俺は山田が嫌いだった。
「うちの子がお世話になってます」
山田のご両親が挨拶に来た。
俺はそれを見て――驚かされたのだった。
へえ、実の親ってこうして子の為にも誰かに頭を下げる事があるんだ、と。
山田ってこんなに愛されてんだ、って。
山田の両親を見て――思わず吐きそうになった。
実の親ってこうなんだ。
じゃあ、やっぱり俺の家ってどこまでも家族ごっこなんだな。
『どうして、オマエは生まれてきたの?』
『生きてる価値無いよ』
『迷惑なんだ、死んだ方がいい』
『頭を使っても猿以下かよ』
あの大人たちの声が耳に響く。
俺の周囲を固める人たちが、頭上から幼い俺に対して投げかけるのは同情ではなく、生きている事への否定と拒絶と侮蔑ばかりだった。
父は蒸発し、愛されていた母は事故で死んだそうだ。
母は皆に愛されていたという。
赤子だった俺と共に車に轢かれ、俺だけ生き残った。
それが良くなかったらしい。
父方の親戚である前田家に身請けされる前まで、母方の親戚をたらい回しにされていた俺が、大人はこういう物だと思う偏見を決定的にしたのもあの環境だ。
『今日から、君が息子だ』
『これから、いっぱい思い出作りましょう。――一郎』
前田家は、今の父さんと母さんは俺を温かく迎えてくれた……んだと思う。
でも、その頃にはもう俺は――。
『ああ、うん。よろしくね、父さんと母さん』
もう冷めきっていた。
家族なんて物に。
二人から注がれるのは、愛情というより気遣い。
願っても子どもができず苦しんだ二人は俺を引き取りたいと自ら進言したそうだが、その所為で絶縁されたらしい。
それもあって、俺に何も心配ないと取り繕うので必死だ。
生きていて良い事は色々とあった。
でも、愛情というものを信じられない。
愛があるなら、愛を知ってるなら大人たちは俺にあんな言葉を投げかけて傷つけたりしない。
友情だってそうだ。
小学校から中学校に上がって、連絡を取り合ったり会ったりする友だちは減るらしい。
それってつまり、『友だち』って名前に当てはめてるだけで所詮は好奇心や興味ってだけで冷めやすい物だ。
実際、積み重ねた信頼がたった一度の失敗で消えるのも、相手を都合のいい物としてしか見ていない証拠だ。
そんな捻くれた俺が愛情を信じられたのは、後藤家のお蔭だ。
『いっくん』
『……なに?』
『と、とと、トランプ……したい』
『俺じゃなくて親に頼めよ。俺なんかより楽しいだろうし、代わりは幾らでもいる。俺なんていなくてもやりようはあるだろ、一々声かけんなよ』
我ながら容赦なかったと思う。
実際、ひとりは部屋の隅で泣き出してしまった。
俺にはそれも眼中になく、ずっと放置して後藤家の家事を手伝いながらも苛立って時折だけどカッターナイフでの自傷行為だってしてた。
痛みは誰にだって平等だから、俺もみんなと同じだと自覚できる。
そんな中、不意に服の裾を掴まれる。
振り返ると、ひとりが泣き腫らした顔で。
『ぁ……や、やめよ?』
『は?』
『お父さんとお母さんがいても、いっくんが居なかったら、さ、さび、寂しい……いっくんが痛そうなの、い、嫌だよぉ……』
『――――』
生まれてきた意味も無いのに?
生きる価値も無いのに?
死んだ方がいいのに?
俺を気遣わなくてもいい立場の、純粋で自分の感情に正直な子供だったひとりの言葉だから、額面通りに受け取れたのかもしれない。
そして、後藤家もそうだった。
『ほら、沢山お食べ』
『そうそう!一郎くんはもう我が家の子みたいなもんだし!』
『お父さん、前田さんに怒られちゃうわよ』
『良いだろ?一郎くんはこんなに可愛いんだよ?』
俺を抱きしめて、虚飾のない笑顔と言葉で接してくれる。
俺が危ない事をすると本気で叱った。
俺がいたって自分の為にならないのに、カッターナイフを俺から取り上げて、後藤家の奥さん――美智代さんが泣きながら手当てもしてくれた。
こういうのが、思い遣りなのかな。
愛情なのかな、って思った。
後藤家がいたから、人の愛情を信じられた。
だから、友情も信じてみよう――そうして友だちも欲しくなった。
でも、他人の輪に入ろうと思うと胸の内で感情が冷める。
ああ、俺って本当……。
「本当にありがとう」
「いえ、大丈夫ですから」
俺に頭を下げる山田の両親は良い人だ。
そうか、山田は愛されてるんだな。
でも、山田は過剰?なほど愛を注ぐ二人に対して少しだけ嫌気が差しており、反抗期みたいな感じらしい。
愛してくれる親が、嫌?
