ノルンは笑わない   作:くものい

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8ー1:屍人の砦

 海賊たちとの一戦を終えて、旅の同行者が増えることが決まった。モーリンとカザミネだ。武者修行の旅の最中だったカザミネはルヴァイドの話を聞いてどれほどの強さか興味を持ったから、モーリンは海賊退治の礼だと言っていたけれど、先の戦いで何か吹っ切れるものがあったらしい。ファミィと言葉を交わして金の派閥への疑心や不信が氷解したことも大きそうだが、屈託ない笑みで同行を申し出てくれたモーリンに返すべきは感謝だけだ。戦力は多いに越したことはないしな、と照れ隠しの混じった呟きをこぼして眼鏡を押し上げるネスティの表情もかすかに緩みを帯びていた。

 だけど、二人の準備が整ってもすぐにファナンを出発というわけにはいかなかった。

「なぁミニス。いい加減諦めて一緒に行こうよ、な?」

「ぜーったいにイヤ! だってだって、ペンダントを無くしたことがバレたら……」

 そんな怖いこと考えたくもないと、ジャキーニを真似るようにミニスが全力で駄々をこねる。弱りきった顔のマグナがミニスを説得しようとしては失敗する様を苦笑交じりに眺めていたアメルやケイナもついに宥める側に回り始めたものの、頑としてミニスは首を縦に振らない。ファミィに頼まれた用事、金の派閥本部へと向かわなければファナンを出発しようがないのに、その前段階で朝から躓いていたのだ。

「俺も一緒に謝るからさ、な?」

 譲歩に譲歩を重ねてのマグナの懇願に、それなら、とやっと頷いてくれたミニスだけど、一人であんな目に遭うよりはマシだから、と意味深な呟きを聞いて今度はマグナがそぞろに不安げな顔をする。ミニスがどうしてああまで母親に会うことを嫌がっていたのか、どうにか説得を終えた今頃になって警戒心が働き始めてしまったらしい。そろそろと縋るような目を向けられた私はおもむろに壁から背中を起こすと、せっかくの決意を翻すことのないように優しく励ましの言葉を掛けた。

「よかったら派閥の前まで見送るよ」

 だから頑張ってみよう、と目を合わせて告げた先は言わずもがな、マグナではなくミニスである。

「俺だけだったら見送りなんか来なかったくせに……」

「おや、信用ないな。否定はしないが」

 それまでどんなに渋っていようと一度決めたら行動が早いのはミニスの美点だ。嫌なことはさっさと終わらせるに限るとばかり、先陣を切って派閥本部への道を突き進んでいってくれたおかげで到着はあっという間だった。話を伝え聞いていたらしい門番がきびきびした足取りで門前の私たちに近寄って来るのを待っていると、恨みがましげな目をしたマグナにぼそりと吐き捨てられてしまったけれど、残念ながら痛くも痒くもない。さらりと流して軽く手を振り見送ること一時間弱、なぜだか服の端が微妙に焦げ付いたマグナとちらちら気遣わしげな視線を送るミニスが出てきても、事情をすっかり承知している私は慌てることなく悠々と近づいた。

「お待たせ。ほら、名誉勲章にサモナイト石のセットまで貰ったんだ!」

 出かけ際の遣り取りどころかミニスを庇って雷を落とされたことなどすっかり忘却の彼方なのか、小脇に抱えていた小箱を大事そうに見せながら意気揚々と口を開いたマグナは輝かしいほどの笑顔だった。少し誇らしげに上気した頬が明るくて、その手の甲には擦り傷が、頭の天辺ではちりついた毛先が跳ねているのに無頓着にも笑っている。ミニスの方がよほどハラハラした面持ちをしていること含め、何だか堪え切れなくなってしまった私は思わず釣られるように破顔した。

「頑張ったものな」

 能天気なお人好しを地で行くマグナに手を伸ばして軽く煤を払ってやりながら言えば、紫紺の瞳が大きく見張られる。良かったじゃない、とその反応を見ていつもの調子を取り戻したミニスが揶揄い交じりの声を掛けるけれど、それも聞こえているのかどうか。石のように固まってしまったマグナに構わず好き放題に跳ねた髪を手のひらで撫でつけてやっていると、やがて見上げる顔がくしゃりとはにかんだ。そうかな、と照れくさそうな笑みを浮かべて珍しく殊勝なことを言うマグナに、そうだよ、と呆れ交じりの声色で頷いてやれば、ますます嬉しそうに目尻を下げる。その屈託ない笑みに誘われるまま、私も口元を緩めて笑みをこぼしてしまうのだった。

