辿り着いたレルム村は午後の陽射しの中、残酷なほどに変わり果てた姿を見せていた。ぽつぽつと建ち並んでいた家屋はどれも無惨に焼け落ちて、炭化して黒ずんだ梁や柱ばかりが煤けた石組みの上に力なく横たわっている。ひどく風通しの良くなった景色は村向こうの森裾まで遮るものなく続いていて、焦げた立木や家々の焼け跡が点々と佇む他は更地に近い有様だった。村を分断するように緩やかなうねりを描く川の存在がなければ、元の位置関係を思い出すのも難しかっただろう。あの夜を迎える前の景色を知っている俺たちはもちろん、初めてレルム村を訪れることになったモーリンやルウたちも言葉が出ずに立ち尽くした。
「ここがアメルたちのいた村……」
「見てみたかったわね、こうなる前に」
沈痛そうに目を伏せるモーリンに続いて、ルウがぽつりと呟いた。崩れ込んだ瓦礫で形を歪めながらも川はさらさらと陽の光を浴びて白く輝いているし、熱風に焦がされた森の木々も青々とした枝葉の先を風に揺らしている。だけど、そこに行き交う人の姿はない。村を囲む木立ちの一部は煤を浴びたように黒く枯れ果て、無言で佇む死者の影のようだった。
確かにいたはずの人間や家畜、あったはずの暮らしを忘れてしまったかのように、自然だけが穏やかに静まり返った村を包んでいる。痛々しいばかりの静寂に耐えきれなくなったように、黙り込んでいたアメルが声を震わせた。
「本当は、もっとのどかで緑が多くて、それに……」
涙交じりに言葉を詰まらせるアメルが何を言おうとしたか、分からないはずがなかった。ここにはもっと、大勢の人がいたのだ。アメルやロッカ、リューグと一緒に過ごしてきたレルム村の住民たち。聖女の噂を聞いて藁にも縋る思いで訪ねてきた、様々な年代の来訪者たち。幼い子供から歳を重ねた老人まで、山あいの小さな村にはとても収まりきらないくらいの大勢の人がひしめき合っていたのだ。あの晩、業火が全てを呑み込んでしまうまでは。
暫くの沈黙の後、でも汚れていません、とカイナが口を開いた。
「空気が、澄んでいます。恨みつらみの気配が感じられません。それだけのことがあった場所なのに、気が澱んでいないんです」
「フン。悪い気配がしないってのは分からなくもねぇ……見ろよ、アレ。ジジイがやったんだろうさ」
感嘆交じりの息をもらすカイナに、顎でしゃくるようにしてリューグが村の外れ近くを指し示した。促されるまま視線の先を移してみれば、赤茶けた土を丸く盛り上げた膨らみが無数に並んでいる。小さいのから大きいのまで様々だけど、どれも十字に組まれた棒が天辺に突き立てられているのは同じだ。そこまで見て取ったところで直感的に理解した。
あれはお墓だ。
見るからに急拵えの、有り合わせの品でどうにか作った様子の、大小様々なお墓と墓標の群れ。それを作ったのが誰か、そこに眠っているのが誰なのか、リューグが前もって教えてくれたのに咄嗟に信じられないような心地になったのは俺だけじゃなかった。
「あの爺さん、たった一人でこれだけの人数を弔ってやったってのかよ……」
痛々しげに顔を歪めて声を落としたフォルテに、隣にいたケイナが無言で目を伏せる。沈痛な面持ちのシャムロックやカザミネさん、やりきれないように咥えた煙草を噛み潰したレナードさんの反応も無理はなかった。あれだけの数の墓が整然と並んでいて、それをアグラ爺さんが一人で成し遂げたことが歴然としていても、俄には信じ難い思いでいっぱいだった。だってそれがどれだけの苦行だったのか、困難極まる取組みだったのか、あまりにも想像出来てしまったから。
あの晩、生き延びることが出来たのは俺たちとアグラ爺さんくらいで、殆どの人たちは訳も分からないまま炎に巻かれ、斬り捨てられた。聖女の噂を聞いて新たに訪ねてきた人がいたとしても、焼け落ちた村とそこら中に転がる虐殺の跡を目にしてわざわざ留まりはしなかっただろう。となると、あの夜を生き延びたアグラ爺さんはたった一人、誰の手を借りることなく亡くなった人たちを埋葬したことになる。いくら黒騎士相手にあれだけ奮戦したとはいえ少なくない傷を負っていただろうに、満身創痍の身体に鞭打って、自分の怪我も後回しに無理を押して。村中あちこちに折り重なった、目を覆いたくなるような無数の遺体を丁寧に、黙々と、最後の一人になるまで休むことなく弔い切ったのだと、目の前に広がる現実は無言のうちに物語っていた。俺たちですら容易にその光景が浮かんだのだから、アメルたちには尚更のこと、ありありと目に浮かんだのだろう。
「おじいさん……、あっ」
唇を噛み締めるアメルだったけど、その肩に止まっていたハトが急に飛び立ったことで声を上げた。大平原での戦いや森を抜ける間もアメルやロッカの肩を止まり木代わりに大人しくしていたハトが、いきなり木立ちの奥を目指して飛んで行く。記憶を頼りにアメルたちの家を探していたのも中断して慌てて駆け出した俺たちだったけど、どうやら初めから行き先は同じだったらしい。木立ちに分け入ってすぐ見覚えのある一軒家が前方に現れ、更にその裏手の森から出てきた人影へとハトが緩やかに降り立ったところで、いつの間にか歩調の緩み始めていた足が完全に止まった。
丸太のように太い腕、割ったばかりの薪の束を片手に抱えた筋骨隆々の姿は見間違えるはずもない。日に焼けた分厚い肩で悠々と羽根を繕い始めたハトへと目を落とし、ふと視線をこちらに投げやったその人物、アグラ爺さんの顔にもはっきりと驚きの色が浮かぶのが見えた。
「っ、近づいてはならぬ!」
おじいさん、と感極まった様子で駆け寄ろうとしたアメルを制止したのは、だけど他ならないアグラ爺さんの声だった。俺と目が合って、ロッカとリューグ、そしてアメルを見つけてはっと息を呑むのも一瞬、何かを悔やむように瞳を俯かせたアグラ爺さんは迷いを振り切るように顔を上げるなり叫んだ。
「おじいさんなどと……ワシにそう呼ばれる資格などないのだ。これから話すことを聞けば、なおさらな」
「えっ……」
「どういうことですか!?」
思いがけない言葉に面食らって棒立ちになったアメルに代わり、声を張り上げたのはロッカだ。咄嗟にアメルを庇うように前に出て、片手に下げていた槍の柄を固く握り締める。アグラ爺さんの放った意味深な言葉に、俺の背後でも不穏な緊張と警戒がさざ波のように広がっていくのが分かった。
「僕たちを呼び出しておいてその言葉はどういう……まるで、隠し事でもしていたような言い草じゃないですか……? まさか、おじいさん、貴方は」
最悪の想像が膨らんでいくにつれ、ロッカの口調も段々と語気荒く、問い詰めるようなそれへと変わっていく。けれどアグラ爺さんは一言も挟むことなく、神妙な面持ちで佇むばかりだ。どんな非難でも甘んじて受け入れるとでも言いたげな態度を受けて、一気に疑念が色濃く染まったのだろう。糾弾する声をぶつけようとしたロッカを押し留めたのは、意外なことにリューグだった。
「うるせえっ! 黙ってジジイの話を聞きやがれっ!!」
ぎり、と音が鳴るほど強く奥歯を噛みしめて、アグラ爺さんとロッカ、それから俺たちを鋭く睨み付けるなり、怒鳴るように言い放つ。
「まずはジジイに話をさせてやれ、クソ兄貴! それからだって何も遅くはねぇだろうが!? そこのテメエらもだ! この辺りに妙な奴らがいないことは分かってんだろ!?」
「なぜだ……どうしてお前はそんなことが言える!? このひとが何を隠していたか、まさか知っているとでも言うのか!?」
