青い春の残りカス   作:ほし。

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伊草ハルカが髪を切る話です。

pixivにも投稿してます:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20117345


トリミング ── 伊草ハルカ

 

 

 

 

 

 01

 

 そろそろ髪を切らなければと焦りだすのは、前髪が目にかかってきて鬱陶しいと感じたときでも、洗髪のときになんだか手間が増えてきたのを自覚したときでもない。

 見かねた先生や事務所のみんながそろそろ切るようにと指摘してくださったときだ。

 

「髪伸びたね」

「え? か、髪ですか……?」

 

 先生からの指摘はいつも、シャーレの仕事の手伝いをしているときか、「いつもの場所」で一緒に雑草の様子を見ているときに入る。

 指摘されたとたん、私の頭の中はもういっぱいになってしまって、思考が悪い方向を向いて固まってしまう。きっといつものように先生に迷惑をかけてしまったのだ、そうに違いない、そうであってほしい、そうでないなら私なんかの髪のことに言及するはずがない、どう詫びよう、死んでしまいたい、etc.

 

 前髪に遮られた視界の中で、先生がやわらかに笑顔を向けてくれているのを理解しつつも、私の頭の中はもう、勘繰りや後ろ向きな考えでいっぱいになるのだ。

 

「す、すみません。見苦しかったですよね……」

「え? いや」

「い、今すぐ散髪に行ってきますので……あ、ああでも先生と一緒にいるのが嫌で抜け出したいというわけじゃなく……」

「ハルカ」

「いえ、先生が貴重なお時間を割いて私に構ってくださっているので、やはり今から行くのはやめに……で、でもそれだと見苦しい頭をお見せし続けることに……あ、あの、えっと……」

「話をね」

 

 手近に置いていたショットガンを抱える。

 

「し、死んでお詫びします!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 02

 

 目にかからなくなった前髪のおかげで、洗髪のときの手間が減った。

 先生のおかげだと思った。

 先生は間違いないなと思った。

 先生はやはり素晴らしい方だと思った。

 etc.

 

 あれだけ鬱陶しかった前髪は、それまで私を覆っていた不快感や気だるさと一緒に軽くなった。

 すっきりした視界が良い。季節を感じるぬくもりやささやかな風などが感じやすくなって、そういえばもう春だったな、と思い出させてくれる。

 気分が良いのは、それだけが理由じゃない。

 

 人からの指摘で初めて髪を切ろうと思えるような人間だから、やはり髪型などどうでもよくて、髪を整えてもらう店もどうでもよかった。なんとなく暗めの店に入って、読み通り暗めの人が鋏を扱っていて、不必要な会話が発生せずにスムーズに作業に入ってくれた。

 髪型なんて決めていないから、普段通りの髪型をそれとなく伝えた。今のところ、事務所のみんなや先生から不評を買うことのなかった(そもそも評するほどの興味がないだけだろうけど)髪型なので、これにさえしておけば、彼らを失望させたり、不快な気分にさせることはなかった。

 

 そうして数か月前と何ら変わらない私の形が出来上がって、面白みもなくまた同じ繰り返しに身を投じるのだった。

 私にはそれがちょうどよかった。

 変化を誰にも気取られないくらい地味で、そもそも変化なんてほとんどなくて、凡庸で、むしろ邪魔ばかりしていて、どうでもいい存在であり続けることが、私に安らぎをくれる要素でもあったのだ。

 

 ちょうど、雑草みたいに。

 

 ──すん、すん。

 

 誰かのすすり泣く声が聞こえた。

 すっきりした視界を気に入りながら、いつもの場所で雑草たちの様子を見ていたところだった。

 

 この建物はゲヘナ郊外のはずれのとても辺鄙なところにあって、誰かが訪れるような場所ではない。

 幻聴や聞き間違いを疑った。しかし私は精神的に参っているわけでもなかったし、なにか環境音を泣き声に勘違いしたわけでもなさそうだった。幻聴・幻覚作用のあるものを体内に取り込んだ覚えもない。そうしたガスが発生するような地域でもないし、育てている雑草の中にそのような効能がある植物もない。420は雑草ではない。

 幻聴や聞き違いでないとするなら、そこで本当に誰かが泣いているのだった。

 

 「害虫」かもしれなかった。

 

 ──すん、すん。

 

