ノルンは笑わない   作:くものい

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14ー1:確かな想い/M

 祭が終わって数日、いよいよ俺たちも旅を再開することにした。次の目的地は、ゼラムだ。既に聖王国への急使は発っているけれど、トライドラ唯一の生き残りであるシャムロックからの報告には遥かに重い意義があるし、俺たちだってこれだけの事態になった以上、派閥への報告を避けて通ることは出来ない。それに加えてファミィさんからの頼まれ事もあった。金の派閥議長から蒼の派閥総帥に宛てた信書の伝令役。随分と大層な肩書きのそれに、ファミィさんは一介の召喚師でしかない俺とネスをわざわざ指名してきたのだ。

「正式な使者を出すには面倒な内部手続きが必要になるし、当然時間も掛かる。そもそも蒼の派閥が好意的に使者を迎える保証すらない。あくまで個人的な繋がりである僕らを指名することでそれらのリスクを回避する……妙手と言えるな」

 話を持ってきたのは会議帰りのシャムロックだったけど、俺たちを派閥本部に呼び出さず人を介しての申し出を選んだ時点でネスには察しがついたらしい。自分の所属する派閥を卑下するような言い方に、そんな、とアメルやルウが表情を曇らすけれど、ネスは眉根を寄せた険しい顔つきで俺を一瞥した。

「マグナ、君も知っているはずだ」

 疑問形ですらない言葉に咄嗟に否定を返せなかった時点で俺の内心も筒抜けになったらしい。変な集まりね、派閥って、と間を置いて困惑顔を浮かべたルウが眉を下げるのにミニスが曖昧なフォローの言葉を掛けるけれど、正直が過ぎるその言葉に否定を返すでもなく、俺もネスも苦笑いをこぼしたり顔を逸らすことしか出来なかった。

 情けない話だけど、ネスの懸念はきっと杞憂なんかじゃ済まない。先輩たちみたいに良い人も中にはいるけれど、派閥の大多数は異端者に対してひどく差別的だ。対立関係にある金の派閥相手となれば一層悪い傾向が際立つだろうし、こんな非常時でさえ正規の手続きを踏むより抜け道を使った方がよほど勝算が高いんだから、どうしようもない話だとは思う。だけど、俺たちの行動が少しでもデグレアに対抗する術に繋がっていくのなら断る道はなかった。

「なあ、それならついでにレルム村にも寄ってくれよ。一度様子を見ておきたかったしな」

「ふむ、そうだな。行きがけに立ち寄る分なら大して時間のロスにもならないし、僕は構わないと思う」

 政治の駆け引きはどこも大変だな、聞いてて胸の悪くなるのも同じかい、と軽口を叩き合ってるレナードさんとフォルテを気にも留めずにリューグが言えば、ネスはあっさり了承を返した。こんな時に寄り道なんてと渋る可能性も考えた俺だけど、リューグの方は最初からネスの返しが想像出来ていたらしい。ありがとよ、と軽い調子で返すリューグの傍でアメルが嬉しそうに表情を緩ませるのを横目に、よし、とモーリンが気合を入れるように握り拳を手のひらに叩きつける。

「ここでじっとしてるよかさ、やれることやった方が絶対いいって!」

 強気に口角を持ち上げて威勢よく言い切ったものだけど、実際、モーリンの言うとおりだ。向かう先もやるべきことも決まったなら後はもう悩むことなんてない。目の前に伸びた一本道を真っ直ぐ突き進めばいいだけだ。

 ファミィさんへの返事をシャムロックに頼んで早速旅の準備を始めることにした俺たちだけど、それぞれの用事や支度のために道場を出て行こうとする皆の表情はどれも明るく気概に満ちていた。それは俺が慌てて皆を呼び止めて、祭の夜にあった出来事、タキツとの一件を打ち明けた後でもちっとも変わりはしなかった。

「そうですか、そんなことが……でも、あたしたちだってそれで引く気はありませんよね?」

 僅かに眉を下げたと思いきや、勝気な瞳で真っ先に俺を見つめ返したアメルの口元がかすかに微笑んでいたのが何より場の声を代弁していた。

 タキツが本当に俺たちの敵に回ったこと。ビーニャの傍から離れるつもりがないこと。それでも俺たちを嫌いになったわけじゃないし、正しいのも俺たちの側だと思うからこそ、戦場でぶつかった時には遠慮も手加減も無しでただ、敵として見て欲しいのだということ。

 事前にシャムロックと相談して伏せることにしたのは一点だけ、ビーニャの道具として命を終えたいだなんて悲しすぎる望みのことだけだったけど、殆どありのままを語ったにも関わらず皆の浮かべる表情も意気込みも少しも翳りはしなかった。ある意味では想像どおりの光景を目の前に、何だか安堵と呆れと可笑しさが綯い交ぜになった笑いが込み上げてきて、知らず知らずのうちに俺の表情も緩く崩れていってしまう。

「敵だって言うなら遠慮なく倒させて貰うけど、その後どうするかはこっちの自由よね? タキツにはまだまだ言いたいことも話したいこともいーっぱいあるんだから!」

「ホントよね。そんな言い分で私たちが納得すると思ってるのかしら? だったとしたら心外ね」

「たはは……皆、すごいな?」

 唇と一緒に声も尖らせたミニスがルウに熱心な同意を返すのを眺めながら、堪らず緩みきった笑みに目尻を下げた俺は頬をかいた。さっきまで俺とネスが駆け引きの道具に使われたみたいで面白くないと頬を膨らませていたのが一転、今度はタキツのことで呆れと不満を露わにしているミニスの瞳は揺らぎない。言葉どおりに本気の、本心からの言葉だって分かるそれを、ルウも当然のように受け止めて同じ熱量の声を返している。それが何とも心強くて嬉しくてついに肩を揺らして笑ってしまえば、でもマグナさんだってそうですよね、と微笑ましそうな声が向けられた。

「そんなの認めてたまるか、って顔に書いてありますよ?」

 不意打ちのような言葉に目を丸くして振り返った先、目を細めて下から覗き込むように小首を傾げたアメルの肩を栗色の髪がさらりと流れていく。くすくすと囁きめいた笑い声を浴びるうちに急に気恥ずかしさが込み上げてきて、頬の熱さを誤魔化すように視線を落としながら俺は照れ笑いをこぼした。自分じゃ全然自覚してなかったけれど、少し離れたところにいるネスも眼鏡のつるを無言で押し上げているあたり、思ったよりも顔に出ていたのかもしれない。

「ええっと……俺ってそんなに分かりやすいかい?」

「はい、少なくともあたしには。だってずっと見てましたもん」

 鈴を転がすような声で笑うアメルの瞳にはきっと居心地悪げに身じろぐ俺の姿が映ってる。優しくくすぐるような声はこっちまで笑ってしまいそうなほど楽しげで、なのに、どうしてそれを一瞬でも寂しそうだと思ったんだろう?

