めしくい・ざ・ろっく!   作:布団は友達

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侵蝕される将来

 

 

 

 

 伊地知家で温かい飲み物を貰って、暫く休んでから腰を上げた。

 きくりさんは再び酒が入ってから通常(?)のモードに入り始めたので、不思議な熱を持って高鳴っていた心臓も今は落ち着いてくれている。

 本当に心臓に悪い人だ。

 素面のきくりさんには二度と会わないという誓いを自身の中に立てる。

 

「星歌さん、虹夏。お世話になりました」

「いや、一郎」

「はい」

「やめておけ。外、大雨だぞ」

「……」

 

 俺は玄関扉を開けた途端、もはや水の壁とでも言うべき雨の降り頻る光景に唖然とした。

 天気予報を見れば、たしかに夜中は雨。

 時間帯的にバイトからも帰着しているので関係ないと、頭の中から不必要な情報として排除していたのですっかり忘れていた。

 傘なんて持っていない。

 伊地知家に借りれば良いのだろうが、玄関前に置かれた傘立ての中を見れば、俺の体格に見合った物はなく、どうあっても濡れる事を覚悟しなくてはならない。

 別に帰って直ぐに風呂に入れば良い話なのだが、冬の雨は梅雨の時期のそれとは別物で、容赦ない冷たさから殺人級の脅威である。

 しかも、外気に触れた頬が一瞬ひくついた。

 これで雪にならないのが可怪しいレベルの寒気だ。

 

「……が、頑張れば何とか」

「諦めて今日は泊まりな」

「でも、休憩までさせて貰ったのに、ご迷惑かけっぱなしなのは」

「気にするな。リョウのヤツが休日のバイトも遅刻せず来れるのは一郎のお蔭だろ。一泊くらい安い」

「俺とか関係なく遅刻するのは駄目ですけどね」

「その通り」

 

 星歌さんに肩を引かれて、渋々と玄関扉を閉じた。

 この凍てつく猛雨の中を突っ切って家に帰る体力がもう残っていない。温かい飲み物まで貰って寛いだ後ともあり、体は弛緩しきっている。

 うん……無理だな……。

 結局、俺は伊地知家で過ごす事となった。

 

 

 俺はシャワーを借りて、伊地知姉妹の父親の服を借りる事になった。

 うん、傘立ての中のヤツを見て薄々察してはいたが、やはり小さいな。ズボンの方は、シワになるのが厭わしいが仕方ないのでそのまま着ていた物を履く。

 脱衣所から出て居間へ行くと、エプロン姿の虹夏が料理を温め直しているところだった。

 

「あ、一郎くん」

「シャワーありがとう」

「うん。いま麻婆豆腐に火を通してるから。座って待っててね」

「………」

「ん?どうしたの?」

 

 不思議そうに虹夏がこちらを見てくる。

 来客への対応として、虹夏にとっては当然の事をしているつもりだろう。

 だから、愕然と彼女を凝視している俺は酷く不自然に見えた筈だ。

 でも許して欲しい。

 

 だって――友だちに料理を振る舞って貰えるなんて、実は初めてかもしれないほど経験が無いのだ!!

 

 むしろ普段は俺が作る側である。

 リョウといい、ひとり、きくりさん……本当に作ってばかりだ。

 以前も虹夏が泊まった時、快く台所に立ってくれた彼女に対しても、結局はリョウに謎の要求をされて俺が料理担当を代わって食えず終い。

 今日、遂に俺は――人の飯を食う!

 

「一郎くん、何か楽しそうだね?」

「虹夏のご飯が楽しみで」

「――――」

 

 俺の一言に虹夏の表情が消える。

 虹夏、もう麻婆豆腐の入った鍋がぐつぐつ煮えた音を立ててる。いい加減に火を止めないと、そろそろ焦げるんじゃないか?

