「宿は取れたのか?」
事前に決めていた集合場所に着いてすぐ、ネスティから鋭い疑念の眼差しを受けたマグナはしどろもどろになった。まさか今の今まで昼寝もとい私と喧嘩していたなんて言えるはずがない。けれど上手い言い訳も咄嗟に思いつかなかったらしく、ネスティの厳しい視線が移動してきたことに薄い笑みを浮かべた私は、あるがままの事実を述べるのだった。
「もちろん、取れていないよ。主は早々に昼寝を決め込んでしまったし、そこで聖女に出会ってしまったからね」
「……マグナっ!」
ネスティの目が鋭角に吊り上がり怒気を纏った声が飛べば、マグナがぴゃっと水を掛けられた猫のように飛び上がる。慌てふためきながらも弁明の言葉を並べるマグナに厳しい追及を重ねていくネスティだけど、最早フォルテやケイナにまでお決まりの遣り取りと認識されてしまっている自覚はあるのだろうか。ひとしきり説教を終えたところでネスティが調書を取る際に手配してもらった家へと向かうことになったものの、その短い道中にも漫才めいた遣り取りを見ること数度、丸太造りの家の前まで来る頃にはケイナの楽しげな笑い声が響いていた。
それにしても、決してゆとりある暮らしぶりではないだろうに人数分の夕食と寝床まで提供してくれた家の主が、道中出会ったあの木こりのお爺さんことアグラだったのは幸いだった。どうやら身内だったらしいロッカとリューグはまだ自警団の仕事が残っているらしく早々に仕事に戻ってしまったけれど、食後のお茶まで頂きながらの雑談の場もおかげで和やかな雰囲気に満ちている。場に響くのは私たちの話し声ばかり、外から聞こえるのは虫の声と木々の枝葉が夜風に擦れ合う音くらいで、膝に乗せた紫熟を撫でる私もすっかり気が緩んでいたらしい。
「タキツ、それはなんだ? ……ちょっと袖をまくるぞ!」
「っ、い」
訝しげな声をこぼしたネスティに、気を張り直すだけの時間はなかった。紫熟のひんやりした身体に押し当てていた腕の跡が覗き見えたのかどうか、ともかく目敏いネスティは私の仕草のどこかで違和感を持ったらしい。難しい顔で野草茶のカップを傾けていたのが嘘のような俊敏さで私の手を掴むと、ローブの袖口を捲り上げる。指の跡がくっきり残るほどの赤黒い鬱血と、爪が食い込んだ数か所の傷口から滲む赤に、眉根を寄せたネスティが険しい表情を浮かべた。向かい側に座っていたケイナやフォルテもそれぞれ眉を動かしたり気遣わしげな顔をしたり、何より隣のマグナがさっと強張った顔をしたことに内心大きな舌打ちをこぼす。
「……何があった? 転んだとか木の枝で引っ掛けたとか、そんな傷ではないな?」
「あら、これは痛そうね。どうしたの?」
「それは……っ」
意を決した様子でマグナが口を開こうとする様子に、私は大仰な溜め息を吐きながら気怠げに目を伏せた。
「大したことじゃないよ。主が昼寝している時に実は、少し村を散策していてね。聖女目当てで訪れたガラの悪い男と行き会って……ちょっとした諍いがあってこのザマだよ。我慢はしたんだけどこちらも相手を殴り飛ばしてきたからね、痛み分けってところかな?」
なるべく有り得そうな嘘をでっちあげてやれやれと肩を竦めてみせれば、ネスティもケイナも見るからに脱力したようだった。呆れ顔やらほっとしたような笑みを浮かべる二人にちらりと舌を出して苦笑する。フォルテは何か勘付いたかもしれないが、あえて言うような無粋な真似はしないでくれるだろう。なんにせよ気を付けるんだ、変な男も多いからな、と眼鏡の位置を直しながらお父さんのようなことを言うネスティに少し笑ってしまいつつ、私は大きく首を縦に振って返す。慣れた手つきで手当てをしてくれたケイナのおかげで気になる痛みもなくなったし、ローブの袖さえ下ろしてしまえば見た目は完全に元通りだ。それなのに、当のマグナはそう思っていなかったらしい。
「……なんで言わなかったんだよ? その傷、俺がやったんだって。召喚主だからって庇う必要なんて」
