ノルンは笑わない   作:くものい

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3ー1:再会と別れ

 目が覚めるとそこは天国だった。

 ふかふかのベッドに枕、貸し与えられた清潔な寝巻、焦げ臭くも熱っぽくもない澄んだ空気。レルム村の惨劇から這う這うの体で逃げ延びてきた私たちにとって、ギブソンとミモザによる温かな歓待は、まさしく地獄から天国に赴いたような落差があった。身体の調子を確かめながらゆっくりと寝返りを打てば、枕に顔を埋めるようにして深い寝息を立てている紫紺の頭が目に入る。あれだけの大立ち回りをしたんだから仕方ないと思いつつも、好き勝手にあちこち跳ねた毛先を見ているうちに緩んでいく頬を堪えきれず、私はそっと吐息ばかりの笑いをこぼしている。

「ありゃ、キミはマグナに付いていかなかったんだ?  あんだけ情熱的にお尻を蹴っ飛ばしてたのにぃ」

 焼き立てのパンに果物、新鮮なサラダの朝食を終えた後、自由に使っていいと案内された大広間の一角で、食後のお茶を頂きながら紫熟の具合を見ていたところだった。炎に包まれたレルム村は空気も地面も何もかもが高温に熱されて、吹き付ける熱風や火の粉を浴びたローブや髪にいくつもの焦げ目や黒ずみを残していた。戦闘のためとはいえ、紫熟はそんな劣悪な環境下で地べたを這いずり回っていたのだ。屋敷に辿り着いた時にはそれを気にする気力も体力も残っていなかったけれど、スライム状の身体に火傷を負ったり体積を減らしていないか、窓から差し込む日差しの下で目を凝らしていた私は不意に掛けられた声に顔を上げた。

「尻叩きと言うか背中を押しただけですよ。経緯はともかく、アメルみたいな可愛い女の子と街を巡るなんて貴重な機会を邪魔するほど野暮じゃありません。いつも一緒じゃあマグナも息が詰まるでしょうしね」

「そんなこと言っちゃって。キミも少しは息抜きしなくっていいの?」

 苦笑交じりの私に、ミモザは眼鏡の奥の瞳を楽しげに細めてにまにまと笑う。闊達で奔放、アクティブを体現したような人となりのミモザはその実、ひどく切れ味鋭い頭脳の持ち主だ。理知的な光を灯したその瞳を前にしていると心の奥まで見透かされてしまいそうで、ひとまず目立った凹みや変色は見つからなかった紫熟の身体を撫でながら、私はさりげなく視線を落とした。

「この子が心配だったのもありますし。それに、アメルを気にして朝からそわそわしてたマグナのことはミモザさんも見てたでしょう? 最後のひと押しをしただけですよ。励ますなり慰めるなり、例え何も出来なかったとしても、一人思い悩んで過ごすよりはよほど建設的でしょう」

 そんなもっともらしいことを言えば、なるほどねぇ、と納得したような素振りで相槌を打つミモザだけれど、一体どこまでが本気の反応なのか。基礎能力がかなり高いわね、この子、と感心したように呟きながら一緒になって紫熟を撫で回し始めた自由ぶりに圧倒されつつ、私は何とも言えない笑みをこぼした。

 深夜に駆け込んできたマグナたち一行を快く受け入れてくれただけあって、ギブソンとミモザは確かな地力を有していた。蒼の派閥で家名を名乗れる召喚師という立場、高級住宅街の一角に屋敷を構えるだけの経済力、何よりその経験と見識、人間性に基づく深い余裕。屋敷の空間はどこもかしこも品のいい調度品で整えられていて、広々とした広間で柔らかなソファに腰掛け紅茶を傾けていると自然と優雅な気分に浸ってしまう。まったくの自然体でこの日常を営んでいること自体、これまでに彼らが積み重ねてきた研鑽と実績の成果なのだろうことは容易に想像出来た。あのマグナとネスティが先輩と呼び慕っているのも納得の一言でしかない。

