──薫織がピースヘイヴン本体と相対していたのと、ほぼ同時刻。
天井を破砕してピースヘイヴンを襲った嵐殿は、崩落によって発生した粉塵の中、ピースヘイヴンのシキガミクス──崩れ去る定説を見据えていた。
術者が薫織と相対している以上、崩れ去る定説の操作はほぼ不可能──というのが常識的な判断。そうした前提があるにも拘らず、嵐殿は己のシキガミクスを伴わせたまま、間合いを測るようにして沈黙を保っていた。
『ガルゥゥアアアッ!!!!』
と、そこで嵐殿のシキガミクスが沈黙を破るかのように瓦礫片を崩れ去る定説へと投擲する。
それから、事態は急速に動いた。
亜音速の瓦礫片を前に両手を交差させた崩れ去る定説は、そのまま瓦礫を地面に弾き落とす。そのタイミングに合わせる形で、薫織がピースヘイヴンの視界の外側を通るような形で、薫織が小麦粉袋を山なりに放り投げた。
嵐殿はそれを崩れ去る定説の背中越しに確認すると、ステージの上から軽やかに飛び降りる。そして、相手の意識を自分へ縫い留めるように話しかけた。
「さて……本体じゃないのはちょっと残念だケド、お姉さんと一緒に遊ばない?」
『……………………』
「あら、シカト? 悲しいわねぇ~。……アナタが独自に喋れることくらいは、お姉さん最初から分かってるのよん?」
単なるシキガミクス。
──そのはずの機体に、嵐殿はまるでピースヘイヴンに呼びかけるように声をかける。
崩れ去る定説が非常に人間らしい所作で肩を竦めたのは、その後だった。
『まったく、驚かせてやろうと思ったのに。仕掛け甲斐のないヤツだよ』
「仕掛けは『封印型』、でしょう?」
崩れ去る定説の口のスピーカーから流暢な言葉が聞こえたことへの動揺は、一切なかった。
言い当てられたその言葉に、崩れ去る定説はぴくりと反応する。
その直後。
ボファァッ!! と白い煙が爆発のように広がった。
薫織が投擲した小麦粉が、その後にさらに投擲されたナイフに突き破られて撒き散らされたことによるものだ。フレンドリーファイアや逆用を警戒した薫織によって、ナイフ自体はその後すぐに解除されているようだが。
──術者とシキガミクスの分断。そのセオリーが遂行されたことに気付いた崩れ去る定説は、呆れた様子で首をかしげて言う。表情など存在しないはずなのに、妙に人間的な所作だった。
『…………狙ったか?』
「まぁね」
嵐殿は悪戯っぽく笑う。
──『封印型』。
シキガミクスの原初の形。怪異をシキガミクスの機体に封じ込めることで、その霊能を人間が自在に運用できるようにする運用方式。
それが、この世界における原則だ。
「……自分の魂魄の一部を封印しているのね?」
だが、あらゆる原則には例外が存在する。
『シキガミクス・レヴォリューション』という物語は、特にそうだった。
『術者の人格に寄せた高度なAIを組み込んだ自動操縦型という可能性もあるだろう。作中でも簡単な条件に従って動くシキガミクスは登場させたはずだが、封印型だと判断した根拠は?』
「そこまで高度なAIを開発する工学的技術力がない。そもそもアナタは陰陽術の世界的実力者というだけであって、シキガミクスそのものの工学的技術力水準では他の技術者とそう変わらないもの。まぁ精々、大天才ってところかしら?」
嵐殿はやれやれと言った感じでお手上げのジェスチャーをしてみせる。
原作者という下駄がなくとも大天才。確かにお手上げと言いたくもなるだろう。
「他方、自分の魂魄の一部を封印する『封印型』なら、完璧に自分の思考を持った手駒を増やせる。それに何より、『作中的にはとっくに使い古しの技術を応用した驚異の新技術』なんて例外大好きのアナタらしいやり口じゃない」
『結局決め手はメタ読みか。作者からしたら、あまり歓迎できない読者だな』
「私は制作側なもので」
短く言い切った嵐殿の言葉の裏に、どれほどの感情が横たわっていたか。
崩れ去る定説は、それ以上無意味な否定を挟まなかった。
──通常、『封印型』は怪異を封印する運用となる。