「別に庇ったわけじゃないよ。あそこで正直にぶちまけたらまた面倒なことになっただろ。それに言ったじゃないか、黙っておいてあげるって」
部屋に引っ込むや否や、うじうじと何か言い始めたマグナに呆れ交じりの言葉を返しながら私はベッドに飛び乗った。さすがに人数分のベッドはなかったようで概ね二人で一つのベッドに収まることになったけど、そもそも部屋も一緒なので雑魚寝の延長でしかない今、恥ずかしいとか狭いだとかの文句を言い出す者はいない。フォルテとケイナは寝る前にちょっと村を見てくるそうで、ネスティはアグラと話したいことがあるからとテーブルの席に残っている。早く引っ込んだ分は寝ておかなければ損だとばかり布団を叩いて促してやればマグナもやっと動き出したことに、私は密かに胸を撫で下ろした。
喧嘩の直後、落ち着いてから私の腕を見たマグナは真っ青になって平謝りを繰り返していたのだ。女の子になんてことをしてしまったのか、と大慌てだったマグナはまだ気にしているようだけど、今の私が気にしているのはもっと別なことだった。あそこで正直にぶちまけたなら説明だけで相当な時間が取られたに違いない。部屋に入る時間は遅くなり、身体を休める時間も減っただろう。それは通常時ならともかく今晩だけは避けたい展開だった。なにせこの後、レルム村は襲撃されるのだ。
実のところ、ゲームどおりに事態が進む保証はないと私は考えていた。だからこそマグナに召喚されてからの私は、いつだって頭の中の知識と現実との差異を注意深く見比べながら動いていた。そうして考えた結果、事前に注意喚起をすれば死ななかったかもしれないレルム村の住人や来訪者たちの犠牲は、端から切り捨てることに決めた。
救えたかもしれない命を数えることも止めたし、マグナの世話を焼くのだってそうだ。確実に本編をなぞることでビーニャの元に辿り着ける可能性を上げる。そのためには主人公であるマグナがいなければならない。主人公なしには物語の展開も大きく変わってしまうだろうから、そすれば大切なビーニャの元に帰り着けるかどうかも怪しくなってしまうから。そんな打算と下心の上でマグナの護衛獣を務めているだけなのに、当のマグナはこんな些細なことで罪悪感を募らせたり感謝の念を抱いているのだから、つくづくおかしな話があったものだ。
背中を向けていても突き刺さる居心地の悪い視線にそっと詰めていた息を吐き出し、私はきつく目を閉じる。感謝と好意と、申し訳なさと、そうしたものが綯い交ぜになった温かな眼差しの気配にひどく居た堪れない心地になってしまうけれど、それでも無理やり目をつぶる。だからきっと、記憶どおりの期待どおりにレルム村の惨劇が始まった時、私は安堵に胸を撫で下ろしたはずだった。
異変に気が付いて外へと飛び出した私たちを迎えたのは、夜の闇を背景に高々と噴き上がる猛火と、その赤々とした陰影の中で無慈悲に虐殺される人々の姿だった。
村を囲み込むように火を付けたのか、勢いが激しいのはむしろ村の外周に位置する家々の方だ。誰一人逃さないという意志が透かし見えるように歪な円を描いて燃え盛る村の中、容赦なく身を焼く炎の熱と喉を焦がす煙の渦から逃がれようと家を飛び出した人々が武装した兵士になすすべもなく斬り殺されていく光景は出来の悪い悪夢のようで、だけど呆けていられたのも束の間だった。意味の分からない事態に戦慄を覚える間もなく、血に濡れた黒鎧の兵士たちの矛先がこちらを向いたのだ。幸いだったのはこちらも手練れの冒険者と稀有な召喚師で構成された集団だったことで、混乱の中でも炎の合間を縫って逃げて、繰り出される切っ先や穂先を交わして避けて、少し事態の把握が出来たところで方針が決まるのは早かった。
「アメルが、危ない!?」
