ノルンは笑わない   作:くものい

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15ー1:禁忌の扉/M

 翌日、朝食を終えて早々にテーブルに着いたアグラ爺さんは、過去にあった出来事を包み隠さず語ってくれた。

 驚くことにアグラ爺さんは元々、旧王国デグレアに属する軍人だったらしい。崖上都市デグレア所属、遊撃騎士団の騎士団長。旧王国から聖王国への侵攻がもっとも苛烈を極めた時期、デグレアの双将として大陸全土に勇名を馳せたうちの一人。本来の肩書き以上に知れ渡った当時の通り名は、獅子将軍、勇猛苛烈のアグラバイン。

 その過去は、部門の家系に生まれ育ったシャムロックやフォルテが驚愕に息を呑むほどの衝撃をもたらした。フォルテたちから説明を受けた俺たちも、アグラ爺さんの過去がどれほど凄まじいものだったかを知ってすっかり度肝を抜かれてしまった。黒騎士相手に一歩も引かず立ち回っていた時点で一角の人物だったことは予想出来ても、まさか敵として相対している側の出身かつ名高く知られた猛将だったなんて、一体誰に想像出来ただろう。驚きのあまり二の句を継げられずにいる皆の中、それでもネスは動じることなく冷静だった。

「それでは、話をまとめるとこういうことですか」

 淡々と問いを重ねていくにつれ、隠されていた過去が少しずつ露わになっていき、おぼろげながらに全体像が見えてくる。アグラ爺さんとの遣り取りが一段落してざっくりした概観が浮かび上がったところで、念を押すようにネスが整理してくれた内容はこうだ。

 アグラ爺さんたちが森に入ったのはデグレア議会の決定による軍事行動の一環で、森の中にあるらしい機械遺跡の発見とその確保のためだったこと。その遺跡の中にある品を手に入れれば召喚術よりも強大な力が手に入るのだと事前に情報があって動いたこと。その情報源だった召喚師が持参した、天使の羽根と呼ばれる品を使うことで森の結界を中和して中に入ることが出来たこと。けれど森は悪魔の巣窟で、後は昨日話したとおり、アグラ爺さんの他には誰も生きて森を出ることは叶わなかったこと。赤ん坊のアメルを抱えて先行きに迷っていたところを、ロッカとリューグの両親に助けられてレルム村にやってきたということ。

 言葉にしてまとめられていく過去を見つめるうち、俺にはふと思いつくことがあった。

「……もしも。もしもデグレアが禁忌の森にある遺跡にまだ、拘っていたとしたら……」

 もしそうだとしたら、ここまでの一連の出来事全てに説明が付くんじゃないか?

 突拍子もない思い付きのようなものだったけど、声に出した途端にそれは確かな重みを持って胸に落ちた。アメルが赤ん坊だった頃の話なら今から二十年近く前のことだけど、聖王国と旧王国との対立はそれよりずっと昔から続いている。気の遠くなるような昔から続いてきた因縁、長い年月を経ることで薄まるどころか強烈に煮詰まっていった対抗意識。せっかく聖王国を圧倒できるかもしれない手段があるのに、たった一度の失敗であっさりと諦めてしまうものだろうか? 他に有効な手立ても見つかっていないのに、そう易々と見切りをつけてしまうものだろうか?

 そんなはずがない、と断言する勢いで俺は思いつくままを連ねた。

「あいつらはアメルを鍵だって呼んでいた……鍵を使って開く扉は、あの森の結界のことなんじゃないのか!?」

 それならここまで執拗にアメルを付け狙うことも俄然、腑に落ちる。ルウやシャムロックも思い当たる節があったようで、それぞれ真剣な顔をしながら俺の推測に浮かんだ考えを口早に付け加えていく。聖女の噂は遠くトライドラまで届いていたのだから国境を挟んですぐのデグレアがそれを知って興味を持っても不思議はないし、アメルに森の結界が反応したことにも納得が行くと。次第に熱を帯びていく声を聞きながら俺は自然と湧き出す昂揚感に右手を握り締めた。ずっと目の前に濃く立ち込めていたモヤに日差しが差し込んで、薄っすら晴れ始めているような気分だった。

「だとすればやはり、村がこんなことになってしまったのはワシのせいじゃ……」

 だけど、アグラ爺さんはそれを聞いてますます沈痛そうに目を伏せた。はっとして何か言おうとした俺も、もどかしそうに口ごもるロッカやアメルの姿に喉元まで込み上がり掛けていた声を飲み込む。ここで否定を返すのは簡単だけど、それが気休めの嘘にしかならないことは明らかだった。だって確かに、アメルを連れたアグラ爺さんがレルム村で暮らさなければ、巻き添えになる村人も出なかったはずなのだから。

 それを踏まえずにいくら励ましや慰めの言葉を掛けたところで意味なんてない。気の利いた言葉も見つからずに息苦しい沈黙が場に漂い始めたところで、突然の厳しい声が静寂を破った。

「自覚があるなら大いに結構。ですがそうでなくともアメルは力に目覚めていた、また別の場所で同じことが起きただけかもしれない、違いますか?」

「それは……そうじゃが……」

 舌鋒鋭く突き付けるネスの表情は固く、励ましや労りとはかけ離れた厳しさに満ちている。咄嗟に制止の声を掛けようとして、俺は慌てて口を噤むことになった。物言いこそ厳しいけれど、よく見てみればネスの眼差しには糾弾とも非難とも別の意図が含まれている。アメルもきっと同じことに気が付いたんだろう、戸惑ったように頷くばかりのアグラ爺さんとネスをただ目を見張って見つめている。そんな俺たちの見つめる先で、ネスは毅然と言い放った。

「過去は変えられない。ここで貴方がいくら悔やもうと意味はない。出来ることがあるとすれば、これから先のことだけだ」

「……ああ! 出来ることはまだ残ってるんだしな?」

 アグラ爺さんの苦悩に満ちた告白は途轍もない衝撃をもたらすものだったけど、これで漠然とながらにデグレアの狙いは見えた。起きてしまったことはどうにもならないし変えられはしない。だけど、これからのことは違う。俺たちの行動次第でまだ変えられるはずなんだから!

