ノルンは笑わない   作:くものい

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4ー1:小さな召喚師

 周囲を警戒せずに眠れるベッドは、やっぱりいい。 

 薄暗い部屋の中、浅く目蓋を押し上げた私はかすかに波打ったシーツに片肘をついて身体を起こすと、音を響かせないようベッドの端からそっと足先を下ろした。

 朝食時にでも改めて宣言されるのだろうけど、ロッカとリューグの同行が決まったことで昨日、改めて部屋の割り振りがあった。敵の正体も分からず当面の方針も立たられない今、暫くはこの屋敷を拠点にするしかないと判断したネスティが先んじてギブソンたち、先輩方に何か話をつけてきたらしい。何かと不便もあるだろうしケイナやアメルと同じ部屋の方がいいのでは、と最もな提案をしてくれたネスには感謝の気持ちしかなかったけれど、仮にも護衛獣として呼ばれた以上の意地というものがある。ゲームどおりなら就寝中に危害を加えられる可能性は限りなく低いはずだけど、少し悩んで有難い申し出に首を横に振ることで返した私はマグナとの同室を継続していた。幸い、昼夜問わず暇さえあればよく眠るマグナのおかげで、一応想定していた着替えだとかのアクシデントは起きる気配もなさそうだ。護衛というより世話役の真似事をしてるような状態も相まって、誰からも揶揄うような声が出なかったのは快適の一言に尽きた。

「おはよう、主。朝食が出来たら起こしに来るよ」

 カーテンを僅かに開けて朝の陽射しを呼び込んだところで、寝坊助のマグナはこれぐらいで目を覚ましはしない。カーテンを全開にして声を張り上げるのは朝食が出来上がってからでいいだろう。今日も今日とて健やかな寝息を立てている子供みたいな寝顔に小さく笑みこぼして、私はぐっと伸びをする。すっかり着慣れた七分袖のシャツに膝丈まである紺地のローブへと袖を通し、伸縮性のいい薄手のパンツの上から刀やポーチを下げる細身のベルトを巻けばこれで身支度は完了だ。朝食の支度か、壊れた石畳や花壇の補修か、どこを手伝うにしろ人手が増えて困ることはないだろう。足音を殺した忍び足で部屋を横切った私は後ろ手に扉を閉めると、まずは、と洗面所に向かうのだった。

「おはよう、タキツ。その様子だとなんでこのメンバーなのか分かっちゃったみたいね?」

「おはよう、ケイナ。確かに人手は十分そうだね」

 朝の陽射しを受けて水面のように輝く窓ガラスに目を細めて廊下を進んだ先、台所には随分な人数が揃っていた。屋敷の主であるギブソンに調理前の芋を手にして何か尋ねているアメル、その奥では何かの空き箱に腰を下ろして人参や芋といった野菜の皮剥きを黙々とこなしている双子、そして朗らかに振り返ってボールの中身を泡立てているケイナを見れば大体の経緯は見当が付く。昨日の騒ぎのお詫びを兼ねているのかと察した私に正解だと告げるようにケイナが笑い、こちらに気が付いたアメルが晴れやかな笑みで朝の挨拶を口にする。ロッカとリューグ、二人の注意を引き付けるため結構な悪態を吐いてしまったことを少し気にしていたのだけど、少なくともアメルとの間には遺恨を残さずに済んだらしい。ちょっとばかりほっとしながら軽い笑みを投げ返していると、そうねぇ、と呟いたケイナが思いついたように言った。

「なら、外の方を手伝ってくれない? フォルテが花壇の柵を直せるか見に行ってるの。貴方とネスティが大体の状況を見てくれて場所は絞られてるけど、修理に必要な物が足りてるかも分からないし」

 一気に終わらせなくって大丈夫だからね、と念押しするケイナはどうしてか私を働き者だと思ってくれているらしい。不思議に思うもののわざわざ否定することでもなし、提案に従って花壇へと向かった私はフォルテに話を聞きながらその手伝いに動き回った。柵を束ねる荒縄だとか割れたポットの補充だとか、必要な物や報告することは色々あったけれどお互い手際よく作業を進めていく。ヒビの入った石畳には分かりやすく目印を付けて、蹴飛ばされて散らばったレンガは一箇所に集めて、無事だったレンガは早速元の形に積み直し始めた私へとフォルテは白い歯を見せて笑った。