マグナの叫びと共に聖女が休んでいるという小屋まで走った私たちを出迎えたのは相変わらずの黒鎧の兵士たちだ。燃え盛る小屋の中、息もなく転がるばかりの女性や老人たちを少しも気に留めず、アメルの腕を掴んで強引に連れ去ろうとしていた兵士がこちらを振り返って動きを止める。涙交じりに顔を上げたアメルの声にならない助けを求める声を受け止め、真っ先に飛び込んでいったのはマグナだった。召喚師であっても剣が使えない理由はないとばかり、抜き放った剣を勢いよく振り下ろして無理矢理、兵士とアメルとの間に割り込む。それに意表を突かれたのだろう、マグナに競り負けて一歩下がった兵士の目がすぐさま鋭さを取り戻したことに、私は腰から捻り上げるようにして逆袈裟に刀を振り抜いた。ぎん、と鈍い音が響いて兵士の鎧の隙間を狙った刀が受け止められる。標的を変更したらしい兵士の殺意が真っ向から突き刺さるも、繰り出された二撃目を刀の鎬でどうにか受け流しながら私は腹の底から怒鳴った。
「っ主は、聖女と一緒に下がってろ!」
「そんなわけに行かないだろっ!?」
じり、と後ろに飛び退って間合いを取る間にも、周囲に人の気配が集まってきたのが分かる。おそらく私たちの他に生存者は殆ど残っていないのだろう。手強い相手を潰すために人手を割き始めたらしい様子に舌打ちをこぼした私は、火の向こうに見え隠れする敵の位置を注意深く測っているフォルテや険しい顔つきでサモナイト石の予備を取り出しているネスティに敵の牽制を任せて、短くマグナに尋ねた。
「主」
「っ出来る限り、殺さない……」
覚悟を決めたらしいマグナがアメルを背に庇いながら剣を構え直す。手加減したら殺されるのが本能的に分かってしまったのか、唇を噛みしめて硬い表情ながらに腹を括ったマグナの姿に私も刀を握り直した。マグナがそのつもりなら、護衛獣である私も当然その意志に従うだけだ。本来なら味方になるはずだった兵士を前に、私は無言で地面を蹴った。
マグナたちは知る由もないけれど、黒の旅団は精鋭部隊と言われるだけあって個々の練度も高く統率に取れた集団だ。普通に考えれば相手になるはずもないが、召喚術に馴染みの薄い国の兵士だけあって召喚師相手の動きは決して褒められたものじゃない。むしろお粗末な出来でしかないのはレイムやビーニャと言う高位召喚師を組み入れた後でも変わっていなかった。そう、私には実体験としてそれを知っている強みがあった。もしも兵士の中に召喚術を使うものがいても身を持ち崩した召喚師や、派閥に属さないはぐれ召喚師といったあたりだろう。なら、付け入る隙は十二分にある。ネスティの召喚術に動揺したらしい弓兵の鎧の関節を狙って突き立てた刀を力いっぱい引き抜くなり、今度は後方で詠唱中だったローブ姿の男に駆け寄って横薙ぎに切り捨てる。濁った音をこぼして倒れ込んだ男の手は喉元を必死に抑えているが、詠唱さえ出来なくすればわざわざ止めを刺す手間も要らない。それに本命の狙いはその手から転がり落ちたサモナイト石だ。目を付けていたとおりに無属性、誓約前の透明なサモナイト石を素早く仕舞い込みつつ、素早く辺りに視線を走らせた私は次の敵へと距離を詰めた。
「ベズソウ! ギヤブルース!」
「クロ! カゼキリ!」
あくまで目的は村からの脱出、兵士をすべて撃破する必要もなければ余裕もない。連携されれば手ごわい相手だからこそ、崩れ落ちた家の柱や燃え盛る炎を壁として活用し相手の位置取りを制限したり、動きにくいところで召喚術を叩き込むといった作戦は非常に効果的だった。ネスティとマグナ、それぞれの召喚術を食らった兵士にフォルテが強烈な横切りを、私が突きを食らわせて押し倒せば、兵士の存在によって塞がれていた道がついに開く。森へと通じる道さえ開いてしまえばこっちのものだと見つけた活路に迷わず飛び込み、唯一の村人であるアメルの先導を受けて私たちはひたすらに焼け焦げた地面を蹴った。ちらちらと肌を舐める炎の熱や行く手を阻む黒焦げの倒木、足を掬おうとする瓦礫の山であちこち迂回が必要なのは同条件でも、他の誰よりこの村の地理を熟知しているアメルがこちらには付いている。村の中心部をどうにか脱して、あと少しで夜の森へと駆け込める寸前まで来ても追手の姿はまだ見えなかった。警戒を解かないまま息を整える皆と同じく、私も早鐘を打つ心臓を宥めるように片手を押し当てる。ルヴァイドやイオスには顔を知られていることもあって気を払っていたけれど、炎に照らされる他は闇に沈むような夜と言う状況のおかげか、バレることなく済んだらしい。
