「なるほどね、こういうことか。納得納得……」
「な、なに落ち着いているのよ! こいつら、死体なのよっ!?」
落ち着き払って顎を撫でさすっているフォルテの隣、ケイナは動き出した死体を前に完全に引け腰になっていた。顔色が悪いどころか控えめに言っても四肢損壊、見るからに致命傷を負った死体が独りでに起き上がりぎこちなく動き出す様子を目の当たりにすれば、誰でも動揺と怖気に立ち竦んでしまうだろう。まったく同じ状況で躊躇なく拳を繰り出したモーリンはとりわけ肝が据わっていたが、籠手越しに伝わる触感のおぞましさに顔を歪めてしまうのは止められない。これまで経験したことのない不快な感触と生者では有り得ないしぶとさを見せる死人の兵士たちに、少しずつ、戦況は傾きつつあった。
「くそ、こいつら倒しても倒しても起き上がってくる……!」
突き出した槍を勢いよく薙ぎ払いながら苦々しくロッカが吐き捨てる横では、斧で殴りつけた勢いのまま兵士を吹き飛ばしたリューグが辺りに飛び散った臓物に顔を顰めている。いくら攻撃しても倒れない敵に焦燥と疲労ばかりが募っていけば、無理矢理誤魔化していた恐怖が限界を迎えるのも近かった。じわじわと、けれど着実に距離を詰めてくる見た目にもおぞましい死体の兵士たちに、ついに恐慌状態に陥ったミニスが泣きじゃくりながらへたり込む。その無防備な手足を引き千切ろうと意志を持たない兵士の手が伸ばされる直前、そんな現実ごと否定するように駆け足で走り込んできたマグナが叫んだ。
「レナードさん!」
「おう! 伏せろっ!」
呼びかけに応えてレナードの銃が火を噴けば、ミニスに迫りつつあった兵士がぐらりと横に体勢を崩す。その隙に勢いよくミニスとの間に滑り込んだ私は石畳へと咄嗟に突き立てた鞘を軸に、鎧越しの胴体を思いきり蹴り飛ばした。
「ミニス! 怪我は!?」
「召喚師を探せ! 近くにいるはずだ!」
遠心力も乗った一撃で景気よく吹っ飛んでいく兵士を視界の端に無事を尋ねる間にも、ネスティが皆を奮い立たせるように鋭い指示を飛ばしている。ぼろぼろと涙をこぼすばかりで言葉にならないミニスの背中を空いた手で撫でさすっていれば、注意深く視線を走らせていたマグナがふと一点に目を留めた。血に濡れた柱の影、マグナが指差す先へとすかさずレナードが銃を向け、激しい反動にその銃口が上下したと思った途端、落ちるように降ってくる影がひとつ。
「ほお、よく見つけたな、ワシの気配を……褒めてやるぞ、カカカ!」
屍人使いを名乗るガレアノという男を前に、マグナたちの戦意が高まるのは必然のこと。そして、そんな私たちを逃してたまるかとばかりに血の気の失せた青白い顔を楽しげに歪めたガレアノが新たな屍人を繰り出してくるのも、約束された流れだった。
思うに幸いだったのは、私とガレアノとの接点が少なかったことだろう。ビーニャの側仕えとしての教養や備品の貸与だとかで幾らか関わりのあったキュラーやイオスと違い、滅多に顔を合わせなかったガレアノは私をまるで覚えていなかった。つまり、いくら本気で刀を向けようと支障のない有難い限りの状況だ。ガレアノが例え容易に近付けない砦の天辺を陣取っていようと、そこから無造作に霊界サプレスの術を落としてこようと、私の胸には感謝の念が満ちていた。出来たらこの機会に手足を数本、削いでおければ後々楽だなと考えていたのも本心だけれど、感謝と殺意、あるいは嫌気は共存するものなので問題ないだろう。