 ともあれ、これでやっと旅の再開だ。街を出るのが昼近くになってしまったけれど、海沿いの街道を歩き始めれば誰からともなく言葉を交わし始め、他愛のないお喋りに花が咲くのは早かった。いくつかの話題に盛り上がる集団の中、私はフォルテと一緒にカザミネの語るシルターンの剣技に聞き入っていた。

「しっかし大したもんだな。見様見真似でもコツさえ掴めりゃなぁ、ハッタリ利かすのに使えそうなんだが……」

「ははは! そう簡単に真似されては拙者も面目ないでござるよ。しかし、フォルテ殿には是非挑戦して欲しいところ。この技を大剣で真似た末に生まれる技には正直言って興味がある」

「フォルテは目がいいからね。完璧に真似ることに拘らなければ、十分に勝算はあるんじゃないか?」

 刀に負荷の掛からない振るい方、必要以上に傷つけない峰打ちのコツ、カザミネからすれば初歩中の初歩の話だろうが、私にとっては初めて知る話ばかりで感心しきりだ。その道のひとに直接話を聞ける滅多にない機会に心底感謝していれば、お前さんも真面目だねぇ、と様子を見ていたらしいフォルテに半笑いで言われてしまい、苦笑交じりに肩を竦める。

「使える武器は知識でも何でも増やしたいんだ。少しでも役に立てるように」

 空はどこまでも晴れ渡り、心地よく吹き付ける潮風に野花や草木の緑が揺れている。敵影なんて影も形もない穏やかな道に知らず気が緩んだのかもしれない。私が素直な気持ちをそのまま口にすると、納得したように相槌を打つカザミネの隣でフォルテが僅かに目を細めた。けれど、そんな和やかな気分でいれたのも顔を上げた先、街道の向こうから近づいて来る人影を視界に入れるまでだった。

「おや、これはこれはアメルさんにマグナくん。奇遇ですねぇ、まさかこんなところで会えるなんて」

 レイムさん、と明るい声を上げるマグナを見ながら私は内心、盛大に顔を歪めた。先ほどまで道端に咲く花や珍しい景色にあれこれモーリンに尋ねていたアメルも嬉しそうにレイムの元へと駆け寄っていく。訝しげなネスティや興味深そうな目を向けるフォルテへと、知り合いの吟遊詩人なんだとレイムを紹介していたマグナが私のことも口に出したらしい。おや、と小首をかしげたレイムがこちらを見て不思議そうに瞬くのが見えた。

「タキツさん、ですか。私の知人によく似てらっしゃいますね。世間には似た顔が三人いると言いますが、いやはや、実際に体験するとは思いませんでしたよ」

「それはまた偶然だな。実は私も貴方によく似たひとを知ってるよ」

 正直言ってレイムがどんな対応に出るかは読めなかった。私という異物が混じったくらいで物語の筋書きを大幅に直しはしないだろうけど、ちょっとした気まぐれや悪戯心でのちょっかいくらいは出しかねない。どうか本来の流れどおりに進んでくれと祈るような気持ちでいた私だけれど、レイムの方は最初から見逃してくれるつもりだったのか。貼り付けたような笑みで白々しい会話を交わした後はそれ以上深堀りするでもなく、雑談交じりの情報交換を済ませるとあっさり別れを告げて去っていった。心配事が杞憂に終わった安堵に肩の力が抜ける私の一方、マグナやネスティの面持ちが暗いものへと変わっていたのは決して喜ばしいことではなかったけれど、ゲームどおりと言えばゲームどおりの展開だ。

 二人の表情が暗くなったのは、レイムが次に向かう先を三砦都市トライドラ、三つの砦を保有する騎士たちの国家の総本陣ともいえる都市に決めたその理由だった。デグレアが本格的に戦争を始めるという噂が流れていて、それがなんだか気になるから確かめてみようと思うのだと、穏やかな笑みを浮かべて語ったレイムの言葉に嘘はない。だが、見事に不安をばら撒かれて影響されてしまった形になる。