 入り口の方だった。

 建物を外に出てすぐのところだと分かった。

 普段誰も訪れない場所だったので、ひどく警戒した。

 この趣味は、誰にも見られたくなかった。笑われたくなかった。踏み荒らされたくなかった。

 

「誰ですか……?」

 

 ブローアウェイを構えながら入り口の方へ向かう。

 すんすんと、まだすすり泣く声が聞こえている。

 か細く幼い印象で、うずくまって静かに泣いている少女が想起された。

 少ない知り合いの特徴には一致しなかった。

 事務所のみんなでも、先生でもない。

 そもそもこの場所を知っているのは先生だけで、知り合いであるはずもなかった。

 駆除しなければ、と思った。

 

「こ、ここから立ち去ってください、う、撃ちます、撃ちます、消します、ここから立ち去ってください」

 

 声が聞こえるすぐそこのところで立ち止まって、警告を投げかける。

 あと一歩踏み出せば会敵できる。入り口から飛び出して、その姿を確認できる。撃ってしまえる。

 声は止む気配がなかった。私の警告を無視して、ずっと弱々しい声を上げ続けている。泣いている。

 

 ──すん、すん。すんすん。

 

「う、うわあああ!!!!」

 

 私はできるだけ声を荒げて、体を奮い立たせた。

 飛び出す。

 声へ銃口を向けた。

 

「う、わあ、あ……?」

 

 誰もいない。

 私の想像していた、うずくまって泣いている小さな少女の姿はどこにも確認できなかった。

 

 しばらく呆然としていると、いつの間にかすすり泣く声は聞こえなくなっていた。

 確かに聞こえていたはずだ、と何度も自分の記憶を責め立てた。

 ひどい眩暈がした。気が狂ったのかと自分を疑った。

 こんな自分では駄目だと思った。

 

「……あれ」

 

 その場にいるはずのない物が「いる」ことに気が付いたのは、自死が脳裏を掠め始めた頃だった。

 

 朽ち果てた市松人形だった。少女を模ったものだ。ひどい有様だった。

 服はボロボロで、髪もぼさぼさ。前髪などひどいもので、短く乱雑に切られていて、とても不格好でいる。燃えてちりちりになったような跡さえ見受けられた。肌には焦げた跡もあった。誰か悪趣味な人間にそうされたのだと分かった。

 けれど、元々はとてもきれいな形をしていたに違いなかった。

 

「…………」

 

 周囲を見渡した。

 この市松人形を捨てにきた人間がいるはずだった。

 今の今まですすり泣く声が聞こえていたのだから、声の主はそう遠くない場所にいるはずだった。隠れていたとしても、その気配にまったく気づけないはずもなかった。

 

 周囲を細かに観察して、誰もいない、と確信を得てしまうまでは早かった。

 

 誰かの侵入した痕跡は見られない。

 人間の息づかいが忍んでいる様子も、どこかに視線が及んでいる気配もなかった。

 いつもの静けさに満ちていた。

 

 周囲に向けていた注意を、ふたたび人形に戻した。

 だとすると、人形が泣いていたとでも言うのだろうか。

 気味が悪かった。

 

「…………」

 

 普段なら「駆除」しているはずだった。

 

 私はそれをたいせつに拾い上げていた。

 たぶん気の迷いだ。

 あまりにもボロボロな有様を、昔の自分に重ねて見てしまったのかもしれない。

 だとしても、気の迷いだった。

 

 明日にはきっと気味が悪くなって捨てているだろう。

 そう思いながら、私は彼女を雑草の鉢といっしょに並べることにした。

 

 

 

 翌日になって、雑草たちの様子を見に戻ってきたところ、人形の髪が伸びていた。

 伸びすぎたらしかった。人形が涙目になって、私を縋るように見つめてきていた。

 なんだこいつ、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 03

 

 雑草はひっそりと力強く生きていて、偉いなと思う。

 どこにでもいるわりにたいして役に立たないし、人に迷惑をかけてばかりで、そのくせ数だけは多い……無価値な存在だけど、それでもその強さは見習いたいところだった。

 いつもの場所で、雑草たちに虫がついていないか確認しながら、そう再認識した。

 