「おっと、随分進んだな。俺はそろそろ眼鏡の姉ちゃんに話をしてくるが、お前さんはどうする? 先に切り上げて飯行ってていいぜ?」

「お気遣いありがとう。あと少しだし、私もキリのいいところまでやったら中に入るから」

 汚れた軍手を外して汗を拭うフォルテに笑い交じりに返して、紫熟が背中で運んでくれたレンガを片手に取る。これで結構楽しんでやっていることが伝わったのか、フォルテはひらひらと片手を振って去っていき、それを見送った私も作業に向き直った。朝食が出来たらマグナを起こしに行かなきゃならないし、その後は何かと忙しくなるはずだ。今のうちに出来るだけ進めておきたい気持ちもあって、気が付けば夢中になっていたのだろう。注意力が散漫になっていたのは否定しない。ふと手元に落ちてきた影に釣られて顔を上げた時の私は、何の警戒も浮かべていなかったはずだ。

「おはようございます。熱心ですね」

 にっこりと、穏やかな笑みを浮かべて私の前に座り込んでいたのはロッカだった。朝食が出来て呼びに来てくれたのか、ぽかんとその顔を見上げていると焼き上がりのパンのような匂いがほのかに漂ってくる。レンガを手にしたまま咄嗟に何も言えず、詰まってしまった私を見かねてか、ロッカの手がすいと伸びて私の手とレンガのそれぞれを支えるように添えられた。

「タキツさん、でしたよね? 昨日は大変なご迷惑をお掛けしました。おかげで僕もリューグも目が覚めましたし、どうしてもお礼が言いたくて」

「別に、大したことは……私こそ大分言い過ぎてしまったし、どうか気にしないでくれると」

 手から抜き取られたレンガは固い音を立てて積み上げられたものの、手首の内側あたりに添えられたロッカの手はそのままで、レンガを置いてて自由になった手までなぜか戻ってきて軍手の上から重ねられてしまう。手の甲から少し腕側へと進んだところと、手首の内側、その付け根を覆い隠すようなところ。奇しくもマグナに握られた跡が残っているあたりを上下から押さえられて背中が強張るような緊張が走り、知らず唾を飲み込んだ。その警戒を察してかどうか、ロッカは吐く息だけで笑ったらしい。軍手と手首との隙間に差し込まれた指先がなぞるように手のひらまでを滑り、ぞわりと怖気が走るも一瞬、土に汚れた軍手がすんなりと抜き取られて厚みのある手のひらに受け止められるのが目に入った。

「ああ、そうだった。タキツさんを朝食に呼びに来たんです。よければ是非ご一緒に」

 アメルの料理は美味しいんですよ、と何事もなかったように手を離して笑いかけてくるロッカの顔を見ることが出来なかったのは何故か。その指先にぶら下げられた土色の軍手から目を逸らすように曖昧な笑みを浮かべた私に分かるのは、ただ、目の前の相手を苦手と感じることだけだった。

 

 襲来した黒鎧の兵士たちの素性も掴めていない以上、暫くはギブソンとミモザの屋敷を拠点として様子を窺うこととする。

 ネスティやフォルテたちが中心になって決めたその方針に反対する意見は出なかった。実際、何の情報もなしには動きようがないのだから消去法の判断だとしても否を返すのは難しい。ひとまず消耗した武具の補修や当面の衣類、カーッツの葉やゲドックーの葉といった必需品の補充を済ませてしまうと、皆、思い思いの行動に移るのは早った。ゼラムの街の観光に出かけたり、長物を振り回せる場を見つけて鍛錬に励んだり、あるいは書庫にこもって調べ物をしたりと、いつ襲撃を受けるか分からない不安と切り離せない状況なのに日々行動的に過ごしている。それに触発されたのではないけれど、いつまでも居候のみに甘んじるのも抵抗があった私もまた、食事や洗濯の手伝いの合間にギブソンから借りたサプレスの術の基礎教本に熱心に目を通したりと知識の向上に努めていた。

 一応はデグレアでも召喚術を学んだとはいえ、蒼の派閥の召喚師が所有するような貴重な文献に目を通せるなんて願ってもない機会だ。マグナの護衛獣に過ぎない私にまでせっかくだからと初級教本を貸し与えてくれた寛容さには感謝を上回る驚きを覚えてしまったけれど、卓越した術者であると同時に教えることにも秀でているギブソンは私がページを捲る手を止めるたびに適切な助言や解説まで挟んでくれたのだから、つくづく頭が上がらない。実践的な話に絡めて術の成り立ちやサプレスの住人、生態系がどんなものかを語ってくれる眼差しは優しく穏やかで、たまにケイナやマグナも顔を出せば興味深く面白い話は更に深く掘り下げられていく。こんなに楽しい勉強はこちらに来てから初めてで、思いがけず充実した時間を過ごすことが出来ていた。

