カチン。
これ見よがしに購入したトトロとネコバスの人形を袋に入れず抱きながら再びその子の目の前を通ったら絶句していました。
見たか、小童めが!!
恥じるな、可愛いは正義なんだ!!
冬休みが終わり、いつも通り学校が始まった。
進学校だけあって、教室内は既に来期から始まる受験についての不安や勉強法について語る声がそこら中で聞こえる。
良いよな、話せる相手がいて。
実は、まだ教室でその話題で話せる相手が俺にはいないのだ。
虹夏やリョウは……対象にしたくない。
バンドをしている二人、特に虹夏も迫り来る受験戦争を我が事であると感じている。素直に『結束バンド』を応援する身としては、ここで余計なプレッシャーをかけるのはどうかと思うから、この話題は避けたいのだ。
これが身近なファンとして出来る最大のサポート。
烏滸がましいにも程があるが、これ以上は『結束バンド』のストレスになりたくない。
それなのに。
「一郎くん。何処の大学受けるの?」
「え?〇〇大……」
「ホントに?」
「えっ、ホント……(嘘つく理由が何処に?)」
「私の事を撒こうとしてないよね?」
虹夏が積極的に進路について尋ねる。
俺の気遣いって、見当違いなんだな。
彼女の為に話題を避けていたが逆に自分から逃げようとしているのではないかと不要な疑念を生む悪手となっていたらしい。
去年までリョウや両親から逃げるつもりで進路を考えていたから、虹夏の事はかなり無警戒だった。
あ、そうだ。
そのリョウは、昨日道端に生えている雑草を煮て食べたらお腹を壊して休んでいるらしい。
俺の家でも飯食ってたのに、ほんとアホだな。
朝に連絡したら「看病に来て欲しい」という要請を受けたので、「元気になってまた会おう」とだけ返して通話を切った。
幸いバイトも休みなので、放課後にでも訪ねよう。
山田夫妻への差入れも買って、日頃の娘についての報告も兼ねて。
「何で虹夏から逃げるの?」
「だって……心配だよ」
「俺個人の将来だから。虹夏の事を考えて組んだワケじゃないよ」
「――――」
虹夏の瞳から光が消える。
あれ、何か間違えただろうか。
言い方としては誤解が無いようストレートに伝えたつもりだった。
「そっかー。私のこと眼中に無いかー!」
明るい笑顔だが、机の上の拳は強く握られている。
うん、誤解している。
眼中に無い……いや念頭に置かず考えたのは間違いないが、え、俺は虹夏に配慮した人生を送らなくてはならないのだろうか。
因みに、山田夫妻に進路について聞かれたから頑張って医学部目指してますって話した時は大歓迎されたな……ウチに来なさい、って縁故採用みたいで凄いお断りしたい。
「に、虹夏は何処?」
「芳文を目指そうと思ってるんだよ」
「やっぱり、一応大学は出るんだ?」
「うん。お姉ちゃんの仕事も手伝えるようにって思ったらね……色々言われたし」
どうやら親にも姉にも言われた様子だ。
たしかに、昨今は大学卒業が就職条件の最低ラインと捉える感じなので、大学に行けと言う彼らの気持ちは分からなくもない。
虹夏も特に反対していないようだ。
良いよな……俺の親は「一郎くんが行きたい所に」と凄く親切で甘い対応をされているが、やはり面と向かって相談すべきだろう。高校も自分で決めたし、それについても反対意見は全く無かったから相談自体が無駄かもと思ったけど。
大学は高校と全然違うから、もしかしたら虹夏の周囲と同じように何かあるかもしれない。
「大学は別々かー」
「元から選択授業違ったから分かってはいたけどね」
「一郎くんと大学行きたかったな」
「同じ所に行く友だちはいないの?」
「一郎くんと行きたかったって話してるんだよ?」
「ご、ごめんなさい」
身を乗り出して顔を近付けてくる虹夏から圧力を感じる。
最近、俺に対して容赦がない気がする。
自然と謝罪の言葉が口から出ていた。
リョウやきくりさんとは別方面で俺の意思を削ぐタイプに思えてきている。
まさか、将来の警戒対象はリョウだけではなかった?
虹夏という伏兵にも気を配らなくていけなかったか。
「でも、大学で虹夏と一緒か……」
「楽しそうでしょ」
「…………」
「一郎くん?」
「何か、また悪い未来が見えた」
虹夏と同じ大学で過ごすキャンパスライフ。
拙いながら想像力を働かせて、虹夏と共に大学生活を送る姿を夢想したら、虹夏に甘やかされている自分しか思い浮かばなくなった。
勉強も疎かにし、ノートを借りる日々。
だらしないな、と呆れながら虹夏は甘やかす。
いずれ虹夏が居れば何でも良いかと堕落の一途を辿り、彼女に依存してズルズルと……。
『虹夏ぁ、もう大学しんどい』
『えー。ちょっとは頑張ってよ』
『はあ、虹夏無しだったら絶対ここまでやれてない。これからもよろしく』
『堂々と寄生発言!!』
『虹夏がいないと生きてけないー』
『もー。しょうがないなー』
酒を飲むようになって、虹夏に頼るのが当たり前になって、きくりさん顔負けの自堕落さになって、それで…………。
「ぬぁあああ!!ごめん、虹夏がいなくたって生きていけるようになるから許してくれ!!」
あまりに悲惨な未来に脳を掻きむしりたくなる。
俺は思わず頭を抱えて机に突っ伏した。
そんな俺の奇行に、虹夏は引いているのか何かをぶつぶつと呟いて触れてくる気配が無い。
今はそれが有り難いよ。
お、俺は想像の中ですらまた虹夏を穢してしまった!
