0-1:旅立ち
ビーニャと目が合った瞬間、ひとつ、心に決めたことがあった。
どうしてゲームの世界にいるのかとか、この先どうなっちゃうんだろうとか、そういった不安や懸念の一切を忘れてしまうほどの強烈な衝動で決めたそれは、ビーニャに尽くそう、ということだ。
元々、単なる敵役以上にビーニャのことは好きだったのだ。見た目も喋り方も、ちょっと激しすぎる性格を含めても十分可愛らしいし、召喚獣として呼ばれた今ならご主人様と呼ぶのもやぶさかじゃない。召喚された際に好意の刷り込みや魅了を受けたんじゃと疑われても仕方がないけれど、ゲームを何周もプレイしてその残虐非道ぶりを飽きるほど眺めた上での正直な気持ちとして、私はビーニャが好きだった。そんな前提に加えて、大して生への執着が強かった方でもないのに安全とは程遠い環境に突如放り込まれたせいで、何か、指針になるものが欲しかったのかもしれない。本当のことを言ってしまえば、ビーニャに会った時点で私はもう死んでしまってもよかった。かと言ってすぐさま命を絶とうとするほど世を儚んでいるわけでもなく、生きようが死のうが構わなかったからこそ余計に理由が必要で、自己満足でも何でもいいから譲れない何かが欲しかったのだろう。例えばルヴァイドやイオス、ネスティがそうだったように、自分の命なんて軽々賭けてしまえるくらい大事なもの、譲れないもの、守りたいものを求めていたのだと思う。
「そんなわけでビーニャ様にお仕えしたいと思ったんですよねぇ」
色々と端折ってにっこり笑った私に、ビーニャは相変わらずのしかめっ面で分かりやすく唇を尖らせた。薄付きのサクランボみたいな血色の悪い唇がありありと不満を訴えていたけれど、ビーニャ付きの護衛獣として傍らを離れるわけにもいかない私は風除けになる位置に立ったまま、可愛らしい不満顔へと笑みを深めることで返す。召喚されて早一か月、帝都近郊に潜んだ野盗の掃討を命じられたビーニャの護衛獣としてのお仕事は、想像したよりずっと充実したものだった。
あの日、意図せず召喚してしまった私をどうすべきか迷った末に、ビーニャは直属の上司の元へと相談に向かった。現在デグレアの顧問召喚師を務めるレイムこと全ての黒幕である悪魔王メルギトスの元へ、だ。ビーニャの性格を思えば面倒事を煩わしがって魔獣に私を食べさせて証拠隠滅、という流れもありそうだったのに、今思うとビーニャもあの時かなり動揺していたのだろう。獣属性のサモナイト石で人間なんかを呼び出してしまったことも、その相手がいきなり熱烈な好意を告げてきたことも、そこら中に漂う血臭を気にも留めずに心底の笑みを向けてこられたことも。要は半ばパニック状態で私を引きずっていったビーニャだけど、どうやらまだ存命中らしかった元老院の老人たちにあれこれ厄介事を押し付けられてレイムはそれなりに忙しかったらしい。訝しげな顔をするキュラーに矢継ぎ早に指示を出しつつ、穏やかな笑みを浮かべてビーニャが訴える事の経緯に耳を傾け、その間ずっとビーニャの斜め後ろでにこにこ微笑んでいた私を見やって、あっさりそれを決めてしまったのだ。
何かあるたび癇癪玉を派手に炸裂させるビーニャには、例え一時凌ぎだろうとも手綱を引く存在が必要だ。つまり、護衛獣としてこの人間を活用した方が何かと都合がいいだろう、と。
「本当、なんなのよ、アンタ。いきなり好きだとか愛してるとか、頭湧いてるんじゃないのォ……?」
「うん、それが普通の反応ですよね。ですが千里の道も一歩から、こういうのは地道にこつこつお伝えしていきたいと思います」
「あぁーっ! もういい! 様とか付けないで!! アンタに言われると気持ち悪い!」
明らかに本編開始前、レイムの地道な裏工作や下準備もまだまだ中途でしかなかったからこそ、私の命は繋がった。指示を下せば迅速かつ的確にこなすキュラーやガレアノと違って、激しい感情の起伏と衝動に駆られてビーニャが予定にない騒動や惨事をいくつも引き起こしていたらしいことも追い風になった。結果としてその補佐、側仕え、お付きとしての役割を兼ねた護衛獣の立場を手に入れることが出来たのだから、人生どう転ぶか分からないものだ。
