年末は二人で過ごす。
クリスマスにそんな約束をしたのもある。
それでも大晦日に後藤家を離れてあの家に戻ろうと思う自分自身を意外だと思った。独りで淡々と過ごし、自己嫌悪に浸るだけの日々を送って、自分に気遣う二人の顔色を窺う思い出だけが集積した場所だから。
普通なら、帰るのも嫌になる。
少なくとも去年まではそうだった。
俺は夕方、下北沢に戻って来ていた。
駅からスーパーに直行して、今日の晩飯と年越し蕎麦の材料を買い込んで帰途を辿る。
ふと驚いたのは、大晦日の下北沢の景色だ。
賑わいはいつも通りなのに、今までに感じだ事が無い空気感が漂っている。毎年居なかったから当然の感覚かもしれないけど。
未知の下北沢に少しだけ気分が高揚して、歩く足も無自覚に早くなる。
気付けば少し息を乱して玄関扉の前に立っていた。
ポケットから引っ張り出した鍵を穴に挿し、ゆっくりと捻る。
かちりと解錠の音がして、俺が扉を開けようとしたら先に内側から開けられた。
「おかえり」
山田リョウが俺を出迎えた。
その表情は、やや不満げだった。
もしかして、帰って来たら駄目だったのか……いやここ俺の家なんだけどな。不満があるのならオマエが出ていけ。
「ただいま。蕎麦買ってきた」
「あれ。用意してなかった?」
「いや、よくよく考えたら自分の分とか無意識に考えてなくてさ。だから買い足したんだよ」
「………」
「何だ。妙に機嫌が悪いな」
「そういうんじゃない」
リョウが横にずれてスペースを空ける。
俺は中へと体を滑り込ませて家に入った。
「あっ、おかえり――一郎くんっ」
ぎしり、と中途半端な体勢で固まった。
聞き間違いかと思いたいが、それにしたってよく通る声だ。
声がして間もなく、パタパタと床を叩くスリッパの音がして、居間の方から人影が現れる。
一歩ごとにサイドポニーの髪が元気よく跳ねていた。
俺は人影の正体に唖然として、手に持っていた買い物袋を落としそうになる。
「お邪魔してます」
「え、あ、虹夏……何で?」
「リョウがまた汚してないか確認しに来たんだ。後は、ついでに今晩の分のご飯も用意してあげようかなって……」
俺が不在の間、リョウの食事は用意していた。
冷蔵庫内に収納したタッパーには、その日の食事が保存されていて、必要になるだろうと日付を記した付箋を貼り付けてある。
でも、虹夏の言う通り、大晦日の分は無い。
何故なら、俺が帰るから不要だと思っていた。
「もしかして、作ってる途中?」
「うん」
「あー、そうだったか」
「あれ、一郎くんは?ぼっちちゃんの家に居るんじゃなかったの?」
無垢な瞳が俺を真っ直ぐ見据える。
何の意図も無いんだろうが、何故か迫力を感じた。
「えと、大晦日は二人で過ごす予定でさ」
な、と同意を求めてリョウに視線を投げる。
リョウは素直に頷いた。
約束というよりは、去年のリョウが寂しがっていたから今年は一緒にいるかと俺が勝手に決めただけなのだが。
「あ、そ、そうなんだー?」
みしりと虹夏の手元から音が鳴る。
手に持っている菜箸が軋んでいた。
凄い握力だな、あれだとドラム叩く時の力は相当なのではないだろうか。『結束バンド』で最も力持ちだと自負するだけの事はある。
「……あのさ、一郎くん」
「ん?」
「私も一緒に、なんてどうかな」
虹夏が躊躇いがちに尋ねてくる。
虹夏と大晦日……この前も世話になったばかりだから、彼女の意思を無碍にするのは気が引ける。
ただ――。
「――――」
「……(目が怖い)」
無言でこちらを見詰めるリョウの圧力があった。
日頃から鈍いと言われる俺でも察せる。
この眼力は、十中八九なにが何でも断れと言っていた。自分では親友である本人に言う勇気が無いからだろう、生贄か俺は!!