 俯いていた視線をそっと持ち上げた俺だったけど、不思議そうに目を丸くしたアメルと目が合って、一拍置いて気の抜けた苦笑をこぼした。いつの間にか胸のうちまですっかり見抜かれていた照れ臭さと感嘆を込めてしみじみと息を吐けば、何か言いたげな視線を寄越していたネスも呆れたような溜め息をひとつ、アメルも気にした様子もなく柔らかい笑みを返してくれる。少しの疑問は残ったものの、それでひとまずタキツの話は終わったのだ。

「何と言うか彼女らしいですね。どうせ最後までビーニャと一緒にいたい……とか言ったんでしょう?」

 そのつもりだったから、確信めいた物言いでロッカに尋ねられた時には無言で目を見張ってしまった。人気のなくなった道場を出てすぐの廊下で待っていたロッカの向こうにはリューグもいて、こっちを気にしてちらちらと気遣わしげな視線を寄越している。あえて言わずにいたことをあっさり見抜かれて驚かなかったわけではないけれど、ロッカなら気が付くかもと思っていたのもあって、むしろその落ち着きように俺は疑問を抱いた。

 だって、少なくともロッカは俺と同じ考えのはずだ。最後までビーニャと一緒にいるためなら道具扱いも死さえも厭わない、そんなタキツの考えを到底受け入れられないし、激しい反発さえ抱いてしまうという意味では確かに同じだった。なのにどうして、と驚き半ばに見つめ返したものの、ロッカは長話をする気はなかったらしい。俺の反応だけで一人答え合わせを済ませてしまうと、そうですか、と短く息を吐いて目を外した。

「考えなくちゃいけませんね。彼女がそう来るなら……僕たちはどう出るべきか」

 そのためには彼女の考えをより深く理解しないと、と独り言ちるように呟くロッカはもう俺を見ていないようだった。早くも思考に没頭し始めた様子で横をすり抜けていく背中を見送って、自然と俺もタキツの考えについて思いを巡らせていた。

 タキツの考えも望んでいることも、正直言って俺にはちっとも分からない。大好きな相手の傍にいたいことも最後まで一緒にいたいことも理解出来るけど、そのために道具でありたい、道具として扱って欲しいと望む気持ちがまるで分からなかった。どうしてそんなふうに扱われたいのか、いや、どうしてそんな考えに辿り着いてしまったのか。とりあえずは出来ることをするだけだと何度自分に活を入れて思考を切り替えようと、不満と不安が入り混じったモヤを振り切れずにいるのは多分、同じ視点に立つことさえ出来ずにいる俺自身を信じ切れないからだ。

 タキツ自身の気持ちは、心は、本当は何を望んでいるんだろう。

 有用で役立つ道具、それ以外に価値はないと思っているような素振りがタキツにはあった。ビーニャに大事にされる理由なんて、それ以外の可能性は少しも考えつかない様子だった。俺たちとタキツでそうまで考え方が違う理由はどこにあるのか、それをどうやって探っていけばいいのか。取っ掛かりさえ見つかりそうにない難問に立ち尽くしてしまった俺だけど、意外なことに理解の糸口はすぐ近くに転がっていた。

「この間のお祭りの時もすごく思ったんだけど……やっぱり自分で実際に見て触れて確かめないと分からないことばかりね。本で学んだ知識だけで知ったつもりになるのは危険だし勿体ないことだって、ルウ、つくづく実感しちゃった」

 皆に遅れを取ったのもあって幾分駆け足で市場や大通りを覗いた帰り道、バイト中らしい制服姿のルウを見つけた俺は水道橋通りの壁沿いで彼女と他愛もない話をした。ファナンを発つのは明日の早朝、旅の準備さえこなせば後は自由時間なのもあって、ルウやパッフェルさんはバイトに励むことにしたらしい。この街の景色も暫く見納めだしね、と軽やかに笑うルウに相槌を打っていた俺だけど、頭上高くに行き交う水道橋のことに話題が移った時だった。

「でも、今の世の中で常識だって言われてること全部、そういうものなんだって受け入れちゃうのは少し……怖いかも。やっぱり、一度立ち止まって自分の頭で考えなくっちゃダメね」

 視線を持ち上げた先、我が物顔で青空を横断する立派な石造りの配管の中では今もせっせと海水を真水に変えるメイトルパの魚が泳いでいる。真水に乏しいファナンの町がここまで発展したのは金の派閥が投資した数々の公共事業のおかげらしいけど、特にこの浄水機関の存在が大きかったらしい。街の隅々まで網の目のように張り巡らされた水道設備を兼ねた浄水機関、魚数を一定に保つために定期的に行う必要のある大規模な召喚術。金の派閥抜きにファナンの町を語れなくなったのも当然の結果だったという、いつか聞きかじった話を披露してみせた俺にルウは少し眉を曇らせて言った。

「森を出て色んなことに驚いたわ。ひとの多さにも、こんなふうに召喚獣が生活に利用されてるってことにもね。思いつきは素晴らしいと思うけど……でも、ルウはあまり好きじゃないかも」

「それは、どうして?」

 怖いとか好きじゃないとか、森を出てから見るもの全てに驚いて感心して表情をくるくる変えては目を輝かせていたルウにはあまり似合わない言葉だ。疑問に思ったまま尋ね返した俺だったけど、ルウは躊躇いがちに視線を迷わせると、やがてぽつりと呟いた。

「……だって何だか」

 召喚獣を、便利な道具としか見てない気がする。

 声を落としたルウに、俺は何も言えなかった。頭の後ろを不意に殴りつけられたような衝撃と驚愕に襲われるまま、声も出ずに立ち尽くしていた。

 言われてみれば、そのとおりだ。いや、そうとしか言えない。この世界にいる召喚獣はどれもその有用性で持って価値を測られて見定められて、便利なもの、価値のあるものと認められたものだけが存在を許されている。俺たちの日常に当然のように組み込まれている召喚獣だけど、初めからこんな在り方じゃなかったことは森に隠れ住んできたアフラーンの一族であるルウの反応が何より如実に物語っていた。

 便利で快適な生活の陰に強制的に押し遣られた無数の召喚獣、その意志も想いも当たり前のように無視されてきた数えきれないほどの命。

 ルウの言葉がなければきっと想像さえしなかっはずの自分自身に気が付いて、芯まで染み付いた無自覚の傲慢さに愕然としてしまう。蒼の派閥の召喚師である俺がこんなことを思っていいのか分からないけれど、何だか今の世界の在り方自体が捻れてしまっているようで、タキツの言葉をこれ以上なく裏付けている現実に知らず唇を噛みしめてしまう。

 それなら、リィンバウムに召喚された召喚獣にとっての幸せは、一体どこにあるんだろう?

 便利な道具であれば重宝されて、使えない道具であれば冷遇される。役に立つかどうかで大事にされるかが決まる世界なら、幸せになる近道は優秀な道具であることだ。何かを望むこと、その意志や想いを訴えるだけの自由もない中でそれでも何かに手を伸ばすなら、自分の価値を証明し続けなければいけない。自分が召喚主にとって価値あるものだって、役に立つ道具なんだって、それを訴え続けることが幸せになるための大前提になる。

 なら、タキツの言い分はきっと理に適っているのだろう。ビーニャの傍にいたい、そのために便利な道具でありたいと望むのはこれ以上なく自然な考えだ。召喚獣である彼女が幸せになるための手段としては決して間違ったものじゃない。だけど、と渦巻く葛藤を飲み込みきれずに物思いに耽っていられたのは僅かな間だった。

「あんた、ユエルを見なかったかい!?」

 ルウと別れて中央大通りに差し掛かってすぐだった。疾風のように駆け抜けていくユエルを見かけた俺はいつものように声を掛けようとして、違和感に気づいた。様子がおかしい。妙に必死めいた表情で息を切らして走っているユエルは何かに怯えているようで、こっちに気が付く様子もなく人気ない路地へと飛び込んでいく。思わず足を止めて行き先を目で追っていた俺も石畳を蹴ろうとしたところで、切羽詰まったようなモーリンの声が響いたのだ。

「ユエルに何かあったのか!?」

 振り返った先に見つけたのが血相を変えて走ってくるモーリンとミニスの姿だったことで疑念は確信に変わった。俺の警戒がユエルじゃなく、ユエルに起きた何かへと向かったことを察したんだろう。モーリンが走りながら手早く語ってくれたのはこうだった。