 私の手がなくともこの子たちは生きていける。少しの日の光と水さえあれば、どんな窮屈な環境でもしっかりと根差すことができる。

 そこに人間の介入は必要ない。本人たちの微かな息づかいが止まらない限り、不変でいる。

 誰にも見てもらえず、誰にも褒めてもらえなくても、生きていけるのだ。

 

 けれど、誰かに見てもらえている方が、きっと彼らも誇らしいのは間違いなかった。

 だから私はここに通い詰めているのだと思う。彼らに喜んでもらいたくて、ここに足を運んでいるのだ。

 誰にも見てもらえなくても生きていける力強い存在を、それでも見守るために。

 

 

 

 誰かに見てもらわなければ生きていけない存在が、その隣に増えたけど。

 

 雑草たちの観察もほどほどに、視線を問題児に向ける。

 たった1日で髪を伸ばしきった彼女は、昨日どんな髪型をしていたか忘れてしまうくらいもっさりとしていて、面影がなかった。

 心無い人間に乱雑に切られて短くなっていたはずの髪が、今は体全体を覆ってしまうくらいに伸びきっている。

 人形なのに、髪を伸ばしたのだ。

 

「…………」

 

 これの処分について、考えるのは難しかった。

 雑草たちの様子を見ることでまとまった考えを得ようとしたものの、よい結論は結ばれなかった。

 

 まず、この人形が何なのかについてハッキリさせなければならない。

 

 これは心当たりがあった。

 どこかで聞いたことがある。強い怨念が宿っているせいで、人間のように髪が伸びていく、髪伸び人形の話。

 オカルトや噂話ぐらいなもので、実物があるとは思っていなかった。ただ実際、ここにあるのはそういう類のものだ。

 

 強く怨念のこもった、呪われた人形──これは分かる。

 そこで次に考えるとすれば、それが私や雑草、ひいては先生やアル様たちに悪影響を及ぼすかどうか、になるのだが。

 

 なんというか、泣きそうな表情をしているのだ。

 こんなやつが人を呪えるはずがないと思ってしまう、惨めな表情。

 私はそこに困っていた。

 

「……あ、あの」

 

 私を縋るように見ている……ように見える人形に、どう言葉をかけるか一瞬悩んだ。

 

「伸びすぎた、ってことですよね……」

 

 なぜ人形に話しかけているのか、話しかけるとしてなぜ敬語なのか、自分で理由付けできれば苦労しなかった。

 親とはぐれて泣いている幼い子供のような雰囲気があったから、放っておけないのかもしれない。

 

 人形からの返答はなかった。喋らないようだ。髪は伸ばすくせに。

 

「……!」

 

 答えないかわりに、すこし人形の表情がやわらいだように見えた。

 もう私の妄想や思い込みにしか思えない微細な変化だった。

 正気じゃないと思いつつも、私はそれを肯定と受け取ることにした。

 

「…………」

 

 髪が伸びすぎたというなら、切ればいい。

 つい先日私がそうしたように、適当な相手に鋏で切ってもらえば──いやでも、だれに?

 私が行った理容室の人? いや、人形の髪を頼むのは気が引ける。というか、引き受けてもらえない気がする。

 先生? 論外。激務に疲れている彼にそんなことはさせられない。頼めば引き受けてしまうのだろうけど、頼みごとをすることさえ、私なんかには烏滸がましい。

 アル様? 論外。先生と同様、私の個人的な理由のために彼女の手を煩わせるわけにいかない。事務所の他のメンバーも、私なんかが迷惑をかけていい人たちじゃない。

 

 なら──

 

「……えっと、私でよければ、切ります」

 

 迷惑をかけてもいいのは害虫、それと私自身だけだ。

 

 人形の表情を確認して、それから剪定鋏を探した。

 

 

 

 

「えっと……誰かの髪を切るのは初めてだったので……あの……」

 

 死んだ表情から目を背けながら、そう言い訳した。

 もはや人形の髪型は名称を持たせることも困難で、とても不格好なものになっていた。不細工に切られた髪に、人形は絶望していた。その表情で私を見ていた。

 

 髪を切るための知識が私に備わっているはずもない。興味すらないのだ。

 私のせいだった。

 

「つ、次はうまくやりますので……」

 

 

 

 

 

 

「あの、ほんとうに申し訳ないと思ってます……」

 

 結論を言うと次の日も失敗したので、人形の目がまた死ぬことになってしまった。

 やはり一晩で髪を伸ばした彼女を救うために剪定鋏を握って……それで、この髪型は……なに? なんだろう。どんぐり? とりあえず簡単なおかっぱを目指していたはず。杓子? 落ち武者?