 ネスの言葉に大きく頷き返しながら、となると、と俺は急いで思考を巡らせた。

「俺たちが次にすべきは、本当に森の中に召喚術を越えるような力があるのかってことだ!」

 アグラ爺さんが保管していた天使の羽根は、十年以上の歳月を微塵も感じさせない眩さを保っていた。少しの劣化や破損もなく金色の輝きを纏っているそれが作り物だとは到底思えないし、少なくとも森の奥に何かあることだけは確かだろう。ただ、今の時点では全てが推測止まりだ。アグラ爺さんも実物を目にしたわけじゃないし、まずは機械遺跡が本当に存在するのかどうか、俺たちが確認しなきゃならないのはそこだ。無いなら無いでいいし、もし本当に存在していたならデグレアが利用することの出来ないようにしてしまえばいい。そうだろ、と勢いよく振り返ろうとして、俺は続けるはずだった言葉を飲み込んだ。

「……いや、あまり先走るな。まずはゼラムに戻ろう。ファミィ議長から預った手紙のこともあるし、先輩たちにも挨拶をしておかないと」

 僅かな間を置いて答えた、ネスの顔色は真っ白だった。何か途方もなく恐ろしい物と対峙しているような緊張に強張った表情で、先のことはそれからだ、と俺を窘める声にも覇気がない。どこか心非ずといった様子の目はここじゃない遠くを見ているようで、違和感と動揺に呑まれながらもどうにか首を縦に振って頷き返した俺に、ネスはほっとしたように息を落とすなり素早く背中を向けた。

 さっきの話の流れを振り返ってみても、俺の提案がそんなにおかしなものだったとは思えない。ひょっとしてネスもどこか、具合でも悪いんだろうか?

 急な不安に駆られつつも何となく声を掛けづらくて、その場で尋ねそびれてしまったせいだろう。山道を越える間も悶々と落ち着かない気持ちを引きずる羽目になってしまったけれど、正午前に辿り着いた先輩たちの屋敷ではそんな心配も忘れてしまうような驚きが待っていたのだった。

「皆、おかえりなさい!」

「まあ、エルジンくんにエスガルドさん!?」

 目を丸くして声を上げたカイナに悪戯が成功した子供みたいに笑ったのはエルジンだった。先に派閥への報告を済ませてくるとネスとシャムロックが別れた後は俺とフォルテで案内役を引き継いだけど、快く出迎えてくれた先輩たちの後ろからひょっこり覗いた顔に思わず呆気に取られてしまう。禁忌の森で別れたエルジンたちが一体どうしてここに。前に話していた悪魔の調査はどうなったんだろう?

 思いがけない再会に喜び半分、疑問半分で揃って戸惑ってしまえば、そんな俺たちの反応を満足げに眺めていたミモザ先輩が組んでいた腕を解いて大きく手を打ち鳴らした。

「ま、立ち話もなんだし。皆、お昼はまだよね? 何か軽く摘まみながら互いの近況報告でもしましょっか?」

 ぐるりと俺たちを見回しながら言ったミモザ先輩に続いて、お茶の用意も出来ているよ、とギブソン先輩の優しい声まで続いたら断る理由なんてない。促されるまま玄関ホールから広間へと移動した後、サンドイッチとお茶を片手に聞くことになったのはあの森で別れてからの話だった。

 エスガルドとエルジンはあれからも悪魔の現れた場所を追っていたそうだけど、目撃証言を集めていくうちに奇妙なことに気が付いたらしい。どうも悪魔の現れた場所には毎回、同一人物らしき影が目撃されている、と。単純に考えると一連の悪魔を召喚したサプレスの外道召喚師か何かだろうけど、これまで遭遇してきたのが誓約に縛られていない悪魔ばかりだったことを思えばそれもおかしい。一体どんな関わりがある人物なのかと疑問視しているうちに、ギブソン先輩たちの追っている召喚師連続失踪事件にも同じ人物と思しき姿が確認されたことから、思い切っての協力体制に踏み切ったのだと言う。直接の関連があるかはさておき互いに有力な手掛かりであることは確かだろうし、それなら共有できる情報は明かしてしまった方がいい。それで少し前から居候をしている都合、共通の話題として俺たちの話もよくしていたのだとエルジンは朗らかに語ってくれた。

「なるほどねえ、随分耳が早いと思ったらそうしたわけだったか」

「話を聞いて驚いたよ、君たちも大分込み入った話になっているようだね」

「随分と新顔さんも増えたものよねぇ? ま、知ってる顔も若干混じってるけど」

 パン屑の付いた口元を拭いながら唸ったフォルテにギブソン先輩が相槌を打てば、納得しきりで息をこぼすカイナの頭上を越えた先へとミモザ先輩がにやりと目を細める。さっきから身の置き所がなさそうにしていたカザミネさんが露骨に目を逸らした横ではパッフェルさんが苦笑に肩を竦めるのが見えて、道理で初めから砕けた雰囲気だったのかと俺は感心交じりに頷いた。先輩たちの顔が広いことは知っていたけど、まさか仲間の中にも知り合いがいたなんて。前に先輩たちに世話になった時より随分大所帯になったし、そこまで不思議なことでもないのかもしれないけれど、何だか不思議な縁みたいなものを感じてしまう。広間に置かれたソファや丸椅子、別室から運んできた長椅子といったあちこちで初対面同士、エルジンやパッフェルさんたちが和気藹々と自己紹介を交わし始めている様子を眺めてしみじみしていると、きょろきょろ辺りを見ていたミモザ先輩が不思議そうに尋ねてきた。

「あら、彼女もネスに付いていったの? 一緒じゃないなんて珍しいわね」

「あ、タキツは……」

「ご挨拶が遅くなってすみません、先輩方。まずは僕から改めてここまでの経緯を、彼女の件もその際に説明させて頂きますので」

 咄嗟に答えられず、口ごもってしまった俺に代わって答えたのは、ちょうど広間の扉を潜って現れたネスだった。その後ろにはシャムロックの姿もあって初対面のギブソン先輩と折り目正しく挨拶を交わしているけれど、含みのあるネスの物言いから先輩たちは即座に意図を汲み取ったらしい。和やかな笑みのギブソン先輩とミモザ先輩、それぞれの目に鋭い光が走るもほんの一瞬、見間違えかと思うような刹那でかき消えた後にはいつもの笑みが浮かんでいる。

「それじゃあ、場所を変えようか。シャムロックさん、貴方もよろしければ」

「皆は自由に寛いでてね~。あ、前に来たことある子はまだの子の案内よろしくねぇ?」

 真剣な面持ちで頷き返したネスとシャムロックが先輩たちに続いて広間を出て行こうとして、慌てて俺はソファから立ち上がった。さっき助け舟を出してくれたお礼もだけど、ネスの具合が悪そうに見えた原因だってまだ聞けていない。ネス、と小走りに駆け寄りながら声を掛ける俺だったけど、追いつく寸前、横目で振り返ったネスに小声で名前を呼ばれて動きを止める。

