【改稿前版】唯神夜行 >> シキガミクス・レヴォリューション   作:家葉 テイク

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11 このクソったれな世界で

遠歩院(とおほいん)さんは距離を取らなくてよろしいのでしょうか」

 

 

 伽退(きゃのく)押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)に構えをとらせつつ、薫織(かおり)に向かって問いかける。行動とは裏腹に、友好的な響きを聞く者に感じさせる声色。聞いた流知(ルシル)は一瞬力を抜きかけて、慌てて気を引き締め直した。

 

 

遠歩院(とおほいん)さんの霊能は知っています。飛躍する絵筆(ピクトゥラ)は触れた物質の表面にイラストの完成品を描くだけの霊能……。戦闘区域にいては、貴方も集中できないのでは?」

 

「ほォ、こっちの心配をしてくれるのか?」

 

「まさか。必殺女中(リーサルメイド)を倒した功績は『外』へ戻った時の私の評価に関わりますので。そこに『非戦闘員を人質に使った』という要素が加わるのはなるべくなら避けておきたいだけです」

 

「そうかい。だが問題はねェ。(オレ)はメイドだからな。ご主人様が居た方が強いんだ」

 

「はあ……()()()()()()()()()()

 

 

 いつもと変わらない様子で不敵に笑う薫織(かおり)に対し、伽退(きゃのく)は今までの敵とは違い、苦笑も困惑もせず辟易とした様子で溜息を吐いた。

 

 

「偶にいると聞いたことはありましたよ……。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。厄介だから気をつけろと、先輩に言われたものです」

 

「へェ? 後輩想いな良い先輩もいたもんだな」

 

「一昨年、貴方に刑務所送りにされましたが」

 

 

 伽退(きゃのく)は、一ミリも笑わずにそう付け加えた。

 挑発的な笑みから一転して気まずそうに苦笑した正義のメイドに対し、伽退(きゃのく)はやはりにこりともせずに、

 

 

「……戦う前に、私の霊能について説明しましょう」

 

「ッ、」

 

 

 直後、だった。

 伽退(きゃのく)が説明を始めるより先に、薫織(かおり)の身体が弾けた。──否、弾けたのではない。常人では目視すら難しいほどの刹那に地を蹴ったことで、残像すら残さない速度で伽退(きゃのく)へと()()()のだ。

 

 

薫織(かおり)!?」

 

 

 ワンテンポ遅れて、流知(ルシル)薫織(かおり)の行動に気付くが──遅い。彼女が戦闘メイドの姿を目で追った頃には、薫織(かおり)は既に押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)に肉薄していた。

 

 

(……! やはり機先を制してきたか!!)

 

 

 押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の眼前に着地した薫織(かおり)は、その勢いのままに深く深く身を沈め──

 ぐるん、と。

 その場で前方宙返りをするようにして身体を回転させた。遠くから見ていた流知(ルシル)はその動きを見て相手の頭部を狙った逆サマーソルトキックかと咄嗟に思ったが、

 

 

「……!」

 

 

 グオッ!! と押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)が大袈裟に身体を逸らしたことで、薫織(かおり)の攻撃がそれだけに終わっていなかったことを悟る。

 その証拠に、薫織(かおり)の蹴りが空振りに終わった後には、地面にアイスピックが突き立っていた。

 

 ──曲芸奉仕(アトロイドサービス)

 もし仮に押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)が安直に防御を選択していれば、発現されたアイスピックがその機体に確かなダメージを与えていただろう。

 恐るべきは、その凶兆を察知して慎重に初撃を躱した伽退(きゃのく)の警戒心か。──初撃を回避された薫織(かおり)は、逆サマーソルトキックの空振りという致命的な隙を見せる。

 

 

好機(チャンス)!!!! ()()()使()()()()()、ダメージは与えるに越したことはない!!)

 

 

 その隙を、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)が狙う。

 薫織(かおり)は地面に片膝を突いた状態。いかに彼女が大型肉食獣にも等しい体のバネを備えているにしても、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の身のこなしも平均的な至近操作使役型のそれだった。

 行動直後の薫織(かおり)に、攻撃を躱すような余裕はない。

 

 戦闘メイドの頭部へ目掛け打ち下ろされる右の拳。

 しかし──それが実際に直撃する前に、虚空に紙袋が出現し拳を阻む。

 

 

(!? 抵抗……空間に固定されている!? 否、これは霊能の性質!! 本来は枷になるだろうが、それを盾にしたのか!!)

