道化のバギーが強奪した──もといインペルダウンの囚人達が手に入れた映像電伝虫は赤犬のマグマの熱によって解凍され、ルフィの覇気によって意識を取り戻す。
そして白髭の首を取る勇姿を映そうとバギーは思ったが、天災が如き白髭とガープの戦いに近寄ることはできず──彼らの衝撃波によってバラバラになった身体ごと映像電伝虫は戦場のどこかに飛ばされてしまった。
電伝虫がむくりと起き上がる。
瓦礫の間に落ちてしまったが、その隙間から外の様子を見ることができた。
その先にはポートガス・D・エースとモンキー・D・アンの姿があった。
そしてその映像を電伝虫越しに世界中の人間が見つめる。
これまで海兵のアンによって助けられたことのある者達は彼女の行く末を案じ、ドーン島の故郷の者達は見ていられないと目を背ける。
一部のマスメディアは政府に利用される程のアンの出自と聞いて考察し、エースとの関係を疑った。
───シャボンディ諸島の中継を見る、とある一人の少女が隣に佇む母親に向かって口を開く。
「アン大佐、どうしたのかな?」
その少女はかつてアンに助けられたことがあった。
人攫いである海賊に攫われかけた少女は、巡回中のアンに救助されたのだ。
そんな少女の瞳を母親は優しく手のひらで覆う。もしかしたら、海兵であるアンが海賊と手を組むかもしれないから。
海賊に襲われた経験をもつ娘を思い、母親は「帰りましょうか」と誤魔化した。
世界中の人間がアンの言葉を固唾を呑んで待ち望む。
そして、彼女はゆっくりと口を開いた。
◇
───アン、俺と今この場で逃げねえか。
エースにそう言われた直後、私は海軍での日々を思い出していた。
いつまで経っても馴染めない海兵暮らし。
出自のため監視され、いつ殺されないかと怯える日々。
そして英雄ガープの孫であるために受ける揶揄。
訓練は辛くてきついことばかりで、死ぬまでこれが続くのかと嫌になったこともあった。
けれど思い出してしまう。
任務を通して多くの海賊達を討伐し、その中でこれまで助けてきた市井の人達の顔がゆっくりと過ぎる。
そしてふと、何故かシャボンディ諸島で出会った老人との会話が蘇った。
『すごく大変だし死ぬかもしれないと思ったことはたくさんあるけれど、市民の命を救えるとやっぱり海兵になって良かったって思えるんです』
私は確かにああ言った。
あの時の言葉は決して嘘ではない。
それを思い出した瞬間、ルフィやエースの言う自由や私を囲う様々なしがらみ。そして世界政府に利用されているだろう事実なんて、とても小さなものに思えてしまった。
・
・
・
「……………ありがとう。でも、ごめん」
「は?」
「私はやっぱり逃げないよ。それに貴方を処刑する役目からも逃げない」
「な、」
素直に謝り、そしてそのままエースに向かって剣を振るう。しかしそれは届かなかった。
脚を武装色の覇気で纏ったルフィが一瞬の内に距離を詰め、私の振り下ろした処刑剣を蹴り飛ばしたからだ。
ルフィがそのままエースを奪還しようとするのを察知し、咄嗟に弟を抱えて距離を取る。
今ここでエースを処刑しようとしても邪魔されるだろう。
とりあえずエースを地面にべしゃりと落とし、腰にさしていた愛刀を構えた。
すると彼は信じられないような顔をして叫ぶ。
「アン!何でエースと逃げない!?お前はエースを殺したくねえんだろ!?」
ルフィは理解ができないのだろう。
エースを殺したくないはずなのに、自らの意思で処刑を遂行しようとする私のことを。
それに、おそらくエースも理解できていない。彼の顔を見れば、地面に落ちたまま呆然と私を見つめていた。
今まではあやふやな気持ちに蓋をし、無理矢理エースを殺そうとして心が悲鳴を上げていた。
けれどもう、今は違う。
「…………ルフィの言う通り、私には本当は覚悟なんて出来ていなかった」
「なら、どうして!?」
「もし今ここで私が任務から逃げたら、市井の人達はどう思うかな」
そう言えば怪訝そうに眉をよせる。
そして「自分がどうしたいかで決めろよ」と言った。それに思わず苦笑してしまう。
そうだね。
ルフィなら、自分が何をしたいかで真っ直ぐ決められるよね。
一見それは彼の我儘とされるけれど、そんなことはない。
多くの人々はルフィの意思によって救われる。アラバスタでクロコダイルを倒した時のように、彼の真っ直ぐな願いは大多数を救うから。
でも私は、きっとそうなれない。
それに……───
「私には、やっぱりそれはできない。自分のしたいことを優先して
「責任?」
「───ルフィは知ってる?海賊によって虐げられてきた人達を」
そしてゆっくりと続ける。
「村や国を滅ぼされた人達を。男は殺されて、女子供は慰み者にされて、傷付いたり、尊厳を踏み躙られてきた人達のことを」
これまで請け負ってきた任務の中で、様々な市民と出会ってきた。それらの出会いが脳裏を過ぎる。
