【改稿前版】唯神夜行 >> シキガミクス・レヴォリューション 作:家葉 テイク
──そうして、生徒会長トレイシー=ピースヘイヴンの陰謀は幕を下ろした。
学園中を巻き込む『霊威簒奪』の騒動はありはしたものの、それはあくまで全校生徒の一割しかいない転生者の一部でのみ出回った噂。多くの生徒達にとっては──『シキガミクス・レヴォリューション』に登場する主要な人物達含め──生徒会長の挨拶がなかったことを除けば、何事もない終業式を経てゴールデンウィークを迎えたのだった。
ゴールデンウィーク初日。
薫織と流知は、
その校舎の名は、正式名称を『特別生活指導過程学習棟』。
生徒数は一〇〇〇人を超え、そしてその全校生徒が一つの島で生活しているというこの学園都市では、その一〇倍近くの人員が都市運営の為に必要となる。占めて一万人もの人間が生活する環境ではインフラはもちろん、犯罪への対応も不可欠となる訳だが──『ウラノツカサ』はその性質上、学生の大半が陰陽師という異能を扱う技術を持つ人間となる。
そして一〇〇〇人も学生がいれば、当然その中のいくらかは犯罪に手を染めることも想定しなければならない。この校舎・通称『学生牢』は、その為に存在する問題生徒収監施設でもあった。
先日の『生徒会』のクーデターにおいては、
ゆえに、薫織達の目的は
「……なんだか、こういうところにはあまり来たくありませんわね……」
学生牢の受付を済ませて、まるで古い校舎のような木造の廊下を歩き──流知は不安そうに言う。周囲を忙しなく見渡す彼女の横顔には、明らかに普段と異なるロケーションに身を置く緊張が見て取れた。
まぁ、『ウラノツカサ』の外で喩えれば凶悪犯罪者が収容されるような刑務所に足を運んでいるようなものなのだから、それも当然かもしれないが。
「心配すんなよ。中にいる連中がどんなモンかは知らねェが、
「まだ見ぬ悪人たちの格を勝手に下げるのはあまりよろしくありませんわよ……」
対照的に泰然自若としている薫織の言葉に、流知はちょっとげんなりしてみせる。
今回、二人が学生牢に足を運んだ目的。
それは──
学生牢の中でも最奥、地下四階の一番奥にある『特別教室』に、その人物は収監されている。
遠隔操縦の汎用シキガミクスに案内され、重々しい鉄の扉が開いたその先には刑務所の面会室のような小部屋があり、その先に透明のプラスチック板を隔てて広い空き教室のような空間が広がっていた。
「──やぁ、よく来たね」
そしてその空間の中心。
学校においてあるそれそのものの学習机の上に腰かけながら、空色の髪の少女は薫織達を出迎える。
トレイシー=ピースヘイヴン。
「……随分と良い暮らしをしているようだな。大人しく収監されたのは反省のあらわれか?」
つまらなさそうにしながら、薫織は問いかける。
ピースヘイヴンは頷いて、
「まぁそんなものかな」
「原作者である自分はもう表舞台には関わらない、か? 言っておくが、そりゃ潔さに見せかけた無責任だぞ」
「勘違いしないでくれ。別に私は責任を放棄するつもりなんかないよ」
鋭い薫織の言葉に、ピースヘイヴンは心外そうに切り返す。
──ピースヘイヴンは、既に学生牢への無期収監を言い渡されている。彼女が生きてこの学生牢を出るには、それこそ学園が転覆するレベルの異常事態が発生しなければならない。そういう風に、
ただしピースヘイヴンはそんな前提を打ち崩すかのように、
「そもそも、私は今以てまだ生徒会長のままだしな」
と、とんでもないことを言い始めた。
「……は? 学生牢に収監されてるのに? ……あァ、まだ手続きが終わってないからか」
「いや違う。そもそも
「急に何を言ってるんですのこの極悪人???」
──殊勝な姿を見せていたから、流知も若干忘れかけていたが。
そもそも、責任感からの行動とはいえピースヘイヴンは学園全体を揺るがす『霊威簒奪』のデマを流して多くの転生者を手玉にとってきた悪人である。そしてそんな悪人が二〇年も権力の頂点に立っておきながら、ルールを自分に都合の良い形に変えていないわけなどないのである。
