楽しい朝食の気分が一気に消え、はじめたちは火村の検死結果を待っていた。綺世はたまたま惨状を見ることはなかったが、あんなものを再び見てしまったら、今度こそ気絶すると思っていたはじめの判断は正しかったことだろう。
そして、火村は顔を真っ青にして、ハンカチを口に当ててロッジから出てきた。医者である火村でも、今回の惨状を見たのは恐らく初めてなのだろう。
「また
「数時間後?」
「切断面からの出血がほとんどありませんでした。これは心臓の機能が停止して、身体中の血液循環が終わっていたからです」
「何故犯人はそんな面倒なことを…」
「…柿本さんの死亡推定時刻は?」
「断言出来ませんが、昨夜の0時から3時までとしか…」
正確な殺害時刻が分からないのであれば、推理もへったくれもない。
はじめは溜息を吐きつつ、今は自分のロッジに戻ることにした。
その夜…静かな晩御飯を食べ終えたはじめは自分のロッジに戻ると、先客がいた。はじめのベッドの上に綺世がいたのだ。
「…何でここにいるんだ?」
「だって…ちょっと…」
「まさか、怖いとでも言うのか?迷信ものを信じないお前が」
「今回の殺人が伝説の山童だなんて思ってないわよ!でも…人の悪意の方が怖いし、これ以上…はじめちゃんを危ない目に合わせたくないし」
そう言うと、綺世は自身の右の掌を見た。
前回の事件で付いたナイフの跡はすっかり消えたが、痛みだけはずっと忘れられずにいた。
今回の件は綺世が誘った話だ。多少の後悔はあるのだろう。
はじめは(責任感が強い奴は面倒だ)と思いながら、再びコテージから出ようとする。
「ちょ…どこに…」
「温泉だよ。メインロッジには温泉があるっぽいからな。そこで身体と頭をリラックスさせてくる」
「私も一緒…」
「因みに混浴だそうだ。来ない方がいい」
それだけ伝えると、はじめは自身のコテージから出て行ってしまった。
綺世は胸のところに両手をギュッと握り、別のことで後悔する。
「“あのこと”…いつ言えばいいんだろう…」
はじめはどっぷりと温泉に浸かる。
少し熱いが、それでも緊張した身体と脳を癒すには丁度良かった。
そうやって頭も柔らかくなったところで、はじめは今回の事件に関して考え始める。
(犯人は間違いなく…俺たちの中にいる。茅さんの言うとおり、美作オーナーさえ殺してしまえば、誰が参加者なのか分からなくなる。ただ…そうなると柿本は何故殺されたんだ?山童伝説に
そこまで考えて、はじめの推理は行き詰まってしまう。
溜息を吐き、推理は一旦やめる。
そして今度は例の暗号に関して考えようとしたが、あの長々とした古文を思い出せずにボソボソと呟く。
「何だったっけ?百坂の…………あ〜覚えてねえ」
「船漕ぐ裏の朱の鳥…」
後ろから続きが読まれる。
「あー、それそれ。教えて頂きありが……ん?」
はじめはお礼を言おうと思ったが、そこで言葉が終わる。
この温泉は混浴だ。そして声は女性…。
(いやまさか…そんなことないよな…)
殺人事件の現場を見るのとは別の緊張がはじめの心臓を翔ける。
ゆっくりと、期待と恐怖の孕んだ瞳で後ろを振り向くと…想定外の者が目の前に立っていた。
「なああッ!!!??」
そう、はじめの前に裸体を隠すことなく近付いてくる茅杏子の姿があったのだ。だが、彼女は恥ずかしがることも、全くなく、続けて暗号を呟く。
「【鳴くや悲しき鵺鳥の…呻吟い居けり逝く水の、われこそ益さめ魔の目…開きにけらしも月虹に染めまし道をたどりゆかむ……山童守りし、玉の元へ…】」
言い終えたと同時に、茅の裸体は温泉の中に消える。
そこで正気に戻ったはじめは、必死に理性を働かせて背中を見せる。
初めて…生で見た女性の裸に頭の中が混乱してるのだ。
それに何より…。
(これが綺世に知られたら…殺される…!)
