ノルンは笑わない   作:くものい

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差替済


10ー1:封印の森にて

 部屋には何とも言えない空気が漂っていた。ひどく取り乱して最後、悲痛に泣き崩れてしまったアメルを抱きかかえるように別室に移動したロッカとリューグは、まだ出てこない。元々はルウの祖母と両親が共に住んでいた家だそうで部屋数がいくらかあったのは助かったけれど、旅の一行と言える程度に大所帯の私たちが休むにはどうにも手狭な感は否めず、殆どの面子は暖炉と大きなテーブルのある居間に残っていた。毛布に身を包んで壁に背中を預けたりテーブルに突っ伏して一晩を過ごすことになったわけだが、そうなれば当然、ただ惰眠を貪るはずもないのがこのメンバーだ。

「しかし、それだったら何でその爺様はこの場所をわざわざ指定したんだ? おかしいじゃねえか」

「確かに。嘘をつくのならもっと上手いやり方があったはず……」

 今後の相談もとい現状整理の話を続ける声は静かに、淡々と続いていく。実際、レナードとカザミネが真っ先に語ったその一点にこそ私たちの疑問は集約されていた。今は幼馴染の言葉でさえ届くかも怪しいアメルに話を聞くのは難しいが、こちらで推測を立てる分には支障もない。血気盛んな若者たちと幾分距離を置いているからこその冴えた着眼点、論理立った冷静な思考は、思いがけない展開続きで疲れ果てていた皆に蝋燭の明かりのような光明をもたらしてくれるものだった。ルウへの説明を買って出たネスティとマグナ、それにケイナが話に戻ってきたタイミングだったこともあり、思わしげな表情で紫煙をくゆらせたレナードは締め括るように言った。

「バレない嘘をつくコツってのはな、嘘の中に何割かの真実を混ぜて信憑性を高めることだぜ」

 確かに、そのとおりだと思う。アグラがこの場所を選んだのにもきっと、何らかの理由がある。ネスティやフォルテも同じように考えていたのか、レナードの言葉を補強するようにそれぞれ深々と相槌を打った。アメルの祖父が嘘をついたなんて信じたくないモーリンやミニスはそれに懐疑的な様子を見せるけれど、マグナでさえも改めて森を調べる必要性を感じていたらしい。その言葉もまた当然のものだと何人かが頷き返したそこに、意外な声が難色を示した。

「僕は反対だ」

 レナードの推理に深い肯定を示していたのが嘘のように固い拒絶を見せるネスティに、驚いたのはフォルテやケイナたちだった。ネスティはその几帳面な性格も相まって、普段から冷静沈着で合理的な判断に長けている。判断材料が十分揃っていない今の時点でそこまでムキになって否定するなんて、まるでらしくない。滅多にない頑なな態度と勢いに半ば気圧され戸惑いながらも宥めようとするフォルテやミニスだったけれど、中々同意が得られないことにネスティの方は怯むどころかますます目を尖らせて、ついに視線がぶつかった私にまで話を振ってくる。

「タキツ、君はどうだ? 森を探るなんて危険をわざわざ主であるマグナにさせるのは」

「でも、ここで俺たちが引いてしまったら……アメルはどうなるんだ?」

 本意ではないだろう、と続けようとしていたネスティの声が途切れた。マグナの呟きで想像してしまったのだろう光景にたじろぎ言葉を失うくらいに情があるのが、ネスティの弱点だった。

「少なくとも、俺は彼女が納得出来るだけのことをしてやりたい。可能性があるのなら少しでも確かめてやりたいんだよ」

「……好きにすればいいさ。だが、どうなっても僕は知らないからな」

 苦々しく言い捨てて部屋を横断したネスティが玄関扉を押し開ける。あまり遠くには行かないでね、と慌てた様子で声を掛けるルウに、夜風に当たるだけさ、と声を返すだけの冷静さは残っていたのが幸いか。ちょうど入れ違いになる形で部屋から出てきたロッカがアメルの様子を話し始めたこともあって、私は静かに壁から背中を起こした。すっかり話に置いてきぼりで疑問符を浮かべているルウの隣に行き、こっそり声を掛ける。

