大変な夜を乗り越えて迎えた朝だ。
バイトも無いので、悠々と家事に勤めようとプランを組んでいた。
今も洗濯物を籠にぶち込み、ベランダで干す為に移動したいだが、その作業中もずっと俺の動きを背中に乗っている重みが阻害している。
「リョウ、邪魔なんだが」
「私は気にしない。続けて」
「害悪めが」
後ろから、リョウが寄りかかっている。
まるで俺を壁のように無警戒に背中を預け、呑気にスマホを見ていた。
肩越しに苦言を呈しても改める様子は無い。
朝起きてから、俺の傍を離れてくれない。ハッキリ言って凄まじいくらいに邪魔だ。
原因は、おそらく昨晩の出来事だ。
きくりさんと虹夏とリョウが一同に会した夜、諦めて飯だけ出して直ぐに敷布団を敷いて床に就いた。起きたら家が半壊してても良いやという諦めの境地だった。
幸いな事に、特に何もなく寝れた気がする。
まあ、起きたらリョウと虹夏に挟まれて寝ていて、布団の傍では蹴り出されたみたいな格好で倒れて眠るきくりさんがいる地獄絵図は朝から精神に堪えたが……。
そして、虹夏ときくりさんが帰った後で現在の状態に至る。
一箇所に留まって何かしているとぐりぐり体擦り付けてきたり、何処へ行くにも行く手を塞ぐように纏わりついてくるリョウ……何かテレビで観たネコみたいだな。
虹夏も毛並みの良いスペシャルな野良猫とか言ってたが、まさか本当に??
どちらにしろ、猫や犬よりデカくて邪魔には違いない。
「あっち行っててくんない?」
「理由を聞きたい」
「邪魔」
「なら無問題」
「これからオマエもベランダに干そうか?」
俺の事情くらい汲めよ。
オマエだって同じ事をされたら、十中八九嫌がるだろ。
呆れて無言で睨むが効果は無い。
「ていうか、準備しなくていいのか?」
「……何が」
「たしか昼過ぎから虹夏たちと予定があるんじゃなかったのか?えっと、遊園地の……」
「よみ瓜ランド」
「そう。そこで遊ぶんだろ」
「面倒臭い」
「行けよ。そして俺を解放しろ」
午前十時。
そろそろ動かないと本格的にマズいだろ。
顔も洗ったり何だりと、後は着替えるだけ。
だが、それが行われる気配だけが一向に無い。
今日は『結束バンド』と『STARRY』のスタッフにきくりさんを加えてよみ瓜ランドで慰労会を兼ねた休日を楽しむと虹夏から聞いた。
その際に、虹夏には「リョウを絶対に寝坊しないよう送り出して欲しい」と頼まれたのだ。
『一郎くん、お願いしていい?』
『それくらいならお安い御用だ。俺も起きてるし』
『えへへ』
『ん?どうした』
『何かさ、私とか一郎くんが甲斐甲斐しく面倒見てる感じが何か、リョウって娘の面倒見てる感じだよね』
『ああ、それは同か――』
『私と一郎くんの子供、だねっ』
『…………』
同感、と言い切っていたら危なかった。
朝からしっかり俺の背筋を凍らせていく虹夏のきくりさんを引き摺って去る後ろ姿を見て、リョウを必ず予定通り家から叩き出そうと誓ったのだ。
朝食は食わせたし、後は着替えて出ていくだけ。
だが、本人は未だ眠いだのダラダラしたいだの不満タラタラである。
しかし、俺は知っているぞ。
行く前は散々面倒だとか愚痴るが、雰囲気で生きている気質だから現地に行けば場の空気に流されてテンションが高くなり、気付けば虹夏たちとエンジョイしているに違いない。
どうでもいいが。
「ちゃんと行けよ」
「一郎しつこい。朝からそればっかり」
「虹夏に頼まれたんだよ」
「…………」
「背中に頭ぐりぐりすんな。痛いから」
朝から面倒臭いテンションだ。
感情も読めないし、頼むから早く行け。
もしこれでリョウを送り出せなかったら、虹夏にまた何を言われるか分からない。俺も不甲斐ないヤツだと言われ、世話を焼かれ始め、そのまま流れるように気付いたら虹夏に養われている最悪の未来まで直行してしまう気がする。
それに、きくりさんの飲み散らかした酒と消臭と色々やりたい事が沢山あるんだよ。
洗濯機から籠に洗濯物を移し終え、そのままベランダへ移動するが一歩前をリョウが歩く。
窓辺に籠を置いて干す作業を遂行する間も、籠の横でずっと使いたいハンガーや洗濯バサミで遊んでいたり……だから準備しろって!
