ノルンは笑わない   作:くものい

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11ー2:処刑台の騎士

 道行きは順調の一言だった。青々と晴れ渡った空に雲はなく、風は穏やかに追い風となって私たちの背中を後押ししてくれている。

 心も足取りも軽やかに目指す先はトライドラ、ではなく、トライドラを囲むように位置する三つの砦のひとつ、ローウェン砦だった。街道を歩き始めてすぐ先頭を陣取ったフォルテがあれこれと解説してくれたおかげで、どれくらい歩けばローウェン砦に到着するのか、道中休憩に使えそうな場所はあるのか、普段であれば常に意識の片隅に置かなければならないそういった懸念事項の数々も消えていて、皆の間にはどことなく緩んだ雰囲気が漂っていた。

「シャムロックってのがそいつの名前だ。まあ、所謂同門の剣を習った仲だがな。今は出世して砦の守備隊長をしてんだよ」

 フォルテの知り合いだという騎士を頼りに向かっている自覚こそあれ、まさかそれが砦で最も偉い役職持ちのことだとは誰も想像していなかったに違いない。知己のことを語るフォルテの声色はどこか誇らしげに弾んでいるが、思いがけない単語が出てきたことに皆が皆、呆気に取られたようにフォルテの顔を見つめていた。あのマグナを含めた全員がそれぞれに驚愕や困惑、信じられないとばかりの表情を浮かべているのだから衝撃の度合いも相当だ。呆然と目を見張るマグナの後ろではフォルテを揶揄う気満々の笑みを浮かべていたミニスも言葉を失っていて、どうだとばかりに笑いかけてくるフォルテにまともな二の句が継げなくなっていた。

「とんでもない知り合いを持っているものだな……つくづく、君は」

「おお、そうだ。聖女の噂もそいつから聞いて知ったんだぜ、アメル?」

 呆れ交じりに感嘆の息を吐いたネスティに軽く笑って、今度はアメルに話を振り始めたフォルテは見るからに上機嫌だ。ローウェン砦に辿り着きさえしてしまえば当面の安全は確保されたも同然、しかも懐かしい顔に会えるとなれば自然と浮かれてしまう気持ちも分かる。どこまで聖女の噂が届いていたのかとロッカやリューグは難色を示しているが、それもまあ今更のことだ。朝早くにファナンを出たこともあり、早めの昼休憩を挟んだことを踏まえても、フォルテの目算ではそろそろ砦の外観くらいは見えてきていい頃合いらしい。はっきり明言こそしていないが、どことなくそわつき始めた様子からしてもうじき、あと少し、というところまで来ているらしく、私はそっと詰めていた息を吐いた。

「……タキツ、ひょっとして具合でも悪いんじゃないだろうな?」

 隠し切れない笑みを浮かべたフォルテの横顔をぼんやり眺めていると、マグナと何やら話していたネスティが不意に声を掛けてきた。気遣わしげな眼差しと周囲を慮るように声を落としての問いかけに、私は一拍遅れでその配慮を理解する。マグナもネスティも、私とロッカの間に微妙な緊張が漂っているのを知っていて、こんな時でさえ気に掛けてくれているのだ。

「大丈夫。何でもないよ」

 つくづく心配性な二人に向けて軽く頭を振って微笑み返せば、何か言いたげな目はそのままでも、ひとまず追及の手は収めてくれる気になったらしい。出発してからずっと黙り込んでいれば不審に思われても仕方ないかと今更の反省に苦笑しつつ、マグナの思わしげな眼差しから逃げるように私は深々と息を落とした。少し離れたところから向けられるロッカの視線にも当然、気が付かない振りをして、激しく脈打つ鼓動を宥めるために静かな呼吸を繰り返す。皆の遣り取りが耳から耳へと抜けていくだけの緊張の中で足を動かし続けて数時間、額に浮かぶのが冷や汗なのか脂汗なのか、それとも汗をかいている錯覚でしかないのかの判別もつかないまま、私の胸を占めるのはたったひとつの感情だった。