だが、そもそも怪異とは霊気の淀みから生まれるもの。つまり、霊気によって構成されたものならば何でも封印できると言い換えることもできる。
そして、霊能を操り、怪異が好んで襲い、そして幽霊という種別の怪異に変貌することからも分かる通り──人間の魂魄は、霊気によって構成されているものである。ならば、その一部を分割して封印することで『術者と同じ自我を持つシキガミクス』を構築することもまた可能なのは、当然の帰結。
崩れ去る定説が至近操作使役型の中でも最高クラスの格闘性能を持っているにも拘らず、カメラとスピーカーを有し、術者と隔離されてなお自在に動けるのは、そういうからくりがあったのだった。
「………………」
『………………』
二人の間に、数瞬ほどの沈黙が流れるが──やがてゆっくりと、嵐殿のシキガミクスが身を低くして戦闘態勢をとる。
狼頭の意匠に相応しい野性味ある動きを始めた機体に応じるように、崩れ去る定説もまた拳を構えた。
「一つ、言っておくわ」
言葉と同時に。
狼頭の獣人が、ダークグレーの長髪を狼の尻尾のようなポニーテールにした少女の姿に塗り替えられる。
「アナタが本当に野望を成し遂げたいなら、私を殺す気で来なさい。まぁ、アナタに殺されてあげるつもりなんて毛頭ないけれど」
そして。
薫織とピースヘイヴンの衝突の裏で、もう一つの戦闘が巻き起こった。
| 16 破局 |
| >> CATASTROPHE BEGIN |
先手を打ったのは嵐殿の方だった。
シキガミクスと術者、同じ姿となった一人と一機は、全く同じ速度で合流すると同時に、シキガミクスの方が崩れ去る定説目掛けて細かい破片や砂粒を蹴りで巻き上げる。
目潰しで眼前が遮られた一瞬。その間隙を縫うようにして、一方の嵐殿が崩れ去る定説へと走っていく。
(変身の霊能!! おそらく生徒会役員の思考から伽退君の計画を知ったのはこの能力の応用……変身対象の記憶している知識や記憶も把握できるのか!! 霊能まで利用できるとしたらマズイな……。私に変身しないところを見ると何らかの制約はあるのだろうが、最悪この場で触れられたら私の霊能がバレるだけでなく、利用される可能性すらある!)
その刹那、崩れ去る定説は瞬時に思考を巡らせる。
(そしてこの局面で全く同じ姿に変身するということは、こちらを攪乱する狙い! 全く同じ身体能力になっているようだが、おそらくそれはブラフ! シキガミクスの方は本来のスペック通りに戦えると考えるべき!! つまり戦闘しながら常にどちらが『本物』かを記憶し続けていなければならないわけだが……)
目潰しからの攪乱。注意深く観察していれば、どちらが本物かは判別できそうなものではある。しかし、その場が天井を破壊されてまだ間もなく、土煙が濛々と立ち込めていることを考えても──常人であれば瞬時に看破はできないだろう。
そして、一瞬でも判断を迷えば意識の外から『亜音速の格闘性能』を保持した嵐殿が襲い掛かってくる。本体自身をベットしたあまりにもリスキーな策だが、そのリスクへの動揺も含め正常な対応は難しい。
崩れ去る定説はそこまで嵐殿の狙いを看破して、
(だが、こちらの機体性能を甘く見てはいないか? シキガミクス技師としても大天才……君自身が言ったことだ)
──崩れ去る定説は、どちらの嵐殿が本物かを既に看破していた。
そもそも、顔面に備えられたカメラはメインカメラであると同時にデコイでもある。別に、人間と同じようにカメラが二つでなければいけない理由などない。機械の処理能力を持っている崩れ去る定説は、実際には関節各部に仕込まれたカメラによって同時に複数の視点から周囲の様子を観察することを可能としていた。
そしてその視点からは──本物の嵐殿がどちらか、はっきりと分かる。
(向かってきた方が本体! 向かってきた方をシキガミクスだと判断して警戒しても、本体だと看破して攻撃しても、どちらにせよノーマークのシキガミクスが襲い掛かってきて最低でも相打ちに持っていける二段構えの策か……だが、本体だと分かっていれば対応は容易い)
