「ふふふふーん、ふっふふーん……」
円を描く箸の先で、黄と緑が躍る。
「ふふっふんふふふふふー……」
甲高い音と共にトースターが動きを止める。
ソーセージも良い具合に焼けている。
卵が固まりきる前に火を止めて、皿に盛りつけていく。
「おはよ……翔一……」
可奈さんが欠伸をしながら椅子に座る。今日は自分で起きてきてくれた。
「おはようございます。すぐ用意するんで、その間に顔洗ってきてください」
「はぁーい……」
小さい歩幅で洗面所に向かっていく。
冷蔵庫からバターを取り出して机に置き、ドリップバッグを外したカップも並べる。
「スクランブルエッグにブロッコリー入れたのね」
顔を洗ってきた可奈さんが改めて椅子に座る。
「はい。たまにはこう言うのも良いかなって」
「良い良い。てかこう言うの食べたい気分だった。いただきます」
スクランブルエッグを口に入れて咀嚼すると、頬が緩んだ。
「おいしー……やっぱ作ってもらうのって良いわー」
「口に合いました?あ、おかわりとか要ります?」
「良いよ良いよ、翔一も食べて。また今度同じの作って欲しいな」
「分かりました。じゃあ俺も……いただきます」
手を合わせて、同じようにスクランブルエッグを口に運ぶ。
バターの風味が口に広がって、滑らかな卵の旨味を引き立てている。
我ながら上手く出来たと思う。
「そう言えばさ、翔一」
「ん、何ですか?」
「最近いつの間にかいなくなってる事あるよね。どこ行ってるの?」
バターを塗る手が止まる。
何気ない質問の様に見えて、可奈さんの目は真っ直ぐに俺を見ている。
「それは……」
「それは?」
「……ちょっと散歩してて。ほら、新しい料理のアイディアをひらめいたりとか、何か思い出したりするかもしれないでしょ?」
「……ふーん、そうなんだ」
何事もなかった様に、可奈さんはパンにかぶりつく。
納得してくれたのかな。まあ納得してくれないと困る。
言える訳がない。
怪物と戦ってるなんて。
あの『機械』を手に入れてから、俺は何度か怪物と戦っている。
半ば無意識に体が動いて、気付けば奴らの目の前に立っている。
この一カ月程で、戦っている間の意識や記憶がかなり鮮明になってきた。拳の感触や身体に走る痛みも、ありありと思い出せる。
正直つらい。
記憶を取り戻せると言う直感があるとは言え、その前に死んでしまっては意味がない。
と言うか思い出した事も一切ない。これでは労働と対価のつり合いが取れていないではないか。
でも戦わないと。戦うべきだと俺自身が思っている。
記憶のためだけじゃない。何かもっと大きなもののために。
でもそれは一体何なのだろう。
なんて小難しい事を考えて腹が膨れる訳でもなし。
されど人間は飯を食わねば生きていけないので、買い物をする必要があるのだ。
さて、今日の夕飯は何にしようか。
昨日は
可奈さんは豆腐は苦手だけど、麻婆豆腐に入っている豆腐は好きらしいから、それにしようかな。
可奈さんが好物を食べている時の顔はたまらなく好きだ。今日も見れたら良いな。
確か冷蔵庫に残ってるもので材料になる物はない。と言うか、冷蔵庫は余りものの食材を残さないようにしてある。
何はともあれ取り敢えずスーパーまで行こうとバイクに跨った時に、肩を叩かれた。
振り返った先には。
「え……」
あの女の子が立っていた。
「どこ行くの?翔一くん」
「え、いや、えっと……」
「今日はバイトの日じゃないし……もしかして買い物?」
「そうだけど……何でバイトじゃないって知ってるの?」
「だって私、翔一くんの……すとーかー?うん、ストーカーだから」
「ええ……?」
何だこの娘。自分でストーカーだなんて。
「何でそんな事を……」
「何でって、翔一くんの事が好きだからに決まってるじゃん」
「それは……ありがとうございます?」
「ねえ、買い物行くんだったら付いて行って良い?デートしよデート」