 もうじきだ、と思う。

 期待に高鳴る心臓はどくどくと激しく主張を繰り返していて、気を抜けば息も出来ないくらい苦しい。

 ロッカを相手にしている時とは別の緊張に全身が包まれて、目の前がちかちかと明滅するような錯覚を何度も覚えていた。波のように押し寄せては引いていく悪寒めいた予感は、足を動かせば動かすほどに強まって、そこに近づいているのだという確信がいよいよ深まっていく。足元がぐらつくような緊張と興奮の中、それでも、ちっとも怖くなかった。何ひとつ、嫌じゃなかった。この期に及んで後悔することなんてあるはずもなく、やるべきことは全て片付け終えている。バックパックに詰めたふうを装った紫熟のことだって本当はもう、今朝のうちに幻獣界メイトルパへの送還を済ませている。万が一にも怖い思いをさせないように半ば強制的に送り返した紫熟の代わり、詰まっているのはただそれらしい膨らみを装っただけの衣類の切れ端だ。

 だからもう、後は何も思い煩うこともなく、黙々と足を進めるばかりだった私はやっと、祈るような眼差しを持ち上げた。

「さぁ、もうすぐだ。この丘を越えりゃあローウェン砦が見えるはずだぜ……、っ!?」

 不自然に途切れたフォルテの声に釣られるように顔を上げて、マグナたちもまた、示し合わせたように足を止めた。丘を越えてやっと見えてきたローウェン砦が今まさに攻撃を受けていて、それも攻撃を加えているのは見覚えのある黒の甲冑に身を包んだ兵士たち、黒の旅団兵という場面に遭遇してしまったのだから無理もない。動揺と混乱、それらを上回る戦慄に誰もが息を呑んだのも束の間、舌打ちをひとつこぼして砦の階下へと脇目も振らず駆け出したフォルテの背中を追いかけたのは全員だった。まさに侵攻を受けている最中の砦に、手助けであれ様子見であれ近づこうとするなんて普通に考えれば愚の骨頂、無茶無謀もいいところだが、そんな冷めきった指摘をするものなんて誰一人としていなかった。

「敵将に告げる! 我はデグレア特務部隊、黒の旅団が総指揮官ルヴァイドなり! 貴殿に同じ騎士として提案したきことがある、聞く耳を持つならば姿を見せよ!」

 肩を上下させながら隙間なく積まれた城壁の遥か上方、左右に位置する塔の間に伸びた吹き曝しの通路を食い入るように見上げていたフォルテが苦々しげに顔を顰めた。塔の左側、旧王国との国境に続く側から現れたのは黒騎士ルヴァイドの姿で、それがフォルテの友人である騎士に向けて実にもっともらしい提言をしているのだから忌々しいにも程があるだろう。実際、その言葉を受けて塔の右側から姿を現した白い甲冑の騎士、シャムロックはルヴァイドへとまともに声を返してしまった。自分たちの一騎打ちのみで勝敗を決することとして、その結果に寄らず部下の命は保証するとまで告げられてしまえば、もはや選択の余地はなかったのだろうが。

「騎士の名において誓う。勝敗の如何に関わることなく、砦の騎士たちに危害は加えぬと。返答はいかにっ!」

 シャムロックは、その提案を飲んだ。おそらく既に国境の跳ね橋は押さえられて、ローウェン砦の残存部隊しか残っていない状況がその選択に拍車を掛けたのかもしれない。ただしそれはルヴァイドが約束を守ると言う前提があって初めて成立する条件だと指摘したのはネスティやロッカで、そしてフォルテも同じ考えだったらしい。決闘を見守るなんて悠長な真似が出来るかとばかり走り出そうとしたフォルテはきっと、相棒であるケイナの言葉とマグナの真摯な眼差しを受けなければ全てを振り切り、シャムロックの元へ向かっていたはずだ。