「そういうわけだから私自身は罪を償う為に牢屋暮らしだが、生徒会長としての影響力は変わらず行使し続けるし、シキガミクスも問題なく運用する。君達を此処まで案内した『スニークウルフ』達も私が操作していたんだぞ」
「この学園ヤベェな」
得意そうに言うピースヘイヴンに、薫織は真顔で言うしかなかった。
「それに、私の
「あー…………」
そもそも、今回の事件の前段にあった『生徒会』のクーデターにしても根底には『ピースヘイヴンは殺そうと思えば殺せる』という判断があった部分はあるだろう。そうした危険を排除することが、この無駄に恨まれている落第ラスボスの治世を安定させる効果があると言われれば──それは否定できない。
もっとも、罪を償う為の収監に思いっきり実利的な狙いを含めているこの原作者の図太さには薫織も閉口してしまうが。
「それで? 君たちの要件はなんだね。昨日の今日で私の様子を見に面会までしてくれたのなら、大変光栄だがね」
「んなわけねェだろ。自分を知れ、自分を」
楽しそうに笑うピースヘイヴンに、薫織は吐き捨てるように言い返す。
そして彼女は視線をピースヘイヴンの座る机の左奥へと移す。そこには──純白の学生服を纏うピースヘイヴンとは違い、黒のスーツを身に纏う灰色の髪の女がいた。
「
女の名は、嵐殿柚香。
ピースヘイヴンとは前世から続く戦友であり──そして今世においては、ピースヘイヴンの陰謀を防ぐ為に薫織達を導いた人物でもあった。
あった、のだが……。
「テメェ、
本日付で、とある辞令が下った。
その辞令とは、『ウラノツカサ』に一人の校医が着任したというものである。そしてその校医というのが、彼女。嵐殿柚香──というわけである。
水を向けられた嵐殿は軽い感じで頷いて、
「まぁ、私が学生をやってたのって、このコの暴走を止める為だからねー。実際に止めることに成功した以上、ズルして学生である理由もないし。知ってた? お姉さんってば肉体的にはともかく戸籍上はもう三八歳なのよん。この二〇年の間に医師免許も取ってるから、ちょうどいいし校医として公式に学園に在籍しちゃおっかな~って。ほら、回復役として私優秀だし~?」
「医師免許なんて持ってたんですの……」
「そりゃもちろん。何せ霊能的にも人体への理解は深めないといけませんから」
言いながら、嵐殿は何やら室内の片づけを再開する。
──というわけで、嵐殿は学生身分を返上し、学生牢付きの校医として正式に『ウラノツカサ』に雇用されたのだった。学生牢に収監されるような生徒はもれなく陰陽師として優れた能力を持っている上に往々にして血の気が多いので、確かに嵐殿のような反則級の回復霊能の持ち主が所属するのは組織的にもプラスと言えるだろう。
彼女のピースヘイヴンを世話する横顔の幸せさを見たら、そんな真っ当な理屈を超える私情の存在を疑わずにはいられないが。
「ケッ、ワンコ野郎が……。元鞘に収まった瞬間、嬉しそうに尻尾振りやがって」
薫織は憎まれ口を叩くが──本題というのはまさにそこにあった。
話を引き継ぐように、流知はガラス板に備え付けられた机をバン!! と叩きながら言う。
「それよりも!! 重要なのはこのままだとライ研の存続が危ういってことですのよ!!」
──『ウラノツカサ』では、生徒の自主性を重んじる校風から自由に部活動の設立を申請することができる。一応形式上は『生徒会』に申請する形だが、『生徒会』がその申請を弾くことは一切なく、兼部も許されているなど非常に緩い。
ただし──一つだけ部活動の成立には条件があり、三人の定員が課せられているのである。
当然、定員が割れれば部活動は廃止となる。これまでは嵐殿が裏から色々と手を回して学生としての身分を確保していた為ギリギリ定員を守れていたが、嵐殿が校医として正式に雇用されたということはそうした裏技が使えなくなることを意味する。
するとどうなるか。薫織と流知しかいなくなったライ研は定員割れとなり、一週間の猶予期間ののちに廃部が決定してしまうのである。
気炎を上げる流知に対し、ピースヘイヴンは首を傾げながら、