 少しばかり遅めの朝食を取って、ネスティが今回のお礼と謝罪を家主であるギブソンに告げた後はそれぞれ自由行動に移ったのだけど、その僅かな間でミモザは私たちの顔と名前を一致させていたらしい。商店街を見に行ったフォルテとケイナ、散歩に出ていったマグナとアメル、派閥本部に報告に向かったネスティ、そして紫熟との留守番に残った私となれば、せっかくだからと見聞の旅に出てからの話を強請られてしまうのも自然な流れだろう。いくら基礎訓練をしてるといえ、職業冒険者には大きく劣る体力しかないはずのマグナやネスティがどれだけ無理を押して奮戦したかを語っていると、ミモザはしたり顔で言った。

「マグナは貴方のこと、本当に頼りにしてるのね」

 にやにやした笑みを消してどこか満足そうな笑みを浮かべているが、さてどうだろう。返しに迷って私は言葉を飲んだ。

 いくら気を揉んで思いあぐねていたって言葉にしなければ伝わらない、そんなに心配ならとにかアメルに話しかけてみればいい。そんな当たり前のことを告げただけなのに、感激した様子で私の手を握ってぶんぶん上下に振るうなり犬のように飛び出していったマグナの姿を思い出す。これ以上なく安心出来る場で泥のように眠り込んだとはいえ疲労も抜けきっていないだろうに、ちゃんと養生する気はあるんだろうか、と勢いよく駆け去っていく背中を眺めて他人事ながら不安になってしまった記憶は遠くない。召喚主に対して不利益を働かないのは前提として、マグナもネスティも見ているだけで心配になってしまうところが度々あった。例えば、こちらの怪我を気にして反対側の手を握ってくれたのはいいけれど、それよりも少し落ち着いて行動して欲しいと願ってしまうのは私の我儘でしかないのだろうか。

 上手くまとまらない心中のもやもやを言葉にするのは早々に諦めて、まあ、と呟く。

「それに昨日の今日ですし。ミモザさんたちには申し訳無いですが、また何か起きるかも、と思いまして」

「なるほどね。でもそういうことは口にしない方がいいわよ〜? ほら、よく言うでしょ? 言葉にすると現実になる、って」

「おーい、誰か来てくれ!」

 そう声に出したところで焦ったようなフォルテの声が響き渡り、無言でミモザと顔を見合わせた私は知らず眉を下げている。

 どうやらフォルテは出かけ先でケイナと二手に分かれたそうで、情報収集を兼ねて覗いた路地裏で偶然、ズタボロのリューグとロッカを見つけてきたらしい。黒鎧の兵士についての聞き込みがてら、双子の一人くらいは辿り着くんじゃと意識して探してはいたそうだが、見事に当たりを引いたものだ。ケイナもじきに戻ってくるはずだと言うフォルテに従ってひとまず裏庭の井戸へと急いだ私は、昨晩から一睡もしていないのだろう心身共に傷だらけな双子の傷を洗い流す手伝いをし、ミモザから預かった消毒液や包帯で簡単な手当てを済ませたところで小さく息を吐いた。後はせめて軽くでも食事を取ってもらわないと、と地面に膝を突いた姿勢から立ち上がろうとして、陽射しを遮るように降ってきたフォルテの笑みとその手に携えられた銀の大皿に思わず頬を緩ませる。

「ほらよ、腹が減っては戦は出来ぬってな。ひとまず無理にでも腹に入れといた方がいいぜ?」

「すみません、何から何までお世話になって……」

 フォルテの差し出したサンドイッチの大皿を受け取りながら謝意を述べるロッカはすまなそうに眉を下げて、到着からずっとしかめっ面で黙りこくったままのリューグとは正反対の素振りを見せた。態度に出るほど神経を張り詰めているのはリューグの方に見えるけれど、その実、ロッカも同じかそれ以上に気を張っているのだろう。丁寧すぎるほど他人行儀な態度にフォルテが僅かに眉を持ち上げるも、急に騒がしくなった玄関口の方へとリューグが警戒も露わに顔を上げたことで開きかけた口を閉じる。はっとしたように目を見開いて年相応の顔になったリューグと殆ど同時に気が付いたのだろう、厳しい表情を緩めずにいたロッカも意表を突かれたように短く息を呑んだ