「俺たちが動くのは決着がつくその時だ。堪えてくれ、フォルテ!」

 まだ尋常のものである決闘に割って入ってはシャムロックに汚名を着せることになる。

 ダメ押しのような言葉を受けて悔しそうに拳を握りしめるフォルテは苦渋に満ちた表情で、それでもルヴァイドとシャムロックの決闘から目を逸らすものかと真っ直ぐに見つめるだけの強さがあった。だからこそきっと、覚悟はしていたとしても、身の毛もよだつような絶叫が響き割った瞬間に胸中を荒れ狂った憤怒と悲嘆の波は言い知れないものだったに違いない。

 一騎打ちの決着がつくより前に響き渡った絶叫が、終わりの始まりだった。どこからか聞こえたそれが断末魔だと理解が及ぶより早く、ふらふらと砦の中から歩いてきた騎士らしき人影がマグナたちの前で倒れるのと、咄嗟に駆け寄ったアメルやフォルテたちが息を呑むのは同時だった。まるで大型の獣に嬲られでもしたかのように重度の裂傷や咬み傷を負った騎士はどうしてまだ息があるのか不思議なほどで、それでも限界を越えることは出来なかった。

「バ、ケモノ……っとりで、みな……っ、死……っ!」

 砦の中の人間が全て死んでしまったことを絞り出すような声で伝えた騎士は、がくりと首を落とした。その壮絶な惨状に息を呑む皆の中、マグナが何かに気が付いたように険しい面差しで砦の上方を睨む。私もまた、胸が沸き立つ心地を抑えきれないまま砦の上へと視線を持ち上げた。だって、これなら、来ているはずなのだ。

「……っ凄まじい邪気を、砦の中から感じます、これは……」

「あそこだっ! 砦の上だよっ!」

 カイナやモーリンといった勘の敏い面々が鋭い声を上げ、皆の視線が一斉に砦の上へと集まる。ルヴァイドやシャムロックよりも奥に位置する高い塔、私たちが一心に見つめる先には、懐かしい姿があった。

「キャハハハハハッ! ねぇねぇ、いつまで遊んでるつもりなのぉ、ルヴァイドちゃ~ん?」

 少女の無邪気で甲高い笑い声が響き渡る。たったひと月余りしか離れていないのにひどく懐かしくて愛おしくてたまらない声に瞬きもせず見つめる先、ルヴァイドが憤怒に満ちた形相で彼女を怒鳴りつける。

「ビーニャ、何をしている!? 貴様には本隊と共に待機を命じたはず!」

「だーってぇ、ルヴァイドちゃんがあんまり待たせるんだものォ……だからァ?」

 忌々しげに顔を歪ませるルヴァイドから殺気めいた怒気が迸っているのがここからでもはっきりと見て取れたが、ビーニャは意に介した様子もなくにっこりと笑い、そして砦の下へと小さな人差し指を向けた。私たちからは見えない砦の内側、シャムロックやルヴァイドからはありありと見えてしまうその場所から、まだ息があったのだろう人々の痛苦に満ちた絶叫と苦悶に捩じ切れるような声、そして獣が肉を無残にも食い千切る生々しい音が溢れ始めたのはすぐだった。たまらず悲鳴を上げて耳を押さえたアメルやミニス、呆然と理解が追い付かないまま立ち尽くしているルウや渋面を隠しもせずに煙草を噛みしめたレナードの先で、今度は窓から降ってきた人間の腕が鈍い音を立てて地面に叩きつけられる。

「手伝ってあげたよォ! 褒めて褒めてぇ、キャハハハハッ!!」

 きゃらきゃらと楽しげな笑い声が場に満ちる。不協和音めいた絶叫や咀嚼音を背景に心底楽しんでいる様子で愉悦に顔を歪ませるビーニャを見上げ、マグナがぎりりと奥歯を噛み締めた。

