ロン・ベルク外伝   作:ソニカ

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少年バランは、ランカークス村で起きた騒動の落とし前をつけるために傭兵街アルトガへ単身向かう。そこで彼を待っていたのは…第11話アップです。

今回の話をもって第2章が終了となります。最後にあとがきがありますので、そちらも併せてお楽しみください。



【第11話】傭兵街アルトガ(2)

 

 

———もしあなたが夜道に迷ったならば、空に浮かぶ星が道標になります。まず天にひときわ大きく輝く銀色の星「メーヴァ」と、青白い「フィアーマン」の星を見つけなさい。そしてその二つの星を結んだ線を横切るように対角線上に浮かぶ、赤い「ブラハレット」、そして金色の「ラドック」。この2つの星を結び、【十字星】を作れば、すなわち東西南北を知ることができるでしょう———

 

 それは、バランが森での一人暮らしを始める前にシェーラから教わった「星導き」である。

 

 前方の闇を松明で照らしながら、少年は雪に覆われた荒野の中を南へと向かう。

 夜半にランカークス村の森小屋から歩き始めて、どれ程の時間が経っただろうか。道中にバランのマントを(しき)りにはためかせた北風は、不意に背後から強く煽ってきたと同時に、彼の手に持っていた松明の炎を吹き消した。それは、強風に打ち克つ力が松明に無かったというよりも、時間の経過と共に燃料の樹脂が尽きたことを示した。

 

 単なる棒切れとなった松明を大地に棄てた少年は、空に浮かぶ十字星が示す方角を目印に、闇の中をひたすら南へと歩き続けた。初めて赴く場所だが、シェーラが言っていた星の位置をたよりにすれば、必ず目的地であるアルトガに辿り着くはずだ。

 そうしてしばらく冷たい雪の絨毯を踏みしめるように足を進めていたバランは、ふと視界の先の地面に人の足跡による窪みが不規則に連なっているのを見つけた。

 

 集落の存在の気配を感じたバランがその跡をたどっていくと、次第に石垣の影が見えてきた。そこに集落の入口を示すような門は見当たらず———少年を出迎えたのは、葉をつけることを諦めて地を這うように無秩序に絡まりあっている低木の枝と、かつて要塞の砦として敵軍からの攻撃を防いでいたその役目を終え、なし崩し的に転がった瓦礫の群れだった。

 

 ふと、石柱に案内札がかけられているのを見たバランは、札の表面の雪を手で払い、そこに書かれている文字を見た。

 

<"快"こそ神が我らに与えし人生の真意である———ここは地上の歓楽宮>

 

 アルトガは【堕ちた戦士の溜まり場】だ、と以前にジャンクが教えてくれたことがある。バランが入口から一歩中へ足を踏み入れていくと、燻した紫煙と酔いどれ達の酒気が敷地の奥の方から漂ってきた。初めて訪れるアルトガは、バランにとってとても街とは言えない荒んだ土地だった。景観はまるで整えらえておらず、むしろベンガーナで最も貧しいといわれるランカークスより荒廃した印象を受ける。

 村人たちによって整備された居住地の区画もなければ、商店も、水車も、交流のための広場も、日時計も、花壇すらもない。そこに自治制は感じられず、すべてが退廃的だ。

 

 こんな街とは到底呼べないような土地で、頭領は一体どこにいるのか——————

 

 バランが辺りを見回していると、目の前の建物から一人の男がふらふらとした足取りで出てきた。ここの住人のようだが、どうも酒にひどく酔っており、意識も覚束ないままに(かわや)を兼ねた小川へ向かおうとしている様子であった。

 男はバランの姿に気がつくと、虚ろな表情で少年の全身を舐め回すように見た。まだ賭け事や買春に走るような年齢にも見えなければ、この街に金を落としてくれそうな裕福な身分でもなさそうだが………

 

「なんだ坊や、恍草を買いに来たか、それとも女を抱きに来たのか」

 

 男は怪訝な顔で少年に言った。【恍草】とは、幻覚作用をもつ植物を指す一種の隠語である。

 

「聞きたいことがある———頭領の住んでいる家はどこだ」

 

 バランが尋ねると、男は目を見開いて素頓狂な声を上げた。

 

「頭領に用事だと?…坊や、何しに来たのか知らんが、この街は金を持たない貧乏人には用はねえよ。さっさと帰んな」

 

 それを聞いたバランは、自分より二回り以上は体格の大きい男の胸倉を片手で掴むと、赤子を捻るような容易 (たやす)さでそのまま軽々と持ち上げた。

 

「…その【金】をお前たちの頭領に渡すためにここへ来た。どこの建物にいるんだ、言え。さもないと———」

 

 少年の肉体に鬼神が乗り移ったかのような眼差しと異常なまでの殺気に、男はいまだかつて経験したことのない恐怖感に駆られた。そして思わず震える手で東の方角を指した。

 それを確認したバランが男の胸倉を掴んでいた手をぱっと離すと、男は足を滑らせて地面に尻をつき、腰を抜かして失禁してしまった。バランは男には目もくれず、その場から少し離れた東の方角に赤と黄色の旗が強風にはためく様を見た。あそこが拠点か。頭領の居場所の位置を確認した少年は、そこへ向けて歩くことにした。

 

 手荒なことはしたくないが、夜明けまであまり時間もない。最悪の場合、瞬間移動魔法 【ルーラ】でランカークスの森小屋まで帰れば良いが、シェーラの至誠石が彼らの手によってベンガーナ城下町の市場に売り飛ばされる前に、一刻も早く取り戻さなければ———

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、バランは旗が夜風に靡いている建物のもとに辿り着いた。敷地内に入ると、扉の隙間から明かりが漏れていた。そっと内側を覗くと、その中でデルトンが遊女を脇にはべらせながら、部下と絵札の賭け事に興じている最中であるのが見えた。

 快楽に耽りながらも深夜の訪問者の気配にふと気づいたアルトガの頭領は、部下に命じて扉を開かせた。すると、この傭兵街の住人にしてはやや小柄で、若干の幼さが残る少年がそこに立っていた。デルトンはその顔に見覚えがあった。

 

「誰かと思えば———昼間ランカークス村で見た小僧じゃねえか。どうした、俺の子分になりに来たのか」

 

「昼間の約束通り、500万ゴールドを———いや、それ以上の価値のものを持ってきた」

 