崩れ去る定説は向かってくる嵐殿本体の方へ対応するフリをして、おそらくその後方から強襲をしかけてくるであろう嵐殿のシキガミクスの方を警戒する。
そして、殴り掛かる嵐殿の拳を片手でいなそうと崩れ去る定説が右手を掲げた瞬間、
「…………『継ぎ接ぎ仕立ての救済』」
ギュオ!! と、目の前にいる本体の方の嵐殿の動きが急加速した。
『なッ、ば』
一瞬のことだった。
完全に想定外の事態に、崩れ去る定説が目の前の現実を認識し終わる、その前に。
嵐殿柚香の右拳が、崩れ去る定説の頭部を完全に破壊した。
嵐殿柚香が生来持っていた霊能は、『触れた人間に変身する』というもの。
それだけでも十分有用な霊能ではあるが──嵐殿はシキガミクスを用いて、この霊能をとある形に調整する。
その完成形が──『移植』であった。
『ガァルルルルルルルァァアアアア!!!!』
ダークグレーの長髪をうねらせて、その美貌に似つかわしくない野生の唸り声をあげて嵐殿は拳を振るう。一発。二発。三発。四発。──最早数えることすらできないほどの、拳のラッシュ。
一秒にも満たない時間の間に降り注ぐ拳打の雨によって、崩れ去る定説は粉々のスクラップへと変貌する。完全なる再起不能を確認した嵐殿──正確にはその姿へと変身した継ぎ接ぎ仕立ての救済は、そこで手を止め、
『やあ』
「………………!?」
刹那、嵐殿の思考が混乱する。
シキガミクスの後方に控えていた本体・嵐殿の眼前には──
──今まさに破壊したはずの、崩れ去る定説が佇んでいた。
その機体には一つの破損もなく。
そして、茫然としている嵐殿目掛け拳を引き絞り──
「っ、継ぎ接ぎ仕立ての救済!!」
ガギン!!!! と、寸でのところで嵐殿はその拳を受け止めることに成功した。
──否、嵐殿ではない。今や、こちらが継ぎ接ぎ仕立ての救済だった。
『……「入れ替わり」か?』
直前に殴り掛かった嵐殿の姿の継ぎ接ぎ仕立ての救済から視線を動かさず、崩れ去る定説は言った。
「…………残念、ハズレよん」
『なら「移植」か』
嵐殿柚香のシキガミクス、継ぎ接ぎ仕立ての救済の霊能は『移植』。
シキガミクスは術者が触れたことのある人間の姿を寸分違わず模倣することができる。そしてその状態で変身対象に触れることで、任意の部位を対象の部位と入れ替える形で『移植』するのだ。
この『移植』によるダメージは発生せず、全く同じ肉体ゆえに拒否反応も発生しない。完全完璧な回復能力だが──術者たる嵐殿のみ例外的に、触れずに『移植』を行うことができる。
そしてその奥義が、『全身移植』によるシキガミクスと術者の瞬間的な入れ替わりだった。
「残念、それもハズレ」
『そうか? まぁ良いよ。発生する事象は分かった。原理は問題じゃない』
表情一つ変えずに嘘を吐く嵐殿だったが、崩れ去る定説はさもどうでもよさげに切り返して、
『……いや、実際のところ、本当に危ないところだった。初見の、無警戒の霊能だったというのもあるが……知略の上では上をいかれていたよ。偶然本体が霊能を使っていなければ、私は完全に破壊されていただろうな。……向こうで霊能を使わされるほどに本体を追い詰めてくれた園縁君に感謝しなくては』
脱力して言う崩れ去る定説を避けるように、先ほどまで本体だったはずの嵐殿が信じられない身のこなしで跳躍して一方の嵐殿へと合流する。
(……また入れ替わったか。おそらく入れ替わりは瞬時、かつインターバルや回数の制限もほぼない。ネタが割れたとしても手強さはさして変わらないか。……厄介な霊能だな……)
──戦闘開始から、一〇秒が経過しようとしていた。
白煙ももう掻き消え、ピースヘイヴンと薫織の戦場も崩れ去る定説の視点からよく見えている。それを改めて確認すると、崩れ去る定説は声を張り上げる。
『随分余裕そうだな二人とも! 非戦闘員をこの場に置いておくなんて!』
その声を聞いて、あまりにも激しい戦闘を目の前に竦み上がっていた流知がぴくりと肩を震わせる。
「あァ……!? あのシキガミクス、今自分で……」
「園縁君! よそ見とは寂しいな!」
「チィ……!」