「アメル! 無事か!?」
と、真っ赤な前髪の一部を焦がしながらリューグが現れたことで私たちは咄嗟に構えた杖や剣を下ろした。声を潜めながら早口に互いの情報を交わし合うも、お互いの表情を見た時点でその可能性を感じ取っていたのだろう。私たちの他に生存者は誰一人としていない。血の滲むような悔しげな声でリューグが告げた残酷な事実に、アメルが両手で口を覆う。沈痛な空気が場を満たし、誰も一言も発することの出来ない重々しい感情がその場に澱むが、それでも、生きてこの場を逃げ延びなければならないことは変わらない現実だった。
「でも、でもお爺さんが! ロッカもまだ!」
ロッカやアグラを心配するあまり、リューグに怒鳴られても引かずに言い返すほど動転しているアメルにそれを求めたのは、けれど無理が過ぎたのかもしれない。いくら宥めても叱りつけても頑として動こうとしないアメルに手をこまねく私たちを憐れむかのように、音もなく襲来する影があった。血のような赤黒い甲冑に全身を包み込んだ黒鎧の騎士、ルヴァイドだ。
思わず一歩、炎の影になるような位置に下がってしまった私に誰も気を払わなかったのは、そんな余裕がなかったからだろう。静かな佇まいだけで嫌というほど理解させられてしまう、これまでの兵士とは明らかに一線を画した実力者の登場に、あのマグナさえもが戦慄の表情を隠せていない。そのフルフェイスの視界にはっきり映らないように顔を逸らしながら、乾ききった喉に生唾を飲み込んだ私は意識して深く息を吸い込んだ。足元で奮戦してくれた紫熟をそれとなく背中のバックパックに入るよう誘導し、いつでも駆け出せるように踵を軽く持ち上げ、重心は低くする。これから死に行く者へのせめての慈悲だろう、ルヴァイドの長い前口上が終わった時、逃走するための最大のチャンスが訪れると知っていたからだ。
「……等しく死の制裁が加えられる。例外はない」
斧を手に飛びかかったリューグが軽くいなされたと思った次の瞬間、大気が震えるような強烈な雄叫びと共に巨斧を振りかぶった人影が踊り出た。闇夜に潜んでいたアグラが信じられない威圧を放ちながらルヴァイドへと突進したのだ。ただの木こりとは思えない膂力と気迫で持って迫るアグラはあのルヴァイド相手に一歩も引かず、むしろ押し切るような勢いで奮戦している。唐突な事態に気圧されていたマグナたちだったけれど、続いて出てきたロッカの叱咤の声がそこに飛んだ。
「僕たちが時間を稼ぎます、急いで!」
追え、と歯噛みするような苛立ちを含んだイオスの怒号が遠くに聞こえる。けれど、彼の率いる面々はルヴァイドよりずっと遠くに位置していると知っている。我に返ったように走り出したマグナたちの中、それでも泣いて嫌がって場に残ろうとしたアメルはケイナに頬を張られたことでやっと踏ん切りがついたらしい。いや、それでもぐちゃぐちゃに乱れた心は手の付けようもなく暴れているだろうに、必死に足を動かしながらぼろぼろと大粒の涙をこぼしているアメルにはそれを理解する余裕もないのだろう。おじいさん、ロッカ、と悲痛な声で何度も叫ぶ彼女の声は、追手の耳まで届くことなく夜風に紛れて消えていく。それぞれが苦虫を噛み潰したような顔や痛々しい泣き顔を晒しながら、一体どれだけ走ったことだろう。夜間にも関わらず城門を叩いた足を引きずるように向かった先は高級住宅街、マグナとネスティの先輩であるギブソンとミモザの住まう邸宅で。
「あらまぁ、これはひょっとしてひょっとしなくても……厄介事、って感じねぇ?」
「……夜分遅くに、本当に、申し訳ありません……ギブソン先輩、ミモザ先輩」
目を丸くして泥だらけの訪問客を受け入れてくれたその優しさに甘える形で、私たちはやっと、疲れ切った身体に別れを告げるように意識を手放すのだった。
信頼できない語り手はいい文明。今日はここまで。