ギブソン邸の一階、大広間に集った面々は神妙な顔をして押し黙っていた。
機械遺跡から戻る途中に加わったアグラ、屋敷の主であるギブソンにミモザ、居候のエルジンにエスガルドと、総勢二十を超える人間が揃い踏みしていると言うのに雑談や談笑にさざめく声のひとつもない。不安に緊張、警戒に疑心。互いの表情に滲み出る内心にあえて触れないよう固く口を噤んだ皆の間には、緊迫感に満ちた静寂ばかりが広がっていた。それもそうだ、とソファに浅く腰かけたシャムロックは詰めていた息を吐き、内心誰へともない相槌を打つ。
これから始まる事情説明の場において進行役を務めることになったシャムロック、場の提供者であるギブソンにミモザと向かい合う形でソファに座っているネスティとアメルの傍に、本来あるべきもう一人の姿はない。昨日ゼラムに到着してからこの昼過ぎまで食事も取らず部屋にこもっている渦中の人物、マグナの不在に思うところのない人間などこの場に一人もいなかった。当事者の一人を欠いたままで詳細な話が出来るものかと懸念の声も上がったが、それでも、と強く説明の場を希望したのは当のネスティとアメルだ。
マグナのことは一旦棚上げしてでも君たちには出来る限りの説明をしたい、と。一緒に旅をしてきた皆さんには知る権利があるから、と。それが自分たちの示せるせめてもの誠意だと、覚悟と決意のこもった真摯な瞳での訴えを思い返しながら、シャムロックはおもむろに口を押し開いた。
「……それでは。貴方たち融機人と言うのは、故郷に当たる機界ロレイラルから戦争を避けて亡命してきた向こうの世界の人間、と言うわけですね」
それは決して絶望に打ちひしがれた末での懺悔でも、全てを諦め投げやりになっての暴露でもなかったはずだ。これまで共に旅路を駆け抜けてきた仲間たちを思えばこそ、その心情に思い馳せればこその決断に、どうして寄り添ってやりたいと思わないはずがない。
「おっしゃるとおりだ。我々、融機人は人の肉と機械の鋼を併せ持った種族。それゆえに高度な機械文明を持ったが、進む方向を見誤って身を滅ぼした」
強いて感情を排して確認を入れれば、努めて抑揚を抑えた声色が返ってくる。過去にあった事実をひとつずつ明らかにしていく遣り取りは淡々と、情に乱されることなく粛々と、静かに着実に積み重ねられていき。長すぎる年月の果てに埋もれていた真実は、やがてその全貌を顕わにしていった。
そもそもの発端は、機界ロレイラルに生きる融機人ベイガーのある一族がこちらの世界、つまりはリィンバウムへと逃亡してきたことだ。かつて機界ロレイラル全土を巻き込んで勃発した機械大戦により死の大地と化したロレイラルでは、持って生まれた肉体を捨てて完全な機械に生まれ変わるか、故郷を捨てて別の世界へと逃げ延びるしか生きる道は残されていなかった。究極の二者択一を迫られてネスティの祖先であったライルの一族は後者を選んだが、無事リィンバウムに辿り着いたところで安息を得ることは叶わなかった。リィンバウムの人々は決して彼らを歓迎しなかったからだ。
「その理由は……リィンバウムの人間なら誰だって知っていると思う」
「ロレイラルもまた……かつて、リィンバウムを侵略するために機械兵士たちを送り込んできた存在だったから……」
沈痛な面差しで目を伏せたネスティの言葉を引き取ってルウが呟くと、ネスティは小さく頷いて話を続けた。
行く先々で迫害されながら安住の地を求めさ迷っていたライルの一族だったが、その放浪はある一族との出会いによって終わりを迎える。それこそが運命すらも自由に律するとまで称えられた莫大な魔力の持ち主、調律者クレスメントの一族。リィンバウムに侵攻する異界の軍勢と戦っていた彼らはライルの一族を庇護する代わりに高度な機械技術の提供を求め、ライルの一族はそれに応え、二つの一族が手を取り合い結託して生み出したのが召喚術をも越える力。召喚兵器、ゲイル。
「最初は攻めてきた悪魔たちを捕獲して、実験は行われました。ですが人間の手で捕らえることが出来る悪魔では、召喚兵器の素体として不十分だったんです」
捕獲と言うよりも鹵獲、相手を意志あるものと扱っていたら正気でいられない極限の状況下、質の低い素体しか手に入らない焦燥と逼迫する戦況に調律者たちの精神は次第に追い詰められていく。どうすればこの現状を打開できるのか、素体の確保だけに労力を掛けられない状況で取れる最善手とは一体何か。行き詰まった思索の果てに、共に悪魔や鬼神と戦ってくれていた異界の朋友、心優しき天使や龍神たちにまで値踏みするような目を向けてしまった時点で破滅は決まっていた。
はたしてコレは有用な素体となり得るか、どうか。
ついに味方までをもゲイルの素体に利用すると言う蛮行に及んだ調律者たちによって、一番初めに犠牲となったのは温和で心優しき霊界サプレスの天使。調律者たちの言葉を微塵も疑わず、身体も魂も完全に造り変えられてしまうまで愚直にも信じていた、当時の調律者の友人の一人。
「ではアメル……お前は、本当に……」
「はい、そうです。あたしは最初に素体にされた豊穣の天使、アルミネの魂の欠片。それが人の形を取って生まれたものなんです」
アグラの震える声に労しげに眉尻を下げながらも、アメルは言葉を濁すことなくはっきりと答えた。痛々しげに顔を歪めたり悲憤に歯噛みしたりと、大事な家族がそれぞれ必死にアメルの話を遮らないようにと苦心しているのを視界に収めたまま、過去の結末を淡々と綴っていく。
裏切りの報いは直ぐに訪れた。アルミネの受けた処遇を知った天使や龍神は甚だしい失望と憤怒を露わにリィンバウムの戦争から手を引き、各々の世界へと引き上げてしまったのだ。それからはもう召喚術を用いて強制的に呼び出すことでしか彼らの姿を見ることは出来なくなってしまったが、これを絶好の好機と見た大悪魔の一人が軍勢を率いて攻め込んでくる。あまりに絶望的な戦局でイチかバチかの賭けに出た調律者たちは、ゲイルと化した天使アルミネを悪魔の首魁にぶつけることを決めるが、結果は相討ち。ゲイルへの改造過程で魂を歪められたアルミネは転生の資格も奪われ、行き場を失い、閉じた結界の中で延々と様々な生き物に生まれ変わっては死を迎えるの繰り返しを続けることになる。そして何故か、ライルの一族は召喚兵器ゲイルに関する知識を、クレスメントの一族は膨大な魔力の一切を失って、それぞれ派閥の監視下に置かれるなり北の果てに追放されると言った処断を受けることとなったのだ。