「少しお湯を貰っていいかな? お茶を用意してから私もちょっと、夜風に当たってくるよ」

「それはいいけど……あなたも、あんまり遠くには行かないでね? 悪魔がいなくても夜の森は危ないんだから」

 素直に心配してくれるルウに微笑み返して、私は持参した茶葉を目分量で茶漉しに入れると鉄瓶に沸いたお湯で手早くポットを満たした。緊張を和らげ安眠効果のあるカモミールティーが、こちらではカルミレの花茶として店頭に並んでいる。花を揉むとシルドの実に似た特有の強い香りが立つのだと店主に説明されて、大地のリンゴとも呼ばれる花を思い出した私は迷わず財布を出したのだ。

 穏やかな香りを立ち上らせるお茶をマグカップふたつに注ぐと、お裾分けとしてポットに残った分をルウやケイナに渡して、皆の話を邪魔しないように出入口へと足を運ぶ。森に封印された悪魔の軍勢の話をルウに尋ねているマグナの声、どうにか方針は決まったなとフォルテと胸を撫で下ろしているレナードの溜め息、それらを背中に聞きながら後ろ手に扉を閉めた私は静かに足を動かした。

「そこは冷えるよ」

 ネスティ、と声を掛ければルウの家を出てすぐの道の途中、夜の森を睨むように立っていた人影がおもむろに振り返る。湯気を立てるマグカップとそれを差し出す私とを物言いたげな顔で睨んだネスティは、少しして溜め息を吐きながらカップに手を伸ばした。香りだけで何のお茶か分かったのか、かすかに眉間の皺を和らげたネスティだったけれど、気を取り直したように声を尖らせる。

「……君も、僕に何か言いたいんじゃないか?」

「いいや、何も。だけど大変だね、兄弟子というのも」

 夜風に当たりに来ただけだよ、と素知らぬ顔で返せば、苦虫を噛み潰した顔のネスティは文句を飲み込むかのようにカップの縁へと口をつけた。眼鏡が曇るのも構わずにお茶を飲む姿はどこか雄々しくて何となしに眺めていると、僕はもう戻るよ、と不意にネスティが呟く。

「あまり長居をしてはまた別の迎えが来かねないからな。君も顔を合わせたくない相手がいるなら、早めに切り上げた方がいい」

「……気を遣わせちゃってすまないね。ご忠告ありがとう」

 目を合わせずに一息で言ったのは私への配慮だろう。ロッカとの一件がバレていた気まずさと居た堪れなさに力なく苦笑をこぼせば、ネスティも居心地悪そうに目を逸らす。それが余計に申し訳なくて、足元に付いてきていた紫熟を抱き上げた私はルウの家すぐ横手にある切り株へと腰を下ろし、息を落とした。名月鑑賞と洒落込めば少しは気分も上がるかと思って出てきたけど、ただの人間でしかない私に月のマナを受け取る素養はなかったし、気分転換も上手くいきそうにない。

「それを言うのは僕の方だ。……お茶をどうも、ご馳走様」

 隣を過ぎながらネスティが落とした呟きに次いで、一瞬背後から差し込んだ光の筋が見る間に細くなり途切れる。ネスティが家の中へと戻ったことを察した私は、紫熟を抱えるのとは別の手でポーチの奥に潜めたサモナイト石に触れると、くすぐるように撫でた。紫熟との誓約を結んだサモナイト石はいつだってほんのりと温かく、冷えた指先を慰めてくれる。

 私がビーニャの元に帰りたくて仕方がないように、リィンバウムに召喚された獣たちは皆、多かれ少なかれ元の世界への望郷の念を抱えて生きているのだろう。帰りたい、戻りたい、こんな場所にいたくない。ずっとその世界で生きていくのだと信じていたのに、呆気なく引き離されて望んでもいない縛りを掛けられる。そんな悲劇的な状況なのに私に寄り添ってくれている奇特な相棒、紫熟の柔らかい身体を抱え込むように抱きしめて、俯きがちに呟いた。