「本当に勉強熱心だね。見たところ基礎は既に頭に入っているようだし、君の召喚主はよほど君を買っているんだね」

「……出来ることは少しでも多い方がいいと思いまして」

 ゼラムでも評判のお店から配達されたケーキをにこにこ口に運びながら優しい言葉を掛けてくれるギブソンに目を逸らして答えれば、照れちゃって、とソファの背中で腕組みをしたミモザが悪戯っぽく笑う。見透かすようなその目を前にすると、私はどうにも強く出られない。才色兼備で大胆不敵、派閥の優秀な若手召喚師という括りに収まりきらない傑物であるミモザは勘が鋭く、鼻も利けば目の付け所もいい。実のところ、私が召喚術に興味があることを見抜いたのもギブソンではなくミモザの方で、教本の貸し出しを提案してくれたのもそうだった。一応ギブソンの私物だから勝手に見せられないし、と軽く笑っていたけれど、何気ない世間話を交わしただけで召喚術への興味どころか多少かじっていることさえ見抜かれてしまったのには少し身構えてしまったほどだ。そして実際、それは正しい警戒だったと知っている。

「驚いた。普通の子じゃないとは思っていたけど、誓約まで出来ちゃうんだ?」

 つい先日、早朝というよりも夜に近い日の出前、木立に囲まれた人気のない裏庭でこっそりダークブリンガーの誓約をしていた私に声を掛けたのはミモザだった。鍛錬ついでの散策をしていただけ、拾った未誓約のサモナイト石を眺めていただけ、マグナの真似をして試しに召喚術を使おうとしてみただけ。そんな言い訳が通るタイミングをすっかり過ぎての登場に思わず固まったのと、感心半ばの表情で拍手をしながらの言葉に面食らってしまったのとで、私はつっかえつっかえに答えたはずだ。

「前の召喚主から色々と教わっていて……ただ、こう言った無機物相手でしか、上手く出来ないんですが」

 動揺の真っ只中にあったくせ、まるで無属性の術しか使えないのだと誤解させるような言い回しが出来たのは上出来だっただろう。主だった四つの世界ごとに召喚術を系統分けしているだけあって、無属性の召喚術は補助の補助といった扱いだ。意志を持たない対象相手にしか誓約を結べない、と思わせておけばさほど警戒もされないだろうと踏んだのは無意識での判断だった。それに幻獣界メイトルパと霊界サプレスの術はあくまで使えるだけ、ひとりで安全に誓約を結べないからには嘘というわけでもない。ビーニャと出向いた戦場でも大体がロックマテリアルやダークブリンガーばかり呼んでいたし、経験がなければ上手く使えないのは武器も術も同じこと。主のためにも何か隠し玉が欲しかったのだとそれらしいことを言った私に、ミモザは鷹揚に頷いた。

「そうねぇ。いざって時に刀が折れちゃったら大変だものね」

 奥の手だから内緒にして欲しい、と言葉の裏に込めたそれを掬い取った上で面白そうに瞳を細めたミモザは、決して私の語ったことを鵜呑みにしたわけではない。誤魔化された振りをしてくれているだけだと悟ってしまったこともあり、約束どおりに黙ってくれているミモザへの引け目やら負い目やらで力関係は完全に決まってしまっていた。

 そんなふうに時折ひやりとすることもあったものの、屋敷での生活は概ね穏やかなものだった。ひとつ屋根の下に個性豊かなメンバーが揃った割に大きな衝突や軋轢もなかったのは互いに距離を測っていたことと、その上で友好的な関係を意識していたためだろう。個々の不和なんて猶更生じる余地はなく、少なくとも、私がロッカに対して抱いたような苦手意識を超えるものはなかったはずだ。

「ああ、タキツさんじゃないですか」

 花壇の片付けや裏庭での鍛錬後、あるいは廊下の外れや広間の隅でひとり気を抜いている時に限って、ロッカは話しかけてきた。温和な笑みを浮かべてこちらを気遣うような言葉を二、三掛けてくるそれは友好的としか言えないはずなのに、私はどうしても背中が強張ってしまうのを止められなかった。第一印象とはまた違うけれど、あれから無意識に構えてしまっているらしい。これから道中を共にする相手なのだから少しは改善しないと、と思いながらもつい避けてしまっている自覚はあったものの、同じ空間で寝起きを共にしていればいずれそれにも限界が来る。