 

 

 本来、紙袋程度であれば中身が何であれ押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の膂力の前では障害にすらならない。一瞬にして破壊し攻撃を続行できるので盾には成り得ない──のだが、今回は例外が発生した。

 ──女中の心得(ホーミーアーミー)が取り寄せた『女中道具』は、発現直後はその場に固定される。

 これは空気も含む発現場所の物質を押しのける為に必要な機能だが、同時に咄嗟に武器として取り寄せた『女中道具』も直後は自由に取り回せないという枷でもある。ただし──それも逆用すれば、瞬間的な盾として利用できる。

 

 

(クソが!! 咄嗟過ぎて動作の停止が間に合わない! 発現された紙袋を破壊してしまう!!)

 

 

 薫織(かおり)がそのまま飛びのいた直後。

 ボファ!! という音を立てて、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)が殴りぬいた紙袋から真っ白な煙が飛び出した。

 

 

(煙幕!? 毒ガス……いや、紙袋のパッケージから見ておそらく小麦粉!! だとするなら次の手は煙幕に紛れた強襲……! この状況はマズイ!?)

 

 

 伽退(きゃのく)の判断は早かった。

 

 

押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)! 私を吹っ飛ばしなさい!! 煙幕の届かない方へ!!」

 

 

 小麦粉の煙幕の向こうの声。

 それを耳にした薫織(かおり)は、追撃の為に準備していた前方への跳躍を取りやめ、バックステップして煙幕から距離を取った。

 直後、ブオン!!!! とメジャーリーガーのフルスイングよりも豪快な風切り音と共に、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の剛脚が煙幕を切り裂いた。

 もしも薫織(かおり)が言葉を信じて追撃をしていた場合、その横っ面を蹴り叩くような軌道で。

 

 カランカラァンと、それを追いかけるように()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()にデッキブラシが落下する。

 

 

「……自傷覚悟の撤退、じゃなかったよなァ今の。嘘つきめ」

 

「お互い様だろカスが。何手先まで読んで手ぇ打ってんだ気持ち悪りぃ」

 

 

 煙幕の切れ間から覗いたのは──緑髪の少女の、憎々し気に歪められた表情だった。

 そこに、先ほどまでの秘書然とした落ち着きと行儀の良さは存在していない。路上のチンピラよりも粗暴で、研ぎ澄まされた悪性がそこには宿っていた。

 その変節自体には眉一つ動かさず、薫織(かおり)は内心で舌打ちする。

 

 

(……チッ。結局攻めきれなかったな。ここから無理に攻撃を仕掛けても逆にカウンターの危険の方が高い、か……)

 

 

 スッ、と。

 未だ宙に漂っていた小麦粉が、一瞬にして消え去る。

 

 

「だが……今の攻防は無意味だったなぁ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……テメェのクソ想定通り、私の霊能は『契約』よ」

 

 

 それを見て、伽退(きゃのく)は間髪入れずに宣言した。長めの前髪をうざったそうにかき上げながら、

 

 

「私とシキガミクスが口頭と文面の両方で提示し、相手が承諾した『契約』を遵守させる霊能。それが押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)だ」

 

 

 ──『精神操作』系統の霊能は、陰陽師など自身の体外に霊気を出して操る術を持つ者に対しては霊気によるレジストで大した効果を発揮しない。そうした弱点に対して多くの陰陽師がするアプローチの方法が、『契約』である。

 ただし、もちろん契約成立に至るまでのハードルは高い。相手が契約内容を認識すること、選択権を与えられた上で契約内容を承諾すること。ここまでしなければ、霊気によるレジストを無視した『精神操作』は発動できない。

 『原作』においてはそもそもレジストを無意味化するくらいの高出力に霊能をブーストするという大掛かりなギミックを利用したり、ゲームの勝敗を承諾・拒否と定義するタイプの霊能が登場していたが──押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)はそのどちらでもなかった。

 

 伽退(きゃのく)は右拳を突き出させた己のシキガミクスを親指で指差して、

 

 

「文面はこのシキガミクスの顔面モニタでも提示できる。ちなみに、私の契約においては承諾・拒否は冷静な判断を促す為にシキガミクスに設置されたボタンによってのみできる仕組みだ。……どうだい、良識的だろ?」

 

 