「私の陰謀は阻止できたわけだし、それが目的で集まっていたライ研は解散しても別にいいんじゃないか?」
「馬鹿ぁ!! そっちの目的は確かに達成できましたけど!! そもそも私はライ研の活動に本気でしたのよ!! アナタだってわたくしが生徒会活動に協力してたりしていたのはご存知でしょう!? ライ研がなくなるなんてやだぁ!!」
──とのことであった。
何のことはない。目的の為に集まった関係性ではあったが、流知にとっては既にその集まりが掛け替えのない財産になっていた、ということ。これにはそういう事情を想定していなかった嵐殿も、自分が引き金を引いてしまったがゆえに非常に気まずい表情を浮かべる。
「あー……その……ごめん、ねぇ?」
「師匠の薄情者ぉ!! 私のイラストのお陰でトレイシーさんを口説き落とせたようなもんなのに!!」
「あ、うん。本当にごめん。勝手に話を進めて反省してます」
ちなみに、この問題については薫織も全然意識していなかった為、この二人について何か言える立場ではなかった。
今朝になって辞令が出たことを話題に出したところ、大層慌てだした流知を見て慌てて学生牢まで飛んできた次第なのである。
「ねぇ薫織、お願い! ライ研を続けられるようにできないかしら!?」
「……だそうだが、生徒会長。お得意の不正行為でどうにかならねェか?」
明け透けに不正の頼みをする薫織だったが、ピースヘイヴンは静かに首を横に振る。
「残念だが、私はルールを変えてから動くから不正は今回以外していないぞ。つまり、答えはNOだ。諦めて代わりの部員を探すんだな」
「こんなときばっかり真面目ぶるんじゃないですわよダメ人間!!」
当然すぎるツッコミを入れる流知だったが、今回の生徒会長はどうやら清廉潔白モードのようだった。やはり、どうしても代わりの部員を集めるしかないらしい。──薫織の眼から見れば、ピースヘイヴンの態度には『君ならそのくらい楽勝だろ』という楽観もあるように思えたが。
「……うぅ、薫織ぃ」
勝手に万策尽きた気になっている流知に見上げられ、薫織は面倒くさそうに溜息を吐く。
頭を搔きながら、メイドはどうにも締まらない調子でこう言ったのだった。
「はァ……。仰せのままに。『ご奉仕』の時間といかせてもらいますか」
| 21 そしてまた、新たなる序章 |
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そういうわけで、薫織達は学生牢を後にして校舎を彷徨い歩いていた。
新しい部員──と言っても、既に世間はゴールデンウィーク。全寮制の『ウラノツカサ』といっても、大部分の学生達は学外に帰省しているのが大半だし、それに伴って島内のインフラを維持する為の人口も大幅に少なくなる。必然的に校舎の中にいる生徒は激減しており、そういう意味でも部員探しは難航しそうだった。
「さて、お嬢様に問題だ。この帰省シーズンに『ウラノツカサ』に居残ってるヤツってのはどういうヤツだと思う?」
「え~……学校が好きな人とか、学校でやりたいことが残ってる人とか……?」
「発想が善だなァ。間違いじゃねェが、そういうヤツは学校生活が充実してるから新入部員向きではねェな」
薫織は楽しそうに笑って、
「答えは問題児。家庭に問題があるとかで帰省したがらないヤツ。補習で帰省することもできねェヤツだ」
「あ~……」
納得すると同時に、流知の表情が渋いものになる。
つまり薫織の問いかけは、言外に『この時期に学園に残っているヤツなんてろくなヤツいねェぞ』と言っているようなものだからだ。そして、流知のような人畜無害な生徒はそうしたヤンキーに対して無条件に忌避感を覚えるものである。(常に行動を共にしている薫織の言動も大概ヤンキー並みに柄が悪いのでは? とは言ってはいけない)
「まァそんな顔するな。アテはある。そうだな──」
言いかけたところで、薫織は視界の端に緑髪の女子生徒の姿を捉えた。
女子生徒の方も薫織の存在に気付いたのか、ぴくりと眉を動かしてから──非常に嫌そうな顔をした。
「よォ、シャバの空気は上手いか?