 

「べ、勉強します……次こそ上手くやります……」

 

 私は将来理容師にはなれないだろうな。

 技量がないだけ、とかではなく、決定的に何か欠け落ちている気がする。誰かの髪を扱っていることの大事さとか、心構えとか、プライドとか。

 

 そもそも、剪定鋏を使うことから間違っていたのかもしれない。

 これは雑草たちの成長を妨げてしまう枝葉を間引くためのもので、誰かの髪を切るためのものじゃない。

 

 そうだ、これだ。

 

 

 

 

 

 

「……ほ、ほんとに真面目にやってるんです。睨まないでください……」

 

 とりあえずバリカンを使うのはやめよう。

 鋏を買おう。

 横着しないようにしよう。

 

 中央道が開通している人形の頭から目を背けて、明日こそうまくやろうと決めた。

 けっして、明日には再生してるんだからいいや、とか思ってない。

 

「つ、つぎこそ、ちゃんとやるので──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 04

 

「今日もよく伸びてますね……す、すぐ楽にしてあげますから……」

 

 人形の髪を指で梳く。

 一晩で伸ばしきった髪は、相変わらず重たくもっさりとしている。ただ、案外綺麗なものだなと、最近気がついた。

 こうして手を通してみると、抵抗なく指の間をするすると流れていって、透明みたい。

 光沢をもつ艶があって、瑞々しくて、若くて、作り物のよう、……ではなく作り物。

 

 人形はいつも通り泣き出しそうな表情だった。伸びすぎた髪が嫌らしいのはずっと変わらない。

 ただ、私が髪の手触りや色艶を楽しんでいると、すこし嬉しそうな表情になるのが愛おしかった。

 

「……へ、へへ」

 

 気味の悪い笑みがこぼれる。

 前からそうだったけれど、よりいっそう誰にも見られたくない場所になってしまった。

 

 しばらくのあいだ、意思に無遠慮に上がる口角を押さえつけるのに苦戦した。

 はやく髪をなんとかするべきだ。

 

 彼女はとにかく毛量が多いから、すきばさみで大幅に間引いてあげるのがよかった。

 小さなクリップで髪を4つに区分けして纏めて、普通のはさみで肩あたりの長さに揃えてあげる。

 それから、すきばさみを使って膨れ上がった頭を軽くしてあげる。

 それで、たぶんいいかんじになっているのだ。

 わからない。

 相変わらず興味はない。

 そうした一連の作業を頭に浮かべて、ただ手を動かす。

 

 未だに慣れない作業に手間取りつつ、考え事をする余裕くらいは持ち合わせていた。

 内容としては、もっぱらこの状況に関してだ。

 

 すっかり馴染んでしまった。

 雑草の様子をひととおり見終わったあとは、人形の世話をするのがいつもの流れになっていた。

 髪のことに加えて、肌の焦げ跡を見えないようにしたり、害虫に纏わりつかれているのを駆除したり。

 

 人形を拾ってからそろそろ1か月になる。慣れが怖かった。

 この先もこの人形を世話していくのか、いつかどこかのタイミングで捨ててしまうのか、何も決めずにここまでやってきた私には、慣れが行き過ぎて情が移ってしまうのが怖かった。

 今のうちに捨ててしまえばいい。結局はただの人形だから。それに、どうせこの人形もいずれは私に失望するはずだ。だからその前に。

 勘繰りが過る。

 

 作業が終わって、人形の短くそろった前髪を見ると、そんな考えも吹き飛ぶのだ。

 

「できました、どうでしょうか……」

 

 つたない作業が終わったあとは、人形に鏡を向けた。

 私には人形を可愛くしてやれる技量もなく、ただのおかっぱ頭になった。

 市松人形っぽい風貌と言えばその通りだが、地味で特別な変化のない雑草みたいな髪型だった。

 

「……!」

 

 彼女は嬉しそうにしていた。私にしか分からない微細さで、頬を上げていた。

 その表情の前では、私はどうしても彼女を裏切れる気がしなかった。

 ただの人形相手に、おかしい話かもしれない。相手は無機物だし、呪われているし、言葉を発しないし、コミュニケーションは私からの一方向だけ。

 それなのに、短く均一にそろえただけの前髪に喜ぶのが──たったすこし表情が変化するのが、私の心のどこかを掴んでしまっていた。

 