「融機人ベイガーの特性として、親から子へとその記憶を引き継ぐことが出来る。ライルの一族は今はもう僕以外に生き延びてはいないが、そうした意味では全てを知っていたのは僕だけだ。マグナもアメルも、あの場に至るまで何も知らなかった。だから……頼む。皆、思うところはあるだろうが、どうか責めるなら僕だけにしてくれないか!?」
「ネスティ!? そんな、顔を上げて頂戴!?」
「ネスティ、お前……」
背の低いテーブルに鼻先が擦れる勢いで頭を下げたネスティにケイナが堪らず声を上げ、フォルテが思わずといったように息をこぼす。ミモザやギブソンも目を見張って見つめる中、ネスティは食い縛った歯の隙間から絞り出すような低い声で唸った。
「マグナが何も知らずに生きてこれたのは派閥の判断と、人並みの幸せを与えてやりたいと願ってくれたラウル師範の配慮あってこそだ。けれどそれも彼の魔力が一定の域を出なかったからこそ……何の因果か、先祖返りでも起こしたように彼の魔力が膨張し始めた時点で僕は決断すべきだった。彼の血に纏わる因縁や宿命を明らかにすべきだった。なのに……勇気が出なかったんだ! 僕がもっと早く真実を伝えていれば……こんなふうに傷つけることは、なかったはずなのに……」
マグナ自身には何の咎もない、到底預かり知らないところで罪に塗れていた事実を突きつけることを、ネスティは躊躇ってしまった。連綿と受け継がれてきた記憶の原初、それぞれの祖先が犯してしまった非道を優しい弟弟子にまで明かすことに二の足を踏んでしまった。マグナを真実から遠ざけて無知の檻に留めたのは残酷な運命から庇護するためだ。こんな苦悩を抱えるのは自分だけで十分だと、一度はラウルと同じ結論に至ったからこその躊躇いと葛藤に立ち竦んでしまったネスティに、どんな言葉を掛ければいいものか。ネスティをよく知るギブソンでさえ言葉に詰まってしまったそこで、突き放すような声が響いた。
「だけど、そうはならなかったんですよね」
大きな声ではなかったものの、殆ど全員の視線を集めるほどの驚愕を場に与えた言葉の主は、けれど微塵もたじろがなかった。揃えた膝の上で軽く重ねた手はそのまま、僅かに首をかしげて隣で項垂れるネスティを見つめる瞳は揺らぎなく、思わずとばかりに投げ掛けられた困惑の眼差しさえも受け止める。
「だったら今、ネスティさんがすることは過去を悔やむことじゃありません。いま考えなきゃいけないのは、これからどうするかです」
そう言ってアメルは、にっこりと顔を綻ばせた。瞠目するネスティを見つめるまま、あたしも、と心なし曇りを帯びた声で呟く。
「もしネスティさんと同じくらい記憶が残っていたなら、きっと言えなかった。……分かってますよ? ゲイルに改造されたあたしは被害者だって、ネスティさんたちが思ってることくらい。だけど本当にアルミネの呪いのせいで魔力や知識が失われて、そのせいでネスティさんやマグナさんの一族がこれまでずっと苦しい立場に置かれていたのなら……あたしも、何も言えなかったと思う。お二人に嫌われてしまうことも、辛い思いをさせてしまうことも、どっちも怖くてたまらなくて最後の最後まで言えなかったと思います。……でも、いくら悔やんだって悲しんだって過去は変えられない。当時のクレスメントとライルの一族が犯した罪も、アルミネだったあたしが掛けた呪いも、今更無かったことには出来ないんです」
「……っだが、アルミネだった君には僕らを恨む権利がある!? 責める資格だって」
「あたしはもう、アルミネじゃありません」
口角泡を飛ばす勢いで反論しようとしたネスティを、アメルは穏やかに遮った。続けるべき言葉を見失ってしまったネスティに向けて、ネスティさん、と諭すように呼び掛ける。その声色と同じ柔らかな笑みを瞳に湛えてアメルは微笑んだ。
「アルミネの魂の欠片であっても、あたしはアルミネ自身じゃない。ネスティさんだって同じです。記憶を引き継いでたってネスティさんは当時のライルの一族のひとじゃない。なら、ネスティさんが今ここで責められなきゃいけない理由なんてない。もしあるとしたら……一人でずっと悩んでいたのに相談してくれなかったことでしょうか?」
「アメル……」
ちらりとフォルテを横目で見て、そうですよね、と念を押すように目を細めたアメルに、フォルテが嘆息交じりの苦笑に表情を歪めた。呆気に取られたように目を丸くするネスティと背中を押すように強い眼差しを返すケイナを交互に見やってから大きく息を吐くと、顔を上げてにっと口角を持ち上げての笑みを作ってみせる。晴れ晴れしくもどこか気楽で調子のいい、いつも通りの笑みがその顔に浮かんだ。
「ああ、だな? 俺が腹を立ててた理由だってすっかり誤解してたみてーだしよ……貸しイチだぜ、ネスティ。こっから先は妙な遠慮なんかしたら、本気で容赦しねえからな?」
「ふふっ。ね、ネスティさん? 今のネスティさんに出来ること、今のあたしにしてあげられること。これからは皆と一緒に考えていきましょう」
声を低めて脅すように釘を刺したフォルテに続いて、花が咲くような朗らかさでアメルが笑う。ミモザと顔を見合わせたギブソンが、ネスティも良い仲間に恵まれたね、と嬉しそうに微笑んで静かに席を立つ。もう大丈夫、自分たちの後輩は前を向けると確信しきったような言動にネスティは息を呑み、胸を塞いでいたはずの罪悪感や後ろめたさがすっかり軽くなっていたことに気が付いた。過去の過ちは消せなくとも、そこで学んだ痛みや後悔はその先の未来に活かしていける。自分一人じゃ直視することさえ躊躇ってしまう現実でも、信頼出来る誰かと一緒にならきっと立ち向かっていけるはずだから。意気地なしだった弱い自分を責め続けるよりも、その方がずっと皆の笑顔に繋がっていくはずだから。
「……やれやれ。こうしてみると僕は確かにマグナの兄弟子だな。君たちに言われるまでそんなことにも気が付かなかったとは」
本当に馬鹿だ、と。
