思い返すと、一目惚れだったかも。
廊下で一度だけすれ違っただけだった。
私と彼は、ただの同級生でしかない。
でも、出会った瞬間だけははっきりと憶えてる。凄く悲しい目をした人だな、って強く印象に残った。
誰よりも影が濃かった。
本人は意図していないだろうけど、私はその微かに悲しげな眼差しに目を引かれた。
それから、私は意識するようになった。
朝礼などで集合したり、同学年の教室の前を通過する時に姿を探した。
そして、彼を見つけると足が止まる。
今日も、あの目だ。
見る度に、胸の中で何かが膨らむ。
そして自覚できるくらい大きくなった時、その正体が無責任にも『彼を助けたい』という想いだと知った。
理屈ではない。
妙に強い使命感にも似た衝動だった。
でも、触れた瞬間に壊れるような危うさも感じて踏み出せなかった頃――。
「前田?」
「他クラスの男子で、ご飯食べによく家行く」
親友のリョウが男の子の家に通うようになった。
最初は、生活力ゼロでどこか抜けているリョウの事だから騙されてるんじゃ……とも思って忠告混じりに問い詰めたら、その相手が洗濯物を取り込む姿を撮った写真を見せてもらって気付いた。
あ、彼だ。
「こ、この人が前田くん?」
「そう、前田一郎」
「……………」
「虹夏?」
言葉が出なかった。
名前……前田一郎くん、って言うんだ。
「……リョウ、甘えすぎると迷惑だよ。前田くんの家族だっているんだし」
「前田はいつも一人」
「えっ?」
「親が一年中海外出張でいないって」
それを聞いて納得した。
あの顔は、あの目は、そういう事なんだ。
さらに、彼には友だちもいないという。その独特の雰囲気で、話しかけて良いか、バイト尽くしらしく忙しくて遊びに誘っても良いのか分からない……そうやって、周囲も干渉しにくいんだという。
ずきり、とまた胸が痛んだ。
それから、リョウを介して会えないかと思い、会ったらどうしようかなんて脳内でシミュレーションしたりとかなり浮足立っていた。
そんな風に妄想を膨らせていたら、帰り道の途中で一緒に帰るリョウと彼――前田くんをみつけた。
「今日、家に寄るね」
「……飯食ったら本当に帰ってくれよ」
「ご飯前にシャワー浴びたいから途中で私用のシャンプー買っていく。あと、着替えに前田の服貸して」
「ごめん、全部聞こえなかった事にする」
リョウと前田くんが談笑……談笑?している。
前田くんはかなり困り気味だ。
ここは助けなきゃいけない。
リョウは私の親友だし、それが他人を困らせてるならいつも面倒を見てる私が何とかしないと……!
そう決心し、二人へと駆け寄ろうとして――固まってしまった。
隣にいるリョウへ振り向く前田くんの横顔が見える。
そこに、あの時みたいな悲しげな陰りは無かった。
笑顔ではないけど、いつもに比べたらかなり明るい印象を受ける。
リョウも、そんな彼に分かりにくいくらいの微笑を返していた。
何だろう。
あの二人に流れる空気って、少しだけ……。
「…………」
私が、助けたかったのに。
♪ ♪ ♪ ♪
家に帰ると、山田がいるらしい。
ロインで伝達された内容に俺はため息が出た。
雨が降るバイトからの帰り道を歩いている。夏休みももうすぐ終わるし、午前で切り上げるシフトも今週で終わるだろう。
それにしても、最近は疲れが溜まる。
家に帰ってもかなり憂鬱だ。
夏休みがそろそろ終わるからなのか、俺の家で課題をやる山田の相手をしなくてはならない。以前に成績が良いとそれとなく自慢した結果、頼られるようになってしまった。
自分でも足取りが重いと分かった。
意識してないとまたため息をついている。
「あ、前田くん」
「ん」
聞き覚えのある声がした。
行く手の路肩にある蕎麦屋の庇で雨を凌いでいる少女がいた。
長いサイドポニーから水が滴っている。
服も水分を多く含んで肌に貼り付いており、やや透けていた。
…………えっ。
「伊地知さん?」
「あはは、久しぶり」
俺も庇の下に入って、今着ている上着を伊地知さんの肩にかけた。
それからカバンから出したタオルを手早く渡す。
「え、いいの?」
「使わないと風邪引くでしょ。ずぶ濡れだし」
「前田くん、用意が良いね」