「マグナ。君と二人だけで話したいことがあるんだ。……用事が済んだ後でいい、導きの庭園まで来てくれないか」

 僕もまだ寄るところがあるから、と押し殺した声で囁くように告げたネスは見たこともない真剣な顔をしていた。血の気の薄い顔色は相変わらずでも瞳には固い決意が滲んでいて、気圧されるまま頷いてしまった俺から視線を外したネスはもう振り返ることなく足早に階段を上っていく。定規でも差し込んだようにぴんと伸びた背中を見上げながら、一体何の話だろうとか、派閥には行ったのにどこに寄るつもりだろうとか、今頃のように湧いてきた疑問で頭がいっぱいになるけれど、暫くして俺は大きく頭を横に振った。

 どのみち、少し待てば教えてもらえることだ。それなら今はネスに言われたとおり、やれることを先にやっておこう。初めてのゼラムで戸惑ったり、屋敷の大きさに勝手が分からず困ってる誰かがいるかもしれないし。

 よし、と気合いを入れ直して早速、皆の様子を見て回るべく廊下を歩き出したわけだったけど。

「ありがとう! でもね、ミニスが案内してくれるって。だからユエルは大丈夫!」

「夕食までルウはここで籠らせてもらうわ、面白い本がこんなにあるんだもの!」

 向かった先で明るい笑みや元気な声を返されて、待ち合わせまで時間を潰す宛もなくなった俺はひとり、広間にトンボ返りを決めていた。

 早くも街に繰り出した面子もいたけれど、屋敷に残った皆もそれぞれやることを見つけたらしい。ミニスは屋敷の案内を買って出たらしく、瞳を輝かせるユエルや感心するモーリン相手に先輩風を吹かしながらあれこれと説明していた。ルウはギブソン先輩の厚意で入れてもらった書庫の文献に夢中らしい。どの本を読んでもすごくタメになるわ、と食い入るように文字の羅列を追っていたし、アメルも久々に踏み入った台所の片付けや食材の整理整頓にのめり込んでいた。男手にロッカとリューグを引っ張り出して調理台やテーブルの位置変えまでしていたけど、あのまま夕飯の下拵えまで手伝わせるつもりじゃないだろうか?

 このまま手持ち無沙汰に過ごすよりは俺も手伝いに行こうかなと迷っていると、さも疲れたというように肩を回しながら階段を降りてくるミモザ先輩と目が合った。さっき部屋を覗いた時はレナードさんの相談に乗っていたけれど、元の世界に戻れるかの結論は早々に出て、こっちでの生計の立て方や身の振り方について話し込んでいたのが一段落したらしい。

「しっかし、色々あったのねぇ。お姉さん、話を聞いただけで疲れちゃったわ」

 台所側のカウンターに寄ってコーヒーを淹れたミモザ先輩が片手で手招きしながらソファへと腰を下ろしたことに、現在進行系でお世話になっている身分の俺は苦笑交じりにその近くへと座り直した。トライドラの壊滅やら禁忌の森の機械遺跡やら、どう考えたって普通じゃない話を一気に聞かされたのにも関わらず、まったくペースを崩していない先輩はやっぱりさすがだ。金色で縁取られたカップに口を付けながらミモザ先輩は軽い調子で続ける。

「タキツちゃん、改めナチちゃんも不思議な子よね。名もなき世界だなんて、どうして知ってたのかしら? ま、一人で誓約も結べる子だったし、噂の召喚主から聞いたことがあったのかもだけど」

「ははは……何から何まで驚きの連続でしたよ、本当に」

 話の腰を折るのも何だしと知った顔で流したけれど、一人で誓約を結べるなんて話も初耳だ。先輩たちに世話になっていた頃からタキツが召喚術を使えたことに驚き半分納得半分、困り笑いに頬を緩めながら俺も軽く返した。

 タキツもレナードさんも普段俺たちが召喚獣を呼ぶ四つの世界とはまた別の、名もなき世界と呼ばれる場所からやってきたらしいけど、本当ならそれだけでもとんでもない話だ。無属性のサモナイト石では意志を持たない無機物の類しか召喚出来ない。そう思っていたのは俺たちだけじゃなく先輩たちにしても同じで、つまりその世界の情報はないに等しく、少なくとも今の俺たちの召喚術やレナードさんの魔力じゃ元の世界に戻してあげることは出来そうにないと結論が出るのは早かった。レナードさんはそれを聞いてひどく嘆いていたけれど、不思議なのはどうして派閥の召喚師である先輩たちすら知らなかったことをタキツが知っていたのかということだ。

 タキツが召喚術や武術に触れたのはこっちに呼ばれてから、ビーニャの役に立つために覚えたと言っていた。それがバレないように、俺たちと行動していた時は召喚術を使えるどころか適性があることさえ誤魔化していたくらいだ。名もなき世界についても、もしデグレアで見聞きしたことだったなら決して漏らさず隠し通したに違いない。レナードさんの話のついでに明かした時点で大して気を払っていた情報ではなさそうだけど、でもそれなら一体どこで知った話なんだろう? 召喚術の存在しない世界から来たタキツが、どうしてああも確信を持って断言出来たんだろう?

 考えれば考えるほど分からないことばかりで、本当にタキツのことを何も知らなかったんだなって笑い出したくなってしまう。隠し事をされて悲しいとかずっと黙っていたなんてと腹が立つのを通り越して、何にも知らずにいた自分への呆れしか出てこない。何だかなぁ、と苦笑をこぼそうとして、ふと視線を感じて顔を上げた先、ミモザ先輩が静かに俺を見つめていた。

「彼女に誓約の力を行使したんですって?」

 メイトルパに通じるサモナイト石と同じ、鮮やかな新緑の瞳に俺が映っている。心の中の後ろ暗いところや疚しい気持ちを全て見透かすような目に見つめられて、俺は少しの間を挟んで、はい、と答えた。嘘や誤魔化しは通じない。そう直感したのもあるけど、胸のつかえを吐き出すように自然と口が開いていた。

「俺の意志で、タキツに……誓約の痛みを振るいました。ビーニャに、俺たちの敵側に寝返ろうとしたからとかじゃなくって、ただ……手放したくなかったから。その手を離したくなくて、ビーニャのところに行くなんて認められなくて……旅の途中で本当の召喚主に、ビーニャに会えたらその場でタキツのこと解放するって俺、約束してたのに、ちゃんと覚えてたのに……タキツのこと、裏切ったんだ」