「虹夏からお小言喰らうぞ」
「んー」
「何すればオマエは準備してくれるんだよ……」
「一郎も行こうよ」
「遊園地、苦手なんだよな」
「そうなんだ?」
「家族連れとか見てると胸がムカムカする……」
夏祭りでさえ苦手な人間なんだ。
遊園地なんて場所に対する拒絶反応は、そこの比ではない。後藤家とならば辛うじて行けるが、後日鬱気分になるのは防ぎようがない。
控え目に言って、人に見せられる顔にならないと思う。
想像しただけで胸がムカムカするし。
きくりさん曰く去年から少しずつ成長していると評価はされたが、未だに拭い切れない苦手意識や拒絶反応はある。
ライブハウスは、家族連れというより個人の趣味で集まる人間が多いから特にコンプレックスのような部分は刺激されなくて済む。初めて『SICKHACK』のライブで楽しめたのも、そういった面が大きく影響している。
皆で楽しんでる方々もいるにはいるんだけどな。
「リョウは遊園地嫌いか?」
「別に。遠くまで行くのが疲れる」
「そうか。行け」
「自分には甘いね、一郎」
「オマエにだけは言われとうない」
少なくとも俺は行く意味が無いから甘いと言われるのは心外だ。
「そもそも遊ぶ気分じゃない」
「ワガママだなぁ」
「今日、『未確認ライオット』の審査結果が来るから」
「審査って、あの新曲の音源提出したアレか?」
「そう」
もうそんな日だったのか。
この前のライブを『未確認ライオット』前哨戦と謳っていた虹夏たちだから、自信があるのだと思っていたんだが。リョウの反応を見るに、本人にとってまだまだ不安要素はあるらしい。
……いや、待てよ?
「みんな結果来てないのに遊ぶのか?」
「うん」
「自信あるのか無いのか分かんねえな……」
俺は嘆息しつつ、リョウを両腕で抱え上げて運び、自室の床に下ろすとクローゼットを開けた。
すっかりコイツの服で占有された中は、ここ二年で如何に我が家が侵食されているかが目に見える形で存在している場所だ。
無言で催促する俺の目に、渋々といった様子でリョウが動き出す。
良かった、これで最悪の未来は免れたな。
部屋を出て胸を撫で下ろし、アイツの所為で今まで停滞していた分を片付けにかかる。
でも、そうか。
そろそろ『未確認ライオット』なんだよな。
ヨヨコには、『結束バンド』か『SIDEROS』のどちらを応援するかを尋ねられて、悩んでいると言って以降は考えもしていなかった。
ただ、白状するとこのまま何も考えず『結束バンド』を応援する流れではある。
長く身近で触れているという如何にも公平性の無い理由ではあるのだが。
「一郎。お土産要る?」
「土産買う金なんて無いだろ」
「それはそう」
「こんな虚しい確認あるか普通?」
一分としないで出てきやがった。
そんだけ時間かからないなら着替えくらい済ませておけや。
「一郎」
「なに?」
「……何でも無い」
何でも無いと言う割には、その後もじっと俺を見ている。
着替えも済んだし、集合時間等を考えたらそろそろ出発すべきだろう。リョウがまた動かず傍に貼り付き始めたので、仕方無く俺がよみ瓜ランドまでの電車時間を調べてスマホに転送した。
後は金が無いと宣う財布に往復分の交通費だけぶち込んでおいた。
本気でヤバいので、背中を押して玄関に追い詰める。
「財布とスマホ持ったな?」
「うん」
「折り畳み傘も持ってけ。帰り頃に降るらしいから」
「……はあ、行ってくる」
「何でため息つくんだよ……」
こんな甲斐甲斐しく世話しても不満らしい。
もういっそ何処かの王族にでも転生しろ……王族も責務とかやる事が多いから意味無いとは思うが。
しかし、今日のコイツずっと俺の近くにべったり貼りついたり、さっきの無言の眼差しだったり、一体何なんだ?
いつにも増して意味不明だ。
まるで猫みたいだ、本当に。
ネコ……ネコに当てはめてやると、餌が欲しいとか構って欲しいとか、だな。
前者はすでに朝食を与えたから問題無いだろう。
後者は、たしかに昨日からきくりさんや虹夏への応対もあったし、面倒臭くて直ぐに就寝したってのもあって全然相手していないが、リョウに限って人に構われなくて寂しいとかそんなワケは……ないよな?
