落ちた剣が音を立てる。
鋭い爪に装甲が浅く裂かれる。速すぎて受け止めると言う選択肢が浮かばなかった。
後ろに跳ぶと同時に左腰のボタンを叩き、現れた薙刀を引き抜くと風と共に赤が青に染まっていく。
あの爪は厄介だ。だが届く範囲より外から攻撃すれば、勝機はある。
風を纏った突き。避けて近づこうとする怪物を横に薙いで牽制する。爪は薙刀の先で弾き、返す刃が怪物に傷をつける。
時間はかかるがこれなら。
そんな甘い考えは、すぐに否定された。
「何っ!?」
武器が強く引っ張られる。爪があったはずの腕からうねる触手が生え、いつの間にか薙刀に巻き付いていた。
動揺と同時に手の力が抜け、僅かな抵抗も虚しく武器が怪物の手に収まる。
距離を詰める突き。躱す。下からの刃。鎧をかすめる。目にも留まらぬ横薙ぎ。肩の鎧を切り落とす。
怪物はすぐ目の前にいて、薙刀を使って俺を抑え込もうとする。踏ん張るが勢いのまま押され、背中が欄干に当たる。怪物が体重をかけ、薙刀の柄が喉に食い込む。
苦しい。このままでは窒息する前に喉を潰される。息がかかる程近くにある怪物の赤い目が鈍く光る。
「っ、うう……」
少しだけで良い。
薙刀が少しずつ浮く。軋むのを無視して、腕に力を込め続ける。喉に触れなくなった瞬間に、頭を後ろに引いて前に突き出す。
不意の頭突きに怪物が怯み、拘束が解かれ自由になる。
「っはぁ……うぐ……」
目がチカチカする。微かな吐き気を酸素と共に飲み込む。身体が痺れて動けない。
だから反応できなかった。
視界の端で金色が迫ってくる。咄嗟に立つことしかできず、胴に強い衝撃が走る。
「うああああっ……!」
俺の身体は落ちていった。
水音の後の静けさ。
この河はそう深くはない。すぐに浮かんでくると思ったが何の音沙汰もない。
欄干を跳び越え着水する。
ほとんど明かりの無い濁った水の中であっても視界は良好と言える。だがそれでも姿は見当たらない。泳いで逃げたか、それとも流されたか。
いずれにせよ、だ。
「こちら葦原。対象をロストしました」
『仕方ないわ。今日はここまでにしましょう』
「了解です」
水に触れる感覚が分かる。
こんなに汚い都会の水であっても、あの液体の中よりはましに感じる。
手が徐々に熱を帯びる。冷たい水であっても癒せない。
ふらつく脚で、水をかき分ける。
夜道を一人で歩くのは危険だが、今はそれより怖い事がある。
街灯は無いが家々の窓から漏れる光が薄っすらと道を照らす。だからと言うか、そもそも何度も通った道なので迷いはしない。半ば自動的に足が動く。
『俺行かないと!』
翔一の言葉が木霊する。
行くってどこに。何のために。
聞きたい事なんていっぱいある。さっきも。ここ最近も。
翔一は誤魔化そうとしてるけど、嘘をつくのが苦手だから丸わかりだ。
絶対何か隠してる。でも聞けない。聞く勇気が無い。
多分あの事に関係していると思う。あんな事はもう嫌だ。翔一を関わらせちゃ駄目だ。
前に人影が見えた。
ふらつきながらゆっくりとこっちに来る。それは丁度私たちの住むアパートの前で止まった。微かな光が影を照らす。
「翔一……」
帰って来てくれた。
でも服がぼろぼろで、顔に擦り傷があるのも見える。
「可奈……さん……」
それだけ言って膝から崩れ落ちた翔一を見て、咄嗟に駆け出していた。
「翔一、翔一!しっかりして!翔一!」
揺さぶっても翔一は目を瞑ったまま。
このまま目を覚まさないのでは。そんな最悪の考えを遮る様に、何か硬い物が落ちる音がした。
足元に黒い何かが落ちている。暗くても何故かはっきりと見えるそれに意識が吸い寄せられる。光沢のある黒の、細長い妙な箱。
違う。箱じゃない。
ベルトだ。
こみ上げてくる吐き気を抑える。忘れるはずがない、もう思い出したくもない、あれが今ここにある。
「やっぱり、翔一が……」
隠したはずのあの妙な球体がなくなったのも知っていた。あの時は予感でしかなかったのに、まさか本当になるなんて。
なんで。なんで。
なんでこうなっちゃうの?