 右拳には、左胸に浮かび上がる『NO』の文字と似たようなフォントで『YES』という文字が浮かび上がっていた。

 

 

「まあ、拳についてっから、もしかしたら戦闘中にうっかり触れちまうかもしれねえが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 つまり、仮に押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の右拳を躱しきれず食らってしまった場合でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という理屈が通ることになる。もちろんこれは暴論だ。暴論だが──魂の同意が絡む『契約』というのは、得てしてそうした論理を超越した領域の影響が如実に出る。

 

 

「……ヤクザかよ」

 

「大正解♡ 褒めてやるよボケ」

 

 

 事前に文面と口頭で契約内容を告知すれば、右拳で殴るだけで相手に『契約』をさせる霊能。

 まず大前提として自身の能力における契約メカニズムを説明しなければならないという縛りはあるにせよ──あまりにも、文字通り『無法』だった。

 

 

(……今の話からして、一発で『契約』を履行させることはできねェはず)

 

 

 伽退(きゃのく)は『契約』のプロセスを契約元に都合よく整えることによって半強制的に対象を操作することができるようにしているようだが、そもそも霊気によるレジストを無効化できるのは、『同意』によって霊気が他者の干渉を阻害しなくなるからだ。

 言うなれば、ファイヤーウォールの除外対象に設定されるようなもの。その為には、形ばかりの『同意』ではなく心からの同意が必要となる。それを無理やりなプロセスにすれば、当然その分の歪みは発生する。

 

 

(おそらく、複数回同じ『契約』を承諾させなければ履行はさせられねェ。最低で二回、著しく戦況を悪化させる『契約』ならば三回以上……履行にはそれだけのハードルがあると見た)

 

 

 それでも、本来であれば直接戦闘すら厳しい霊能で至近操作使役型のシキガミクスを運用しているのは流石と言わざるを得ないが。

 とはいえ、説明されてしまった以上迂闊に相手の攻撃を受ける訳にもいかなくなった。

 薫織(かおり)はじりじりと間合いを測りながら、

 

 

「随分と創意工夫したもんだ。洗脳能力で前線を張れるシキガミクスを構築してるヤツは初めて見た」

 

「だろうなぁ。私も随分苦労したわ。()()()()()()()()()()()だからよぉ」

 

 

 伽退(きゃのく)は首に手を当ててコキリと音を鳴らしながら、

 

 

「あのカス野郎は何かやろうとしているようだが、アイツの好きになんて世界を運営させてやるかよ。あの野郎にも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(……煤けていやがるな)

 

 

 凶笑(きょうしょう)を浮かべる伽退(きゃのく)を見て内心で吐き捨て、薫織(かおり)は転がっているデッキブラシとアイスピックを解除する。

 

 

(……在庫にはまだ余裕があるが、補充のタイミングもある……。百鬼夜行(カタストロフ)を控えている以上、あまり無制限に『女中道具』を大盤振る舞いしてもいられねェ)

 

 

 女中の心得(ホーミーアーミー)は『女中道具』を()()しているのではなく、あくまでも『裏階段』と呼ばれる別スペースに置いてある物品を()()()()ている。

 ゆえに、扱える『女中道具』の数には制限があるし、貴重な物品は使い潰すことも難しい。今のところ薫織(かおり)は在庫に余裕があるものを多用しているが、これは長く戦い続けていれば傾向として相手に分析されてしまうリスクも孕んでいた。

 

 

(ここまでの攻防を見た限り、敵機(ヤツ)(オレ)の速度はそう変わらねェ。真っ向からやり合えば何発かはもらっちまうが……この場合の『何発か』はコイツ相手には致命的……!)

 

 

 何せ、右拳による攻撃はクリーンヒットだろうと防御だろうと関係なく『同意』カウントだ。何発ももらえば重い『契約』も履行されてしまう可能性を考えると、近接戦闘のスペックが拮抗している相手と殴り合いを行うのはかなりリスキーな決断になる。

 

 

(……だが一方で、向こうはさっきの攻防で接近戦時の『取り寄せ』による防御を見た。アレがある以上、純粋な殴り合いでは(オレ)の方が一枚上手と認識したはず。ならば……使ってくるとしたら、霊能の使用を制限するような『契約』になってくるか……?)