 これまで姿かたちも見せなかったユエルの召喚主が、いきなり下町飲食店街を訪ねてきたらしい。ユエルとの再会をひどく喜んでいる様子だったけれど、そいつが仲間として引き連れていたのは怪しげな黒ずくめの連中で、しかも当のユエルはそいつの顔を見た途端に甲高い悲鳴を上げて逃げ出したのだと言う。明らかに普通じゃない反応にユエルを心配して追ってきたらしいけど、一部始終を見ていたミニスはモーリンよりも強く懸念を抱いているようだった。それもそのはず、黒ずくめの連中は前にミニスが見たことのある暗殺者そのものの恰好だったらしい。

「だってそうでしょ!? 暗殺者と連れ立ってる召喚師なんて……すっごくイヤな想像しか出来ないものっ……!」

「ああ、少なくとも白昼堂々、裏社会の人間を表立って引き連れるような召喚師なんて……蒼の派閥にも金の派閥にもいるはずがない!」

 裏ではどうか知らないけれど、人目に触れることを構わず現れた時点でそういった縛りがない人間だって分かる。そんな俺たちの焦燥と懸念を肯定するように、荒れ果てた路地の奥からユエルの悲鳴が響き渡った。

「……道具でしかないお前に好かれたいなどとは思わんよ、ただな?」

 ねっとりと悪意に満ちた言葉でユエルを諭そうとする男の前、薄汚れた路面に這いつくばったユエルが涙交じりの目で睨み上げている。もう、誰も殺したくなんかない。反論と言うよりは懇願するような響きのそれに、だけど男は不快に思ったのだろう。後ろに控えさせた配下の連中に向けて軽く肩を竦めると、その手に握り込んだ緑色のサモナイト石を見せつけるように掲げてみせた。さっと血の気の引いたユエルの顔を傲慢に歪んだ笑みで見下ろしたそいつが、ユエルの召喚主だった男が高々と笑う。

「道具としての役目を放棄されては困るのだ!」

 どうしてユエルがこの世界の常識を全く知らなかったのか、やっと腑に落ちた。大金と引き換えに召喚術を学んだという男、カラウスはずっとユエルのことを暗殺の道具として使っていたらしい。メイトルパでは狩人の異名を持つオルフル族、ユエルはその爪と牙だけで何人もの命を奪ってきたのだと言う。いや、そうするように召喚主から仕向けられて騙されて、真実に気が付いたユエルが反抗的な態度を取るようになると誓約の強制力を使ってまで無理強いをしてきたのだ。

「私が私の召喚獣をどう使おうと自由だろうが!」

「くる……し、……あ、ガ……ぐ、グウゥッ!?」

 なんてことを、と堪らず糾弾の声を上げるミニスに呆れ返ったような一瞥を寄越して、カラウスは慣れた手つきでサモナイト石へと魔力を込めた。サモナイト石が魔力に反応して光をこぼし始めるとユエルの首に巻かれた首輪がぎゅうと見るからに狭まり、苦しみ悶えていたユエルの声が次第に濁りを帯びていく。そして、その目が血のような赤に染まった時、ユエルの自我は限りなく薄れていた。

「ユ、ユエル……?」

 誓約の支配下に置かれた今のユエルは言葉どおりにカラウスの道具と化していた。血に飢えた獣のような凶暴な目つきをしたユエルの口からは剥き出しの牙がカチカチと音を鳴らし、粘ついた涎が糸を引いて滴り落ちる。殺意と狂気に満ちた目がぐるんと動いた。その視線の先にいるのは俺たちでもカラウスでもない。路地に通じる複数の出入り口のひとつで呆気に取られたように立ち尽くしている、俺もユエルもよく知っている相手。ユエルのことを気にして探しに来てくれたのだろう、下町のおばちゃんだ!?

「ちょうどいい、そいつらを殺せっ!」

「ッ、召喚! ロックマテリアル!」

 逃げてと叫ぶミニスの声、唸りを上げて鋭い爪を振り上げるユエル。せめて、と咄嗟に魔力を込めたのは何が降って来るかも分からない術を発動させる透明なサモナイト石で、狙った先はユエルとおばちゃんの間だった。

「うぐっ!?」

 振りかざされた爪がおばちゃんの肩に食い込む寸前、降ってきた岩が二人を強引に分断する。亜人の反射神経で素早く飛び退ったユエルに対し、おばちゃんの方は飛び取った瓦礫が足を掠めてしまったらしい。よろけた拍子に石壁へと背中を打って座り込んでしまった様子が心配だけど、これでユエルやカラウスの意識はこっちを向いた。少なくとも狙いの先がおばちゃんになることはないはずだ。

「そこまでですっ! やはり、組織の関係者でしたか!」

 意表を突かれたカラウスや配下の連中が動きを止めた一瞬の間、それを逃さず飛び込んできたのはパッフェルさんだった。鋭く声を張りながら腕を振り抜くと同時、袖から飛び出てきた小型ナイフが五指に挟まり、勢いよく投擲されたそれがカラウスを狙う。配下に庇われながら慌てて後退ったカラウスの手からサモナイト石が転がり落ちると、狂気を漂わせながらもどこか茫洋と佇んでいたユエルの瞳からすっと赤色が抜けるのが見えた。いつもの空色の瞳に戻ったユエルがはっとした様子で大きく瞬く。誓約の強制力が解けたのだ。

「血だ……ユエルの爪も、牙も、また血だらけ……っユエル、また!?」

 だけど、正気に返ったことでユエルもまた血濡れの爪牙に気が付いてしまう。ぐしゃりと顔を歪ませて悲痛な叫びを上げるユエルには、あなたのせいじゃないと必死に呼びかけるミニスの声も届かない。戦慄に限界まで見張った目を震わせていたユエルだったけど、俺と目が合った途端にその動きが止んだ。何かを迷うように瞳を揺らすのも一瞬、覚悟を決めた顔つきになったユエルが縋りつくような勢いで叫んだ。

「ねぇマグナ、お願いだよっ……ユエルを殺して!! アイツが首輪を使ったらユエルまたおかしくなっちゃう、マグナのこともミニスのことも、大事な友達のことも全部分からなくなって……今度はケガだけじゃない、殺しちゃうかもしれないからっ!? だからそうなる前に、ユエルを殺して!?」

「このっ、召喚獣風情が何を勝手なことを!」

 自分を殺して欲しいと夢中になって言い募るユエルに、タキツの姿が重なって見えた。動きどころか思考さえも止まってしまった俺に向けて懸命に訴えかけるユエルの声は、けれどそこで中断された。俺が言葉を返すより早く、ユエルの目が再び狂気の赤に染め変えられていく。苛立ちを含んだ声に振り返った先には、いつの間に回収したんだろう、ユエルと誓約を結んだ石を握りしめてこっちを睨み付けるカラウスの姿があった。

「さぁ、今度はそいつを殺せ!」

 命令を受けたユエルの濁った瞳が俺を見る。焦点の合わない赤色には焼けるような殺意と狂気が渦巻いていて、それでも崖っぷちに爪を立てるような必死さで、僅かに残った正気のユエルが自分を殺すようにと訴えかけてくる。

「ユエル……本当にそれが、お前の望んでいることなのかよ!? 死んでもいい、殺されたいって……そんなの違うだろ!? 本当の望みを言ってくれよ!」

 そうまでして必死に抗っているユエルに、そうでもしないと逃れられない誓約の強制力に、頭の奥がぐちゃぐちゃになるような憤りと悲しみを掻き立てられるまま、怒鳴るように返した。

 そんな悲しい嘘を吐かないで欲しい。そんな悲しすぎる望みを抱かないで欲しい。自分から生を手放すような真似をしないで欲しい。そんな悲しい嘘を吐く前に、どうか、どうか。

