一瞬で、崩れ去る定説の姿が掻き消えた。
──否、消えたと錯覚したのは、おそらくこの戦闘を横合いから眺めている余人だけだ。薫織の目には、地面を蹴り高速で接近してくる敵機の姿がありありと映っていた。
振りぬかれる右拳を、上体を逸らしたスウェーでもって回避する。しかし、それが限界。薫織がそこから態勢を整えるよりも早く、崩れ去る定説は左拳を構え終えている。
「────」
これ以上の回避はできない。不可避の状況で、崩れ去る定説はさらに無造作に左拳を振り下ろす。
それだけで。
ぐりん!!!! と薫織の身体が、冗談みたいに錐揉み回転した。横倒しにした竹トンボみたいな恰好で回転するその姿は、傍から見れば致命傷すらも想像できたが──しかし、それは実像とは異なる。
『しまッ──』
崩れ去る定説が呻いたのも束の間、その顔面に、回転の勢いをそのまま載せた薫織の蹴りが叩き込まれる。
攻撃を受けた側が派手に吹っ飛ぶと、それだけの運動エネルギーがあるのだからと大ダメージをイメージするものだが、それは厳密には間違いである。攻撃を受けてその場から微動だにしないということは、その分の運動エネルギーは受け手の肉体に直接吸収されたということ。それよりも、吹っ飛んでいる方がその分『移動に運動エネルギーが使われている』ということであり、見た目よりもダメージは少ない。
この場合、薫織はあえてその場で回転することにより、崩れ去る定説の必殺の一撃によるダメージを受け流すだけでなく、その回転の勢いを攻撃に利用したのだ。
──ただし。
『──ってもいないか……微妙に。……やれやれ、油断も隙もない』
放たれた薫織の蹴りは、崩れ去る定説の右掌によって完璧に防がれていた。
そして、蹴りをガードされた薫織──二本足で佇む彼女の左肩は、不自然にだらりと垂れ下がっていた。
『だが、さしものメイドと言えど今の一撃を無傷で切り抜けることはできなかったようだ』
「危機感が足りてねェな」
楽しむような笑みを言葉に滲ませる崩れ去る定説に対し、薫織は嘲るような笑みを重ねた。
「理解しろ。今の局面でテメェは私を仕留め損ねた。その意味をな」
『随分露骨に圧をかけてくるじゃないか、らしくもない。存外劣勢かね?』
言葉は刃。
それぞれが相手の精神に対してその刃先を突きつけながら、互いに戦局を認識していく。
客観的な事実を言えば──薫織の劣勢は疑いようがなかった。渾身の格闘戦ですら終始崩れ去る定説に上を行かれ、残ったのは左肩の負傷。四肢の内一つが使えなくなった状態で、最強のシキガミクスを相手にするのはいかにも心許ないと言える。
ただし。
「何故霊能を使わなかった?」
『…………』
薫織の言葉に、崩れ去る定説は答えない。
「出し惜しんでいやがるな」
沈黙した崩れ去る定説にさらにダメ押しを仕掛ける形で、薫織は続ける。崩れ去る定説は、最早隠す意味もないとばかりに沈黙を保っていた。
「一度発動すれば以降一〇秒は再発動ができない。つまり、使いどころを誤ればそれ以降は霊能なしで切り抜けなくちゃならねェんだ。当然、使うタイミングには細心の注意を払うよなァ……。……その結果、絶好のタイミングを逃すことになっちまっているが」
『図星だな……。だがこれが君に対する最善だ。霊能は保険として使い、あくまで基本はこの圧倒的なスペック差でゴリ押し。そうすればやがて君の継戦能力は底を突くだろう』
つまり、持久戦。
ただでさえ、薫織と崩れ去る定説では着用型と封印型というスタミナ消費の差が存在する。『待ち』の戦法を撃たれれば、セオリーで考えると薫織は勝ち目がなくなるが──
「……馬鹿野郎が」
薫織はむしろ、叱責するような色を以て崩れ去る定説を喝破する。
「そんなつまらねェ戦法、自ら逆転負けのフラグを立てに行っているようなモンじゃねェか」
『現実と物語を混同するんじゃない。浪漫だなんだで理想論に傾くのはもうたくさんだ。君も前世で良い大人だったのなら、いい加減に現実を見ろ』
そうして、崩れ去る定説の姿が再び消えた。