「小さい頃から親が共働きだからさ。何か自分の事は自分でできるようにって、変に準備だけは良いんだよ」
「……そっか」
伊地知さんがタオルで体を拭いていく。
よくやった。
今日はまだ未使用だったのが幸い。偶然とはいえ、この時に使えて良かった……過去の俺ナイス。
それにしても、何故ずぶ濡れなのだろう。
朝から雨は降っていたのに。
「伊地知さん、傘は?」
「途中で壊れちゃったんだよ……」
「それは、気の毒に」
「へっくち」
う、やはり寒いのかな。
「家まで送る」
「でも前田くんも何か用事で外出してるんでしょ」
「バイト終わりなんだ、今」
「そっか。……じゃあ、お願いしよ――」
会話の途中でロインの通知が鳴る。
俺がスマホを確認すると、山田からだった。
内容は。
『冷蔵庫のカスタードプリン、貰うね』
……それ、バイト帰りの楽しみなのに。
また何度目かのため息が出た。
遠慮の無さには慣れたつもりだったが、ストレスなのは変わりない。いっその事、冷蔵庫の中に最低限の物以外は置かず、山田除けの対策を布くべきだろうか。
夏祭り当日も、アイツの為に手料理を振る舞ったのだが、「ここまで豪華なのは予想してなかった、前田頑張りすぎ」とか引かれて最高にイラッとした。
オマエがやれって言ったんだろうが。
でも、何だかあの日は特別だったな。
映画観たり、山田の曲を聴いたりするだけの時間だが、それでも俺は充分に楽しんでいたと思う。
夏祭りの鬱屈とした気分を忘れるほどに。
かなり山田を調子付かせてしまったけど。
「どうしたの?」
「山田が俺のプリンを食べるんだとさ」
「……リョウって今日も前田くんの家にいるの?」
「ここのところ、週五です」
プリン食べたかったな。
高校になってから忙しさが増している。
最たる例は山田とバイトだ。
山田にプライベートゾーンを侵害されて以降は、どうにも人の面倒を見るのが不本意にも上手くなってしまった。
バイトは単純に休めない。
周囲はお盆で帰省する人もいたが、俺の両親ってどちらも親と絶縁しているらしいから、実家に帰る事も無いし、友だちもいないので誰よりも働いてる。
夏休みって……何だ?
「この前は山田の親まで来てさ」
「え?」
「娘とはどういう関係?とか尋ねられて、何を答えても誤解を招きそうで大変だった」
「……前田くん、もしかして」
伊地知さんの目がきらりと光った気がした。
え、どうした。
「リョウにかなり困ってる?」
「はい、とても」
そう答えると、伊地知さんがよし!と可愛い声を上げる。
胸前で両拳を作り、表情を引き締めた。
何をしても可愛いな、この人。
「前田くん、私も家に行って良い?」
何処かで雷が落ちた。
いや、俺の中だった。
「え、何で?」
「良かったら、私が帰る時にリョウごと引き取れると思う。……それに一度は前田くんの家遊びに行きたかったし」
なるほど。
たしかに、伊地知さんなら山田を連れ出せるかもしれない。
夏休み前にはお釈迦になった伊地知さん訪問も叶うとなれば、俺としては一石二鳥ではないだろうか。
考えれば考えるほど幸せになっていく。
「じゃあ、お願いしようかな」
「それじゃあ、服が乾くまでお邪魔します!」
俺は伊地知さんを傘の下に入れて一緒に歩く。
希望が見えてきた。
家に帰ると、山田が俺たちを迎えた。
俺のシャツ一枚の姿で。
「ん、おかえり」
隣でバッグを落とす音がした。
伊地知さんが瞠目し、山田を凝視している。
何か変な事でもあったのだろうか。
そういえば、山田は着替えているようだ。俺がバイト中に家に入ったようだが、その途中で雨に濡れたのかもしれない。
「前田、シャワー借りたよ」
「オマエも濡れたの?」
「うん。服は洗濯機に入れたから」
「はいはい」
俺は靴を脱いで上がる。
伊地知さんは靴の中まで濡れているようなので、新しいタオルを持ってきて玄関前の床に敷いた。
これで足を拭けるだろう。
「伊地知さん」
「――――」
「伊地知さん?」
「え、あっ、うん!お、お邪魔しまーす」
「シャワー浴びる?」
「そ、そこまで厄介には……!」
「いいよ。一回温まって来なって」
一拍遅れて伊地知さんが反応してくれた。
彼女が脱衣所へと向かっていく。
俺はその間に着替え……というか、いつしか服を借りまくる山田に嫌気が差して自ら購入し用意した山田用パジャマを用意した。