 既に情が移ってしまっているのだろう。

 私も自ら気付けないうちに、彼女はもう、雑草と同じ扱いを受けていた。

 

 彼らにそうしてあげるように、不要な髪の枝葉を間引いてあげるのはつまり、そういうことだ。

 

 

 

 

 たまに、彼女を見つけたときの外見を思い返す。

 前髪は乱暴に切られていた。前の所有者はきっと、勝手に伸びていく髪を気味悪く思ってそうしたのだろう。不揃いな前髪が昔の私みたいで、印象に残っている。

 着物は切り裂かれたり焼失したりした部分があった。顔や肌には焦げた跡。どこを見てもボロボロで救いようがなかった。

 

 対して今の彼女は、それなりによくなっているはずだった。

 

 前髪は……とても褒められた出来ではないけれど、少なくとも発見したときよりはマシになっている。

 焦げ跡の方も、このために買った肌色のファンデーションでごまかされて、もうあまり目立っていない。

 

 ただ、彼女の着物だけがどうにもならなかったのが、どうしても引っかかる部分だった。

 切り裂かれた跡も焼かれた跡も残っているし、焦げ跡を誤魔化すためのファンデーションが一部こすれて汚れてしまっている部分もある。

 後者は自分で落とせばいいとして、物理的な破損については私ひとりの作業でどうにかなるレベルではなかった。

 

「…………」

 

 雑草や人形から視線を外した。

 

「えっと……また明日来ますので……」

 

 もうそろそろ事務所に行くべきだと立ち上がる。

 

 この場所に来るのは、多くは朝早くか暇なとき、そうでなければ任された仕事を終えた後、事務所のみんなと解散した後などだ。

 今日は明日の作戦準備を遂行した後に来たのだった。ターゲットを確実に仕留めるために各所に爆弾を──という手法は以前先生に怒られてしまったので、ターゲットの移動先を誘導するための罠をいくつか設置してきた。

 その後すこし時間をとって雑草たちの様子を見に来たが、そろそろ事務所へ報告に行くべきだった。

 

 最後に室内の温度や湿度を確認して、建物を後にした。

 

 

 

 道中、考えるのは人形のことだった。そろそろあの変化のない髪型もどうにかしないといけないとか、今度勉強してみようかとか。

 それから雑草のことを考えた。そろそろ土を持ってきてあげないとな、夏にでもとってこよう。

 それからアル様のことを考えて、先生のことを考えて、もう一度人形のことにもどってきた。

 

 彼女の着物について、どのようにすれば正解になるのかを追った。

 

 あのボロボロの服のままでいさせるのは、あまりにもあんまりなので、新しい着物を買ってしまいたい。そうした店があるのも知っている。

 ただ、私には物に価値を与えられる目が備わっていないし、だからといって安い物で済ませたり、価値が分からないまま高価なものを買ったりするつもりもなかった。

 

 中途半端にしたくなかったのだと思う。

 綺麗に着飾ってあげられるのなら、そうしてあげたかった。

 

「──あら、おかえり。ハルカ」

 

 事務所に戻ってくると、アル様の落ち着いた優雅な声に出迎えられた。

 全員揃っているようだった。カヨコさんやムツキさんも、私に気づいて「おかえり」と声をかけてくださっている。

 

「た、ただいま戻りました……!」

 

 こういうとき、私はいつも感極まるほど嬉しくなるのだけど、この日はそれほどでもなかった。

 

 

 

 報告はスムーズに行われて、明日の依頼内容の浚いや作戦の確認、それぞれの担当とその配備を覚えた。

 久しぶりの依頼だったから、なんだかみんな張り切っていたと思う。

 

「──ハルカ?」

 

 アル様に声をかけられたのは、会議が終わって少し経った後だった。

 明日に備えて今日は解散、と号令が出されてなお、そのまま突っ立っていた私を不思議に思ったらしい。

 すぐに謝罪を述べようと口を開きかけたときに、ずっと考えていた問いの答えを思いついてしまった。

 

 アル様にたのみごとがあって……と口走ってから、自分のしでかした不敬に気付いた。

 