あんなにも言ってくれるのに贅沢なヤツだ。
山田に関する事はストレスが多い。
けど、この時が一番つらくて。
「前田?」
山田を、殺してやりたいとさえ思ってしまった。
♪ ♪ ♪ ♪
………嫌な夢を見た。
がしゃりと、騒音がして俺は起き上がる。
ベッドのサイドテーブルにあった目覚まし時計が壁際に落ちていた。
また、やってしまった。
ここ最近は無かったのに、またかよ。
こうして、週に何回か昔の事を夢に見て寝ている間に物に当たる事があった。
山田が泊まるようになってからは、彼女のいない日に起きる。
案外、アイツが精神安定剤になってたのか。
うん、癪に障る。
「また買い替えないと」
今日から学校だしな。
俺は自室を出て、洗面台でまず顔を洗う。
それから居間に足を運んだが、ふと異変に気付いた。
リビングテーブルの上にノートが一冊置いてある。
表紙に『山田リョウ』と書かれていた。
中身を検めれば、夏休みの数学Iの課題だった。
まったく、アイツは……。
スマホでアイツの番号に連絡を入れる。
五コール目で、アイツが応答した。
『もし、もし』
「もしもし。寝てたか」
『ん。……やばい、十分寝過ごしてた』
「初日からそれかよ」
『前田はもしかして、私の朝コールまでしてくれるようになったのか』
「思い上がるな」
すぐ調子に乗りやがって。
俺は嘆息しながら、いつものアイツだと変に安心する。
ここ最近は妙だしな。
バンド関連なのは間違いないが聞き出せない。
いいや、聞きたくないのが正確なところか。
俺のように踏み込まれたくない部分があるのだろう。
「オマエ、数学のノートがこっちにあるぞ」
『そんなバカな……!』
「ったく、きっちり全部やったのに俺の家に忘れるなよ」
『うん。頑張って虹夏のノートを写した努力が水の泡になるところだった』
「何を頑張ったって?」
電話の向こう側でバタバタと聞こえる。
慌てて準備しているようだ。
そろそろ通話も邪魔になるだろう。
「集合してノートを何処かで渡すか?」
『教室に来て』
「オマエ……俺は召使いじゃないぞ」
『朝コールしてくれたから、てっきり……』
残念そうな声を上げるな。
俺は絶対に嫌だぞ。
「じゃあ、朝教室の前で待ってろよ」
『うん、前田も早く来るんだよ。そうすれば私の待機時間が短くなる』
「ノート、家に置いていくぞ」
『そしたら前田の家に行く口実ができる』
「何で俺の方が追い詰められてるんだよ」
通話を切って、ノートを見る。
俺って山田に甘いのだろうか。
あの事件の日から、虹夏さんとよく連絡を取り合うようになった。俺としては主に山田の事で相談があってしていて、その度に「リョウに甘すぎるよ!」って可愛い苦言を呈されるのだ。
いっその事、一度は痛い目に遭わせるべきか。
でも、皆……俺より生きる価値がある人間だしな。
山田だってそうだ。
アイツはアイツで、誰かに求められる存在なんだ。
その損失を悲しむ人もいる。
「持ってってやるか」
どの道、持っていかずとも山田は家に来るし、その時にずっと恨み言を吐かれても憂鬱だ。
俺は自分のバッグにノートを突っ込み、朝食やその他諸々を済ませる事にした。
その後、無事に渡せはしたが野草をまた食っていたアイツに昼飯用に取っておいたパンを盗られたのは屈辱でしかない。
放課後、俺は何故か音楽準備室にいた。
今日はバイトが無いから帰って映画でも見ようかと思ったが、外は雨が強くて帰るのも億劫な感じになっている。
少し雨宿りして帰ろう、と思っていた矢先だった。
「前田、この後は時間ある?」
「まあ、あるけど」
「暇なら来て欲しい」
山田に引っ張られる形で音楽準備室へ導かれた。
普段は、放課後に軽音部が使っているらしい。
それにしても、その部員の姿が見当たらないな。
俺が室内を見回す中も、山田は何事か準備を進めていた。
アンプ?だか何だかにコードを挿している。
何をする気だろうか。
「前田」
「ん?」
「今日のお礼」
ベースギターを構える山田が眼の前にいる。
お礼、とはノートかパンの件だろう。
まさかとは思うが、ここで一曲披露する為に連れてきたのかもしれない。
山田にしては意外な贈り物だが、普段もこれぐらいはやっているのに今日はお返しがあるのも意味不明だ。
それなら日頃から色々と返して欲しい。
食費……は絶望的に無理だし、別に返して貰う程ではないので、せめて家事を手伝うとか何か出来る事はあった筈だ。
俺は近くにあったパイプ椅子に腰掛ける。
部屋には、俺と山田だけ。
外からは虚空に斜線を強かに引く雨の音だけで、あとは互いの呼吸と衣擦れだけがしていた。