 遊女の腰に腕を回しつつ、もう片方の手で自らの手持ちの絵札を眺めていたデルトンであったが、少年が返してきた言葉に眉を上げた。

 傭兵たちの命を奪った弔意金として500万ゴールドを持ってくる。自分が提示したその条件を、少年は受け入れると言っていたような記憶があるが、まさか——————

 

 相手が富をもたらしてくれる可能性が少しでもあるならば、交渉の場をいつでも用意する。そんな現金な人物像を示すかのように、デルトンは娯楽を一時中断して遊女をその場から退室させると、少し表情を改めて座り直した。

 

 少年は右腰に下げた革袋を外し、頭領の前に差し出した。受け取ったデルトンが脇卓に革袋を置いて紐を解き、袋口を広げると———硝子よりも透明度が高く、切子細工(ファセットカット)がされていないにもかかわらず、宝玉のような散乱光を放つ楕円形の水晶が姿を現した。

 デルトンが手に取ると、それは人間の拳ほどの大きさで、鉱石とは似て非なる不思議な硬度と弾力性をもち、どこか有機物を思わせる生気のようなものも感じられる物体だった。これは一体何だ——————

 

 少年は口を開いた。

 

巨人族(ギガンテス)の瞳から採取した水晶体だ。ベンガーナ市場で売れば、おそらく1000万ゴールド以上の値がつくだろう。これと引き換えに、昼間にシェーラが渡した青い石を返して欲しい。それからもうひとつ、ランカークス村に二度と現れないと約束してくれ」

 

 それまで見たことのないような珍品の輝きを前に、デルトンは目を見張った。大抵の貴金属や鉱石に詳しいつもりでいたが、ここまで光の散乱強度が高い物体というものを、彼はいまだかつて見たことがなかった。

 デルトンは驚きとともに、眉をひそめて少年の目を睨んだ。

 

「…小僧、どうやってこれを手に入れた?」

 

「以前、カール王国の郊外にある【破邪の洞窟】に入ったときに、巨人族(ギガンテス)を倒した。これは、そのときに手に入れたものだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その出来事は10年前に遡る———

 まだ5歳だったバランは、神官として独り立ちしたばかりのシェーラに連れられて、カール王国に一年ほど滞在したことがあった。シェーラがカール王国の郊外で隠遁生活をする高明な学者・ジニュアール家の屋敷へ赴き、住み込みで弟子入りすることを志願したためだ。

 

その際にジニュアール一世が彼女に対し提示した弟子の受け入れ条件は、「破邪の洞窟の地下にある破邪魔法【マホカトール】を習得して戻って来ること」———それは、己の知識を授けるのにふさわしい力量の人物かどうかを見定めるための、ジニュアールが志願者に対して課した試験だった。

 

 しかしながら、シェーラとバラン———年若い女性と幼い子供を危険な洞窟へ向かわせることに良心の呵責を覚えたジニュアールは、二人の用心棒を彼女に伴わせることにした。一人は、彼の知己であり、常日頃から剣技の腕試しをしたがっていたカール王国騎士団長・コバルトを、そしてもう一人はジニュアールの孫であり、洞窟探検を遠足か何かと勘違いしているかのような天真爛漫な性格の4歳の男児———を選んだ。

 

 そうしてシェーラは、バラン、用心棒の騎士団長、そして学者の孫を連れる形で、「若い男女と子供2人」という傍目にはまるで危機感の感じられない組み合わせ(パーティ)で入窟したのだった。

 騎士団長コバルトは当初、小さな子供二人を危険な洞窟に同伴することに対し懸念があったものの、幼いながらもバランは大人の戦士顔負けの攻撃を見せ、そしてジニュアールの孫も覚えたての魔法や、野山の魔物から採取した目眩まし作用のある鱗粉、祖父の開発した不思議な飛び道具を駆使して、襲ってくる魔物たちに応戦した。一人の騎士と二人の幼い勇者の援助を受けつつ、結果としてシェーラは無事にマホカトールを習得し、ジニュアール一世に弟子入りすることができた。

 

 当時はまだ大人用の武器を握れるほどの手の大きさもなかったバランであったが、破邪の洞窟においてはその常人離れした身体能力によって、シェーラを背後から襲おうとした巨人族(ギガンテス)を小型ナイフ一本で倒した。

 その健闘ぶりに感嘆したコバルトは、生まれて初めて大きな魔物を倒した記念にとっておけと、絶命したばかりの巨人族(ギガンテス)の瞳の水晶体を採取してバランに与えたのだった——————

 

 

 最も神に近いといわれる魔物である巨人族(ギガンテス)を倒せる力量の冒険者はなかなかおらず、その水晶体はベンガーナ市場にも50年に一度出るかどうかという珍品である。大変な稀少価値をもち、過去には1000万ゴールド以上で取引されることもあった。

 

「…破邪の洞窟に行っただと?あそこには世界各国の冒険者ギルドの手練れの連中が今まで大勢挑んでいるが、生きて帰ったやつを今まで見たことがない。出まかせを言うのも大概にしろ」

 

「出まかせじゃない、本当だ」

 

 少年の言葉に、デルトンは目を細めてバランを睨んだ。

 口述の内容については疑わしいこと甚だしい。しかし、昼間に村で見た時から感じていたが、この少年から漂う【気】は只者ではない———少し考えたのち、デルトンは立ち上がった。

 

「わかった。表へ出ろ、小僧。本当にそれだけの実力があるのか俺が確かめてやる」

 

 

 部下に命じて自らの愛剣を持ってこさせると、デルトンはバランを屋外へ出るように促した。部下たちによって、集落の広場の両脇に篝火(かがりび)が焚かれると、その中央にデルトンは立った。

 軽く準備運動をするように、彼は大剣を素振った。剣というより殴打具のような武骨な意匠のそれは、刃渡りが彼の身長と同程度あり、相手に与える威圧感も充分過ぎるものだった。実際に戦場においても「斬りつける」よりも「粉砕」の道具としての役割を大いに果たしていたであろうことが伺えた。

 

 デルトンの部下が、少年に対し長剣を差し出した。

 

「元ベンガーナ戦士団長の頭領が一対一で相手をしてくださるとさ、大した小僧だ。お前も武器を取れ」

 

 バランは、自分に手渡された長剣の柄に手をかけ、鞘から刃をすらりと抜いた。

 