──
『生徒会』クーデター騒動の主犯であり、
「……何が何やらさっぱりですよ。私は、貴女に負けて収監されていたはずなんですがね」
「テメェは気付いていなかったようだが、ピースヘイヴンは『霊威簒奪』のさらに奥に陰謀を企てていた。
「………………もしかしなくてもこの学園、今かなりヤバイ状況だったりするのでしょうか」
「ま、ピースヘイヴンがやる気だしそう酷いことにはならねェと思うが……」
冗談抜きに、戦後まもなくくらいに制度はガタついている状況である。ちょっと顔を蒼褪めさせた伽退の感覚は正しいと言わざるを得ないだろう。
ただ、
「ところで、だ。今
「えぇ!?」
「はぁ!?」
薫織の言葉に、流知と伽退が全く同時に声を上げた。
「貴女、正気ですか? 私は戦略上必要だったとはいえ一度は彼女のことを害そうとした人間ですが……。というか、彼女だって驚いているではありませんか」
「あ、いや……。あまりにも予想外だったから声を上げちゃいましたけど、よく考えたら特に問題はありませんわね」
「大ありだろうが」
あまりに能天気な台詞に、思わず地が出て声を荒げる伽退。
ヤンキーというよりヤクザな顏が出て来たことで、流知は小動物みたいに縮こまってしまう。
「……やるわけねェだろ。ただでさえ、私は今後の身の振り方を考えるので忙しいんだ。お友達ごっこに精を出す余裕なんかねェよ」
吐き捨てるような伽退の拒絶に、流知はさらに落ち込みも加えて水浸しの小動物みたいに哀れな顔になっていく。伽退はさらに溜息を吐いて、
「……っていうか、テメェらも分かってんのか? ピースヘイヴンがどういうつもりであれ、アイツは確かに表舞台から退く決断をした。どう取り繕っても、これから『外』の介入が増えていくことは避けられねェ。ただでさえこれからは『原作』の時期に入って、世界は混沌としていくってのにだ」
それは、実際に『外』の組織に身を置いていたことのある彼女だからこその危惧だろう。彼女はそのまま二人のことをじっと見据えて、
「そんな時期に呑気に部員探しなんかしてる場合かね」
「逆に聞くが」
その視線に対して、薫織は少しも視線を逸らさなかった。
「テメェは、そのくらいでこの世界がどうにかなるとでも思ってんのか?」
「…………、」
その答えは、少し前までならばYESだっただろう。だが、事情は既に変わっている。
ちっぽけな復讐の意思は、簡単にへし折られ。
そしてその憎しみを向けた先は、今や報いを受けている。
──そしてそれらを成し遂げたのは、目の前の二人なのだ。伽退がクーデターや大規模洗脳なんていう暴挙に出ても成し遂げられなかったことを、この二人はあっさりと成し遂げている。まるで、物語の主人公みたいに。
「……私と同じ癖に」
小さく呟いて、伽退は頭を振った。
『あの物語』に登場していなくたって、何かを成し遂げることはできる。そんなことは──多分、伽退自身だって最初は屈託なく信じられていたはずなのだ。いつしか、そういうものを信じるには重荷が積み重なりすぎてしまったが。
だが、最初から分かっていたはずなのだ。
だって彼女がこの世界に生まれて来た最大の理由は──あの物語が、好きだったことにあるから。
「……思わねェよ。私が大好きだったあの作品に生きる人達は、そんなに弱くはないから」
ともあれ、部員勧誘自体は断られてしまった。
伽退と別れた薫織と流知は、校舎を出て通学路を歩いていた。やはりゴールデンウィーク帰省の影響で人通りは激減しているが全く人がいないわけではない。ぽつぽつとすれ違う通行人を横目に見ながら、流知は目に見えて肩を落としていた。