「助けて欲しいって、言ってくれ!?」

 少しでいい、頼って欲しい。助けを求めて欲しい。その手を掴ませて欲しいのだと、祈るような気持ちで訴えた俺にユエルの瞳が大きく揺れた。ひゅ、と大きく息を吸おうとして喉が引き攣ったような呼吸音が鳴って、見開かれた真っ赤な目から大粒の涙がこぼれ落ちて。

「……しに、たくない……ユエルっ、しにたく、ないよぉっ……っ、たすけてぇっ!?」

「ああ、絶対に俺が……ユエルのことを助けてやるっ!!」

 誰もが抱いて当然の、ささやかすぎる望み。叶えられて当然の、けれどこの世界に生きる召喚獣にとっては切実極まるその願い。ユエルからようやく引きずり出した本当の望みを叶えるために、俺は躊躇いなく腰に下げた剣を引き抜いて駆け出した。狙う先はもちろんユエルじゃない。ユエルや配下の連中の奥に引っ込んで、一人余裕じみた表情でユエルを縛るのとは別のサモナイト石を取り出そうとしている、カラウスだ!

「ここはあたいらに任せておくれっ! あんたは」

「今もユエルのことを苦しめてる、あいつをお願いっ!」

 短剣を閃かせておばちゃんに迫っていた暗殺者の一人を容赦なく殴り飛ばしながらモーリンが声を張り上げる。憤りに満ちた瞳を爛々と輝かせながら勢いよく魔力を練り上げていくミニスの手にはカラウスと同じ緑色のサモナイト石があるけれど、その輝きようは比べ物にならないほどに強い。この間の戦いで新しく誓約を結んだばかりの召喚獣を呼び出すつもりか、前に目にしたよりも一回り大きな異界の門が窮屈な路地の空にゆっくりと押し開かれていく。そこから姿を現わしたのはメイトルパの召喚獣、ペトラミアだ。身構える間もなく強烈な眼光を浴びた暗殺者の一人が石化して、急に固まった味方を避けようとした一人には素早く駆け込んできたモーリンの足技が飛んだ。そのまま体勢を立て直す余裕なんて与えないとばかり、別のサモナイト石へと魔力を込め始めたミニスに忌々しげな舌打ちをこぼしたカラウスが詠唱を中断する。だけど、そうして安全圏にまで距離を取りながらも目顔で指示を下していたのだろう。こぞってミニスに注意を向ける暗殺者たちとユエルだったけれど、その射線を遮るようにオレンジ色の制服が飛び込んだ。かきん、と澄んだ音を響かせて、無骨なナイフやユエルの爪を交差させた両手のナイフで受け止めているのはパッフェルさんだ。

「ユエルさんは私が押さえますっ! マグナさんは今のうちに!」

「分かった! ……召喚、シャインセイバー!」

 いつになく真剣な顔をしたパッフェルさんに声を張って返しながら、片手に握り込んだサモナイト石へと魔力を注ぎ込んで密かに練り上げていた術を完成させる。薄汚れた路面と同じくこの路地に面する壁はどれも年季の入ったレンガばかりで、所々欠けたり割れていたりと背中を預けるのも躊躇ってしまうような場所も多い。そんな場所で敵諸共、打ち砕くような威力を持った術を放てばどうなるか。距離を詰めようとしていた暗殺者たちの足元へ勢いよく崩れた瓦礫が雪崩込み、大きく体勢を崩したそこに、畳み掛けるようにミニスが詠唱していた召喚術が落とされる。

「やっちゃって、ドライアード! ラブミーストーム!」

 見た者を魅了して下僕を作る危険な植物、ドライアードから放たれる甘い香りが暗殺者たちの頭上に降り注いだ。狭い路地でヒポスタマスの毒や眠りといった状態異常をもたらす煙を放つのは危ないと思ってかどうか、ケルマの愛用する術を躊躇いなく使ったミニスだけど、ひょっとしたら誓約を結んでから一人で練習していたのかもしれない。敵の無力化と同士討ちを狙ってだろう魅了の術は、確かな精度で暗殺者の意志を絡め取った。重度の魅了に掛かって味方へと短剣を振りかざすその背中にモーリンの拳が飛ぶのを尻目に、ダメ押しのロックマテリアルをもう一度召喚しながら俺は路地奥に陣取ったカラウスを睨み付けた。

「マグナ、準備はいい!?」

「ああっ、オニマル!」

 他の路地へと通じる道はレンガの壁ごと崩して塞いだ。カラウスの傍にいる暗殺者は手傷を負った一人しかいない。顔を引き攣らせたカラウスが一歩後退るのを追い詰めるようにミニスが緑に輝くサモナイト石を掲げれば、メイトルパの召喚獣、ローレライが冷たい水の奔流を呼び起こした。壁も路面も洗い流すような勢いで水が流れ込んでくるけれど、精々が足を取られる程度でしかない威力だと気が付いたカラウスが一瞬、安堵と嘲笑の入り混じった笑みに顔を歪める。だけどそれも俺の召喚したオニマルがぱちぱちと火花めいた雷音を放ち始めるまでだった。間髪入れずに目を焼くほどの光の奔流が降り注ぎ、格段に威力の増した雷撃がカラウスと暗殺者を焼き焦がす。滝のような雷に打たれて信じられないと言いたげな顔をしているけれど、種を明かせば単純な話だ。

 日夜潮風が吹き付ける路地の壁や路面にはあちこち塩が吹いている。ヒビの入ったレンガや傷んだ石畳なら尚更、そこに水を流してやれば電気の通りだって良くならないはずがない。足場を崩したかったのも本当だけど、本命の狙いは雷撃の威力を上げることだったというだけだ。

 一瞬で意識を刈り取られた暗殺者とは違い、魔力耐性のおかげかギリギリ意識を保っていたカラウスだけど、それを見越して距離を詰めていた俺は迷いなく剣を振り下ろした。

「これで、終わりだっ!」

 マジックアタック。一度コツを攫んだ今、魔力を物理的な攻撃力に変換するのは一呼吸の間で足りる。短い悲鳴と共に倒れ込んだカラウスの手からサモナイト石が転がり落ちていくと同時、糸が切れたように倒れ込むユエルが見えた。

「あの男は私に任せてくださいませっ!」

 カラウスと配下の暗殺者が逃げ出したのは、まさに一瞬だった。俺たち全員の注意がユエルを向いた隙を突いて深手だったはずの暗殺者が跳ね起き、カラウスの首根っこを掴んで脱兎の如く逃げ出したのだ。ひいひいと呻くしか出来ないカラウスを引きずるように逃げていく暗殺者たちの後を追ったのはパッフェルさんで、俺たちを横目で制しながら駆け出したその背中はあっという間に見えなくなった。怒りに駆られるまま後を追おうとしたのはモーリンもだったけれど、それをユエルの介抱のためにと半ば無理やり引き留めたのは俺とミニスだ。

「お願い、モーリン!?」

 タキツの忠告に従って普段からサモナイト石を持ち歩くようにした今、俺もミニスも回復系の召喚術を使えないわけじゃない。カラウスを倒した直後、魔力が強まったような不思議な感覚がしたことを抜きにしても、ユエルの治療をする分には十分事足りただろう。だけど、それはしたくなかった。これまで散々召喚術というものに振り回されてきたユエルに、例え回復のためだとしても意識のない間だとしても、同意なく召喚術を浴びせる真似はしたくなかったのだ。