「た、たのみごと……!?」

「……や、やっぱり私なんかが烏滸がましいことでしたよね! 忘れてください!」

「あ、いえ、そうじゃなくて……ただ驚いただけで、私は、」

「忘れてください……私の存在ごと忘れていただければ……いえ、その前に私が……」

「ハ、ハルカ?」

「すみませんすみませんすみませんすみませんすみません……」

 

 変な思い付きを浮かべた出来の悪い頭を呪った。

 アル様が心配そうな目を投げてきている、気がする。

 一旦後ろ向きになると人の目を見れないもので、私は目を伏しながら呪詛のように謝罪の言葉を捲し立てていた。

 

「……社長」

「アルちゃん」

 

 ふたりにも心配をかけてしまったのかもしれない。

 事務所を出ようとしていたカヨコさんとムツキさんが戻ってくるのがわかった。

 アル様の名前を呼んで、ただしい判断を仰いでいるらしかった。

 

「……わかってるわ。そうね」

 

 お二人からの言葉の意味を汲み取ったらしい。

 

「ハルカ」

 

 顔を上げなさい、と言われたのでそうした。

 へぁ、とヘトヘトになりながら返答した。

 

「部下の頼みを聞き入れてあげるのも上司の役割よ。言ってみなさい」

 

 勘繰りに回っている私の頭はなかなか受け入れない。

 

「だ、大丈夫でしょうか、私みたいな者が……」

「本物のアウトローは誰だって気遣えるものよ」

「そ、そうなんですか……?」

「ええ。先生がそう言ってたもの」

「そうなんですね……!」

 

 すべてに納得した。

 

「で、では、不躾ながら……」

 

 思いついてしまった「解答」を確かめる。

 

「あ、あの、正月にレンタルした着物についてなんですが──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 05

 

「そろそろここも暑くなってきたね。あの子たちは大丈夫なの?」

「最低限は冷房設備がありますので……そ、それに、環境の変化には強い子たちばかりですから」

「そうだよね、さすがハルカ」

 

 汗を拭いながらいつもの建物に入る。

 屋内なのでじわじわと広がる蒸し暑さはマシになってくれたものの、肌に貼りつく空気は変わらず夏のものだ。

 雑草を育てている部屋はこれよりも涼しく保っているので、先生に早く涼んでもらえるようにと、その一心でいた。

 

「ふう……とりあえず仕事は終わり、かな?」

 

 部屋に運んできた袋を床に置いた先生は、深くため息を吐いた。それから、土を詰めた袋に穴が開いていないか確認していた。雑草のために取ってきた土だった。もともとは私が運んでいたところ、偶然出くわした先生が手伝ってくれたのだった。

 私は最大限の表現で「手伝わなくていい」と伝えたけれど、結局いつもの流れで押し切られて、先生の底抜けの優しさに甘えるだけでいた。

 

「私ももっとここに来れたらいいんだけど。手伝えることあるだろうし」

「え、あ……その、お忙しい先生にそんなご迷惑はおかけできませんし、ただでさえこんな薄暗くて湿っぽくてジメジメした陰湿な場所なのに、蒸し暑いこんな時期に先生をお呼びするわけには……あ、いえ、そ、その、決して先生の意思を無視するわけではなくて……」

「うん。ハルカは私を気遣ってくれてるんだよね。ありがとう」

「いえ、私はそんな……あ、でも、はい。どういたしまして……?」

 

 いつも通り先生との会話はたぶん会話になっていなくて、私ひとりで話をややこしくしているだけだった。

 焦りや不安でいっぱいになって妙なことを口走る私を、それでも見捨てずに理解しようと努めてくれるのだから、先生はやはり偉大な方だった。

 そういう大人だった。

 

 

 

 先生は雑草の様子を一緒に見るといって、いろんな子たちの世話をみてくれた。

 元気のなさそうな子に気づいてくれたり、水を適切に与えてくれたり、虫がついていないか確認してくれたりした。まだ蒸し暑い時期が続くので、殺菌剤を散布したり……とにかくいろいろな作業を、細かいところまで手伝ってくれた。

 

「あれ? これって……」

 

 だから当たり前なことに、先生が人形の存在に気づくのも時間の問題だった。

 

「あ」

 