「早く、会いたいです……マスター」

 ビーニャもこの月を見ているのだろうか、遠く離れた地にいても同じ月を見上げているのだろうか。そう思えば少しは寂しさも和らぐかと思ったけれど、余計に胸が締め付けられるばかりで私はますます項垂れる。

 もしも、を考えるだけで不安でいっぱいになる。もうじき会えるはずだと私の中のゲーム知識が語っていても、あちこちに見え隠れする綻びを思えば楽観視なんて出来るはずがなかった。だって、ロッカがあんな行動に出るなんて想像もしていなかったのだ。もしこのままズレが加速していってビーニャに会えずに終わったら、そう考えるだけで足元がガラガラと音を立てて崩れ落ちるような錯覚を覚えてしまう。信じていたものを否定されて恐慌状態に陥ったアメルの気持ちが分からなくもないどころか、痛いほど共感出来てしまう今、アメルには少しでも早く元気になって欲しかった。そんな自分勝手な願いを胸に、震える両手を組んで握りしめ、まるで月に祈りでも捧げるように頭を深く下げる。その時、きい、と軋むような音が響いた。

「……タキツ。そのまま、座ったままでいいから聞いてくれ」

 紫熟を抱える腕に力を込めて素早く振り仰いだ私を見下ろしているのは、マグナだった。宥めるような、静かな声が降ってくる。室内の明かりを受けて逆光になっている顔はよく見えないけれど、その声とよく似た表情を浮かべていることは予想がついた。片手で扉を押さえ込むように閉めてしまうと、マグナは改まった口調で言った。

「明日、改めて森を調べることにしたよ。それとさ、何か、あったんじゃないか? ロッカと」

 ぼんやりとした月明かりにも神妙な顔をしているのが見えて、心臓が跳ねる。疑念ではなく確信を持って私を見つめるマグナの視線に喉が渇いていく感覚を覚えながら、私はそろりと口を開いた。

「少し、揉めてしまって。心配させたのなら悪いね」

「いや責めてるんじゃなくて、俺が言いたいのは」

「本当に何もないよ。マグナが心配するようなことは何もね」

 食い下がるマグナの目を見ず、声を強めて無理にでも誤魔化しきる。そんな私に何かを感じ取ったのか、声の途切れたマグナは数秒の沈黙を落とすと、ふと攻め口を変えてきた。

「分かった。なら本題に入る。教えて欲しいんだけどさ、タキツのマスターは普段、どんなふうにタキツを扱ってるんだ?」

 想像にない質問を向けられて思わず顔を上げた私に対し、マグナはひどく真剣な目をしていた。天使アルミネと大悪魔との戦いの舞台となったアルミネスの森、その話をルウに聞く過程で何があったのかと瞬時に思考を巡らせて、思い至った私が唇を浅く噛むのを待っていたかのようにマグナが息を吸い込む。

「召喚術を使った時点で、召喚師と召喚獣は対等な友人じゃなくなる。当たり前だよな。けど俺、ルウに説明されるまで気が付きもしなかった」

 答え合わせのように召喚術の成り立ちを語り出したその声色は固く冷えていた。ルウに説明されて初めて気が付いたという、召喚術と言う一方的で歪な関係を強いる術と、それを深く考えることなく使ってきた自分たち召喚師の在り方について。誓約によって対象に命令を与えて支配する召喚術は、使った時点で対等な関係を結ぶものではなくなる。一方的なパワーバランスを前提とした関係では、友人になんてなれるはずもない。所有物として道具扱いをするだけのそこに、対等な関係を結ぶための努力をする召喚師はまずいない。それを踏まえた上で、マグナはきっと、私のマスターのことを思い出したのだ。

