冬の終わり、もう暦は弥生。
俺はカレンダーでこれを見る度に嫌になる。
この月は、両親が海外出張から戻るのだ。
郁人さんには気まずいなら、その期間だけでもウチに来ないかと誘われたが、避けたってどうにもならないので丁重にお断りした。
それに、ひとりの事もある。
俺も変わろうと決意したのだ。
なるべく俺からも歩み寄ってみなければ、永遠にこんな関係が続く。別に続いたって大問題ではないし、むしろ頑張るほど悪化する事態も想定できるから下手に触れるべきではない。
行動の如何については、彼らを見て決めよう。
去年のようなハプニングさえ無ければ、な。
先月の末には連絡があったから、既に準備は出来ている。去年のように、山田リョウの突発的な謎気遣いで寝過ごしてさらなる混沌が出来上がる可能性は未然に防げる筈だ。
今日はもう、起きている。
後は、両親の来訪を待つだけ。
俺は食事の用意も済まし、居間のソファーでその時を待つ。
予めリョウへの連絡は済ませた。
今日だけは来るな、と。
また恋人ネタで弄られて調子を乱されてもストレスが倍増するだけだ。今日を乗り越えれば、彼らは勝手に旅行なり何なり自分の事で忙しくなる。
これが俺に出来る最善。
「来たか」
午前十時。
スマホには『着いたよ』というメッセージ着信、間もなくしてインターホンが鳴って俺は腰を上げる。
気合を入れろ、前田一郎。
今年唯一の『良い息子』を演じる期間、ここだけなのだからやるだけやれ。
俺は玄関へそそくさ向かい、扉を開ける。
「ただいま」
俺を迎えたのは、両親――と山田リョウ。
彼らよりも前に立って俺に挨拶をする彼女の堂々とした姿に、さすがは通い慣れてるだけあって違和感が無いなと思った。
俺は三人を家に入れる。
そのまま居間へと向かう彼らを見送り、玄関扉を施錠した。
さて、まずは彼らの荷解きを手伝うか。
「って、ちょっと待て」
「どうしたの」
「どうしたのじゃねえよ、最大の違和感」
「…………?」
両親に続こうとしたリョウの襟首を掴む。
服が伸びると嫌そうな美形顔を自室まで引っ張った。
「何でいるんだよ」
「スマホが壊れた」
「また?去年は自転車で今度は何だ、トラックか?」
「バイク」
「二輪繋がりかよ」
去年は自転車、今度はバイク。
運命的にも程がある損傷事情である。
これはリョウ自身の問題ではなく、運命が俺に嫌がらせをしているからなのかと不思議な納得すらしてしまう。
……って、去年までの俺なら言うだろう。
残念ながら、その手には引っかからない。
昨日、ロインで連絡したのは夜中の十時。
既読が付いたのも見てるし、その時間帯は既に高校生が出歩いて良い時間ではなく、バイクなんかに遭遇する可能性は一分たりとて存在しない。
つまり、壊れているのは嘘だ。
俺はリョウに向かって手を差し出す。
「じゃあ、スマホ見せて」
「……こ、壊れてるから家に置いてきた」
「それで?」
「な、無いから見せろと言われても困る」
ほう。
俺はそうかと頷いて、指の骨をぱきりと鳴らす。
びくりとリョウの肩が跳ねた。
……よーし。
「この前の説教は足りなかったか」
「ち、違う。ほんとに壊れた」
「壊れてたとしても、前々からこの日は来るなって直接言って念押ししてたよな」
「…………」
「今日は何で来た?ん?」
「……将来的にも一郎と一緒にいるワケなので根回ししようかと」
「想像の五百倍重い話かよ」
将来的にも寄生する宣言かよ。
山田夫妻が悲しむからやめて欲しい。
そんな魂胆で家に来られても俺と両親の方が困る話ではないか。ギスギスしてる親子間にそんな話題を持ち込まれても……。
第一、リョウは却下。
まず俺が息子想いの人間ならリョウはアウトだ。
絶対に認めたりしない。
「俺は将来、ひとりが困った時の為に独身でいるべきなので無理です」
今思いついて用意した言い訳を放つ。
成長していくひとりを見ると、もはや必要無い約束ではあるが、この場限りでは俺を守る盾にもなる。
果たして、それを聞いたリョウは――目を細めた。
自分の服のボタンを一つずつ解いて胸元を広げると、そこにある素肌が見える。
白い肌に朱の花が点々と咲いていた。
いや……あの、それは……はい。
「こんな事しといて?」
「……」
「写真撮って、結束バンドのグループに送信しよう」
「分かった。俺が悪かった」
スマホをチラつかせて山田リョウが微笑む。
俺は全力で頭を下げ――る前に、スマホを持つリョウの手を掴んだ。
「やっぱり持ってるじゃんか」
「こ、これは予備」
「ズボラなオマエがスペアなんて用意してるワケ無いだろ!」
ああ言えばこう言う。
俺は苛立ちながらも、冷静さを取り戻しつつあった。
両親と一緒に来たリョウを直ぐ追い返しても変に勘繰られたりして面倒臭いし、このまま家に帰しても後日さらに将来的な根回しとか怖い理由で来るようなリョウがどんな報復行動に出るか分からない。
何て厄介な生き物なんだ。
俺は諦めて、作った昼食用の食事がリョウの分も足りるかどうかを考えた。コイツの食欲次第では、また量を追加分も拵えなければならない。