 最低ですよね、と乾いた笑い交じりに呟いた俺に先輩は否定も肯定もしなかった。湖面のように凪いだ瞳にかすかな苦笑が滲んで、そっかそっかぁ、と独り言のような相槌を打つ。きっと、呆れられてしまったんだろう。こんな酷いことを考えて、実際の行動に移してしまった時点で見限られたって仕方がない。それでも、嘘は言えなかった。自分のやったことにまで目を逸らして誤魔化すような真似をしたら、もう二度とタキツに顔向け出来なくなる。そんな確信があった。

 緊張と恐怖で口の中がカラカラに乾いて、舌の付け根に苦い痺れが走る。それでも視線は落とさないよう俯きそうになる顔を必死に堪えて、両手を膝の上で固く握り締めた。どんな言葉が続くのか、どんな目を向けられるのか。心臓が軋むほどの緊張に耐えて、ただひたすらに待つ。だけど、長いようで短い時間の先にやっと聞こえてきたのは、想像していたどれとも違う言葉だった。

「そんなにまであの子のこと、好きになっちゃったのねぇ」

 しみじみと深く感じ入るように呟いたミモザ先輩を見上げて、数秒の沈黙の後、俺は思いっきり間抜けな声をこぼした。

「……は?」

「あら、違うの?」

 呆気に取られるあまり鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をした俺に、ミモザ先輩はきょとんと目を丸くした。だってほら、と人差し指の先をくるりと回していつもの調子で続ける声は軽い。

「ネスティの話も聞いて考えてみたんだけどね、それってちょっと行き過ぎた独占欲って感じじゃない? 手段は決して褒められたものじゃないけど、貴方ぐらいの年の子ならそう珍しくもない話よ。ちょーっと意外と言ったら意外だったけど、でもそうね、確かに言い方こそキツかったけど、ナチちゃんていつも貴方のことばかり考えて動いていたものね」

 お姉さんてっきりアメルちゃんかと思ってたんだけど、と合点いったように一人頷いている先輩は何だか楽しそうで、さっきまでとは打って変わって活き活きとして見える。女のひとって本当に恋の話が好きなんだな、と明後日の方向に飛び掛けていた思考をどうにか引き戻して、俺は慌てて否定の声を張り上げた。この一瞬で聞き捨てならない話がいくつも出てきた気がする!?

「い……いやいやいやっ!? どうしてそうなるんですかっ!?そもそもタキツの一番はビーニャで俺のことは成り行き上、仕方なくっ……というかアメルが俺を好き、ってそんな!?」

「どうしても何も、彼女がそのビーニャって子を一番に思ってるのと、キミのことを本気で大事に思ってたってことは何も矛盾しないわよ? しっかしアメルちゃんのことも気づいてなかったとは……随分と罪な男ねぇ、私たちの後輩は」

「あ、あぅ……」

 わけもなく焦って思いついた端から口に出したはいいものの、あっさりした口調でネスみたいに論理だった反論を突き付けられてぐうの音も出ない。涼しい顔のミモザ先輩に対して真っ赤になった顔を隠そうと身を縮こまらせる俺だけど、焚火に当たっている時よりよっぽど熱を持った頬から気を逸らすことは出来ずに、どうしたって渦巻く思考の先はそっちへと流れていく。

 まさかそんな、アメルが俺のことを好きだって? そりゃ普段の態度や向けられる笑顔からも好かれていることには気づいていたけど、まさかそう言った意味での好意を向けられてるなんて思ってもみなかった。それに何より、俺がタキツのことを好き? 仲間としてじゃなく、それ以上の意味で、一人の女の子として好きだったって言うのか? 自分でも驚くようなあんな真似をしてしまったのも全部、俺がタキツのことを好きだったから?

 混乱と動揺でどんどん深みに嵌っていく思考に引きずられて目の前まで回りそうになっていると、それまで興味津々と言った様子で俺を覗き込んでいたミモザ先輩がぴしゃりと額を叩いて天井を仰いだ。

「あっちゃあ……自覚もなかったか。でも、それなら尚のこと納得でしかないわ。軸も定まってないのにその場の衝動任せに動いてちゃ、そりゃ後悔だってするわよ。自分の気持ちがどこを向いているのか、何がしたくてどう思っているのか、まずはしっかり見つめて受け止めなさい。全てはそれからよ?」

 目と目を合わせて噛んで含めるように丁寧に言い聞かせられて、勢いのままに大きく首を縦に振りながら返事をしようとした俺はそこで固まった。ミモザ先輩の言葉に頷けないところがあったわけじゃない。いつかギブソン先輩にも言われたことだけど、自分が本当に望んでいることをよく考えて決めたのなら悔いのない答えになる。気持ちを固めて心を決めて、そうして挑んだことだったなら尾を引く後悔もないはずだ。ただ、それでも今のタキツは俺たちの敵で、タキツの気持ちはこれ以上なくはっきりビーニャに向いている。なのに今更、俺がそんな気持ちを自覚したところで一体、何になるんだろう?

 タキツのことを取り戻せるかも分からないのに、と心によぎった弱気と迷いを見抜いたようなタイミングでやれやれとばかりに肩を竦めたミモザ先輩は、ふと優しい眼差しを向けた。

「たくさん、助けてもらったんだって?」

「……はい。タキツがいなかったら、今ここに座っていなかったかもしれないくらい。たくさん助けてもらいました。二重誓約なんて事故に巻き込まれただけなのに、俺のことをいつも大事にしてくれて……守ってくれて、寄り添ってくれた。いつだって見てくれていた。だから俺、やっぱり諦めたくなくって、でも……本当にそんなこと出来るのか」

「はいはい、先のことを考えるのはそのくらいにしましょ? 大切なのはキミがどうしたいか、キミ自身がどう思っているかよ。アメルちゃんを守るって決めた時もそうだったでしょ? 出来るかどうかじゃなく、貴方たちが彼女のことを守りたいって決めたからそうしたんじゃなかった? 違う?」

「あ……」

 目から鱗が落ちるような思いでぽかんと口を開けた俺に、先輩は余裕たっぷりの笑みを浮かべてウインクを決める。

「今、タキツちゃんがデグレア側にいるとかそんなことは一切気にしなくっていいわ。大事な後輩の命を何度も救ってくれた恩人だもの、先輩としてお礼のひとつもしなくちゃ面目が立たないしね? キミが本気で望むなら……私もギブソンも出来る限りの手助けをしてあげる。だからまずは目の前のことひとつずつ、片づけていきましょう?」