 すっかり先生の目に触れることを失念していた。土を探しに行く前に髪を切っておいたことだけは正解だったかもしれない。

 ほんとうは隠しておくべき……でもないのかもしれないけれど、少なくとも私以外の誰かにとって、いい印象の存在ではなかっただろうから。

 

 でも先生なら、と思うところもあった。

 

「す、すみません、こんな不気味な人形をお見せしてしまって……で、でもよく見ればいいところもあって──」

「髪伸び人形、だよね」

 

 先生にしては珍しく、私の言葉を遮って、見知ったもののように、そう言い当てた。

 

「えっと……ご存じなんですか……?」

「まあ」

 

 あまり多くは語らなかった。

 オカルトや噂話として有名な方だとは思うので、知っていてもおかしくはない。

 ただ、それを見ただけで言い当ててしまうのには驚いた。しかも髪を切った後の人形を見てのことだ。シャーレにはそうした情報も多く集まってくるのかもしれない。

 

 当の人形のほうは先生に怯えた表情をしている。

 先生に失礼な反応をするな、と過ったけれど、この状況なら警戒もするだろうと思いなおした。

 

「……どこでこれを?」

「え、えっと、少し前に、この建物の入り口にあって、それで」

「拾ったんだ?」

「捨てられていたようだったので、なんとなく保護してしまって……」

 

 あのとき彼女を拾い上げてしまったのは気の迷いだったけれど、気の迷いなりにただしい選択だったように感じる。

 べつに、何か特別な理由があってそう思っているわけじゃない。

 ただ、雑草のほかに趣味を見つけたのは、初めてだったのだ。それだけの理由だけど、十分だった。

 

 だから、先生のする質問や言及が、とても怖かった。

 初めて先生に雑草のことを話した時のように──そんなことをする大人でないと分かってはいるものの、笑われてしまうことをひどく恐れていた。

 

「あ、あの……! 先生……!」

「うん?」

「変な人形と思うかもしれませんが……いえ、変な人形ですけど、私は気に入っていて……」

「うん。素敵な子だと思うよ」

「で、では、何か私が余計なことをしてしまったんでしょうか……!? いえ、きっとそうですよね、そうじゃなければ先生がそんな困った顔をするはずがないですもんね」

「ああ、いや、そんなことは」

「……ち、違うんですか? なにか私が、先生を邪魔してしまうようなことをしたわけじゃ……」

「ううん。大丈夫だから、安心して」

 

 子供に接するような声で、優しく対応してくれる。

 私が何かしたわけじゃないのだとしても、人形の存在に困っていそうなのは分かっていた。

 

「あ、あの」

「うん」

「この子は何も悪いことをしないので……も、もしかしたら誰かに疎まれてばかりの存在なのかもしれないですけど、呪われてるのかもしれないですけど、でも、誰にも迷惑をかけないので」

「……うん。分かるよ」

「だから、その……あの……」

 

 何を言いたいのかまとまらずに、そこで途切れた。

 その先に自分の言葉を乗せてしまうと、先生に反抗したことになってしまいそうで、思考がつながらなかった。

 

 先生はそんな私を気遣うように笑顔を向けてから、「まあ、そうだね」と前置きした。

 

「私としては回収したいところだけど」

「回収、ですか……?」

「うん。貴重な……えっと、今シャーレが集めてるものでね」

 

 あまり語りたくなさそうだったので、私は結論を急いだ。

 

「え、えっと……持っていくんですか……?」

 

 どうしよう、と先生が言った。

 悩む素振りを見せていたものの、答えは決まっていたみたいだった。

 

「いや、いいよ。ハルカの大切なものみたいだし」

「い、いいんでしょうか……?」

「使い道も限られてるから」

 

 そんなに数要らないし、と付け加えて、なぜか私のことを凝視してくる。

 

「す、すみません、私なんかが先生に気をつかわせてしまって……」

「ううん、気にしないで」

「し、しにますか、しねばいいですか」

「しなないで」

 

 

 

 

 

 

「それで、拾ったんだっけ?」

「あ、はい。雑草の世話をしていたら外から泣き声が聞こえて、様子を見に行ったらこの子がいて」

 

 捨てにきた人間を探したものの、誰も見つからなかったことまで話した。

 

「そ、そういえば、結局誰がここに捨てにきたのか、まだ分かってないんですよね……」

「誰でもないんじゃない?」

「え……?」

「人形がここに来たんじゃないかな。自分で」

「で、できるんですか?」

「いや、わからないけど。でも呪われてるし」

 

