クロコダイルの不気味な気配が移動する。
移動先は何故か地下からで、クロコダイルやレインベースのカジノにいた女の他に、息も絶え絶えなコブラ国王らしき気と──ルフィの気配がする。
アルバーナの地下からの荒々しすぎる気の衝突に、何が起こっているかはっきりと分かった。
ルフィがクロコダイルと闘っているのだ。
(ガープさんからの指導があるとはいえ、ルフィは覇気の存在を知らなかった。そんな彼があいつに単独で勝てるとは思えない)
クロコダイルと初めて会った時のことを思い出す。
マリンフォードの海軍本部にて、七武海会議の帰りらしきクロコダイルとたまたま鉢合わせてしまった。
『お前があのガープの孫娘か。その小賢しそうな面と言い、英雄殿とは似ても似つかない』
ちょうど虫の居所が悪かった時に会ったのが悪かった。
笑って場を流そうとすれば、それすらも「薄気味悪い」と言われてしまう。
クロコダイルは覇気使いではないけれど、あの人の底知れない威圧感とけぶるような血の匂いがとても恐ろしかったのを覚えている。
ルフィがクロコダイルを倒すだなんて、そんな予感めいたものを感じたが、やはり無理だろう。ルフィが奴に太刀打ちできるとは思えない。
───しかしその瞬間、暴風雨のような荒々しい覇気が体を貫いた。
アルバーナの地下から、いやおそらくルフィから放たれただろう覇気に思わず足が止まる。
圧倒的な覇王色の覇気。
幼い頃にシャンクスさんの覇気によって気絶したことを思い出す。その時の覇気と全く同じであった。
次の瞬間、クロコダイルの気配が一瞬にして遠くなる。
「まさか………」
どちらが勝ったのか、本能的に分かってしまった。
ルフィだ。ルフィが勝ってしまった。
やがて空から雨が降り始める。
針みたいな細い雨が優しく降り注ぎ、アルバーナの町の喧騒を洗い流すようだった。
そして、目の前からルフィを背負った男が現れる。
クロコダイルに誘拐されていたはずのコブラ国王だ。
「……………モンキー・D・アン大佐か」
「はい。クロコダイルとニコ・ロビンは?」
「ニコ・ロビンは消えたよ。それからクロコダイルは………彼が倒してくれた」
砂埃や血で汚れた国王が、気絶しているルフィに笑みを浮かべ穏やかに話す。
そんな彼に私は自然と口が動いていた。
「───申し訳ありません。七武海のクロコダイルをここまで野放しにし、この国を追い詰めてしまったこと。何と謝罪すれば良いか………」
政府から正式な謝罪や賠償が来るかは分からない。ここで私個人が謝罪しても意味はなく、余計話がこじれてしまうかもしれない。
けれどけじめとして、そう言わざるを得なかった。
「……………君はクロコダイルの目的を見破り、我々に教えてくれたろう。責めるような真似はせん」
するとその時、複数の気配がこちらに向かって来るのが分かった。
振り返れば、そこには麦わらの一味達が集まっていた。
皆姿はぼろぼろで、ウソップ君なんて包帯でぐるぐる巻きにされている。
「彼らは?」
「麦わらの一味です。………貴方の背に背負われているルフィの仲間で、ビビ王女をここまで送り届けてくれました」
そう返せば、コブラ国王は深く息を吐き私に言う。
「アン大佐、私から頼む。どうか今だけは、そこにいる海賊達を見逃してくれないか」
それに頷くしかない。
まだまだ雨は降り注ぐ。
アラバスタの動乱が終わったのだ。
◇
『───思ったよりもうまくやったじゃないか。ちょっとばかしきな臭いとは思っていたが、クロコダイルが国盗りとはね。お前が無事で良かったよ』
数日後、アルバーナに構えている海軍の拠点にて。
一先ず上司であるおつるさんに連絡したところ、彼女はころころと笑いながら言った。
それに「何もできなかった」と首を振る。
私達海兵がやったことは、ルフィ達麦わらの一味のやったことに比べて随分と些細なものだ。
私は本当に、何もできなかったのだから。
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あれからクロコダイルは海軍によって捕縛され、国盗りに協力したオフィサーエージェントやバロックワークスの社員達も彼とともに、インペルダウンへ収監されることが決まった。
そしてアラバスタ王国は、現在復興に向けて動いている。
宮前広間への砲撃は無事止められ、また別に仕掛けられていた時限式爆弾の砲弾は、ペルというハヤブサの姿に変えられる者によって広大な砂漠の上空へ移動されたらしい。
国王軍と反乱軍、それから海兵達による捜索で早々と見つけられた砲弾は、時間が充分あったことにより被害の届かない場所へ移されたのだ。
それから国王軍と反乱軍の衝突もなく、市民の避難もあらかじめしていたため負傷者は限りなく抑えられた。クロコダイルに襲われた宮殿の海兵も運良く生きている。
この世界の人達は殊更丈夫であり、ちょっとやそっとのことじゃ死なないけれど………こうして被害が抑えられたことに安堵する。
『それからクロコダイルの討伐の件だが、アンの部隊とスモーカーの部隊により討伐されたということになったよ』
「え、それはちょっと。私達が討伐したわけではありませんが………そうしないと海軍の面目は丸潰れなのは分かりますけど。スモーカー大佐は何と?」
『言わずも分かるだろう。あの子がお前みたいに素直に頷くわけないじゃないか』
「な、なるほど………」
おつるさんが通信の向こうでにんまりと笑っている気がした。彼女はスモーカー大佐やたしぎ曹長みたいな真っ直ぐで不器用な人達を殊更気に入る節がある。
おつるさんも上層部の人間とはいえ、簡単に政府の言いなりにならない彼らの気高さは面倒くさくもあり、心地良いのかもしれない。
『アン、代表としてアラバスタ王国の交渉を任すよ』
「口裏を合わせないといけませんからね。あとクロコダイルを野放しにしていた責任をどうするか。…………上層部の意向はありますか?」
『政府としてはアラバスタ王国に謝罪はしないそうだ。政府の目の届かぬところで、クロコダイルが勝手に行ったことだからね。こちらとしては、責任も何もないという姿勢を貫くわけさ』
「それは何ともまあ………」
『代わりに世界政府による復興予算の確保と世界会議での多少優遇を保証する。これでどうにか丸く収めておくれ』
後に、正式に政府からアラバスタ王国に伝達されるとして。この私がコブラ国王に交渉して良い話なのだろうか。
「やっぱりスモーカー大佐に任せてみては………」
『あの子に出来ると思うかい?』
「むしろスモーカー大佐がやった方がうまくいくと思いますよ。こんな訳の分からない小娘よりも良いでしょう」
そう返せば、おつるさんに「馬鹿おっしゃい」と一蹴にされる。いや、割と本気なんだけどな………。
その時、部屋の扉がノックされる。
部屋に入って来たのは、コーヒーカップを持ったイスカ少尉だった。お茶を淹れてくれたのだろう。
すると電伝虫の通信越しで、おつるさんが呆れたように言い放つ。
『…………アン、礼を言うよ。お前は自分で思っているよりもよくやってくれた』
「私ではなく部隊の皆が良い仕事をしただけですよ」
『ふふ、そうかい』
おつるさんの顔をした電伝虫が優しい笑みを浮かべていた。