ビーニャを頼みますね、とにこやかに笑って告げたレイムにぽかんと目を丸くして声を失っていたビーニャが、数拍の間を置いてキャンキャンと激しく喚き散らし始めるのを微笑ましく眺めたのが懐かしい。それから半月ほどでこの世界の基本的な知識、側仕えとしての教養、召喚術や武術といった最低限の戦う術を中々にハードな詰め込み式で叩き込まれたこともあって、ビーニャの癇癪を宥めるひと時が一番の心和む時間に変わるのは早かった。三途の川が見えるようなスパルタコースでお勉強に勤しむ間、召喚主であるビーニャとさえ通常、朝晩の二回しか顔を合わせられなかったのだから当然とも言える。
「それにしても、ビーニャ様のお力はやはり素晴らしいです。レイム様があれだけ重用なさっているのも納得ですね」
吹き付ける風を頬に浴びながら、崖下に広がる凄惨な地獄絵図を見下ろして私は惚れ惚れと呟いた。岩肌を滑り降りた先の草原にはいくつもの人影が転がっているけれど、そのどれもこれもが歪な人型をしていて五体満足の物なんてせいぜい一握りしかない。今も元気に動き回っているのはビーニャが召喚した巨体の魔獣ばかりで、時折それが動きを止めるたび、転がっていた人影がひとつふたつと雑に削れて減っていく。アレはつくづく見境なしの大食らいで、つい先ほどまで慣れない剣を振るっていた私にも大口を開けて飛びついてきたような低い知能の持ち主だ。一応はレイム直々に護衛獣と任命された私を気遣ってか、ギリギリで躱した直後にビーニャから強烈な雷撃を落とされて黒焦げになっていたけれど、未だに両手の指を越える魔獣がうぞうぞと草原をひしめいている光景にはぞっとするものがある。後頭部で緩くひとつに括っていた髪は金属製の髪留めごと食い千切られて見るも無残な有様だし、風に乗って漂ってくるすえた血臭も汚物の悪臭も吐き気を催すものでしかないけれど、その全てがビーニャの実力に由来するものだと思えば自然と顔が綻んだ。
「……アンタ、なんでそんなへらへらしてられるのよ。アタシがとっても残酷で残虐なことして楽しんでるって言うのに、それでもニンゲンなわけ?」
呆れた口調で探るような目をして私を見つめているビーニャに気が付いて、ううん、と首を捻りながら言葉を探す。
「えー、ちゃんと人間ですよ? ほら、さっき吐いちゃったりもしましたし。ただ、なんていうのかな……ビーニャ様が嬉しそうだと、それだけで私も嬉しくなるというか……?」
実力ある召喚師に呼ばれたおかげか、運動神経や反射神経に至るまで格段に向上していたことは素直に有難かったけれど、初めての人殺しには相当手こずった自覚がある。本来ならビーニャ単独でも支障のない掃討戦に私を連れていくよう指示したのはレイムだし、いざという時に使い物になるかを確認する意図があったことは間違いない。
生者相手に剣を振り下ろすことが出来るのか。同じ人間の命を迷わず奪うことが出来るのか。コレは本当に使い物になる道具なのか。
言わば私の初陣は実施試験を兼ねていて、及第点に達しなければ遠からず処分対象になるだろう確信があった。だからこそ不慣れな剣を無我夢中で振るって、あの血生臭い場所で生を勝ち取ったのだ。避ける余裕もなく頭から被った返り血で不揃いな髪はパリパリするし、身体中あちこちに手傷を負ってしまったけれど、それでもまあ、初めての実戦にしては上出来だろう。そんなふうに頭の隅で算盤を弾いていたものの、ビーニャから話を振って貰えた貴重な機会を逃すはずもなく、私は緩やかに微笑んだ。ビーニャは何とも言えない顔をして私の靴の先から頭の天辺までを眺めると、深々とした息を吐いた。
「意味分かんない。アンタを呼んだ時に魅了とか洗脳とか付けてなかったはずなのに……ほーんと気持ち悪い。普通のニンゲンのクセにさぁ」
「む、なんですかその微妙な顔は。別に殺しが好きだとか嗜虐趣味があるわけじゃないですよ! でもこんなところで殺されちゃったらビーニャ様のお傍にいられなくなりますし、ね」
「アンタって本当、なんなの?」
諦めたようにもう一度息を吐き出して、ビーニャは数度、力なく頭を振った。呆れ切っているような仕草だけど、僅かに覗く耳がうっすらと色付いていることに目が行って、つい相好を崩してしまう。