 とりあえずは、と不意に言葉を切ったミモザ先輩が壁掛け時計へと視線を滑らせて、何となく目で追ったそこで愕然と息を呑んだ。広間に戻ってきた時は一巡りもしていなかった時計の短針が、いつの間にか更に二巡りするほどの時間が過ぎている。直角より斜め下を向いた短針は今がお茶の時間を大幅に過ぎたことを示していて、うっかりネスとの約束をすっぽかしそうになっていた事実に俺は勢いよく立ち上がった。

「じっ、時間っ!? ネスとの待ち合わせっ!?」

「ほらほら、雷が落ちる前に急ぎなさい!」

 笑い転げる先輩の声を背中に全速力で屋敷を飛び出すと、脇目も振らずに導きの庭園目指してゼラムの街を駆け抜ける。互いに用事が済んだらとは言っていたし、そこまでの雷が落ちずに済む可能性もあるけれど。とにかくこれ以上一分一秒もネスを待たせるわけにはいかないと無我夢中で足を動かす俺は、向かう先でどんな話が待ち受けているかなんてこれっぽっちも想像していなかったのだ。

 

「どういうことだよ、ネス……」

 冗談にしても笑えない、と乾いた笑いに頬を引き攣らせて、無理矢理に絞り出した声は自分とは思えないくらい掠れていた。胸に溢れ返るのは心底の動揺と困惑、それ以上の信じられない思いで頭が理解を拒んでいる。目の前で佇むネスを見つめて、冗談だよな、と縋るような思いで何度目かの問いを繰り返す。冗談だ、と一言返してくれればいいのに、いつまで経ってもネスは固く口を閉ざしたまま何も言ってくれない。現実から目を逸らした空笑いにもついに限界が来て、俺は叩きつけるような怒声を浴びせている。

「そんなの、出来るわけがないだろう!?」

 アメルの身柄を派閥に預けて、この一件から手を引こう。

 導きの庭園の噴水近く、人気のない植え込みの陰で待っていたネスは開口一番、前置きもなしにそう言った。遅れてごめんとか、どんな話なんだとか、何を続けるつもりだったかも忘れてしまったけど、口を開いた俺の声に被せる勢いで一方的過ぎる宣言を告げたネスの眼差しはひどく静かだった。

「君をこれ以上、あの森に関わらせるわけにはいかない……」

 能面のような仏頂面と冷え切った声色に真意を抑え込んで、後は石のように黙り込んでしまったネスはそれきり無言を貫いている。普段のネスを思えば驚くほど簡潔過ぎる話の内容は、だけどこれまで聞いたどんな話よりも意味が分からなくて、納得なんか出来るはずもなかった。ここまで皆と力を合わせて必死の思いでやって来て、ようやくデグレアの狙いも見えてきたっていうのに、どうしてこの期に及んでそんなことを言い出すのか。ネスだってアメルのことをあんなに大事にしてたのに、守ろうとしてくれてたのに、なんで今更放り出そうと出来るのか。

 分からない。ちっともネスの気持ちが、考えていることが分からない。あの森がそんなに危険なのか、それとも派閥の機密に関わっているのか、いくら尋ねてもうんともすんとも言わないネスに業を煮やして、俺はますます声を荒げて問い詰める。

「何とか言えよ!? 黙ってたら何にも分かんないよ!」

 こんなことを言えばまた耳にタコが出来るほど聞いたお説教と小言が飛んでくる。内心そう身構えながらも我慢できずに叫んだけれど、次の瞬間、思わず目を見張っていた。

「っ好きで黙ってるわけじゃない!!」

 ずっと無理して堪えてきたものがついに決壊したような、痛々しいほどの苦痛に満ちた声だった。まるで悲鳴のような、獣の咆哮のような絶叫の出処がネスだって、咄嗟に理解出来ずに棒立ちになる。話し始めてから頑なに目を合わせようとしなかったネスの血の気の薄い頬が真っ赤に染まって、込み上げてくる何かを堪えるように必死に歯を食い縛っている。瞠目するばかりの俺を前に首が折れそうなほど深く項垂れながら、僕だって、と絞り出すように吐き出した声は掠れていた。底の見えない悲しみと悔しさと憤り、そして身を掻き毟るような悲嘆と歯がゆさが入り混じった声は今にも泣き出しそうに震えている。

「話せるものなら話していたさ。それが出来ないから! 君だけは嘘で誤魔化したくないから! 黙るしかないんだよ、僕は……っ!」

 アメルのことだってそうだ、と息さえ荒げてぐしゃぐしゃに前髪をかき乱しながらネスは苦悶の呻きをもらす。

「放りだしたくなんかない………ここまで関わったんだ、今更手を引くなんてそれこそ馬鹿馬鹿しいにも程がある!? 何よりこんなところで手を引けば、……彼女がどうなるかなんて火を見るより明らかだ、見殺しにするのと同義だって分かってる!! だけど、もしも君があの森に行くと言うなら、僕は………っアメルだけじゃない、君まで殺さなくてはならなくなるんだ!」

 喉が焼き切れるような苦悩の叫びが響いて、ぐらりと足元が傾いた。

 殺す。ネスが、俺を?

 鼓膜を激しく震わせた言葉がじわじわと胸に広がっていくにつれ、凍り付いた思考がゆっくりと動き出す。あまりの現実感の無さにまるで理解が追いつかない。ネスの言った意味がちっとも分からない。性質の悪い白昼夢でも見ているようで、それでも胸に迫る訴えから目を逸らせずに、俺は呆然とネスを見つめ返した。

「僕だってそんなことしたくないっ……出来ないんだよ!? 出来るわけがないっ!! そんなことをしたら僕は自分を許せなくなる、自分で自分を殺さずにいられなくなるに決まってる!! だけど! 僕が出来なければ他の誰かがきっと君を殺しにやってきて、僕も遠からず死ぬんだ……! 彼女と君と、二人ともを誰かの手で失うくらいなら……僕は、どんなに非情な選択だろうと出来る」

 あの組織に従属することでしか、僕がこの世界で生きていく術はないのだから。

 血反吐を吐くような叫びから一転、いっそ投げやりな調子でネスはぽつりと呟いた。怒りに震えていた肩は脱力しきったように下がり落ち、地面を睨みつけていた目からふっと光が消える。見るからに憔悴しきった兄弟子の姿に堪らずその名前を呼ぶけれど、もうネスは俺を見なかった。