 

「あ、もう大丈夫だね」

 

 彼女も気付いて火を止める。

 俺の為にわざわざ炊き直したであろう米を椀に盛り、粒だった米粒たちを湯気が立つ麻婆豆腐で丁寧に覆っていく。

 ほんの些細な手作業、その所作から滲み出す家庭の雰囲気に俺は目眩がする。

 俺には無い物だ。

 誰かの為に作る事が増えたけど、言語化できない差異が見ていて自覚できる。

 

「はい。お待ちどう」

「……ほんとに美味そう」

「後はサラダあるから。おかわりもあるし、いっぱい食べてね」

 

 俺は震える手で碗を持ち上げる。

 レンゲで一口分を掬い、少し吐息で冷まして頬張る。間もなくして舌をつつく辛味とそれを撫でて鎮めていく豆腐、そして鶏の旨味が口の中に広がる。

 あー、旨い。

 鼻に抜けていく香りもあり、脳が次の一口が欲しいと叫んでいる。

 これが『友だちの飯』。

 

「美味しい?」

「ん、超美味しい」

「えへへ、落ち着いて食べなよ」

「最高でふ」

 

 俺の前に座った虹夏が頬杖を突きながら微笑む。

 麻婆豆腐にがっつく俺を見守る姿は、まるで好物で興奮している幼子を見守る母のようだ。

 小柄で誰よりもエネルギッシュな普段の虹夏とは異なる雰囲気に、俺も思わず手を止めて見入ってしまう。こういう時の彼女は、ぐっと歳上のように感じる。

 実際は同い年だけど、納得してしまう。

 家族の為に料理する虹夏。

 基本は自分の為に作る俺。

 味付けとか味覚的な好みは似ているから料理の味も必然ある程度は似てしまうが、そんな言い訳だけでは絶対に言い表せない。

 決定的すぎる違い――それを認めてしまう。

 でも、一年前のように嫉妬して不快感を抱いたりはせず、素直に羨ましいと思える。

 

「どうしたの?」

「いや。……星歌さんが羨ましいって」

「え?」

「普段からご飯を作ってくれる人がいるって、凄い助かるし、こういう味って誰かの為に作る物しか出せないって感じるからさ。俺が麻婆豆腐作ってもこうはならないし」

「……一郎くんは、そうかもね」

 

 絶対にそうだ。

 これに比べたら、何だか俺の麻婆豆腐は味気なく感じるだろう。

 ……虹夏の飯を食い続けたら、自分で作った飯を食べたくなくなるかもしれないな。

 俺は麻婆豆腐丼を一度卓上に戻し、サラダに手を付ける。シャキシャキとした食感が、少し濃い味で包まれていた口内を洗い流してくれる。

 

「虹夏の飯は魔的だな」

「何で!?」

「俺、これ食い続けたら自分の作る飯に飽きそう」

「……ふーん」

 

 虹夏が手を伸ばして、麻婆豆腐丼を取り上げた。

 取ろうとした俺の手が空を切る。

 

「え?」

「食べたい?」

「え……そりゃ食べたいよ」

「じゃあ、お願い聞いて?」

「麻婆豆腐の為に??」

 

 麻婆豆腐丼を食べる為の約束か。

 突然取り上げられたから軽く絶望してしまったが、願いさえ聞けばまた食べさせてくれるらしい。

 そんな意地悪な子ではなかったと思うが、俺もここ最近は星歌さんに睨まれるぐらいに虹夏の扱い方が酷かった気がするので甘んじて受け容れよう。

 

 

「将来は、ずっと私のご飯を食べてね」

 

 

 虹夏が甘い声で囁いた。

 俺はそれを聞いて…………考える。

 

「いや、将来の進路によっては無理じゃないか?俺が地方とかに行ったら」

「その時は私も一緒だから」

「…………??」

 

 俺が地方に行くと虹夏が追跡してくる。

 何か地獄の鬼ごっこっぽい。

 まあ、鬼ごっこなんてリョウ以外とした事無いけど。

 何だろう、そこまでさせる程に気分を損ねる事をしたのだろうか。

 日頃の行い?

 それとも、麻婆豆腐丼の褒め方が悪かった?

 どちらにせよ、リョウといい虹夏にまで将来を染められるのは些か不安に思われる。将来の事を安易に判断すべきではない……それも麻婆豆腐丼を理由に。

 

「将来の事は、まだ分からないし……ほ、保留でお願いします」

「…………」

「なので、麻婆豆腐丼を食べていいかどうかは虹夏の判断に委ねる」

「…………はあ」

 

 俺の返答に虹夏がため息をついた。

 本当に心底から呆れたといった様子だ。

 虹夏とは思えない冷たい眼差しと共に、麻婆豆腐丼が返される。

 

「そっか。これがキープってやつだよね」 

 