薫織がすぐさま口を挟もうとするが、ピースヘイヴンがそれを許さない。
術者と自我を共有している崩れ去る定説は己の目論見を本体も理解したのを確認すると、さらに言葉を続ける。
『それとも、私が彼女を狙わないとでも思ったか? 親近感を抱いてくれていることは喜ばしく思うが、楽観的だねぇ! 現状、戦況は私の方が優勢だ! 一瞬のスキを突いて彼女を殺そうと動くことは可能だし、そうすれば彼女を守る為に君達は高確率で痛手を負うだろう!』
嵐殿は動けない。
この挑発が、嵐殿の攻撃を誘発させるものだと分かっているからだ。──先ほどの攻撃を無効化された現象、あの原理が分からないうちには、攻撃しても嵐殿が追い詰められるだけになるのは間違いない。
それを良いことに、崩れ去る定説は悪辣な声色で流知に呼びかける。
『……こんな風に、ねぇ』
言葉と同時に、崩れ去る定説は隠し持っていた木片を横合いに投擲する。
亜音速で空を引き裂く木片は、薫織が投げたナイフによって簡単に弾かれ、あらぬ方向へと飛んでいくが──
「どういうつもりだ、コラ」
『こちらの台詞だが。……彼女のような非戦闘要員を戦場に連れ出して、狙われないとタカをくくる方が無責任だと思うよ?』
「……ナメやがって。いいか、流知は、」
薫織が崩れ去る定説に反論しようと声を上げた、その瞬間だった。
流知は何も言わず、体育館の外へと走り出す。
「あの馬鹿……真に受けやがって!」
「おっと。行かせないよ、園縁君。もう少し私と遊ぼうじゃないか」
流知を追おうとする薫織だが、目の前のピースヘイヴンはそれを許してくれない。歯噛みする彼女の視界の端から、走り去る流知が消えていった──。
(…………どうして、会長は私のことをあんなにおどかしていたんだろう)
一方。
走り去った流知はというと、静かにそんな思考を走らせていた。
遠歩院流知は、そもそもピースヘイヴンの挑発など毛ほども真に受けていなかった。
(私が非戦闘要員で、薫織の弱点になりうるのなんて、私自身が一番よく分かっている……。それでも『いざって時』の為のジョーカーとして待機するのを決意したんだ。会長だってそのことは十分理解しているはず。だって、短い間とはいえ一緒に過ごしたんだもん。……そんなことも分からない人だとは思えない)
結局は裏切られた関係だが、そもそも最初は黒幕として出会った間柄だが、それでも一緒に遊んだ仲として──流知は、既にピースヘイヴンのことが好きだった。
その彼女が、流知の覚悟や決意を軽く見るような見る目のない人間とは思えない。嘘つきで裏切り者で外道だが──ピースヘイヴンは良い人だ。それが流知の本音だった。
だからこそ、あの悪辣に振り切れたような挑発がどうしても不自然だったのだ。まるで、流知のことをどうにかして怖気づかせて戦場から遠ざけたいかのような苦し紛れの脅しの数々が。
(……あのまま私が戦場にいたら、会長はたぶん困る状況だった。これは、きっと間違いないはず)
流知はそこで、足を止める。
そもそも体育館から一時逃げ出したのも、思惑通りの状況になったとピースヘイヴンに勘違いさせる為。自分の存在がピースヘイヴンにとって致命的になるならば、こっそり体育館に忍び込み直してしまえばいいのだ。だが、それよりも先にピースヘイヴンの思惑を読む必要がある。
何故、ピースヘイヴンは流知のことを戦場から遠ざけたかったのか。
(私のシキガミクスに戦闘能力はない。だから、参戦されたら困るとかそういうのじゃない気がする……。だとすると、霊能関連? でも、今から準備をしてどうにかなるものなんて……、……あ!!)
そこで、流知はようやく思い出した。
(私、馬鹿だ!! あるじゃん! 『草薙剣』が!!)
己の懐にある──最大のジョーカーを。
(『草薙剣』があれば、百鬼夜行はキャンセルされる。妨害しようとしても霊気を相殺されるから、霊能が使用不能な隙が生まれてしまう……! 私が百鬼夜行を邪魔するだけで、会長はめちゃくちゃ困るんだ!! なんでこんなことに気付かなかったんだろう……!)