命の保証はもちろん、人権や尊厳なんて夢のまた夢でしかない扱いが約束された立場になって、ゲーム知識の他は身ひとつで放り出されてしまったけれど。仕える相手が私のことを憎からず想ってくれていて、私の向ける好意を怪訝がって薄気味悪がりながらも気恥ずかしそうに喜んでくれて、私の大好きだった友達と同じ顔をして笑ってくれている。それだけで胸の辺りが温かく満ち足りてしまうし、込み上げる胃液の酸味も手にこびりついた不快な感触も全部帳消しになってしまうのだから、やっぱりビーニャのことが好きで良かった。
愛の力って偉大だな、と呑気なことを考えながらビーニャに向けてもう一度にっこりと破顔する。少しでもビーニャの役に立てるようにもっと頑張らないと、と何度目かの意気込みを心の中で唱えながら、私は未だに震えの抜けない指先をきつく拳のうちに握り込んだ。
人殺しなんて珍しいことじゃない。何も思わないわけではないけれど、突き詰めてしまえば生きるために魚や肉を食べるのと同じこと。
そんな結論を下した私のことをレイムはお気に召したらしい。帰還報告のついで、そう割り切るに至った率直な心情を共に告げれば、楽しそうに声を上げて笑ってみせた。それなら良かった、貴方が気落ちするようなことがあればビーニャも悲しみますから、なんて取って付けたような気遣いの言葉をつらつら並べていたけれど、レイム様とお話しするなんてズルいと癇癪を起こしたビーニャにその後お仕置きをされた私からすれば何ひとつ良くはない。とにかく、レイムの信用もそれなりに得たことで私の護衛獣生活は順調に進んでいった。
見た目こそ可愛らしい少女でもビーニャの中身は身の毛もよだつような悪魔だ。
そんなの重々承知の上で、気に入った玩具でも振り回すように私のことを始終手元に置きたがって、そこら中を連れ回そうとするビーニャのことが、どうしようもなく可愛くて仕方がなかった。多分だけど、ビーニャもビーニャの依代になった子も、誰かにひたすら大事にしてもらう経験がなかったのかもしれない。所有欲というか独占欲というか、子供じみた愛着で私の手を千切れそうなほどの勢いで引っ張るビーニャはとても楽しそうな笑顔を浮かべていて、連れて行かれた先で苦虫でも噛み潰したような顔のルヴァイドやイオス、表情の抜け落ちたようなキュラーに嫌味を言われたり苦言を呈されたりしても私は概ね満足していた。ビーニャと一緒にいる限り、私の精神の安寧は保たれる。三か月も過ぎる頃には半ば本気でそう思うくらい、私の日常はビーニャを中心に回っていた。
「そういえば、サプレスの召喚術って少しは覚えたのォ?」
ビーニャの部屋は広く、お姫様のような天蓋付きベッドに美しい模様の彫り込まれた洋服箪笥、艶やかな飴色に輝く書き物机といった品のあるアンティークな家具がそこら中に置かれている。床にも毛足の長い絨毯が隙間なく敷き詰められ、大理石で出来たような白亜のバルコニーに出るまでに足が冷えることもない。こうこうと降り注ぐほの明るい月光の下、厚手のストールを肩に羽織って白い息を吐き出していた私はその問いかけにゆっくりと指を折り曲げた。
「そうですね……回復や状態異常の治癒、動きを鈍らせる憑依の術ならいくつか。戦闘初心者の私には最適な属性で助かっていますけど」
「けど?」
「ビーニャ様とお揃いだったらもっとよかったのに、なーんて。あはは」
「アンタはもう……」
何か言いたげに緩みかけた唇を結び直すビーニャを横目に、私は軽く肩を竦めてみせた。本当は同じ属性なのに、とでも言いたげな顔をしているビーニャに知らず目尻が緩んでしまうのはご愛敬だ。