 リィンバウムに暮らす召喚師である俺とミニスの我儘でしかないそれに、モーリンは複雑な表情を浮かべながらも頷いてくれた。荒れ果てた裏路地の中でも少しでも綺麗な、乾いた路面にユエルを横たえてストラでの治療をすること暫く、ユエルの目蓋がかすかに震えた。ミニスやモーリンの呼びかけに応えるようにゆっくりと目蓋を押し上げたユエルは、澄んだ空色の瞳に俺たちを映すと、心底嬉しそうにはにかんだ。

「マグナは……ウソつきじゃなかったね……?」

 ちゃんとユエルのこと、助けてくれたもん。

 頬を緩めて幸せそうに微笑んだユエルに、俺もミニスも何も言えなかった。何も返せないまま、ぼさぼさに乱れきった青い髪を優しく撫でてやるしか出来なかった。だけど当然、それで何もかもが元通りというわけにはならなかった。

「よらないどくれっ!? ば、化け物っ!?」

 ユエルの視線が向いた途端、引き攣った声で叫んだおばちゃんの反応こそがこの騒動の結末だった。あれだけ一緒に過ごして可愛がってきても、ユエルの凶行を受けた恐怖と衝撃はこれまで積み重ねてきた親交や愛情を一瞬で上塗りしてしまったらしい。ユエルを突き放す残酷な視線と声は、残念ながら俺に対しても同じだった。俺を見る目には色濃い怯えと恐怖が滲んでいて、舌も満足に回らないのか、おばちゃんは尻込みするように後退りながらそろそろと感謝の言葉を絞り出していく。騒動に気が付いた通行人が呼びに行ってくれたのか、おばちゃんの肩を支えるように寄り添っている下町のおじさんは険しい顔つきのまま何も言わない。親しみに満ちた笑みを浮かべていたおばちゃんの顔は不安と怯えで痛々しいほど引き攣っていて、隣にいるおじさんも厳めしい顔をして口を真一文字に固く引き結んでいる。

 薄情だとは、思わなかった。辛いし悲しいとは思うけど、二人の反応も当然だ。だって、召喚術の力は理不尽なほどに圧倒的で、馴染みのない人間が目の当たりにすればこうなるなんて分かり切っていたのだから。海賊たちから下町飲食店街を守った時にも使った力だけど、それが自分たちに向くかもしれないと想像しただけで、馴染みない力への恐怖は抑えきれないものになったんだろう。

「仕方ないよ? だって、ユエルが悪いんだもん。ケガさせたのはユエルだもん」

 すかさず眉を吊り上げて言い返そうとしたモーリンを止めたのはユエルだった。唖然とするモーリンに眉を下げた苦笑を浮かべてゆるゆると首を振る。そのまま俺とミニスを振り返ったユエルは、心底すまなそうな顔をしてぺこりと頭を下げた。萎れ切ったように伏せられた耳と尻尾が、ユエルの心情を映し出すかのように色褪せて見えた。

「マグナもごめんね、ユエルなんかを助けたせいだよね。今まで本当にありがとう。それと……それとね……ほんとうに、ごめん、ねぇっ……」

「……今までじゃないよ」

 気丈に笑っていたユエルの声が震えて、項垂れたまま持ち上がらない頭が涙交じりの嗚咽に合わせて上下する。もう耐えられなかった。そんなことをユエルに言わせている俺が、何も悪いことなんてしていないユエルのせいにしてしまう世界の在り方が、どうしようもなく認められなくて飲み下しきれなくて俺はユエルの頭をそっと引き寄せる。

「おいで、ユエル。今日からは俺たちがずっと一緒にいてあげるから、な?」

 召喚獣の人生は、それを呼び出した召喚師次第。

 旅に出る前は当たり前でしかなかった事実を改めて突き付けられて、それ以上の言葉の代わりにユエルを抱きしめた。どんな召喚師に呼ばれるかで召喚獣の扱いは天と地ほども変わる。なのに、召喚獣の側には誰に呼ばれるかの選択権さえ与えられていない。力のある召喚獣であれば跳ね退けることも出来るそうだけど、召喚に抗えなかった時点で自由を失う彼らには最低限の権利もなければ選択肢さえないのだ。幸せを望む、たったそれだけのことすら許されていないのだ。

 召喚獣の望みも意志も許さない、道具扱いを当然とする召喚師。それはカラウスのような外道召喚師に限った話じゃない。誓約の強制力を使って召喚獣の意志を、行動を縛ることを一度もしたことがない召喚師なんてどれだけいるだろう。ただの物扱いにしたって酷すぎると、いつか呆れ果てた思いで聞いていた俺自身もそれを使ってしまったことがある。誓約の痛みで無理矢理にでもタキツの意志を捻じ曲げようとした、真新しい記憶があった。

 だけど、それでもタキツはビーニャを裏切らなかった。正気を失いかねないほどの激痛の中で、ビーニャを安心させるためだけに微笑んだ。最後の最後までビーニャと一緒にいたい、そのために役立つ道具でありたいと語ったそれが本心からの望みなんだって分かるだけの行動をタキツはずっと積み重ねてきた。そんなタキツのことをビーニャも大切に思っていることだけは、間違いないと言い切れるだけの現実がそこにあって。

 幸せになりたい、幸せのままで終わりたい。そのために、役に立つ道具でありたい。

 そんなタキツの考えがいよいよ正しいものだと認めるしかない現実から目を逸らすように、俺は深々と目を伏せた。

 

「そういった経緯でしたか……」

 応急手当を済ませたユエルを背負って路地から出たところで、偶然近くにいたシオンさんに出くわしたのは幸運だった。突発的な戦いで壁は崩れ路面はひび割れ見るも無残な有様になった路地と薄汚れた格好の俺たちに驚いたのも束の間、いくらか付き合いもあるからと巡回の警備兵への報告や近隣の住民への説明を買って出てくれたのだ。その申し出に有難く甘えさせてもらってユエルを道場へと担ぎ込んだ後は本格的な治療の準備をしたり、居合わせた皆への説明をしたり、そうこうしている間に散歩に出ていたアメルが戻ってくると、ユエルの治療を任せてモーリンは下町飲食店街への詳しい事情説明に飛んでいき、ミニスからひとしきり事情を聞き取ったネスも怒り心頭で領主様への報告を請け負って、俄かに慌ただしくなってしまったのだった。

「なんていうか、街中でもあまり安心できないのね」

「そうさなぁ……」

 召喚術を悪用する輩が出たんだ、早急な対策が必要だろう、と珍しく荒々しい足取りで出て行ったネスをミニスが慌てて追いかけていく。その後ろ姿を眺めてぼやいたルウに、フォルテが曖昧な顔つきで相槌を打った。そのままシャムロックに目配せをすると、念のため道場近くに妙な奴がいないか見回ってくると言い残して道場を出て行ってしまう。確かに、カラウスの配下が暗殺者だった以上はその可能性だってあるかもしれない。となるとシオンさんにも詳しい話をしておかないと迷惑を掛けることになりかねないと急いで取って返した俺だったけど、いつものように屋台の準備に移っていたシオンさんは落ち着いたものだった。さっきは所々省略せざるを得なかった経緯を説明しきっても穏やかな表情は変わらず、だけど少しだけ思案気な顔をしたことに俺が気が付いたことを察したのだろう。仕入れの手を止めたシオンさんは俺を手招きしながら屋台の裏へとおもむろに引っ込んだ。

「ある意味、ちょうどよかったのかもしれませんね。マグナさん、実は貴方にお見せしたいものがあったんです」

 その背中を追って屋台の裏側へと回った先、木箱の上にちょこんと佇んでいたのは脚を手当てされたハトだった。人慣れした様子で大人しく喉を鳴らしているハトの背中を撫でながら、シオンさんが辺りを憚るように小さな紙切れを取り出して差し出してくる。