「……良い感じの流れだったじゃありませんの……。なんであの流れで入部してもらえないんですの……?」
「まァ、馴れ合うのが嫌いなタイプってのはいるからな」
ぶーぶーといじける流知だったが、薫織の方は大して気にもしていないようだった。
すたすたと流知を先導するように歩く薫織の背中を見ながら、流知は怪訝そうな表情を浮かべて、
「……ところで今はどちらに向かっているんですの? なんだか足取りに迷いがないみたいですけど」
「あァ。ちょっと顔を出しときたいところがあってな。多分、このへんで……」
「あーっ!!!!」
と。
そこまで薫織が言いかけたところで、あどけない少女の大声が通学路に響き渡った。
「オマエ達! なんかあの後色々大変だったんだってな! 久遠姐さんから聞ーたぞ!」
そこにいたのは、青髪をポニーテールにしたサメのようなギザ歯の少女。
「(薫織! でかしましたわよ! 確かに冷的さんなら仲も良いですし、安牌中の安牌でしてよ!)」
グッ! と拳を握って薫織に目配せしながら、流知は笑みを浮かべる。
何せ、冷的とは薫織の部屋で一晩中ゲームをして遊んだ仲である。彼女自身は元々自分が参加していた部活動を退部しているし、彼女ならばライ研に参加してくれる可能性は高い。
「冷的さん。実は──」
「そーそー。オマエらに会ったら報告しよーと思ってたんだ。わたしも──あれから色々考えてな」
言いかけたところで。
冷的は、少し照れくさそうにそっぽを向いてそんな風に切り出す。
「わたし、元の部活の仲間達とやり直すことにしたんだ」
そんな、再起についての話を。
「一時は、色んなものに絶望して、何もかも諦めてヤケになってた。でも、オマエ達のお陰で……もう一度やり直そうって思えたんだ。…………本当にありがとう。全部、オマエ達のお陰だ」
「…………、……そ、そんなそんな……」
それ自体は、非常に喜ばしい話だ。
裏切られたといっても、それは世界の終わりによる絶望が蔓延した極限状態によるもの。冷的の仲間達が性根から悪人だったというわけではないだろうし、様々なわだかまりを乗り越えてもう一度失われた絆を取り戻せるのであれば、それは心裡から祝福すべきことである。
「……よく、乗り越えたな」
そんな冷的に、薫織はとても優しい笑みを浮かべながら、拳を突き出す。
冷的もまた、そんな薫織に少し目を潤ませながら、拳を突き出し返した。
「あぁ!」
拳を打ち付け合わせる二人のことを笑顔で見守りながら、流知は口に出しかけた言葉を呑み込むのだった。
かつての仲間と再び部活動を立ち上げようという少女に入部を求めるような厚かましさは、流知にはなかった。
そんなわけで、結局アテは完璧に外れてしまい。薫織と流知は、薫織の部屋のある学生寮マンションに向かっていた。
流知の方は完全に知人のツテ路線を諦めてこの一週間の新入部員にかけて入部募集ポスターを作る気で色々試案していたのだが、薫織の方は特に何も考えていなさそうな調子で気楽そうなものであった。
「薫織、なんでそんな気楽そうなの? この時期じゃ新入部員は大体部活動決めてるし、薫織はかなり浮いてるから部員になってくれる人なんていないかもしれないのに!」
「浮いてるのはお前も大概だからな」
『えっそうなの……?』とカウンターで顔を蒼褪めさせる流知に、薫織は溜息を吐きながら、
「それに、こういうのは肩肘張ってたって余計に疲れるだけだぞ」
「だって~……」
半泣きでぶーたれる流知が二の句を継ごうとしたタイミングで、薫織が不意に足を止める。