「……僕の話は、それだけだ」

 苦渋の色に染まり切った濃紺の瞳が一瞬、その横顔に覗く。マントを翻して去っていくネスの背中へと手を伸ばそうとして止めた俺はその場に項垂れ、唇を噛んだ。

 ネスがあんなにまで思いつめていたのにも気づかずに、俺は何をしていたんだろう。いつだって俺のことを考えていてくれたネスがあんなにまで苦しんでいたのに、どうして気づかずにいられたんだろう。

 何ひとつ出来ていない自分自身と現状への言葉にならない怒りが喉元まで込み上げてきて、力なく下げきっていた手を無意識のうちに拳の形に握り込む。

「派閥の機密ってのはなんなんだよ……俺は、一体……どうすればいいんだよ!?」

 やり場のない苛立ちとやり切れない思いに耐え切れず、低く擦り切れそうな呻きが勝手にこぼれ出る。誰に尋ねたって答えをくれはしない。そんなの考えるまでもなく分かっていたけれど、ぐちゃぐちゃにかき乱れた胸の中から目を背けて、俺は苦々しく顔を歪めて吐き捨てた。そうでもしないと、見えない何かに足を取られて今にも崩れ落ちてしまいそうだった。

 

 訳の分からない事態に戸惑い手をこまねく間にも時は無情に過ぎていく。庭園での遣り取りから数日、あれからネスとは一度も話せていなかった。顔を合わせるのが気まずいからとかじゃない。単に、ネスが俺と顔を合わせないように避けて回っているからだ。

 さすがにあの日はどうやって部屋まで戻ったかも覚えていないけど、とにかくネスからもっと話を聞かないと、と翌日には思い立っていたあたり、俺の方はむしろネスと話をすることを強く望んでいた。そんなに早く動揺から立ち直れたのはこれまでの旅で散々心身共に鍛えられてきたおかげだろうけど、ネスの方は俺から質問攻めに遭うのを嫌がっているのか、それとも俺の答えを聞かされるのが怖いのか。今朝なんか朝食を食べ終わるなり姿を消してしまったくらいだ。それでも心折れたり挫けたりせずにしつこくネスを追い掛け回すことが出来ているのは多分、俺はもう、自分の気持ちがどうあるのかを知っているからだろう。皆との何気ない遣り取りの中で、俺はどうしたいのか、どう思っているのか、しっかりと足元を見つめ直すことが出来たからだ。

「私も参考人として議会に呼び出されたが、正直八つ当たりの相手としか見なして貰えなかったよ」

 複雑そうな顔をして王城を見上げていたシャムロックは、俺が声を掛けると穏やかな口調で聖王国の対応状況について教えてくれた。トライドラ屈指の騎士であるシャムロックや蒼の派閥本部を介しての報告が済んだことで聖王国もついに事態の深刻さを受け止めたのか、ゼラムの警備体制も一気に強化されたらしい。前に野盗退治の看板が立った時より衛兵の纏う雰囲気も物々しいものになったけれど、肝心のデグレア対策は遅々として進んでいないのだと声を潜めてシャムロックは言った。議会はパニックに近い混乱と動揺で紛糾し、状況の把握で手いっぱい、方針の決定どころか大臣たちの足の引っ張り合いもあってちっとも話は進んでいないのだと。聖王が強権を振るえばもっと迅速に対応策を打ち出せるだろうけど、それを押し通せばまた別のところで弊害が出てしまうから、どうにも難しい状況なのだと。眉を下げて苦い笑みを浮かべるシャムロックに俺も口をへの字に曲げてしまったけれど、ふっと表情を和らげたシャムロックの目に曇りはなかった。

「だからと言って、足を止めるわけには行かないんだ」

 私は私で出来ることをするよ、と小さく誓いを立てるように呟いた横顔は、まだ色濃く目蓋に残っている。

「ふむ、どうにもキナ臭くはありますが……人々の間にこれ以上、余計な動揺が起きないことを願うばかりです」

 豊漁祭の前からファナンで妙な噂が流れていたことを知ったのは、祭が終わってすぐゼラムに引き上げてきたシオンさんの屋台でのことだ。西の方で戦争が始まると言うそれを何度か小耳に挟んだらしく、本当に噂を裏付けるようなことが起きているのかと聞かれた俺は蕎麦をたぐる手を止めて、迷わず事実を教えた。行き付けの屋台の店主とその常連客という関係でしかないけど、少ない関わりでもシオンさんは信頼出来る人だって確信があったからだ。領主の発表までは内緒にして欲しいと頼んだ俺に当然とばかり頷いたシオンさんだけど、少し考え込んでから噂話と俺の話がほぼ矛盾なく符合すると告げた後で、いつになく真剣な声色でそう呟いた。

「そうでなくては、こちらも商売上がったりですからね?」

 付け加えるように軽い笑みを浮かべたシオンさんに俺も頬を緩ませながら、心底の同意を込めて頷き返した。

 そうだ、アメルのことを抜きにしたって、ここまで首を突っ込んでおいて今更手を引けるわけがない。デグレアの脅威はひしひしと迫っているし、不穏な気配もそこかしこに満ちている。事態が何ひとつ収まっていないのに中途半端に投げ出せるほどいい加減にはなれないし、とっくの昔に俺だけの都合でどうにかなる話じゃなくなってるのだ。それに、見聞の旅に出てからここまで何度も死ぬような目に遭って、それでもデグレアとアメルの件に関わり続けたのは俺たち自身の意志だ。きっと俺の思い込みなんかじゃなくネスも本気でアメルを守ろうとしていたって、デグレアの言いようにはさせたくないって思っていたはずだって、今のこの瞬間だって信じている。

 だから、俺が知らなきゃならないのは理由だ。どうしてネスがあんなことを言わなきゃならなかったのか、どうして森に入るだけで俺は殺されなくちゃならないのか。

 ネスがそれを話してくれないのなら他に事情を知っていそうな人を探して尋ねるしかない。ちっとも捕まらないネスにやり方を変えることを思いついてすぐ、思い浮かんだ人の元へと俺は脇目も振らずに足を動かしていた。

「マグナ、忘れてはいないか? 私もミモザも蒼の派閥の一員だよ。真実を答えるとは限らない。それでも同じ問いを繰り返すことが……」

 部屋にいたギブソン先輩は、ネスが隠している機密について息せき切って尋ねた俺を振り返ろうとして僅かに目を見張ると、かすかな苦笑に目元を和らげた。

「……そうか、気持ちは固いようだね」

 あんなに思い詰めるほど俺のことを考えてくれたネスを一人放っておくなんて出来ないし、絶対にしたくない。あんなに苦しんでいたネスをそのままにするなんて、そんなの俺は絶対にイヤだ。