「そんなの俺だって知らねえよ、けどな!?」
怒り任せに片手で振り上げた斧の切っ先でアグラ爺さんを指し示しながら、リューグは真正面から挑み掛かるように俺たちを見た。その背後で瞠目するアグラ爺さんや唖然と目を見張るロッカに微塵も構わず、一切の躊躇なく力強く言い切る。
「この人間離れしたジジイが、こんな情けねえ面引っ提げてまで打ち明けようとしてることなんだ!? 端っから聞く耳ひとつも持たねえのは不義理が過ぎるってもんだろ、ええ!?」
「あたしからもお願い、ロッカ! ……まずは、おじいさんの話を聞きたいの……!」
「リューグ、それにアメルも……」
食って掛かるようなリューグの怒声、真剣な眼差しで訴えるアメルの言葉にたじろいだように声を揺らしたロッカの向こう、それまで岩のように黙り込んでいたアグラ爺さんの胸にも何か響くものがあったらしい。覚悟を決めたように深々と息を吐くと、俺たちと正対するように身体ごと向き直ってから重々しげに口を開いた。
「……ああ、ならば全てを話そう」
長話になる、茶くらいは出そう。
そう言って、ゆっくり踵を返して玄関扉を潜っていく背中を見つめていたアメルと一瞬、視線が交差する。その目に揺らいだ不安や動揺、緊張の色は決して勘違いなんかじゃなかったはずだけど、目を伏せての深呼吸ひとつの間にすっかり拭い去られてしまってもう見つからない。今はただ、決意と覚悟を秘めた明るい薄茶色が俺に微笑みかけている。
「さあ、マグナさん。行きましょう? 皆さんも」
場違いなほど朗らかな声で俺たちを促しながら、アメルは迷いのない足取りで一番に家へと足を踏み入れていく。すっかり先導される形でその後ろに続いた俺たちが向き合うことになったのは、アグラ爺さんがずっと胸の奥底に仕舞い込んでいた残酷な事実、アメルに嘘を吐くことになった始まりの物語だった。
「そう、だったんですね……」
今から十数年前に起きた出来事、ちょっとした昔話をアグラ爺さんが語り終えた後、しんと静まり返った部屋に落ちたのはたった一言。呆然としたようなアメルの声が、その場の皆の心情を代弁していた。
アグラ爺さんが小さなアメルを騙した嘘。両親のいないことで幼いアメルが寂しい顔をするのが辛くて、つい口にしてしまった優しい嘘。出来ることなら一生嘘だと気が付くことなく過ごして欲しかっただろう心からの祈りと願いが込められた嘘の正体は、アメルがアグラ爺さんの孫娘どころか血縁ですらもない、縁もゆかりも無い女の子だったということだ。
アメルに祖母はいなかった。アメルの祖母が暮らす村も存在しなかった。けれど嘘を吐くのにも一粒の真実を混ぜ込むように、アグラ爺さんが語ったことの何もかもが嘘というわけでもなかった。
アグラ爺さんも昔、悪魔の跋扈する禁忌の森へと入り込んだことがあるらしい。襲われるその瞬間まで封印された悪魔が潜む森と知らなかったこともあり、完全に不意を突かれた後は応戦どころか逃走すらもままならず、当時の仲間たちが次々と倒れていく中でアグラ爺さんだけがどうにかその場を生き延びた。けれど全身に傷を負って鬱蒼とした森をさ迷い歩くうちに精も根も尽き果てて、ついに倒れ込みそうになったその時、信じられない物を見つけたのだと言う。
それは赤ん坊だった。残忍で凶悪な悪魔ばかりがうろつく人里離れた森の奥深く、信じられないことに生まれて間もない赤ん坊が一人、木の葉の山に包まれるように眠っていた。安らかな寝顔を浮かべて穏やかな寝息を立てて、すやすやと眠っていた小さな小さな女の子。それがアメルだったのだと、懺悔でもするように声を絞り出したアグラ爺さんは深く目を伏せ、項垂れた。
「これが、ワシがずっとお前に隠しておったことじゃ。今更、こんな形でしか告げられなかったことを許してくれ……」
すまなかった、と静かに頭を下げるアグラ爺さんに、俺は何も言えなかった。思いがけない出生の秘密を打ち明けられて、アメルが今、どんな気持ちでいるのか。これまで育ててくれたアグラ爺さんが血の繋がりもない他人で、本当の親の手掛かりなんか欠片もなくて、それがどれだけショックなことかは想像出来てしまうから、掛ける言葉が見つからなかった。ロッカやリューグも、まさかこんな話が隠されているとは思いもしなかったのだろう。アメルに声を掛けるどころか視線をやることすらままならず、予想外の動揺と驚愕を持て余してその場に立ち尽くしてしまっている。
誰もが声を失う中、ふっと息を吐くような笑い声がかすかに聞こえたことに俺は思わず顔を上げて、だからこそ唖然と目を見張っていた。穏やかな笑みを浮かべたアメルが、そこにいた。
「顔を上げてください、おじいさん。あたしに謝る必要なんてないんだから」
落ち着いた声だった。驚愕に染まった視線を一身に受けて、けれどアメルは揺らがない。迷わない。投げやりになるでも悲嘆に暮れるでもなく、躊躇うアグラ爺さんへと優しく目を合わせて、慈愛に満ちた瞳で優しく、噛んで締めるように告げた。
「嘘でも、嘘を吐いててもね……それでよかったってあたしには思えます。だってそのおかげで、あたしは今までずっと幸せに暮らせたんだもの」
ねぇ、おじいさん、とアメルは呼び掛ける。愛しい家族を見つめる瞳は深い愛情に満ちて、穏やかな声色で感謝の言葉を綴る背中はしなやかに伸びている。若木のように真っ直ぐに、大切な家族のアグラ爺さんを見つめて、愛されて育った孫娘のアメルは幸せそうに微笑みかける。
「あたしのことを見つけてくれてありがとう。育ててくれて本当にありがとう。……あたし、感謝しています」
柔らかな笑みで心底の感謝を告げたアメルに、こぼれ落ちそうなほど目を見開いていたアグラ爺さんがやがて、眉間に皺が寄るほどきつく目をつぶった。何かを堪えるように、何かを飲み込むように、口を真一文字に引き結んで耐えていたアグラ爺さんの目尻がじわりと濡れて、アメル、と掠れ切った声がこぼれ落ちる。その声に引き寄せられるようにアメルの手が伸びて、アグラ爺さんの胸へと飛び込んでいけば、互いを労わり合うようにしっかりと抱きしめ合うのはすぐだった。余計な言葉は要らない二人の様子に俺たちは誰からともなく表情を和らげると、目配せを交わし合ってそっと部屋を退出するのだった。
「それにしても、あの爺様にはまだ隠し事があるようだな」
家を囲む木立ちの陰で、新しい煙草に火を付けながらレナードさんがぼやいたそれこそが次の問題だった。
アメルとアグラ爺さんが無事再会出来たのは文句なしに良かったと思うけど、さっきの話には山ほど不可解な点がある。アメルの出生の話からズレてしまうから細かいところを省いたり一部伏せたりしたんだろうけど、それだけでは到底済ませられない奇妙な点がいくつも転がっていた。
まず、アグラ爺さんは仲間たちと禁忌の森に入ったそうだけど、あそこは偶然迷い込めるような場所じゃない。近隣に村はなく街道からも大きく外れた、地図にも記されていない森だ。たまたま近くまで踏み入ったとしても、森の外周にぐるりと張られた結界に阻まれて、普通じゃ中に入り込むことも出来ずに終わることを俺たちは身を以て知っている。
あの時、何に反応して結界が壊れるまでに至ったのか。その理由も未だにはっきりしないけど、それならアグラ爺さんたちは一体どんな目的があって、どんな方法を使って、あの森に入ったんだろう?