 保留=キープ。

 謎の式が虹夏の中で確立されたらしい。

 何だか麻婆豆腐丼が食べづらいが、返してくれたという事は引き続き食事を取る事を許可されたに違いない。

 残す方が失礼なので、恐る恐る椀に手を付ける。

 

 

 

 

「絶対に逃さないからね?」

 

 

 

 

 もしかすると、将来待たずして鬼ごっこが始まっているかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ♪    ♪    ♪    ♪

 

 

 

 

 

 

 

 伊地知家で世話になった二日後。

 

 

「いっくん、コレやってー」

 

 にぱっと、ふたりが眩しい笑顔で蜜柑の皮剥きを頼んできた。

 小さな足を炬燵の中でぱたぱた動かしている。

 俺は笑顔で承諾し、丁寧に剥いていく。

 花のように開いた皮の上に実を置いて、ふたりの前へ置けば、きゃいきゃいと楽しそうな声を上げた。赤子や小さい子の笑い声ってその時にしかない響きがあって耳が幸せになる。

 ひとりはこんな風に声を上げて笑う事もそんなに無かったので、後藤家でこの声が聞けたのはふたりだけ。

 

「いっくん!」

「んー?」

「あーん」

「っ!?あーん」

 

 ふたりが切り分けた実の一つを俺に差し出した。

 喜んで俺が実を食べれば、もっと嬉しそうにする。

 

「蜜柑やってくれたお礼ね」

「んー、美味い。ありがとう、ふたり……俺幸せだよ」

「えへへ。じゃー、いっくん死ぬまでずーっとふたりと一緒にいなきゃだねっ」

「ん?うん、そうだねー」

 

 幼児の口から『死ぬまで』なんてパワーワードで一瞬固まったが、よくよく考えたら死ぬまでふたりと遊べるとか特に弊害はないから気にしなくていいか。

 例年通りの後藤家。

 直樹さんが去年は娘の受験手伝ってくれてありがとー!とか言ってカメラをプレゼントしてくれた。文化祭の時にひとりのライブを撮影していた物とは違うようだが、あの時の映像とか貰えないだろうか。

 まあ、それは後で良い。

 今はこのふたりの笑顔をカメラに収める!

 

「はーい。ふたり、笑ってー」

「ちーず、はいっ!」

「それ逆ねー。はい可愛い」

 

 貰って三時間にも関わらず、ふたりだけで枚数が途轍もない事になっていた。

 恐ろしい事に、どれも見飽きない。

 流石はあの隠れイケメンの直樹さんと美女の美智代さんから生まれた存在だ。一挙手一投足が光を宿しているが如く俺の見ている世界を照らしてくれる。

 今だって甘えたくてぴったりとくっついてきてくれる辺り、日頃のストレスで長らく忘れていた安寧を体の中で少しずつ思い出させてくれる。

 

「ねー、いっくん」

「何?」

「おねーちゃん、いっくんの話してくれなくなったんだよ。顔もじめっとしてるし」

 

 じめ……?

 顔から湿気を感じる、とは……?

 暗い顔をしている、という事にしておこう。ふたりはまだ五歳児だから語彙力はまだ未熟なのだ。そういう所がまた可愛い。

 いや、今はひとりの事だよな。

 俺の事を普段から話しているのかも分からないから何とも言えないが、表情についてはふたりに心配されているのだから本人が明かせない深刻な問題なのかもしれない。

 

「いっくん、何かあったの?」

「え?」

「いっくんも何か違う。匂いとか変」

「匂い……洗剤は変えてないと思うんだが」

「いま誰かと一緒に住んでる?」

 

 ふたりの円な瞳が問うてくる。

 妙に鋭いなと思いながら、俺はその言葉に首肯した。

 

「俺の家によく泊まる子がいるんだよ」

「友だち?」

「ううん、カノジョ」

「え?いっくんはおねーちゃんと結婚するんでしょ?」

「いや、それはひとりがどうしても困ったらって話で――いたっ!?」

 

 後頭部に飛んできたジミヘンが激突した。

 突き出された前足に頭を殴られて苦悶する。

 

「いっくん、ダメだよ」

「う、え?」

「おねーちゃんには、いっくんしかいないんだよ?」

「……そういえば、ひとり部屋から出てこないな」

 

 今日は昼食以来、顔を見ていない。

 またギターに集中しているのだろうか。

 

「ちょっと、ひとりの様子を見てくるよ」

「うんっ。いっくんが見てあげないと、おねーちゃんすぐ粉になっちゃうから」

「???」

 