「よかった。ちょうど散歩から戻ってきたみたいだな」

 呟いて間もなく、脇目も振らず駆けてきたアメルがその勢いを緩めないままロッカとリューグ、双子の胸へと飛び込んだ。涙声で何度も互いの無事を確かめ合っている光景はまさしく感動の再会だ。遅れて走ってきたマグナも嬉しそうに口元を綻ばせて眺めていることに私は目を細め、フォルテと二人、無言でその場から下がった。家族水入らずの場を邪魔するような、無粋な真似をする気なんて欠片もない。どちらからともなく顔を見合わせて眉尻を下げての困り笑いを浮かべた私とフォルテだったけれど、マグナの傍に足を進めるまで行かずに立ち止まる。アメルとマグナが走ってきたばかりの方向、いつの間にかそこには腕組みをして悠然と微笑むミモザの姿があった。

「せっかくの再会なのにごめんねぇ、ボクたち? 皆、ちょっと中に入ってくれる? どうやら団体のお客さまが来ちゃったみたいなの」

 今後の展開をゆったりした口振りで告げながら眼鏡の奥の瞳を好戦的に煌めかせるミモザ。その後ろから険しい面差しのネスティやギブソンまで姿を見せれば、僅かな休息の終わりも近かった。

 

 白昼堂々と襲撃してきた敵の姿に、屋敷の中は俄かに慌ただしくなっていた。

 敵将は槍使いのイオスと機械兵士のゼルフィルド。マグナたちはまだその名前も実力も知らないけれど、ルヴァイドに次ぐ確かな実力者であることを私は知っている。屋敷の正門と裏門、それぞれに陣を展開して逃げ道を塞いできたのは用意周到なことだけれど、敵に回したのがそんな策の通じる相手じゃないと知らずにいたのが彼らの不幸だろう。一昼夜も経たないうちに追撃を仕掛けてきたイオスたちの判断に対し、屋敷の主であるギブソンとミモザの下した決断は至極、単純明快なものだった。

 敵が二手に分かれて包囲してくるのなら、こちらもまた二手に分かれて迎撃すればいい。

 何ともアクティブかつアグレッシブな決断だけれど、それを押し通すだけの実力がある先輩だとネスティたちも心から信じているからだろう。表立った反対の声も出ず、カーテンの隙間から外の様子を窺いながら私たちは急いで戦闘準備をしていた。

「二手に分かれるなら、主と同じ側がいいな」

 機械兵士相手にはミモザが、槍使い相手にはギブソンが、それぞれ主力となって抑えに掛かると決まった時点でダメ元で言ってみたけれど、私の要求は驚くほどすんなり通った。確かに護衛獣って扱いだものね、とミモザがうんうん頷いたのが一番の理由だった気はするが、これで懸念事項がひとつ消えたと内心ほっとしてしまう。ギブソンが付いているのだから滅多なことは起きないだろうし、そもそも今度の相手は黒の旅団の正規兵だけで構成されていない。その場凌ぎの数合わせに傭兵でも雇ったのか、様子を見ているだけでも動きの揃わない者がちらほらいる。屋敷の庭先ということもあって地の利はこちらにあり、手伝いを買って出てくれたギブソンとミモザはどちらも蒼の派閥屈指の召喚師で、それも海千山千の実戦経験を積んでいる実力派だ。それだから不安を覚える余地などないのだけれど、ネスティ曰はくの粗忽者から目を離すのは今の私にとって精神的な負担が強すぎた。

