下北沢の駅前を彩る人の流れを眺める。
退屈な待機時間も勉強しておくべきなんだろうが、やはり中々そんな気にはなれない。
これから来る待ち人の所為だろう。
俺としても、帰れるのなら帰りたい。
仲が良い相手ではないのだが、どうしてか今日は呼び付けられてしまい、無視すると後々が面倒臭いから。
それにしても、あと待ち合わせまで十五分か。
これだけ持て余すと無駄な事を考えてしまう。
そういえば、最近はひとりばかり頭に思い浮かぶ。
今までなぜ意識せずにいられたのか不思議でならないが、元から容姿はもはやアイドルレベルと理解していたけど、女子として見てしまったのは泊まった時の一件が決定的だった。
そう、ひとりも女の子だ。
俺が見過ごしていただけでしっかり成長している。
そして……痛感してしまった。
どうやら、俺は
あの後、無防備なひとりにドギマギさせられた。
腕を抱きしめてきたり、年始年末ではしなかったのに一緒に寝たいと顔を真っ赤にしながら頼まれた時は、首を吊って死体になってからなら一緒に寝れると考えた程である。
今思うと、ひとりも危機感が足りなさ過ぎる。
……それ、リョウもか?
アイツもよく見知った相手とはいえ、男の家に堂々と宿泊し、しかも薄着で密着したり、甘い言葉を囁いてくる辺り理性があるのか疑わしい。
待て、女の子ってそうなのか。
否、違うだろ。
俺という人間を試している……?
もしそうなら、リョウにおいて完全に失格だ。
毎度ながら誘惑に負けてしまい、翌日に響くレベルにまで発展してしまう。我ながら獣というか、逆にリョウに申し訳ない。
『い、いっくんも男の子だもんね』
ひとりに言わせていい台詞ではない。
自分を何度も殴りたい気分だ。
しかも、一緒に寝た後の朝は同時に目を覚ましたかと思えば、起き抜けに俺にハグしてきた感触も相俟って爆発しそうだった。
よく堪えた、俺。
そしてくたばれ、俺。
それにしても……あの言葉は本当だろうか。
ひとりが俺を『好き』だと言ったのは。
そして、それに続いて『ごめんなさい』と謝罪していたのは何故だ。
俺は気づかない内に、ひとりと何か致命的なすれ違いをしてしまっているのではないか。
「ふん。ちゃんと待ってたのね」
沈思に耽っていた俺に、そんな声がかかる。
来なきゃ良かった第一弾。
やれやれ、先に来たのを後悔する態度だ。
俺が人との約束を反故にするような人間に見えるとでもいうのか。自分でも見えているから敢えて反応はしない。
待ち合わせの十分前。
尊大な態度に反して、きっちりした人間だ。
いや、これが普通だよな。
最近バンドマンばかりに囲まれた生活をしているから常識が揺らぎつつある。
俺は待ち人に向かって手を挙げた。
「四分遅刻だぞ」
「う、嘘!?そんな筈ないでしょ!ちゃんと三十分前に駅には着いて、今来たように見せたのに……」
「そんな事してたのか」
何故そんな謎ムーブを……?
ともかく、俺は待ち人――大槻ヨヨコを迎えながら、どうしてこうなったのか、その経緯について思い返していた。
新宿FOLTでのライブ後だった。
きくりさんの介抱も終え、ようやく帰ろうとした時である。
同じようにライブをしていた『SIDEROS』に呼び止められた。
『あの〜、一郎さん』
ライブハウス入口で声をかけて来た『SIDEROS』のメンバーである長谷川あくびさん。
俺やヨヨコよりも歳下で、明るい色のショートの髪型と常に着用している黒いマスクが特徴の少女である。
正直、たまに歳上ではないかと疑うミステリアスな空気感の持ち主なので、本人からは「あくび」と呼べと言われるが、ついさん付けしてしまう。
喜多さんは、ほら……本人がグイグイ来る質だからさん付けでせめて最低限の距離を作ろうとしている。
『ん?あくびさん、どうかした?』
『大槻先輩が探してましたよ』
『ヨヨコが?またか』
『また?何かあったんですか』
『きくりさん目当てで来る俺に、自分たちは応援しないのかって遠回しにアピって来るんだよ』
そう言うと、あくびさんに苦笑された。
たしかに『SICKHACK』のライブを観に来ているが、同じようにやっている『SIDEROS』のライブだって充分に楽しませて貰っているし、応援もしている。
ただ、そこが伝わらない。
如何せんヨヨコと俺の意思は疎通できていない。
『分かった。すぐ行く』
俺はあくびさんに案内されて歩く。