「タキツのことを物扱いしないで、ちゃんと意志を持つ相手だって尊重してくれてるのか?」

「……もし、そうじゃなかったとして、何か問題が?」

 仕方なしに率直な気持ちを口にすれば、マグナはぐっと言葉を詰まらせた。雲ひとつない夜空に冴え冴えと輝く月には目もくれず、痛々しい表情を浮かべたマグナは苦しげに私を見つめている。一体どこで勘付いたのかと動揺を覚えたのは一瞬でしかなかった。スルゼン砦での意味深なネスティの問いかけやマグナの思わしげな視線を思い返せば、かなり前からその可能性に気が付いていたのだろう。私の言動の端々から拾い集めた違和感をついに確信に変えて、マグナは尋ねてきたのだ。私がマスターと呼び慕う召喚師は決してまともじゃない人間で、私を道具としか見ていないんじゃないか、と。

「っ、タキツは、それでいいのか!? 悲しいとか辛いって思わないのか? もっと、友人みたいになりたいとか」

「高望みはしないんだ。傍に置いてくれるだけで十分、幸せだしね」

 レナードに話を聞きたがっていたのもこのためか、とぼんやり納得を覚えながら、私は緩やかに肩を落として笑ってみせた。名もなき世界、地球に暮らしていた頃に私がいた日本は平和そのもので、命の遣り取りはおろか武器を持って戦うこと自体に縁がなかった。それにも関わらず、明確な殺意を持って襲撃してきた黒の旅団やスルゼン砦の血生臭い惨状を前にしても大して動揺しなかったのは、それだけの経験をこちらの世界で積んだからだ。

 人間の命の奪い方も尊厳の欠片もない処理の仕方も、吐き気がするような不快感と怖気の中で何度も何度も繰り返し学ぶことで慣れてしまったからこその余裕。

 まさかそこまで見抜かれるとは思わなかったけれど、と僅かに困惑を乗せた眼差しを返せば、マグナは身体の横に下げた拳をきつく握りしめて声を震わせた。

「俺はイヤだ」

 辛そうに眉をしかめて、低い声を絞り出す。その表情があまりに苦しげで、私はいよいよ困ってしまって眉尻を下げる。それがどうして呼び水になったのか、堰を切って落としたようにマグナは怒涛の勢いでまくし立てた。

「タキツがあれだけ頑張っているのを当然としか思わない人間なら、そんな召喚主だって言うのなら、俺はイヤだよ。いつだって勉強熱心で、出来ることを増やそうとしてて、役に立つためって頑張ってばかりのタキツを大事にしてくれるようなマスターじゃないなら、そんなの、どうやって認めればいいんだよ……!」

 堪えきれないとばかり肩を震わせて項垂れるマグナの声は所々上擦っていて聞き取るのも難しかったけれど、私のことを思って言ってくれていることは分かった。だからこその申し訳なさと居た堪れなさに身を縮めて、独り言ちるように呟く。

「そうは言っても、私はただの召喚獣だよ。それに……私はやっぱり、マスターのことが好きだから」

 ビーニャは悪魔だ。悪魔であるビーニャと人間であるマグナでは、そもそもの考え方が根本的に違う。いや、召喚師らしい召喚師であるほど召喚獣の扱いなんて道具かそれ以下に成り下がることを思えば、ビーニャの私に対する扱いは随分と上等なものだった。使い捨ての魔獣たちとは別格で気に入られているからこそ、彼女の傍で、彼女の生きる音を聞くことを許されている。それがこの世界の人間にとってどれだけ忌まわしい行いだろうと、私にとっては何よりの幸いに当たるのだ。

「タキツがよくても……そんな召喚主だって言うなら、俺にも考えがある」

 つまり私は望んでビーニャの傍にいるのだと、そう伝えたかったはずなのに何か言葉選びを間違っただろうか。声を落として一層低く呟いたマグナに返すべき言葉が思いつかず疑問符を浮かべるも、一転して口を結んでしまったマグナはただ、僅かに目元を和らげた。浅い弧を描いた唇はぴったり閉じたまま、優しげな微笑みを浮かべた目元と同じく、何も語る気がないことしか見て取れない。困惑と不満を込めた視線を投げかけても軽く息を吐くように笑うばかりのマグナが、ふと思いついたように私へと手を差し伸べる。