 

 

 霊能の制限を掲げておけば、薫織(かおり)は接近戦に対して常にプレッシャーを与えられ続けることになる。着用型がその性質上長期戦に弱いのと併せ、短期決戦を度外視するなら有効な戦略になる。

 そう考え、その裏をかこうと薫織(かおり)押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)へと跳躍した瞬間。

 

 押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の顔面のデジタル表示が、文章の形に変化する。

 表示された文面を読み上げるようにして、その背後にいる伽退(きゃのく)は禍々しく宣言した。

 

 

「『()()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。』!!」

 

 

 その言葉を聞き、薫織(かおり)の脳裏に電流が走る。

 

 

(やられた……! 野郎、霊能の使用条件である事前告知を利用して、自分の攻撃対象を明示してきやがった!!)

 

 

 これが、薫織(かおり)を対象にした『契約』であれば問題はなかった。分の悪い戦いではあるが、至近操作使役型と着用型では細かな動作の精密さや立ち回りで僅かに着用型の方が上回る。決して勝ち目のない戦いではないし、この百戦錬磨のメイドであれば十分勝ちの可能性は見いだせた。

 ただし──ここで流知(ルシル)のことを『契約』の対象として指定してきたということは、この攻防のどこかで流知(ルシル)を狙った行動を取りますと言っているようなものである。

 たとえば、極端な話右腕を切り離して流知(ルシル)に投げつけたとしても、『契約』は成立してしまいかねない。レアケースではあるが、能力の性質を考えれば右拳のスペアを伽退(きゃのく)本人が所持しているという可能性だってある。

 いや──それ以前に、敵はそもそも洗脳した手駒を複数有しているはずなのだ。そう考えると、洗脳した手駒に右拳のスペアを持たせてくることすら思考の俎上に載せられる。

 

 この時点で、薫織(かおり)の思考リソースは『後ろにいる流知(ルシル)を攻撃させないように立ち回ること』を第一優先しなくてはならなくなった。

 それを、薫織(かおり)が実際に動き始めた直後に提示したのだ。タイミングまで含めて完璧である。

 

 

流知(ルシル)を置いて跳躍したのは失敗だった! 後ろの気配は……()()ない! 手駒に流知(ルシル)を襲わせる路線はなし! ならばどういう手を打ってくる……!? ……いや、まさか……!!)

 

 

 押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)は、右手を引き絞った攻撃態勢を取っている。おそらく薫織(かおり)が飛び込んできたのを迎え撃つ腹だろう。

 平時の薫織(かおり)であれば、あのくらい見え見えの攻撃は同じようなスペックの持ち主であろうと簡単に躱すことができるが──

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! 今はいないとはいえ、右拳を持った手下に流知(ルシル)を襲われたらその時点で(オレ)の負けだからだ!! そしてコイツはそこまで計算していやがる!!)

 

 

 その思考を裏付けるように、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の顔面のデジタル表示がブレる。

 そしてその内容を、伽退(きゃのく)が読み上げた。

 

 

「『園縁(そのべり)薫織(かおり)は三秒の間、身動きを取らないものとする。』!!」

 

 

 薫織(かおり)が相手の拳の動きから攻撃箇所を読んで両腕を交差させた瞬間。

 ドッゴォ!!!! と、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の右拳が、薫織(かおり)の防御に突き刺さる。熊の腕の一振りにも匹敵する一撃に、薫織(かおり)の身体がまるで野球ボールか何かのように軽々と吹っ飛ばされた。

 

 

 


 

 

 

 

11 このクソったれな世界で

>> NONETHELESS

 

 

 


 

 

 

「かっ、薫織(かおり)ぃ!!」

 

 

 直撃。それを意味することを考えて、流知(ルシル)が悲痛な声を上げるが──その予想に反して、戦闘メイドは空中でくるりと身体を回転させて、四本の四肢で着地する。

 ザザザ! と地を滑るようにして流知(ルシル)の傍らまで下がった薫織(かおり)は、そのまま危なげなく立ち上がる。

 

 

「……あれ? 『契約』効いてないんですの?」

 

「敵前で三秒も静止なんて半分自殺しろって言ってんのと同じだ。ま、次食らったらヤバそうだが」

 

「えぇ……」

 

 

 ──実は、これも押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の弱点だった。

 『契約』の難度によって履行までに必要な承諾の数が変わる。それは一体だれが判断しているか? ──それは、精神操作をレジストしている『契約』相手側の認識だろう。

 つまり、敵の想定によって『契約』の履行に必要な承諾の回数にばらつきが発生するのだ。そして──その想定が重い人間ほど、履行までの承諾回数(ハードル)(たか)くなっていく。