ぱっと俺が思い付くだけでもこれだけの疑問が浮かぶんだから、頭のいいネスが眉間に深い皺を刻んで考え込んでしまうのも無理はない。皆して難しい顔をして悩み始めそうになったところで、いいじゃねーか、と軽い口調のフォルテがあっけらかんと言った。
「ひとまずのところは片付いたんだ。気になることは後で直接じいさんに聞いてみりゃいい、だろ?」
「とにかく、今は待ちましょう。彼女がおじいさんの心と身体に受けた傷を癒し終わるまでは」
口角をちょっと上げて笑うフォルテに穏やかな表情のシャムロックが頷き、言葉を引き取った。確かにあの様子だと今更説明を拒むようには思えないし、ここでいくら頭を悩ませたって推測止まりでしかない。疑問や憶測は一旦保留にして、ひとまず今夜の夕飯や寝床の準備でもしておく方が無難だろうとネスも同意を返したことで話はあっさりまとまった。
「いくら彼女の力が成長したと言っても、深い傷や時間の経った怪我を治すには相応の時間が掛かる。夜が更けてから……あるいは明日に話を持ち越すことになる可能性も見た方がいいな」
込み入った話になることは分かりきっているのだから、集中して話に臨めるように食料も薪も余裕を持って集めておくに越したことはない。余ったなら活用して貰えばいいのだから、とネスが付け足した言葉にロッカやリューグが表情を和らげるのが見えて、緩みそうになる頬を引き締めながら俺も大きく頷いたのだった。
森や川での食料調達、煮炊きや暖炉に焚べる薪の準備に寝泊まりする部屋の掃除。誰にどんな仕事を振るかでネスやフォルテと少し話をして、それぞれ目的の場所へと散っていく皆を横目に俺も早速、森へ行こうとして思い出すことがあった。
「……そうだ、リューグ!」
俺より随分先を歩いているリューグとロッカはもう川を越えて、低木や草花の生い茂る森沿いの林にまで踏み込んだところだった。俺の声に同時に振り返った二人の手には、歩きながら作っていたんだろう蔓や木の枝を組み合わせた括り罠のような物が見える。そういえば山の方まで行って獣を狙うとか言ってたな、と感心交じりに思い返しながら急いで駆け寄った俺は、怪訝そうな顔をするリューグの前で足を止めた。上がった息を整えている間に近くの林からやってきたモーリンが僅かに目を見張ったけど、どうやら俺と同じ考えだったらしい。躊躇いがちに窺ってくる瞳に軽く頷き返して、足先ごとリューグに向き直った俺は苦笑に目尻を下げた。
「さっきはごめんな。リューグがああ言ってくれなかったら俺たち、中々警戒を解けずにいたかもだよ」
「マグナに乗っかるみたいでなんだけど、アタイも変に構えちまってさ……正直、アンタの一喝がなかったらって思うと恥ずかしいよ。本当にすまないね」
アグラ爺さんへの疑念がじわじわと増していったさっき、場の空気ごと吹き飛ばすようなリューグの一喝がなければもっと後味の悪い思いをする羽目になっていただろう。無理矢理にでも舵を切って話の流れを変えてくれたリューグに申し訳なさと感謝の念を覚えていたのはモーリンもだったようで、すまなそうに声と肩を落としている。そんな俺たちに、手近な木の幹にどっかりと背中を預けて話を聞いていたリューグは呆れたように短く鼻を鳴らした。リューグ、と窘めるようなロッカの声を気にもせず、じろりと横目でこちらを見る。
「ハッ、んなの当然だろうが。あんな素性も得体も知れねえジジイ、疑わない方が不自然ってモンだ。……あの黒騎士相手に単身突っ込んで無事だった時点で気が付いた奴もいたんじゃねえか? こんな片田舎の小さな村にいるには、あまりにも不自然な強さのジジイだってな」
「リューグ……お前、まさか最初から……?」
冷めた眼差しのまま淡々と、いっそ落ち着き払った様子で言い捨てたリューグに驚いたのはロッカの方だった。愕然とした表情で見つめるばかりのロッカを一瞥して、リューグは再び鼻を鳴らす。
きっと、アグラ爺さんがわざわざハトを使ってまで自分たちを呼び出してきた時点で、リューグは考えていたんだろう。アグラ爺さんが何を考えているのか、何のために自分たちを呼び寄せようとしてるのか、そこに敵と通じている可能性はあるのか、確かなことがあるとしたらそれは何か。
少なくともアグラ爺さんがアメルを傷つけることだけはないと確信があったから、レルム村に向かうことを止めなかったのだろう。リューグ自身が抱く疑念や不信なんて瑣末事でしかないと割り切って、アメルのために村に向かう判断が出来るのがリューグだった。むっつりと不機嫌そうに口を引き結んだその表情を眺めているうちに思い出したのは、昨晩聞いたばかりのシャムロックの言葉だ。
「一騎打ちをした時にも感じたんだが、黒騎士の戦い方というのは圧倒的な斬撃の速さとその重みを活かした、荒々しい剣だった。訓練を摘んだ私でさえ受けるのが難しいそれを凌ぎ切ってしまうとは……まぐれでも怒りに任せただけの素人に出来ることじゃない。つまり、そのご老人は……」
村に赴く前にとフォルテからアグラ爺さんの人となりやアメルたちとの関係を聞かされていたシャムロックだけど、話があの夜の一幕に差し掛かったところで驚愕に目を見張り、少しの間を置いてから静かな口調で呟いた。少なくとも、素人ではない。そんな含みのある物言いに混ぜっ返すような真似もせず目を細めて口を結んだフォルテも、同じ推測、そして結論に達していたのだろう。
そもそも、村の自警団の人たちに戦い方を教えたのはアグラ爺さんだったと聞いたことがある。ロッカやリューグが武具の扱いや手解きを受けたのもアグラ爺さんだったそうだし、単純に考えるだけでも槍に斧、長剣や片手剣の類を難なく扱えて全くの素人にも教えられるくらい精通した武人だったと言うことになる。身近な相手がとんでもない武術の使い手だと薄々勘付いていた様子のリューグだけど、この言い草だと随分と昔、もう何年も前から気が付いていたんじゃないだろうか?
