからまだ経験も積んでいないからちょっと気後れする提案だけど……い、いやいや、二回も都合よく誘って貰えるとか考えてる視点で烏滸がましいけども!
悶々としながら、私はトーク欄を開いた。
『いえーい。私の風呂上がりで真っ赤な純情少年お届けー!』
………………あっ(死)。
来週の食事はドタキャンして良い?
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逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目
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嫌な時はな……逃げたって良いんだよ!!
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モニタリングしようぜ?