「こんなの……っ許せない、許せるもんか!!」

 身体の横で握りしめていた拳と肩を大きく震わせ、憤怒に駆られるように顔を上げ、砦の上層へと続く階段に向かって走り出す。向かう先はシャムロックのいる砦の上層、そしてビーニャが位置する奥の塔だろう。許せない、許したくない、その一心で脇目も振らずに血に濡れた道を駆け抜けるマグナに触発されたのか、他の面々も一斉に走り出す。こんな勝負は無効だと吐き捨てるように叫んでいるフォルテの声には怒りと悲しみが混じり、涙交じりのアメルやミニスの嗚咽も、苦虫を噛み潰したようなネスティやレナードの短い遣り取りも、どれもが非道で残虐極まるやり方に対して心から憤っているのが分かるものだった。

 皆が皆、怒っていた。悲しんでいた。苦しんでいた。私は、もちろん。

「ルヴァイドォォォォォォォッ!!」

 シャムロックの血を吐くような咆哮が上がる。苛烈な眼差しの先にいるのはルヴァイド、そして私の。

「マスター」

 泣き出す寸前の掠れた声で呟きながら、私は瞳を潤ませ夢中で石段を駆け上る。嬉しくて恋しくて、心臓が破れてしまいそうだった。

 

 砦の階段を勢いよく駆け上っていったマグナは何をすべきか迷わなかった。

 真っすぐにシャムロックの元へと駆け寄ると、ローウェン砦を誰より熟知している彼の力を借りるべく、フォルテと一緒になって発奮させるような言葉を掛けている。散々に場数を踏んできただけあって皆に出す指示も判断も的確そのもので、こんな場面でなければネスティもさぞかし喜んだことだろうと頭の端で思いながら、私はその横をふらりと通り過ぎた。

 見つめる先はビーニャが飛び跳ねるように遊んでいる奥の塔、息も絶え絶えに食い散らかされた騎士たちの残骸と暴食の魔獣が所狭しと闊歩している場を抜けた先。私のいるべき場所がそこにある。それを前に、ただ、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。もうすぐ帰れるその場所に、高鳴る胸に導かれるまま前へ前へと足を繰り出す。目の前の階段の向こうにいるのは紛れもなく私のマスターで、私のビーニャだ。早く彼女の傍に戻りたい一心で、もう、前しか見えていなかった。

「タキツさん」

 ぞっと、肌が粟立つような怖気が全身を駆け抜けて、意図せず足が止まった。雲の上を行くようにふわふわと浮ついた思考に飲まれていた頭が、前触れなく冷水を浴びせ掛けられたかのように一瞬で現実に引き戻される。私を呼び止めたのが誰の声なのか、わざわざ振り返って確認するまでもなかった。静かな声に込められた重厚な圧力は、今や私だけじゃない、周囲の皆にも明らかな違和感を伝えるだけの異質さを帯びていた。

「やっぱり、そうなんですね。貴方はどうしたってそちらを選んでしまう、なら……」

 震える足を叱咤してゆっくりと振り返った私が目にしたのは、無表情に近い真顔で私を射殺すように睨み据えるロッカだった。忘れるはずもない、私をマスターの元に返さないと語った時とまったく同じ目をしている。普段と変わらない落ち着いた足取りで、たった数歩ばかりの距離を詰めてくるロッカに、知らず萎縮しきった身体で少しでも後退ろうとした私の目の前が、そこで急に暗くなった。

「……そこを退いてくれませんか、マグナさん」

「ダメだ。今のロッカを近づけることは、タキツの召喚主として出来ない」

 壁のように私とロッカの間に割り込んだのは、マグナだった。厳しい面差し同様にその声は揺らぎなく、薄っすらと緊張の漂い始めていた場の空気がいよいよ薄氷のような冷気を纏って張り詰めていく。ロッカもマグナも、どうしてそんなに怖い顔をしているのか。事情の分からないアメルたちが戸惑い混じりの困惑顔で二人を見比べているけれど、申し訳ないことに私もまた、そこに説明を返せるだけの余裕はない。ロッカの視線ごと断ち切るようなマグナの背中に庇われたまま、主、と上着の裾を引いて小さな声で呼び掛けた。