肩の力が抜けたような苦笑に息を緩めて目を伏せたネスティに、固唾を飲んで成り行きを見守っていた皆の間にもやっと弛緩した空気が流れ始めた。これまでずっと張り詰めた顔をしていたネスティがどこか泣きそうに表情を和らげたことで一気に緊張の糸が緩んだのだろう。釣られたように目を潤ませているルウの傍では穏やかな苦笑に口元を緩めたレナードやカザミネが目配せを交わし合っているし、気が抜けたように安堵の溜め息をこぼすモーリンには慌てた様子のユエルが何か声を掛けている。それじゃ馬鹿な弟弟子の方も、とリューグが揶揄い交じりの声をこぼせば、引っ張り出してこないとね、とその意を察したミニスが景気よく足音を響かせて階段を駆け上っていく。現実問題、何が変わったと言うわけではないけれど、これで一件落着と言った雰囲気がどことなく漂い始めた時だった。
「大変よっ!? マグナがいなくなっちゃった!」
吹き抜けの手すりから身を乗り出す勢いで慌てた声を張り上げるミニスに、その場にいた全員が弾かれたように腰を浮かしていたのだった。
「まっさか、窓から出ていくなんてねぇ……」
さすがは私の後輩だこと、と軽やかに口笛を吹きながら窓の向こうを見下ろしたミモザに対し、机に残された置手紙に目を走らせたネスティは険しく眉根を寄せるなりぐしゃりと紙を握り潰した。
「あの、馬鹿……!」
互いを押し退けるように階段を駆け上がって、飛び込んだマグナの部屋の窓は全開になっていた。大きく膨らむカーテンを抜けて辿り着いた窓から見える景色に変わりはないが、窓枠近くまで伸びた庭木の枝やその分かれ目によく目を凝らせば不自然な樹皮の剥がれや枝のしなったような跡に気が付く。身の軽さを活かして窓から枝伝いに庭に出た後は、木立に囲まれて人目に付きにくい裏庭の方を辿って屋敷を出ていったのだろう。ちょっと出てくる、と書き殴ったような字が残されるばかりの手紙を握る力を無言で増したネスティの傍ら、すぐに追い掛けないとと動揺しながらも提案するルウやミニスだったものの、そこに制止の声が飛んだ。
「ほっときなさい。ちょっと出てくるって言ってるんでしょ? 暫くは一人にさせてあげましょう」
「ですが先輩!? マグナが心配じゃないんですか!?」
無情とも言える指示に噛みつくような言葉を返すネスティだったものの、滅多になく真面目な顔をしたミモザは身じろぎもせずに見つめ返す。
「今、マグナを見つけても連れ戻すことは出来ないわ。マグナはマグナなりに答えを出そうとして一人になることを選んだんでしょう……ってわけで、今日のところは皆もひとまず自由行動ね?」
信じて待っててあげましょ、と声色を和らげて付け加えるなり、片手をひらつかせながら部屋を出ていったミモザに次いで動いたのはフォルテだった。何か熟考するように黙り込んでいたのも束の間、がしがしと頭をかきながら大仰な溜め息に肩を落とすと、ぐるりと周囲の面々を見回すように視線を投げかけながら不敵な笑みに口角を片方持ち上げる。
「ま、そうだわな。あいつも頭が冷えたら戻ってくるだろ。それまで俺らもやることやっとかねーとな?」
気分転換に身体でも動かそうかね、と肩を大きく回しながら悠々と出ていく背中に、ならば拙者も付き合おう、手合わせなら付き合うぜ、とカザミネやリューグまであっさり賛同を示しながら付いていけば、それが呼び水となったのだろう。
「うーん、やっぱり心配だけど……でも、こういう時こそ信じてあげないとなのかも?」
「ええ、ええ。戻ってくる頃にはきっとお腹を減らしているでしょうし、何か簡単なものでも作っておきましょうか」
眉を曇らせるルウを宥めるようにカイナが声を掛け、気持ちを切り替えるように自分の頬を叩いたモーリンも部屋を出、部屋の人数は見る見るうちに減っていく。それでも足を動かせずにいたネスティ以外にはもう、ネスティたちを心配して残ったのだろうシャムロック、それにアメルしかいない。だが、それでも、と葛藤する気持ちに足踏みしてしまうネスティの顔を上げさせたのは、やっぱりアメルだった。
「ネスティさん、あたしたちも待ちましょう?」
そっと背中を押すような声に顔を向けた先、寄り添うように佇んでいたアメルが微笑む。
「マグナさんが戻ってきた時にちゃんと説明できるよう、今はお互いに覚えている話や気持ちを整理しておきませんか? 何も知らなかったマグナさんがこれ以上、変に傷ついたり驚いてしまうことのないように」
転生を繰り返す中で主要な記憶以外は朧げになってしまったアメル同様、記憶を引き継いでいると言ってもネスティのそれにも所々虫食いのような箇所がある。何より、記録ではなく記憶を引き継ぐ融機人ベイガーの特性か、心まで焼くような激烈な感情に引きずられて観測主の視点が大きく歪んでいるような記憶があることは否定できなかった。それを知っていたわけではないだろうに、今だって何か出来ることがあるはずだと励ますように言葉を重ねるアメルを前に、いつの間にか凝り固まっていた感情が解けていくのを他人事のように眺めながらネスティは目を閉じる。
「……そう、だな。闇雲に心配するだけじゃこれまでと何も変わらない。信頼すると決めたなら待つことも必要か……」
分かったよ、と自分自身に言い聞かせるように呟き、深々と息を吸い込んでの深呼吸をひとつ。気を取り直すように小さく頭を振ってから目を開いたネスティは、ふと窓際のシャムロックへと声を投げかけた。
「ところでシャムロック。庭にいるのはミニスだけでいいのかな?」
「ああ、やはり気づいていたか。……ほら、ミニス? ネスティにもバレていたようだよ?」
「なっ、何よっ!ネスティまでっ!? 私はちょっと散歩に行くだけよ!?」
苦笑交じりに庭へと向かって呼び掛けるシャムロックの隣から視線を落とせば、反射的に顔を上げたらしいミニスが躍起になって言い返してくる様子が目に入る。人目に付く正面玄関、鍛錬組が足を運んだだろう裏庭を避けて、庭を突っ切ることを選んだ判断はまあ悪くはないが、とネスティは自然と緩んでしまう声色に呆れを乗せて呟いた。
「それにしては杖にサモナイト石に、しっかり備えているようだけど……君もミモザ先輩の話は聞いていただろう?」