なにせ、ガレアノお得意の屍人相手の戦闘というのはあまりに厄介この上ないのだ。死んでいるだけあって痛覚のない兵士たちはどんな攻撃にも怯むことがないし、関節を砕こうが腹に大穴を開けようが、どんな致命傷を受けても進軍に支障のない限りは動き続ける。その動きや反応は生前に比べて明らかに鈍ったものだろうけど、生きた人間相手にするように戦っていけば体力切れか気力切れか、いずれ仲間入りを避けられなくなること請け合いだ。かと言ってその原型を失うまで破壊するとなると心ある人間であれば先に精神がヤられてしまうだろうので、私は何を考えることなく最も効果的な手法を取ることにした。
「タキツ、今だ!」
ネスティの呼んだ召喚獣、ウインゲイルが階段の踊り場にいた二体の屍人へと激しく渦巻く風を炸裂させる。痛覚がなくても全くダメージが入らないわけでもないのか、屍人が大きくよろめいた隙にその懐へと飛び込むと、階下へと導くように足払いを掛けた。スルゼン砦は崖沿いにあるだけあって高低差のある砦だ。屋上である最上階はまだ遠いがここは四階、屍人の身体が人間である以上、落ちれば果実のように潰れて血濡れの肉塊へと変わるだろう。水分を多く含んだ身体は落下の衝撃に潰れて弾け、折れた骨は外に突き出し、まともに立って歩くどころか這うことすら難しくなるに違いない。そうなったら当然、戦うなんて出来ない。
私の狙いを察したらしいフォルテが、降りつける雨風に負けないよう、怒鳴るように屍人への対応を伝えているのを流し見ながら、私は階段に溢れ始めた血泥のぬかるみを蹴りつけ駆け上る。階下に突き落とすには不向きな位置にいる相手は足の骨を折るように鞘を払い、ぐらついた隙を逃さずに得物を握りしめる腕か、その胴体目掛けて刀を振るう。残虐極まる振舞いをしている自覚はあるが、死者と生者なら、生き残るべきは確実に後者だ。
雨でも誤魔化しきれない濃密な血臭と汚物の腐臭に麻痺しきった鼻を上げ、ようやくその表情まで見えるくらいに近づいた上階のガレアノを睨む。見ているだけで反吐が出そうな嗜虐的な笑みはこんな地獄絵図にはあまりに似つかわしく、違和感のひとつもない。嗚咽交じりの詠唱を後ろの方に聞きながら、私はまた一段、赤く染まった階段を踏み締める。血脂がこびりついた刀で空を切り、澱みきった空気を吸い込んで呼吸を整えた先、レナードと先行していたマグナの背中が目に入った。
「主」
「なんだ、よ!」
振り下ろされた斧の一撃を剣の側面で受け止めるマグナへと近づきながら刀を抜いて、屍人の銅をばっさりと切り裂く。胴体部分の鎧、腹当をつけていない兵士だったそれは臓物を一気にぶちまけた反動でどしゃりと床に崩れ落ちた。骨のない場所を狙えば腐った臓物しか詰まっていないのだから、最後の一押しに背骨へと切っ先を潜り込ませてしまえば寸断することも容易い。上下で泣き別れした身体を上手く認識出来ないのか、困惑したように手足を動かそうとする屍人の頭部にせめてとばかり刀の切っ先を突き立てれば、やがて動きが止んだ。屍人でも死を迎えると言うのは妙な話だと思うけれど、そんなことを言ってしまえばこの世界の殆どが私の理解を超えている。散らばる赤に顔色を青くさせながらも目を逸らさず唇を噛み締めているマグナへと、身体ごと振り向いた私はかすかに声を和らげる。
「主、いつもの確認だよ」
マグナの注意を引く。紫紺の瞳が私を見た。それを待って、私は視線の先をガレアノへと持ち上げた。
「殺す? 殺さない?」
いつもの問いを発した私に、口を開け、息を震わせ、再び口を閉じたマグナの表情は苦しそうに歪んでいる。血濡れの戦場を見下ろして楽しげな声を上げて笑っているガレアノを、マグナはどうしたいと思ったのだろう。返答のない紫紺の瞳に背中を向けて階段を駆け上ってくるフォルテたちを迎えた私は少しだけ、その答えを聞けなかったことを残念に思った。
