ガープさんから海兵になれと言われるたびに、エースは心底嫌そうな顔で拒否していた。
しかしそれも今だけだろう。
母を間接的に殺した公権力の一部になることを厭っていても、いずれ折り合いをつけ、ガープさんの親心を理解し、海兵になっていくのとばかり思っていたのだ。
だからエースが、まさか海賊になろうと思っているとは思いもしなかった。
憎むべき父親が海賊なのだ。
そんなものに憧れを持つだなんて、私には理解できない。
「……………エ、エースは、将来何になりたいの?」
とりあえず遠回しにそう聞いてみれば、エースは頭をがしがしとかいて意を決したように口を開いた。
「俺はいつか海に出る。海賊になって『名声』を得るんだ。どんなに否定されようとも俺が生きた証を刻みたい」
そんな彼の言葉に「そ、そっかあ……」と言うことしかできない。エースの言わんとすることは何となく理解した。
海賊である父親のことはさておき、彼がこの時代に名を残す手段として『海賊』になるという方法が一番達成可能な選択肢なのだろう。
確かにエースの性分からしてみれば、海兵という堅苦しい枠組みで生きるよりも自由に伸び伸びとやれる海賊の方が性に合っているかもしれない。
でも………
「エースは海賊よりも海軍の方が合っていると思うな」
そうしらばっくれてみせれば、エースは分かりやすく目を丸くする。
「エースはその歳の割に強いから、きっと海軍に入隊すればその強さで『名声』を得られるよ」
本来ならば、エースは海兵よりも海賊の方が性に合っているだろう。このコルボ山の生活ですらどこか窮屈そうなのだ。
自由で奔放で、それこそ赤髪海賊団のシャンクスさんのような海賊になり得る可能性が大きいと思う。
けれど、エースが海賊になり『名』まで上げてしまったら確実に政府は放っておかないはずだ。
そもそも私自身、身内が無法者になると言って黙って頷けるほどの度量はない。
(エースが海賊ルートに入ったら、絶対『大海賊時代』を終わらせるための舞台装置として処刑されるでしょ。七武海に入って政府に首輪繋げるんならまだしも………)
出生は秘匿されているものの、それがバレた時の結果は目に見えている。海兵として生きるなら有耶無耶になるだろうが海賊は駄目だ。確実に殺される。
するとエースはむすっとした表情でぼやいた。
「俺はあいつを越えたいんだ」
あいつというのは、私達の生物学上の父親のことだろう。
それにはあ、と大きな溜め息を吐きたいのを我慢し、エースに対して優しく諭した。
「あの人を超える手段はいくらでもあるよ。例えば………海軍に入って、この『大海賊時代』を終わらせるとかどうかな?あの人の始めた世界を、エースが終わらせるの」
出生がバレたとしても、亡父の悪道を断ち切った清廉潔白な二世として英雄視されるかもしれない。
ともかくエースは海兵になった方が人生は詰まないのだ。海兵になった後に、名声でも生きた証でもいくらでも考えれば良い。
その時ふと、エースが昔言っていた言葉を思い出した。
『───俺は生まれてきて良かったのか』
そのたびに「もちろん」と答えてきたけれど、私の言葉が彼にきちんと届いているという実感は全くなかった。
だけど、他の人ならどうだろう。
私の言葉ではなく、他の人の気持ちならエースも受け取ってくれるんじゃないだろうか。
「…………エース。ガープさんがどうして私達を海兵にさせたがっているか、分かる?」
ぽつりとそうこぼせば、エースは眉を顰める。
そして「あのジジイが海兵だからだろ」とぼやくエースに首を振った。
「エースと私が大事だからだよ。私達に生きててほしいって思っているから、ガープさんは私達を海兵にさせたがっているの。海兵になって強くなって『名声』を得れば、私達の親が誰であるかバレたとしても、おそらく殺されることはないから」
これは推測でしかないし、ガープさんが本当にそう思ってくれているかは分からない。
けれど海兵である彼は、海賊王の子供である私達を事実保護してくれたのだ。それくらい情が深いと見て間違ってはいないだろう。
するとエースから、ひしひしと動揺と焦燥の感情が伝わってくる。
エースはまだ10歳の子供だし、将来どうするかは分からない。ただ、海賊になるのだけはやめてほしい。
もう後一押しかなと思っていると、その瞬間エースは勢いよく立ち上がった。
感情の揺らぎがすごい。
しかし彼の中に固い意志も読み取れた。
「───お前の言っていることが、正しいとは分かる。だけど何か違う気がするんだ」
「………違う?」
「アン、お前は賢い奴だよ。でもお前の話す通りに生きてみても、きっとそれは自由じゃないんだ」
エース自身も気持ちを言語化出来ないのか、もどかしそうにしている。
けれどその瞬間、不意に理解してしまった。
───エースと私は、根本的に分かり合えない。
昔からずっと思い続けていたそれがまざまざと可視化される。
この世界で窮屈に生きるエースと、前世である程度自由に生き、窮屈ささえも逆に落ち着くよねと達観できるまで過ごした私とでは土台からして違う。
こんなこましゃくれた私の言葉はいかにエースにとってみれば空虚なものであろう。
すると彼も私とは分かり合えないと思ったようで、怒りでも悲しみでもない、子供らしからぬ諦めに近い思いが伝わってきた。
そしてエースはそのまま踵を返し、部屋から出て行ってしまった。
◇
「おい、起きろ。飯を持ってきてやったぞ」
エースとの話が終わった後、やって来たのはダダンさんだった。
エースへの説得は失敗に終わったのだ。そんなことを思いながらぐったりと横になる私に、ダダンさんが湯気の立つスープの皿を置いてくれる。
優しい………。
幼い頃から食い扶持は自分で用意し家事をするよう言われてきたが、たまにこうして世話を焼いてくれるのだ。
気まぐれでも何でも、今はその配慮が非常に有難かった。
「ありがとうございます」
「お前がくたばれば、ガープに何を言われるか分からんからな」
ダダンさんの相変わらずの憎まれ口に苦笑してしまう。
しかし見聞色の覇気でダダンさんの感情がぼんやりと読み取ると、呆れや面倒に思う気持ちとともに、私を心配してくれている気持ちも伝わってきた。
ダダンさんはあまり私に対して何か言うことがないため、距離を置かれているかと思ったが……少なからず情はあるみたいだ。それに少しばかり嬉しく思う。
そんな彼女にふと口を開いた。
「…………ダダンさんはエースが海賊になりたがっているのを知っていますか?」
「ああ」
し、知っていたのか。
ダダンさんの返答に自分だけが知らなかったのだと思い知る。
思わず溜め息を吐いていると、そんな私を見たダダンさんが言い放った。
「お前はエースに海賊になって欲しくねえのか。………いや、普通はそうだよな」
「はい」
「普通すぎる」
「はい?」
ダダンさんの言っている意味がよく分からない。
首を傾げていると、彼女は私をまじまじと見つめた。
「海賊王の子供として生まれ、山賊に育てられたにしては普通すぎる。───アン、お前は一体何なんだ」