そうと決まれば、あとはもう再度体育館に突入するだけだ。
体育館には正面入り口の他に、準備室を経由する裏口が二つほど存在している。鍵を破壊するだけなら戦闘中のピースヘイヴンには気づかれないだろうし、準備室はステージのすぐ近くに繋がっている。そこからなら、おそらく誰にも気付かれずに百鬼夜行の霊気の淀みに接近することができるはず。
「えいっ」
最大(二メートル)まで伸長させた飛躍する絵筆を使い、流知は体育館裏口の扉の鍵を破壊する。
いかに非戦闘タイプとはいえシキガミクス、通常の物質でしかない裏口の扉はあっさりと破壊された。
(……霊気の淀みに、近づくんだよね……)
嵐殿が天井を崩落させてくれたおかげで戦場はステージから離れた場所になっているが、それでも体育館の入り口付近よりはずっと近くになる。もしかしたら流れ弾のようなもので負傷する可能性だってゼロではない。
嵐殿の霊能を知らない流知にとっては、そこはかつて読んだフィクションの世界よりもずっと重たいリアリティを持つ危険区域だ。
それでも。
(……私が上手くやれば、一気に状況を変えられる。最低でも会長の目的を潰すことができて、高確率で、生まれた隙を突いて会長を倒すことができる……!)
ならば、やらない理由はない。
裏口から準備室に入った流知は、飛躍する絵筆を解除すると『草薙剣』を呼び出す。
両手剣サイズの木剣はずしりと重たいが、流知は気にせずに準備室からステージへと移動していく。
天井が崩落した薄暗いステージには、大きく空いた穴から差し込む太陽の日差しと、その風景を歪める直径三メートル程度の『空間の歪み』──霊気の淀みがある。
ステージの下では、まだ薫織と嵐殿、ピースヘイヴンが戦いを繰り広げている最中だった。──もっとも、薫織も嵐殿も多少先ほどよりも負傷を重ねているようだったが。
(……!)
「ッ、流知!? 何してんだそんなところで!」
真っ先に気付いたのは、流知に背を向けているはずの薫織だった。おそらくメイド特有の感覚で流知の足音を察知したのだろうが、相変わらず常識離れした感覚である。
「会長!!」
流知は薫織の言葉には答えず、手に持った『草薙剣』を掲げる。ピースヘイヴンの表情が強張るのを見て、流知は己の推測が正しかったことを確信した。
「アナタの野望は──これで終わりですわ!!!!」
そしてそのまま、霊気の淀みへと『草薙剣』を放り投げ──
「やめろ流知!! それは罠だ!!!!」
薫織の言葉で、流知の思考は完全に停止した。
しかし、もう行動は止まらない。我に返った時には既に、『草薙剣』は流知の手から離れていて──
そして、霊気の淀みと衝突する。
瞬間、霊気の淀み全体が一瞬鳴動したかと思うと、そのまままるで掃除機に吸い込まれるかのように『草薙剣』へと吸収されていった。
後には、全てを呑み込みステージの上を転がった『草薙剣』だけが残る。
「…………え……?」
何も、起こらない。
薫織の言葉に停止していた流知の思考が、徐々に動いていく。何も起こらないということは、『草薙剣』は霊気の淀みを消すことができたのでは?
──いや。
『草薙剣』は、霊気を打ち消す霊能を持つ。
ならば、先ほどのような『吸い込まれる』動きはおかしい。あれはどちらかというと、『封印型』のシキガミクスに怪異が封印されるかのような──、
「く、はははっ」
笑い声が。
まさしく耐えきれなかったという風体の笑い声が、漏れた。
「はははははははっ!! ありがとう遠歩院君! 君のお陰で!! 私の計画は完成した!!」
笑い声の主は、今まさに投擲された『草薙剣』の設計図を描いた張本人であるピースヘイヴンだった。
そう。
設計図を書いたのは、こいつ自身。
そもそも、ピースヘイヴンは最初から薫織達を裏切るつもりだった。であるならば──裏切るつもりの相手に、馬鹿正直に本物の『草薙剣』の設計図を渡してやる必要もない。
考えてみれば当然の話だが──だからこそ、ピースヘイヴンはそこに至る思考の道筋を断つ策を打った。
「怖かったろう? 場違いだと思ったろう? それでも君は必死に仲間達の助力たらんと、自分が役に立てる要素を探したはずだ。私はそれに賭けた! 君が怖気づかずに最後まで戦い抜くことに!!」
流知のことを執拗に挑発し、そしてわざと追い立てるような行動をとったのも、それが理由だ。あからさまに流知を遠ざけたい意思を匂わせれば、流知が思考の前提に『ピースヘイヴンは自分にあの場にいられたら困る何かを抱えていた』という情報を置くのは無理からぬことだ。
そこさえ固まってしまえば、あとは間違った前提の上に推測を積み重ね──そして自らの手の中にある最大のジョーカーを見つけてしまう。
「正直なところ、私はかなり追い詰められていてね。伽退君をはじめとした生徒会の半数が離反したことで、百鬼夜行誘導の下準備は結局完了できなかったんだ。だから一か八か……君の反則的な霊能によるショートカットに頼った。賭けだったよ。園縁君が君に『草薙剣』として偽装した起動トリガーを預けてくれること。君が私の威圧に屈せず戦い続けてくれること。君が私が仕組んだ罠に気付かないでいてくれること!! 随分薄氷の上に成り立った策だったが……私は勝った!!!!」
「あ、あ…………わ、わた、わたし……」
「聞く耳を持つなァッ流知!!!!」
そこで、一陣の風が舞った。
演説に夢中だったピースヘイヴンは無視して、薫織はステージ上の流知のもとへと駆ける。
(失敗った……! 『草薙剣』が罠であることなんか分かり切ってたってのに、その共有を忘れていた!! 嵐殿に事前に忠告されてたってのに……!!)