俺がそれに思い至ったのと同じくして、ロッカも同じ考えに辿り着いてしまったらしい。言葉も出ずにいた口から掠れた笑い声をこぼして、やり切れないように片手で目元を覆いながら大きく項垂れた。
「一体、いつからそのことに気が付いて……まさか、何も気が付いていなかったのは僕だけだったのか? はは、自分が馬鹿馬鹿しくなってくるな……」
ああくそ、と前髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜながら吐き捨てるロッカに、俺もモーリンも掛ける言葉を持たなかった。リューグだけがこれまでアグラ爺さんと一線を引くような態度でいた理由がそこにあるなら、それこそ余計な口は挟めない。どうして、とロッカは思っているのだろうが、根拠のない想像でアメルやロッカまで不安にさせたくなかったリューグの気持ちもよく分かるから、俺たちは何も言うことが出来なかった。
「そうだな、アンタは見ているようで何も見ちゃいなかった。アメルのことだってな」
だけど、リューグは容赦なかった。相変わらずの冷え冷えとした目でロッカを見ながらおもむろに背中を起こすと、臆面もなくそんなふうに言ってのけた。切って捨てるような物言いとあまりに肝の据わった態度に呑まれて、咄嗟に向けられた言葉の意味を理解出来なかったのだろう。ぽかんと口を開けていたロッカの目が見る間に険しさを帯びていくのが分かった。
「……なに?」
一拍の間を置いて、不愉快さの滲む声色が呟いた。息が詰まりそうな刺々しい緊張が場に漂い始めるも、そんな空気を物ともせずに正面からロッカを見据えたリューグは迷うことなく口を開く。
「アンタが見ていなかったのはジジイだけじゃねえ。……本当は、気が付いてんじゃねえか? あの夜、村を出てからアメルはどんどん変わっていった。強くなっていった。こいつらを頼ったのは成り行きだったけどよ、もう俺たちに守られるだけの小さいアメルなんてどこにもいねえんだ。辛い現実やジジイの秘密から無理矢理遠ざけて、守ってやらなきゃいけないような弱い女じゃねえんだよ」
その目は真っ直ぐ、逸らされることなくロッカを見つめていた。向けられる苛烈な視線を一歩も引かずに受け止めて、怯むどころか全身全霊で挑み掛かるかのように強い眼差しを返している。いつもの憎まれ口や減らず口、意地や虚勢を張っているわけじゃない。そんな軽い話じゃなく、本気の覚悟を持ってリューグはこの話をロッカに投げ掛けているんだと、やっと理解が追い付いた。そうして目を凝らして見れば、冷え切ったような茶色の瞳の奥には、届いて欲しい理解して欲しいと必死に祈るような情動が覗いている。
「守ってやらなきゃいけないなんて、思い上がりでしかないんだよ。アンタは昔からそうだ、一人で全部背負い込んでるような顔しやがって。そういうところがずっと気に食わなかったしムカついてたまらなかった。やらかしの原因も責任も全部アンタにあるみたいな顔してよ……あの鳥のことだってそうだ。傷ついたのも悔やんだのもアンタだけじゃねえ、みすみす死なせちまった責任は俺にだってアメルにだってあった、それを勝手に全部アンタのせいにしちまって……俺らにはそんな資格もねえって言いたいのか!?」
「そんな、つもりは」
吐き出される言葉に熱がこもっていくにつれ、段々、俺にも見えてきた。
リューグはずっと、怒っていたのだ。
ロッカの中で一方的に守られる側でしかなかった自分たちの扱いに、その背中にいつも庇われ続けてきた現状に、不満を感じて不服を覚えて仕方がなかったからこうして声を荒げている。所詮自分たちは庇護する相手でしかないのか、隣に立って戦う権利すらないのかと問い詰めるような眼差しを突き付けるリューグの顔には、複雑な感情が幾重にも折り重なって見えた。苦しくて悲しくて悔しくて腹が立って、認めることも受け入れることもしたくなくて、だから全力でその思い込みに抗おうとしている。今の自分は、アメルはもう、守られなければいけないような小さな子供ではないのだと、しきりに訴える声には必死さが滲んでいる。そんなリューグを前に混乱半ばに立ち尽くしているロッカには悪いけど、俺にはリューグの言いたいことが分かるような気がした。
だって、俺から見てもアメルは本当に強くなった。自分の気持ちを言葉にして伝える勇気を手に入れた。アメル自身がそうすべきと思ったことを行動に移せるだけの意志の強さを身に着けた。今のアメルはもう自分の気持ちに蓋をして飲み込んだり、周りの顔色を窺って何かを決めたりすることはないだろう。自分の気持ちを口にすることで誰かを傷つけたり迷惑を掛けたりするかもしれなくても、それを理由に自分を誤魔化したり偽ったりしていたら何も掴めはしないと知ったから。
自分の頭で考えて、自分の心で決めて、目の前の現実から逃げずに向き合っていく。
それは言葉にするよりずっと難しくて大変なことだけど、目まぐるしく変わっていく状況に振り回され翻弄され続ける中で、それでもアメルは少しずつ強くなっていった。足元を見失うことなく、二本の足でしっかり地面を踏みしめて、俺たちと一緒にここまでの旅を走り抜けてきた。守られるだけの聖女じゃない、アメルはいつだって対等な仲間の一員だった。
「アンタから見た俺たちはそんなにも頼りないか? 今もそんなに弱っちく映ってんのか? もしそうだってんなら……いつまで馬鹿にしてやがるっ!! いい加減、その目をかっぴらいてよく見やがれっ! 頭の中にいる俺やアメルじゃねえ、今の俺たちを見てみろよっ!?」
怒鳴るように訴えかける声はひどく震えていた。だけど、ロッカもまるで頬を張られたように目を見張って、呆然とリューグを見つめ返した。さっきの鳥の話が何なのか、俺は知らないけれど、その話題に入ってから目に見えて動揺し始めたロッカにとって最後の一押しになったらしい。衝撃を受けたように震えを帯びていた唇から、ああ、と脱力しきった声が滑り落ちた。
「……そうか。僕はずっとお前たちを言い訳にして、勝手に一人で戦ってる気になっていたのかもしれないな……」
自分の外に理由を探して、都合のいい正しさを組み立てて、荒々しい衝動や綺麗とは呼べない感情をそれらしく見栄えのする言葉で飾って誤魔化して。
そうやって思い描いた自分を演じるのは誰だって多少なりともしているけれど、それが自覚的な振舞いかどうかで無理の度合いも大きく変わってくる。ひょっとすると、リューグはそれも危惧していたのかもしれない。ロッカがこれ以上の自責の念に苛まれないよう、少しでも背負っている荷物を分け合って欲しかったのかもしれない。身内である自分たちにまで、真っ当で正しい姿ばかりを見せようとしないで欲しかったのかもしれない。
本当はただ、そうしたかったからだけなのに。
目が覚めたように呟いたロッカに、今頃気づいたのかよクソ兄貴、とリューグが合いの手のような憎まれ口を叩いて、モーリンがぷっと吹き出すように笑った。
「ったく、アンタもつくづく素直じゃないねぇ」
「うるせえな……放っとけよ」