 先生がそう言うならそうなんだろうと思うことにした。

 ひとりで持ち主の元を抜け出して、いったい何がしたかったんだろうと不思議に思った。

 

「寂しかった、とかだと思うよ。人形って、そんなイメージない?」

 

 元の所有者からはあまり良いように扱われていなかったのは分かる。

 

「それで、ひとりでここに……?」

「まあ、呪われてるし」

「そ、そんなもんですかね……」

「そんなもんだよ。よっぽど寂しかったんじゃないかな」

 

 先生はすっかり怯え切った表情の彼女を撫でて、それから私を見た。

 

「今はそうでもなさそうだけどね」

 

 

 

 

 

 

「それにしても、」

 

 彼が切り出した。

 

「この子、普通の髪伸び人形とは違って、状態がいいね。よく整えられてる」

 

 先生の言うことには、「髪伸び人形」は他にもたくさん個体がいるらしかった。

 

「ずっとハルカがお世話してたの?」

「……は、はい」

「そっか」

 

 先生は興味深そうに何度か頷いて、人形と私を交互に見た。

 

 そうやって、何気なく言った。

 

「かわいいね」

 

 世界が止まるような心地がした。

 

「ハルカと同じ髪型で、とっても」

 

 人形の頭を撫で上げて、そう言った。

 今の彼女の髪型は私とまったく同じになっていた。

 誰も不快にしない髪型を──と悩んで、ここ数日でようやく完成した。

 変化のない髪型だけだと可哀想だと、夏になるまでに勉強したのだった。

 

「服装も整えてあげたんだね。正月にハルカが着てたのと似てる。これもかわいい」

 

 先生が着物をまじまじと眺める。

 似てるというより、そのものだった。

 正月にレンタルした晴れ着をアル様から教えてもらって、使い道がなくて貯まるばかりだった貯金で買い取って、袖を通さず人形用の仕立て屋に送って……それで……

 

「なんというか、ハルカに似ててかわいいよ」

 

 …………。

 

「……ハルカ?」

 

 なんだか先生の声が浮ついて聞こえる。

 

「……へ、へへ」

 

 景色が変わってしまうのを感じた。

 止め方を知らないので、抗えないでいた。

 

「えへへ……」

 

 気味の悪い笑みが抑えられない。

 

 先生から顔を背けた先で、人形の口角が上がっているのが見えた。

 

 

 

 ──私みたいなやつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 06

 

 そろそろ髪を切らなければと焦りだすのは、髪伸び人形の表情が悲しそうになって、今にも泣きだしそうな雰囲気が漂ってきたときだ。

 

 彼女の髪を切る感覚は楽しくて、今日はいつもと違う髪型にしてあげようとか考えるのも楽しい。

 いまでもたまに失敗して、彼女の表情がホラーになるけど。

 

 

 

 人形の髪を整えたあと、まだ彼女の表情が暗いことに気が付いた。

 そこでようやく、私のほうも前髪が伸びてきたな、と自覚する。

 

 そろそろ秋の感じがしてきたところだ。

 頭を軽くすれば、いい気分になれるだろうと確信していた。

 

 以前と同じ店には入りづらい性格なので、他のところを探した。

 暗めの店を選んで、案の定暗めの人が鋏を扱っていて、私はそこで髪を切ってもらう。

 相変わらず髪型にこだわりはないので、普段通りの髪型をそれとなく伝えて、そのとおりにしてもらう。

 

 そうして数か月前と何ら変わらない私の形が出来上がって、面白みもなくまた同じ繰り返しに身を投じるのだ。

 

 私がそれを心地よく感じるのは、前よりもいくらか単純な理由になった気がする。

 たぶんその変化は、私にとって喜ばしいことなのだと思う。

 

 それはたぶん先生のおかげで、人形のおかげで、雑草のおかげでもあって、事務所のみんなや、少しくらいは私のおかげでもあるのだと思う。

 

 でも一番は先生のおかげだ。

 先生はやはり間違いなかった。

 先生は素晴らしい方だった。

 みんな先生の力となるべきで、先生の妨げとなるものを排除すべきで、彼を尊敬すべきで、それで──etc.

 

 

 

 

 

 





彗星(伊草隊)★max
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