 バランが練習用の模擬剣でない本物の「真剣」を持つのは、人生で二度目であった。研ぎ澄まされた鋼の両刃が篝火に照らされると、燃え盛る炎の姿をその身に映した。

 その瞬間、彼は胸の内側から【何か】が(ほとばし)るのを感じた。心臓を脈打つ音が激しくなり、全身が燃えるように高揚して急速に熱を帯びていく。そう、この感覚は、以前にもあった………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シェーラのジニュアール屋敷での修行が終わり、二人がランカークス村に戻ってきて数年経った頃———幼児だったバランは成長期へと移行した。急激に背丈が伸び、手足には均整のとれた筋肉がつき始めたことで、村では成人した男たちが苦戦するほどの力仕事を任されるほどになっていた。

それを見たシェーラは、大陸の至るところから名高い武人を森小屋へ招くようになった。竜の騎士としての資質が発芽しつつあるバランに剣の稽古をつけさせる目的であったのだが、通常の人間が【伝説の騎士】の卵に敵うはずもなく、武人たちはバランに指導するどころか、その尋常でない怪力に完敗させられる結果となっていった。

 そうして31人目の師範候補が脱落していった後、かつて破邪の洞窟で共に戦ったカール王国のコバルトが、直々にバランの住む森小屋までやってきた。地上最強と謳われるカール騎士団の長を務めるだけあって、彼は柔よく剛を制すがごとく、バランの攻撃を受け流すことができた。

 その様子を観察したシェーラは、やっと安心して剣術の師を任せられる人物が見つかった、と胸の内に希望を抱いた。カール修行時代に破邪の洞窟で用心棒として自分に協力してくれた戦友であり、そして彼女にとってそれ以上の特別な存在である男性との再会は、シェーラの胸の内にある淡い想いをひそかに満たすものでもあったのだ…………

 

 練習用の木製の剣による手合わせが終わった後、コバルトは本物の剣をバランに持たせた。お前はなかなか筋がいい、真剣で少し打ち合ってみよう。彼はそう言って、予備として持ってきていた鋼の剣を少年に手渡したのだ。

 

 そしてバランが鞘から抜いて剣の柄を両手で握った瞬間、今までに経験したことのない高揚感が彼を襲った———炎によって全身が包まれるような感覚にも似ており、まるで彼の体内に一匹の巨大な「竜」が宿ったかのようだった。そして脳裏には、走馬灯のようにバランの知らない戦いの記憶が次々に蘇ってくる。

 

 これは一体いつの記憶だろう。自分が生まれるよりもっと前………何十年前から、いや数百年、数千年前から、おそらく自分は【戦う】という経験を知っていた………………

 

 バランはその不思議な感覚のままコバルトと打ち合うことになった。そして気がついたときには、コバルトは左肩から右腰にかけて大きく斬られ、血まみれになった姿でバランの前に倒れこんでいた。

 

 その頃、修練に励む騎士たちのために小屋の中で休憩用の焼き菓子と野草茶を用意していたシェーラが、表に出てその事態を発見するや———彼女は顔面蒼白になってコバルトのもとへ駆け寄った。シェーラが施した完全回復魔法【ベホマ】によって、コバルトは一命をとりとめ、元の姿を取り戻したのだが———このときほど、彼女が激しく動揺した様というのを、バランは見たことがなかった。

 そして、そのときに少年は理解した。自分は、彼女が想いを寄せている相手をあやうく殺めるところだったのだと………

 

 シェーラの魔法によって無事に斬傷が完治したコバルトは、怪我を負わせたことについて怒ることなく、むしろ褒め称えるように「お前は将来有望だから、あと数年したらカール騎士団へ来い」と笑顔で少年に別れを告げた。

 

 師範となることを断念してランカークスを去っていくコバルトの姿をシェーラと共に見送った後、バランは覚悟を決めていた。故意ではないとはいえ、シェーラにとって大切な男性に大怪我を負わせたのだ。きっと彼女に厳しく咎められるに違いない———しかしシェーラは夜空に浮かぶ正円の月を眺めながら、バランの肩に手を置いてこう言った。

 

「満月の日というのは、生き物の気が最も昂り、興奮する刻なのです。今日は剣の稽古には向かない1日だということを私も忘れていました。今夜は瞑想をして心を落ち着かせ、穏やかに過ごしましょう」

 

 優しい笑みとともにかけられたその言葉に、思わず涙が少年の頬を伝った。コバルトに重傷を負わせるという大失態を犯した件について責めないばかりか、その過失に触れようともしない。そんな彼女の心中を思うと———胸が苦しくなると同時に、彼は自分自身が情けなかった。自分はこの未熟さゆえに、育ての親である彼女に迷惑をかけることしかできないのか………シェーラが宮廷宿舎に戻って行ったあと、バランは小屋の暖炉の前で毛布にくるまって座り込み、薪をはらんで静かに燃え続ける炎を見つめながら、一晩中悔し泣きをした。

 

 それ以来、シェーラは剣術の師範役としての武人を森小屋に連れてくることはなくなった。地上最強といわれる騎士でも自分に稽古づけることが不可能とあっては、それ以上の腕前をもつ人物を見つけるなどできなかったのだろう、とバランは誰に言われるでもなく理解した。

 そしてバラン自身も、その事件以降、剣の稽古のことは忘れ、ランカークスの村仕事にそれまで以上に精を出す様になった。

 

 あれから数年が経ち、今こうして、あのときと同じように自分は【真剣】を手にして相手と対峙している。しかも、今日も満月だ。普段よりも、生き物の気が昂りやすいとシェーラが言っていた月齢の夜———

 バランは、あの日と同じように自分の意識が暴走することを怖れながら、デルトンと向き合った。慎重にならなければ、という気持ちが逆に怖気づいたように思われたのか、デルトンは煽りの言葉を突き刺してきた。

 

「どうした小僧。かかってこないならこっちから行くぞ!」

 

 デルトンが大剣を振りかぶると、夜気が大きく呻りを上げた。荒々しい殺気とともに襲いかかる刃に対し、バランは反射的に剣を両手で構えて受けた。激しい金属の衝突音と振動が、両者の間に響いた。

 

 確かに頭領というだけあって、先日村で自分が倒した傭兵たちよりは熟練した腕前だ———カール騎士団長コバルトと互角か、あるいはそれより少し劣る程度だろう。しかし、先日小屋の中で徒手格闘をした魔族のロン———彼の足元にはまったく及ばない。彼と比べたら、まるで幼児を相手にしているかのようだ。