ようやく緩み始めた場の空気に気の抜けた声でぼやいたリューグは一瞬、泣き出しそうに顔を歪めたけれど、ぐっと唇を引き結んで怒ったような仏頂面を浮かべ直した。
「大事なものを理不尽に奪われたら、そりゃ腹が立つし、許せねえって気持ちになる。相手のことも自分のこともな。……だがよ、そんなの俺だって同じだ。歯痒いのも悔しいのも情けねえのもアンタと何も変わらねえ。全部が全部、アンタばかりの責任じゃねえんだよ。だから……二度と勝手に他人の荷物を奪ってくれてんじゃねえよ、クソ兄貴」
「……そうだな。もう子供じゃないのはお前もアメルもだったのに。……僕はずっと、目を閉じていたんだな」
しがらみに囚われていたのはアグラ爺さんだけじゃなく、皆が同じだった。それでも一歩踏み出す勇気を持ったアメルのように、これまでの旅の間でも少しずつ影響を受け合って何かが変わり始めていたんだろう。アメルの意志に触発されてリューグが行動に出たように、一見何も変わっていないように見えても着実に少しずつ、過去を振り切って歩き出そうとするだけの強さを育んでいたのだ。そうして辿り着くことの出来た光景がここにある。すまなかった、ありがとう、と穏やかな表情を浮かべたロッカがリューグに向かって告げる姿に、俺の浮かべる表情も自然と和らいでいた。
事前に想定したとおり、その晩はレルム村に泊まることになった。
アグラ爺さんはやっぱり相当に無理をして動いていたみたいで、アメルの力でも一度ではとても治しきれないような酷い状態だったらしい。黒騎士たちとの攻防で付いた傷はともかく、十分な休息も取らずにひたすら亡くなった人たちのお墓を作り続けていたことが身体に響いているようだと、部屋から出てきたアメルは物憂げな表情で告げた。
「心と密接に絡んだ傷は普通より治りにくいって分かってたんですけど、想像してた以上で……全員が知り合いみたいな小さな村でしたからお墓を作る間もずっと、苦しみや悲しみを無理に堪えていたからなんでしょうけど。……身体の奥にまで染み込んだ疲れや痛みはまだ全然、癒せていないんです」
一気に癒しの力を注いだりすれば反動があるかもしれないから、時間を掛けて少しずつ癒したい。そのために一晩時間が欲しいのだと申し訳なさそうに頼んできたアメルに俺たちは二つ返事で快諾した。長話になることは明らかだし、アグラ爺さんには少しでも元気になっておいて欲しい。話をするのが明日以降に繰り下がるかもしれないことはネスの指摘で覚悟していたし、どうせ次の目的地のぜラムまで半日足らずでしかない距離だ。十分余裕はあるのだし、と少しでもアメルの気が楽になるように笑い交じりに返せば、ちょっと眉を下げた困り笑いのような顔でアメルは小さく頷き返してくれた。
「無理もないよな。じいさんのこと、ずっと心配してたみたいだし」
「積もる話もあるだろうしな。一晩くらいは構うまいよ。むしろ、腰を据えて話をしたいこちらとしては彼に万全の体調になって貰った方が何かと都合がいいのは確かだ」
淡々とした口調で返してきたネスだけど、俺は思わずフォルテと目を交わし合ってにやりとした笑みを浮かべた。素っ気無い口振りと動きの少ない表情のせいで分かりにくくはあるけれど、ネスが優しいのは今じゃ仲間の誰もが知るところだ。積もる話があるのはアメルだけじゃなく、ロッカやリューグだって変わらない。それらしい建前を掲げて、アメルたちに家族水入らずで過ごす時間を少しでもあげようとしてくれるネスに頬が緩むのを我慢しきれずにいれば、追加の薪を暖炉脇に積み上げていたフォルテが高い口笛を吹きならしてネスを軽く肘でつついた。
「優しいじゃねえか、ネスティ?今晩は爺さんたちに昔話をする機会をくれたってことだろ?」
「別に、僕は」
「あら、ネスティは普段から親切よ? 分からないことを聞いてもきちんと教えてくれるし」
「ああ、こっちの世界じゃ常識に当たることでも分かりやすく噛み砕いて説明してくれるしな。その節は俺様も随分世話になったぜ?」
ネスは誤魔化したかったみたいだけど、その声に目敏く反応したのはミニスとレナードさんだ。植物の蔓で編まれた籠からキノコを取り出しながら声を上げたミニスの傍ら、木製の踏み台を椅子代わりに芋の皮剥きをしていたレナードさんが目尻を緩めて軽い相槌を打つ。援護射撃というより墓穴を掘り進めるばかりでしかない証言をしてくれた二人に苦々しい顔を向けるネスだけど、へえ、とフォルテは意味深な声をこぼして、ますます浮かべる笑みを深めた。居心地悪そうに明後日の方向へと視線を逃がすネスだけど、暖炉のある居間から台所まで一続きになっているこの家じゃ、わざわざ盗み聞きなんてしなくても勝手に皆の話が飛び込んでくるものだ。カイナと仲良く台所に並んで葉野菜や根菜の泥を落としていたケイナも一部始終を眺めていたようで、そうね、と微笑ましそうに同意を返した。
「ネスティはいつも他人のことをよく見ているし。さりげない気配りも上手くって、本当に参考になるわ」
「あら、そうなんですね? さすがは姉さまのお仲間です。素晴らしい心構えの方が多くて私もつくづく感心してしまいました」
「……っ、マグナ! 君も笑ってばかりいないで少しは……!」
「あはは。それじゃ俺はもう少し、薪でも拾ってこようかな?」
カイナまで感嘆の溜め息をこぼしたことに気恥ずかしさを耐えきれなくなったネスが叫ぶけれど、俺は聞こえない振りをしてさっさと逃げ出すことにした。四方八方から慣れない褒め言葉を浴びて助けを求めたくなる気持ちは分からなくもないけど、たまにはネスだってこんな目に遭っていいはずだ。おかしくてたまらないような、微笑ましくて仕方がないような、そんな気持ちにくすぐられるまま勝手に頬が緩んでしまうのを感じながら部屋を後にした俺は、一歩外に出たところで表情を引き締め、静かに息を吐き出した。
山の端を赤々とした夕日が染めている。頬を撫でる風にも冷たさが混じり始めた。もう少しして本格的に日が沈めば、周囲に人気のない村はインク壺でも倒したような真っ暗闇に包み込まれるだろう。だけど今ならまだ、少しの猶予があるはずだ。
薪を拾うのを言い訳にして俺が足を運んだ先は村外れの一角、真っ赤な夕日を浴びて無言で立ち並ぶ無数の墓と墓標の前だった。
それが遠目に見え始めた辺りで歩みを緩めて、目前に達したところで立ち止まった俺は、赤茶けた土饅頭と十字に組まれた枝を見つめて手を合わせ、目を閉じるまま静かに思い馳せる。それこそがここに足を運んだ目的だったのだと誰へともなく主張するように、固く目をつぶって思い浮かべるのは俺たちが再会するまでのアグラ爺さんのこと、彼が過ごしてきただろう日々のことだった。