遅れて足を止めた流知が怪訝そうに薫織の方へ向き直ると──
「話はこの人から聞いたぞ。水臭いじゃないか!」
そこにいたのは、先ほど別れたはずの冷的。
──と、かなり不本意そうにしている伽退だった。
「部員、探してるんだって? そーいうことならわたしも協力するぞ。『ウラノツカサ』は兼部オッケーだし。ね、お姉さん!」
「い、いや、私は……」
人懐っこく笑う冷的にたじたじとなっていた伽退は、そこで鋭い眼光で薫織を睨みつけると、高速で距離を詰めてきた。
声を殺した伽退は、忌々しさを隠そうともせずに言う。
「言っておくが、これは私にとっても計算外だからな……! ただ通りすがりにテメェらの交友関係上で一番部員に該当しそうな人物を見かけたから、人脈を伸ばすつもりで話題に出したら話の流れで一緒に来ちまっただけだ……!! 別に私に入部の意思は……」
「どーしたんだぞ?」
「あ、いや……なんでもありませんよ」
首を傾げる冷的は、猫かぶり状態で押しの強さに弱い伽退が振り払うのは少し厳しいようだった。
薫織は『いい機会だし、まァ適当に押してコイツも部員にしとくか』と勝手に心の中で決める。
「あら~、なんだかんだで部員、あっさり集まってるじゃな~い」
と。
話がまとまりかけたところで、スーツ姿の嵐殿が合流してきた。
「嵐殿柚香……? なんですあの恰好」
「あァ、アイツは今日付けで学生牢の校医になったんだと」
「はぁ……?」
首を傾げる伽退だが、このへんの話は細かく説明してもだいぶ意味不明である。薫織は早々に説明を諦めて疑問は流すことにした。
嵐殿の方は楽しそうに身体をくねらせながら、
「せっかく教員になったんだし、顧問の先生も必要かな~って思ってね。関連書類を集めて来たのよ~」
と、手に持ったファイルで扇のように自分をあおいでいた。
なんだかんだで嵐殿のことを師と仰いでいた流知も、嵐殿が部活動に合流できそうなことに明確に表情を明るくする。
そんな流知にウインクをしたりしながら、嵐殿はさらに続けて、
「ついでに、入部届も預かってきたわよ~」
「……宛名は?」
「トレイシー=ピースヘイヴン」
「とっとと燃やしな」
──そんなこんなで、ライ研は廃部の危機をその日のうちに乗り越えることに成功したのだった。
正味、廃部の危機なんて本当にあったのかと言いたくなるレベルのあっさり具合だったが──それはさておき。
「しっかし、こんなにあっさり解決するんだったら
その後。
書類仕事を買って出てくれた嵐殿や入部希望の面々と別れて歩く学生寮マンションまでの道すがら、薫織は拍子抜けしたように言っていた。
流知はそういえばと思い返しながら、
「薫織、なんだか今日ずっと余裕そうでしたわね。もしかして何かしてくれてたんですの?」
「おう。どうにもならなかったら久遠に入部してもらうつもりだった」
「あ~…………」
言われて、流知はすべてに得心がいった。
園縁久遠。確かに薫織の妹ならば、入部くらいは頼めばあっさりOKしてくれることだろう。心当たりの人員にあたってみつつ、どうにもならなかった時の為に安牌も用意しておく。やはりどこまでも用意周到なメイドであった。メイドというのは用意周到なものだから、当然といえば当然なのだが。
「まァ、お嬢様の人徳のお陰で無事に部員は揃ったし。これで新生ライ研も無事発足できるってもんだ」
「……そうですわね! いやー本当に、一時はどうなることかと思いましたけど……かつては敵同士だった人達がこうして部員として名乗りを上げてくれるなんて、本当に嬉しいことですわ! 文化祭に向けて、心のエンジンがかかるってものですわよ!」