控え室の方で、ヨヨコは足を組んでソファーの上にふんぞり返っていた。
『どうした、ヨヨコ』
『訊きたい事があるのよ』
『訊きたい事?』
『ええ』
『それで?』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………そんな言い難いのか?』
ヨヨコに尋ねる事があると言われて言葉を待つが、口を開いては閉じ、顔を赤くしては白くし、厳つい表情になったかと思えばおろおろしたり……と百面相の時間が続くだけだった。
沈黙が続いていると、横から肩を叩かれた。
俺の隣にいた本城楓子さんがくすくすと笑っている。
おっとりとした人で、やはり彼女も歳下とは思えない色気があって以下略。
『ヨヨコ先輩、さっきまで無視されたらどうしようとか、帰ってたらどうしようって混乱してたので』
『はあ』
『ちょっ、余計な事言わないでよ!?』
『要件なら早く済ませてくれ。帰って飯作らなきゃいけないから』
『雑ぅ!私の扱い雑!』
理不尽だと叫ぶヨヨコだが、文句ではなく要件を伝えて欲しい。
長居すると、きくりさんにまた捕まる。
折角イライザさんや志麻さんが逃してくれたのに、このままでは家まで着いて来そうだ。
『あっ、少年〜!』
『うげっ、見つかった』
『あたしを置いてくなんてぇ、駄目だぞぅ?』
きくりさんが来て、ヨヨコがますます口を開き難い雰囲気になってしまった。
首筋に抱き着いた彼女から漂う酒精の香りに、俺は思わず顔を顰めてしまい、それが自分に向けられた物だと勘違いしたヨヨコの顔色が悪くなる状況。
何だ、この地獄は。
『こ、ここではちょっと』
『なら、後でロインしてくれ』
『ろ、ロインじゃ駄目。……アンタ、□□日に時間ある?』
『えぇ……バイト休み……』
『そ、そんなに嫌?……じ、じゃあ、○○日は?』
『その日はバイト!』
『何で嬉しそうなのよ、腹立つ!シンプルに嫌なヤツ!』
『□□日で頼む』
『じ、じゃあその日に下北沢駅集合。時間は後で連絡するわ』
そうして、ヨヨコと本日会う約束を交わした。
因みに余談だが、結局きくりさんは家まで着いて来てしまい、風呂と食事を提供する羽目になった。
その際に、また首筋に噛み跡を残され、疲労とストレスが閾値に到達していた俺が意趣返しにきくりさんをソファーに押し倒して露出した肩にキスマーク付けたら真っ赤になって黙り込んだ。
その後の記憶が何故か曖昧だが、きくりさんを見るに特に事故は起きなかっただろうし、消臭もきっちりしてリョウに気取られずに済んだ。
あの日は散々な一日だった。
そして、今日はその延長のようにも感じる。
ヨヨコに罪は無い。
有罪なのは、きくりさんだけだ。
「さ、行くわよイチロー!」
「何処にだよ」
「カラオケに決まってるでしょ!」
「またカラオケ?喫茶店とかで良いと思うけど」
「あんな他人が沢山いる所で話せるワケないでしょ」
来なきゃ良かった第二弾。
なるほど、ヨヨコはそうなのか。
以前にバイト先で悩み相談してきた喜多さんと個性の違いが見えて、少しだけ面白い。
でも、カラオケも騒がしいから内緒話に向いた空間であるか否かは疑問ではある。
それに、相談事って?
音楽関係だと俺は木偶坊である。
喜多さんの相談には乗ったが、彼女の反応からも誤った導き方をしているようにしか見えないので自信が無いのだ。
「何?乗り気じゃないの?」
「乗り気ではないけど、ヨヨコの歌声を聴けるなら別に良いかと思って」
「ふふ。ホントに私の歌声好きよね、イチローは」
「まあ、きくりさんの方が良いけども」
「がふッッッ!!」
道端で血を吐いてはいけませんよ。
来なきゃ良かった第三弾。
カラオケの個室に入るやヨヨコは料理を注文した。
一緒に行く友だちもいなかったし、リョウとの別れ話で少し沈んでいたところをヨヨコに引き摺り込まれたのが前回だ。
良い思い出どころか、そもそも思い出すら無い。
運ばれて来る料理を受け取り、受け取り、受け……多くないですかね。
ちらりとヨヨコを見る。
自覚は無いようで、「何か?」みたいな鋭い視線を返されるだけだった。
メタルバンドだから、意外と消費エネルギーが人一倍多いのかもしれないな。
「それで、話って?」
「まずは歌うわ」
「あ、そう。何を歌………!?」
「ふっ」
ヨヨコが早速カラオケマシーンに入れた曲名がテレビ画面に表示される。
俺はそれを見て愕然とした。
これは、『SIDEROS』の楽曲ではないか!