 もっとも、これは本来であればそこまで問題にはならない。何故なら、認識とは理性ではなく直感によって決まるからだ。『三秒その場で静止しろ』と言われても、それを危険と思うのは普通ならば『敵を目の前に三秒も棒立ちしたら危険だよな』と思う理性だ。

 直感的には『三秒はなんか嫌だな』程度にしか思わない人間が大半だろうし、それではレジストは大して働かない。直感的に『三秒は死ぬから絶対にマズイ』と思える意志力──それがあって初めて発生する弱点なのである。

 

 そんな意味不明な方法で弱点を暴かれた伽退(きゃのく)はというと、全く取り乱した様子も見せなかった。

 

 

「予想はしてたが、これでも耐えるかよ。フッ飛ばしておいて正解だったわ。インファイトに徹してたら手痛いカウンターだったなこりゃ」

 

「……ケッ。(オレ)に『契約』を履行させたかったら、文末には『お願いします園縁(そのべり)薫織(かおり)様』って追加しておくんだな」

 

 

 流知(ルシル)を背に守りながら、薫織(かおり)は地に膝を突いて言う。

 拳をモロに受けた右腕が痺れるのか、横合いに右腕を振る姿は──防御してなおダメージが蓄積しているのが傍から見ても明白だった。

 伽退(きゃのく)は嗤いながら、

 

 

「さて、これで一発よ。……流石のテメェも次を食らえば確実に履行が始まる。さてさて、後がなくなってきたなぁ、必殺女中(リーサルメイド)?」

 

「テメェこそ。メイド(オレ)の地雷を踏んだ自覚はあるか?」

 

「覚悟すら、してきたが?」

 

 

 そこで、薫織(かおり)は複数の気配を感知した。

 廊下のそこらにある支柱の陰。そこからゆらりと分離するように現れたのは──複数人の少年少女。それぞれが右腕につけている『生徒会』の腕章は、彼らが生徒会役員であることを示していた。

 

 

「……コイツらは、」

 

「私が洗脳した雑魚どもよ。まさか、手駒もなしにテメェに挑むと思っていたか? バカが。押し売りの契約(デモンズカヴァナント)の本領は『契約』で雁字搦めにした木偶人形を利用した人海戦術!! 覚悟しろよ必殺女中(リーサルメイド)。テメェには此処から、何もさせねェ!!」

 

 

 勝ち誇る伽退(きゃのく)

 確かな劣勢に追い込まれながら、窮地のメイドは──

 

 

「……全く以て煤けていやがる」

 

 

 静かに、悪態を吐いた。

 ぴくりと、伽退(きゃのく)の眉が動いた。

 

 

「……あぁ? 何が悪い。コイツらはどうせ他人の尻馬に乗ることしかできねぇ庶務のカスだ!! 副会長の打鳥(だどり)ですらそうだった! 確かな自分の意志ってモンを持ってねぇヤツが良いように使われるのが、この世界の仕組みよ。原作者(クソカス)だってやってんだろうが」

 

 

 苛立たし気に舌打ちをして、

 

 

「だから私は工夫した。精神操作なんて使い出のねぇザコ霊能を使って、クソみてぇな生活環境の私がどうやって生き残るかを考えた。そしてここまで来た!!」

 

 

 それは、伽退(きゃのく)悠里(ゆうり)という女の生きてきた道を想像させるには十分すぎる言葉だった。

 怪異と霊能によって、霊能絡みの事件に対しては警察組織の対応すら追いついていない世界で。義務教育で陰陽術を教えられているような環境が半世紀近く続いているにも拘らず、陰陽術の普及率が()()()()()()()というのはどういうことか。

 残り四%──そこに含まれる劣悪な生活環境では、最低限の教育すらも行き届いていない。そういう現実で生まれ育った人間が、どういった人生を歩んでいくのか。

 

 

「それを強者側(テメェ)にどうこう言う資格なんてねぇ。『神様』に愛された名家に生まれておいてそのアドバンテージをあっさり捨てて、それでも自分の力で確かな地位を築き上げることができるテメェみたいな選ばれた側の人間には!!!!」

 

「……なら、わたくしが言いましてよ」

 

 

 だから答えたのは、薫織(かおり)の後ろにいる流知(ルシル)だった。

 

 