「機械兵士は装甲も体力も侮れない相手だが、君の得意属性なら決して不利な相手ではないだろう。その分、あまり頭数を避けなくてすまないが……」

「もう心配性なんだからギブソンは! ケイナちゃんやロッカくんだってやる気満々よ、だーいじょうぶ! そっちこそマグナとネスティ、それにタキツちゃんをよろしくね!」

 慣れた口振りで準備を詰めていくギブソンとミモザの表情に目立った緊張の色はない。あくまで自然体の二人を見ていると今から起きることも昼下がりの一幕でしかないように思えてくる。サモナイト石や手持ちの武器の確認にそれぞれ神経を尖らせているはずなのに漂う雰囲気は殺伐としたものと縁遠く、それでも、あれだけの惨劇を目の当たりにした後では不安が拭い切れなかったのだろう。青ざめた顔で言葉少なにいるアメルを気遣って準備の片手間、ロッカやケイナが優しく励ましの声を掛けているのが見えた。

「心配することはないよ。僕もリューグもちゃんと戻ってきただろう? 今回も大丈夫」

「ええ、心配しないで。すぐに追い返してやるわ」

 どんなに優しげに微笑まれても、肩を叩いて励まされても、アメルの表情は晴れない。何度も首を縦に振って頷き返しながらも心配そうに瞳を揺らしている。その様子に、刃毀れの具合を見ていた刀を鞘に戻した私はおもむろに紫熟を抱えて立ち上がった。

 アメルが気にしているのは自分が狙われることより、むしろそのせいでマグナやロッカ、リューグたちが傷ついてしまうことなのだろう。アメルが組み分けられたのは屋敷の正門側、機械兵士を相手取って戦う側になるから、戦闘が終わるまでは裏門側のマグナやリューグの無事を確認することは出来ない。仕方のないことだと頭では理解していても、自分がいない場所で何か起きてしまわないか、自分がいるせいで誰かの足を引っ張ってしまわないか、そうしてまた誰かの命が失われてしまわないか。きっと、怖くてたまらないのだ。

 その気持ちは分からなくもないし、と自分に言い聞かせるように繰り返しながらアメルの前までやってきた私は、ずいと紫熟をその胸元に突き出した。

「この子の名前は紫熟。こんなふうに柔らかいけれど物理攻撃に対して中々頑丈でね、矢でも銃弾でも剣でも槍でも、身を呈して君を守ってくれる」

「え、あの……」

 いきなりスライムを押し付けられて戸惑わない人間はいない。雰囲気に呑まれて紫熟を受け取ったアメルが困惑の表情を浮かべるも、案外ずっしりした重みに驚いたのか目を丸くした。そうだ、紫熟は吹けば飛ぶような軽い存在なんかじゃない。テテやプニムと言った名だたるユニット召喚獣にも引けを取らない、中々頼りになる子なのだ。

「貸してあげる。大丈夫、引き際は弁えている子だから」

「貸す、って」

「戦いが終わったら迎えに行くからさ。私も、マグナの護衛獣としてしっかり働かなきゃならないし」

 誰も死ぬつもりなんてないよ、と言外に込めながら押し付ければ、アメルが大きく瞳を揺らすのが分かった。困ったように紫熟を抱えていた腕にぐっと力がこめられるのを見て取って満足した私は一度頷き、そのまま踵を返す。何事もなかったようにマグナの傍らに腰を下ろして、ポーチの上から緑色のサモナイト石の存在を確かめるように押さえていると、マグナがこちらを向いた気配がした。

「いいのか?」

「あの子は賢いからね、自分の限界を知っている。アメルを守りながら自分も怪我しないよう立ち回るくらいの芸当は出来るよ」

「そっか……やっぱりタキツは優しいよな」

 本音では少しどころではなく寂しいけれど迷わず言い切れば、しみじみ納得していたらしいマグナがふと声色を和らげる。何のことだか分からずに怪訝そうな顔を向けてしまうけれど、手持ちのサモナイト石の確認をし始めていたマグナは私の視線に気が付かない。代わりになぜか、アメルと私の遣り取りを見ていたらしいロッカやケイナたちがくすくす笑いに肩を揺らしている。だからそれは、一体どういった反応なのか。

 意味が分からないなりにそこはかとない不満を覚えるまま、私はむっつりと押し黙った。




ミモザさんは最高。
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