血飛沫なんて昼間から見るもんじゃない。
でもそう言う仕事をしているから仕方が無いのだが、それでもやっぱり気分は悪い。まるで人殺しの様な感覚だ。
倒れている怪物は決して人では無いのだが、人型なだけにそんな思考が頭をもたげる。
輸送車が停まった音がする。そしていくつもの足音。回収班がアンノウンの死骸を運んでいく。
G3が倒したアンノウンの死骸は回収され、解析班の手に渡って研究対象となる。一体どんな研究をしているのか。一度聞いてみたが僕たちにも機密なのだそうだ。
G3装着員達が各々のGトレーラーに戻っていく。
「氷川さん」
その中の一人が声をかけてきた。北條さんだ。
「聞きましたよ。新しいG3の開発に協力していると」
「ええ」
「完成した暁には、G3ユニットは更なる躍進を遂げる。貴方の英雄的行動で、より多くの命を救う事に繋がる。感謝しかありませんよ」
「英雄的、ですか」
「そうでしょう?貴方がアギトになると言う夢を諦めたおかげで、G3はより強く進化する。一人の犠牲が多くの市民を守るんです。これを英雄と言わずして何と言いますか」
ああ、成程。いつもの嫌味だ。
「僕は犠牲になったつもりはありません。小沢さんはアギトよりも優れたものを創ると約束してくれました。それを信じているだけです」
「確かに彼女は優秀です。ですがあのアギトを超えるとは、少し無謀ではありませんか?アギトが導入されてからその成果は目覚ましいものです。素直に技術提供を受けるよう打診してみてはいかがです?」
「そう思っていらっしゃるなら、北條さんもG3よりアギトになった方が良いんじゃないですか?」
確か彼も僕と同じく、アギトの適性試験を受けてはことごとく落ちていたはずだ。
「……失礼します」
足早に去って行く。仮面で表情は見えないが、おそらく怒りをこらえているのだろう。自分から突っかかって来たのにあの態度。北條さんらしいと言えばそうだが。
僕がアギトを目撃した2週間程後に、警察は正式にアギトを導入したと世間に公表した。実際アギトが現れてからアンノウン撃退数は例年より増加し、G3装着員の中にはアギトの存在をありがたがる者も増えた。
だがそれだけ。アギトは僕たちG3とは連携を取ろうとはせず、単独でアンノウンを殲滅している。僕たちが駆け付けた時には既にアギトが倒してしまった後なんて言うのはざらにある。そこでニアミスして、しかし何も話さない。本部も誰がアギトなのか等の情報を一切公表しない。アギトが現れてからも、謎は深まるばかりだった。
再び血だまりに目をやる。
アギトがアンノウンを倒した際は、爆発が起きて死骸どころか血の一滴すら残っていなかった。
もしアギトになれたなら、今みたいな気持ちにもならないのだろうか。
いや、違う。僕はアギトじゃない。アギトにはならない。
小沢さんを信じて、そして彼女の努力が無謀ではない事を証明するんだ。
そして胸を張って言うのだ。僕はG3だと。
そんな事を考えていた時、また無線からビープ音が聞こえた。
「じゃあバイバーイ」
「また明日ねー」
「うん、バイバイ」
いつもの交差点で別れ、一人になる。
今日の授業は楽だった。苦手な数学も体育もなかった。しかも社会の先生の面白い話を聞けるおまけ付きだ。
部活にも入っていない私は人より自由時間が長い。さてどうしようか。
本屋に立ち読みしに行くのも良いし、どこかでウインドウショッピングするのも良い。本当だったら友達と一緒に行きたいがあの二人は塾で勉強するらしい。まだ二年生の終わりだと言うのに、真面目な事だ。
「帰るかあ……」
別にやりたい事ないし、私も勉強しないといけないしなあ。
苦手な数学だって受験では必要になるしそもそも成績自体良いと言う訳でもない。折角なら良い大学に行きたいし、それなら勉強しないと。
ちょっと嫌だけど、頑張ってみるか。