「絵を描くくらいしか使い道のないシキガミクスを作って、デマが流れてからはいっつも誰かに追われ続けて、今も薫織(かおり)に守られていなければすぐにでも誰かに攫われてしまいそうな弱者(わたくし)が言いますわ。アナタは、絶対に間違っていると!!」

 

 

 膝を突く薫織(かおり)の横を歩き、そして彼女の前に出て。

 流知(ルシル)は、胸を張って言い切った。

 

 

「……、温室生まれのお嬢様風情が、」

 

「違います。わたくしが言いたいのはそこではなくってよ。アナタが酷いお生まれなのも察しはつきました……。なればこそ、生まれの悪さを盾にして悪行を正当化しているアナタは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ご自分で愚弄なさっています!!!!」

 

 

 手に持った木製のGペンを突きつけながら、流知(ルシル)は怒る。

 

 

「此処へ辿り着くまでさぞ苦労があったことでしょう。努力があったことでしょう。わたくしなんかでは遠く及ばないほどの……。……ですが、ならば『外』の影響がないこの学園でなら新たな人生を掴み取ることだってできたはず!! アナタの尊い努力に見合うだけの、輝かしい未来を目指すこともできたはずです!! 結局アナタは、私怨に駆られて全て壊すことを優先しただけですわ!! そしてその逃げ道に、アナタが必死に克服してきたはずの過去を使おうとさえしている!! これがアナタが積み重ねてきた努力への愚弄でなくて何だというのですっっ!!!!」

 

 

 自分のことを狙われただとか、ピースヘイヴンのことを殺そうとしただとか、学園全体を巻き込む百鬼夜行(カタストロフ)を見過ごそうとしているだとか、そういう最初に目につく相手の悪意にではなく──それに手を染めた伽退(きゃのく)が、一番最初に踏みつけにしたモノに対して。

 おためごかしの綺麗事ではない。本気の本気で、()退()()()()怒っている。

 だから、伽退(きゃのく)は。

 

 

「な、なんだお前……き、気持ち悪……」

 

 

 恐怖した。

 コイツは、必殺女中(リーサルメイド)の付属品なのではなかったのか? ただの時代錯誤なお嬢様言葉だけが変人ポイントな一般人。非戦闘タイプのくせに妙なシキガミクスを構築してしまったせいで色々と目をつけられている不憫な女。

 それが、伽退(きゃのく)の理解している遠歩院(とおほいん)流知(ルシル)という女だったはずだ。それが──この違和感はなんだ? まるで、心に直接触れられているかのようなこの不快感は──。

 

 

「確かに」

 

 

 そこで、薫織(かおり)が口を開いた。

 

 

(オレ)強者(メイド)だ。テメェの言う通り、どれだけ慮ったつもりになっても本当の意味で弱者の側には立てねェ。……だから、誰かを護ることはできても、誰かを救うには至らねェ」

 

 

 メイドらしくその手にデッキブラシを掴みながら、メイドらしからぬ構えを取って立ち上がる。

 

 

「ただ、それでも。ゼロから何かを生み出すことができるご主人様(ヒーロー)ご奉仕(てだすけ)することはできる。その手足となって、描く未来を実現する絵筆にはなれる!!!!」

 

 

 莫大な闘気が、その全身から噴き出した。

 

 状況は何も変わっていないはずだ。

 周囲には伽退(きゃのく)の手駒がおり、流知(ルシル)は狙われている。薫織(かおり)はあと一発食らえば『契約』の履行が始まりゲームオーバー。状況は、圧倒的に伽退(きゃのく)が有利。──そのはずなのに。

 

 

(なんだこの焦燥感は!? 何か見落としがある!? 今のやりとりの陰で何か対策を打たれていた? もしかして舌戦に動揺して見逃していた? ………………あ? 動揺? 私が? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 

 油断なく状況を検証する、その鋭い思考。

 それが、皮肉にも伽退(きゃのく)の逆鱗に触れる最後の一押しになってしまった。

 

 

「んなわけねぇだろうが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」

 

 

 絶叫。

 髪を振り乱して叫んだ伽退(きゃのく)は、前髪の奥から覗く瞳で怨敵を睨みつけ、宣言する。

 

 

「『()()()。やれよ、カスども。善人(クズ)を潰せ!!」

 

 