不審に思いながらも、ゆっくりと出ていくリョウを見送り、俺は改めてアイツが居たから出来なかった掃除を始めようと掃除機を手にしたところでポケットのスマホが震動した。
リョウからのロインらしい。
『昨日から私のこと放ったらかし』
寂しかったのかよ。
♪ ♪ ♪ ♪
リョウも居ない夕方だった。
バイトも無く、休日で寄生虫も不在――謎の奇跡が三つも揃うのは中々に無い。
本来はこれが当たり前なんだがな。
何の因果で女の子を家に泊めて、酒酔いのお姉さんを介抱しなくてはならないのか。雷が頭の上に落ちる事よりも確率の低そうな展開ばかりである……多分。
「どうすれば回避できたのか」
ストレスもかなりある。
だが、良い思い出もあった。
こんな事にならないよう回避するにはと思考しようにも、一概に悪い出来事だとは言えないので考える事自体が無駄に思えてしまう。
今夜もきっと、リョウが来たらそのまま迎え入れてしまうくらいに自分は抵抗的な意識を放棄している。
しかも、今日のアイツは構って貰えなくてかなり不服だとか言っているので、間違いなくいつも以上に厄介な怪物になっているだろう。
よみ瓜ランドでかなり体力を消耗している事を期待している。
俺と相対する時はヘロヘロになっていてくれ。
「……しかし、雨酷いな」
さっき辺りから雨が強くなっていた。
たしかに、予報で六時前くらいから降るという予報はあったが、ここまでの強雨だとは思わなかった。
暗い空に斜線を引く強い勢いから、傘を差してもまず足がぐっしょり濡れるのは必至。無いとは思うが、傘を忘れた人間が居ようものなら全身お陀仏……川にでも飛び込んだレベルで濡れているに違いない。
リョウには折り畳み傘持たせたが、それでは心許無い。
この分だとずぶ濡れだろうな。
でも、どうせ濡れてもここには着替えもあるし大丈夫だろ。
そう思っていたら、インターホンが鳴った。
やれやれ、どうやら帰って来たらしい。
意外と早かったな、とは思いつつ俺はソファーから腰を上げてタオルを片手に迎えようと玄関に向かった。
「悪いわね、突然」
「ホントだよ」
リョウじゃなくて、大槻ヨヨコだった。
しかも、居ないだろうと思っていた傘無しだったらしく、濡鼠となっている。
どうやら『結束バンド』の事が気になり、『STARRY』へそわそわしながら審査結果がどうなったか確認に来たらしい。……いやロイン使えよ、喜多さんや虹夏とは交換しただろうに。
結果、雨による強襲をモロに受けてしまい、ずぶ濡れになって絶望していた時に俺の家が近いことを知っていたらしく、近寄った次第……何で俺の家の住所知ってんだよ。
呆れつつも、ヨヨコを風呂場へ直行させた。
その途中で。
「あ、イチロー」
「ん?」
「『SIDEROS』は審査通ったわよ」
「そりゃそうだろう」
「……ふんっ」
俺の返答にきょとんとしたと思ったら、急に嬉しそうに鼻歌を響かせつつ脱衣所へと向かっていく。
うん、『SIDEROS』の実力なら間違いないとは思っていたから当然だと思っていた故の反応なんだが、どうやら調子に乗らせてしまったようだ。
浴室に入った頃を見計らって脱衣所に入り、着替えを置いておく。
因みに服はすぐ乾燥機にかけた……もう躊躇いも無く女性の服や下着に触れる辺り、慣れてしまったものだと沁沁する。
それから居間に戻ったが、雨は今日一日は降っているらしいのでヨヨコはどのタイミングで帰るのだろうか。
まあ、出る時に声かけて貰えば良いか。
帰ってくるであろうリョウと自分の分の飯にだけ注意すればいい。
俺は手早くスープ餃子と鰹の竜田揚げ、魚肉ソーセージのサラダに取り掛かる。
「お風呂、ありがと」
「ああ、もう出たのか」
「服まで乾かしてもらって悪いわね」
「この時間帯は雨降るって予報で言ってたろ。もしかして傘でも壊れた?」
「――いや、朝から審査結果の待機でドギマギしてそれどころじゃ無かったのよ」
「何で俺より
こういうネガティブな部分はひとりに似ている。
実力は同年代じゃ頭ひとつ抜けていると調べた記事(ぽいずん♡やみ著以外の物も含めて)でも個人的にも思っているんだが。
出会った頃からだが、ライブ前から顔色が悪くなる程にナイーブになるヨヨコは、『結束バンド』を見て参加を決めるといった大胆な態度で臨んだ『未確認ライオット』でもやはり不安は膨らむようだ。
「もっと自信持てよ」
「……そ、そう?」
「『SIDEROS』の凄さは誰よりも……ではないな、まあ一ファン……いや強く推してるワケではないからファンを名乗るのは烏滸がましい……まあ、うん、凄いのは知ってる」
「アンタ私を不安にさせたいの!!?」
励ますって難しい。
「あ、そう言えばだけど」
「ん?」
「イチローは、どっち応援するの?『結束バンド』か、それとも『
「『結束バンド』」
「がふッッ……そ、そう……」