「ば、馬鹿な……」
「ふん。見て驚きなさい。聴いて慄きなさい」
「一体どんな魔術を使った!?」
「人気バンドだから。理由はそれだけよ」
自慢気な顔でヨヨコが告げる。
そんな事が可能なのか。
でも、彼女ほどの人気でこんな事態が起こりうるのならば、もしかして『SICKHACK』の曲も幾つか登録されているのかな。
俺はカラオケマシーンと同期したタブレットで検索をかける。
ええと、『SICKHACK』の曲は…………無い!?
ヨヨコの曲があって、何故きくりさんは無い?
何か条件でもあるのだろうか。
俺は店舗情報を検索し、登録楽曲関連についての情報を見た。
申告すれば、登録できる……か。
一定数以上の申請が必要となるが、なるほど身内などに頼めばクリアできそうだ。
どんな奇跡かと思えば、とんだ奇術である。
ドヤ顔で歌っているヨヨコに、俺は穏やかな笑みで合いの手を入れてやる事にした。
「どう!?」
「ああ、凄かったな」
「……何か腹立つ顔ね。何かあった?」
「別に。ヨヨコは凄いなって」
「凄いって部分、何で鼻で笑った?」
「気の所為だよ。どうした、何でそんなカッカしてるんだよ」
「アンタの所為だけど!?」
やれやれ、騒がしい子だ。
来なきゃ良かった第四弾。
俺がヨヨコを温かい目で見ていると、歌い終えた彼女からマイクを手渡された。
…………何事だ。
俺が視線で問うと、最近のヒット曲が画面に表示されていた。
え、歌えと?
「カラオケなんだから、ちょっとは歌いなさいよ」
「話しに来たんだけども?」
「まずは一曲歌ってからよ。何?タダで私の歌を拝聴できると思ったの?」
「来なきゃ良かった第五弾」
「五回も後悔してたの!?」
泣きそうになっているヨヨコを尻目に俺も一曲歌う。
幸いリョウの影響で少しは音楽を聴くようになったので歌える。
歌いきった後、俺はヨヨコを見た。
「上手でも下手でも無いわね」
「どうも」
「でも、カラオケ来た事無さそうなのに意外と歌えてる方じゃない?」
「ヨヨコは一人カラオケの経験豊富そうだな」
「そ、そんなワケないじゃない!?いつも大人数よ!」
そんな剥がれやすい鍍金のような嘘を付かなくても。
呆れながら彼女を見ていると、ようやく話せる空気が整ったのか、ヨヨコがソファーで腕を組みながら俺を睨めつけてくる。
「アンタに訊きたい事があるの」
「はい。どうぞ」
「……最近、『結束バンド』はどうなの?」
「『結束バンド』が気になるのか」
意外な内容に、俺も思わず前に身を乗り出す。
すると、気まずげにヨヨコが視線を逸らした。
「別に。『未確認ライオット』に向けてライバルがどんな風に動いてるか気になっただけ」
「…………」
「何よ」
「いや。相変わらず根は良い子だと思って」
「は?喧嘩売ってる?」
「悪口じゃない。……そうだなぁ」
結束バンドか。
今は何をしているか、俺もあまり分からない。
この前のひとりがファンの助力により、新曲のMVを製作したことだけは聞いている。
リョウも最近は話してくれないから、俺の持つ情報量が乏しい。
最近は虹夏の様子も危ういし、その事でリョウに尋ねると。
『私以外の名前を口にする時間じゃないよ』
と、怒られる。
だから、一介のファン程度しか情報は無い。
これは、わざわざカラオケまで使って場を整えて尋ねるヨヨコの勇気と労力を無駄にしてしまった気がする。
直近の新曲完成及びMV製作の話があるのが不幸中の幸いだ。
「未確認ライオットに向けた新曲が完成したって」
「ふうん。調子は?」
「さあ。ヨヨコが思うほど俺は四人とそこまで情報共有してないぞ。部外者だし」
「……あれ、今日の私って骨折り損?」
「そうだな。よく頑張った」
「慰め方が雑!!」
すまない、主に慰められる方だったから。
肩を落とすヨヨコに苦笑しつつ、俺は料理の一つに手を付ける。
……カラオケって、意外と手が込んでるな。
美味しくて、一口また一口と食事が進む。
「ねえ」
食欲に火が点いた俺に、ヨヨコが座る位置をずらして近寄ってくる。
「アンタ、どっち応援するのよ」
「どっち?」
「結束バンドか………私たちか」
その問に、俺は気付かされた。
未確認ライオットにはヨヨコ達も参戦している。
たしか、投票形式の選考があるらしいので、必然的にどちらかを応援しなくてはならない状況が待っているのだ。
考えもしなかった。
単純に『結束バンド』を応援するつもりだったが、よくよく考え直せば『SIDEROS』も捨て難い。
「今、悩み始めた」
「ふーん」
「……何?」
「別に。まあ、悩むのも良いけど」