 『甲は乙が「契約だ」と合図をした後に一番最初に受けた指示を遂行するものとする。』。その契約の履行を開始した生徒会役員たちが動き出したのと、同時。

 黒橙のメイドが、一筋の黒い矢となって伽退(きゃのく)へ殺到する。

 

 

「長期戦だと摺り潰されると判断して、こっちに突撃して短期戦狙いか! だが後がねぇなぁ……テメェはあと一回で履行確定よ!!」

 

「さて、それはどうかな?」

 

 

 そう言って薫織(かおり)は、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の間合いの外で急制動をかける。

 そして手に持ったデッキブラシを、まるでバットでも持つみたいに構えた。そのスイングの軌道上に、白い布とアイスピックが発現される。

 

 

(布? ……デッキブラシで飛ばす飛び道具の切っ先で、飛んでくる方向を判断できないようにするためか! 最悪、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)を飛び越えて私を狙ってくる可能性すらある……。なら!)

 

 

 それに対し、伽退(きゃのく)は前進を選択する。

 押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)との距離を詰めることで、その機体を盾にする戦略だ。そして押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)自体も──地を蹴って、薫織(かおり)へと強襲を仕掛けた。

 

 

(間合いの外で飛び道具ってことは、向こうのハラは近距離戦回避!! ならこっちが接近戦を仕掛ければ意表を突かれて行動に遅れが生じるはず!!)

 

 

 悪魔の笑み。

 そう表現するに相応しい禍々しさで、伽退(きゃのく)薫織(かおり)を嘲笑う。

 

 

(確実に一発分の隙は稼げるわ! そして三秒も押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の前で棒立ちになるってことは、死も同義!! 勝負を焦ったなぁ……必殺女中(リーサルメイド)!!)

 

 

 ただし。

 伽退(きゃのく)の予想に反して、向かってくる押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)にも臆さず薫織(かおり)はデッキブラシをフルスイングした。

 弾き飛ばされたアイスピックは白い布を貫いたまま押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の下あご辺りに突き刺さるが──当れだけで文面が読めなくなるほど破壊されることはない。多少動揺はしたものの、伽退(きゃのく)は流石の精神力で慌てることなく宣言した。

 

 

「『園縁(そのべり)薫織(かおり)は三秒の間、身動きを取らないものとする。』!!!!」

 

 

 そして押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の右拳が、薫織(かおり)の脇腹に突き刺さった。

 ごふっ、と薫織(かおり)の口から、肺の中の空気が絞り出される音がした。ひぅ、と流知(ルシル)の声にならない悲鳴が聞こえて、伽退(きゃのく)はようやく勝ちを確信する。

 

 

「っしゃあ!! ザコが!!!! テメェはただでは殺さな」

 

 

 

 ぐりん、と。

 

 

 

 伽退(きゃのく)の言葉の途中で、必殺女中(リーサルメイド)押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の首を両手で捩じり落とした。

 シキガミクスとしての機能が停止し霊能も解除されたのか、流知(ルシル)に襲い掛かっていた生徒会役員の少年少女達もその場で固まる。

 

 

「い……、…………は?」

 

 

 思考が、停止する。

 行動を縛られ、まな板の鯉になったはずの敵の、まさかの反逆。己の愛機の破壊。特大の異常事態が、伽退(きゃのく)から思考能力を奪う。

 

 

「あー痛てェ。……だから言っただろうが」

 

 

 そう言って、薫織(かおり)は首から上を失ったシキガミクスを横合いに蹴り飛ばし、泣き別れになった押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の頭部を改めて伽退(きゃのく)に見せる。

 デジタル表示の顔面には相変わらずの契約文が表示され、そのアゴに当たる部分には白い布をピンで留めるようにしてアイスピックが突き立っていた。

 そして、その白い布にはこんな文言が書かれていた。

 

 『()()()()()()()()()()()』。

 

 

「テメェ自身が言ったことだ……。テメェの霊能は、文面・口頭の両方で提示した『契約』が対象。つまり、どちらか片方でも欠けていれば対象外になる。……そして、シキガミクスで提示した文面とは言ってもそれは()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 つまり、顔面に表示された契約内容に続く形であれば第三者の『追記』が認められる。

 

 

「なっばっ……バカな……!? 確かにその方法なら私の霊能をハッキングできるかもしれねぇが! その文面はいつ用意した!? テメェの霊能は物品の取り寄せ……あらかじめ文字が書かれた布なんて…………あっ」

 

 