年若くも優秀な召喚師だと言っても、ミニスはまだまだ経験が浅い。武人や冒険者のような訓練を受けていないのだから当然だが、気配の殺し方や足音を立てない歩き方なんて知るはずもない。誰かに気付かれることも覚悟の上で屋敷を抜け出そうとした気概は評価できるが、とお小言を繰り出そうとした気配を察したようにミニスは猛然と口を開いた。
「それでもっ! あんなに落ち込んだマグナを一人になんて出来ないわっ!? もちろん声は掛けない! 近づいたりもしない! その上で見守るくらい、別に構わないでしょ!」
悪いひとに目を付けられて攫われちゃったらどうするの、と自分より小さな子を心配するような言葉を本気で放つミニスに、咄嗟に笑いそうになったネスティはどうにか堪え切って表情を引き締め直した。ミニスは何も考えなしに突っ走っているわけじゃない。不満への瞬発力、咄嗟の判断をすぐさま行動に移せるのは紛うことなきミニスの強みだ。それでもこうも全力で食って掛かられると笑いだってこぼれてしまうと、同じように唇を噛んで何かを堪えている様子のシャムロックを一瞥してネスティは苦笑を落とした。
「相変わらず口が立つな、君は。そうまで理路整然と返されては何も言えないよ。だから、すまないがシャムロック」
肩を竦めながら横目でシャムロックへと目を合わせれば、意図を察したのだろうシャムロックも口元を和らげる。
「ミニスの散歩に付き合ってくれないか? なにせ近頃は物騒だからな」
「ああ、もちろん。私もちょうど外の空気を吸いたかったところなんだ」
きょとんと目を丸くするミニスに向かって、ちょっとだけ待っててねミニスちゃん、と窓から身を乗り出したアメルが満面の笑みを投げかけている。本当にここの女性陣は皆強いひとばかりだと、しみじみと胸に去来する感心と感慨にネスティは穏やかに目を細めた。
気が付いた時には、ゼラムの街並みを歩いていた。
ふらふらと当てどなく、人の流れに身を任せて、ただぼんやりと足を動かし続けている。何がしたくて外に出たのか、何から逃げたくて部屋を出たのか、そんなことさえ分からないまま、糸の切れた凧みたいにぼんやりと雑踏を流されていた。
「行ってくるといい。話をしたいひとがいるんだろう?」
部屋を抜け出した時、ちょうど訪ねてきたギブソン先輩に見つかったけれど引き止められはしなかった。目を見開いたのは僅か一瞬、仕方ないとばかりの笑みに目尻を下げて俺を見逃しながらの言葉の意味は分からなかったけれど、それを深く考える余裕もないまま、足だけが勝手に動いている。ゼラムに戻ってきてから、いいや、機械遺跡での一件からずっと心は堂々巡りを繰り返しているのに、足ばかりが前へ前へと何かに突き動かされるように進んでいるのは奇妙な心地だった。
最後の最後まで諦めたくない。どんな絶望の先にだって希望はあると信じたい。足掻いて藻掻いて、例え運命にだって食らいついてみせる。この想いが意志があるうちはひたすら、前へと向かって進み続けるしかないのだと。
我ながら、何をいい気になって考えていたんだろう。ネスがああまで必死になって隠そうとしてくれた真実を自分の手で暴いておいて、秘密の重さに打ちのめされて、過ちの大きさに押し潰されて、顔を合わせることも出来ずに逃げ続けている。そんな俺に何が出来るはずもなかったのに、一体何を思い上がっていたんだろう。
返す返すも馬鹿馬鹿しくてならなかった。召喚獣の幸せだとか、世界の在り方がどうだとか、そんなことを語る資格なんて最初から俺にはなかったのに。何も知らないからって大層な思い違いをしていたものだと思う。俺が動いたところで意味なんかない。それどころか逆効果にしかならないってもっと早く気が付けばよかったのに、どうして今の今まで気付けずにいたんだろう。ああ、俺がそんなにも馬鹿だからこんな思いをする羽目になったのかな。俺が何も知らなかったからこんな目に遭っているのかもな。
ぐるぐると渦を巻いて膨らみ続ける自己嫌悪と自責の念、理不尽への慟哭とやり場のない憤懣がぶつかりあって気持ちはぐちゃぐちゃで、周囲を見る余裕なんてこれっぽっちもなかったのに。
「そういえば、この通り……前にも歩いたっけ……」
ふっと視界を掠った街灯の形と見覚えのある店の並びに、いつか歩いた道だったことを思い出した。自分の呟きが呼び水になって芋づる式に蘇ったのは、凪いだ水面のような横顔の中で無邪気な興味に輝いていた明るいハシバミ色。見聞の旅に出ると決まったばかりの頃、タキツを連れてゼラムの街を案内した時の他愛もない遣り取りの数々だった。
「ほら、タキツ。あっちに見える尖塔は王城のなんだけどさ、こんなに離れてても見えるんだぜ?」
王都と言えば聞こえはいいけれど、高く築かれた城壁に四方を囲まれているだけあって慣れないひとは閉塞感や圧迫感を覚えたりするらしい。前に小耳に挟んだそんな話を思い出して、こっちは劇場通り、あっちはハルシェ湖の入口と、あちこち案内しながら小まめに見晴らしのいい場所を教えたのは気遣いというより単に浮かれていたからだ。野盗との戦いで白星を上げた興奮と高揚感、俺にも教えてやれることがあった嬉しさ、興味深そうに瞳を輝かせて指差す先を見てくれる反応が少し意外で可愛くて、すっかり得意になって喋っていた。タキツはそんな俺をどこかおかしそうに、微笑ましそうに見ながら何度も相槌を打ってくれていた。
「主はこの街の景色が好きなんだね。うん、私も好きになれそうだよ」
そう言って小さく笑った顔を思い出した途端、会いたいと思った。無性に会いたくてたまらなくなった。あの時みたいに話を聞いて欲しい、俺の言葉に頷き返して欲しい。そんなことを祈るような必死さで望んでいたことに気が付いてしまえばもう駄目だった。そのためだけに部屋を出てきたんだって、今更のように自覚が及んでしまえばついに足も止まっていた。
あれから季節は一巡りもしていないのに、信じられないほど遠くに来てしまった。二人で一緒に歩いた時はあんなにも胸が弾んでいたのに、今は鉛でも詰め込まれたかのようにひどく重い。なんで、こんなことになってしまったんだろう。真実なんて物に手を伸ばさなければ、こんな苦しい思いをせずに済んだんだろうか? 何も知らないままでいれば、あの頃みたいに穏やかな日々を過ごせていたんだろうか?
俺がやってきたことは、歩いてきた道のりは全部、間違いでしかなかったんだろうか?