え、怖い。
自称ストーカーとデートなんかしたら、何されるか分からない。
「デートって……あの、俺付き合ってる人いるんで、そう言うのはちょっと……」
「良いじゃんそんなの気にしなくて。本当に付き合ってたのも分かんないのにさ」
「……え?」
どういう事だ。
「もしかして、何か知ってるの?俺の過去の事」
「知ってるよ。翔一くんが忘れてる事」
忘れてる事。
この娘が俺にとって、どんな存在だったかも分からない。
本当にストーカーかもしれないし、そう言ってるだけで本当は親しかったのかもしれない。
どっちにしろ、彼女が俺の何かを知ってるのが事実なのだとしたら。
俺は聞かなければならない。
「分かった。付いて来て良いよ。だから俺の事聞かせて」
「ほんと?やった!」
さっきまでの薄っすらとしたものとは比べ物にならない、眩しい笑顔が咲いた。
「じゃあ行こっか。しゅっぱーつ!」
「あ、その前にさ、君、なんて名前なの?」
ふわりと振り返った少女の髪が風になびいて、柔らかな匂いが通り過ぎて行く。
目の前の少女は少し悲しそうな顔をして、また元の通りに笑ってみせた。
「私の名前は、マナ。よろしくね、翔一くん」
「私はずっと施設の中で暮らしてたんだ」
「そうなの?」
「うん。最近やっと外に出られるようになったんだ」
隣を歩くマナちゃんの声は弾んでいる。
「それで、その施設に翔一くんも来てて、そこで知り合ったって感じ」
「へぇ……」
施設と言うのは、病院か何かだろうか。
「マナちゃんは、病気だったりしたの?」
「……ううん、ちょっと体を定期的に調べないといけなくて、外に出ると悪影響があるって言われてた」
体が弱かった、と言う事か。確かにそれなら外に出れないのも納得できる。
と言うか病院なのだとしたら。
「俺、何か病気だったりしたの?」
「違うよ。翔一くんも体の検査をしてたんだって。それで外に出れない私に、色々お話してくれたんだ」
「そうだったんだ……」
実感はないけど、この娘がそう言うのなら事実なのだろう。
「翔一くんの話でますます外に出たくなっちゃってね、早く出られるようにいっぱい頑張ったの。翔一くんも外に出れるようになったらデートしてくれるって言ってた」
「え、俺そんな事言ったの?」
「うん。だから、今って夢が叶っちゃったって感じなの」
マナちゃんが何歳か分からないけど、年の離れた女の子にデートしようだなんて。
もしかして俺って……いやいや、そんな事はない。多分。
「あのさ、俺ってどんな奴だった?」
「うーん、今とあんまり変わらないよ?優しくて、かっこよくて、ちょっと可愛いの!」
「そ、そっかぁ……いやぁ、なんか照れるなあ……」
恋は盲目とは言うけれど、そんなに言われてしまったら思わずにやけてしまう。
正面からの視線を電車が遮ってくれたのはありがたかった。
「翔一くん、今日の晩御飯は何にするの?」
「え?麻婆豆腐だけど?」
「良いなあ……ねえ、私も食べに行っても良い?」
「え!?いやそれは……」
「えー、良いじゃないちょっとくらい。あ、あの人の事気にしてるんでしょ?」
「いやいや、可奈さんがいなくても、子どもを部屋に連れ込むのは……」
「あ、私の事子ども扱いしたでしょ?……まあまだ大人じゃないけどさ。良いじゃんそんな事気にしなくたって。私と翔一くんの仲だよ?」
「それでも体裁ってものがあってさ……」
「やだ!行きたい行きたい!」
「ええ……」
幼い子どもみたいな駄々のこね方だ。
結構大人びて見えるけど、一体何歳なんだろうか。
って、そんな事考えてる場合じゃなくて。
何とかしてなだめないと。
「ほらさ、もっと仲良くなってからにしよ?可奈さんだっていきなり来られたら困るだろうしさ。今度マナちゃんの事話しておくよ」
「何であの人の許可がいるの?翔一くんが全部忘れちゃったのはあの人のせいなのに」
え?