 しかし、ここで相手を殺すわけにはいかない。シェーラの青い石を取り戻さなければならないし、彼らが二度と村に現れないことを誓ってほしいからだ。

 適当なところで相手の動きを止め、この勝負にけりをつけなければ——————

 

 しかし、この時点でデルトンの部下たちが既に一つの計を走らせていたことに、バランは全く気が付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 両者の剣が凌ぎを削る音が、闇の虚空に鳴り渡る。それを聞きつけた傭兵街の住人達が、各々の住処から音の発生源である広場の中央に次第に集まりつつあった。

 そこでは、彼らにとって俄に信じがたい光景が繰り広げられていた。元ベンガーナ戦士団の熟練兵によって構成されるアルトガ———その頭領と互角に打ち合っているのは、自分達よりはるかに細身で、どこかあどけなさすら残すような少年だったのだ。

 自分たちですら、気を抜けば難なくふっ飛ばされてしまうほどの「百人斬り団長」の異名をもつ元戦士団長の太刀筋を、反撃こそしていないが、この少年が完全に見極めているとは、何たることか———デルトンの部下たちは驚きに目を見張っていた。

 

 十数戟の打ち合いによる火花が散らされた頃、ふとデルトンの体幹軸が一瞬だけ揺らいだのをバランは見逃さなかった。筋骨の大きい人間ほど俊敏さと柔軟さに欠け、可動域が狭まる。それを本能的に理解していたバランは、相手の懐に入り込むように前方に踏み込み、デルトンの手甲を剣で払い上げた。

 一瞬の出来事だった。それは完璧な擦り上げ技で、デルトンの愛用する大剣は重力を無視したかのように、放物線を描いて遠く離れた建物の背後の闇へと消えていった。デルトンが技の衝撃で体勢を崩して地面に横転すると、彼の側近や部下たちの間からどよめきの声が上がった。

 相手の少年からは息が上がっている様子もない。極めて冷静に相手の太刀筋を読み、力点をうまく利用した一撃で確実に相手を制したのである。

 そしてバラン当人も、この突然挑まれた勝負の結果に満足していた。相手に怪我を負わせるでもなく、けりをつけることができたのだ———自分としては上出来だった。

 

 呆然としたデルトンは、己の敗北という信じがたい現実を数秒かけて理解すると、立ち上がってバランのもとへ歩み寄った。そして少年の肩に片手をおき、相手の健闘を称えた。

 

「なかなかやるな小僧。…どうだ、俺たちと組んでここで暮らさないか?」

 

 デルトンとしては、最上級の賞賛と友誼の意を表した言葉を相手にかけたつもりだった。しかし、バランはこの街に現れたときと表情を変えることなく、自らの意思を一貫させた。

 

「断る。お前たちのような下劣な連中と共に生きるつもりはない」

 

「ふん、そうか…言ってくれるな。だが俺たちは被害者だ。戦士としてこの身を国のために捧げた俺たちを、お偉い達は或る日突然ばっさり斬り捨てやがった。おかげで、こんな廃墟を利用した場所で暮らすしかなくなったんだ。生きるための金を効率よく稼ぐことの何が悪い」

 

「そんな生き方はしたくない。ランカークス村のように大地と共生して生きるのが、俺の望みだ」

 

「…俺は合理主義なんでね。お前もじきに成人すれば、そのことが身に滲みてわかるはずだ。野良仕事で汗水たらすより、手っ取り早く金になる方法が一番だとな」

 

 その言葉は、詐欺を常習的にはたらくデルトンにしては唯一の本心からの言葉であり、彼自身の人生から得た哲学であった。しかし、バランの姿勢が変わることはなかった。

 

「俺は、お前たちに共感するつもりも、分かり合うつもりもない。さあ、勝負は俺の勝ちだ。シェーラの青い石を返せ」

 

 少年の反応に、デルトンは片眉をぴくりと上げた。少年がそこまでして神官の至聖石に執着する理由が、彼には理解できなかった。巨人族 (ギガンテス)の水晶体の方が遥かに希少価値があるし、大抵の人間は楽に金を稼ぐという方法を手にしたがるものである。この少年は、あえて己にとって損な選択をしたいと言っているようなものなのだ。

 

「あの石がそんなに大事か———もし返さんと言ったらどうする」

 

 その言葉に、バランは唖然とした。そしてこの男が筋を通さない人物であることを悟ると、ゆっくりと剣を鞘に納め、左手を天に向けて掲げた。

 

「………天翔ける雷神、稲妻の光よ———わが命に従い、万物を穿つ矛となれ!」

 

 大気の電子状態を操ることで雷雲を生じさせ、強大な火花放電を大地に落とす呪文【デイン】———少年が詠唱すると、アルトガ周辺の大気が一変した。上空層が割れたかと思うと、次の瞬間、広場に植わっている大木に向けて蒼白い光が走った。数秒遅れて響き渡る轟音の中で、傭兵たちは再び驚きに目を見張った。まだ成人にもみたない少年が、剣の腕もさることながら、魔法まで操るとは——————

 

「もう一度言う、シェーラの青い石を返せ。でなければ次はお前たちを狙う」

 

 バランは剣を持っていない方の手をデルトンに向けてそう言い放った。デルトンは落雷による水蒸気の爆発で燃え始めた樫の大樹を眺めると、その魔法の威力に度肝を抜かれ、冷や汗をかいた。

 

「これは恐れ入った…元素(エレメント)魔法の使い手とはな。だが、こいつの命がどうなってもいいのか、小僧?」

 

 デルトンが自らの拠点である建物の方へ目線を送ると、彼の部下数人が、縄で縛られた大きな人影を運ぶようにして姿を現した。それはバランにとってよく見知った人物———ランカークス村唯一の武器屋の主人、ジャンクだった。気を失っているらしく、両手を後ろで縛られて身動きが出来ない状態で、彼は篝火(かがりび)の焚かれた広場の中央に引き摺られてきた。

 

「ジャンク!」

 