頭上の空気が急に重みを持って圧し掛かってきたようで大きく頭が垂れた。たまらない息苦しさに喉が詰まって、抑えるように胸元の生地を鷲掴んだ。劇場通りの中でも軽食のスタンドや喫茶店が多い路地だからか、周囲には明るい笑い声や楽しげな笑顔が溢れている。そんな場所に俺なんかがいる場違さと居た堪れない思いに駆られるまま、靴先は明後日の方向を向いた。
そもそも、当てもなく歩き回っていたってタキツに会える保証もない。約束だってしてないし、既にゼラムを離れてしまった可能性だってあるのだ。ならもうここにいたって意味はない。せめて少しでも人気のない場所に、導きの公園辺りなら一人になれるだろうかと逃げるように去ろうとして、どうして顔を上げたのか。
クレープを扱っている軽食スタンドの陰に一組の男女が見えた。どこかの貴族に仕える使用人なのか、似たような色調の服に身を包んでいる。頭一つ分ほど背の高い男の方が女性の耳元に口を寄せ、何か囁きながら頬へと触れるように手を伸ばす。薄く眉を顰めた女性が眼鏡の奥で伏せていた目を持ち上げ、睨むように男を見上げた姿に、考えるより早く身体が動いていた。
「それじゃ今夜」
「なあ、知り合いか?」
タキツ、と二人の間を割って勢いよく路地の壁に突き立てた手をそのまま、俺は問いかけた。鼻先すれすれを掠めていった手に反射的に仰け反ったのか、にやついた笑みを顔から消して俺を凝視している男をじっと見る。品のいいコートの前が大きく開いて紺地のセーターが覗いているけれど、落ち着いた佇まいに反してその身体つき、身のこなしや目つきには普段から戦いの中に身を置いているような違和感があった。冒険者上がりにしては、と知らず眉根を寄せたところで男が不意にその口角を緩める。
「……ああ、先約がいたのか! 申し訳ない、俺はここで失礼するよ」
数歩下がっておどけたように肩を竦めると、あっさり踵を返して去っていく。釣られて拍子抜けするでもなく何となしに背中を目で追っていたけれど、別に、と嘆息交じりの声が聞こえてきて思わず視線を引き戻した。
「友達とかじゃありませんよ。ちょっと予定を聞かれただけです」
「それってつまり、ナンパじゃないか……」
いっそ堂々と言い切ったタキツは顔のすぐ横に手を突かれたままなのに動じた様子もない。何だか呆れて肩まで落としてしまった俺だけど、それより、と続いた声に項垂れかけた顔を上げようとして固まった。
「わざわざ声を掛けてきたってことは何か、話したいことがあるんでしょう? ……もう、そんな怖い顔して」
本当に酷い顔、と柔らかい声と眼差しにこれ以上ない心配を滲ませて、伸ばした指先で俺の髪を撫でていく。ゆっくりと髪をかき混ぜるように触れる手つきは優しくて、こんなふうに撫でられるのはいつぶりだろうかと思ったら、不意に目の前が霞んだ。初めて会った日に落ち込む頭をかき撫でられて、ファミィさんから名誉勲章を貰った後にはその頑張りを褒められて、そして今が三度目。思い返してみれば、タキツに頭を撫でてもらうたびに俺はいつも泣きそうになっていた。
「タキツ……俺、俺さ。話したかったんだ。話したいことがたくさん、あって」
「いいですよ、付き合います」
ようやく開いた口から震えた声を紡げば、滑り落ちるように俺の頭から自身の胸元まで引き戻した手を軽く握ってタキツは頷く。それが当然であるかのように、何も気にする必要はないというように、一度握ってから緩やかに開いた手を差し伸べてタキツは穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫。貴方の話が終わるまで、ちゃんと一緒にいますから」
弱音も泣き言も全部許してくれるような微笑みを前に、くしゃくしゃの笑みを浮かべた俺はどうにか首を縦に振っている。
タキツに手を引かれるまま路地を過ぎて通りを抜けて、いつの間にか歩いていたのはハルシェ湖の畔だった。これまでにあったことを出来る限り掻い摘んで話したけれど、途中感情が波打つたびに舌はもつれて声は詰まり、上手くまとまらない話ぶりだったろうに、タキツは静かに相槌を打って俺の話に耳を傾けてくれた。時折首をかしげて振り返っては様子を見て、優しい瞳でそっと微笑むなり頷くなりをして、俺の言葉と足が止まらないように促してくれた。緩やかに繋がれた手から伝わってくる温もりは夜道を照らすランタンのようで、俺は殆ど夢中になって胸の中に散らばっていた気持ちや出来事の記憶を言葉に変えて吐き出していった。
「そうですか、そんなことが……」
ようやく説明に一区切りがついて深々と息を吸い込んだ時には、湖畔の通路を半周近く歩いてきたところだった。神妙な顔で頷いたタキツの声で現実に引き戻されたけど、ここまで荒唐無稽な話をよく真面目に聞いてくれたものだと今更のように思う。自分でも知らなかった出生の秘密、俺の血筋とそこに纏わる因果。タキツと一緒にあの森に入った時にはまさかこんな秘密が眠っているだなんて少しも想像していなかった。重すぎる負の遺産を突き付けられることになるなんて考えもしなかった。何があっても諦めないとか、立ち止まることだけはしたくないとか、だからこそ思ったままを好きなように言えていたんだろうけど。
「はは……情けないな、俺? あれだけ大口叩いてたくせにさ」
だけど、今は違う。
乾いた苦笑をこぼして項垂れながら、俺はゆっくりと足を止めた。
今の俺は知ってしまったから、もう知らなかった頃の俺には戻れない。
ネスの忠告を守って禁忌の森に足を踏み入れなかったら、アメルのことを派閥に預けて手を引いていたら、ひょっとしたら何も変わらない穏やかな日々を過ごせていたのかもしれないけど。途方もない罪を背負って生きていることに気が付くことなく、ただ笑って毎日を過ごしていけたのかもしれないけど。俺は自分の手で、自分の行動で、その可能性を粉々に打ち砕いてしまったのだ。
「もう……俺、どうしたらいいか分からないよ。クレスメントの末裔だとか、ゲイル計画だとか、いきなりそんなこと言われても俺、何も知らなかったのに……!」
「けれど、知ってしまったんでしょう?」
情けなく縋るような口調になった俺に対して、返ってきた声はあまりに静かだった。淡々とした、いっそ冷たいほどに落ち着き払った声色に思わず顔を振り上げれば、繋いでいた手をするりと解いて身体ごと振り返ったタキツがその目に俺を映した。
「知ってしまった以上、知らなかった頃には戻れません。過去には決して手は届きませんし、誰にも時間を巻き戻すことは出来ませんから」