建物の陰になった道を歩く。ふと、視線を感じて顔を上げる。
ヒトじゃない何かと目が合った。
真由美。
気が付くと廊下の壁にもたれかかっていた。いつも通りにラボに向かう。扉を開く手に力がこもってしまう。
モニターを見ていた所長が振り返る。
「相変わらずの感知能力ね。流石は——」
「御託は良い。さっさとベルトを寄越せ」
「あら、敬語はどうしたの?」
「冗談に付き合っている暇は無い」
「お願いするなら言い方ってものがあるでしょ?」
イライラさせる。だがここで言い合っていたら間に合わなくなる。
「……お願いします。出動の許可を」
「良いわ。葦原涼、すぐに向かいなさい」
言い終わるのを聞かずにベルトを掴み部屋を後にする。
反応があった位置は少し遠い。住み慣れた場所だから道は分かるが果たして間に合うか。
神でも悪魔でもなんでも良い。
頼むから無事であってくれ。真由美。
「あんなに切羽詰まってどうしたんだ……」
白衣を着た男の呟きを聞いた深海理沙はため息をつく。
「厄介なものね。親って言う生き物は」
アンノウンの位置を示す物とは別のモニターを睨みつける。
そこに映っているのは今にも襲われそうな監視対象……葦原真由美の姿だった。
翔一の寝顔は偶に険しい時がある。
苦しんでいるみたいで、何かしてあげたいけど、翔一はいつも何も言わない。それならせめてとうなされていたら起こすようにしている。
でも今は何も言わない。何も分からない。ずっと眠ったままで、いつまで経っても起きない。苦しんでいる様にも、安らいでいるのかすらも分からない、綺麗な寝顔。
やっぱりこれのせい、だよね。
手に持った機械を見る。冷たい黒い、見たくない。
きっとこれがあるせいで、翔一は不幸な目に遭う。
前は記憶を失った。昨日も傷ついて帰って来た。今度は何を盗られるの?
もう嫌、耐えられない。
何故か捨てられない。捨ててはいけないような気がしていたけど、そんなものは私の思い違いだ。これ以上、翔一から奪わせない。
だから立ち上がろうとした私の手に、別の手が重なった。
「それ、どうするつもりですか?」
翔一。
起きた。笑ってる。笑って私の事見てる。
「捨てるの。これ、要らないでしょ?」
振り払おうとした手が、強く引き留められる。
「要ります。それ、まだ要るんです」
「どうして?なんでこれが要るの?」
「それは……ちょっと言えないですけど、でも必要なんです」
「言ってくれないんだ……」
「……はい。言えません」
「言えないんだ……」
「はい」
手が私の手の中に入ろうとする。
「それ、返してくれませんか」
「どうして?」
「俺、行かなきゃいけないんで」
「どこに?何しに?」
「分からないし、言えません」
「それも言ってくれないんだ」
やっぱり何も言ってくれない。
「どうしても、行かないといけないの?」
「はい」
「どうして?」
翔一の目は、迷いなく私を真っ直ぐに射抜いた。
「俺が、そうしたいと思ったからです」
「……そうなんだ」
そんな事、言っちゃうんだ。
「今から?」
「はい」
「本当にどうしても?」
「はい」
「……分かった」
黒い箱は、私の手からするりと離れて行った。
体を起こした翔一がしかめっ面をする。体が動いて翔一を支える。
「痛い?」
「結構」
二人で一緒に立つ。ふらつきながらも、確実に。自然と目と目が合う。
「ねえ翔一」
「はい?」
「……ううん、やっぱりいい」
「え?気になるんですけど」
「……キスしようかと思ったけど、やっぱり帰って来てからにしよ」
あ、赤くなった。
「ほら、行くんでしょ」
「え、あ、はい」
背中を押して玄関まで追い立てる。ひっくり返して、肩に手を置く。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
戸惑っていた翔一の顔が、晴れやかなものになった。
「はい、行ってきます!」