大体、本当は何の用で来たんだ。
将来の根回しというのも怪しいぞ。
「一応訊くけど、腹空いてる?」
「うん」
「……はあ。今日は大人しくしてろよ、ホントに」
「それを待ってた。この日のご飯が絶対豪華だと思って楽しみにしてた」
「やっぱり飯目的かよ」
たんと食ってけバカヤロー。
現在、両親と俺にプラスしてリョウ。
もう家族の一員もさながらの馴染み具合で、誰よりも俺が作った白菜カレー肉豆腐を白米に絡めて一口に堪能し、満足気に鼻を鳴らしている。
三人に出している料理は一緒だ。
ただ、一点だけリョウは違う。
昨晩に作った千切大根の煮物を小皿へ勝手に出しており、一緒に入っている人参が口の中でほろほろ溶けるのが白米と相性が良いとか豪語しており、最後まで残している。
「ホントに遠慮が無いな……」
「虹夏のご飯にも負けてない」
「別に競ってないけど、あの味と同じ評価なのは有り難いな」
「週七で食べたい」
「ああ。他所で毎日食ってくれ」
最近、居ない日を探す方が難しい。
俺の懐の甘さが招いた厄災だ。
正直、クラスではリア充なのかとか持て囃されるんだけど何も嬉しくない。一言で表すならば、夜には怪物と化す化け猫を周囲が可愛い猫だねと褒めちぎるような感じに似ている。
顔が良い。
神秘的。
女を殺せる女。
そんな評価が学年で通っているとか。
俺からすれば、顔が良いのは認めるが性格の方が壊滅的で、神秘的というより退廃的、女を殺せる女ではなく俺をストレスで殺せる邪神なのが適当な評価だ。
よく付き合ってるな、俺。
「一郎、おかわり」
「あら。リョウさん早いのね」
俺よりも両親と仲が良いのも困り物だ。
着実に前田家からの心象を良くして、本当に将来的な建前までにも利用されたら恐ろしい。
恋人をここまで悪し様に言う男も珍しいのかもしれないけどさ。
俺がリョウの茶碗を手に、台所の炊飯器まで運ぶ。
まあ、予想外な事にリョウに興味が集中して両親があまり積極的に俺に絡んで来ない事かな。
……いや、リョウが惹きつけてくれてるのか?
思えば、不思議なのだ。
あまり他人と会話量が増える事自体を面倒臭がる程度には陰キャで、俺を気に入ったのも特に構ったりしないからというのが理由なヤツだ。
それが今では律儀に両親との会話に応じている。
あの、普段は気を使えないリョウがだ。
俺はリョウへと振り返る。
「一郎、おかわり」
いや、単に好物でテンション上がってるだけか。
俺は茶碗に白米を盛り、リョウの手元へと置いた。
さて、そろそろ両親も話し疲れと時差の調子狂いで眠くなってくる頃合いだ。
俺が時計を見ると、完食した両親が箸を置いて欠伸をする。
「ごめん、一郎くん」
「お疲れ様。片付けはやるから、ゆっくり休んで」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えるわね」
両親が立ち上がって自室へと引っ込んでいく。
俺はそれを笑顔で見送って…………隣のリョウを睨んだ。
「オイ、いつまで食べてるんだ」
「ん?」
「いつもより食欲旺盛じゃないか?」
「今日のご飯は豪華だから楽しみだって言ったじゃん」
「ああ。……それが?」
「だから、昨日は朝ごはん抜いてきた」
そんな重い楽しみ方されても……。
自分の飯に対する期待の大きさに俺が戦々恐々とする中、まだリョウの手は止まらない。
まあ、特に噛まれたり引っ掻かれたり迷惑してるワケではないから、まだマシか。
取り敢えず、洗濯物を干しながらコイツが完食するのを待とう。
「ん?」
インターホンが鳴って、俺は足を止める。
しかも、マンションのオートロックの方ではなく玄関扉前からだ。
宅配便、ではない。
でも、今日ここに来るような人間がいただろうか。
隣の人のおすそ分け……は昨日あった。
本当に何なんだろう。
「ちょっと出てくる」
リョウに一言伝えるが、聞いていない。
アイツの世界は、今自分の中に響く咀嚼音で満たされている。
俺はため息をつきながら玄関に出て、扉を開けた。
「はい、どちら様――」
「あ、一郎くん。こんにちは」
心臓が止まるかと思った。
目の前には、冬の寒気に鼻や頬が赤らんでいる虹夏。
可愛らしい手袋で包んだ手を挙げて俺に挨拶をした。
どうしてここに、という声は出ない。
俺が愕然としているのも気にせず、虹夏は手に何かを提げていた。
「『
………俺の世界では滅びの呪文が聞こえた。
『箱』は使うべき?
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使わなくては、人は進めないッ!
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使わないって手もあると思うぜ?
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ここは判断を後藤ひとりに委ねましょう。