この世界、リィンバウムには隣り合って存在する世界が四つある。機界ロレイラル、霊界サプレス、鬼妖界シルターン、幻獣界メイトルパ。そして、それら四つとは異なり無機物ばかりが召喚される名もなき世界こと、私が呼び出されてきた地球。それぞれの世界に住まう住人の特徴や秘めたる力、それらを使役するための召喚術や召喚師、派閥という組織。そんな便利で強力な力を活かさなかったために衰退の一途を辿っているここ旧王国デグレア、始祖は同じくするが敵対関係にある聖王国や帝国といった有力国家の成り立ちや関係性、その政治経済システムなど、エトセトラエトセトラ。この世界で生きるに当たっての最低限の知識教養をざっくり叩き込まれると、ここからが本番とばかりビーニャの側仕えをするに当たって必要な礼儀作法や立ち居振る舞い、護衛としての戦闘術といったものを限界まで詰め込まれたのだから、私もよく頑張ったものだと思う。今はより実践的な知識や作法、召喚術や武術の訓練を重ねる日々を過ごしているけれど、そうしたお勉強のおかげで知ったひとつが、下手に地位があるとそれ相応の振る舞いが求められるのは世界を越えても変わらないということだった。デグレア有数の高位召喚師であるビーニャも何かと窮屈なルールやマナーに縛られる日々のようで、度々不満や鬱憤を爆発させるように癇癪を起こしていた気持ちが理解出来てしまったこともあり、以前よりずっと私はビーニャに甘くなっていた。最初から甘かったのは否定しないけれど、ビーニャのことを知れば知るほど、好感を増している自覚はあった。
「……ねえ。ナチ」
ふと、どこか躊躇いがちな声色で呼ばれて顔を上げる。柄にもなくおずおずとした不安そうな顔つきのビーニャと目が合って、私はきょとんとした。
「もし、もしもよ。アタシが悪魔だったら……どうする?」
「え、別にどうもしませんけど。ああ、なるほど、って納得するくらいですかね」
「なっ! なによその反応! もっと驚くとか怖がるとか、こう、人間らしい反応ってのがあるんじゃない!?」
いきなりの質問に疑問符を浮かべるまま返すと、ビーニャはあからさまに狼狽した。そんな質問を向けられたことに驚かなかったと言えば噓になるけれど、ビーニャが人間でも悪魔でもそれ以外でも対応を変えるつもりのなかった私としてはむしろ、その反応にこそ面食らう。どういう意図で振ってきたんだろう、と内心困りながらもビーニャの矢継ぎ早の疑問に答えるべく私は口を開いた。
「えぇ……だってビーニャ様、敵を殺すときにすっごく楽しそうな顔をするじゃないですか。これが生き甲斐、みたいな。悪魔がいるならあんな感じかなぁと思いますし、それにあの尋常じゃない魔力。私ですら感じ取れるんだからよっぽどですよ。あとは不健康そうな顔色とか、いかにも悪魔って感じじゃないですかね? まだ悪魔を見たことないので分かりませんけど……」
「……なら、アタシがアンタを殺すとか思わないの?」
神妙な顔で問いを重ねるビーニャだけど、ますます困ってしまった私は眉尻を下げてきっと情けない顔をした。
「んー……実は私、別に死んでもいいんですよ。ビーニャ様が引導を渡してくれるならそれもそれでいいなって思えるくらいには。でも、もしお願い出来るなら」
「……なによ?」
「痛いのはあんまり好きじゃないので、一発で首を飛ばして頂けたら嬉しいです。身体は魔獣のご飯にでもしてもらって、首は……敵陣にでも放り込んだら混乱するかな? うん、そんなふうに上手いこと活用して頂ければ」
「バカッ!!」
と、急に怒鳴られて思わず声の途切れた私は、そのまま目を丸くして固まった。ぼろぼろと大粒の涙をこぼして私をきつく睨み据えているビーニャの顔は真っ赤だった。怒っている、悲しんでいる、いくつもの感情が綯い交ぜになった顔をして私を射殺すように睨み付けながら泣いている。そんなの、ビーニャのことを大好きな私が動揺しないわけがない。
「び、ビーニャ様? どうしました、私、何か気に障ることでも言っちゃいましたか」
「なんでアンタはそうなのよぉ……、バカバカバカッ……大っ嫌い!!」
「え、えーと、少し気持ち悪い話でしたかね。すみません、ビーニャ様」
「……ビーニャでいいって言ってんでしょ……この、バカ……」
おろおろと胸の前で行き場のない手を迷わせて要領を得ない謝罪を繰り返していた私の腰に小さな手が回った。正面から抱き着いてきたビーニャの顔がすっぽりと私の胸元に埋まって、すんすんと涙交じりに鼻を鳴らす音が身体に響く。頑是ない子供のような癇癪はいつものことだけど、こうやって抱き着いてくるなんて初めてのことだった。少し迷って、少し躊躇って、私はおそるおそる小さな背中に手を回す。ゆっくり力を込めて抱きしめ返すと、ひんやりしてるとばかり思っていた身体は怒りのせいか、それとも私の体温が移ったのか、ほのかに温かく湿っていた。まるで普通の、生きた人間のようだった。何だか夢でも見ているような心地で詰めていた息を吐き出すと、アンタはアタシの物なんだから、とまだ涙の混じる声でビーニャが呟く。それに何を返せばいいかも分からないのに浅ましくも嬉しく思ってしまった時点で、先のない一本道へと足を踏み入れていたのだろう。