「大丈夫かなぁ……」

 噂の真偽を知りたがるレイムを野次馬根性だと笑ったモーリンは気にしていないだろうけど、黒の旅団の実力を知っている二人の眼差しは不安げに地面へと沈んでいた。

「心配すんなってお二人さん。トライドラの兵士は精鋭揃いだ、そう簡単に負けはしねえよ」

 そこにフォルテが自信に満ちた笑みで声を掛けたのは、トライドラの強さへの信頼はもちろん、沈んだ表情の二人への励まし、それに皆に不安が広がらないように考えてだっただろう。周囲をよく見ているフォルテらしい配慮だったが、しかし、多方面に博識なネスティに情報を与えすぎたのは彼らしくないミスだった。フォルテが騎士の家柄だと、その軽やかな弁舌に散りばめられた情報の切れ端だけで勘付いたネスティが驚き交じりに確信を持って顔を上げれば、不意打ちでの突っ込みにマズイとばかりフォルテが表情を引き攣らせる。完全な藪蛇になってしまったフォルテのしどろもどろな弁明にロッカやミニスまで視線をこちらに向け始めたところで、私は仕方なしに空を仰いで、もっともらしく困ったような顔をした。

「……参ったな。主、これは本当に一雨来たぞ」

 開いた手のひらを胸の前に突き出せば、ぽつ、とタイミングよく雨粒が落ちてくる。レイムと立ち話をしていた時は遠くに千切れ雲がいくつか見えるくらいだったのに、いつの間に風の流れが変わったのか、私たちの頭上にはたっぷり雨を含んだ暗雲が厚く広がっていた。皆の意識をフォルテから逸らす一芝居のつもりだったけれど、レイムがわざわざ忠告しただけあって雨脚は次第に強く、激しいものへと変わっていく。冷たい風まで吹いて来ればミニスやアメルがくしゃみをする音も聞こえ始めて、マグナたちは慌てて話を切り上げるなり街道を駆け出した。どこか近くに雨を凌げる場所はないかと目を凝らすものの、無数の白線のように視界を横切り始めた雨のおかげで中々適当な場所が見つからない。

「くしゅっ、あ……すみません、タキツさん」

「多少の雨なら弾いてくれるよ。私は、これくらいは耐えられるから」

 寒そうに肩を震わせてくしゃみを繰り返すアメルの肩に、駆け足のまま手早く脱いだローブを被せるようにして押し付ける。この後の展開を思えばアメルの消耗は少ない方がいいし、紫熟を詰めたバックパックを背負っている分、私は雨の当たる面積が少ない。この世界では珍しく撥水加工がしてあるローブは地味な見た目ながらに大変便利な逸品で、イオスに譲り受けた備品の中でも一番のお気に入りだった。

「そうは言っても……」

「あっ、見て! あそこに砦のような物がない?」

 申し訳なさそうに声を落とすアメルだけど、続いて響いたケイナの声に私と揃って顔を上げた。目のいいケイナとカザミネが揃って指差す先には海に突き出たような崖があるが、確かにそこに砦らしき影が見える。さすがに防衛拠点である砦の中には入れないだろうが、軒先だけでも借りられれば御の字だ。迫る雨雲から逃げるように一目散に駆け込んだ私たちは、ようやく辿り着いた屋根のある空間にこぞって息を吐いた。

「うぇーん、びしょびしょ……」

「これは着替えた方がいいですね……」

 そんな遣り取りを挟んで男性陣と女性陣に別れたものの、タオルで頭を拭くだけで十分の私は早々に手が空いてしまう。ローブの下は七分袖のシャツとパンツだけど、気候の厳しいデグレア軍で支給されただけあって耐久性は高いのだ。肌も大して透けないし、と手持ち無沙汰に無事だったハンカチでミニスの髪を拭いていたら逆に心配されてしまい、私は何でもないような顔を作ってみせた。

「本当に大丈夫。寒いのには慣れてるんだ」

 言いながらミニスの頭をハンカチでもうひと撫でし、まだ肌寒そうに肩をすぼめているのに慌ててローブを脱ごうとするアメルにはわざと留め具の紐をきつく結び直してやる。困ったように眉を上げ下げしているアメルに素知らぬ顔でローブをしっかり着込ませていると、あら、とケイナが声をこぼした。

「どうしたのかしら、皆」

 不思議そうなケイナの視線の先、神妙な顔をしてスルゼン砦の門を見つめるフォルテたちの様子に、知らず私も無言で口を結んでいた。

 

 砦の門が開いている。

 フォルテが怪訝そうに呟いた後は早かった。薄々異変を察していた男性陣が警戒の面持ちで門を押し開け砦に踏み込んでいく姿に、身体を拭き終わったミニスやアメルも不思議そうな面持ちで付いていき、ひょいと隙間から覗いたところで固まった。