体育館の地面をめり込ませながら、肉眼では追い切れないほどの高速で薫織に肉薄する瞬間──崩れ去る定説は確かに聞いた。
「逆だ、逆。混同じゃねェ──」
臨戦態勢のメイドの口から洩れた、その台詞を。
「『超克』するんだよ。物語で、現実を!!」
先程とは違い、右フックで防御の手薄な薫織の左側を攻めていく崩れ去る定説。これも上体を逸らしたスウェーで以て回避する薫織だったが、しかし崩れ去る定説に同じ手は通用しない。
ガッ!! と薫織の足を破壊する勢いで振るわれた足払いを、薫織は大きく体勢を崩しながらも寸前のところで飛び跳ねるようにして躱した。
しかし、そこが限界だ。
足払いを躱したことで、薫織は横倒しの姿勢で完全に空中に放逐された。こうなってしまっては、先ほどの様に身体に回転をかけて攻撃の威力を逃がすこともできない。いや──そもそも、回転で威力を逃がすような甘い攻撃を崩れ去る定説に期待することもできない。たとえば、肘と膝で胴体を挟み込むような攻撃を使えば、逃げ道などなくじかに最強のシキガミクスの膂力で内臓を破壊されることになるのだから。
そして実際に、崩れ去る定説が選んだトドメもその通りだった。
『これで詰みだ、園縁君!!』
左肘と右膝を立てて、まるで肉食動物の顎めいて薫織の腹を食いちぎらんと挟み込む姿勢に入る崩れ去る定説。しかしその刹那──トドメを刺される直前の薫織は、一切の動揺なくこう返した。
「王手の間違いだろ、ピースヘイヴン」
| 19 崩れ去る定説 ③ |
| >> RAGE AGAINST THE WORLD act3 |
──そしてその直後、薫織の姿が崩れ去る定説の目の前から掻き消えた。
否。崩れ去る定説の身体各部に内蔵されたカメラは、その瞬間に薫織がどう動いていたかを克明に捉えている。
「──メイド百手、『飛石奉仕』」
崩れ去る定説の殺人的足払いを無理やり回避する形で中空に放られていた薫織の足先があった空間には、いつの間にか小さめのショッピングバッグくらいの缶が存在していた。
そして、何より。
薫織の身体は、崩れ去る定説の前から一瞬にして右方向に移動していた。
『──!! 盾としてではなく、即席の足場として利用したか!』
その言葉を証明するように、薫織はさらに空中に発現された缶の上に着地し、そしてそのまま崩れ去る定説の真上へと跳躍した。
女中の心得で発現した『女中道具』は、発現直後その空間に固定される。
ならば、固定された足場として運用することも当然可能。
──頭上からの攻撃。
崩れ去る定説がそれを警戒し、臨戦態勢を整えた瞬間──薫織はさらに空中にショッピングバッグくらいの缶を発現する。それを受けて、崩れ去る定説は予測を修正した。
《背面攻撃か──!! 確かに想定外。だがこの程度の想定外ならば、スペック差で十分ゴリ押しできる!!》
予測したのは、頭上からの攻撃に見せかけて背後に着地してからの不意打ち。
しかしそれでも、彼我の速度差はまだ崩れ去る定説に分がある。さらに、崩れ去る定説の身体各部にはカメラが内臓されているのだ。背後は必ずしも死角にはなりえない。薫織が着地した直後のタイミングで攻撃を合わせることも十分に可能、
──そこまで考えたところで、崩れ去る定説は気付く。
《いや……違う!! 園縁君の目的は見え見えの背面攻撃などではない! 迎撃にこちらの意識を集中させておいて、先ほどの空中跳躍を使って本体に奇襲を仕掛けることか!?》
証拠に、身体各部に内臓されたセンサーは薫織が空中で顔の向きをピースヘイヴンの方へ向けていることを感知していた。
本体・ピースヘイヴンとの距離はおよそ一〇メートル程度。この短距離であれば、薫織の方が早く動いていればピースヘイヴンの奇襲まで崩れ去る定説から逃げ切ることはおそらく可能である。
だが、此処で浮足立ってピースヘイヴンの護衛に完全に重心をかけるのは却って下策だ。崩れ去る定説は波立ちかけた心を落ち着けて、あくまでも冷静に考える。