 バランの呼ぶ声は、意識のない状態で横たわる相手には届かなかった。そして少年がジャンクのもとへ駆け寄ろうとしたその瞬間——————バランは剣を持つ手が痺れ、急速に「何か」が体内を巡るのを感じた。握力が失せて右手に持っていた長剣が落下すると同時に、全身の皮膚感覚が麻痺していく。自分の体に何が起きたのか理解できないうちに、少年は膝から崩れ落ちるように地面に倒れた。

 

 バランの背後から、デルトンの部下の一人が姿を現して言った。

 

「剣の柄に怪蟲(アラグネ)の毒を塗っておいたのが、今ごろになってやっと効いてきたか———そいつは体温で反応して経皮毒になる仕組みさ。結構強烈なやつでな、並の人間なら一瞬で全身に毒が回って動けなくなるもんだが———やけに今回は利きが遅いもんだから、仕込みに失敗したかと思ったぜ」

 

 実際には、彼らの罠としての毒物の仕込みは完璧であった。ただ、バランが竜の騎士であるがゆえに、普通の人間よりも毒への耐性があり、効きが遅くなったのである。

 

「さあどうする小僧。俺たちとこのアルトガで生きるか。それともジャンクと共にここで生き絶えるか———今ここで俺に生涯忠誠を誓えば、解毒剤を出してやろう」

 

 苦しみに呻きながら、バランは怒りに震えていた。筋を通さないばかりか、大事な村人を人質にするとは………やり方があまりに汚すぎる。しかし、彼らに報復しようにも、手足の痺れによって身動きが取れなければ、魔法を発動させるだけの集中力もない。いったいどうすれば——————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのときだった。

 

 

———そんな腐れ外道どもの言うことなど聞く必要はないぞ、バラン———

 

 

 どこからともなく、闇の中から男の低い声が響いた。

 

「剣の柄に毒を仕込むなど、武器職人への冒涜も甚だしい……人間どもの中に、ここまで度しがたい外道がいたとはな」

 

 

 昏い空を覆っていた雲が夜風によって流れていくと、月の光が大地へ射し込んできた。それによって、その声の主の姿が傭兵たちの目にも次第に認識できるようになった。

 広場から少し離れた大木の根元、靄の中から姿を現したのは、長身の男だった。耳は長く、青い肌に、長く艶やかな黒髪をなびかせ、顔の真ん中に十文字の傷がある…………

 

 バランは、全身に毒が回り始めたことによって意識が朦朧としながらも、同居人である魔族の声をはっきりと認識していた。あの声はロンだ。なぜ、ロンがここに……………

 

 しかし、これは好機だ。デルトンたちがロンに気を取られている間に、ジャンクを助けなければ———そう思ったバランは、気力を振り絞って少しずつ地面を這いながら、横たわっているジャンクの元へ近づいていった。

 ジャンクに声をかけて肩を揺さぶってみたが、まるで反応がない。ただ、死んでいるわけではなさそうだ。脈は感じられる。

 

 その一方、アルトガの住人たちは突然姿を現したロンの姿に息を飲んでいた。この目の前の男は、紛れもない魔族だ。しかも、ベンガーナ宮廷の指名手配の布令にあったとおりの外見の——————

 

 デルトンが叫んだ。

 

「やつを捕らえろ!生け捕りにすれば懸賞金500万ゴールドだぞ!」

 

「…ほう、俺も安い男に成り下がったものだ。この体がたった500万ゴールドの価値ということか」

 

 ロンは左腰の剣鞘に手を当てた。

 

「狭い小屋の中の生活で俺も少々体が鈍っててな。軽く体慣らしさせてもらうぞ。ついでに、魔界でなかなか振るう機会のなかった技を試させていただく。お前たちのような下衆相手には丁度いい———」

 

 剣柄に右手を携えるように構えたロンは、技を発動させるための「気」を急速に溜め始めた。彼の左腰に装着された剣鞘が、蒼みを帯びて発光していく。

 

 これは並ならぬ衝撃波が発動される———本能的にそう悟ったバランは、痺れる全身に鞭打つようにジャンクを抱きかかえると、全力を振り絞ってロンの後方へと飛んだ。ジャンクを庇うように、バランは地面を転がりながら石垣の影へと身を伏せた。

 

 そしてロンが抜刀した次の瞬間———光がすべての色彩を無に帰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静寂の闇に包まれたベンガーナ城において、唯一ほの明るい光明を発している小さな一室があった。王城の一角にある東塔の執務室で、宮廷神官シェーラは蝋燭台の灯りを頼りに、数十枚にもわたる文書に羽筆を走らせていた。

 国防会議に提出するための議案を、昼間の執務が終わった後に作成を進めていたシェーラだったが、ようやくその清書段階に入っていた。なんとか明日の昼からの会議には間に合いそうだ。そのことに少し安堵しつつ、彼女は昼間にランカークス村で起きた出来事を回顧していた。

 

 今日のところは、至聖石という切り札を使う形で、なんとかアルトガの傭兵たちを村から退却させることができた。

 秩序立った話し合いが通じる相手ではないし、年老いた村人たちを長時間において不安や緊張状態に晒すことは何としても避けたかった。それに、あの場にいたバランも、かなり張りつめた表情をしていた。正義感の強い彼のことだ。あのまま話し合いを長く続けていたら、きっと村人たちの前でバランの本性が明らかになってしまっていただろう———

 だが、やむを得ない判断だったとはいえギネの神官たる証を手放したことは、決して許されるものではない。夜が明けたら神殿に赴き、事の次第を正直に神官長に懺悔しよう。破門の覚悟はできている。

 

 それにしても———そう思いながらシェーラは筆を止めた。そもそもこれらの騒動の種を撒いたのは、他ならぬ自分自身なのだ。

 

 15年前に聖母竜から使命を授かって以来、自分の思想や言動というものが、世間の常識とかけ離れた異端のものとなっている自覚はあった。先日、神殿までやって来た幼馴染みのジャンクから疑いの目を向けられたが、遅かれ早かれこの宮廷でも軍務大臣をはじめとして、様々な役職から目を付けられるようになるだろう。

 しかし、竜の騎士がこの地上に遣わされた以上、世界が混沌の道へと向かうことになるのは間違いない。この人間界の平和を転覆させるような大きな危機が刻一刻と迫っているからには、周囲にどう思われようとも「竜の騎士をその名に恥じない人物に育て上げる」という己の指針を貫くしかないのだ。

 