「見るな!」

 ひっと短く息を呑む音に厳しい声を返したフォルテとカザミネがすかさず彼女たちの視界を覆うが、その身体の間から覗く景色は目に焼き付くほどに赤かった。そこら中に飛び散った血液は鮮血の赤から酸化しきった黒に近いものまで、赤色縛りでペンキをぶちまけたような色合いだ。胴体に穴が空いたもの、腕や足が千切れたもの、物言わぬ死体が無造作に転がるばかりの光景はつい先日まで普通の女の子だったアメルやミニスにはあまりに衝撃が過ぎるものだった。

「ひどすぎます……こんなのって!?」

「一体、何が起きたって言うのよ……」

 声を詰まらせるアメルの瞳には涙の膜が薄らと張られている。動揺を押し込めて皆が厳しい顔つきで周囲の様子を探り始めたことに、私もマグナの傍へと静かな足取りで近づいた。この時点では動く屍人はいないはずだが、万が一と言うこともある。私がローブを羽織っていないことに目を留めたマグナの眉が僅かに跳ねるが、気にせず倒れ込んだ兵士たちの中ほどへと足を進めながら言った。

「残念だが、この付近に生存者はいないようだね」

 死体を検分しているカザミネ同様、警戒しながらとはいえ死体の山に臆せず踏み込んでいった私の姿が奇異に映ったのだろう。ぐるりと辺りを見渡しながら淡々と呟いた私に、マグナは信じられないものを見るような目をして、やがて小声で呟いた。

「タキツは、平気なのか?」

「そういうわけではないけれど、このくらいはね」

「む?」

 状況を見極めるべく青白い顔で思考を回転させているネスティや険しい顔つきで血に濡れた槍や剣の切っ先を見つめるロッカを見ながら肩を竦めれば、しゃがんでいたカザミネが訝しそうに眉を寄せた。

「この者たちの傷から判断すると互いに殺し合ったとしか思えないのでござる。何とも面妖なことでござるよ」

「そんな……信じられません、仲間同士でこんなことをするなんて……」

 思わずとばかり唸るロッカの浮かべる表情は得体の知れない事態に対する困惑と警戒に満ちている。息が詰まるような沈黙が場に漂い始めたそこで、小さな悲鳴が響いた。示し合わせたように顔を向けた先では、人差し指の先までぶるぶると震えたミニスが木製の扉を必死に指差している。

「そこの扉が、がたんって」

 絞り出した声まで震えているミニスを背中に庇いながらマグナとフォルテが前に出た。一斉に視線が集まった古びた扉を前に私もそれらしく腰の刀へと手を添えるが、ゲームどおりに行くならそこに隠れているのはただの人畜無害な敏腕メイドのはずだ。

「暴力沙汰は勘弁してくださいって! 私はただの雇われの身、雑用係のメイド……」

「パッフェルさん!?」

 そして、どうにも緊張しきれずにいた私の前に転がり出てきたのは予想どおり、ファナンで様々なアルバイトをしていたパッフェルだった。驚きに目を見張るケイナの声に我に返ったのか、情けない声と共に両手を上げて縮こまっていた彼女はきょとんと目を丸くした。

「あれまっ! どうして皆さんがこんなところに?」

 緊迫感に溢れた場を盛大にぶち壊しながら現れた彼女は、その身に纏うオレンジ色を基調とした制服同様、こんな状況でも明るさを振りまくような存在感があった。つい先ほどまで涙目だったアメルたちでさえ気が付けば笑みを浮かべて言葉を交わしているし、厳しい面持ちのネスティによる詰問にも物怖じせずに答えていく。結局、この砦で突然殺し合いが始まった理由はパッフェルも知らなかったが、ひとまず一緒に逃げようとマグナが誘いを掛けるまでは本当に穏やかなものだった。

「いーえ、タダ働きなんて冗談じゃありません! ぱぱっと行って金庫から頂いてきます、それじゃ!」

 バイト代をまだ、貰っていない。マグナの言葉でそれを思い出してしまったのだろう。はっとしたように叫ぶや否や、俊敏な動きで立ち上がったパッフェルが一目散に走り出した。態度の急変したその動きを予測出来たものなんているはずもなく、呆気に取られるマグナたちは完全に置いてけぼりだ。こんな状況でよくもまあ、と呆れたようなフォルテの声が届いたのか、お金は何より大事なんです、と短く叫び返す声が聞こえたが、その背中は見る見る遠くなっていく。