「耳を貸してくれないか」

 少しだけでいいから、と押し殺した声で続ければ、ロッカへの警戒を保って顔はこちらに向けないまま、マグナは僅かに身体を傾けて耳を近づけてくれる。こんな緊迫した場面でも優しいばかりの気遣いに口元が綻ぶのを感じながら、私は爪先へと力を入れて軽く背伸びをする。その耳元へと口を近づけ、溢れるほどの歓喜と感謝、そして少しの寂しさを込めて、囁いた。

「マスターを見つけた。ここでお別れだ」

 今までありがとう、と穏やかに満ち足りた声で告げた私に、マグナは瞠目した。潤んだ瞳を和らげて微笑むばかりの私へと言葉もなく視線を動かし、零れ落ちそうなほどに目を見張っていく。

 その遣り取りが聞こえたわけでもないだろうに一瞬で顔色を変えたロッカが、マグナ越しに無理矢理腕を伸ばしてくる。唖然と固まったまま動かないマグナに歯噛みするかのように、らしくもない強引さで私を掴みに掛かったロッカに顔を向けることなく、私は目の前にあったマグナの肩を両手で思い切り突き飛ばした。何も構えていなかったマグナが迫るロッカごと巻き込んで倒れ込むのを視界の端に、素早く身を翻す。

「っタキツ!!」

 肌がピリつくような緊張を背後に拾って咄嗟に地面を蹴って跳ね上がれば、膝下すぐのふくらはぎに焼けるような熱が走った。ロングスカートの裾を容易く切り裂きブーツの生地すら両断して届いた衝撃と痛みにぐっと込み上げる呻きを飲み込んで、ぐらつきかけた足元を性急に立て直す。鋭利な刃物で切り裂かれたような痛みは間違いなく出血を伴ったもので、靴裏で石床を叩くたびに伝わる振動だけでも傷口が開いていく感覚がする。でも、まだ走れる。足の腱を切られたわけでもなく、主要な筋肉が断たれたわけでもなく、芯の骨を砕かれたわけでもなく、それなら何も、問題はない。

 無言で投擲された槍を間一髪で回避、とまでは行かずとも深手を避けることの出来た幸運に感謝しながら、私は振り返りもせずにひた走る。容赦なく足を狙ってきたのはロッカだろう確信があった。なら、ここで足を止めてしまえば一体どうなるか。考えるまでもなく鮮やかな未来予想図が頭をよぎったことに、私は引き攣った喉から冷笑を吐き出している。

 ここまで来て、ビーニャがすぐそこにいて、今更邪魔をされるなんて、そんなの許せるわけがない!

「誓約の、名のもとっ……」

 ビーニャと魔獣が占拠する奥の塔へと脇目も振らず駆けながら、ポーチの奥に隠し持っていた透明なサモナイト石を取り出す。小声で詠唱を始めながら狙う先は、目の前の大階段を塞ぐ、ひと際大きな図体の魔獣。