冷徹に、平等に、誰に対しても一切の分け隔てなく流れていく時の厳しさを語る瞳は揺らぎない。決してやり直しは出来ないのだと告げるタキツの声がほんの僅か、苦しげに掠れたけれど、それでも眼差しは落ちることなく俺を見据えている。目の前にある現実は変えられないのだと、分かり切っていたはずの事実を突きつけられて、だけど、と咄嗟に口を突いて出そうになった言葉が聞こえたわけではないだろうに。
「……本当は分かってますよ、マグナも」
緩んだ苦笑に頬を持ち上げながらの言葉に、え、と間抜けな声をこぼした俺の前、軽く握った手から人差し指だけをぴんと上に向けてタキツは言った。
「少し整理しましょうか。ねえ、マグナ。貴方の前には今、二つの選択肢があります。自分がクレスメントの末裔だったことを受け入れるか、放り出すかということ」
俺が召喚兵器ゲイルを生み出したクレスメントの末裔で、調律者たるロウラーのを血を引く存在だということ。
自分でタキツに教えたくせに、その口から言葉にして突き付けられた事実に唇を噛んで押し黙ってしまう。放り出せるなら放り出したい、素直に受け入れるなんて到底出来そうにない厳しすぎる現実。言葉にならない衝撃と絶望と共に俺の精神を叩きのめしてくれた真実を一体どう扱うつもりなのか。選択肢と言う天秤に乗せてきたタキツを無言で見つめ返した俺だったけど、続いた言葉に耳を疑った。
「まあ、どちらにしたって大した問題はないんですけどね」
「そっ……んなわけ!? 問題なんてあるに決まってるだろ!?」
唖然と目を剥いたのも一瞬、俺は猛然と食って掛かっている。後ろから勢いよく頭を殴られたような衝撃から立ち直る余裕もなく、混乱と動揺に声を荒げるけれど、タキツはそれに対しても穏やかな声で尋ね返してくる。
「例えばどんな?」
深刻な空気を漂わせること、それ自体がおかしいのだと言外に語るような落ち着きぶりにいよいよ焦りが募るまま、俺は無我夢中で思いつく限りを口にした。
「ライルの一族の末裔だったネスに、ゲイルにしてしまった天使アルミネの生まれ変わりだったアメル! 俺がロウラーの一族の血を引いてるって言うのなら、一体どんな顔をして二人に会えばいいっていうんだよ!?」
荒く肩で息をしながら胸を突く衝動と勢いのままに吐き出し切った途端、すっと胸に落ちるものがあった。
これから俺は一体、どんな顔をしてネスやアメルと、皆と会えばいいのか。
遺跡を後にしてからずっと頭の中がぐちゃぐちゃで、誰にも顔を合わせられない思いでいっぱいで、それでも俺はやっぱり皆に会いたかったんだ。ネスやアメルとまた、顔を合わせて話が出来るようになりたかったんだ。大罪人の血を引く俺なんかがそんなこと望んじゃいけない、もう二人に会えなくなったって仕方がないって頭では思いながらも、だけどどうしても受け入れられなくて心の底では藻掻いていた。
「本当に人が好い。……結局、自分がクレスメントの末裔だって受け入れてるじゃないですか。ネスティやアメルを大事に思うからこそ、放り出したくなるような重い真実でも受け止めたんでしょう?」
そのことに思い至ってしまった俺を見て、困ったように眉尻を下げたタキツはどこか嬉しそうに表情を和らげた。ならもう少し考えてみて、と促すような声に呆然と瞬く間にも、優しい声は続いていく。
「マグナ。貴方は確かにゲイルを生み出したクレスメントの末裔かもしれませんが、同時に貴方は貴方でしかないんです」
「俺は、俺でしかない……?」
力の抜けた声で繰り返すばかりの俺と目を合わせたまま、噛んで含めるようにタキツは言う。
「ネスティと言う兄弟子を持ち、アメルと言う少女と出会ったのは誰ですか? 黒の旅団の襲撃を受けてなお、ここまでアメルを守り、旅を続けてきたのは誰ですか?」
それは、考えるまでもなく俺だ。その時その時で皆と相談しながらだったけど、最後にどうするかを決めたのは俺自身。俺の気持ちがどうあるのか、俺の望みはどこにあるのか、悩んで迷って導き出した結論はいつだって俺なりに胸を張って言えるものになった。少なくともその時の俺にとって正しいと信じられるだけの選択を重ねて、それがどれだけ苦しい道でも一緒に付いてきてくれる皆の気持ちに応えたくて、俺は、いつだって俺に出来る全力でここまでの道を駆け抜けてきた。
「そうしようと思ったのは、その決断に至ったのは、貴方がクレスメントだからじゃない。何も知らない、ただの貴方が決めたことだったんじゃないですか?」
真実なんて知らないまま、ただのマグナだった俺が積み重ねてきた選択全てに意味があるのだと声が言う。それはクレスメントの末裔としての俺が持つ意味よりもはるかに大きく価値あるものなのだと眼差しが言う。見聞の旅に出てから出会った皆と結んだ親交、派閥と言う世界に生きていた頃から紡いできた結びつき。そのどれもがただのマグナが培ったものだと、ただの俺にしかない価値なのだと、重ねられていく問いに込められた想いが痛いほどに突き刺さって、反論も否定も浮かばないほど俺の思考を眩しく焼いていく。そんな中で一瞬、アメルとの遣り取りが脳裏をよぎった。
誰かに信じて貰って初めて自信は生まれる。大事な人に信じられて信頼されている自分で在りたくて、心が奮い立たされる。頑張ろうと意気込める。
「少なくとも、私が見てきたのはクレスメントの末裔や蒼の派閥の召喚師なんて肩書じゃない、ただの貴方。呑気でお人好しで誰より優しい、ただのマグナが私の好きになった貴方です」
いつの間にか両手で温めるように俺の手を包んでいたタキツが、俺が想いを告げた時みたいに靴先から瞳まで真っすぐ向き直って俺を見ていた。はっきりと一音ずつ区切るように告げられた言葉がじわじわと染み込んでいく間もそのハシバミ色は優しい微笑みを湛えて俺を映している。俺を見て、見止めて、認めてくれている。そう思った途端、ぐっと胸に込み上げてきた熱い衝動があった。
俺は、何を馬鹿な勘違いをしていたんだろう。俺はずっと一人なんかじゃなかった。いつだって誰かが俺を見てくれていた。本当の意味でひとりぼっちだった時なんて孤児だった頃しかない。こんなにも心配してくれる人たちに囲まれていたのに今の今までちっとも気づかず、身勝手な不安に駆られていたなんて恥ずかしくってたまらない。胸に溢れ返る嬉しさと安堵、羞恥の念に息が詰まりそうになるのを堪えて、それに、と思う。
好きなひとに好きだって言われるだけで、自分が自分じゃないみたいに力が湧いてくる。何でも出来るような勇気と自信が湧いてきて、心が漲っていくのが分かる。今ならきっと、ネスやアメルにだって会える!