「そろそろ戻ろう? あんまり遅くなると、ネスも心配するだろうしさ」

 促されるまま重ねた手が握り込まれて、優しくも力強く引き立たされた私は最後にもう一度、マグナの目を覗き見る。けれど、微笑みを湛える紫紺の瞳からは何の手がかりも見つかりはしなかった。

 

 翌日の朝早く、私たちは再び森に踏み込んだ。とは言っても昨日と同じく、あくまで森の外周を見て回ることが目的だ。森自体が広大なことに加えて結界の内側に人間が立ち入ることは出来ないことを踏まえれば、もしも村があるとしたら結界の外側辺りになるだろう。それに結界に近づきさえしなければ厄介事も起きないはず、と提案するルウの言葉に従って、今回も数人ずつに分かれた私たちはルウの家の近くを出発地点にして反対方向へと歩いて行くことにした。真っ先にルウの隣を陣取ったおかげでルウとネスティと一緒のグループになれたし、マグナはアメルを励ましがてら双子と一緒に反対方向に向かったから妙な心配や不安を覚える余地もない。どんなに深い森だろうがレルム村で育ったあの三人が揃っていればまず不覚は取らないだろうし、彼らの後方にはケイナやフォルテと言った旅慣れたメンバーで構成されたグループもいる。私たちの後方ではモーリンにミニス、カザミネが明るい声で何か話しているようで、ロッカとの一件が嘘だったかのような安堵に包まれるまま私は足を前へと進めていた。

「そうだ、昨日はお茶のお裾分けをありがとう! 初めて飲んだけど珍しい花を使ってるのね。とってもいい香りだったわ」

 その左手は油断なくカービングナイフを吊るした腰元に当てたまま、弾んだ声で顔ばかり振り返ったルウへと私は心からの笑みを返す。

「それはよかった。でも、花自体はそう珍しくもないんだ。どこにでも咲いてるからお茶だって簡単に手に入るものだよ」

「あれは確か大陸全土に自生する花だと記憶しているが……ああ、この森の植生は昔から手つかずのままだからか?」

 カルミレの花自体はどこにでも見かけるものだけど、ハーブの一種だけあってその繁殖力は中々に旺盛なものだ。リィンバウムに元々存在していたものか、かつて地球から呼ばれたものかは知らないけれど、この世界に逞しく順応している姿は少しばかり眩しく思えて私は頬を苦笑に緩めた。ネスティの言葉が確かなら侵略的外来種もいいところだけど、立派に薬用植物としての地位を確立しているのなら今更何か言うことでもないだろう。

「日当たりのいい場所ならどこでも根付くし、この森の外でならすぐに見つかるよ。それにネスティが思うとおり、この森の植物の方がずっと価値が高いんじゃないかな?」

「え、そうなの?」

 昔から手つかず、と感嘆交じりに呟いたネスティの表情を見逃さなかった甲斐あって、推測交じりの私の言葉は見事正解を射抜いたらしい。驚きに目を丸くしながら問いかけるルウに、ネスティは居心地悪そうに目を逸らしながらも小さく頷いて眼鏡を押し上げるような素振りをした。

「……おそらくだが、君が思う以上にこの森に自生する植物の知識は貴重なものだ。結界が張られていたせいか、こうして歩いて回っているだけでも今では珍しい植物が当たり前のように生い茂っているからな。メイトルパやシルターン、異世界から召喚された動植物がこの世界にもたらした恩恵と変化はあまりに激しすぎて、外の世界ではとうの昔に淘汰された種も多い。そうした意味では、アフラーンの秘伝召喚術はもちろん、君が受け継いできた知識そのものが莫大な価値を有すると言えるだろう」

 もしも外に出るつもりなら派閥への紹介と論文の書き方くらいは教えるよ、と続けたのはネスティの優しさだろう。先立つ物がいるのなら受け継がれてきた物と知識を生かすべきだと主張する真摯な眼差しを受けて、少しの間言葉を失っていたルウはやがてへらりとした笑みを浮かべてみせた。