 今は金貨が全ての決定権を支配するこの国(ベンガーナ)だ。魔王軍が襲来し、各国が壊滅的な被害を受ければ、全大陸の経済は混乱し、国家そのものが機能しなくなる可能性はきわめて高い—————

 

 小さくため息をついたシェーラは、しばし休憩をとるために羽筆を置いて立ち上がり、窓辺に近づいた。すると、南の遠くの空に、闇を切り裂く大きな閃光が走るのを見た。

 

「あれは一体——————」

 

 そのときに彼女が感じた胸騒ぎは、まさしく激動と混迷の時代の幕開けを予感させるものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …魔界で生まれ育ったロンは、物心つかぬうちから始めた剣技を10歳で極め、いくつかの必殺技を編み出していた。それらは一対一の勝負において用いる技がほとんどであるが、たった一つだけ、広範囲に衝撃波を放つ奥義があった。

 しかし、魔界であまりに強大な技を放つと、人間界との境界である地底層を破壊してしまう恐れもあったため、技を編み出した当時は実戦で試すことができなかった。地上では、空へ技を放っても(エネルギー)を宇宙へ逃がすことが可能だ。人間界と魔界とでは環境による物理法則が若干異なることを、シェーラから借りた人間の書物によって学んでいたからこそ、この技を試すにはちょうど良い好機だった。

 が、この地上においても、「試し斬り」一つでここまでの結果になるとは、ロンにも予測できなかった。

 

 消滅呪文のごとき一閃によって、アルトガは街ごと、光の藻屑となって消えたのだ——————

 

 効率の良い技であることには違いない。しかし、相手との間合いや駆け引き、一太刀の緊張感こそが、剣術の美しさだ。圧倒的な勝利を得たとしても、一瞬にして相手を無に帰すような、そんな白けるような技は興ざめでしかない。

 

<やはり、この技は封印すべきかもしれんな———俺の美学に反する>

 

 ロンが振り返ると、石垣の影にバランが一人の男を覆い庇うようにして倒れていた。近寄ってみると、バランは(うつぶ)せのまま毒がまわって苦しそうに呻いているが、少年の胸元にさげられた護符が光を放ち、彼の全身を柔らかな光のが包んでいる。何か特殊な力が発動し、傭兵たちの仕込んだ毒が体内で循環するのを食い止めているかのようだった。とはいえ早いところ何か手当てをしなければ、竜の騎士とはいえ生命の危機に及ぶだろう。

 

 ロンは、自分の足元でバランと見知らぬ人間の男が倒れている光景を前にして、途方にくれた。この状況をどうする。二人を見捨てて帰る、という選択肢もないわけではなかった。

 

 そもそも自分がこんな場所に来た理由というのは———数時間前、バランが森小屋を出るときに一瞬だけ見せたあの横顔だった。あれは、数十年前に大魔王バーンの居城を去ったあの日の自分の姿そのものだった。「誰に何を言われようとも、己の信念を貫く」———強い決意を秘めた姿に過去の自分自身と重なり、気が付けば、少年のあとを尾行するように、こんな南の土地まで遥々足を運んでしまったのだ。

 

 この二人を抱えて、来た道をそのまま歩いて戻ったのでは夜が明けてしまう………人間たちに自分の姿を見つけられてしまうことだけは避けたい。

 ロンは、バランと人間の男に手をかけると、懐に忍ばせていたキメラの翼——<今朝シェーラから与えられたばかりの稀少なアイテム>——を取り出し、天にかざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特殊な呪法によって魔力を秘められたキメラの翼は、使用者のロンの意図に基づき、彼と彼の手に触れられた者達を森小屋の前に瞬時に導いた。右腕にバランを、左腕に村人の男を抱えたロンは、小屋の扉を足で蹴りつけるようにして開けて入ると、二人を床に降ろした。

 見知らぬ人間界の村人の男は気を失っているだけのようだが、バランは毒が回り始めたことによる免疫反応で熱を出し、苦しそうにうなされながら汗をかいている。

 

 ロンは自らの剣帯の中に忍ばせている携帯軟膏をバランの患部と思われる右掌に塗ってみた。少し様子を見てみたものの、まったく変化がない。魔界の解毒薬は、この地上の毒には効かないのか…………

 この小屋にも薬箱はあるだろうか、と一瞬考えが及んだものの、この小屋に元々あった各種薬草が収納されていたという物置棚は、皮肉にも先日自分が取り壊してしまったばかりだった。一体どうすれば——————

 

 万策尽きた、と諦めかけたとき、ロンの背後から白い手が現れたかと思うと、そこからバランの体に向けて緑色の光が放たれた。ロンが振り向くと、そこには解毒魔法【キアリー】をバランに向けて発動している神官シェーラが立っていた。

 

「お前は…!」

 

 突如現れた女神官の姿に、ロンは驚いた。目線をバランに注いだまま、シェーラは口を開いた。

 

「ベンガーナ城から、南の方角で強い光が発せられていたのが見えました。なんとなく嫌な予感がしたのですが———やっぱり、事を起こしたのはあなた方でしたか。でも、まさかロン…あなたが、バランを助けに行ってくれていたとは…驚きました」

 

 我が子をいとおしむような眼差しでバランを見つめながら、シェーラはロンに感謝を述べた。礼を言われたロンは、やや解釈違いだと言わんばかりに答えた。

 

「…この坊やが、夜中に何やら真剣な顔でこの小屋を出て行った。ああいう目をしたやつは危険だ。ましてやそれが竜の騎士ならば、この大陸ごと吹っ飛ぶのではないかと思ってな———人間界がどうなろうと俺の知ったことではないが、伝説の竜の騎士がどんな強さを秘めているのか興味があった。それだけだ」

 

「実際には、秘めた力を披露して下さったのはバランではなく、あなたの方だったようですけれど」

 

 シェーラは、軽い皮肉を込めてふっと笑った。ロンの言葉が、照れ隠しのように聴こえたからである。何だかんだ言っても、同居人の身を案じたからこそ、バランを尾行していったのだろう。

 

「…見たのか、あれを」

 

「正確には、探知魔法を使って城から透視していました。何かあったときには、いつでも策を講じられるように———現場に赴くより、城にいる方が選択肢が多く持てることもあるのです」

 