「怪我をしていたのを見つけたのですが……この子の脚にこのようなものが結わえてありましてね」

 お知り合いではないですか、と促されるまま紙切れを開いたそこに見つけたのは無骨な書きつけがひとつ。思わず目を見開いて見つめる先、レルム村に来るように、と墨書きの文字が告げる最後にあった差出人の名前は、アグラだった。

「この子は……おじいさんの飼っていたハトです」

 シオンさんから預かったハトと紙切れを見せると、ロッカもリューグも、アメルも同じ反応を見せた。あの夜、燃え盛る炎に全てが包み込まれたレルム村だったけど、元々個人で世話をしていた家畜小屋や菜園の類は村にほど近い森の中に点々と散らばっていたらしい。アグラ爺さんが飼っていたハトもそのうちのひとつで、何かあった際の連絡用に使えるからと何匹かを世話していたのだと言う。ハトはともかく手紙の方はアグラ爺さんの筆跡を真似たのかもしれないけれど、それでも罠の可能性は限りなく低いだろう、とネスとシャムロックが太鼓判を押したことにどこからともなく安堵の溜め息が響いた。

「奴らならもっと手の込んだ真似をするはずだ、こんなイチかバチかの手段はらしくない」

「ええ、少なくともレルム村に呼び出すだけの利点が薄すぎる。一度事を構えた場、それも王都ゼラムの膝元で今、強硬策に出る旨味はないように思えます」

 どのみち村には寄るつもりだったけど、気になっていたアグラ爺さんの安否を思いがけず先に確認できたことで気が抜けたんだろう。ネスとシャムロックの推論に頷きながらもアメルたちの遣り取りはいくらか穏やかなものだった。

「この子が無事だったってことは、村を囲んでいた森や山の方にまでは燃え広がらなかったのかな? よかった……ユエルちゃんも、あたしたちの村を気に入ってくれるといいんだけど」

「自然しかねえ村だからな。あいつがいた世界ってのは草っぱらや森ばっかなんだろ? ごちゃごちゃ狭っ苦しい街中よりはずっとマシだろうさ」

 村に向かえば、アグラ爺さんと再会すれば、どうして爺さんがアメルに嘘を吐いたのかも分かる。悪魔が封じられている恐ろしい森にどうしてアメルの祖母が暮らしている村があるなんて嘘を吐いたのか。その事情を尋ねることが出来る緊張や不安もあるだろうけど、大事な家族であるアグラ爺さんが無事だったことに今は安堵の想いでいっぱいらしい。ユエルにとってレルム村がはたして居心地のいいものになるかどうか、気遣う二人の眼差しは優しさに満ちていて、ロッカの方もカラウスから解き放たれて自由の身になったユエルを案じているらしかった。

「ユエルはそのカラウスと言う召喚師に誓約の強制力を使われたそうですが、話を聞く感じだと案外、簡単に解くことが出来るものなんですね?」

「そうね、召喚術もだけどサモナイト石に魔力を通すには集中力がいるの。だから邪魔をするのは効果的な手法だって言えるわね。使うぞ、って思ってすぐ発動するわけじゃないのは一緒だし」

「なるほど……僅かにでも時間差が生じるんですね」

 ちゃんとした召喚師に手解きを受けても集中を維持するって案外難しいのよ、としたり顔で説明するルウに感心した様子のロッカが相槌を打っている。ユエルはあれから一度目を覚ましたけど、今はモーリンやミニスと一緒に別室で休んでいた。またひとりぼっちになると思ってた、と起きた直後にモーリンとミニスを見て笑い顔のまま泣き出してしまったユエルにとって、それなら今夜は一緒に寝ようと笑い返した二人の優しさがどれだけ沁みるものだったのか。二人と一緒に寝るんだ、と破顔したユエルを思い出すだけで俺の口元も綻んでしまう。それが今のユエルに行き場所がなくて、明日も明後日も俺たちと行動を共にするしかない結果でしかなくっても、ユエルには少しでも笑っていて欲しかった。だけど村に向かう途中では、と俺の思考を読んだようなタイミングでロッカが静かに口を開く。

「おそらく、奴らも出てくるでしょうね」

 仮に明日は黒の旅団とぶつからなかったとしても、遅かれ早かれ戦闘は避けられないだろう。はぐれ召喚獣だったユエルの経緯をネスに説明する時に俺自身、迷いを覚えたのは正にそこだった。俺たちの旅に同行することは決して安全じゃないし、誰かを傷つけたり痛い思いをする可能性だってある。それでもユエルを一人置いていけなかった俺に出来ることなんて、少しでもユエルが、皆が傷つくことのないように出来る限りの采配を振るうことだけだ。

「……なぁ、ネス。ネスはイオスたちが現れると思うか?」

「まず出るだろうな。おそらく街道も大平原ですらも見張られていると考えていいはずだ……なんだ、不安なのか?」

 穏やかに話を交わしていても皆の手元にはそれぞれの武器やサモナイト石が広げられて、明日の出発に備えて入念な確認や手入れのために淀みなく手を動かしているのが見て取れる。剣の留め具を締め直したり銃口を掃除する手は止めないままシャムロックとレナードがスルゼン砦のことを話している近くでは、机に広げた紫色のサモナイト石やオシャベリーの葉を見せながらアメルに何か説明し始めたルウの姿が見えるし、リューグの方はロッカを捕まえて何やら間合いのことを確認しているらしい。ふんふんとルウの話に熱心に耳を傾けているアメルだけど、何かあった時に回復アイテムを使って欲しいと頼まれでもしたんだろうか。不思議に思いつつ眺めていると、ちらりと俺の視線を追ったネスは何か合点がいったように視線を引き戻しつつ淡々と言い切った。

「僕たちだって出来るだけの準備はした。これで負けるようならその程度だったということだ。後はなるようになれ、さ」

 あまりネスらしくない言葉に呆気に取られて思わず声を失ってしまったけれど、ぷっと吹き出すように笑いながら俺は大きく頷き返した。

「はは……そうだよな? 戦う前から弱気になるなんて俺らしくなかったや。こんなところで足止めされてる場合じゃあないしな!」

 召喚獣の幸せ。道具扱いを強いられる彼らの境遇。それを下敷きに回るように設計された世界の形。

 考えても分からないことばかり、俄かには埒の明かないことばかりで、それを解決するための手段も結論もまだ出せそうにない。それでもこの現状が正しいなんて認めたくない、仕方がないものなんだって諦めたくない気持ちだけは確かにこの胸にある。タキツのことだってそうだ。何ひとつ変わらない。それがどんなに困難な試みだとしても、どんなに勝ち目のない挑戦だとしても、どうしたって諦めきれないし譲ることも出来ないのなら覚悟を決めて進むだけだ。先がまるで見えなくたって、どれだけ不安に駆られたって、少しずつ、手探りでも、前を目指して進んで行くしかないのだ。

 そして予想どおり、ファナンを出て街道から大平原に踏み入って早々、奴らは現れた。

「後詰めの兵から報告を受けた時にはよもやと思ったが、独断で動いて正解だよ。目的地は……ゼラムか?」

 背の高い草に身を隠すようにして慎重に進んできたけれど、黒の旅団の目は誤魔化せなかったらしい。それでも咄嗟のことで十分対応出来なかったのか、イオスの独断で動いた兵の中にはルヴァイドや機械兵士、タキツの姿はなかった。旅団兵の数もいくらか少なく見えるのは監視のための斥候としてあちこちに散らしていたからだろうか。素早く目を走らせてタキツの不在を確認したのはミニスたちもだったようで、あからさまに詰めていた息を緩めた何人かの顔が見えたのだろう。訝しむように眉根を寄せるイオスだったけれど、その疑念ごと貫くようにロッカが鋭い声を返した。