「っナチが、命ず! 来たれ、切り裂け闇傑の剣っ!」

 練り上げた魔力と共に掠れた声を吐き出せば、見つめる先の虚空に切れ目が入り、見慣れた意匠の門が厳かに開かれていく。紫がかった漆黒の魔力を纏って現れたのは、剣に槍、斧に矛、そして刀の形状をした武具の群れ。いつかルウが呼び出したシャインセイバーとは対極をなす闇の力を秘めた武器たちが、きぃん、きぃん、と勢いを付けるように揺れ動いた後、射出された弾丸のように魔獣目掛けて激しく突き刺さる。潰れた濁音のような奇声を上げてのたうち回る魔獣だが、その図体相応の生命力を誇ることはビーニャの元にいた頃から嫌というほど知っている。さすがに殺してしまっては申し訳が立たないし、と階段下を塞いでいた障害が退けたことに短く息をこぼし、その横をすり抜けるついでに暗褐色の刀に似た武器を引き抜きながら、私は階段を駆け上った。赤黒い傷口から噴き上がった粘つく体液を避けるのを忘れず、大岩のような魔獣の下に圧し潰されていた騎士の残骸には目もくれず、夢中で上へと上っていく。

 虚空に開いた召喚の門が消えても、意識して魔力を通し続ければ、こうして武器の実体を保つことが出来ると気が付いたのはいつだったか。

 階段が途切れて開けた場所に出るや否や、右手の壁際から襲い掛かってきた魔獣を血濡れの床を転がることで回避し、握り締めた紫水晶のような刀で顔面を切りつける。ダークブリンガーを武器として扱う利点は、敵に暗闇と言う状態異常を与えてくれることだ。鈍い悲鳴を上げて見当違いの方向に吠えかかっている魔獣は、動きから察するに暗闇状態に陥ったらしい。勝手に暴れて階下へと落ちていった姿に手間が省けたと喜ぶでもなく、無言で刀を振って滴る血を飛ばした私は、再び前方へと顔を向ける。

 初めてダークブリンガーを武器として振るったのはビーニャと何度目かの野盗退治に出向いた際だったはずだ。野盗という役を割り振られた人間たちも必死に抗い、生き延びるのに手段を選んではいられなかった。

 出来る限り魔獣の相手は避けて、それでも飛び掛かってくる個体は殺さない程度に痛めつけて、ゲーム画面で見た外観情報を頼りに私はひたすら砦を登っていく。無尽蔵と錯覚するほど辺りにひしめく魔獣を抜け、潰れた手足や頭部が転がった階段を越え、生温い血と臓物で濡れた床に転び、自分の物かも分からない鉄錆の味を拭い、それでも足は止めずに前へ前へと進んでいく。

 手持ちの武器を遠くに弾き飛ばされて、代わりの物が要ったのだ。魔力を通し続ければ、と稲妻のような閃きに縋りつくまま送還間際だった刀を掴んだ。旧王国に蔓延る害虫だと教えられた、品のいい壮年の男性が汗だくの顔に絶望を浮かべるのが見えた。

 周囲から魔獣の気配がなくなって、私は深々と息を吸う。さすがに魔獣の群れを単身突破するのは厳しいものがあったけれど、追い付かれることだけは避けたかった。だって、マグナは知っている。私がマスターと呼び慕う召喚師は決してまともな人間じゃないことを。そしてこの後、自身以外の存在は極一部を除いて玩具としか見ていないことまで知ってしまうのだから。

 そんなマスターの元に帰ろうとすれば阻止されることは見えていた。優しいマグナなら、きっと私を引き留めにかかると分かっていた。だから間違ってるのは私だ。それでもビーニャに会いたいと願ってしまう、待ちきれなくて焦がれてしまう、当たり前のようにビーニャの存在を望んでしまう私こそがきっと、誤りなのだ。

「っ、ビーニャ……!」

 生者の気配が全くしない代わりにいよいよ強くなっていく邪気が、ビーニャがいるのはこちらだと私に教えてくれる。見上げる先は空ばかり、僅か数段を残して砦の最上階へと辿り着く今、私はよろめく身体を前のめりに倒すように最後の石段を踏みしめた。そうして、前を見る。一段高い台座の上で踊るように身体を揺らして笑っているのは、ずっとずっと会いたくてたまらなかった、少女の姿をした悪魔だった。