「大丈夫ですよ、マグナなら」
優しく頭を撫でていくような励ましに、うん、と俺はどうにか首を縦に振り返した。ひとつ息を吸って両手をぎゅっと握り返すと、勢いよく顔を上げて笑顔でお礼を告げる。
「ありがとう、タキツ! 俺、ネスとアメルに会ってくるよ! ……あ、でも一人で大丈夫か?」
勢いのまま背を翻して駆け出そうとした寸前、思い止まって振り返った先で見つけたタキツは何か口を開きかけていたけれど、俺が尋ねると不思議そうに疑問符を浮かべた。さっき妙な男に絡まれていたことをすっかり忘れていたらしい。心配と呆れを込めて見つめ返せば、小さく息を吐くように笑ったタキツは肩を竦めながら腰のポーチにその手を入れた。
「気にしないで。今は自分のことを考えて下さい。私の方は、一人でどうにか出来ますから。……それと、これは餞別です」
空いた手で俺の手を上に向けて開かせると、手のひらに何か小さな石のような物を落としてくる。一体何だろうと尋ねようとして淡い緑色の輝きから漂う気配に気付いた俺が目を見張ってしまえば、その反応が面白かったのか。子供みたいに屈託ない笑みをこぼして、タキツはくすぐるように囁いた。
「私の大事な紫熟を、貴方だからこそ託します。……貴方の荷物は貴方にしか背負えませんが、それでも決して一人じゃない。未来はいくらだって変えられます。だから」
負けないで、と祈りを込めるように俺の手を包んでから一歩その場を下がったタキツに、俺は勝手に開きそうになる唇を無理に引き結んで眼差しだけで力強く頷き返した。やっぱり、と思う。
やっぱり俺はタキツのことが好きだ。話をすればするほど、もっとタキツのことが知りたくなる。何を考えているのか、何を思っているのか。一体俺に何を望んで、何を期待してくれているのか。前までだってそういった話に気軽に踏み込める距離感だったわけじゃないけど、それでもあの頃は当たり前に一緒にいられた。一方的に優しくされるだけじゃない、俺からも何かを返せるような関係だった。もうあの頃には戻れないけれど、だからって未来のことまで諦める必要はないんだから。
「……うん! それじゃあ、行ってくる!」
俺は、俺に出来ることをしていこう。明るい笑みを投げ掛けて走り出した俺が横目で見たタキツは最後まで、優しい笑みを浮かべていた。
「おや、ようやく来たか」
「そんなに息を切らして……すみません、お水を一杯頂けますか?」
屋敷に戻ってから街中を駆け回って息を切らしていた俺は、唖然とするあまりその場に座り込みそうになった。のんびりした調子で俺を迎えてくれたネスとアメルは二人仲良く蕎麦処アカナベの長椅子に腰かけて、俺を穏やかな眼差しで見つめている。大分西日が傾いて差し込む日差しにも茜色が混じり始めているけれど、どうやら少し早めの夕飯を取っていたらしい。
「な、なんで二人がアカナベに……」
「もっと早く来るかと思ったが随分待たされてしまったからな。アメルのオススメということだし、ソバを食べに来てたんだ」
「はは……私も驚きましたが、お二人ともこんな調子で。待ち人が来るまで待たせて欲しいと頼まれては断るわけにもいきませんからね」
困り笑いのシオンさんが肩を竦めるのに合わせてアメルがくすくすと楽しげな声を揺らす。ネスは肩を竦めて素知らぬ顔をしているけれど、導きの庭園やらハルシェ湖の入口だとか思い付く限りの場所を巡ってきた俺は混乱に目を白黒させながら二人を見つめた。すると、顔を見合わせた二人は柔らかく表情を綻ばせて、示し合わせたように椅子から立ち上がる。
「大将、お勘定を。また近いうちに来るよ、三人でね」
「少し歩きましょうか、マグナさん?」
想像していたどんな展開とも違う二人の反応に呆気に取られながら辛うじて自分の足で付いていった先は、さっきも通り掛かった導きの庭園だった。夕暮れにはまだ早い時間帯だというのに珍しくあまり人気がなく、噴水脇のベンチも空いている。どうぞ、とアメルに促されて隣に腰かけた俺は、少し迷って二人にひとつ頼み事をした。
クレスメントの一族が過去にしてしまった所業を許して欲しい。何も知らずに生きてきた俺をどうか許して欲しい。
そんなことを頼んだわけじゃないし、謝ったわけでもない。いや、本当ならそうした方が正しかったのかもしれないけれど、今の俺が全力で考え抜いた、これが正しいと信じられるだけの結論。今の俺の気持ちに一番嘘偽りのない望み。
「ネス、アメル。いま二人が思っていることの全てを、俺に話してくれないか……?」
勇気を振り絞って頼み込んだ俺に返ってきたのは拒絶や否定の声の代わりに、そうだな、そうですね、と穏やかな声色での承諾で。思わず顔を上げた俺に向けられた瞳は暖かく、けれど真っ直ぐな決意と覚悟の秘められたものだった。
「僕たちも君のことを待っていたんだよ。ずっと、話がしたかったんだ」
「ええ、マグナさんならきっと来てくれるって信じていましたし」
だって、と穏やかな声でアメルが続ける。
「遺跡でのあの時、貴方はあんなに辛そうな顔をしながらでもあたしたちの言葉を遮ろうとはしなかった。その優しさが貴方なんだって、あたしたちはよく知っていますから」
そう言って、アメルとネスが話してくれたのは、皆には先に説明したらしい過去の経緯の全てだった。
二人とも記憶の一部に曖昧なところはあるけれど、クレスメントとライルの一族が召喚兵器ゲイルと言う存在を作り出し、天使アルミネだったアメルがその素体として使われたことは間違いないということまで説明を受けて、俺は膝の上で握っていた拳に無言で力を込めた。
召喚獣を意志ある存在として欠片も扱わないからこその徹底的な強化改造。苦痛も喜びも感じないよう意識さえもプログラムの制御下に置いて、完全に破壊されるまで稼働し続ける理想の兵器。誓約とプログラムの二重の鎖で対象を縛り付け、その魂すらも歪めてしまう禁断の技術。
それを成し得たのは機界ロレイラルの卓越した技術を持つライルの一族の協力あってこそだろうけど、強要したのはクレスメントに一族だったことに疑いはなく、それならネスとアメルはどちらも紛れようもなく被害者だ。当事者でもない、当時の記憶を引き継いですらいない俺がここで頭を下げたところで気が済みはしないだろうけど、決して謝って済むようなことじゃないけれど、それでもやっぱり!