「答える必要はない!」

「いいさ、別に。ここで貴様らを捕えれば同じことだ」

 刺し貫くような苛烈な視線を物ともせずにイオスは短く鼻を鳴らして睥睨した。そう言って失敗してきただろう、と俺が口にするより早くケイナが揶揄うように言えば、苛立ちも露に大きく槍を振り回して構えを取ったイオスが声を張り上げる。

「これ以上、貴様らに振り回され続ける訳にはいかないんだ! あの召喚師共に好き勝手をさせないためにも……鍵となる聖女、今日こそ渡して貰う!」

「……どうしても、黙って通してはくれないんですね?」

 聖女に、鍵。気になる単語が出てきたけれど、それを尋ねたところで決して教えてはくれないだろう。それはアメルも理解しているのか、問い掛ける声も静かにイオスを見つめる瞳は震えも揺れもしていない。いっそ穏やかさすらある真摯な瞳にたじろぐように声を詰まらせたイオスだけど、これ以上は平行線と見て取ったシャムロックが油断なく大剣を構えながらアメルの前に進み出た。

「下がってください、アメルさん。力で物事を押し通す者たちには、こちらも相応の返礼をするのみ!」

 研ぎ澄まされた眼光と共に語気強く言い放てば、即座に意識を切り替えたらしいイオスも険しい表情で片手を振り上げる。何度も繰り返してきた終わりの見えない問答、決して受け入れられないイオスたちの要求。聖女を確保しろ、と展開した兵へと号令を掛ける怒声じみた声が響き渡れば、一気に膨れ上がった強烈な敵意や戦意が俺たちに向かうまで一呼吸の間もなかった。だけど、そんなのは俺たちだって承知の上だ。

「フレイムナイト、ジップトースト! 続けてウインゲイル、北北東にダブリーザー!」

「来てくれ、がしゃどくろ! 呪毒撃!」

 火蓋が切って落とされると同時、こっそり魔力を練り上げて詠唱を完成させていたネスの高位召喚術が炸裂した。異界の門から現れた召喚獣、フレイムナイトの構える砲身から撒き散らされた炎が周囲の草に燃え移り、続けざまに召喚したウインゲイルで突風を吹き付けて火の勢いを煽り立てていく。ウインゲイルの射出する風が途切れたのに合わせて俺が呼び出したシルターンの召喚獣、がしゃどくろの巨大な骸が上空に現れ、怪しい炎が駆け巡ると同時に撒き散らされた毒が旅団兵を包み込んだ。そこに勢いよく飛び込んでいったのはモーリンにリューグ、フォルテたち前衛組の皆だ。イオスや一部の兵は熱風ごと振り切って炎の外に逃れたけれど、俺たちは迷うことなく事前に立てた作戦どおりにそれぞれのすべきことをこなしていく。

 平原が戦場になるかもしれない時点でネスが考えてくれたのは、火計を利用した短期決戦だった。召喚術を直接的な攻撃に使うんじゃなく、あくまで敵の行動を妨害して動揺を招いたそこで一気に畳み掛けるという作戦だ。万が一にも延焼したり余計な被害が出ないように周囲に散ったカザミネさんやシャインセイバーを装備したルウが旅団兵ごと草を薙ぎ倒していく傍ら、牽制と撹乱に風のような俊敏さでユエルとパッフェルさんが駆け抜けていく。俺たちの包囲を抜けて体勢を整えようとする兵を見つけたユエルが合図代わりの雄叫びを上げると、それに応えるようにミニスが握るサモナイト石へと勢いよく魔力を注ぎ込みながら杖を地面に突き立てた。

「お願いっ、ドライアード!」

 緑の閃光を放つサモナイト石から立ち上る魔力の奔流の中、異界の門が音もなく開かれる。蠱惑的な笑みを浮かべたドライアードからふわりと甘い香りが広がり、薄桃色の煙を浴びた兵士の動きが瞬く間に鈍った。ふらふらと剣の切っ先が持ち上がるも、向かう先は味方のはずの旅団兵だ。カラウスとの一戦を越えて更に制御が熟達したのか、これだけの強力な召喚術を意のままに扱っているミニスに内心舌を巻きながら俺も真っ赤に燃えるサモナイト石へと魔力を注ぐ。毒を受けたり魅了に掛かってろくに反撃も出来ない兵たちの頭上に召喚したのは、前にカザミネさんの刀を媒介に誓約を結んだオオアカ切断虫だ。大振りのギロチンに似たハサミを振るっての双刀斬で手負いの兵を一気に蹴散らすと、すぐさま身を翻して俺は駆け出す。

「くそっ、こいつらっ!?」

 向かう先はイオスだ。いつの間にかロッカとリューグ、二人掛かりで相手取っているけれど、イオスの奥で詠唱を唱えている敵の召喚師が見える。対抗するようにネスも機界ロレイラルに通じるサモナイト石に魔力を込めながら駆けていくけれど、開幕攻撃のお返しとばかりに銃を構えた兵がネスに照準を合わせた。

「ボワ、沈黙の暖撃っ!」

「おう、邪魔させてもらうぜ!」

 だけど、それをみすみす許すような仲間たちじゃない。焦げた草切れや剣戟を越えて駆け付けたルウの放った術が奥の召喚師に降り注ぎ、沈黙こそしなかったものの、サモナイト石に収束し始めていた魔力の気配が一気に霧散する。フォルテの援護をしていたレナードさんが振り返りざまに撃ち抜いたのは銃兵の肩で、よろめきながらも苦し紛れに引き金を引ききった兵士の弾がネスを目指すけど、そんな甘い狙いで捉えられるようなネスじゃない。剣や槍での近接攻撃ならともかく、遠方からの攻撃を見切るのに掛けては俺よりネスの方が得意なのだ。僅かに身を反らすだけで避けたネスは、最後の詠唱を唱え切ろうと声に力を込めた。その一瞬を狙っていたのだろう、地べたに伏せていた手負いの兵が腰だめに槍を構えて突っ込んでいく。

「っあたしだって、守られるだけじゃありません!」

 ネス、と俺が叫ぶよりアメルの声が、その胸元で握り締められた紫色のサモナイト石が強烈な光を放つ方が早かった。凛とした声が響き、澄んだ魔力が唸りを上げる。門の向こうから姿を見せたサプレスの中級悪魔、ブラックラックが吸い込まれるように槍兵へと取り憑くや否や、がくりと力が抜けたように踏み込みが緩んだ。その隙を逃さずカイナの放った苦無が鎧の上から突き刺さり、間髪入れずに再びルウの声が響き渡る。

「来て、プチデビル! エビルスパイク!」

「フレイムナイト! 彼に、ヒートクイップだ!」

 まさか敵が傷つくことにも心を痛めていたあのアメルが召喚術を、それもサプレスの悪魔の力を借りる術を使ってみせるなんて。アメルもルウと同じかそれ以上にサプレスの適性があるのは知っていたけれど、まさかの事態に動揺を隠せない。そんな俺を一人置き去りに、ネスもルウも動じることなく完成させた召喚術を敵と味方、それぞれに向けて放った。苦無を引き抜こうとしていた兵がサプレスの小悪魔の槍を受けて倒れ込む先、宙に浮かび上がったフレイムナイトの姿が陽炎のようにぼやけて、すっとリューグに重なるようにして消えていく。一時的な身体強化、攻撃力の増幅をもたらすフレイムナイトの憑依召喚。決めてみせろとばかりの手厚い支援を受けたリューグが構える斧をぐっと握りしめるなり、イオス目掛けて段違いの速度で振り下ろした。咄嗟にイオスが突き出した槍の柄とリューグが両手で握り締める斧の刃がぎりぎりと擦れ合い、鍔迫り合いの形になったけれど、これはチャンスだ。地面を蹴る足は止めずにサモナイト石を構えた俺は、息を整えるのも後回しに怒鳴るように叫んだ。