 俺を守るためにアメルを切り捨てようとしたネスだけど、それが本意じゃないことなんて分かっている。あんな悲壮な顔で、胸が張り裂けるような訴えを口にしたネスが、どうしてアメルのことを本気で投げ出したいわけがない。なら、俺の気持ちもネスの気持ちも本当は一緒のはずだ。ネス自身はそうしたくないのに、そうしなきゃならない事情がある。秘密がある。派閥の重大な機密だとかいう、ネスの気持ちを無理に捻じ曲げようとしている何かがある。それだけの苦痛をネスに飲み込ませようとしている、俺の知らない何かがある。だから知りたい、知らなくちゃいけないのだと、俺は真っ直ぐにギブソン先輩を見つめて訴えかけた。

「俺が知りたいのは真実じゃなく、ネスを救う方法です。それさえ分かれば真実なんて知らなくたっていい……そして先輩たちはネスを助けるための情報ならきっと教えてくれるって、信じてますから」

「ああ。私も大したことは知らないが、答えられることは答えよう」

 俺の言葉にひとつ頷いて先輩が教えてくれたのは実際、ネスの隠している機密そのものではなかったけれど、何も知らない俺にとっては大きすぎる収穫に繋がるものだった。

 禁忌の森にまつわる機密は派閥の中でも最重要とされていること、今の蒼の派閥の総帥はどんな理由であっても死を持って刑罰とするような人間ではないこと。

 ギブソン先輩はこんなことで嘘を吐くような人じゃない。それならネスの苦悩も葛藤も本来、起こりえないものだったことになる。一体誰がネスにそんなことを吹き込んだのか、逆らうなんて出来ない絶対の命令のように言ったのか。ひとつ疑問が解けた端から新たな謎が湧き出てきて頭を抱え込みそうになるけれど、これである意味、話は振出しに戻ってしまった。森に入ることで俺が殺されなくちゃならない理由を知るのがネスしかいないのなら、どのみち、ネスを捕まえて話をしないことには始まらない。問題なのはそのネスが俺を徹底して避けていることで、二人で話すどころかまともに顔を合わせることも出来ていない現状だ。一体、ここからどうしたらいいのだろう?

 いくら頭を捻ってもいい考えのひとつも思いつかず、完全に行き詰まってしまった俺は大きく肩を落として溜め息を吐いた。普段そこまで一生懸命に考え込むこと自体が滅多にないから、何だか頭だけじゃなく肩も背中も変に凝り固まってしまった気がする。どうせ一人で考えてたって大した考えは浮かばないしと、大きく頭を振って椅子から立ち上がると、自然と足先は外へと向かっていた。

「飽きずによく来るな、テメェもよ……」

 兄貴はいねえぜ、と呆れ顔を浮かべて教えてくれたリューグはシャムロックと手合わせの最中だったらしい。いつも鍛錬や手合わせの面子で賑わっている再開発地区だけど、今日は二人の姿しか見当たらない。珍しく思いながら片手を上げて近づいたところで、あれ、と俺は思わず驚きの声をもらした。リューグの足元に突き刺さっているのは斧じゃなくて訓練用の大剣だ。もしかして手合わせもこれでやったのかと信じられない思いで見比べていると、リューグは仏頂面を、シャムロックは穏やかな苦笑を浮かべて疑問に答えてくれた。

「念のためだよ。小さい頃は竹刀やら木刀やらで基礎の基礎を叩き込まれたからな、少しは勘が残ってるんじゃねえかって色々試してんだ」

「手合わせをしての所感だけど、ロッカは剣、リューグは大剣の素養があるようでね。多少なりとも扱える武器種が増えれば、戦術の幅も広がるだろう?」

 顎を伝い落ちる汗をタオルで拭いながら当然のように答えるリューグだけど、シャムロックは称賛と感心の入り混じった眼差しで微笑んでいる。ならやっぱり、そう簡単に出来る話じゃないんだろう。何だか俺まで感心してしまって息をこぼしていると、鬱陶しそうに片手で払うような仕草をしながらリューグは平然と言った。

「お偉方の対策が進んでないからってこっちまで不貞腐れてるわけにはいかねえだろ。ただでさえ学のない俺らに出来ることなんざ武器を振るうくらいだしな。今更狼狽えたって仕方がねえ、どのみち出来ることをするだけだ」

 いっそ清々しいほどに割り切った言い方をするリューグは本心からそう思っているんだろう。タキツが敵に回ってしまった時も、戦場でぶつかるかもしれない今後のことを考えて暗くなる俺たちの中で誰より冷静だった。どうなるかなんていくら考えたって仕方がない、向こうの出方次第でしかないのだと淡々と言い切ったリューグの静かな声を思い返していると、不意に脇腹を肘でつつかれる。

「で? 柄にもなく感傷に浸ってたようだけどよ、今度はどんな面倒事が起きたってんだ?」

「はは……何だか情けない方向に信頼されちゃってるな……」

 相変わらずの歯に衣着せぬ物言いに苦笑が滲むけれど、今の俺にはちょうどいい刺激だ。ネスのことなんだけどさ、とアメルの件は伏せてざっくり話を打ち明けた俺に、始め真面目な顔をして耳を傾けていたリューグは次第に呆れ顔になっていき、最後は深々とした溜め息を吐いて盛大な舌打ちをこぼした。

「ったく、なんでテメェらは揃いも揃って……さっさと巻き込めよ、他の奴らを。アメルあたり喜んで協力しただろうがよ」

「え、だけどこれはあくまで俺とネスの……」

「あぁ? テメェ、自分で言ったことも忘れてんのか。これはもうテメェらだけの話じゃねえんだよ」

 テメェも眼鏡も、何かあったら俺たち全員に関わってくる話だって分かってんのか、と本気の怒気を滲ませながら続けるリューグに言葉を失っていると、気勢を削がれたように大きく肩を落としながらリューグは顔を逸らした。

「……眼鏡の野郎はあれで相当情が深いだろ。何かと融通利かせてくれたのにはアメルだって気づいてる。なら、今もテメェから逃げ回ってるだけじゃなく、自分に出来る精一杯を必死になって探してんだろうさ。……それに胡座をかくような真似、少なくとも仲間のすることじゃねえだろ」