生き残ってからの毎日を、アグラ爺さんは死者を弔うことに費やし続けたのだろう。俺たちが旅を続けている間、一人きりで誰もいなくなったこの村を守り続けていたのだろう。それは言葉で言うほど簡単なことじゃない。一村民としてレルム村への思い入れや義務感があったとしても、見知った顔ばかりの遺体を埋葬し続ける日々は途方もなく精神を削っていくものだったはずだ。同情や憐憫、優しさだけで最後まで成し遂げられるものじゃない。それだけのことが当たり前のように出来てしまった時点で、アグラ爺さんにはまだ隠していることがある。それがささやかな秘密なんかであるはずがないことくらい、誰もが密かに気が付いていた。
アメルが赤ん坊だった頃から今までずっと、黙っていたことだ。アグラ爺さんにとってそれだけ話し難いことなのは重々承知の上で、それでも俺たちはどうしても聞かなきゃならない。デグレアがアメルを狙う理由、その目的を突き止めるためには、過去に何があったのかを知っておかなくては話にすらならないからだ。
派閥の人間ですら知らない禁忌の森の場所をどうやって知って、どんな手段で持って入り込んだのか。アグラ爺さんが頑なに伏せてきた秘密には、一体どれほど重い真実が眠っていると言うのか。
それを知ることへの恐ろしさがないとは言えないけれど、僅かにでも前に進む手掛かりがあるのなら迷う余地なんてない。全くの手探りでもほんの少しずつでも本当のことを知っていきたいから、それが出来るのは今を生きている俺たちでしかないから、初めから何もせずに退くことだけはしたくなかった。そもそも、この期に及んであっさり投げ出せるような性分だったら、ここまでの旅のどこかできっと躓いていたはずだ。諦めが悪いのはお互い様な仲間たちの顔を思い浮かべて口元を緩ませながら、自然と振り返っていたのは数時間前のロッカとリューグとの遣り取りだ。
「傷を負ったあの人をこの村へと連れてきて面倒を見たのが、夫婦で行商をしていた僕たちの両親なんです。赤ん坊だった僕には当時のことは記憶にないんですが」
「それが縁になって、両親が他界してからは一緒に暮らすことになったんだよ。アメルが本当の孫娘じゃないって話までは流石に知らなかったけどな」
山菜やキノコ、果物だとかの自然の恵みを期待出来るし、村の人が世話していた菜園や家畜小屋が見つかるかもしれないのもあって森に割いた人手はそこそこ多かったけど、不思議と他の仲間に会うこともなく俺は二人との会話を楽しんだ。山の方まで踏み込んだのは流石に俺たちだけだったのかもしれないが、結果としてこれまで話せなかったような打ち明け話も出来たのは大きな収穫だった。罠に掛かったウサギや野鳥を手早く処理しながらでも二人の声は落ち着いていて、心なし普段より肩の力を抜いて話せているようだった。
「汚れを落とすだけなら村に戻ってからでもいいんだけどよ、女子供にゃこれでも刺激が強いだろ」
「アメルに限っては十分過ぎるほど慣れてるけどな」
一跨ぎで越えられそうな細い沢に獲物を浸して冷やしつつ、刃物や手足に付いた血を洗い流していたリューグがこぼせば、罠の始末をしていたロッカが苦笑交じりに返す。ミニスたちを気遣って優しい苦笑を滲ませた顔が本当にそっくりで、やっぱり二人は双子なんだなと微笑ましく思っていると、ふと柔らかい目をしたロッカが俺を振り仰いだ。
「マグナさん。今夜は思い切って、おじいさんに何もかも聞いてみます。……今の僕たちなら、あの人が抱えてきたものを横から支えるくらいは出来るはずだから」
本人に語るつもりがないなら無理に詮索する気はなかったけど、と清々しさすら滲ませて言ったロッカに、俺は笑みを浮かべて頷いた。どんな事実が出てきたとしても今のロッカたちなら大丈夫だろう。本心からそう思った。そしてそれは、俺たちだって変わらない。
ゆっくりと目を開き、合わせていた手を離した俺は顔を上げて、無言で口を引き結んだ。アグラ爺さんの語る過去にどんなに恐ろしい真実が隠されていたとしても、今の俺たちならきっと乗り越えられるはずだ。ただ打ちのめされて心を打ち砕かれるまま、足を止めたりはしないだろう確信があった。一人じゃ心折れるような現実でも、互いに支え合って助け合ってここまで乗り切ってきたのが俺たちなんだから。どれだけ絶望的な真実が待っていようと、これまでどおり、最後の最後まで諦めずに食らいついて行くだけだ。
また来よう、と声には出さず呟いて踵を返した俺は、夕日の残照に導かれるように道なき道を歩き出す。夜の気配がひたひたと迫り始める村だった場所を早足で通り過ぎながら、同じ不安を抱いているだろう皆のことに、気が付けばぼんやりと思いを巡らせていた。
そんなふうに漠然と皆のことを心配していた俺だけど、想像を裏切って、夕飯を終えた後の居間に満ちているのは喧騒に近い賑やかさだった。明日の予定を話して早々にアグラ爺さんの私室に移ったアメルとロッカ、リューグの姿こそないけれど、皆それぞれ武器の手入れやサモナイト石の確認をしながら様々な話題で盛り上がっている。部屋のあちこちに数人ずつ固まって、効果的な戦い方や敵への対策について熱心に言葉を交わしている表情はどれも活き活きしていて、さっきまでの心配はそれこそ杞憂でしかなかったと悟らざるを得なかった。アグラ爺さんに話を聞く前に皆も、覚悟を決める時間が欲しいだろうと考えていたけれど、俺が思っているよりずっと皆の方が強かったらしい。少しでも出来ることを増やそうと、次の戦いに向けた意見や考えを次から次へと出し合っている様子が何だかひどく眩しくって、自然と目を細めてしまいながら聞こえてくる話に耳をそばだてた。
「あ、光った! フォルテはメイトルパの適性があるみたいね」
壁に背中を預けて胡座をかいているフォルテの前、その手元を覗き込むようにしてミニスが声を弾ませた。やっぱ召喚術ってのは大したもんだな、と昼間の戦いを振り返ってフォルテとレナードさんが話していたのを聞きつけたミニスが、あら興味があるの、と交ざりに行ったことが発端で、急遽初心者向けの召喚術講座が始まったようだけど、どうやらミニス立ち会いのもとフォルテに握らせた未誓約のサモナイト石が反応したらしい。一緒に生徒役をしていたレナードさん、付き添いのシャムロックもしげしげと覗き込む先、フォルテの手のひらにある緑色のサモナイト石は木漏れ日のような淡い輝きを纏っていた。
「うーむむ……つっても、魔力の通し方ってのがイマイチ掴めねえんだよな? 気合いを込めりゃいいのかと思ったがどうも違うようだし」
「そんな簡単に使われちゃ私たちの立場がないわよ。相手だって意志ある存在なんだし、魔力の通し方が分かったからってすぐ呼び出せたりはしないからね?」
呆れた調子で念を押すミニスに、そう易々とは行かねえか、と頭をかくフォルテだったけど、でも、と真面目な声色に変わったミニスに釣られたように視線を上げた。
「どのみち召喚師ほどの威力は出ないんだし、最初から割り切って使っちゃうんでもいいんじゃない? 相手を直接攻撃する術じゃなくて、状態異常の回復とか障害物の設置とか……」
「ほーん? なるほどねぇ……ところでひとつ思い付いたんだが、それで行くと意志を持たない相手の召喚、ほら、岩だか隕石の欠片だとかを呼び出す術なら……話は違ってくるってことか?」