堪え切れなくなった罪悪感に口を開こうとした俺を止めたのは、だけど当の本人であるネスとアメルだった。
「待て、マグナ。少なくとも僕は謝罪を受け付ける気はないぞ。……継承された一族の記憶からして、そもそも君を責めるつもりなんてないんだ。クレスメントの一族だけが対等な友人だったから僕らは手を貸した。無理に強いられたからじゃないんだ。であれば、君が背負う罪は僕の罪でもあるんだよ」
「あたしも、謝って欲しいわけじゃありません。天使アルミネは最後、お二人の一族に呪いを掛けたそうで……クレスメントの一族からは魔力を、ライルの一族からは召喚兵器の知識を消し去ってしまったらしいんですが、今のあたしにその記憶はありません。アルミネが本当はどんな気持ちだったのか、何を考えていたのかなんて、今のあたしには想像するしか出来ないから」
「そうは言うけれど、アメル、俺の先祖が君にしたことをを思えばそんな簡単に済む話じゃ……!」
「あたし、ちゃんと分かってるんです、マグナさん」
ないだろ、と語気を荒げそうになる俺を押し止めたのは、微笑みを浮かべるアメルの眼差しだった。慈愛の瞳は優しく俺を見つめていて、困惑と動揺に揺れてしまう俺の目から外れることなくその眼差しを注いでいる。俺たちの遣り取りを静観する構えに入ったらしいネスに向けて小さく頷くと、アメルは声に力を込めて言い切った。
「今、ここで貴方を責めるのは間違いだって。アルミネでもないあたしが当時のクレスメントでもない貴方を責めるのはおかしいって。だってもう、あたしは天使アルミネじゃない。ただのアメルなんです。レルム村の住民、アグラお爺さんの孫娘、それがあたし。マグナさんだってそうでしょう?」
ネスティさんにも言ったばかりなんですけどね、と軽く舌を出して笑って、アメルはどこか悪戯っぽく笑ってみせた。
「だから謝らないで下さい。あ、ネスティさんもですよ? いくら記憶があるからってネスティさんはネスティさん。過去に何があったとしても、そのことで今ここに生きているあたしたちの気持ちや心、付き合い方まで縛られてしまうのはおかしいって思いません?」
「それを言われると…やれやれ、君も随分と強くなったものだな」
脱帽してしまうよ、と苦笑交じりに肩を下げたネスも瞳を和らげて俺の言葉を待っている。君もそう思うだろう、と言いたげな眼差しに込められたネスの気持ちが今の俺にはよく分かった。俺が責任を負わなきゃいけないことがあるとすればこれから先のことで、俺たちの付き合い方を、ここから紡いでいく未来を諦める必要はないんだって。どんな過去が眠っていたって、ここまで積み上げてきた俺たちの関係に亀裂を入れる物なんかないんだって。力強い励ましと許しの声に背中を押されるまま、それでもこぼれそうになる謝罪の代わりに俺は何とか詰まりながらもお礼の言葉を絞り出したのだった。
そろそろ帰るぞ、と暫くの沈黙を破るように立ち上がったのはネスだった。
「君が謝るべき相手がいるとすれば心配をかけた皆なんだからな。……なんて、僕が言えた言葉じゃないけどね」
アメルからの物言いたげな視線を受けてそれとなく明後日の方向へと目を逸らしたネスに声を潜めて笑ってしまえば、本当ですよ、とアメルが頬を膨らませながらスカートの裾を叩いて立ち上がる。
「せっかく一緒にいるんですから、もっと頼ってくれないと困ります。一人じゃどうしたって出来ることに限りがあるんですから、皆で力を合わせていかないと。あたしだってネスティさんやマグナさんの力になりたいし、守ってあげたいって思うから。……これからはあまり、一人で抱え込んだりしないで下さいね?」
「余計な心配や不安を掛けたくなかったからなんだが……すまない、相談もせずに黙ってしまうのは僕の悪いクセだな」
居心地悪げに眼鏡のつるを押し上げながらも、アメルの指摘を珍しく素直に受け入れたネスが苦笑めいた謝罪をこぼす。二人の気心知れた様子に何だか俺まで胸が温まるような心地を覚えていれば、少しの沈黙を挟んでからアメルがぽつりと言った。
「それと、色々言いましたけど……あたしは、天使アルミネが本当にお二人の一族を呪ったようには思えないんです」
「それはどういう……」
「あの結界は偶発的に出来たものだってネスティさんは言いましたけど、それなら一度壊れた後にああまで綺麗に戻ったのは不思議じゃありませんか?」
アメルが言いたいことが理解できたのか。ああ、と腑に落ちたように唸るネスの傍ら、一拍遅れで理解が追い付いた俺も知らず声を上げていた。確かに結界を張り直したカイナ自身も不思議がっていたけれど、偶然出来ただけの結界なら何かの切っ掛けで壊れたが最後、溶けるように魔力が霧散してしまってもおかしくない。その場に残った濃厚な魔力が偶然結界の形を形作ったと言うのならその方がむしろ自然なのだ。けれど、あの結界は何度もあるべき姿に戻るように自然と強固なそれを形作った。
「きっと、あの結界には天使アルミネの思いがこもっている。敵も味方も、もう誰も傷つけたくないって強い気持ちが形になったのがあの結界なんじゃないかって、あたし、思うんです。最後の力を振り絞ってあの結界を張ったのなら、召喚兵器の知識や魔力を消し去ったことも恨む気持ちからじゃなかったんじゃないかって」
「強い意志が魔力に残って半永久的に機能していた、というのは十分考えうるが……そうか、残留思念としての魔力か」
あたしがそう思いたいだけかもしれませんけど、と照れ笑いに頬を染めながら目を落としたアメルの隣で感心したようにネスが呟いているけれど、俺にとって重要なことはそこじゃなかった。アメルの推測が真実であれどうであれ、その思い付きを口に出して俺たちに伝えてくれたのは少しでも俺やネスの気持ちを楽にしたい一心でのことだ。大事な仲間だって俺たちを信じてくれているから、アメルはその優しいばかりの想像を言葉にしてまで伝えようとしてくれたのだ。
「ありがとう……アメル。それに、ネスも」
俺なんかのために、と出かかった言葉は飲み込んで、不格好でも笑みの形に頬を持ち上げる。
どんなに目を背けたくなる過去でも逃げ出すことは出来ない。向かい合って、受け入れた上で乗り越えていくしかないのだ。それがどんなに心折れる事実だとしても正面から見据えて、心折れずにぶつかっていくしか乗り越える術はないのだ。だけどそれは決して孤独な戦いなんかじゃない。一人きりでの戦いを強いられているわけじゃないなら、どんなに小さくても希望はある。必ず勝算はあるのだと、今の俺は泣きたくなるほどに知っているから、だから。
きっと今夜は久々によく眠れるだろう確信を抱きながら、俺は晴れ晴れとした笑みを二人に投げ返している。
変化の波が及び始めました。いよいよネスアメです。切っ掛けはナチちゃんでも変化の起点はアメル、強いアメルを推しています。