もちろん、『草薙剣』が罠である可能性について、薫織は最初から想定していた。何ならピースヘイヴンが裏切る前からその可能性を考えていたくらいだ。
だから、ピースヘイヴンの裏切りが確定した段階で薫織の中で『草薙剣』が使ってはいけないものであることは自明となっていた。だからこそ──薫織はそれを『わざわざ言うことでもない』と考えてしまっていたのだ。
──少しでも綻びがあれば、この黒幕はそこを突いてくる。それもまた、嵐殿から警告されていたことだったというのに。
(……だが、まだ終わっちゃいねェ。流知が此処にいるのは僥倖だ。霊気の淀みがシキガミクスに内包されているのも考えようによっちゃあこっちに有利。あとは流知さえ守り切れば──)
「あっごっ、ごめ、ごめんなさい……! 私、役に立とうと思って、とっ、取り返しのつかないことっ……」
「だから聞く耳持つなっつってんだろ! アレもアイツの話術だ! お前の心を折る為の! 現状はこっちの有利に進んでる!! お前がこっちの切り札なのは何一つ変わらねェ!!」
とにかく流知を持ち直させる為の言葉を吐きながら、薫織は状況を把握し直す。
現在地はステージの上。背後には流知。眼前二メートルほど先に、百鬼夜行を内包した木剣。
ステージの下には崩れ去る定説とピースヘイヴン、少し離れたところに嵐殿と彼女の姿をした継ぎ接ぎ仕立ての救済。
(……流知の精神状態を立て直す為には、私の策を伝えればいいが……今それをやると、ピースヘイヴンはマジで流知を潰しにかかる。…………できねェな)
この状況では、秘密の内緒話をする余裕もない。何かを手渡そうものなら、ピースヘイヴンのことだしそれだけで流知のことを重要人物と見做して本気で狙いだすだろう。
流知のことを利用するだけ利用したと思っているこの状況は、ある意味では非常に安全な状態でもあるはずなのだ。
(クソったれ……。マジで前以て言っておけば良かったことばっかりじゃねェか。流知にプレッシャーを与えねェようにと余計な気を回したのが完全に裏目に出てやがる……! ……いや、こんなもん結果論だ。終わったことに気を取られている時点で半ば敵の術中……! 切り替えろ、お前はメイドだろ!!)
心の裡で己を叱咤すると、薫織の目の色がスッと平時に戻る。それを認めて、ピースヘイヴンは一瞬だけ忌々し気に眉を顰め、
「先ほど、君は私の狙いを『大怪異』の誕生と看破したが……これは正確には少し間違いでね」
いかにも上機嫌といった調子で、そんなことを語り出した。
謎の霊能によるカウンターを警戒して嵐殿が攻めあぐねているのを良いことに、ピースヘイヴンは続けて、
「百鬼夜行を精密調整して望んだ怪異を生み出そうとしているという君達の見立ては正しい。ただし、それはただの怪異ではない。百鬼夜行の力を一点集中して、望んだ怪異を生み出せるならば……一〇〇の鬼よりも、唯一つの神を志向するのが当然の流れとは思わないかね?」
つまり、それは。
「百鬼夜行により『神様』を生み出し、シキガミクスに封印する。……神織悟志のシキガミクスとなった『浄蓮の絡新婦』のようにな!」
大妖怪を操る少年──を超える。
主人公の、上位互換。
計画の全貌を詳らかにした黒幕は、次にこう宣言した。
「さあ、唯神夜行の開幕だ」
────直後。
木剣から迸った霊気の奔流が、薫織の身体を貫いた。