レナードさんが持っていた透明なサモナイト石を横からひょいと摘み上げて尋ねたフォルテに、ミニスがはっとしたように目を見張る。一緒に説明を受けていたシャムロックはフォルテがまた何を仕出かすつもりかと不安半分の面持ちだけど、レナードさんはフォルテの呟きに通じるところを感じたらしい。喉の奥で押し殺すようにして笑うと、弱々しくもかすかな光がよぎった黒や赤のサモナイト石を一箇所にまとめながらフォルテを一瞥した。
「そう都合よく銀の玉なんてあるわきゃないが、使い方次第じゃ何がワイルドカードに化けるかもしれねーしな? しっかしお前さん、随分と贅沢な目眩ましを考えるもんさな」
「いやはや、旦那にはすっかりお見透しだったか。ま、使える手はいくらあったって困るもんじゃなしってね」
飄々とした顔で嘯いてみせるフォルテに、俺は込み上げてきた笑いの波をどうにか飲み込んで隣のネスを窺った。俺たちが着実に強くなっている一方で、後のないイオスたちも躍起になって戦力を注ぎ込んできている今、対抗するための手段はいくらあっても足りないくらいだ。その気持ちはよく分かるけど、と苦笑交じりに声を潜めて囁いた。
「ネス。いいのか、アレ?」
「いいか、マグナ。多少横道に逸れてしまってはいるが、僕らも見聞の旅という任務の最中、つまり奴らの横槍を受けて已む無く足止めされている状況なんだ。降りかかる火の粉は払って当然、奴らに対抗するために極々身内に限って召喚術の手解きをすることは緊急避難の一環でしかない。つまり何ら派閥の規定に背くものではない、だろう?」
生兵法は大怪我の基、中途半端な知識や技術に頼るような真似はするなと、いつだか俺を散々叱りつけたことなんて記憶にないような顔をして、ネスはしれっと言い切った。いくらか回りくどい言い方だったけど、すぐそこで繰り広げられているフォルテたちの遣り取りを堂々見て見ぬ振りするつもりだということは眼差しの柔らかさを見るまでもなく分かる。そんなにも信頼出来る仲間たちと巡り会えた幸運に胸の奥がじんわりと温まっていくけれど、それにしたって今の発言は派閥に属する召喚師としては信じられないものだったはずだ。涼しい顔をして目の前に広げたサモナイト石を検めているネスだけど、旅に出る前のネスからしたらとんでもないことを言っている自覚は多分、あるんだろうなぁ。
それを声に出さないだけの分別があった俺は、代わりに顔中を緩み切った笑みに崩した。あまりにネスらしくない対応に吹き出しそうになるのは堪えたけれど、頬の内側を噛んだところで肩が揺れるのまでは誤魔化しきれずに、逃げるように手元のサモナイト石へと視線を落とす。色取り取りの輝きを放つ誓約済みの石の中からひとつ、さっき新たに誓約を結んだばかりの召喚獣と通じるサモナイト石を指先に摘みながら思ったのは、随分変わったということだ。
ネスもミニスも、前までなら召喚術を他人に教えるなんて絶対いい顔をしなかったはずなのに。
この旅に出てから俺も相当変わった自覚があるけれど、ネスたちだってびっくりするほど変わったんだと今更のように思った。知らずにいた一面をまたひとつ知るのことの出来た驚きと嬉しさに、目の前に掲げたサモナイト石の向こう側を透かし見るようにしながら緩んだ声で呟いてしまう。
「なんていうか、随分遠くに来たもんだよな。ネスも俺も派閥にいた頃は、ここまで難しい術なんて使えなかったのにさ」
それこそネスの言う、必要に迫られて、というヤツだろうか。アメルを付け狙う黒の旅団や容赦なく命を狙ってくる敵に抗うためには持てる力の全てを尽くして必死になるしかなかったけれど、無我夢中でいくつもの死線や窮地を掻い潜っていく間に召喚術の腕前も召喚師としての練度も格段に上がっていた。さっきもパッフェルさんの見つけた壺だとかを媒介にしていくつか誓約を結んでみたけれど、授業でも教わっていないような強力な召喚獣との誓約を果たしたサモナイト石がこんなにも手元にあるのは何だか不思議な気分だ。ゆらゆらと熾火が揺れるような赤を宿したサモナイト石からは魔力を通さなくても肌がピリつくような威圧感と鬼の気配が滲んでいるし、ネスの手に収まっている黒々としたサモナイト石からも背筋が引き締まるような重厚な存在感が漂っている。旅に出たばかりの頃はロックマテリアル頼みだったのが、いつの間にか適性が増えていったこともあり、戦闘でも当たり前のように複数属性を使いこなすようになったけれど、派閥にいた頃の俺がそんなことを聞かされても絶対信じなかったに違いない。
「そう言えば驚いたよ、アメルが召喚術を使うなんてさ。しかもサプレスの悪魔の力を借りる術なんて。あれ、教えたのはネスとルウなのか?」
何事も用心するに越したことはないしと、ダークブリンガーの誓約石をもうひとつ作っておこうと透明なサモナイト石を探しながら話を振れば、椅子の向こうからひょっこり顔を覗かせたルウが答えた。
「そうよ。ネスティの発案なんだけどね、戦いが避けられない以上は少しでも身を守る術が不可欠だ、実際に使わずとも対抗手段があるとないとでは天地ほどの差があるのだから……ってね?」
カイナたちと秘伝の技法や儀式のことで話していたのを抜けてきたのか、空いた椅子に腰を下ろしたルウは覗き込むようにネスへと笑いかけた。そんなルウの視線を受けて観念したように嘆息すると、眼鏡のつるを押し上げながらネスは淡々と付け加える。
「……知識はいくらあっても荷物にならず、決して奪われも盗まれもしない武器になる。常に傍にいられるわけでもないんだ。彼女には無理を強いたかもしれないが、必要なことだと僕が判断した」
「そっか、それで」
前に禁忌の森に入った時、俺もアメルも悪魔たちから剥き出しの殺意を突きつけられた。だからこそ別の悪魔とは言え、その力を借りる術を使ったことに余計驚いてしまったのだけど、思えばあの時のアメルは怯むどころかむしろ。そう思い出した俺に気が付いてだろう。君が想像するとおりだよ、と苦笑交じりにネスは声を和らげた。
「彼女の覚悟は僕らが想像するよりずっと決まっていたということだ。……まあ、相手に危害を加えることへの抵抗は見て取れたから、ああやって間接的に効果を発揮する術を教えたわけだが。それと、君の懸念は大外れだったことも伝えておこうか。悪魔だからって一括りにして恐れるのは何だか勿体ない気がする、なんて言って、あの術自体はすんなり覚えてしまったんだからな。……まったく、彼女も変わっているよ」
呆れたようにも感心したようにも見える表情を浮かべてしみじみと語ったネスに、俺は返事の代わりに無言で口元を綻ばせた。アメルの性格や気質をよく理解した上で必要な手助けをしてくれたネスに、自然と緩んだ笑みを浮かべてしまえば見咎めるような視線が飛んでくる。だけど今はちっとも怖くない。俺は大して気にせず、それにしても、と同意を求めるようにルウとネスを交互に見ながら言った。
「やっぱりネスは物知りだよなぁ。同じ授業を受けてたはずなのに俺、ちっとも知らないもん。そこまでサプレスの術を使いこなしてるのもだけど、専門外の属性まで他人に教えられるだけ精通してるのはさすがだよ」
