ボコボコにしてもらうというヨンの言葉通り、一人で鍛錬をしていたスイレンを呼び出して、向かい合った状態で広場に立たされる二人だったが。
「え、ほんとにボコボコにされちゃうの俺?」
いまだに、自分の置かれている状況が飲み込めず呆然と立ち尽くすままのコウイチと、何故か理解が早くぴょんぴょんとその場で跳ねてやる気十分のスイレン。
「別にただやられとは言わんぞ。やり返せるならやり返していいからの」
やれるもんならやってみろと言わんばかりの笑いを漏らしながら言い放つヨンに苛立ちを覚えつつ、構えるように言われるまま正面に立つスイレンと相対する。
「恨むなよコウイチ〜」
スイレンは、そんなに俺を殴れることが嬉しいのか邪悪な笑みを浮かべながら構えを取ったままジリジリと距離を縮めてくる。
「ぐっ、くそっ!」
こうなったら、せめて一発でも当ててやる!
決心して思いっきり一歩踏み出して正拳突きを放つ。
避けられないことが分かっているスイレンは落ち着いた様子で拳の横から尺骨を当てて受け流すと、すぐさま空いている腕でコウイチの鳩尾にアッパー気味のパンチを返す。
「ゲェッ!?」
攻撃が来ることは分かっていたので、咄嗟に腹筋に力を入れて堪えたが、それでも一瞬息ができなくなってしまうほどの威力。だが、このまま止まってしまえば追撃がくる。出ていくばかりの息を止めて反撃に出ようと拳を振りかざすと、目の前にいたはずのスイレンが視界から消えていることに気付く。
「ど、どこいった?」
消えたスイレンを探して首を振ってみるも、彼女の姿は捉えらえない。
「ちぇいっ!」
「あがっ!?」
突如聞こえた気の抜けるような声と共に後頭部に衝撃が走り、前に向かって吹っ飛ばされる。
「ちゃんとガードしろよコウイチ」
スイレンは変わらず悪戯な笑みを浮かべたまま、蹴ったのだと思われる振り上げた足を下ろしながら話かけてくる。
「できるわけねーだろ死角から蹴り飛ばされて!」
まだ痛みが残る頭を押さえながら大声で返すと、
「それを分かるようになれってことだよっ!」
言葉と同時、またスイレンの姿が再び消える。今回はしっかり見ていたので、彼女が地面を蹴ったのだけは分かった。分かったのだが...
「見えん...」
凄まじい速さで地面を蹴る音だけが聞こえるが、一向に視認することができない。
「どこ見てんだ?」
音を追うように目を動かしていると、どこからともなく目の前に拳を構えたスイレンが現れた。
(まずいっ!)
顔の前に腕を出してガードの姿勢を取るも、甘いガードもろとも強烈なパンチをくらい宙に浮く。
「クッソォ、好き放題しやがって...」
ガードした腕が鼻に当たったことで鼻血が地面にポタリ、ポタリと地面に二、三滴落ちる。
鼻を啜り、垂れる血を親指で拭いながら止まったことを確認してスイレンに向き直る。
それからと言うものは、なんとかこちらも攻撃を当てようとやたらめったら腕を振るってみるも、そのことごとくをいなされ、殴られては倒れ、蹴られては倒れを繰り返すこと数十回。最初こそは一発当ててやろうと思っていたが、終盤はどこから飛んでくるか分からない攻撃をどうにかガードすることに必死だった。
反撃する気力も、立っている体力も無くなった頃には、日はとうに沈み、地面に寝転がる俺とその真上にある半分ほど雲に隠れた月と目が合った。
「どうじゃった?」
疲れ果てたコウイチに近づいてきたヨンが問いかける。
「どうって、なにが?」
宣言通りただボコボコにされただけで、それ以上でもそれ以下でもないと思うのだが。
「今のスイレンとの戦いで、何故自分が一方的にやられたか分かるか?」
「なんでって、そりゃあ俺とスイレンじゃスピードが違いすぎるし、パワーだって━━、」
そこまで話したところで、手を顔の前に出されて中断させられる。
「違う違う。全く見当違いじゃよ」
「なんだよ。勿体ぶってないで早く教えてくれ。意味もなく殴られたわけじゃないんだろ?」
業を煮やしたコウイチの質問に、やっと本題に入る気になったらしいヨンはにこりと笑った後、口を開く。
「殺気じゃよ『殺気』」
「殺気?」
「あらゆるものが攻撃の瞬間に無意識で発する気、それが『殺気』じゃ。それを感じ取ることができればいち早く相手の攻撃に気付き、対処したり、先手を取ることができる。それゆえ、コウイチがスイレンに攻撃をしても受け止められたり、受け流されたりして反撃を受けとったんじゃ。もっとも、最後の方はただやられるがままじゃったがな」
俺のやられっぷりは大層面白かったらしく、最後の方はただ馬鹿にされただけの気がするが...。
「その『殺気』を感じ取れるようになれってことか?」
「そう言うことじゃ。明日からは午前中は外周、帰ってきたら殺気を感じ取る修行を追加する。さっさと感じ取れるようにならんと体の傷は増えるばかりじゃから死んでくれるなよ?」
もう死に体になっている人間にそんなことを言われてもと思いながら、ついに始まった本格的な修行にやはりどこか嬉しさを感じて、起き上がることもできないほど疲れたコウイチは、そのまま眠りについた。