仮面ライダーΑΓΗΤΩ(アギト)   作:赫牛

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葦原涼(1)

 俺は海にいる。

 

 眩しく煌めく水面。一粒一粒が輝く砂浜。一面に澄み切った青空。

 何もかもが美しい。

 

 だがそれら全ては、たった一つに到底及ぶことはない。

 

「お父さん」

 

 真由美(まゆみ)

 世界一大切な、俺の宝物。

 

 あんなに小さくて泣き虫だった君が、いつの間にかこんなに大きくなっているなんて。

 

 君だけは、何を犠牲にしても守る。

 

 俺の全てをかけて誓う。

 

 

 

 

 

 濁った視界の遠くに、僅かに明かりが見える。

 生温かい液体が俺の全身を覆い、俺の全身を侵略している。

 これに入るのは何度目だろう。

 もう分からないくらいにこの行為を繰り返してきた。

 俺の中の時間が巻き戻っていき、干からびていた体に力が戻っていくのを感じる。

 気持ち悪い。

 

「バイタルはどう?」

 

「正常値です。問題ないかと」

 

「排出して」

 

 くぐもった音が聞こえ、その後にけたたましいブザーが鳴り響く。

 液体が側面にある隙間に吸い出され、浮遊感が消えていく。

 目の前の蓋が上昇し、外気が箱の中に入り込む。

 フルフェイスマスクを取り、体を起こす。

 

「気分はどう?葦原涼(あしはらりょう)

 

 はっきりとした音声がスピーカー越しに語り掛けてくる。

 

「異常ありません、所長」

 

「良し、着替えて来なさい」

 

 言葉に従って箱から出て、更衣室に向かう。

 濡れた体をタオルで拭き、普通の警官のものではない制服に着替える。

 ここ何年もこれしか着ていない。自分がどんな服を着ていたかなんて忘れてしまった。

 着替え終わるといつも通り、所長が部屋の外で待っていた。

 

「腕出して」

 

 右手を差し出す。

 絡みつく様に所長の手が腕を掴み、ゆっくりと撫でまわす。

 

「筋肉の強度も元通りね。これならいつも通り楽しめそう」

 

 仕事の最中でなければ舌なめずりでもしていそうだ。

 

「今日もですか?」

 

「さあ。それは私の気分次第よ。勿論付き合ってくれるわよね?」

 

 拒否権など俺にはない。

 更衣室の隣の扉が開き、白衣を身につけた男が出て来た。

 

深海(ふかみ)所長、ベルトのシステムに不具合が発生しています。おそらく新装備を使用した影響かと」

 

「すぐ行くわ」

 

 所長が俺に向き直る。

 

「じゃあ自室で待機してなさい。仮眠でもしておく事ね」

 

「分かりました」

 

 所長は扉の中へと消えた。

 あの女からは解放された。しかしだからと言って自由が訪れる訳ではない。

 ふん、と鼻で笑う。

 そんな事を考えるなんて、まるで自分にはまだチャンスがあるみたいじゃないか。

 そんなものはとっくの昔に消え失せた。

 

 自室へ向かう途中で、開いている扉から話し声が漏れ聞こえて来た。

 

「さっきのが所長のお気に入りだ。あいつに対しても無礼な態度をとるなよ。でないと文字通り首がとぶ」

 

「こっわ。所長は兎も角あれにもですか?なんか納得いかないですよ」

 

 奴らが俺の事を話題にする時は大抵『あれ』か『あいつ』だ。

 

「要は所長の機嫌を損ねるなって事だ。まああいつも、この娘を脅しの道具にすれば告げ口もしないとは思うが」

 

 奥に見えるディスプレイには、隠し撮られたであろう、制服を着た女の子の写真が映し出されている。

 それを見るだけで体温が僅かに高まるのと同時に、心臓を掴まれた様な痛みが走った。

 

「この人、もしかしてあれの恋人とかですか?」

 

「違うんだなこれが。あれの娘なんだとよ」

 

「え?でも、あいつそんな歳には見えませんけど……」

 

「だからさっきも見ただろう?あの液体には細胞を再生させる効果があって、若返った様に見えるんだよ。あいつだって、本当は40代だと聞いたぞ」

 

「まじですか。俺も年取ったらあれに浸かりたいなあ」

 

「馬鹿言ってんじゃねえよ。お前に使える訳ねえだろ……」

 