「お隣、失礼します。あれ、それだけで足りるんですか?」

「……少しで満足する方なんだ。せっかく美味しいのに勿体無いし、どうしても食べきれなかった分はこうやってお裾分けしてる」

 朝からよく晴れたこともあって目一杯洗濯物を干していたら朝食の時間に間に合わず、広間の端でゆっくり遅めの朝食を取っていた私の左手、ソファを軽く軋ませて腰を下ろしたのはロッカだった。まだ昼には早く朝には遅い時間帯、いつもならロッカは再開発地区の外れで鍛錬に励んでいる最中のはずだ。アメルを気晴らしにあちこち誘って歩いているマグナは街で見かけた人や出来事を寝る前に色々話してくれるから、それを参考に劇場通りや再開発地区を避けたり、出来るだけ注意を払ってきたのにどうして今ここにいるのか。

 動揺のあまり言い訳のような言葉が口をついて出てしまい、膝に乗せた紫熟にちぎったお芋のパンを運んでいた私は所在なく手を迷わせ、コーヒーカップの取っ手に添えた。何が楽しいのかそれを眺めていたロッカは自分のマグカップに口を付けると、ふと目元を和らげた。

「そういえば昔、鳥を飼っていたんです」

 何の話だろうと訝しく思いながらも、私はそれに曖昧な相槌を打つ。レルム村の暮らしは自給自足に近かっただろうし、家畜として鶏やアヒルを飼っていたとしてもおかしな話じゃない。けれど、ロッカの言葉にはどこか感傷めいたものが含まれている気がして、少しの間を置いて私は呟いた。

「それは野鳥、とか?」

「はい。猛禽に襲われたのか、羽を怪我していたのをアメルが見つけて三人で世話をして。まだアメルも癒しの力に目覚める前でしたし、一生懸命面倒を見たんですけどね。餌も手ずから食べてくれて、でも少しの量で満腹になってしまうのか、すぐに飽きて毛繕いなんか始めて。ふふ……タキツさんを見ていると、何だかその子を思い出します」

 懐かしむような眼差しで語るロッカに他意はないのかもしれないが、知らない小鳥と重ね見られている居心地悪さにもぞりと膝を擦り合わせる。紫熟を乗せているから立ち上がって距離を取ることも出来ない。着地点の見えない話に付き合うしかない状況は苦痛なだけで、せめてもの抵抗に指先で触れるばかりだったコーヒーカップを持ち上げる。

「結局、イタチにやられてしまったんですけどね。……本当に、可愛い子だったんですよ」

 慈しむような眼差しを向けられて、カップを傾けたついでのように私は手元深くへと視線を落とした。

 照れるはずもなかった。単純に好意を向けられていると勘違いするには、ロッカの瞳はあまりに冷えている。一歩引いたところから見られているような、こちらの心の動きまで観察されているような、経験したことのない奇妙な緊張に全身が包まれる。身じろぎすらもが躊躇われて、顔を上げるなんて到底出来そうにもない。カップに触れた唇が震えないようにするので精一杯だった。

 黙っている間にも何かを探っているような気配は薄まらず、呼吸の仕方も分からなくなるような閉塞感に知らず息を詰めた、その時だ。

 勢いよく、玄関の扉が開く音が響いた。賑やかな話し声に複数人の足音が近づいてきて、広間の扉もその勢いのまま押し開けて現れたのは朗らかな笑みのアメルに緊張した面持ちの金髪の少女、そして明るい表情を浮かべたマグナだった。

「あ、いたいた! タキツ、悪いけど手伝ってくれないか?」

「……護衛獣? あなた召喚師なの?」

 やっと本編でいうミニスのペンダント探しが始まったのだろう、意気揚々と声を掛けてくるマグナに次いで、ぱちぱちと不思議そうに瞬きながら呟く金髪の少女。ひとまずお茶を入れてきますね、と明るい表情で早足に台所へと向かっていくアメル。

 一気に場が賑やかになると、ロッカが纒う雰囲気も普段どおりに落ち着いた。まるでさっきまでの寒気も緊張も私の勘違いでしかなかったような一瞬の変化に戸惑いを覚える間もなく、人手がいる様子でしょうか、と早くも手伝う気らしく私に話を振ってくるロッカはまったく落ち着き払っている。

 さっきのアレはやっぱり、私の自意識過剰でしかなかったのか。

 それとも、と渦巻き始めた思考に呑まれながらでは上手く言葉を返すことも出来ず、曖昧な相槌と共にカップを受け皿へと戻した私は冷めた黒い水面に目を落とした。




原作エピと捏造エピを織り交ぜます。
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