 それを聞いたロンはこの目の前の女神官の魔法力に強い警戒心を抱かずにいられなかった。遠距離、しかも建造物を隔てた先を自身で透視する輩など、魔界でも見たことがない。魔王級の魔力をもつ魔族にしても、せいぜい呪法の施された水晶玉か鏡に投影させるか、監視役の魔物を現地に派遣して偵察させるくらいのものだ。

 この人間を敵に回すことだけは避けたほうがいい———魔族としての本能が、ロンにそう直感させた。

 

「……ひとつ、お前さんに聞きたい。俺にキメラの翼を与えたのは何故だ」

 

 ロンが問うと、女神官は手の平からバランに送る緑色の光を少しずつ弱めはじめた。それは、解毒の行程(プロセス)が終焉に差し掛かっていることを示した。

 

「あなたの真意を確かめたかったのです」

 

 バランの免疫反応熱が完全におさまったのを確認したシェーラは、魔法の光を次第に収束させながら言葉を続けた。

 

「これは私の賭けでした。あのキメラの翼をあなたがどう使うか———狡い人物であれば、今頃とっくに魔界へ帰還しているはずです。でもロンは、バランたちを助けるためにあの翼を使った———これで、あなたが魔王軍の手先でないことが証明されました。バランにもそう説明すれば、この子のあなたに対する疑いの気持ちも晴れるでしょう」

 

 女神官の思惑を理解したロンは、ため息をついた。

 

「…たしかに俺は、魔王軍とは関係ない。が、別に人間の味方でもない。何の身寄りも帰る故郷もないから、しかたなくここに戻ってきただけだ。それに、一度引き受けた契約は最後まで筋を通すのが、俺の主義だ。それがたとえ不本意な内容であろうとな」

 

 穏やかに眠るバランを前に、ロンは鋭い眼差しでシェーラを睨みつけた。

 

「いいのか?俺はこの通り、街ひとつ簡単に滅ぼすような危険人物だ。お前の大事なバランの剣術の師などにあてがって、後悔することになっても知らんぞ」

 

「…いいえ、むしろそのくらいでなくては竜の騎士の師範など務まりません。あなたと出会えたことに感謝しますよ、ロン」

 

 静かに解毒施術を終えたシェーラは、小屋の片隅で意識を失ったまま横たわっているジャンクを見た。特に怪我をしている様子はないが、よほど深く眠っているのか、当分の間は目覚めそうにない。幼馴染みの元に近寄って片手を置き、瞬間移動魔法をかけようとしたとき、ふとシェーラは言った。

 

「———そういえば、彼はランカークスの村人なのですが、あなたと同じ武器職人です。もしかしたらロン、あなたと良き友人になれるかもしれませんね」

 

「馬鹿なことを言うな。俺は人間どもと交流をもつ気なんぞ、これっぽっちもない」

 

 私も一応人間なのですが、というシェーラに、ロンは悪態をつく。

 

「お前さんは単なる契約相手に過ぎん。バランの剣術の師としての役割を終えたら、俺はさっさとここを出て行くつもりだ」

 

 一向に人間界に馴染もうとしない魔族ではあるが、その意固地なところが非常に彼らしい———シェーラは、やれやれといった様子で苦笑いした。

 

「そうですね。将来においてあなたが安心して一人で生きられる居場所を見つけられるよう、私も協力します」

 

 そして改めてジャンクに向き合い、瞬間移動魔法を発動させると、シェーラはジャンクとともに小屋から姿を消した。

 

 シェーラが去って行ったあと、ロンはバランを彼の寝床に運んで寝かせたのち、自らは窓辺に歩み寄って外の空をみた。先ほどまで大地を煌々と照らしていた満月がすっかりその存在感を弱め、闇の濃度が薄らいできた。

 

「…安心して生きられる自分の居場所、か。はたして俺にそんなものがあるのかどうか———協力するだけ無駄かもしれんぞ」

 

 木々の隙間から次第に差し込んでくる明るみを、目を細めて鋭く見据えながら、ロンはそう独りごちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャンクが意識を取り戻すと、彼の視界に映ったのは自宅の寝室の天井だった。薄暗い視界の隅で、妻のスティーヌと幼馴染みのシェーラが心配そうに自分を見つめている。自分はなぜここにいるのか———ジャンクはぼうっとする意識に鞭打つように、ベッドから勢い良く上体を起こした。

 

「デルトンはどうした?!俺は確か…」

 

 そう言いながら、必死に記憶をたどり始めたジャンクを、彼の幼馴染みが冷静な言葉で制した。

 

「急に起き上がってはいけません、眩暈を起こしますよ」

 

 案の定、頭痛とともにふらついたジャンクの上半身を、スティーヌが横から支えた。

 

「俺はアルトガに行っていたはずだ…あれから一体、何がどうなったんだ…」

 

 ジャンクの戸惑いの言葉に、シェーラが答えた。

 

「おそらくあなたは、傭兵たちに捕らえられていたのでしょう。バランがあなたを助けに行ってくれたのですよ」

 

「なんだって!バランが…あいつは…あいつはまた、あの恐ろしい馬鹿力を使ったのか?!」

 

 事の経緯をジャンクに伝えなければと思ったが、これ以上事実を話しても彼を興奮させるだけであろう———今の彼には休息が必要だ。そう悟ったシェーラはジャンクの額に右手をかざし、催眠魔法【ラリホー】の象形を描いた。

 するとジャンクは、ふっと意識が遠ざかるように再びベッドの上にどっさりと全身を預けた。

 

「大丈夫です、スティーヌ。ジャンクにはこのまま朝までゆっくり休んでもらいましょう。彼が目覚めたら、煎じたカモミラのお茶を飲ませてあげてください」

 

 精神鎮静作用のある薬草茶を彼の妻に勧めたあと、シェーラはジャンクの家を去った。そして再び瞬間移動魔法を使い、先ほどまで確かに住人たちが存在していた傭兵街———今は、もはや見渡す限り完全な平地と化したアルトガの土地に立った。

 

 そこに広がるのは、灰と砂が混じりあった白い砂漠である。陽が完全に登ってこの状態が人々に発見されれば、おそらくまた世間は大騒ぎになることだろう。自分は街ひとつ滅ぼすような危険人物だ、とロンが言っていたが、その言葉通りの光景が目の前に存在している——————

 一瞬のうちに天に召された傭兵街の住人たちの魂を悼み、彼女は厳かに胸の前で指印を切った。

 