頭が痛くなるような状況だった。
なるほど、リョウが不機嫌なのも納得した。
俺が他人を家に上げる事自体が元々嫌なリョウ……何様だって話だが、それが大晦日をゆっくり過ごしたいのにまた別の人間を呼ぶのが許せないのかもしれない。
俺は良いのか、と言いたいけどリョウなりの謎理論があって俺は良いらしい。
「ごめ――」
「リョウ。良いかな?」
「…………(助けて)」
「…………(オマエも頑張ってよ)」
俺が駄目だと分かるや翻ってリョウへと虹夏の矛先が向く。
すると、リョウが早速助けを求めてきた。
無理に決まってるだろうが。
普段から虹夏に逆らえない俺に意見を跳ね返せるだけの抵抗力があると思うのか。今のだってかなり勇気を振り絞って口に出した言葉なんだぞ。遮られたけど。
……でも、ここまで二人に拘るリョウの意思も尊重しなければ、ストレスが後々俺へのダメージ攻撃へと変換されるだろう。
こうなれば、他力本願なリョウに代わって、再度きっぱりと虹夏に断るべきだ。
返答を待って沈黙する虹夏に、俺は何度か深呼吸を繰り返して口を開―――。
「少〜〜年〜〜〜!年末独りで寂しいから構ってぇえ」
後ろの扉がばたりと開け放たれて、玄関が一気に酒臭くなった。
虹夏の表情がすとんと抜け落ちて、俺に助力を乞うて縋るようだったリョウの眼差しが一瞬で刃物のような鋭さを帯びる。
俺は頭痛がし始めて、思わず顔を顰めながら後ろへと振り返った。
そこには、酒瓶を片手にへらへらと笑っているきくりさんがいるではないか。
「……はれー?もしかして、修羅場?」
ええ、貴女の登場の所為でね。
♪ ♪ ♪ ♪
玄関での修羅場から三時間後。
緊張した空気は、今も変わらず続いていた。
「廣井さん。一郎くんに近付かないで」
俺はというと、またも風呂上がりのきくりさんを目の当たりにして平常心を保つのに必死だった。
虹夏もまた、きくりさんを遠ざけようと奮闘している。
だが、風呂上がりでちゃんとした着こなし且つ微酔い状態のきくりさんはまた何故か妖艶で、俺に対して悪戯がしたいのか接近の隙を窺っていた。
俺の年末は、こんな筈じゃ無かったのに……。
結局、誰一人も撥ね退けてられなかった。
その結果。
「…………」
食後も、リョウはずっと黙っている。
俺が話しかけてもスマホを弄りながら対応して、一瞥もこちらに向けない。
急転直下とはこの事。
帰るという連絡を入れた時は、声からも上機嫌だと分かった。やっぱり、後藤家にいるのが一番良かったのではないだろうか。
出る前、ふたりには嘘つきって啜り泣きされて死にそうになったのを、ひとりが死んだ顔でフォローしに来た事で二連撃になり、直樹さんが「任せろ!」と自信満々に背中を押してくれた事でどうにか出てこれたのに。
これでは、後藤家に顔向けができない。
「ん?」
スマホが震動する。
手に取ると、直樹さんからだった。
何だろう、忘れ物かな。
「もしもし」
『もしもし、いっくん?』
「ふたり?どうした?」
『ふたりね、もう寝るよ。いっくんに挨拶したいから、お父さんに借りたの』
「挨拶?」
『来年もよろしくおねがいします』
心臓を殴られたような衝撃を受けた。
だが、痛くもなければ不快でもない。
幸福の衝撃。
「ン゛ッ……………末永く宜しくお願いします」
『えへへ。あ、おねーちゃんに変わる?』
「いや、自分でやるよ」
『一郎くん!来年もよろしくねー!良いお年をー!』
『温かくして寝るのよー』
後ろから聞こえる後藤夫妻の声に涙が出そうになる。
何て温かい家庭なんだ……この家の現状と真逆にも程があるじゃないか。
通話を切って、改めて周囲を見渡す。
……やっぱり、帰ろうかな。
「リョウ」
「なに」
「来年は、オマエの家で年越ししない?山田家に許可取れたらの話だけど」
「来年もここでいい」
「あ、でも俺受験勉強があるから無理かも」
「…………」
「リョウ。……リョウ。……駄目か」
また気分を損なったらしい。
三年生の年末なんて、受験戦争の佳境じゃないか。その時期もリョウの面倒を見ていられる心の余裕があるか否かは、俺の受験勉強次第である。
実質、高校生活で穏やかに過ごせる年末はこれで最後かもしれないな。
「なっ」
「っ」
インターホンが鳴る。
それに過剰反応したのは、虹夏とリョウだった。
何で俺よりも訪問に対して過敏になるの?
音からして、マンションのエントランスの方からだな。
応対すべく立ち上がるが、シャツの裾をリョウに掴んで止められた。
「一郎、待って」
「何で」
「もしかしたら、郁代かもしれない」
「えぇ……流石にこの時間に押しかけるような非常識人じゃないだろ。仮に喜多さんだとしたら、尚更無視は悪いし」
「い、一郎くん!私が出よっか?」
「何で虹夏が?」
「いつもお世話になってるから!」
「いや別にそんな処でお礼返されても……」
異様に俺を引き留めようとする二人。
そんなに深刻な問題だろうか。
「へぁーい、こちら前田でェーす」
「げッ!?」
「あ゛っ」
「えっ」
俺がもたついている間に、いつの間にかきくりさんが対応していた。
やめろ、アンタが前田家を名乗るのは誤解を生むだろうが!……う、駄目だ直視できない。やはり俺の家に泊まる時に貸し出す服と違って、女子セレクションだと色香が違う。
そうだ、あの人は美人だった!