最上階へと踏み込んだ私たちを前にしてもガレアノの余裕は崩れなかった。互い違いに突き出た石壁に周囲を囲まれている砦の屋上は、もう逃げ場はねえぞ、と凄んだフォルテが真正面のガレアノにしか警戒を向けないくらいに閉ざされた空間だ。なのにガレアノの笑みは消えない。ついに追い詰めたはずなのに大胆不敵な高笑いを止める気配すら一向に感じられない。じりじりと包囲を狭めつつ、レナードが厳しい声で人間としての倫理を説き始めても小馬鹿にするように鼻で笑ったガレアノは、おもむろに握る杖を持ち上げた。
「そもそも、戦いはまだ終わっていないぞ」
杖に魔力を込めるような動作を取ったと同時、場の空気が軋むように揺らいだ。
「なっ……なんだ、この魔力は!?」
ネスティの動揺する声も遠くに響く中、それまで倒れ伏していた数多の兵士が見えない糸で吊り上げられたかのようにゆらりと立ち上がる。一度は倒したはずなのに、彼らを屍人に変えていた低級霊は霧散したはずなのに、にやにやと笑みに顔を歪めたガレアノが杖を高く掲げるほどに屍人が続々と起き上がりその数を増やしていく。足首や腰元で寸断したような、根本的に破壊した死体は流石に起き上がらなかったものの、それでも優に三十体は超える屍人が蘇った光景を前にネスティが唖然と息を呑んだ。本来何人もの召喚師が集まって儀式でも行わなければ出来ないそれを可能にしたのは、単にガレアノの膨大な魔力ゆえのもの。
「マジかよ……ここまで来てこれはねぇだろ」
戦慄を覚えているのは召喚師でない面々も変わらず、額に汗を垂らしたフォルテがじりじりと距離を詰めてくる屍人を牽制しながらボヤく。雨の中での戦いで皆、疲弊していることは言うまでもない。ただでさえ面倒な屍人相手の戦いを、この期に及んで一からやり直しでは心をへし折られていないだけ上等だ。残った気力を振り絞りそれぞれ戦闘態勢を取ったそこで、おい、とリューグが戸惑うような声をこぼした。
「おい、どうした、アメル……?」
隙なく斧を構えながらも困惑交じりの目をして見つめる先、震える両手で頭を抱え込んだアメルがいやいやと首を振っている。辛くてたまらない、そんな心情が溢れ出たような眼差しでふっとガレアノを見据えた瞳は、どこか光っているようだった。雨のせいでも涙のせいでもなく、悲しみと苦しみに濡れた瞳に光を宿しているのはアメル自身の胸のうちから生じるものだと、直感的に思う。
「みんな泣いてる。ずっと苦しみ続けてやっと安らかに眠れると思っていたのに、無理に起こされて、またいっぱい苦しんで……」
震える唇が戦慄いて、もうやめて、と聞くものの胸を打つような悲痛な声でアメルが叫んだ。次の瞬間、彼女の全身から眩しいほどの金の光が溢れ出た。
「なっ……!?」
突風を浴びたような衝撃と共に放出された金の光は、私たちの身体には何もせず、けれど屍人たちには甚大な影響を与えていった。光を浴びたその場所からぼろぼろと崩れ落ち、砂と化し、雨風に吹かれるまま消え去っていく。今までそこに屍人がいたこと自体が嘘だったかのような光景を前に、誰もが声を失った。死体が動き出した時には悪い夢でも見ているようだったけれど、たった今目の当たりにした現象はそれすらを越えている。驚愕の一色に染まったのはマグナたちだけでなく、屍人を呼び起こしたガレアノもだった。
「こ、この力……、そうか! そこの娘があの方が求める……っ」
驚き狼狽しながらも戦慄く口をどうにか動かし、引き攣った声を絞り出す。だが、ガレアノが立っていられたのはそこまでだった。無意識にか握っていた杖を手離し、呆然とアメルを注視するばかり、悪辣で強大な敵がそんな無防備な姿を晒しているのを見逃せるほどレナードは温い人間ではなかったからだ。