 すると、ふと自分の足元に朝日の光をうけて青く光るものを見つけた。神の祝福をうけた至聖石は傭兵街の頭領の手に渡った後、あの衝撃波の中においても微塵も形を崩さず八面体の形状を見事に保っていた。ギネの神官たる証を拾いながら、彼女は思った。

 

<もしかしたら、自分はこの地上で最も業の深い人間かもしれない———>

 

 数日前、国家に背く形で魔族を脱獄させ、そしてその結果、街をひとつ消滅させてしまった。ベンガーナのみならず、ギルドメイン大陸を大きな混乱に陥れようとしているのだ、自分の行いは。

 

 ただもう、ここまで来たら後に退くことはできない。

 

 うっすらと始まりを告げる朝焼けを眺めながら、シェーラは白灰の大地に立ち尽くした。ロンを脱獄させたあの瞬間から、覚悟はできているつもりだった。しかし……至聖石を両手で握りしめながら、シェーラは呟いた。

 

「ギネよ、私の行いは間違っているのでしょうか————」

 

 そこに神の返答はなかった。あるはずもないことは彼女には分かっていた。神々は人間の行いを天界からただ見守るのみである。この地上に相談できる相手も存在しない。自分一人だけの、孤独な戦いが始まろうとしている。

 未来に対する恐れと不安が意識に浮かび上がろうとするのを、彼女は必死にこらえた。そして身を切るように吹きすさぶ風にあおられながら、東の空から朝日が昇ってくるのを見た。

 この光は、何を意味する夜明けなのか。希望か、混迷か、それとも——————

 何かの始まりを象徴するかのような太陽の光に照らされながら、ギネの神官は胸の内に一つの決心をしていた。

 

 

 

 

 

 

———そしてロンがアルトガを灰の大地に変えた、【鞘に魔力を貯め、抜刀とともに放出する】この奥義は、十数年後になってバランの息子のために拵えた剣の製作に活用することになるが、それはまた別のとして語られる話である———

 

 

 

 

 

 





(第2章・完)


今回の話で第2章完結です。


第1章〜第2章まで通してお読みいただきましたことに厚く御礼申し上げます。

私自身も、なんとかここまで執筆し続けられていることが奇跡以外の何物でもないです。。。
語彙力のない私が果たして最後までこの物語を描ききれるのか???と今でも疑問でして、それでも名工の物語を紡ぎたい!という気持ちだけでここまでこれたと思っています。

オリジナル要素の多い創作なので、人によっては受け入れづらかったりするかもしれません。
一応原作設定遵守なのですが、名工の話を盛り上げて広げていく上でどうしても欠けてしまう要素をオリジナルで補いつつ演出している部分がありますので、ご容赦くださいませ。。

名工の呪われた過去と、名工を利用しようとする魔界の陣営、そして人間界で名工を狙う人々を軸に、この物語は描いています。(現時点では、です。今後どうなっていくかまだ未定)

名工は相変わらず尖っているキャラですが、シェーラやバランから人間界の実情や人間の持つ「純粋さ」というものを教えられて日々暮らすうちに、少しずつ彼の内面が変化していく…という過程を、これからもじっくり描いていきたいところです。
指名手配中という立場上、あまり大きな立ち回りはできないんですが、それでも今回はやっちゃいました。。。11話は名工の大きな見せ場の1つなので、私もどんな言葉を選べばより彼をカッコよく演出できるか???と想像力と語彙力の限界に挑みました。
基本彼の性格はヤクザだと思っているので、任侠系の展開になると彼は輝きますね笑

その任侠系ドラマに欠かせないキャラなのが少年バランです。バランは「ポテンシャルが高すぎる」ことと「純粋」であるがゆえに、いろいろと騒動を巻き起こすキャラなのですが、そういうところが名工の心を動かし感化させてくれるのに貢献してるというか、非常にいいポジションなんですよね。
バラン自身は、名工と同居することで彼の「沈着冷静さ」を学んでいき、それが未来の【竜騎将バラン】の基本的なキャラクター性へとつながっていくイメージです。愛に純粋なところは大人になってもまったく変わりませんけど、笑

そしてそんなバラン少年に非常に大きな影響を与えるシェーラ。バランのお姉さん的、母親的存在である彼女は、基本クールで堅めな印象で、どちらかというと読み手にとって感情移入しにくいタイプかもしれないんですが、実はカール王国騎士団長ホルキンスの父親であるコバルトに想いを寄せていたことが今回明らかになります。(ちなみに破邪の洞窟クエスト当時、コバルトは独身です)

コバルトは、獄炎で2ページほどチラッと出てきた程度ですが、あのシーンだけでも「さわやかで男気があり、後輩からの人望も厚い頼れる男」という印象ですよね。そんなコバルトにどうしてシェーラが惹かれていったか、という部分はこれから描いていくところですが、そういうちょっとしたエピソードを小出しにしていきながら、少しずつ名工物語を演出する周囲の人々の色合いも出していきたいところです。推しを魅力的に描くには、やっぱり周囲の人々との化学反応が欠かせませんので。

名工とジャンクのファーストコンタクト(といってもジャンクは意識がない状態でしたが)を、この話から出してみましたが、彼らが友人関係になるのはここから18年後です。。。
ジャンクもとても味のあるキャラになってきていると思います。まだ20代で若いですし、またバランと違った意味で非常に純粋なのが良きです。シェーラと幼馴染みということもあり、二人の掛け合いもまた、個人的には好きなんですよね。

ということで、家庭や仕事の事情などもあり小説の更新がかなり不定期気味になっておりますが、第2章までご覧いただきありがとうございました!



この第2章までを1冊の文庫に収め、かつ設定資料、書き下ろしミニ番外エピソード「大賢者バルゴートの手記」を収録した同人誌「ロン・ベルク外伝(一)星に導かれし者たち」を近日頒布いたします。

また、キャラクタースケッチやイメージ写真、作中に登場した薬草療法や料理レシピの数々を収録した副読本「ロン・ベルク外伝旅紀行」(フルカラー44p)も同時頒布予定です。

活動報告またはTwitterやBOOTHにて発表しますので、よろしければご覧ください!
<Twitter>https://twitter.com/sonica0217
<BOOTH> https://soratonica.booth.pm/

第3章の更新は7月以降になります。
こちらハーメルンの更新は完全不定期ですので、最新話が読みたい方はPixivからどうぞ。
https://www.pixiv.net/users/3289958


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