「頼むぜ部長。おそらく残った部員で絵心があるのはお嬢様だけだからな」
「へ? 部長?」
何気なく言った薫織の言葉に、流知は首を傾げる。
薫織は頷いて、
「当たり前だろ? 部活の存続を一番に願ったのもお嬢様だし、一番やる気があるのもお嬢様だ。お嬢様以外に誰が部長をやるっていうんだよ」
「おぉ……、何かのリーダーをやるのなんて、今世の小学六年生でやった給食の班長以来かも……」
「それはリーダー経験に数えられるのか?」
真顔でツッコミを入れる薫織だったが、流知の方はもう薫織のツッコミなど耳に入っていないようだった。
それはそれで、やる気があるなら望ましい。薫織は苦笑しながら、流知の背中を軽く叩いて横を追い抜いていく。
「その調子で頼むよ。期待してるぜ、お嬢様」
そうして、帰路について──
「うわっ」
「おっと」
その直前の曲がり角。
薫織は、出会い頭に一人の少年と衝突しかけた。素早くバックステップで回避した薫織によってぶつかることはなかったが、少年の方はそうはいかなかったらしい。受け身を取ろうとして逆に態勢を崩してしまい、よろめいてしまう。
その少年が明確に転倒するその直前、素早く切り返した薫織が少年の肩を支えて転倒を防ぐ。──この間、〇・一秒であった。
「悪かったな。不注意だった」
「いや、こちらこそ」
とはいえ、それだけの遭遇である。
薫織は少年に頭を下げ、気合を入れ続けている流知の肩を押して立ち去っていく。
その後ろ姿を眺める少年──。
──
『どうした、
「………………いや」
白髪の女にそう呼びかけられた少年は、暫し薫織達の後ろ姿に視線をやっていたが、やがて前を向き直ってそんな軽い否定の言葉を入れた。
少年は再び歩き始め、
「なんでもなかった。何事もない……」
彼は、彼の道を歩き出す。
少年の名は、
かつて、『シキガミクス・レヴォリューション』と呼ばれた物語──
「何事もない、ただのすれ違いだった」
──その、主人公となった少年だった。
────同時刻。太平洋。
水平線の向こうに沈む太陽によって橙色に照らされる水面の上に、何かが浮かんでいた。
激しい破壊の痕を感じさせるその破片群は、かつて園縁薫織というメイドによって所有されていたクルーザーの残骸であった。
このクルーザーは、『唯神夜行』と呼ばれる儀式によって発生した大規模な霊気の奔流に晒され、大部分は粉みじんとなったが──その中でも幾つかのパーツは、こうして奇跡的に原型の一部を留めながら太平洋を漂っているのだった。
ただし。
ここで重要なのは、そんなクルーザーの残骸などではなかった。
正確には、クルーザーの残骸たちが散らばる水面の隙間。
そこに。
桃色の髪を波に預けて仰向けに揺蕩っているその女は、とても機嫌がよさそうに、今にも鼻歌を歌わんばかりの調子で波音に耳を傾けていた。
太平洋のど真ん中で、船の残骸と共に漂う女。それだけでも異常性十分な光景だったが、しかし女にはさらに異常な特徴があった。
それは、服装。
こんな海のど真ん中、しかもゴールデンウィーク初日だというのに──女は、安っぽいスーパーで売られているコスプレのような薄っぺらいミニスカサンタの衣装を身に纏っていた。
女は、本当に楽しそうに微笑みながら言う。
『ん~、そろそろ太平洋も十分満喫しましたねえ』
『こうして無事に降誕することもできた訳ですし、そろそろ始めるとしますかあ』
その女神は、禍々しい悪意を称えた笑みを浮かべ、そうしてこの世に産声を上げた。
『いざ。望まれてもいない