「ルウたちはずっと森の中で暮らしてきたから、頭痛に効く薬草とか毒消しの根っことか、この森の植物のことなら確かに詳しいけど。そっか、そういう物自体、外にはあまり残ってないのね」

 その言葉を受けて少しだけ寂しそうな顔をしたネスティが何を思ったのか、想像でしかないけれど何となく分かるような気がした。融機人ベイガーとして先祖代々の記憶を受け継いでいるネスティからしてみれば現在に残っている物の殆どがかつてあった姿を失ってしまった、あるいは変わってしまった物ばかりだろう。人間の愚かさや醜さは変わらないまま、当然のようにあったはずの景色も動植物も記憶の彼方に溶けるように姿を変えて、気が付いた時には跡形もなく消え去っている。リィンバウム特有の界の狭間を超えた交雑種は人間同士にも及んでいるそうで、アロザイドと呼ばれるそれは実のところ民間にも少なくない数がいるらしい。半魔や半精霊、あるいはもっと明け透けに混ざりものと呼ばれる彼らの苦境を思えば自然と重苦しい気持ちになるけれど、どんな形でもこの世界に適応した彼らのことを思うと、異世界の生物として在り続けるしかなかったネスティたち一族の疎外感や寂寞感の程は想像に難くなかった。それでも、どこかで希望を見出したことがあるのだろうか、ネスティは気を取り直すように顔を上げて言った。

「君にしてみればショックを受ける部分が大きいかもしれないが……外の世界にも変わらないものがあることは僕が保証するから」

「やだ、心配してくれてたの? 大丈夫よ、ルウはこれでも強い子なんだから!」

 遠回しな気遣いに満ちた言葉はルウの心情を慮ってのもので、だからこそ、明るく笑ったルウに私とネスティは一瞬呆気に取られた。

「でも、嬉しいな。何だかほっとしちゃったの。お祖母様たちから受け継いできたものが無駄にならない感じがして」

「……君は、ずっとあの家で暮らしていたんだったな?」

 強がりでも何でもない笑みに顔を綻ばせるルウにネスティが言葉を選びながら尋ねれば、躊躇なくその顔が縦に振られて肯定が返ってくる。

「そうよ、ペコたちと一緒に森を守ってきたの」

「それは、寂しくはなかったかい? ペコたちが一緒でもルウは人間だし、それに」

 元々ひとりだったならともかく、と言葉を飲み込んだ私に気が付いたのかどうか。ルウはてへへと眉尻を下げて笑うと、何でもないように両手を後ろ手に組んで軽く小首を傾げながら言った。

「んー、そうね。自分でも不思議なんだけど、そんなに寂しくはなかったわ。お祖母様が死んじゃった後はあんまり寂しくて泣いちゃったときもあったけど、ペコたちが一生懸命慰めてくれたから。一人じゃないって励まそうとしたのか、四六時中ルウの周りを皆で取り囲むんだもの。まるで押し競まんじゅうよ。おかしくなっちゃって、そうしてるうちに寂しさなんて消えちゃったの」

 だからルウが寂しくなかったのはペコたちのおかげ、と晴れやかに笑うルウに圧倒されてしまったのは仕方のない話だろう。君はすごいな、と独り言のように呟いたネスティに無言で首を縦に振って同意を示せば、大したことないわよと照れたような声が飛んでくるけれど、ルウの心の強さは決して生半なものじゃなかった。アフラーンの一族としての誇りや責任感もあるのかもしれないけれど、この若さでこれだけの精神的な強さを備えている時点で十分可能性の塊と言えるだろう。いずれ大成する予感しかしないルウへと向けて感嘆の眼差しと軽い拍手を送った私だったけれど、そこに呟く声があった。

「……待ってくれ。何か、変じゃないか?」

 不審そうな顔つきで足を止めたネスティが周囲の様子を探るように視線を鋭いものへと変える。その内心を映したような厳しい表情に私とルウも立ち止まり、違和感の正体を探ろうと警戒を高めてすぐ、それに気が付いた。