ひょっとしたら、私が思っている以上にビーニャは、私のことを気に入ってくれているのかもしれない。
そんなことを思えばますます、知識の吸収や戦闘訓練への意気込みは増していった。剣や刀の振るい方、力の受け流し方や無駄のない足運び、どれもこれもが付け焼き刃でしかないだろうけど一心不乱に打ち込むうち、本場の軍人には適わずとも野盗崩れなら安心して相手取ることが出来るようになった。無機物を呼び出す透明なサモナイト石での召喚術や適性の合ったサプレスの召喚術を鍛えていくうちに、メイトルパの適性が生まれたのも嬉しい誤算だった。これでお揃いだと喜ぶ私にビーニャも一緒になって笑ってくれたのがただ、嬉しかった。万が一にも私のせいでビーニャが軽んじられたり馬鹿にされるのだけは避けたかったから、人前ではこれまでどおりの様付けを徹底しつつも、二人の時には自然とビーニャと呼べるくらいに言葉を交わして、遣り取りを重ねて、いつしか半年が過ぎていて。
「明日、アンタと正式な誓約を結ぼうと思うの」
真剣な面差しで告げられた言葉に、ついに本編が始まるのか、と即座に理解した。最近はあまりルヴァイドやイオスを見かけなかったし、肌がピリつくような緊張と焦燥がそこかしこに漂っていたからそろそろだとは思っていたものの、やっぱり私の勘は当たっていたらしい。身の引き締まる思いで居住まいを正すと、ビーニャはかすかに目元を和らげた。召喚術の暴発という形で呼ばれた私とビーニャの間にはまだ、正式なラインは通っていない。一応は護衛獣という括りだけど、召喚獣側の同意がなければきちんとした誓約を結べないとかで、所々に綻びや解れが見え隠れするような不完全な誓約になっているらしい。ビーニャの魔力量を思えば私の同意なんて無しに誓約を結べそうだけれど、完全に事故だった召喚では咄嗟にそれを思いつく余裕もなかったのだと気まずそうに教えてくれた時のことを思い出しながら、私は晴れやかな笑みを浮かべた。
「そうしたら堂々、一緒にいられるんですよね?」
「そうよ。……絶対、アタシから離れちゃ駄目なんだからね。分かった?」
もちろん、ハイ以外の返事なんて存在しない。とびきりの約束を交わして同じベッドで眠りに就いて、翌朝、すっかり身支度を整えたビーニャと足並みを揃えて私は部屋を出た。さすがにこういったことは私たちの一存で出来ることでもないし、レイムにすぐ報告できる場所で誓約を結び直そうと考えたのだ。もし思い付きで追加の実力テストを課せられてもいいように、イオスに貸してもらった軍仕様のローブに支給品の刀も身に着けてはいる。髪はあれから結構伸びたけれど、まだ肩に付くかどうかだし、わざわざ結ばなくても邪魔にはならないだろう。ビーニャの護衛獣、側仕えとして何か不測の事態があっても対処できる万全の装備を決めて、心を浮き立つのを感じながら廊下を歩み始めて数分も経たないうちだった。
「え、ちょ、まさか……これっ!?」
「な、召喚!? やだ、やだやめてよ!? 行っちゃやだ、ナチ!!」
廊下の曲がり角に出るかどうかで、私の身体が不自然な光を帯びた。まるでこの世界に召喚された時のような、と気が付いてしまったそこでビーニャも同じ考えに至ってしまったらしい。ひどく切羽詰まった、今にも泣き出す寸前の甲高い声で喚き立てるビーニャの目尻に涙が滲む。私に取り縋ろうと必死に伸ばされた指がいやに遠い。どうにか抗おうと激しい光の中で身じろぐも無駄な抵抗とばかりに光の奔流は強まっていき、最後、半狂乱で泣き喚くビーニャの歪んだ顔を目に焼き付けながら私はデグレアの地から旅立つのだった。
サモンナイトは全プレイ済・UXは最終巻まで読破済ですが、2008年頃書いたプロットを元にしているため、あくまで別次元の夢のお話です。なお、一方通行の執着が好きなので真っ当なハッピーエンドの予定はありません。