 そこで、伽退(きゃのく)は思い出した。

 触れただけでイラストの完成図を描くことができる霊能の持ち主があの場にいたことを。

 戦闘メイドの後ろにいた彼女が具体的に何をしていたかは、伽退(きゃのく)からでは見えなかったことを。

 ()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「あ……あの時、お前ッッ!!!!」

 

 

 伽退(きゃのく)薫織(かおり)を詰る直前。

 あの時、薫織(かおり)は背中に隠して白い布を『取り寄せ』ていたのだ。そしてその意を汲んだ流知(ルシル)は、その布にあの文言を書いた。そしてその後で白い布を『裏階段』に戻したのだろう。

 

 伽退(きゃのく)の違和感は正しかった。

 あそこで唐突に飛躍する絵筆(ピクトゥラ)が握られていたこと。それ自体は、確かにおかしな流れだった。伽退(きゃのく)が気付くべき、敵の反撃の兆候だったのだ。

 だが、気付けなかった。

 己の心の大事な部分に触れられ、動揺してしまっていたから。

 

 

「うあ、」

 

「テメェは強かったよ。(オレ)一人じゃ勝ち目は薄かったかもな。……テメェの敗因を一つ挙げるとするならば」

 

 

 デッキブラシを消した薫織(かおり)は、ゆらりと伽退(きゃのく)に近づいていく。

 その拳は、まるで岩石のように固く握り締められている。

 

 

「この物語(せかい)は、誰かが食い物にされて泣きを見たまま終わるような、そんなつまんねェ未来が蔓延る最悪の場所じゃねェってこと」

 

 

 二メートル、一メートル。

 

 ゼロ。

 

 鼻先がくっつくくらいに肉薄しながら、

 

 

「そんなこと、(オレ)に言われなくたって知っているだろうが」

 

 

 メイドが、その右拳を振るう。

 

 

(オレ)達が焦がれ憧れたあの物語は、本当はこんなもんじゃねェってことくらい!!」

 

 

 ──今度は、伽退(きゃのく)は何も言い返さなかった。

 

 

 


 

 

 

面がモニタのようになっている全長二メートルほどの人型シキガミクス。

普段は顔をデジタル表示しているが、短文(一二〇字以内)を表示することもできる。また、胸元に『NO』、右拳に『YES』と書かれたボタンが設置されている。

 

『契約内容』を遵守させる能力。

対象との間で締結された契約を履行させることができる。

 

シキガミクスと本体が口頭・文面の両方で契約を提示すると、契約対象との間で『仮契約』が結ばれる。

『仮契約』中は契約対象には一切行動の制限は発生しないが、契約に対してシキガミクスの体表に設置されたボタンによる『YES』か『NO』かの選択肢が提示されることになる。

提示された契約に対し、対象が『YES』のボタンを押すと契約が成立し、相手はその契約内容を履行しなくてはならない。反対に『NO』を押せば、契約は破棄されもう一度契約内容を口頭・文面の両方で提示しなくてはならない。

また、この契約締結は必ずしも相手の意志によってボタンを押下させる必要はなく、たとえば拳を押し付けることで『YES』ボタンが押されても、押し付けた対象が契約対象自身であれば『契約に同意した』ことになる。

 

契約を履行させるときの挙動は『契約内容』にもよるが、原則的に即座に『契約内容』を履行しようと愚直に行動する。『契約』を時間差で履行させたり状況に応じて行動を分岐させることもできるが、『契約内容』はモニタに投影可能な一二〇字以内に収めなければならない。

ただし、頭部に文書を貼り付けることで文字数を拡張し、より正確な『契約』を設定することは可能。この場合も口頭での読み上げ自体は必須となる。

 

履行することになっても契約対象の意識は残っている為、契約対象の意志に反しすぎる『契約内容』を問答無用で履行させることはできない。重い契約を遵守させるには、何度も同じ『契約』を重ねて同意させることで『契約』を重複させる必要がある。

基本的に、行動の一部を制限するような『契約内容』なら一~三回、思考や記憶の一部改変を含む行動強制なら五~一〇回、対象の目的や生命維持に反する行動であれば二〇回~相手の意志力次第という目安。(例外はある)

 

元々は『相手の精神を操作する』という使い勝手の悪い霊能だったが、即時戦闘可能なように調整が行われた。

押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)

攻撃性:70 防護性:65 俊敏性:65

持久性:30 精密性:40 発展性:20

※100点満点で評価


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