山田がそれを見て小首を傾げる。
「レディース?……何で前田が」
訝しむ山田の視線がやや鋭い。
やめろ、邪推するな。
「本来オマエのだったんだよ」
「…………」
「なに?」
「私用の物なんてあったんだ」
「オマエが遠慮せず俺の物を使うからな。何なら今からこれに着替えるか?」
「今は前田のシャツがあるから」
「俺のシャツなのに」
シャワー室の前に着替えを設置し、俺は素早く退散した。
心臓に悪い。
山田は慣れたが、成り行きとはいえ女子を家に招くなんて今日は異常事態だ。
二人の服を乾燥機にかけて、俺は居間のソファーに腰を下ろす。
隣では山田が胡座を掻いてベースを弾いていた。
「何で虹夏がいるの?」
「ずぶ濡れになってるところを見つけて」
本当はオマエを連れ出して貰う為に、なんて事は口が裂けても言えない。
事態が余計に拗れそうだしな。
もう俺の独力でコイツを追い出す事は諦めている。
本気で怒れば可能なのだろうが、そこまでの熱量に感情を保てない性分なのだ。何を言っても駄目な相手にはアプローチを変えて順応してしまう。
バイト先の厄介な先輩に、自分が何を言っても駄目な時は店長やより上の先輩に密告するし、店のルールを納得せず文句を垂れたいだけの客は呆れて帰るまでひたすら同じ説明文を機械的に繰り返す。
そうやって生きてきた。
だが、今回はまだ解決の糸口がある。
伊地知さんがいれば、山田を――。
「前田は優しいね」
「そ、そうか」
う、何かぐさりと心に突き立つ。
山田が悪いのに罪悪感が湧いてくる。
ごめん、俺はそんな男じゃないんだ。
「虹夏も泊まるの?」
「服が乾くまでの間だってさ。オマエも服乾いたら帰れよ」
とりあえず、帰れと言ってみる。
伊地知さんに全任せでは駄目だ。
ある程度は俺も努力しなくてはならない。
「前田のご飯食べて寝たら帰る」
やっぱり駄目だった。
というか、弾いてないで課題やれ。
伊地知さんが出てくるまで、短編映画『ANI○A』を観ている。
約二十分と短い内容だが面白い。
これなら、暇潰しにもなる。
課題をやっていた山田も手を止めて見入っていた。
「短い映画ってあったんだ」
「探せばあるぞ」
「前田は色々知ってて面白い」
「でも映画館とか、あまり行かないんだよなぁ」
だって、怖いし。
家という落ち着いた雰囲気の空間ならいけるが、正直に言ってレイトショー並みに人のいない状態じゃないと鑑賞できないのだ。
映画を観てる時の人間って無防備だし。
だから、ヒットした映画も公開終了直前の予約席も少ない時間帯を選んで行く事も多々ある。
映画を真剣に観てる時は無警戒になってしまうから、余韻に浸っていて車に轢かれそうになった事もあったな。
うん、あれは危ない。
でも不思議だ。
映画に集中している時の人間って、普段とは違う素顔を他人にすら晒してしまう時がある。
日頃から元気快活でうるさい人も、静かな時に見せる顔は普段と違う感じの印象があったり。
「――――」
「…………」
山田は映画を観ている。
その横顔は――。
「お風呂ありがとう!」
シャワーから出た伊地知さんの声にはっとする。
彼女へと振り返ると、山田を見ていた。
どうしたのだろうか。
「リョウ、いつもこんな感じ?」
「そうだな」
「週五の内、どれくらい泊まってる?」
「夏休みだからなのかもしれないけど、三回」
「……親には何て言ってるのかな」
「分からない」
服が乾くまで、残り十分。
寛ぐ山田をそれまでに家を出るよう説得したい。
勿論、俺にできる事は少ない。
伊地知さんの隣で、ただ嫌そうな顔を作って待機するだけだ。全力で嫌々アピールだけしておけば、さしもの山田も気遣って出ていくかもしれない。
「ねえ、リョウ」
「ん?」
伊地知さんが口を開く。
頼んだぞ、伊地知さん……!
「私も今日泊まるって言ったら、嫌かな?」
頼んだのに、伊地知さん……?
お遊びアンケートなのに、ぼっち強すぎ……?
頑張れ、郁代!負けるな、ジミヘン!
キミにきめた!(註:特にストーリーに反映はしません。アンケートを使った遊びです。)
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