自分の不甲斐なさと恐怖に身体を震わせていてると、茅が話しかける。
「この
「玉…?…た、宝のこと…ですか?」
「その通りよ、頭が良いわねえ、金田一くん」
ゆっくりと近寄って来る茅にはじめは必死に距離を取る。
だが、取ったと思えば茅は瞬時にはじめの背後にいた。
はじめは茅にまで、綺世とは別の恐怖を感じるようになっていた。
「あの和歌を訳すとこうなるわ。
【豪華船が出航する港に鵺が悲しげに鳴く頃には、海の水が干潟が無くなるまで増えて、私の気持ちも同じように募っていきます。やがて魔の目が開いたら月明かりで染めた道を行きましょう。…山童に守られている宝のもとへ】と…」
事細かに教えてくれた茅に関して礼は言いつつ、再び距離を取るはじめ。
「あ、ありがとうございます…。教えて頂いて…。でも、どうして俺にそんなことを…」
「あら?貴方が素敵だから…よ?」
そう言うと、素肌をはじめの背中に擦り合わせる。
流石のはじめも、ここが限界だった。
素早く温泉の中を潜り、茅から離れると「お気遣い…ありがとうございましたぁ‼︎」と叫びながら温泉を出るのだった。
その横で茅は箱を持って、カラカラと音を鳴らすのであった。
次の日、ロッジの中ではじめは茅の訳した和歌をメモして、ずっと睨めっこしていた。茅のお陰で大体の意味は理解出来たが、唯一分かっていない重要なことがある。
「この『魔の目』…一体どこにあるんだ?」
今更だが、そう思ってしまった。宝の在処を示すはずの暗号なのに、『場所』が完全に不明瞭だった。そして、それを同じく見る綺世がふと、こんなことを言い出した。
「ねえ、その『朱の鳥』って、どういう意味?」
「んあ?鵺のことだろ?」
「鵺って赤い鳥じゃないよ」
「そうなのか?じゃあ、ここだけ意味合いが変わって来るな」
そんな話をしていると、ふと後ろから幼なげな声が聞こえた。
「それ、鳥じゃないと思いますよ?」
驚いて背後を向くと、クリスが立っていた。
気配を全く感じれず、不安に感じた2人だったが、クリスは気にすることなく話す。
「その『朱の鳥』は《赤い鳥居》のことじゃないでしょうか?」
言われて気付くはじめ。
「言われてみればそうかもな」
「だけど赤い鳥居なんてあったかしら?白と緑はあったけど…」
「メインロッジの裏手の崖下にもう一つありますよ。色が分からないので、一緒に見に行きませんか?」
都合がいいと思い、はじめと綺世は承諾する。
その時、クリスの口元が醜悪に歪む…。
確かにメインロッジの裏手に鳥居はあった。
しかし、そこそこ距離が離れていて、色までは判断出来そうもない。
「降りてみるか…」
一応、この崖は坂道になっており、鳥居を見に行くことが出来る。
だが、途中でクリスが声を上げる。
「靴紐が解けてしまったので、先に行っててください」
はじめは何も思わずに歩くが、綺世は怪しそうにクリスを数秒見たが、はじめの後を追う。すぐに鳥居は眼前に広がるのだが、はじめの期待とは裏腹に色は赤ではなく黒だった。
「…どう見ても黒だな」
「ええ、どうやら鳥居って説は無さそうね。戻ろうか、はじめちゃ……ん?何か…臭わない?」
綺世がふと言い出す。
するとはじめにも強烈な異臭が鼻を突いた。
理科や化学の実験で1回だけ嗅いだことのある腐卵臭だ。
2人は鼻を抑えて、周囲を窺う。今度は水蒸気が立ち込め始める。
何も起きるはずがない、2人が慌てふためいていると…奥から碧が現れ、叫んだ。
「逃げてッ‼︎」
「碧さん?」
綺世が碧の方を向いた瞬間、はじめはこの現象の正体が何かを知る。
(マズイ‼︎)
はじめは綺世の腕を引っ張ると、自身の胸に彼女に抱えて後方へと飛ぶ。
「ちょ…!」
それとほぼ同時に綺世のいたところから大量の水が噴き上がった。
しかし、ただの水ではない。湯気が大量に立ち、噴出口の周りの岩が少し削れている。
はじめは背中に痛みを感じながらも、それを眺めていた。
「間欠泉…」
派手に噴き上がった間欠泉は先程はじめたちがいた箇所と黒い鳥居に向けて…数十秒間浴びせ続けていた。
その様子を岩場の陰から見ていたクリスは、「ちっ」と舌打ちをしてその場から離れるのだった。
今週中にもう1話、投稿すると思います。