《確かに奇襲のリスクはある。だが、そう見せかけて本体を守ろうと動いた隙を突く作戦という可能性もあるだろう。顔の向き程度はいくらでも誤魔化せる。此処は下手に動くよりも──》
ダン!!!! という地響きめいた音が、体育館に響き渡る。
崩れ去る定説が選んだのは迎撃でも追撃でもなく──その場を『力いっぱい踏みしめる』という行動だった。
ただし、最強のシキガミクスの膂力によって繰り出されたのであれば、ただそれだけの行動が明確に戦局に影響を及ぼす一撃となりうる。まるで水面に小石を落とした時のような形で飛沫を上げる木目の地面の残骸が、崩れ去る定説とピースヘイヴンの間を覆う壁のようにして展開される。──薫織が下手に突っ込めば、着用型シキガミクスゆえに負傷はないにしても、彼女の期待する奇襲性能は失われるような妨害である。
それでいて、『その場で床を踏みしめる』というアクションは下半身の行動である。仮に薫織が奇襲にみせかけた崩れ去る定説への攻撃を企図していたとしても、十分に迎撃が可能であったが──
しかし、薫織が行ったのはピースヘイヴンへの奇襲でも崩れ去る定説への攻撃でもなく、単なるその場での跳躍だった。
ショッピングバッグくらいの缶を足場にしてさらに跳躍した薫織は、直後にたった今足場にした缶を解除してしまう。
《何……? 上に跳躍することで飛沫の壁を乗り越えるつもりか……? だが今の轟音で本体も園縁君の危険には気付いたはずだ。おそらく望むような奇襲効果は得られない。とすると何か違う狙いがある……?》
崩れ去る定説の脳裏に、幾つかの可能性がちらついていく。飛び道具による遠隔攻撃、ステージに移動しての『唯神夜行』の処理、あるいは重量物の発現による圧殺か。あらゆる可能性を考慮して構えていると──
「……初志貫徹して『待ち』は崩さず、か。つまんねェぞ、最強」
ひゅるん、と。薫織はロープを発現すると、体育館の天井に引っ掛けてそのまま空中で宙ぶらりんの格好となった。
追撃も、奇襲も、想定外の策もない。単なる小休止の発生に、崩れ去る定説は怪訝そうに身構える。
『どういうつもりだ? 空中でも機動性が失われないという君の特性は理解したが、そうして攻撃の手を止めれば私が先手を取り、君は後手後手になっていくばかりだと思うがな』
「あァ、それは分かっている」
焦燥を煽る目的の崩れ去る定説の言葉に、薫織は素直にうなずいて見せた。
まるで、そうして悠長に構えていることそのものが作戦とでも言うかのような圧倒的自信を携えながら。
「だから、手は既に打ってある」
唯一使用可能な右手に、束になった大量のマッチ棒を発現した。
両足でロープを挟み込んだ薫織は、ロープでマッチ棒を擦って一気に大量の火種を確保する。
『炎……?』
シキガミクスにとって、火は弱点の一つだ。
基本的に霊気を帯びない物質の攻撃は通用しないシキガミクスだが、内部の回路は熱によってダメージを受けうる。木製であることも手伝って、火はシキガミクスにとっては天敵なのである。
だが一方で、そんな分かり切った弱点を放置するほど陰陽師は馬鹿ではない。大多数のシキガミクスは耐火・耐熱塗料によって全体を覆うことで炎対策を行っている。大量の可燃物を浴びているならともかく、マッチ棒程度の火を被った程度で無力化することは不可能だ。
しかし、薫織ほどの実力者がこの局面で無意味な行動を取るとは思えない。念には念を入れて、薫織から距離を取ろうと足に力を入れたところで、
ずるっ。
──と、崩れ去る定説は足を取られた。
地面が変形していたわけではない。ただ、足元に『何か』が撒かれていたのだ。足に力を入れるだけで滑ってしまうような液体が。
そしてその瞬間、崩れ去る定説は薫織が炎を用意した真の理由に思い至る。
「メイド百手、『熾火奉仕』!」
『うおおォォおおおおおおッッ!? 「ガソリン」かッ!!!!』
足元に撒かれ、今まさに滑った原因は──大量のガソリンだ。嗅覚を持たないゆえに気付くのが遅れたが、足元を確認すれば微妙な光の反射具合から特定は容易だった。