「くたばりやがれっ、この外道がぁっ!」
怒声を放つが早いが容赦なく鉛玉を打ち込んだレナードを止められるものはいなかった。薬莢が澄んだ音を立てて転がり出ること六度、肩の付け根や腹や太腿、全身の急所に銃撃と衝撃を受けたガレアノが悲鳴と共に城壁の隙間から転がり落ちていく。これだけの高所から落ちていく姿を目にしても止めを刺せた気がしなかったのか。固い面持ちで暫く崖下を睨んでいたマグナとレナードが戻ってきてすぐ、私たちは砦を後にすることにした。
空を覆う黒雲から冷たい雨が降りしきる。容赦なく身体を打ちつける滴に体温を奪われ、唇を青や紫に染めながらも、誰もスルゼン砦に戻ろうとは言わなかった。ガレアノと言う敵は倒した、物言わぬ兵士たちは死体に戻った、誰もいない砦で雨宿りをしたところで咎めるものはいない。けれど、どんな理由があってもこれ以上あの場に留まりたくはなかったのだ。
黙々と街道を進んでいく私たちの姿は葬式の参列にも似た雰囲気を漂わせていただろう。身体に染み付いた血臭や腐臭が幾分雨に流されても、それぞれの浮かべた険しい面持ちや沈痛な眼差し、青ざめた顔色は拭いきれず、ファナンへの道を急ぐ足取りは疲労のせいだけでなく重かった。
「ロッカ」
気絶したアメルを背負って前を歩くロッカに身を寄せると、雨で濡れた前髪を手の甲でよけながら私は小声で話し掛けた。
「ちょっとフードの位置を直すね。雨が流れ込みそうだ」
雨音に紛れてしまうようなか細い呼吸を手の甲に感じながら、アメルが羽織るローブのフード部分をより深く引き下げる。血の気の失せた頬にほつれかかった髪をそっと指先でよけてやれば心なし表情も和らいで、それに私の方まで息を緩めていたらしい。
「……タキツさんは、平気なんですか?」
じっと見つめていたロッカに尋ねられて、私は言葉に詰まった。気絶して眠り込んでいるアメルを前に表情を和らげたり、平気な顔で立ち回っていることを非難されたのかと反応に迷って動きを止めれば、暗い面持ちのロッカはゆっくりと頭を横に振りながら続ける。
「あんな戦いの後で、そんなふうに他人を気遣えるのは中々、凄いことですよ……」
「ああ、そういうこと」
だから、ほっと胸を撫で下ろした私は隠すまでもない理由を答えた。
「ああした戦場は初めてじゃないからね。まだ耐えられる。こう見えて頑丈なんだ」
不信や疑念を向けられたわけではないのだ。安心して軽く笑って返した私に、けれどロッカは眉を顰めてぐっと押し黙る。物言いたげな顔に何か間違っていたかと不安を覚えた矢先、そうですか、と会話を断ち切るように返されてしまえばそこまでだ。マグナやミニスがちらちらとこちらを窺っている気配に気が付かない振りをしつつ、私は肌に張り付くシャツの上から冷えた二の腕を撫でた。
ロッカに言ったとおり、私はまだ耐えられる。雨に冷えた身体は氷のようだが、歯の根が鳴るような寒さに声すら凍えるほどじゃない。溶けた鉛を注がれたような疲労を手足に感じるけれど、一歩も動けないほど困憊しきっているわけでもない。何より、私の心は折れるどころか希望の光が差し込んだように明るかったから。
ゲームどおりにガレアノが登場したということは、もうじきビーニャに会えるということだ。
あと少しで、と騒ぎ立てる心を強いて抑えて息を吐く。ビーニャとの再会を待ち望んでそわつく胸のうちも、心身共に疲弊しきったミニスにホットミルクでも入れてあげようと心配して止まない心も、どちらも私の本音なのだから扱いに困ってしまう。帰ったらまずはお風呂を沸かさないと、と頭の中で算段を巡らせながら、私は感覚の失せ始めた指先で濡れた前髪を横に流した。
ガレアノ戦は実質ゾンビ映画。