曖昧な返答は不安にさせるだけの筈なのだが、ヨヨコは何処か自信に満ちた笑顔だった。
勢いよく立ち上がると、俺の傍にあったマイクを手に取って構える。
「見てなさい。――後で断然私たちだって言わせるくらいファンにしてやるから」
『SIDEROS』のリーダー・大槻ヨヨコとしての強い声音に胸を打たれる。
固まっている俺に、益々自信が付いたかのようにヨヨコは笑みを深めた。
これは……本当に悩むな。
「――――先輩♡」
「ひっ!?」
「うっ……ま、また目眩と幻聴が……!」
背筋を舐められたと錯覚する声に俺は震え上がり、ヨヨコは謎の幻覚症状に見舞われる。
二人で扉の方を見ると、影が二つ扉の前に佇んでいた。
少しだけ不安だが、俺は意を決して立ち上がり、ゆっくりと扉を開ける。
そこには――。
「前田先輩……こんな時も私を虐めるんですね♡」
「あっ、い、いっくん……何で、女の人と……」
来なきゃ良かった第六弾。
おまけ「酒酔いの過ち」
ライブ後、今日もあたしは少年を誂っていた。
最近は少しずつ逞しくなってしまったけど、まだまだ可愛いところがある。
大人のあたしに振り回されてくれないとな。
妙に大人びている所があり、それはきっと誰にも頼れないという部分が生活の中に色濃くあったから備わった性質だと薄々感じ取れる。
だから、こうして混乱して子供らしく取り乱してくれる方が良い。
……と思っていたら、思わぬ反撃を受けた。
「恥っっず……」
あたしは浴室にて顔を両手で覆っていた。
酒の勢いに任せ、また少年に噛み付いたら逆に肩にキスされてしまった。
さっきから、そこがジンジンと疼いている。
この方、好き放題振る舞っていて痛い目を何度も見てきたけど、この類は経験が無い。
しかも、逃げないようがっしりと体を掴まれた時は男らしい力強さを感じてしまって、怖いと思うと同時に何だか体が火照った……気がする。
何事も限度が必要、だよね!
今日はもうこれで充分。
後は、少年のベッドでゆっくりと休もう。……って、そう言えば少年にお水って嘘ついてパック酒移した物を渡してから風呂に入ったけど、大丈夫かな。
少し酔いから醒めた脳で危惧したが、しっかり者の少年が酒だと気付かずに飲む筈が無いと思い至った。
さーて、体を拭いて、髪は……メンドイから少年に頼んじゃおーっと!
ドライヤー片手に、あたしは居間へと駆け込んだ。
「少年〜!髪乾かしてー!」
「………」
「……?少年?」
少年は、ダイニングテーブルに突っ伏していた。
傍に寄ったあたしが再度呼びかけると、据わった目で見つめてくる。
あ、ヤベ。
これ飲んだっぽい。
志麻と先輩と妹ちゃんに殺される。
少年が立ち上がり、至近距離で思いの外大きな体躯が立ち上がった様子に驚いて後退るあたしに、のそのそと 距離を詰めて来る。
それが怖くて後ろへと逃げていたが、やがて壁に背中が触れて退路が無い事を悟った。
「し、少年〜?お加減はー……ひっ!?」
どん、と顔の横に手が突き出される。
少年は、依然としてあたしを見ているか見ていないか分からない目だ。
「きくりはん……からかうのもいい加減にしてくらはいよ」
「え、へ?」
「毎回きくりはんの薄着にドギマギさせられて……ほうやって髪乾かさせらり、俺を都合のいい男だと思ってまへんか……?」
「あ、あの、少年〜?」
「我慢にも限度ってもんがあるんれす……」
視線は相変わらず曖昧。
なのに、ぎらりと目が鋭い光を宿した。
「なので、ちょっと痛い目見てくださいね」
え、あの、え……へ?
翌朝、あたしはベッドで目覚めた。
隣では、少年が枕に顔を埋めて深く眠っている。
それを見てから、あたしは自分の腕やら肩やら鎖骨やらについた痕を見返して……顔どころか全身が沸騰しそうな熱を取り敢えず酒で誤魔化す事にした。
「はーっ、男の子って凄い」
未遂だったけど、子供だと侮って痛い目見た。
その後、体を見せるワケにはいかないので少年の前では絶対にジャケットを脱がずに帰った。
次回、どうなる?
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山田リョウの凋落
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伊地知虹夏の箱
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喜多郁代の陰謀
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