 どうやら、妹にも常識外の生態である事を把握されているらしい。

 まあ、ふたりが天使のような存在ならば、ひとりは女神そのものだから、人の理解できる体の仕組みなワケが無い。

 理解しようという方が烏滸がましい。

 あるがままを受け止めるのだ。

 

 ひとりの自室前に立ち、俺は襖の端を叩く。

 

「ひとり。入ってもいいか?」

 

 返事は……無い。

 眠っているのだろうか。

 俺は心の中で謝罪しつつ、そっと音を立てないように襖を横へと滑らせた。

 室内は明るく照明されている。

 ひとりが寝ている布団も片付けられているから、昼寝ではないようだ。――と、部屋の隅に座るひとりの姿を発見する。

 ヘッドホンをしており、どうやら俺の声が聞こえなかったのはその所為らしい。

 よく見ると机の前で、何かをしている。

 

「ひとり、何して――」

 

 俺は歩いて近付いた時、見えていなかったひとりの手元が見えて――凍りついた。

 彼女が、左手首に向かって鋏を近付けている。

 蒼白い顔で、ぷるぷると震えながら慎重に刃先を近付けていた。

 

 それはまるで、昔の俺が親しんだ行為と似ていて――。

 

 

「ひとり!!」

「ぁえっ!!!?」

 

 

 俺はひとりに飛びかかり、彼女の左手首と刃先の間に手を滑り込ませる。

 驚く彼女からすかさず鋏を取り上げ、遠くへと放った。

 

「何してる!?」

「えっ、あっ、え?」

「あの鋏で何をしようとした!?」

「ひぇっ……け、結束バンド締め過ぎて取れなくなったから………ひぐ、き、切って取ろうと、思って……」

 

 え…………。

 涙目のひとりの言葉を耳にして、そっと手を退けた。

 ひとりの左手首には、肌に食い込むようしてギチギチに締まっているピンク色の結束バンドがあった。

 

 ……………。

 ……………。

 

 か、勘違い………なのか。

 自傷行為ではなく、単に結束バンドを……。

 

 ようやく事実を悟った瞬間、俺はその場に脱力した。

 

「いいいいいっくん!?」

「ごめん……早とちりして。てっきり、ふたりから落ち込んでるって聞いてたから、自傷行為に走ったのかと……」

「あっ、じ、自分のこと傷付けられる度胸も無いので……へへ」

「笑い事じゃない。本気で心配したんだぞ」

「ご、ごめんなさひ」

 

 取り乱した俺に対して、まるで悪戯を見咎められて誤魔化そうとしているような笑い方をするひとりを睨む。

 いかん、萎縮させてしまった。

 俺の勘違いなのに。

 

「で、でも、私が落ち込んでるって……」

「ああ、ふたりがね。……何かあった?」

 

 それを言うと、ひとりが少しだけ黙った後にまたへにゃりと笑う。

 

「ううん。だ、大丈夫」

「本当、か?」

「い、今はちょっとだけ辛いけど……うん。今だけ耐えれば、あと少しすれば終わるから」

「え……?」

 

 耐えれば終わる、って何だろうか。

 まさか、『未確認ライオット』に向けて動き出した事でそれまでの緊張感などで辛いという事だろうか。

 それとも『結束バンド』が上手くいっていない……ではないだろうし、学校か?普段からいつか絶対に辞めてやるとも言っていたからな……でも冬休みだよな今。

 

「俺に出来る事はあるか?」

「え?」

「俺も手伝える事なら何でもするぞ」

 

 協力は惜しまない。

 ひとりを助けるのに理由なんて存在しない。

 俺のその言葉にひとりは顔を強張らせる。

 

「い、いっくん……私が駄目になったら将来貰ってくれるって……」

「え?うん、言ったよ」

「……駄目じゃなくても?」

「駄目じゃなくても??……よく分からないけど、ひとりが望む事は極力叶えるぞ」

 

 そっか、とひとりが少しだけ微笑む。

 それを見て、なぜかぞくりと背筋が震えた。

 

 

 

 

 

「私、いっくんのこと信じてるね」

 

 

 

 

 

 

 見た事のない、ひとりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来週の食事はドタキャンして良い?

  • 逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目
  • 嫌な時はな……逃げたって良いんだよ!!
  • モニタリングしようぜ?
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