私が過去に討伐した小鬼海賊団のゴラムは小さな島を一つ滅ぼし、島民達を奴隷にしていた。時に商品として輸出し、気に入った者や使えると判断した者を自身の船で弄んだ。
グランドラインの長閑なガウェス王国では悪食海賊団が占拠し、国家を蹂躙し、年若い姫に乱暴しようとした。
ルフィだって知っているはずだ。先のアラバスタ王国でクロコダイルが国家転覆を目論み、恣意的に内乱を起こし、多くの血が流れたのだから。
それらを思い出し、海兵として助け出した瞬間の───彼らの安堵しきった顔が忘れられない。
「今、世界のどこかで、海賊から虐げられている人達がいる。海兵である私が一個人の理由で海賊を見逃せば、海軍を信じてくれる人達の気持ちを裏切ることになる」
海軍が一枚岩でないことは分かっている。
イスカ少尉の故郷を焼いた中将や海賊と癒着して金品をせしめるような海兵がいることも知っている。天竜人の暴挙を黙認したり、非政府加盟国なんて区切りで弱者を守らない腐った側面があることも知っている。
挙げればキリがない程、様々な権力と思想によって腐敗した正義があることも理解しているのだ。
けれど、それでも、海のどこかで海軍を信じてくれる人達がいるのなら、私の気持ちだけで
「『正義』という信条を背負って海兵をやっているのなら、私達はその人達の拠り所にならなくちゃいけない!」
「アン、お前………」
「そうしなければ、この世界で虐げられる人達は海兵を信じられず誰にも救いを求めなくなる。───そんな残酷なこと、起こって良いはずがない!!」
一度『海兵』として名乗ったら、その責任を持つべきだ。辛いけれど、私にはその事実を無視して自由にはなれない。
うまく生きていけなくて、心は疲弊してばかりだけど、もうしょうがない。
私はきっとこうでしか生きていられないんだろう。自然と苦笑してしまう。
そして愛刀に武装色の覇気を纏い、隙をついてエースの首に斬りかかった。しかしそれをやはり武装色を纏ったルフィに遮られたため、刀をそのままルフィに目掛けて振るう。
「危な………ッ!」
「武装色に見聞色。こんな短時間でよく身に付けられるね」
「………? これがアラバスタで言ってた覇気ってやつか!」
無意識で使っているのか。さすがルフィ。
けれどそう長くは使えないだろう。勘で使い熟せる程、覇気は万能ではない。きっとすぐにガス欠になる。
「麦わらに手を貸せ!!」
「今の内にエースを逃せ!!」
続々とやって来る海賊や革命軍を見聞色の覇気で探る。
目の前にはルフィが拳を振り上げている。
彼の右後ろから革命軍の一人が剣で襲い掛かろうとしている。左後ろからは狙撃手が弾を放ち、空からは不死鳥のマルコがエースを救出しようとする。
───全部見える。
彼らの動きが全て見え、次の動きがまるで予知するかのように分かってしまう。
狙撃手からの弾を避ける。
そのまま革命軍の男を斬りつけ、ルフィの腕を掴んで不死鳥のマルコに向かって投げ飛ばす。
武装色の覇気を纏ったルフィとマルコは衝突し、地面に落ちた。
キンと耳鳴りがする。全方位、まるで俯瞰して見えているようだった。
現に背後で海兵の姿をし、コソコソとエースに向かっていく眼鏡をかけた海賊が分かる。
剃で移動し、鳩尾を落とせばソイツは呆気なく伏した。
それでもやって来るルフィを剣でいなす。
動きに精彩がない。武装色の覇気も剥がれ落ち、無理矢理動かしていた身体はがたつき始めている。
そんな彼に周りに聞こえないくらいの小さな声で尋ねた。
「…………ルフィ、どうして私の出自について何も言わないの。言えば、貴方の有利になるよ」
「今それは関係あるのか!?お前が誰から生まれたかなんて俺はどうでも良い!」
その言葉に泣きそうになる。
そういえば、人からそう言ってもらうのは初めてだった。
「ルフィはすごいね。本当に。ありがとう」
心から彼に礼を言う。
するとセンゴクさんの怒号が飛んだ。
「モンキー・D・アン大佐に加勢しろ!!」
乱戦だ。
エースを逃そうとする海賊達と処刑の手助けをしようとする海兵達の戦いが、私達のすぐ側で行われる。
「小娘がァ!!させんぞ!!」
白髭の斬撃が来るのも分かった。
ガープさんとの戦いで死に体だろうに。
ビリビリと大気を揺らす振動とともに飛んでくる怪物の斬撃は地面を抉り、割った。そして海軍本部の建物までも崩壊していく。
それを跳躍で避け、宙を舞う瓦礫を渡ってエース目掛けて進む。
(エース、ごめんね)
せっかく逃げようと言ってくれたのに、ごめん。
「………───え?」
けれど次の瞬間、いつの間にか現れた巨大な気配に思わず固まる。
ほんの数分前まで無かったから油断していたものの、見聞色の覇気を研ぎ澄ませて気付いた複数のおぞましい気配に動揺する。
海軍本部の建物の裏に、何かいる。
気配は意図的に消されているけれど、確かに潜んでいる。
それを察知した時、白髭の斬撃によって海軍本部の一部が崩れゆく。
そこで目にした巨大な影に戦場は止まった。
本当の地獄は、ここからだった。