今日で虹夏の友だちも辞めるので許してくれ!!
その日、放課後まで俺はひたすら虹夏への罪悪感で頭がいっぱいだった。
「追い詰めたら……私に頼るしか……なくなる……?」
放課後、俺と虹夏は二人で帰る事となった。
いつもはバイト先が別なのもあって俺一人か、またはリョウと虹夏に加わらせて貰うのが常だ。
今日は虹夏もバイトが無いから急ぐ必要も無い。
ゆっくりと歩く。
腹を壊したスカポンタンが不在なため、今日は珍しく二人きり。
思い返せば、虹夏と二人きりの時っていつも危険な状況ばかりだったので、一体何を話したら良いか分からなくなる。
虹夏が学校の時のように話題を振ってくれる場合は別だけど……。
そっと横目で隣の様子を覗うと、虹夏は考え事をしているのか少し俯いて黙っている。
落ち込んでいるワケではなさそうだ。
目がギラギラと妖しい光を湛えている。キターン光線程の威力は無いが似た感じがする……あれって伝染するのか。
触れるか否かとても迷う状態だ。
俺と虹夏は、暗い曇天の下を黙々と歩く。
「虹夏。何か考え事?」
「うん。ちょっとね」
「普段迷惑かけてるし、良かったら相談に乗る、けど」
「あははっ。自信無さそう」
「いや、迷惑かけてるヤツが真っ当に人の悩みを聞ける立場も資格もあるのかと思って」
「自虐が酷い」
悩み相談なんて、いつも乗って貰っている立場だ。
いつも、きくりさんや郁人さん、陽キャ君には世話になっている。
特にきくりさんだ。
普段から想像できないほど頼もしい。
あの人のお蔭で、幾分か前向きに生きるコツみたいな自分改革の仕方に気づいた。
人から授かってばかりだな、俺。
ああ、でも喜多さんの悩み相談には乗ったか。
きくりさんの言葉を流用しているだけなのが否めない内容なので胸を張っては言えないけど。
「最近、充実してるな―って思って」
「充実?」
「うん。ぼっちちゃんが入ったりしてバンドが一気に始まって、バイトも忙しくて、お姉ちゃんが私のこと見て嬉しそうにしてる顔も見れるし」
「……そっか。たしかに良い事だな」
「それに、楽しい事ばかりじゃない」
「え、うん?」
「初ライブなんて台風に見舞われるし、好きな男の子は恋人がいるなんて嘘で避けられる苦い恋だし。……楽しいも苦しいも、息継ぎが必死なくらいの日常」
「………そ、そう」
「だから充実してるなって」
気の所為だろうか。
自分の日常が素晴らしいという自慢かと思ったら、苦味に該当する部分が俺に思い当たる節のある内容で素直に良かったねと褒めてあげられない。
俺の器が小さいからだろうか。
「一郎くんは?」
「え……と」
「どんな感じ?」
苦味とエグみと吐くほど甘い日常だ。
味覚なんて容易く殺せるような強すぎる刺激の数々で、最近は思考を放棄する瞬間が数えられないくらいに訪れている。
そして、今苦しんでいると口にした虹夏に対して面と向かって言う度胸も無いので顔が引き攣ってしまう。
「お、俺も充実してる」
「……そうなんだ」
「昔より友だちも増えて、優しい親戚の人もいるって分かって、恋人もでき……ンン゛っ、バンドの応援って趣味もできたしな――って、え?」
「えっ?」
ぱたりと鼻先に冷たい雫が落ちた。
見上げると、次々に雨滴が顔めがけて殺到して来ていた。
瞬く間にアスファルトを深く染めて、傘も差さずに立っていた俺たちを容赦なく濡らす。
ともあれ、一月の雨だ。
梅雨とは桁違いに冷たくて痛い。
俺は周囲の雨を凌げそうな場所を探した。
しかし、俺たちのように何処も避難した人で既に埋まってしまっている。
マジかよ……。
やむを得ず、俺は素早く厚手のコートを脱いで虹夏の頭に被せる。それから、彼女の手を引いて他に避難先が無いか急いで移動しながら探した。
……結論、どこにも無くて結局近くにあった俺のマンションまで来てしまった。
「虹夏。濡れた?」
「あ、足だけ……一郎くん大丈夫?」
「寒いけど、もう家にいるも同然だし」
「傘代わりにコートなんて私に貸すからだよ」
「いや、リョウも腹壊して、虹夏もこれで体調崩したら『結束バンド』が」
「……そうだね」
えへへ、と虹夏がはにかむ。
「雨が止むまでここにいる?」
「うん。そうするね」
二人で雨空を眺めて雨をやり過ごした。