「……あ? ナチ……?」

 甲高い声で笑っていたビーニャがふと私を見る。驚きに目を見開いて、小さな口をぽかんと開いて立ち尽くしている。私の唯一を占める、掛け替えのない、たった一人の女の子。

「ビーニャ、ビーニャ様……っ会い、たかった……!!」 

 やっと会えた。そう思った途端、もう耐えきれなかった。

 目の奥がかっと熱を持ち、溢れだした涙の勢いに視界が一気に滲んでいく。強烈な寒気に当てられたかのように全身が震えを帯びて、歓喜と興奮の渦に飲まれた胸の内では激しく鼓動が鳴り響く。ビーニャが目の前にいる。手を伸ばせば届く距離にいる。私を見ている。私を覚えてくれていた。忘れずに、私の名前を、呼んでくれた。

 ビーニャの傍らに控えた、明らかに他の個体よりも練度の高い魔獣が戸惑ったようにビーニャと私を見比べている。攻撃するものかどうか迷って指示を仰いでいるだろう魔獣に一切反応を返すことなく、ビーニャは静かに台座を降りると真っ直ぐ私に向かってきた。俯きがちなその顔に浮かんでいる表情は見えず、私はもつれる足を強いて前へと動かして、ビーニャが足を止めた真ん前で恭しく跪く。ようやく会えたのに、何だか夢でも見ているようでまるで実感が沸かない。

「ナチ」

「はい!」

 そんなところに名前を呼ばれた衝撃は例えようもなく、胸が弾けるような喜びのまま勢いよく顔を上げた私は、ぱしんと軽い音を連れて降ってきた衝撃に一拍遅れで瞬いた。小さな手が視界の上方に映り込んだと思ったら、右手の床を斑に染める奇妙な赤色を見つめている。赤茶けた肉片を纏った誰かの頭皮をいつの間にか見つめていた自分自身にきょとんとしてしまうけれど、遅れてやってきたひりついた痛みにやっと状況を理解した。ビーニャに、頬を張られたのだ。決して夢ではないのだと突き付けるような痛みと衝撃に、これが現実だと言う実感が緩々と込み上げてくる。嬉しくて頬が緩んでしまう私に向かって、涙交じりの声が吐き捨てた。

「信っじらんない……戻ってくるのが、遅すぎなのよっ……!!」

 導かれるように顔を上げた先では、怒ったように眉を吊り上げたビーニャが瞳を潤ませながら私を見下ろしていた。咄嗟に思ってしまうのは、泣かないで欲しい、ということだ。けれど、私のせいで泣いてくれたのだと思えば堪えきれない嬉しさがあって、私は戸惑いながらその泣き顔を見上げてしまう。ああ、それでもやっぱり、ビーニャには笑っていて欲しい。そんな想いのままに、気が付けば口を開いている。

 迷惑をお掛けしてすみません、心配をお掛けしてすみません、私もずっとずっと、貴方に会えなくて寂しかった、泣きたかった、心細くて怖くてたまらなくて、不安で仕方がなかった。貴方にこうして再び巡り合えたことが嬉しくて堪らなくて心が震えてしまうほど、鳴りやまない鼓動を持て余してしまうほど、貴方に焦がれて仕方がなかったんです。

 そんな言葉が後から後から零れ落ちて止まずに、掠れ切った喉を酷使してなお尽くしがたい胸の内を吐き出していた私は、ビーニャの人差し指が唇に押し当てられたことに声を止めた。

「……ビーニャ、様?」

「ビーニャって、呼べって言ったでしょ、この馬鹿……」

 急に不安に襲われて見つめてしまった先、逆光になって見えないビーニャの頬がかすかに赤みを帯びているように見えた。それが気のせいなのかどうか、確かめるためにより一層膝を屈めようとしたところでビーニャが一歩、近づいた。血色の悪い顔色にうっすら赤みがさしたビーニャが、泣き笑いのような顔で微笑んでいる。殺戮を楽しむ時とはまた違った、初めて目の当たりにする笑みに私はただ打ち震えて、強張る頬を無理矢理にでも持ち上げる。