「そういえば、これだけ歩いているのに獣一匹出くわさないね?」

「そうよね。なんだろう、静か過ぎる感じだわ。いつもと違う……」

 静まり返った森の様子に違和感を通り越した奇妙さを覚え始めたところだった。タイミングよくと言うべきか、反対側からやってきたマグナやアメルの姿が見えたことに足早に合流を選んだ私たちだったけれど、人数が揃ったところで事態が変わらないどころか悪化するとは思わなかったのだ。

「ねえ、何か聞こえない?」

「……確かに、森の奥から聞こえてくる」

「何かしら、この音……」

 不思議そうなミニスの声に顔を上げたマグナが森の奥を見据えて言えば、ケイナも不安そうに首を傾げながら呟いた。その音は、確かに私の耳にも届いていた。ガラス質の素材を引っ搔いたような耳鳴りの音、聞くものを不安にさせる不協和音じみた響き。マグナやミニスのような召喚師や、鬼道といった召喚術に近しい素養を持つケイナたちにしか聞こえないその音が聞こえるとなれば厄介なことになりそうで、出来るだけ顔に出さないよう耐えていたのだけれど。刻々と増していくその圧力に額に浮かぶ脂汗までは誤魔化しきれなかったらしい。

「おい、大丈夫かよ?」

 甲高い金属音が、何かの周波数のように大きくなったり小さくなったりを繰り返す。その度に顔色が悪くなるのを止められず、怪訝そうな顔をしたリューグに声を掛けられた私は視線を足元に落としたまま、小さく頷いた。こんなに大きな音が聞こえないの、とケイナが驚く声がするけれど、モーリンやフォルテたちにはやっぱり微塵も聞こえていないらしい。原因を突き止めるために森の奥、結界までの距離を詰めて行けば行くほどに主張を増していく音の波に、頭の奥がガンガンと痛み始める。もう耐え切れないと思ったそこで、ついに理由を見出したルウとネスティが叫ぶように言った。

「結界だわ……森の結界が何かに反応して、こんな音を立ててるんだわ!」

「そうか、魔力の共鳴だ……それを僕たち召喚師の感覚がこんな異音として捉えたんだ…っ」

 呻き交じりのネスティの断言直後、響いていた音が一気に激しさを増した。頭が割れそうとミニスが泣き言を漏らすほどの強烈な音に、もはやまともに立っていられず私は樹木の梢に片手を突いた。皆、森を出るわよ、と鋭いルウの号令が聞こえる気がするけれど、森から撤退するも何も、足がまともに動かない。草薮をかき分ける音に次いで、誰かの腕が私を支えるように差し込まれたことに気が付いたけれど、それを振り払ったのは無意識だった。

「私、じゃない……マグナ、違う、アメル、アメルのことを……!」

 声を絞り出すように訴えかけたその時、生理的な涙に濡れた私の目には何も映っていないのと同じだった。それでも、はっきりと分かった。アメルがふらふらと結界に向かって足を動かしていることも、その身体がぼんやりと白い光を纏い始めていることも。気が付いてしまった以上、それを言わずにはいられない。砦の時と同じ光が次第にアメルの元へと集まっていき、いよいよ結界の破れる予感が現実に向かって近づいていく。このままでは面倒な事態になると分かっているのに片膝を突いて奥歯を噛みしめるしかない自分が歯がゆくてならない。腕に触れたままの誰かの体温すら煩わしく、私はどうにか身を捩って叫びに近い声を放った。

「っ主! アメルを止めろっ!それ以上結界に近づいたら……」

「マグナ、彼女を落ちつかせろ!これ以上、結界を刺激したら……」

「結界が、破れちゃう!!」

 ネスティとルウ、私の叫びはほぼ同時だった。アメルに向けて手を伸ばそうとしたマグナの顔が驚愕に染まった次の瞬間、一気に収縮した膨大な魔力が弾け飛ぶ。薄いガラスが割れるような澄んだ音を最後に収まった耳鳴りは、そこにあった結界の消失を無慈悲にも突き付ける、圧倒的な現実だった。




ルウは可愛い(確信)
カルミレの花や森の植生などはお馴染み、捏造エピソードです。
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