 アイツだって同じことを言ったはずだ、と付け足された声に俺は言葉もなく目を見張って、勢いよく首を縦に振った。勘のいいフォルテあたりは俺とネスの不自然な素振りに気付いているだろうと思っていたけど、何も言ってこないうちは猶予があるのだと受け取って、俺は一人で何とかしようとしていた。でもリューグの言うように、俺から声を掛けるのを待ってくれていたのかもしれない。仲間が弱っていたり困っていたりしたら手を貸して支え合うのが俺たちのやり方だっていうのに、どうして遠慮なんかしていたんだろう。

「ごめん、リューグ。シャムロックも。俺、ちょっと焦ってたみたいだ」

 何でも相談出来たタキツがいなくなって、ネスは正に問題の相手で、一人で考え過ぎてしまったのかもしれない。照れ隠しに頬をかいた俺にシャムロックは思い出したように話を振った。

「ミモザさんたちにも話を聞いたけれど、マグナは本当にいつも彼女と一緒だったんだね?」

「ハッ。いつもコイツのおもりをしてたってのが実態だけどな」

「うっ、否定は出来ない……」

 はは、とシャムロックが明るい笑い声を上げる横で、目元を僅かに和らげたリューグが皮肉げな笑みに口角を持ち上げる。まあ、と瓦礫を割って大地に突き立っていた斧を引き抜き、慣れた手付きで肩に担ぎ直したリューグはもう片方の手に大剣をぶら下げながら横目で俺を見た。

「眼鏡のことはもちろん、こっから先も勝たねえと話にならねぇ。テメェも召喚術だろうが何だろうが、出来る時に鍛えておかねえと泣きを見ることになるぜ」

「ああ、肝に銘じておくよ。リューグたちもこんなに鍛錬に打ち込んでくれてるんだしさ?」

「フン……そのうちジジイも手合わせに引っ張り出さねえとな。使えるモンは何でも使わねえとこの先、やってけねえぞ」

 乾いた石壁に引っ掛けていたタオルを拾ってどこか満足げに鼻を鳴らしたリューグに、俺はシャムロックと顔を見合わせて息だけの笑いをこぼした。俺とネスの問題が解決出来るものだと当たり前に信じてくれているリューグに、本当は何だか腹の底から声を上げて笑い出したいような気分だった。

 再開発地区を後にして、メイメイさんの店に顔を出して、いつものように緩い励ましを受けながら外に出た時にはすっかり気持ちが軽くなっていた。傾き始めた日に照らされて路地を歩く人々の足元も柔らかい茜色に染まっている。穏やかな暖色に目を細めながら、人の流れに身を任せてどこへともなく歩き始めた俺は心の中で呟いた。

 明日、ネスと話をしよう。

 アメルか俺か、どちらかを切り捨ててどちらかを守るなんて残酷な選択をネスにさせたくない。そのためにはやっぱりネスの隠している機密を知らなくちゃいけないけど、もう一度本気で尋ねて、どうしても話せないって言うんなら、その時は改めてネスが話せないようにしている原因を探ればいい。皆や先輩たちにも相談して、協力して貰って、少しでもネスの助けになれるように動く。俺なんか比べ物にならないくらい頭のいいネスがあれだけ悩んで苦しんでいた問題がそんな簡単に解決出来るとは思っていないけど、だからって何も出来ないってことはないはずだ。

 確かなことはひとつ、ここで俺が動かなかったら事態は何も変わらない。逆に言えば、今はまだ何も分からなかったとしても、無我夢中で足を動かしているうちに掴めるものがあるかもしれない。辿り着く場所があるかもしれない。変わる何かがあるかもしれない。

 動き出したら結果は後から付いてくる。それが良いものか悪いものかまでは分からないけれど、少なくとも今のままでいいなんて俺には思えない。それなら俺は、いま、俺に出来るだけのことをする!

 決意を新たに顔を上げると、いつの間にか王城前の広場に出ていたことに気づいて俺は足を止めた。夕暮れ時の広場は行き交う人もそれなりに多く、買い物帰りらしい急ぎ足の女性や仕事上がりの冒険者、家路を駆けていく子供の姿も見える。俺も夕飯までには帰らないとな、と踵を返そうとしたそこで、知らず息を呑んだ。城に背中を向けて歩いてきた女性が目の前を過ぎた一瞬、咄嗟に手を伸ばして遠ざかろうとする肩を掴んでいた。

 まるで星空のような藍色のローブが翻り、驚いた様子で振り返った女性の口が小さな円を描く。つばの広い帽子を深めに被っているせいで鼻から下しか見えないけれど、眼鏡でも掛けているのか、ふわりと浮かび上がった左右の毛先がつるの下で頬へとほつれ掛かった。こうして間近で見て、触れてみると随分上等なローブだ。銀色の糸で細かな刺繍がされていて、繊細な模様が星の瞬きのようにかすかな点を繋いでいる。それに帽子の下で後ろ髪をまとめているだろう髪留めは、きっと一輪咲きのカメリアだ。

 そこまで考えたら後はもう、何も考えられなかった。肩を押さえるのとは別の手で帽子を掴み、断わりもなしに奪い取る。夕暮れの風を受けて僅かに膨らんだ髪は、記憶どおりの懐かしい焦げ茶色をしていた。

「やっぱり、タキツだ……」

 黒縁の眼鏡の向こうに覗く瞳は困ったようなハシバミ色で、光の加減か、いつもより金色がかったその目を見つめて堪え切れずに呟いた。

「はぁ……恰好つきませんね。あんな別れ方をしておいてこんな再会だなんて、お恥ずかしい限りです」

 動揺と混乱に息さえ止めていたのはお互いともだったのか、詰めていた息をこぼして苦い笑みに唇を歪めたタキツがレンズ越しに俺を見る。ローウェン砦どころか祭の夜でさえあんなことをしてしまった俺に向けて、怯えるでもなく嫌悪するでもなく、呆れ交じりの溜め息をひとつ。気の抜けた苦笑に目元を和らげてタキツは微笑む。困った顔をして仕方がないなぁって素振りを見せて、それでもまた、俺の話に付き合おうとしてくれている。自然と俺に向き合おうとしてくれている。その優しさが胸が震えるほど嬉しくて、無性に泣きたくなるくらい懐かしくて、俺は無理矢理笑みの形に頬を持ち上げている。

「でも、俺は、ここで会えてよかったよ! なぁ、こんな場所じゃあ、大っぴらに戦ったりは出来ないよな?」

 笑みを浮かべて尋ねる俺に、困ったとばかりの苦笑に眉尻を下げてタキツは小さく笑っている。




34話にしてマグナが恋愛的好意を自覚しました。やっとか……リューグの男前度がどんどこ上がる。
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