「はい。……ビーニャ」

 恐怖ではなく喜びで、新たなビーニャの一面に触れることが出来た感激で、私は心からの笑みを浮かべている。

 こんな私に心を許してくれて嬉しい、満たされたこの想いを全身全霊で彼女にも返したい。そんな強欲が過ぎる願いを胸に、心底からの笑みばかりを返す。会えない時間が愛を育てるとかいうくらいだし、この高揚した気分の出処もきっとそのあたりなのだろう。けれど今は、そんなことを深く掘り下げるのは止めて、とびっきりの笑みを浮かべることにした。こんなにも幸せの絶頂なのに、自分で水を差すなんて愚の骨頂と言うものだ。

「さっさと回復したげなさい、セイレーヌ!」

 私のふくらはきの傷に目を留めたビーニャが鋭く叫んで、幻獣界メイトルパに由来する回復の召喚術を行使する。空中に現れた人魚のような生き物が抱える竪琴を爪弾くと、清らかな光が降りて生々しい傷口を塞ぐように覆っていく。詠唱らしい詠唱もなく対象を呼び出した召喚術、それなのに込められた魔力の強さに応じてか、瞬く間に癒されてしまった足には生乾きの赤色が残るばかりで少しの傷跡も見当たらない。ふっと虚空にかき消えるように姿を消した召喚獣と、物思わしげに傷があった場所を見つめているビーニャと、順繰りに視線を投げやったところで急に階段の方面が騒がしくなり始めたことに、私は眉を顰めて今はもう塞がった傷口を晒していた足へと手を伸ばした。

「嘘でしょ……!?」

「なんでっ……なんでだよ、タキツッ!?」

 足音高く駆け込んできたのは予想どおり、マグナたちだった。ビーニャの呼び出した召喚術の名残である光の粒子はまだ残っていて、傷ひとつなく癒された私の肌を照らすように降り注いでいる。咄嗟に千切れたロングスカートの端で隠したものの、真っ先に最上階へと足を踏み入れたマグナやネスティ、アメルたちには何事もなかったように完治した私の足までよく見えてしまったらしい。危害のひとつも加えることなく私の傍に立っているビーニャと、無防備にも座り込んでいる私の姿を見比べながら、驚嘆も露わに息を呑んでいる。あれだけ分かりやすく離脱を宣言したのに、それでも実際に敵方であるビーニャの傍に控えている私の姿を目の当たりにした衝撃は大きいものがあったのか。それもそうかもしれないな、と、先ほどまでの疲労も痛みもどこかに消え去ってしまったような足を石床へと突き立てながら、私はゆっくりとその場に立ち上がった。

「私は、ビーニャ様の護衛獣ですから」

 現実を否定するような叫びをあげるマグナに向けて、穏やかに目を細める。ローウェン砦に詰めた騎士たちに残虐非道な振舞いをしたビーニャの傍ら、そこがどこよりも安全な場所だと物語るような微笑みを浮かべて振り返った私にいくつもの息を呑む音が響くのを聞きながら、これまで意識して浮かべてきた静かな表情をかなぐり捨てる。心底からの笑みに口端を持ち上げる。

「向かってくるなら容赦はしません。ビーニャ様のお気に召すよう、仰せのままに……容赦なく、完膚なきまで、貴方方を叩きのめして差し上げます」

 握るダークブリンガーの刀を胸と水平になるよう持ち上げて、マグナに向けて突き付ける。ぴんと伸ばした腕と刀は、曇天の隙間から差し込む日差しを返して冴え冴えと輝く。

「ですからどうぞ、ご遠慮なく?」

 柔らかな笑みと共に告げた宣戦布告に、返る言葉はなかった。




ビーニャは最高に可愛く、ナチちゃんは最高に愚か可愛く書きたいです。
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