「これでキープなんだ……つらいよ」
♪ ♪ ♪ ♪
一月下旬の土曜日。
早朝、俺はベッドで体温計を片手に倒れていた。
どうやら、あの雨に当たった事が祟ってしまったらしい。
「ゔぁー……頭痛い」
体温計は三十八度を表示している。
バイト先にも連絡を入れて、学校には……義務教育じゃないから良いか。
体調不良は偶然だが、これに感謝したくなる。
年明けから、バイト先に喜多さんと彼女の友だちが出没するようになり、注文された料理を運びに行く度に秀華高校の文化祭より以前から続く喜多さんの恋人(誤解)ネタで誂われる始末。
厨房に戻れば、店長たちから「金髪の子じゃなかったのか!?」と詰問されて何処にいても気が休まらないのだ。
今日も喜多さんがいるとは限らないが、バイト休める……。
俺は重たい意識で何とかバイト先に欠勤連絡を入れて、再びベッドに沈む。
あー、頭痛い。
体が懈い。
薬を飲むのも億劫だが、少しでも回復すべく病身に鞭打ってキッチンへと移動する。
一人で生活していると、こういう事態はかなり辛い。
普段は気にしないのに、妙に孤独に敏感になる。
さっきもベッドに染み付いてるリョウの匂いなんかを不覚にも嗅ぎ取ってしまって胸が苦しい。
誰か呼び……呼べないな。
一年の頃に比べたら友だちは増えたが、気軽に呼べるほど自信を持って頼れる親密さが無い。
あまり遠慮しなくてもいい相手のリョウ……に看病なんて出来ないし、俺の風邪を伝染したら彼女の生き甲斐であるバンド活動に支障を来す。
推しにそんな真似はできない、いやファンとして既に取り返しの付かない事は何もかもしているけど。
俺は薬を飲んだ後、怠い体を引きずってベッドに帰還した。
朝食……はどうでもいいか。
こういう時、何か食べるべきなのは頭で理解していても食欲も湧かないし、体が動かない。
久々すぎて忘れていたが、風邪ってこんなにも辛かったんだな。
前回は、中学の頃だった。
苦しくてどうしようもなくて、不安定になっていたから普段我慢している物を吐き出すように部屋の物に当たり散らかした後、ぶっ倒れてしまった。
その後、意識朦朧としながら後藤家に助けを求めて連絡を入れていたらしい。
気が付いたら、ベッドの傍でひとりが目元を腫らしながら「大丈夫」って言いながら手を握ってくれていたのを憶えている。
後で聞いたら、あんなに寝ながら苦しんでいる俺を見て昔を思い出したから泣いていたらしい。
一緒に来ていた美智代さんとひとりの看病で、メンタル面も回復したのは良い思い出である。
『い、いっくん……辛い時言ってね』
『うん』
『すぐ行くから。私……何も出来てないけど』
『うん゛。また頼る』
…………。
あの時、ぎゅっと俺の手を包むひとりの手の感触でどれだけ安心できたか。
また、あれがあったらな……。
高望みも良いところだ。
余計な事は考えず、今は寝てしまおう――俺は瞼を閉じてすぐ、意識を失った。
昼過ぎにインターホンの音で目を覚ます。
音からして、既に玄関前にいるのが分かった。
体が熱い。
朝よりも体が重いが、ベッドから離れて玄関へ向かう。
誰だ……配達か?
どちらにしろ、手短に終わらせて欲しい。
俺はやや荒れた気分のまま玄関扉を開けた。
「……大丈夫?」
ぼんやりした意識でその声を聞く。
こちらの顔色を窺いながら気遣うような声色は、まさか。
「ひとり?」
「え……」
「そっか……オマエっていつも、俺が弱った時に助けてくれるよな……」
ひとりが、来てくれた。
俺が不安になったりしたら、必ず助けてくれる。
一年分のストレスで体も心も重い俺を、年末にはいつもその優しさで受け止め、心の底から癒やしてくれる。ライブだって窮地に陥っても、逆境に抗う姿が不安を払拭して見ている俺や観客を救ってくれる。
だから、ひとりは救世主なのだ。
俺は本能的に目の前にいるひとりの体を抱きしめた。力加減が出来ていないからか、戸惑いの声が聞こえる。
「か、看病に来たよ」
「すまん……助かる……」
「うん、じゃあ……まず中に入ろっか。
――――一郎くん」
ヒーローを要請しますか?
-
至急!!直ちに!!お願いします!!
-
まあ、落ち着け……様子を見よう。
-
ヒーローって誰だ……?