『虹夏、迎えに来たぞー』
『やっぱり、ここに居たか廣井……!!』
聞こえてきた声に俺たち三人は固まる。
これは、星歌さんと志麻さんだ。
どうして俺のマンションまで来たのかは分からないが、警戒していた喜多さんではないと知ってかすぐ傍で二人が安堵の息を漏らす。
どうした、結束バンド……。
「なんだ、お姉ちゃんかー」
「どうして星歌さんが?」
「……ちょっと前に私が迎えに来てって言ったんだよ。志麻さんも連絡したの」
「え、何で?」
「お姉ちゃんが寂しがるし、廣井さん迷惑だし……あと私は歓迎されてないみたいだから」
ぎょろり、と虹夏の目が俺の方へと向く。
思わず小さな悲鳴が口から漏れる。
虹夏はゆっくりと立ち上がると、廣井さんの腕を捕まえて玄関まで引きずって行く。
どうやら、虹夏は帰って、廣井さんはお引取り頂けるようだ。
俺は二人を見送りに向かう。
マンションのエントランスまで自分で歩けない廣井さんを虹夏と一緒に運び、待っていた星歌さん達の前で解放した。
「じゃあね、一郎くん。来年
「少年またなー」
「じゃあな、一郎」
「一郎くん。良いお年を……来年は廣井に構わなくていいから」
「ええっ!?」
騒々しく退散していく四人の後ろ姿に手を振る。
…………今日だけで昨日一昨日の後藤家で癒やした分が全て吹き飛んだ気がするな。
しかも、虹夏の挨拶が若干違う意味を含んでいるような気がしてならない。
頼むから、年明けこそ穏やかでありたい。
でも皆が去った後だから、部屋に戻ったらリョウの機嫌も直っているかもしれないし。
結論から述べよう――駄目だった。
蕎麦を用意する間も、ひたすら沈黙が続く。
著しく減少した会話量からも、今回のリョウが一味違って厳しい状況であると推察できる。
どうして、リョウの機嫌取りに必死にならなくてはならないんだ……そっか恋人だから当然か……そうだった……。
年越しまで、残り十分。
不意に、リョウが視線を机の一箇所に固定する。
きくりさんが置き去りにしていったパック酒が二つある。
「リョウ、飲むなよ」
「……一口だけ」
「絶対に飲むなよ。飲んだら二度と口利かないからな」
「じゃあ、飲むね」
「ホントに口利かないぞ」
「肉体言語がある」
「マジで口利かないからな」
俺がさっとパック酒を取り上げると、リョウが不満げにまた顔を背ける。
悪いが、もう虹夏やきくりさんという難所を越えた後なので、リョウが犯罪者になるなんてセカンドステージまでクリアしてしまうのは断固として拒否したい。
「よし、五分前になったら蕎麦出すからな」
「……うん」
既にテレビ放送は、除夜の鐘を待つ各地の様子がリポートされている。
何処の神社仏閣も人で賑わっていた。
俺も大人になったら、あの中に混ざって共に年越しの熱気を共有しているのだろうか。
それよりは、来年も再来年も……大人になっても、リョウと二人でゆったりテレビを観ながら元日を迎えている方がしっくりする。
「一郎、もう蕎麦食べたい」
「はいはい」
俺は蕎麦を二人前用意する。
椀二つに入れたそれを、机まで運んだ。
リョウに強請られて仕方なく出した炬燵で隣に並んで足を突っ込み、蕎麦を手にしたままテレビ画面に表示される時刻を注視する。
残り時間、十秒を切った。
「一郎。来年もよろしく」
「リョウ。来年は穏やかに頼むぞ」
「ロックに生きようぜ」
「この二年でロックって言葉を嫌いになりそうになったんだけど?」
そんな下らない会話をしている内に0時を過ぎた。
互いに示し合わせたように振り返る。
じっ、とリョウは俺を見た後……そっと頬を赤く染めてそっぽを向いた。何その反応。
「一郎……姫始めって知ってる?」
「俺の新年さっそく汚す気か??」
今年のリョウは、煩悩に塗れていそうだ。
「いっくん……あはは……連絡……来なかった………」
「先輩、放置なんて……最近もっと酷いです……♡」
定期アンケート : 今のところヒロインレーストップは誰だ?3
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山田リョウ
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伊地知虹夏
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後藤ひとり
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喜多郁代
-
ジミヘン
-
伊地知星歌
-
廣井きくり
-
大槻ヨヨコ
-
清水イライザ
-
岩下志麻
-
後藤ふたり
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PAさん
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吉田銀次郎
-
ゼットン星人