「ロッカ! リューグ!」

 その先は言葉にしなくても伝わった。俺の声に素早く飛び退った二人の前、僅かに逃げ遅れたイオスの頭上で渦を描いた俺の魔力が異界の門を描き出す。姿を現したシルターンの召喚獣、オニマルがぶるりと身を震わせた次の瞬間、雨あられのような雷撃が降り注いだ。

 それは上手く当たればマヒの効果も狙える強力な術だったけど、イオスはどうやら強引に身体ごと捻るように転がることで直撃を避けたらしい。射程範囲から逃げ切ったイオスは、火傷や裂傷と言った手傷は負っていても五体満足、状態異常の不利もなければ、その手にまだしっかりと得物の槍を握っている。だけど、それでいい。一瞬でも動きが鈍ったのなら、僅かでも隙さえ作れたのならばそれで!

「っそこだ!」

 瞬間、ロッカの繰り出した槍の柄がイオスの腕を痛烈に打ち払った。何度も剣を交えることで呼吸やクセを見抜いてきたのか、一対二でもロッカたちを抑え込んでいたイオスだけど、それはこっちの動きを読み切った上で先んじてカウンターを繰り出すだけの動きが出来ていたからだ。召喚術の回避に意識を取られて重心を崩し、万全じゃなくなった今のイオスになら攻撃だって当然、当たる。

「決めるっ、そりゃあっ!」

 イオスの手から弾き飛ばされた槍が茂みの向こうに消えるのと、最上段に構えた斧を鈍い風切り音と共に振り下ろしたリューグの一撃がその肩に吸い込まれるのは殆ど同時だった。無骨な肩当ての上からでも骨が軋んだような嫌な音が響き、背中から地べたに打ち付けられる羽目になったイオスの目が衝撃と驚愕に見開かれる。

「おかしいっ……こいつら、前より強く……!?」

 信じられないとでも言いたげなイオスの鼻先に剣の切っ先を突き付けながら、浅く肩を上下させるまま俺は叩きつけるような言葉を放った。

「強くならなきゃ、いけなかったんでね……!」

 タキツの援護やフォローのない戦闘に慣れたとは口が裂けても言えない。だけどそんな泣き言、いつまでも言っていられるはずがない。弱さの言い訳をする暇があるなら小手先だろうと付け焼き刃だろうと、勝ちに繋がる手は貪欲なまでに活かしていくだけだ。悔しげに唇を嚙みしめるイオスを見下ろして、俺は確かな勝利の実感を噛みしめていた。

 結論から言えば、文句のつけようもない大勝だった。事前に綿密な作戦を決めていたこと、動揺した兵を各個撃破する流れが定まっていたからこその短期決戦だったと言える。イオスたち黒の旅団に並々ならない思いを抱いていたロッカやリューグが獅子奮迅の働きをしてくれた甲斐あって、さほど時間も掛からずに撃退が叶ったけれど、今回の目的はあくまでレルム村に向かうことだ。ひとまず暫くは動けないように縛り上げて放っておこう、とカザミネさんやフォルテが手際よく倒れた旅団兵を縛り上げていく向こうでは、お宝ですかねぇ、とうきうき声を弾ませながら偶然見つけた古びたツボを抱えてパッフェルさんが目を輝かせている。うーん、と微妙な顔で見守っているルウや興味深げにすんすん匂いを嗅いでいるユエルを微笑ましい思いで眺めていると、うつ伏せに転がされていたイオスがやにわに叫んだ。

「なぜだ……どうして止めを刺さない!?」

 怒り心頭に声を荒げて俺たちの対応に噛みつくイオスに、不意にフロト湿原での出来事を思い出した。大事な人質だからと機械兵士の射撃からイオスを庇ってタキツが倒れ込んだ時にはぞっと肝が冷えたけれど、当のタキツは褒められるとしか思っていなかったのか、むしろ誇らしげな顔をしていたものだ。何だかひどく遠い昔のようなそれを懐かしさと寂しさの入り混じった心地で思い出しながら、俺は静かな声を返した。

「俺たちは軍隊じゃない。自分や仲間たちを守れればそれでいいんだ。人殺しをしてまで目的を果たすつもりはないよ」

「どんな大義のためであろうと非理にて剣を振るうことは許されはせぬ」

 カザミネさんも頷いてくれたけど、その言葉がイオスの逆鱗に触れたらしい。白い顔がみるみる赤くなり、歯軋りするような音に続いて、戯言を、と擦り切れそうな低い声が唸った。

「貴様らの言っていることは甘い幻想だ! 現実を見据えていない、綺麗事だ! 一つの利を得ようとすれば必ずどこかで害が生じるんだ、ならば誰でも己に利しようと考えて当然だ……貴様らとて例外ではないだろう!?」

 捲し立てるように糾弾する声に、アメルが動揺を隠し切れずに瞳を揺らす。咄嗟に何か返そうと開いた唇も震えるばかりで、イオスの主張に対抗出来るだけの言葉が見つからないのは明らかだった。俺もそれはまったくの同じで、アメルと二人、ただ言葉に詰まってイオスを見つめ返すしか出来ない。そんな俺たちを庇うように一歩前に進み出たのはネスだった。

「理屈は違うだけでやっていることは同じ。確かにそのとおりだ。君の言葉は正しい。その点では評価しよう。……だが」

 目の前に群青色のマントが翻って視界を覆う。突き付けられていた苛烈な瞳が見えなくなる。刺し貫くようなイオスの視線から俺とアメルを庇うように立ち塞がって、ネスはふと言葉を切った。その顔はイオスを向いたままで、俺たちには背中しか見えない。驚きに急かされるままネスに呼びかけようとした俺をそっと制したのは、隣にいたアメルだった。優しく重ねられた手が、真剣に前を見つめている横顔が、ネスのことを信じようって無言のうちに訴え掛けてくる。

「……それを口にした時点で、君に僕たちの行動を非難する資格はない。理屈はそれぞれ違うと、君は自分で宣言したのだからな」

「ネスティさん……」

 ですよねぇ、と苦笑交じりに揶揄い抜きの声でパッフェルさんが頷いた。アメルがほっとしたように微笑んでネスの名前を呼んだことに気が付かなかったのか、ネスは振り返ることなく一歩、横に身をずらした。反論を封じられて忌々しげに歯噛みするイオスと俺の目線とが一直線に結ばれる。射殺すような瞳に今度は怯むことなく、俺はありのままの想いを口にした。

「黒騎士に伝えてくれ、イオス。俺たちは俺たちの望んでいることを絶対に諦めないって」

 そうだ。何も分からなくても、結論なんて出ていなくても、それで足を止める理由になんてなりはしない。この想いと意志が途切れずあるうちは、ひたすら前へと向かって進み続けるしかないのだ。

 大事なものを守り抜けるよう、望んだことを譲らずにいられるよう、イオスに背中を向けて俺たちは歩き出す。少しでも前に進むための何かがきっと、レルム村で待っている。その予感に騒ぐ胸を押さえながら、俺たちは真っすぐに村の方角を見つめていた。




ついに二万字に収まらなくなりました。どうして。
ユエルだけじゃなくマグナまでビビられてるのが悪い方への誤差ですね。双子が両方加入してるので捏造ハトエピ。なお、カワラバト(ドバト)イメージです。
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