「まあ、そもそも『結束バンド』が審査通過するかもまだ分かってないし。俺もこれから『SIDEROS』の楽曲とかネットに上げてるやつ再視聴して決めるつもり」
「優柔不断な男はモテないわよ」
「ヨヨコにモテても意味無いだろ」
「今日は世界が私に優しくない!!」
雨に降られた後でメンタルも弱いようだ。
「ところでヨヨコ」
「なによ」
「……そんな睨むなよ」
「眼の前でハッキリおまえは応援しないって言ってきたヤツ相手にしても文句ないでしょ」
「悪かったな。……それで、雨は明日まで降ってる予報だけど、どうする?」
「どうするって」
「服が乾いたら俺が傘貸して帰るも良し。家族に迎えに来て貰うも良し」
「そうね。流石にまた濡れるのも面倒だし、申し訳ないけど家族に迎えに来てもらうわ」
連絡の為に別室に移動したヨヨコから視線を外し、再び手元の包丁とまな板に意識を戻す。
迎えに来て貰う、か。
そういえば、何だかんだで俺ってバンドマンの家族とやけに面識があるよな。伊地知家といい、山田家といい、後藤家……この調子で行くと喜多さんの家族ともその内会うかもしれないな。自意識過剰かもしれないが、どんな風に俺が伝わっているか想像するのも怖い。
自分の想像で恐怖に震えていると、何故か蒼白い顔でヨヨコが戻って来た。
「どうした?」
「な、何か家族に連絡したら、同い年の男の子の家で雨宿りさせてもらってるって言ったら、黄色い声が聞こえてきて……迎えに行けないとか言われた……」
ちょっと何言ってるのか意味が分からない。
なぜ同い年の男の子の家にいる事を喜んでるんだ、その家族は……。
まあ、よく分からないが迎えに来て貰えないともなれば、この雨中に再び帰らせるのも気が引けるし。
「ヨヨコが良ければ泊まって行くか?」
「へっ?い、いいの?」
「まあ、連絡も無く人が泊まりに来るような時もあるから慣れてるし、全然問題無いぞ」
「そ、そう?じゃあ、お言葉に甘えてそうするわ」
「飯はもう少しで出来るから待っててくれ」
俺がそう言うと、何故かヨヨコは呆然と立ち尽くしていた。
まさか、この状況で追い出すような薄情な人間に見えたのだろうか。まあ、場合によってはそうするが。
「どうした?」
「い、いや別に。まさかご飯まで出るとは思わなかっただけよ」
「泊まるんだから普通だろ」
「そ、そう……っ!」
そう言って何故かホッとした様子のヨヨコだったが、次の瞬間には盛大に腹が鳴った。
居間に沈黙が降りる。
燃えるように真っ赤になったヨヨコにどんな言葉をかけて良いか分からず、俺も気を紛らわせるように手元を動かし続けた。
「っ朝から気を張っててちょっと眠くなったから何処かで横になっててもいい!?」
「ああ、なら俺のベッド使ってくれ」
「アンタのベッド!?」
「今朝シーツも取り替えたりしたし汚くないと思うんだが……」
「あ、いや別にそういうワケじゃ……。そ、そうね、有り難く借りるわ」
逃げるようにヨヨコが俺の自室へと走り去っていく。いや、そこトイレだから。
一旦料理の手を止めて、ヨヨコを俺の部屋に送ってからキッチンに戻った……と。
ほぼ同時に玄関から扉の開く音が聞こえ、俺はそちらへとタオル片手に向かった。
すると、予想通りリョウが立っている。
意外な事に、あまり濡れていなかった。
「あれ、濡れてない」
「折り畳み傘以外に虹夏が傘用意してくれた。……足は濡れたけど」
「はいはい。風呂入るか?」
「ん」
タオルを敷いた後、キッチンへ戻ろうとした俺の背中にリョウが抱き着いた。
急に何だ……と思ったが、たしか出る前に構ってほしかったというのを思い出した。
「飯作ってるから後で」
「……わかった」
不承不承と離れたリョウが、タオルで拭いた足でとことこと歩いて着替えを取りに自室へ行く。
やっぱり、今日のアイツはネコなんだな。
虹夏の言っていたスペシャルな野良というのが今になって妙にしっくりきた。
そんな冗談はさておき、今晩は三人だから一人前多く作らなきゃ………………って、あ。
今さら気付いて、俺の自室の扉を開けるリョウを止めようとしたが遅かった。
室内を見たリョウが、固まっている。
それから、ゆっくりとこちらを見た。
「……へえ、『結束バンド』だとバレるから、他で浮気始めたんだ?」
今晩も地獄確定だな。
次回、ヨヨコVSリョウ
イチローは浮気している?してない?
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してるよ、お縄にかかれ。
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してないって、大丈夫大丈夫。
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これからの君が決める事さ。