「いや、僕のこれは……」
「謙遜も過ぎると嫌味になるわよ? 複数属性に適性があるのもすごいけど、必要な知識を必要な時に引き出せるって技術も素晴らしいものなんだから! ルウだっておばあさまに先祖代々の技法だとか智慧だとか沢山教えてもらったけど、身に付くまで時間が掛かったもの」
「そうそう、ルウの言うとおりだって!」
途端に歯切れ悪く言葉を濁すネスにルウと一緒になって言い募ったけれど、照れくさいのかネスは気まずそうに口を噤んでしまう。その反応に首を傾げながら、そういえば、と俺はルウを振り返って話を振った。
「さっきモーリンたちとの話が聞こえたんだけどさ、召喚術以外にも奥の手や隠し玉があればいいかもって……あれ、ルウ自身はどんなのを考えてるんだ?」
フォルテとレナードさんが慣れない魔力の感覚を掴もうとうんうん唸っている様子をお茶を飲みつつ眺めていたケイナが、ふと思いついたようにこぼした呟きが切っ掛けだった。
「私も何か、弓以外にも出来た方がいいかしら」
「それでしたら姉さま、シルターン流でよければお祓いの仕方などをお教えすることが出来ますよ」
魔力の扱いに熟達すれば風の刃を編み出すことも出来ますし、とちょうどルウと互いの祓いの儀式について語っていたカイナが提案したことでケイナは興味を持ったらしい。早速カイナに印の結び方を教わり始めたケイナを見て、召喚術の他にも何か使える手があるんじゃないだろうか、という話題が一気に熱を持ったのだ。
先生らしく色々説明していたミニスには悪いけど、本格的な召喚術には生来の才能と魔力が大前提だし、馴染みのない力を実戦に通用するだけの物に鍛え上げるには相当の労力が掛かる。とびっきりの隠し玉を仕込みたい気持ちやロマンは分かるけど、重要なのはむしろ召喚術を使うことよりも召喚術を使われた時の対抗策を固めることだろう。やっぱりそういうところは女性陣の方が冷静なのか、より実態に即した手法について話し込む顔ぶれはどれも真剣なものだった。
「鉄砲の弾や弓矢ならタイミングさえ合えば弾き返したりも出来るんだけど、流石に召喚術だとねぇ……」
「こっちの間合いにまで接近して下さるなら先手を取って一撃、入れちゃえるんですけどね」
ぼやき交じりのモーリンにパッフェルさんがうんうん相槌を打つけれど、それだって普通の人間には中々真似出来ないことだ。大きい声を上げてこっちを向かせるのなら出来るよ、と意気揚々と言うユエルの頭を撫でながら、モーリンは片手で頬杖をついて悩ましげに唸った。
「剣とか拳みたいに受け流すのも難しいし、オマケに付いてくる毒とか麻痺だとかの状態異常も厄介だし……」
それなら、と人差し指をびんと立ててルウが話に入ったのが正にその時だった。
「特殊な力が込められた防具やアクセサリを付けて、魔力への耐性自体を底上げしちゃうのはどう? 物によっては状態異常に掛からなくなるのもあるし」
「あぁ〜、マヒとか石化は確かに厄介ですもんねぇ。戦場ど真ん中で動けなくなるのだけは勘弁願いたいですよぅ」
「ルウとしてもやっぱり術を使われる前に倒しちゃうとか……いっそ邪魔しちゃうのがいいと思うんだけどね? まっ、備えあれば憂いなしって言うし」
大きく首を縦に振っていたパッフェルさんが、マヒ対策ならこの壺が良さげですよ〜、と早速売り込みに掛かるのを興味津々でユエルが眺める傍ら、道場の景品にいいのがあったから、とモーリンが苦笑しながら首を横に振る。何か考えがあるようだったその時のルウを思い出して話を振ってみれば、はにかみ笑いに頬をかきながらルウは小さく頷いた。
「まだ練習中なんだけどね? 急所を狙って杖をえいって突き出して、うーん、何て言うのかな……一時的に相手をマヒさせちゃう技があるらしくってね? それが出来たらなって」
キミのマジックアタックが攻撃の技法なら、コレはあくまで邪魔する技法ってやつかな、と言葉を探しながらの説明を受けたところで、ピンと来た俺は思わずネスを振り返った。
召喚師の多くは杖の他に武器を持たず、距離を詰められてしまうと一気に打つ手がなくなるのが弱点だ。ネスは最近じゃ懐に短剣を潜ませているし、俺は元々剣と杖を使い分けてるからいいとして、本当に杖一本でも繰り出せる技があるなら魔力が底を突いた時や孤立した時にどれだけ助けになるだろう。あくまで動きを止めるための技ならそこまでの抵抗もないはずだしと、アメルやミニスの顔を思い浮かべた俺の考えなんてネスにはお見通しだったらしい。
「杖でも色々とやりようはあるということだ。的確に急所を狙って打ち込めば神経系統の麻痺、一時的な行動不能を引き起こすことが出来ると文献で見た覚えがある。彼女の習得が上手くいったなら、皆にコツでも教えてもらおうじゃないか」
「はは、やっぱり知ってるとかネスは凄いな。俺もちょっとは勉強しないとな?」
その言葉を忘れるなよ、と念を押してくるネスだけど、たった今ネスやルウが学んだ知識を実践に活かしている様子をまざまざと見せつけられたばかりだ。俺だってやる時はやるんだからな、とわざとらしく声を尖らせて言い返せばネスの口元がかすかに微笑んで、急に込み上げてきた気恥ずかしさにムズムズする口を隠すように俺は視線を落とした。
途方もない過去から脈々と受け継がれてきた知識、技法、技術に真実。そこに、ただの文字の羅列として以上の意味を見出だせるようになったら、俺もネスみたいになれるんだろうか? 今からでも真面目に勉強していけば、旅に出てから気が付いたことや身に付いたことに合わせて、もっと色んなことが出来るんじゃないだろうか?
想像だけでわくわく胸が高鳴り始めている現金な自分に笑ってしまいながら、そういえば、と未誓約のサモナイト石の中から緑色の物に手を伸ばす。試しに魔力を流してみれば淡い輝きが溢れ始めたことに、やっぱり、と小声で呟いた。
「裏路地でカラウスと戦った時に変な感覚があったんだけど、俺、今度はメイトルパの適性も出来たみたいなんだ。こういうのってよくあることなのかな? ネスはどう思う?」
「僕が知るワケないだろう」
「うーん……まあいいか! 派閥にいた頃よりずっと強力な術も使えるようになってきてるし、俺も成長してるってことかな?」
呑気なものだな、と溜め息交じりのネスに軽く笑って肩を竦めながら、まだ光を灯したままのサモナイト石を手のうちに握り込む。フォルテも言ってたけど、どんな物であれ使える手はひとつでも多い方がいい。今度ミニスにメイトルパの術のコツでも聞いてみようかな、とそわつきながらも張り切り始めた俺はもう、これから先のことに夢中になっていて。
「……断続的に命の危機に晒され、必要に迫られるまま限界を越えた魔力を行使することで……必然、強まり続ける君の力が、相互作用として眠っていたはずの力を引き出している……?」
深刻な表情でぼそりと呟いたネスの心中なんて知ることもなく、一人浮かれきっていたのだ。
本編との差異がちょこちょこ増えてます。バタフライエフェクト。