「それって、どういう事?」
マナちゃんが俯く。
「それはね……」
それはね、と言う音は半分も聞こえなかった。
微かな衝撃と同時に、全身に悪寒が走る。
鼓動が早くなる。
俺を呼んでいる。
「どうしたの?」
「ごめん、マナちゃん。俺行かなくちゃ!」
戸惑うマナちゃんを置いて、予感がする方に走り出した。
そいつの元に辿り着くまでに、それほど時間はかからなかった。
この街で一番大きなドームの近く。周りに人はいない。
甲殻が日の光を受けて、紫に妖しく輝く。
自分の足元に倒れている人を見て、満足気に笑っていた。
俺に気付いた怪物の頭から尾の様なものが伸び、鋭い針が俺に襲い掛かる。
咄嗟に手で払いのけ、懐に手を伸ばして機械を手に取る。
半ば無意識に、機械を腰に押し当て、叫ぶ。
「変身!」
腰のボタンを叩くと、機械から光が放たれ、俺の体が変わった。
右手を前に、敵との間合いを探りながら直感する。
あの針に刺されるのはまずい。それだけは何としても避けなければ。
怪物が動く。巨大な爪を振りかぶって、俺の意識を刈り取ろうとする。
「ふっ!」
その腕を抑え込み、左肘を胴体に打ち込む。
怪物がのけぞるが、追撃はできなかった。
左腕が痺れる。あいつの甲殻は硬い。攻撃するこちらもダメージを負う。
ならば。
腰の右側のボタンを叩く。
黄金の水晶から持ち手が飛び出し、それを引き抜く。
刀身が露わになった赤の剣から熱が伝わり、俺の身体を包む。
空間が揺らめき、胸と右手の装甲が赤に変わったのが視界の端に映った。
怪物の身体を剣で切り裂く。
しかし、怪物が爪を掲げると、剣は防がれた。
この剣でも駄目なのか。
距離を取り、間合いを保ったまま互いに隙を伺って走り、再び剣と爪を打ち付け合う。
徐々に押されて壁に押し付けられ、そのまま押し込まれる。剣と爪が、壁を
力比べでは不利だ。
「はっ!」
ターンして体勢を入れ替え、後ろに向かって跳躍し距離を取る。
単純な力では敵わないが、俺だけの力以外も加わったならどうだ。
一気にかたをつける。
強く念じると、剣の
腰を落とし、剣を左に構える。
怪物も爪を振り上げる。
走り出したのは同時。
縮まっていく距離に合わせて、鼓動が速くなっていく。
「はあっ!」
勢いをつけて跳躍し、剣を怪物の真上から振り下ろす。
俺の力だけでなく、落下による運動エネルギーも加わったなら。
「たああっ!」
果たして。
怪物の爪が半ばから切り落とされる。
片方だけ。
「うっ……ぬう……」
剣は両方の爪を切り裂くには至らず、渾身の一撃は受け止められてしまった。
押し込もうとするが、びくともしない。
怪物が笑ったような気がした。
その瞬間に、俺の首に尾が巻き付く。
振りほどこうとするが、息苦しさで力が抜けていく。
そして微かに、しかし致命的な鋭い痛みが首元に走る。
首筋が急速に冷えていくのを感じた。
怪物が爪を振り上げ、身体が宙に浮いた。
「かはっ……」
地面に叩き落された衝撃は、あまり感じなかった。
全身の感覚がない。寒い。力が入らない。
「翔一くん!」
ぼやける視界に、マナちゃんが走って来るのが映った。
駄目だ。こっちに来ちゃ。
「翔一くん!翔一くん!」
視界が揺れる。それも段々暗くなっていく。
逃げて、マナちゃん。
その言葉を口にできたのか分からないまま、俺は暗闇に落ちていった。