 会話に興味がなくなった。

 歩き始めて5分程、自室に辿り着く。

 この施設もかなり広い。表の顔とどちらが本体なのか分からなくなるくらいに。

 ドアが自動で開き、殺風景な部屋が現れる。

 ベッドと時計、お情けのテレビだけが置かれている。3年前からずっとこうだ。最初は気が狂いそうだったが、もう慣れた。

 ベッドに横たわる。

 睡眠はとれる時にとっておかなければならない。いつ事案が発生するか分からないからだ。時には何日も眠れない日が続く事もあった。

 目を閉じる。生活のサイクルはぐちゃぐちゃだが、その気になればいつでも眠れるのは警察時代から変わらない。

 厳密には今も警官と言う扱いのはずだが、ここでの俺には人権すらないに等しい。

 こんな事を考えても仕方ない。

 俺は意識を仕舞った。

 

 

 

 

 

 耳元でアラームが鳴る。

 目を開けるとさっきと変わらない光景が広がっているが、時計を見る限り4時間程眠ったようだ。

 枕元のボタンを押して呼び出しに応える。

 

「はい。葦原です」

 

「私よ」

 

 所長だ。

 

「やっぱりしたくなっちゃった。部屋まで来て」

 

 やはりいつもの要件だ。

 

「……分かりました」

 

 この分かりましたも今までで何度言ったのだろうか。

 通信が切られるとすぐに部屋を出る。

 所長の部屋まではそう遠くない。

 扉をノックする。

 

「葦原です」

 

「入って」

 

 電子音が鳴りドアのロックが解除されて開く。

 俺のとは比べ物にならない程モノに溢れた、『普通』の女性の部屋だ。もうなくなりかけで部屋の隅に追いやられたアロマの香りが微かに漂っている。

 

「電気消して」

 

 スイッチを切る。部屋が暗くなるが、俺の目には部屋の全体がはっきりと見える。当然ベッドに腰掛けた所長の姿も。

 

「来なさい」

 

 所長の前に立つ。所長はシャツのボタンを外し、胸をはだけさせた。

 

「じゃあいつも通り、よろしく」

 

「一昨日もしましたが、本当に今日もするのですか?」

 

「いいじゃない別に。頻度なんて関係ないわ。だから今日も愛させて」

 

 愛させて、の意味は恋人としてではない。

 この女は自分の作品としての俺を愛している。

 だから俺を手元に置いておきたい。自分のモノであると言う確認をしたいのだ。

 それが分かっている分、俺の罪悪感も薄れる。

 俺はこいつを慰めるただの道具であると言い聞かせる事ができる。

 でないと何度もこんな事できない。

 それでもとうに心は死んでいるのだが。

 

「分かりました」

 

 そう。俺はただ命令に従ってさえいれば良い。

 どんな扱いを受けても、耐えて、耐えて、ただの人形になれば良い。

 そうする事で大事な人たちを守れるのだから。

 

 

 

 

 

 所長の欲望は行為だけでは満たされなかったらしい。

 そういう時は一緒に寝る様に命令される。

 この時間が一番嫌いだ。

 愛してもいない女と肌を重ねるだけでも苦しいのに、追い打ちをかけられている。

 気持ち悪い。あんな自室でも恋しくなる。シャワーを浴びてさっさと戻りたい。

 所長は眠ったようだ。

 抜け出してしまいたいが、朝まで隣にいないとその日は何をされるか分からない。自分のモノであるはずなのに言う事を聞かないのが気に食わないのだ。人形に徹すると決めているし、余計な波風を立てたくもない。

 代わりに脱ぎ捨てられた制服のポケットから手帳を取り出す。

 表紙を開き、カバーに挟まれた写真を見る。

 何の変哲もない家族写真。俺と、里沙(りさ)と、真由美が写ったそれは、暗闇の中で鮮明に光って見える。

 時間が4年前で止まっている。できる事なら、あの時に戻りたい。

 胸が締め付けられるが、これがあるから今まで耐えて来られた。

 これだけはどうあっても手放せない。手放すとしたら、俺が死ぬ時だ。

 あまり見すぎて所長に気付かれるのも良くない。前に一度取り上げられそうになった事がある。

 手帳を仕舞い、瞼を閉じる。

 こんな事、もう終わりにしてしまいたい。

 でも終わる事ができない。

 もう会えないのだから、早めに終わって欲しい。

 明日はいつ起こされるのだろうか。

 俺が手帳を手放す日は、いつやって来るのだろうか。

 

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