「こんな地獄絵図の中、怯む素振りもねえじゃねえか、あの姉ちゃん……」

 溜め息交じりにフォルテが呟くが、それに慌てて駆け出したのはマグナだ。

「ちょっと! 危ないですよ、パッフェルさん!」

「マグナ! 一人で勝手に行動するなと!」

 バイト代のために駆けていったパッフェルを追ってマグナが、ネスティが走り始めれば私も並走する流れが出来上がる。この先でパッフェルを見失ってマグナは立ち往生するはずだけど、振り切られないよう必死に息を切らして足を動かすネスティにそんな呑気なことを言えるはずもない。やっと捕まえたマグナを相手にひとしきり説教をすると、すまなそうに眉を下げたネスティは改めて私に向き直って神妙な顔をした。

「すまないな、タキツ。君もこんな場所に長居したくはなかっただろうに」

「気にしないでくれ。主の側にいるのが護衛獣なんだ、この程度で音を上げるほどヤワじゃないよ」

 少しでも気を軽くしてもらおうと笑い交じりに返したのに、一体どうしてか。私の言葉を受けたネスティは口を噤んで押し黙った。眉根を僅かに寄せて私を見つめる表情は真剣で、戸惑いのままマグナへと縋るように視線を動かした私はいよいよ困惑に面食らう。緊迫感すら漂うような固い表情を浮かべたマグナは、何か言いたげな面差しでじっと私を見つめていた。前から思っていたが、と躊躇いがちにネスティがそろりと口を開く。

「タキツ、君のマスターと言うのは……」

「ホールドアップ!」

 けれど、ネスティが何を言おうとしたかは分からなかった。拳銃を構えた中年の男性が不意に物陰から現れ、その銃口を突き付けたのだ。私だけはその人物が名もなき世界、地球から召喚された刑事のレナードだと知っていたけれど、そんなことを知る由もないネスティとマグナは一気に警戒して身構える。けれど幸いだったのは、レナードの方にも対話の意志が残っていたことだろう。

 レナードが敵ではないこと、この砦で何が起きたか知っていること、それを説明出来るだけの正気を失っていないこと。

 互いに警戒しつつの短い遣り取りからそれらを見極めたネスティが僅かに緊張を緩めつつ、やっと掴んだ重要な手掛かりへと真剣な眼差しを向ける。そんな重要な局面に、まさか先ほどの遣り取りを思い出せるような余裕などあるわけがなかった。

「まるっきり三流のホラー映画みたいだったぜ」

 砦の前にあった旅人の死体が埋葬の途中で生き返って暴れ出し、それに殺された人間も同じように化け物となって暴れ出した。全ては死体が生き返ったことが始まりだと語るレナードの疲れ切った表情を前に、僅かな間、ネスティは深刻な面持ちで考え込んだ。そうして出来上がった惨状がこれだとは俄には信じがたいが、嘘だと否定するにはネスティの蓄えた知識は深すぎる。少なくともこの世界にはそれを可能とする召喚術が確かに存在しているのだ。もちろん、決して普通のことではないが、と難しい顔で唸ったネスティがその視線を思わしげに持ち上げる。

「タキツ、君はよく知っているだろう? 憑依召喚術だよ」

 つい先日、ミニスの手で身体強化に関わる術を掛けてもらった私へとマグナが勢いよく振り返った。ネスティの言葉に勝手に不安になったらしいが、それは同じ系統でも全く目的の違う術だ。大丈夫だからと身振り手振りで宥めつつ、探るような眼差しを向けてくるレナードに安全を訴えるように両手のひらを晒している間にも、そんな話を振った当人のネスティは気にせず説明を続けていく。

 曰く、それは実体のない召喚獣を第三者に憑依させることで不思議な力を与えたり全くの別の生きものに変えてしまう外道の術で、派閥では習得を好まれるものではないこと。特にこの場で考えられるのは、サプレスの低級霊を召喚して死体を操り不死身の兵士に変える術であり、それは召喚師が常に魔力を注がなければ呆気なく解けてしまうはずのものであること。それらが意味することはつまり、だ。

「召喚師が、まだ近くにいる……!?」

 頭から冷や水を被せられたように目を見張ったマグナに沈黙を返したネスティは、それが正解だと言外に物語っていた。砦にこの惨状をもたらした敵がまだ近くに潜んでいると告げられてレナードの眉間にも深い皺が刻まれる。咥え煙草を忌々しげに齧り、姿の見えない敵を睨み付けるように目つきを鋭いものへと変えたレナードに、私は声を掛けられなかった。ただし、それは決して話の重さに気圧されたからでも恐れを覚えたからでもない。フォルテたちがいるはずの方向から、明らかに切迫した悲鳴が響き渡ったからだった。




レナ―ドさんも中々しんどい境遇だよな。
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