「お礼って」
「前田はアンプ無しの音しか聴いたこと無いだろうし」
「……何か違うのか?」
「うん、カッコいい」
それは個人的な感情というか。
つくづく態度も言葉も飾らないな。
でも、たしかに聴いた事は無い。
如何に山田とはいえ、俺の家に機材を持ち込むなんて事はしなかった。それでもベースの音は好きだったし、特に不満を持った覚えはない。
もしかして、まだ俺の知らない音があるのだろうか。
かすかな期待が胸裏で膨らんでいく。
「でも急に何で?」
「今日、元気無さそうだったし」
「えっ」
「顔色が悪かったから野草渡しても、食べなかったからかなりヤバいのかと」
「そんな人間に野草なんて渡すな」
「駄目だったか」
「トドメ刺そうとしたのかと思ったわ」
心配の仕方が違うだろうに。
ノートを渡そうとしたら、俺の顔を見るなり野草の束を俺に押し付けようとしたのは、どうやら俺の顔色が悪かったからのようだ。
いや、尚更やめろよ。
絶対に不健康な人間にする処置ではない。
「……そんな分かりやすかったか」
「なので、私なりに元気付けてやろうと」
「……」
山田の瞳に射竦められる。
……雰囲気が変わった。
「――では、弾きます」
やや堅苦しい文句で山田が弦を弾く。
「――――♪」
そこから、三曲ほど続いた。
黙って聴いていた俺は、熱い汗を滲ませてベースを弾いている山田の姿に瞬きも忘れて見入った。
まるで映画でも眺めているような気分だった。
演奏技術の高さだとか、曲の良さだとかは分からない。でも山田の音が、山田の伝えたいであろう音が一切の雑音無く流れ込んでくる。
山田の顔は、見たことがないくらい真剣だった。
これが、俺の知らないコイツなんだ。
カッコいいな、と素直に思った。
「―――♪」
スポーツマンのように、自分の中に何か武器を見つけてコレだと主張していく愚直な勇ましさと芸術的に組み立てられた音色が重なって、観て聴いている俺の心臓がいつもと違う跳ね方をする。
これが山田の価値なんだろう。
山田が、自分自身に見出した意味なのか。
凄く羨ましくて、眩しくて、憧れる。
演奏が止まった。
山田が肩で息をしながら、袖で汗を拭う。
俺が未使用のタオルを差し出すと、遠慮なくそれに顔を埋めた。
悔しいが、今日のコイツは一味違っていた。
寄生虫ではない。
ベーシスト山田だった。
「どうだった?」
「不覚にも胸が踊ったよ」
「病院行ったら?」
「素直に受け取れよ、良かったって意味だろ」
やっぱり演奏が終われば寄生虫山田かよ。
呆れながらも、まだ余韻は消えていない。
そうか――山田って、バンドではこんな感じで演奏してたのかな。
夏祭りの日に聴かせて貰ってたのもまだ序の口なのかもしれない。
いや、ライブってのはまた違うのか。
「映画観てる気分だった」
「……」
「俺一人で観てるのが勿体ないって思ったよ。あまり人の多い映画館とか行かないけど、初めてもっと色んな人に観て欲しい……いや聴いて欲しいと思ったな」
「ふふん」
「――不覚にも」
「素直じゃない」
うるさい。
「でも、バンドはもういい」
「………」
「だから、これが最後のライブにする。観客は前田一人で充分」
「………そうか」
一息ついた山田が顔を伏せる。
そこには若干の陰りがある。
だが、俺にはそれを取り払うほど踏み込む勇気もかける言葉も見つからない。
でも。
「じゃあ、また演る時は言えよ」
「え?」
「観に行くから」
「…………そうする」
演奏後で上気した頬を赤らめながら山田が微笑んだ。
この時、思った。
今もまだ嫌いかもしれない。
どうしようもないダメ人間だが、コイツは――俺にとって尊敬できるヤツだ。
近い内、ここで交わした約束が意外な形で果たされ、そのチケットが俺の手に渡ることを、この時はまだお互いに知らない。
『一郎のキャラクターに対する好感度』
キャラクター名→人間として・恋愛
メインヒロイン
山田リョウ→尊敬50%嫌悪26%心配24%・13%
その他
後藤ひとり→何か色々と100%・62%
伊地知虹夏→憧れ25%新感覚75%・93%
結束バンドの絞め具合はどれぐらいが丁度いい?
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血管止まるぐらいギッチギチに。
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きらら風に緩く、弛んで。
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時に強くッ、時に優しく……。