そしてそれ以上に危険なのは──それが分かったところで、粘性の液体によって足を取られ転倒した直後では、大量のマッチの火によるガソリンの引火は不可避という点だ。
「ご明察──こいつは『ホワイトガソリン』の缶だッ!」
『ま、さか……先ほどまで足場に発現していた缶は、このための……!!』
全ては、この戦況を描くための布石だった。
飛石の為に発現した缶は、薫織の言葉通り『ホワイトガソリン』──屋外でのバーベキューでコンロの火種に使用する携行用液体燃料である。これを足場として使用しつつ、中のホワイトガソリンを垂れ流すことで引火の準備を整えていたのだ。
もちろん、積極的に撒いている訳ではないので、崩れ去る定説が足元に警戒すればガソリンが漏れ出ていることに気付くこともできたかもしれない。
だからこそ、薫織は『飛石奉仕』を見せた後にすぐ崩れ去る定説の上方に位置取りすることでその注意を上に向けた。さらに、本体を狙うそぶりを見せることでその警戒を全て自分に集中させたうえで、あえてロープで宙吊りになることで他への警戒が散漫になるように仕向けたのだ。
その結実として現れたのが、この火責め。
しかもガソリンによる『まとわりつく炎』は、耐火・耐熱塗装による防御すらも超えて内部に熱を与え──それだけでなく霊気を帯びている『女中道具』によって発生した炎もまた霊気を帯びている為、シキガミクスにも極めて有効になっている。
いかに崩れ去る定説が最強のスペックを持つとはいえ、浮遊することができるわけではない。地面を踏んで移動しなくてはならない以上、ガソリンで床全体を滑りやすくされては踏ん張りが効かない。大量のマッチを迎撃しようとしても、ガソリンにまみれた今の機体では確実に引火は免れない。
「……宣言は三秒前の私に譲っておくか」
詰み。
その言葉が、崩れ去る定説の脳裏を過る。
『…………!』
しかし、崩れ去る定説には窮まった盤面を覆す霊能がある。
それが──、
『「崩れ去る定説」発動……「時」を、書き換える!!』
直後、世界が崩落していく。
空間そのものに走った亀裂の向こう側から見える宇宙のような暗闇から噴き出す突風に押し流されるような形で、世界全体の時間が巻き戻る。
『ハァ……ハァ……。なんというヤツだ……「園縁薫織」……。まさかここまでの圧倒的スペック差を戦略で埋めてチェックメイトにまで持っていくとはな……』
時の遡行に従い、空中に放り投げられた大量のマッチ棒が薫織の手に収まっていった。
体育館の天井から吊るされたロープに掴まる格好の薫織が真下にいる崩れ去る定説へ話しかけていく姿が逆行する。
『だが、戦況の決定権は私が持っている! 時間遡行完了後の「一〇秒」! この一〇秒ですべてのカタをつける!!』
天井に投げられたロープが薫織の手元まで戻り、そして虚空へと消える。
そして崩れ去る定説の真上を取っていた薫織の身体が徐々に地上へと降りていくが──、
ググ、と。
そこで、薫織の時間遡行が緩やかになっていく。当然、足元にあるガソリンはまだ引いてはいない。
『何……? 馬鹿な、これは……』
「違うぞ、崩れ去る定説!」
そこで、背後から本体・ピースヘイヴンの声がかけられる。
「『五秒』だ……既に時間遡行の限界秒数に到達している! これ以上の遡行はできない!!」
ピースヘイヴンの言葉を受けて、崩れ去る定説はようやく薫織の行動に隠されたすべての意図に気付いた。
先程のロープで天井にぶら下がっての小休止。アレはガソリンに注意を向けさせないだけでなく──崩れ去る定説の遡行限界まで『時』を巻き戻してもガソリンをなかったことにさせない為、即ち詰めの為の『待ち』だったのだ。
愕然とする崩れ去る定説に対し、遡行の限界ギリギリの境地にいるピースヘイヴンは言う。
「シロウはこの後の一秒で確実に倒す! この状況、もはや園縁君による炎上を阻止するのは不可能だが……お前が炎上してから完全に焼け落ちるまでのその時間で、決着をつけるぞ」
『……了解した!』
崩れ去る定説が応じた瞬間、虚空に生じた亀裂は消失し、そして再び時が正しい運行を開始する。
『しかし「崩れ去る定説」! ここから先「一秒」は我々のみが「時」を書き換える──!!』
背後のピースヘイヴンが継ぎ接ぎ仕立ての救済の脇をくぐって嵐殿を押し倒したのと同時に、崩れ去る定説は腰を低く落として構える。足元のガソリンは、やはり消えてはいない。この状況で下手に移動しようとすれば足を取られて転倒し、逆に隙を生んでしまうだろう。
だからこそ──あえて炎上は受け入れ、燃え尽きるまでの数秒で二対一の盤面を形成し、勝負を決する。その為の『待ち』の構えである。
薫織が跳躍し、一秒が経過する──。
「既に時を書き換えたな。ならこの後がどうなるか分かってるだろ?」
そして『時の慣性』が終わった直後、薫織はそう断言した。
──『時の慣性』に囚われている者は、『一秒』の間に生じた動きの変化についていくことができない。それは裏を返せば、『時』を書き換えた場合はその瞬間に動きの差分がはっきりと表れるということにもなる。空中に位置していた薫織は、一瞬前まで戦っていたピースヘイヴンが嵐殿を押し倒したことで霊能の発動を悟ったのだ。
「その反応。やはり『四秒後』の私は既に詰めていたらしい……そして今再びの」
空中で、薫織は手の中に大量のマッチを発現する。
そしてそれを別で空中に発現したマッチ箱にこすりつけることで着火し、崩れ去る定説にばら撒く。足元のガソリンで身動きが取れない崩れ去る定説は、それを回避する術を持たないが──
「『熾火奉仕』だ!!」
『だが、ただではやられんッ!!』
足元にばら撒かれたガソリン。これは崩れ去る定説の機動力を潰す薫織の策だが──考えようによっては、崩れ去る定説の手元に大量の可燃物を用意したとも言える。
炎上を回避しようとしても行動を無駄にするだけだが、炎上を不可避のものとして受け入れれば、逆にその大量の可燃物を利用するだけの余裕が生まれるのではないだろうか?
『私が焼け落ちるのはいい……。だが君にも同じ目に遭ってもらうぞ!!』
ヒュドッ!! と、崩れ去る定説は薫織目掛けて勢いよく足を振る。
それだけで、ガソリン塗れの足は可燃物の水弾を薫織に向かって放った。こうすれば、崩れ去る定説の炎上は避けられないまでも、薫織自身も炎上は不可避となるだろう。
《『女中道具』の解除による回避……その可能性もあるだろう。しかし、果たして水滴単位を選択しての解除が可能なほどの精密さが君の霊能にあるか!? いや、不可能だ……! 技術者としての経験則で分かる! 女中の心得による発現の解除はできて部品ごと! 液体や粉末の解除は一括でしか不可能だ!! つまり解除すればこの『詰め』の盤面を放棄することになる!!》
──崩れ去る定説の見立ては、実際に正確なものだった。
女中の心得、『裏階段』と呼ばれる事前準備した倉庫に格納されてある物品を『女中道具』として手元に瞬間移動させる霊能。
発現直後はその場に強い力で固定され、その後は自由意志で解除することができる。発現・解除は部品ごとに行うことができ、たとえば一つのマッチ箱を『マッチ棒』と『マッチ箱』に分けて発現することで取り出しの手間をなくすことも可能である。
ただし──個別発現・解除の限界は『もともと分かれているもの』ごととなり、組み立てられた椅子をバラバラに解除することなどは不可能。また、粉末の集合体や液体などは発現時の一塊で『一つ』とカウントされるため、個別に解除することもできない。(ピースヘイヴンは知らないことだが)伽退との戦闘において小麦粉を煙幕として使用した際、個別ではなく全体を一括で解除していたことからもこの性質は明白だ。
そうした個別の事例を知らないにも拘らず、それまで培ってきた経験則からこの法則を暴き出し即座に突いて来た崩れ去る定説の洞察は優れていると言わざるを得ない。
ただし。
「あァ、テメェならそこまで読むと思っていた」
そう言い残し──薫織はその場から、消滅した。